さて、みなさまどうなさいましょう‥‥、
と支配人ブライアンが
注文をかきとめるための手帳を手にしてニッコリ、
ボクたちに微笑みかけます。

食堂のように使え、
同時にレストランのようにもなってくれるお店において、
まず最初にすべきことは、
そのお店のどちらの部分を今日は利用しようとしているか。
それをさり気なく、正しく伝えるというコトでしょう。

今日は時間をタップリ使ってたのしませていただきますネ。
今日はお腹いっぱいになりにまいりました‥‥、
とそんな感じで。
あるいは、ワインリストも
一緒にみせていただけませんか? でもいいでしょうし、
残念ながら時間があまりないものですからと、
伝えてみるのもいいでしょう。
お店の人から的確なヒントや、
今日のおすすめメニューを
ただしく引き出すためのひとこと、一工夫。
特に、食事に対して
どのくらいの時間をかけるコトができるか。
それをさりげなく、お店の人に伝えることができれば最高。

その会食をアレンジした人。
あるいは、そのテーブルでホスト役をするにふさわしい人。
マスターオブテーブルって、ボクは呼びます。
そのテーブルのご主人役。
その人が、例えば一番遠くから来ていそうな人に
「電車でどのくらいの時間がかかるの?」
とかって何気ない会話をよそおい聞いたりする。
お店の人が近くにいるときを狙ってですネ。
「電車で1時間くらいなの、
 でも10時まで乗らないと
 速い電車がなくなってもっと時間がかかるのよね‥‥」
と、この会話はお店の人にとってのヒントです。
9時くらいまでにとりあえず、
料理の提供は終えとかなくちゃ‥‥、と。
するとあまり時間のかかりそうな料理を
勧めずにおこうって、気をつかってくれたりします。
だからといって、
お店の人にいきなりその人のコトを指さして、
「この人、1時間もかけてかえるから
 なるべく早く料理を出してあげて」
って言うのは無粋。
レストランという公の場で、
プライバシーはあくまで秘密にしていたい。
ヒントを出し合い、イマジネーションをふくらましつつ
互いが幸せになる方法をすりあわせていく。
それが大人の社交というモノ。



こんなコトがありました。

セントラルパークが色づき始めると、
ニューヨークにはオペラの季節がやってきます。
リンカーセンターにある歌劇場。
そこでずっと観たかったプッチーニの
大作のチケットが手に入り、
ボクはいつもお世話になってる中国系の友人を誘って
一緒に行こうと思った。
けれど彼はクラシックなんて絶対寝ちゃう。
できれば自分の妹を連れて行ってくれないか‥‥、と。
彼女は音楽学校を目指していたこともある
クラシックファンだから、お願いするよ。
そうたのまれて、デートのような夜になる。

何度か会ったコトある彼女。
とてもチャーミングで、
けれどかなり鼻っ柱の強い女性で
おいしいモノに目がなく、
しかも、おいしいお店をよく知っている。
新人ニューヨーカーのボクが
敵う相手じゃないのはよくわかってて、
けれどココは気合を入れて
しっかりエスコートをしなくちゃと。
準備万端を心がけます。

おそらく4時間を超える長丁場。
まずは腹ごしらえをどこかでしようと、
あいにく、オペラハウスがある界隈は
あまり得意じゃないエリア。
ただ一軒だけ、
オニオングラタンスープがおいしいお店があったはず。
まだニューヨークに来て間のない頃に、
就職活動をしていた途中、
フラッと入ったビストロのランチで食べた
オニオングラタン。
お店の雰囲気もゴージャスで、サービスも悪くなかった。
しかもオペラハウスの通りを挟んで至近距離。
そんな記憶をたよりにそこを調べて予約をしていった。

お店の中はほぼ満席で、
ほとんどの人がオシャレをしてて
オペラのチケットを持ってる人たちなのでしょう。
ボクらが行ったときにはすでに食事をしてて、
ボクらが最後のゲストのよう。
ランチを食べたときに思った以上に上等で、
こりゃ、時間がかかる店だぞ‥‥、と。
メニューを睨んで考え込んだ。

支配人らしき一人だけスーツ姿のおじさんが、
いらっしゃいませとやってきます。
なにかお役になりましょうか? と。
ボクはいいます。
「以前、ランチで
 オニオングラタンスープがおいしかった記憶があって、
 オペラの前に食事をしようと来たのです」と。
時間は開演予定時間の1時間とちょっと前。
急げばスープとメインディッシュを
食べるコトも出来ますか?
何しろあのスープを彼女に食べさせたくて
しょうがないので‥‥、と、誘った手前、
ボクはかなり意固地になります。

急いで料理をお出しすることもできましょう。
早くできる料理もご用意しておりますし。
けれどせっかくでしたら、
開演時間ギリギリでなく早めに行って
劇場の空気をタップリ体に蓄え、
ご覧になることをおすすめします。
エントランスホールのシャガールの壁画なんて、
みているだけであっという間に時間が過ぎます。
もしよろしければ、
オニオングラタンスープはお夜食にでも。
舞台が終わって寝る前に、
熱々の当店のスープをお腹におさめれば
グッスリお休みにもなれましょう。
ここのお席は今晩ずっと、
ミスターサカキのお席ということで
リザーブさせていただきます。
オペラのチケットをお持ちだわかっていれば、
もっと早くの予約をおすすめできましたのに、
確認しなかったのは私どもの不手際ですから、
ぜひ、このサジェスチョンをお受けいただきたく存じます。

彼女はニッコリ。
今日の夜は寒くなるっていっていたから、
帰る前に熱々のオニオングラタンなんて
とてもステキだと私は思うわ‥‥、と。
ボクらはそうするコトにした。
さて、ならメインをひとつ選ぼう。
何にしようかとふたりで再び思案に入る。
支配人氏は、またボクたちに声をかけます。

消化の悪い重たい料理は、睡眠薬のような食べ物。
かと言って、サラダやサンドイッチでは
お腹が冷たくなってしまいます。
消化に良くて、しかも元気のでるお料理を
お選びになればとよいかと思います。
ちなみに。
マリア・カラスは舞台の前に、
かならずフォアグラのソテを食べて
元気を出したと言います。
お腹にもたれず、栄養豊富で、
しかも美味なフォアグラのソテ。
偶然にも、フランスから届いたばかりの当店のフォアグラ。
マデラの香りでタップリの野菜を添えて仕立てた料理は
当店のシェフの得意な料理の一つ。
今からでしたら、
たった10分でご用意できようかと存じます。




ボクらの注文は即座に決まり、
その日の演目の前奏曲のごとき華麗で
うつくしいその一品をお腹におさめ、
意気揚々とボクらはお店を一旦後にすることにする。
お勘定をすませてそれと一緒にボクは、
ちょっと多めのチップを手渡す。
オペラに立ち向かうためのいろんなコトを教わった、
その御礼と思えば決して過分な金額じゃない。
「恐縮です」
と支配人は彼女のためにドアをあけ、
一言、ステキな言葉を添えます。

幕間のオペラハウスのパウダールームは
てんやわんやの大混雑になりましょう。
御夫人方がお化粧直しで大忙しでらっしゃいますから。
もし、化粧直しが必要ならば、
ちょっと歩いて当店のお手洗いをお使いください。
その時間、私どものパウダールームは、
マドモワゼル専用のパウダールームでございましょうゆえ。

開演予定の20分前にはめでたくボクらは劇場にいて、
その日のプリマドンナのゴキゲンかなり麗しく、
予定時間からたった10分しか遅れず
前奏曲がスタートします。
見事な演奏、そして幕間がやってくる。
ボクらはふたりで、手に手を取って
通りをわたってあの支配人に会いにゆく。


2012-02-02-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN