ボクがコンサルタントとしての勉強をはじめたとき。
1970年代が終わるその時期は、
日本の飲食店がはじめて
「サービスの力」を認識しはじめた頃でした。

日本に外食産業という言葉、概念をもたらした
アメリカからのチェーン店。
飲食店の人たちは、
アメリカンスタイルのあんな料理が
日本で受けるはずがない、と高をくくって、
けれど興味津々、見ていたのです。

案の定、最初は新しもの好きの若い人たちが集まって、
ブームを作り、それも一過性だよと思っていたら
次々とお店を増やしていった。
お店が増えるに従って、
お客様の層もどんどん広がっていく。
若者だけじゃなくて、大人もそしてファミリーも、
そうしたお店のとりこになっていったのです。

飲食店は料理だけじゃない。
お店の雰囲気やサービスも
お客様を惹きつける大切な要素なんだ。
日本の経営者もそう気がついて、
そのやり方を真似るようになっていった。

日本の外食産業はそのようにしてはじまったのです。
外食産業の時代はサービスの時代。
そう言っても良かったのかもしれない。
けれど、サービスを売り物にするお店のほとんどが
マニュアルで決められた言葉を使って、
決められたコトを決められた通りにすることで
良しとしている。
仏頂面で料理をただただ出されるよりはありがたい。
けれどサービスの本当の目的は、
お客様一人ひとりのココロの中に飛び込んでいく、
そのキッカケを作るためのモノ。

お客様のココロにはいくつもの部屋があって、
そこそれぞれに扉がついてる。
アメリカ式のマニュアル通りのサービスで、
開いてくれるココロの扉は
決して多くはないだろうなぁ‥‥。
奥へ奥へと広がっていく、
豊かな気持ちがねむってるプライバシーという
鍵のかかった扉は決して開かないだろうと、
そのことだけには確信がある。
ならばどうやってそこの扉をあければいいのか‥‥。





ボクはボクのコンサルタント人生の
基本を教えてくれた師匠に相談しました。
「答えを教えてあげられるかはわからないけど、
 一緒に寿司でも食べながら
 考えてみようじゃありませんか」と、
ボクらは街のすし屋に行った。

銀座のはずれ。
カウンターだけの小さな店で、
師匠のなじみの店だったのでしょう。
ボクらは店のご主人の前に座って、食事をはじめる。
「二人ともお腹がかなりすいております、
 おまかせで‥‥」と。
この街らしい端正な寿司が、
次々、寡黙なご主人の手から作り出されて
ボクのお腹に収まっていく。

ボクは日頃考えていたコトを
師匠に聞いてもらうことにする。

マニュアルで教えられた言葉で接客することは、
とても空虚で味気ない。
誰にも等しく伝わる言葉は、
結局、誰のココロを満たすコトは
できないのだろうと思います。
接客用語。
つまり、仕事をするための言葉でなくて、
人のココロを開くのは「挨拶」じゃないかと思うのです。
いらっしゃいませ、ではなくて、おひさしぶりです。
あるいは、もう半年ぶりになりますね‥‥、とか。
そのお客様のためだけに誂えられた、
なにげない日常会話のような一言。
そうした挨拶だけで
お客様をおもてなしすることができれば
もっとココロに届くサービスが
できるのじゃないかと思うのですが‥‥、と。

師匠はそれを聞きながら、
ちょっと困ったような顔をする。
そして言います。
君が言うようなサービスならば、
きれいなおねぇさんがいるクラブに行くと勉強になる。
このお店じゃぁ、
君の勉強にならないかもしれないなぁ‥‥。
ねぇ、大将。
この界隈に気のきいたクラブはありますか?‥‥、と。
そう聞く師匠に、店のご主人はこう答えます。

七丁目にあるクラブの女の子が、
うちをよく使ってくれるけれど、
お客様の気持ちを上手にとらえる話術は見事なモノ。
クラブでなくても、
うちの三軒どなりにあるバーのマスターも、
人の気持ちをそらさぬ話題豊富でたのしい人です。
ただ、たのしい会話とサービスだけじゃ、
腹一杯にはならんですがね‥‥、と。

そう言いながら、手を休めない。
その手の動きのうつくしく、正確にして繊細なこと。
改めてみると、ウットリします。
しかも食べる人のスピードにあわせて、
タイミングよく握り分けてく。
無駄に話をする訳でなく。
けれど聞かれたコトにはテキパキと。
焼いた塩をつけておりますのでそのままで‥‥、と、
ときにおいしい食べ方をそっと添えて寿司を出す。
この人は、会話でお客様をもてなそうとはしていない。
あくまで寿司でお客様を満足させる。
そのために、必要なコトを的確に。
その必要がときに言葉であればそれを使いはするけど、
基本的には「握って、出す」という一見単調で、
当たり前な作業を通して、
食べ手のココロを満たそうとする。
ボクらは食べた握りの数だけ、
ステキなサービスを受けることができるという訳。
ファストフードのカウンターのように
サービスを拒絶するカウンターがあるかと思うと、
サービスを何度も何度も
お客様に提供するための装置としての
カウンターもあるのだなぁ‥‥、と。
ボクは無口に、考え事をしながら寿司をモクモク、
食べていた。




こちらで今日ご用意のネタはひと通りでございます。

みればコッテリとしたツメをたっぷりまとった穴子。
フワッととろける穴子の
ふんわかした食感も見事だけれど、
なによりとても香ばしいツメがあまりに美味しくて、
我にかえって眼を閉じる。
飲食店で、やはり最後にいきつくところはおいしい料理。
それが無くして、
サービスだけがどんなに見事ですばらしくとも
その飲食店は「サービス業であって飲食業ではない」
んだなぁ‥‥、と。

〆に卵焼きか、もしお腹に余裕があるようでしたら、
かんぴょう巻きでもお作りしましょう?

そう言う店のご主人に、無礼を承知でボクは言います。

真ん中くらいでいただいた、平貝があまりにおいしく、
けれどそこから先をボンヤリしちゃって
あまり覚えていないのです。
もし失礼でなければ
平貝からやり直させていただけませんか?

寿司をまかせて握ってもらう。
それはすなわち、今日の一番おいしいネタを、
おいしい順に食べさせてもらうというコトで、
その順番を覆すコト。
しかも舌が疲れるほどに
コッテリとした穴子を食べた後に、
もう一度、繊細な味わいのモノを食べたい。
そんなコトをたのむなんて、
褒められた行為ではないことを知ってはいたけど、
頭もお腹もまた食べたい‥‥、とねだる訳です。
大食いでならしたボクの師匠も、
「できればそのご無礼に
 ワタシものらせていただけませんか?」と。

無礼者のボクらにご主人は「よござんす」。
平貝に戻る前に、これを召し上がっていただきましょう。
そう言いながら、親指大のキュウリの上に
ワサビを塗ってご飯をのっける。
かっぱ巻きが裏返ったようなモノを差し出し、
ボクらは食べる。
キュウリが壊れて口一杯にシャキッと
緑のジュースを吐き出す。
わさびがツーンと鼻、くすぐって、
見事に口がリセットされる。
そして再び、平貝からボクらはめでたくやり直す。

ボンヤリ考え事をしながら寿司を食べてたボクは
ちょっとビックリしました。
このご主人。
寿司を握って、カウンターの上においた次の瞬間。
姿勢を正してボクらの顔を正面から見、
軽く会釈してそれから次の作業に入る。
「お待たせしました、召し上がれ」と、
言葉にならぬ言葉がボクには伝わってきて、
なるほどこれが寿司屋のサービス。
料理にココロを込めるからこそ、
ボクらのお腹を満たした上に、
ココロまでを満たしてくれる
ステキな料理になるんだなぁ‥‥、と。
ウットリしながら寿司を味わうボクらに
ご主人、気を良くしたのでありましょうか。
こんなコトをボクに言います。

自分の仕事は、川下りの船頭のようなもの。
川の上から下まで、たのしくお客様を運ぶ仕事。
人それぞれに、見たい景色は異なっていて、
その「見たい景色を感じながら」
進路や漕ぐスピードを加減する。
流れに任せて船頭させていただけるのは、
そりゃぁ、楽でありがたいこと。
流れに逆らう旅は大変。
力仕事になりはするけど、でもそれはそれ。
プロの技量の見せどころ、‥‥ってことでがんしょう。
と、そう言いニコッと笑って、
甘く仕上げた玉子焼きを、サッと一切れ。
その日の〆とあいなった。

今日は大雨の後の激流下りのようでしたか?
と、師匠は言って、みんな笑った。
すべてのサービスは料理をおいしく、
たのしくさせるスパイスでしかない。
とはいえ、スパイス抜きの料理は虚しい。
ただ、お腹を満たすだけのモノ。
サービス付きの料理を使って、
何度も何度もココロの扉をたたくと言うコト。
それは一体どういうことか、さて来週といたします。



2011-07-14-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN