194 レストランでの大失敗。その18 凍りつくレストラン。

そういえば、ボクたちまだシャンパンと
その肴しか注文してはいないのです。
そろそろ本格的に
メニューを決めなきゃいけないね‥‥、って。

グラスの中のシャンパンも順調に減り、
生ハムをまとったモツァレラチーズも姿を次々消した。
それにしても、慣れないお店で注文をするって、
やっぱりどこか緊張するネ。
と、そんなコトを話していたら、
座って間も無い、
ここ数回話題となっている
例の“向かい合わせの紳士”が
こう言うのが聞こえてきます。

「おいしいピザを食べたいんだが」と。

まだメニューも手わたされていないタイミング。
まさかいきなり注文をされるなんて
テーブルに案内をしたスタッフも面食らうような唐突に、
レストラン中が凍りつくようにシーンとしました。



レストランとは分業でなりたった場所。
シェフは厨房を守る人。
ウェイターはお客様をもてなす人。
その役割分担はお店が高級になればなるほど厳格で、
ホールスタッフが厨房の中に入ること
そのものを禁ずるルールを持ったお店があるほどなのです。
厨房の床の汚れを、
お客様をもてなす場所に持ち込むことは無粋だから
という理由もありはするけれど、プロ同士。
互いの仕事を尊重しあい、邪魔せぬ配慮と思えば納得。

家庭的なお店や、合理性を売り物にしたお店になると、
調理人が自らホールにやってきて
料理をサーブしてくれたりする。
でも高級なお店の場合、
お客様が「シェフに会いたい」と言われぬ限り、
調理人はホールに決してでていかぬもの。
お店の出入りも勝手口からと、定めるお店もあるほどです。

なにしろかつて、帝国ホテルの名料理長、ムッシュ村上が
「ホテルの調理人たるもの、
 ときに一張羅を着て自分が務める
 ホテルの正面玄関を堂々とくぐり、
 メインロビーの雰囲気を味わうべき」
と言って、業界が仰天した。
そんなエピソードがあるほど、
それぞれのスタッフが守るべき場所は明確に決まっていて、
他を侵すことなかれ。

そうそう。
そんな常識のフランス人が格付けをするガイドブックで、
果たして日本の寿司屋というのは
「高級なレストラン」として認められるべきなのか。
評価基準に忠実ならば、
調理人が自ら料理をサーブするお店なんて、
どうあがいても星はつかない。
ましてや雑居ビルの中にあり、トイレも共同トイレという、
そんな貧しい場所にある店が日本最高峰の寿司屋と呼ばれ、
そこに星をつけなくてはどんな店にも星の付けようがない、
と知ったときの彼らの敗北感を思うと痛快。
つくづく、日本の食文化とは独特です。



レストランにおける分業は、
厨房とホールを隔てるだけでなく、
ホールで仕事をしている人たちの間にも
役割分担があるのです。
アメリカに行くと入り口にきれいな女性が立っていて、
彼女はお客様をテーブルに案内するだけ。
あるいはせいぜい、予約の電話を仕事の合間にとるだけで、
けれど彼女はとても大切な仕事をしている。
入り口で予約の名前を告げる告げ方。
声の調子や笑顔やふるまい。
あるいは、香りや装いを彼女なりに判断して、
そのお客様が座るべき場所を決めて案内するのです。
レストラン全体がいい状態になるように。
同時に案内係の立ち居振る舞いが、
これからはじまるおいしい時間が
どんな時間かイメージさせる。

マリリン・モンローが歩くがごとき、
ゆったりとした様子で案内されたとき。
濃密でセクシーな食事を
たっぷり時間をかけてたのしめばいいんだなぁ‥‥、って。
大企業のやり手秘書のごとき、テキパキとした歩き方は、
そのままテキパキ、気軽に食事をしてくださいね‥‥、
っていうことになる。

ボクらが今いるレストランは支配人が案内をする。
「何か困ったことがあったら、
 ワタクシをお呼びください」というメッセージ。
つまり困ったこと以外のすべてのコトは、
テーブル担当のスタッフが対応するのが
そういうお店のルールのひとつ。
だからいきなり、テーブルについて、
案内してくれた人に料理を注文する。
あなた、そんなに困っているの?
って、ことになっちゃう。
コマリモノ。

 


メニューをお持ちいたしますので‥‥、
と引き下がろうとする支配人に向かって再び。
「旨いのを食べたくってね」と。
そう言い、答えをじっと待つ。

そもそも、なんであんなに急ぐのかしら。
そんなに早くお腹いっぱいになりたいんなら、
食堂やファストフードのお店にいけばいいのよね‥‥、
って。
母の言葉はいつも的確。

ただ、かの「大急ぎ紳士」の放った、
おいしいピザが食べたいんだが‥‥、という一言には、
もっと切なく哀しい結末が用意されているのであります。
また来週。


2015-02-05-THU



© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN