その1 写真的な写真って、なんだろう。

 
▲ アフリカの広いサバンナで
キリンの群れを追いかけていた時、
大きなアカシアの木がある場所で、
突然巨大な雲が太陽を遮りました。
光がぎらぎらと照りつけていたときには意識していなかった
「太陽」の存在を、逆に、強く意識しました。
そして太陽から自分自身までが、
一本の線でつながったかのように感じた瞬間でした。
目の前には、後光のような
やわらかな光があふれていました。
その質感は、とてもあたたかでした。
[Camera LeicaM3 / Lens Summicron50mm]

 
  「今、カメラを買うなら、なんだろう?」
という声が、周りでも、とくに若い人のあいだから、
聞こえてきています。
そんな声に少しでもこたえて、
写真が好きという人がふえてほしい。
そんな思いで、この連載をはじめることにしました。

ぼくが「写真がもっと好きになる。」や
「にわか写真部」を連載していた頃から、
だいぶカメラの世界は変化し、
今、完全に、カメラは
2つの方向に分かれていると思います。
1つは、iPhone的な入力デバイス。
いろいろなことができる。動画も撮れる。
エフェクトもかけられる。
そう、iPhone5なんて、すごいですよね。
あんなふうに、手軽に楽しく、いろんなことができることに
特化していったものがあります。
でも、それって、本来、
写真を撮るっていうためのカメラとはちょっと違って、
エンターテインメントツールっていうのでしょうか、
画像や動画を媒介にした
コミュニケーションツールとしての
入力デバイスなのだと思います。


 
▲ 青森にある大きなリサイクル工場の中での一コマです。
ぼくは初めてこのリサイクル工場を訪れた時、
まわりにあるのはすべてゴミだというのに、
それを観て、美しいと感じました。
中でも、このプレス缶は、
実際にもキラキラと光っています。
ぼくはこれがもっと光りそうな気がして、
カメラを構えてシャッターを押しました。
工場の人々も不思議がっていましたが、
その場に30分以上はいたと思います。
まさに「じっくり、ゆっくり」な一枚です。
[Camera Pentax67 / Lens 135mm(35mmで85mmぐらい)]

 
  その一方で、いわゆる「カメラ」というのも、
まだまだやっぱり人気があります。
日本はカメラ大国で、
ニコン(Nikon)、キヤノン(Canon)、
いまは同じ会社になった
リコー(RICOH)とペンタックス(PENTAX)、
オリンパス(OLYMPUS)、シグマ(SIGMA)、それから
ソニー(Sony)やパナソニック(Panasonic)など
たくさんのメーカがあると同時に、
ドイツのライカ(Leica)もとても元気がいい。

写真を撮るっていうことに関しては、
フイルムであろうが、デジタルだろうが、
変わらない楽しみがあります。
その意味でのカメラは、
「しっかり物を見て、自分で思ったことを撮る」
ためのもの。
これはもう、本当に、それだけでいいわけです。

それには、どう写ってくれるのかっていうことが、
たいへん重要になります。
だからこそ、レンズが大切。
昔から写真にとって一番大切なのはレンズだ」
と言われてきているけれど、
ほんとうにそうなんだと思います。

その中で、シグマというメーカーがあります。
ここはもともとレンズメーカーだったのですが、
フォビオン(Foveon)というセンサーをつくる
アメリカの会社を買い取りました。
つまり、レンズメーカーが、自らセンサーも作る、
というかたちになったわけです。
昔は、フイルムメーカーがフイルムを
作っていたわけですから、
カメラメーカーは、フイルムを作らなくてもよかった。
でも、今は、フイルムがほとんどなくなり、
センサーは入れ替えられないから、
最初からカメラに入っているのが当たり前になりました。

 

【フォビオン】
2008年11月11日にシグマの100%子会社となったフォビオン社は、アメリカのシリコンバレーの中で生まれました。社名は、目の部位で高精細な中心視野での視覚に寄与する中心窩(fovea)に由来しているように、(詳しくは後日お話ししますが)他のフォトダイオードセンサーとは別の、独自の構造を持った、とても写真的なセンサーを作っています。

 
  すこし余談になりますが、センサーは、
もしかしたら、近い将来、
カートリッジ的なものになるかもしれません。
リコーの「GXR」なんていうカメラは、
それをちょっと試そうと、ユニット式になってます。
同じレンズでも、ユニットを変えるとセンサーごと変わる。
他のメーカーもそういうふうになって行く可能性も
無きにしも非ずですけれど、
まだまだ一般的ではありません。

 

【リコーの「GXR」】
2009年にリコーより発売された、まさにユニット式で、センサーもレンズもすべて交換式という画期的なシステムカメラです。幸運にも、開発当時にお話を聞くことが出来たのですが、そのユニットを交換することで、時にはスキャナーになったり、ハードディスクになったりする可能性もあるのですから、ちょっと未来を感じました。

 
  ですから、今、カメラを買うと、
センサーは最初から入っている。
フイルムが入ってるのと一緒のことなんです。

でも、何でもそうですけど、
全てのカメラメーカーが、センサーを作れるわけじゃない。
センサーを作るのが得意なのは電機メーカーですが、
彼らの作るセンサーっていうのは、
どうしてもビデオ的なセンサーになってくるから、
僕は、ちょっと写真的ではないなって
感じてしまう時があります。
これは、いい・悪いとかじゃなくて。
写真的ではない。そう感じてしまうのです。

写真的かどうか、というのは、
きれいか・きれいじゃないかっていうよりも、
自分が感じた時のことが
写っているか・写ってないかということです。
厚みとか、存在感とか、空気感とか、
言語化しづらいものが、なんとなく感じられると、
「あぁ、写ってるなぁ」って思う。
そういうものをぼくは「写真的な写真」だと言っています。
そして、写真っていうのは、悲しい宿命を持っていて、
永遠に世の中は立体的なもの、3次元なのに、
常に2次元で表現しなきゃいけない。
その2次元の中に3次元であった出来事の思い出だとか
いろんなものが詰まってる写真を、
僕らは、「いい写真だ」と呼んでいるのだと思うんです。



 
▲ なんだか出来すぎのような写真ですが、
実はこの写真は、少年に
「ポーズを取ってくれ」というお願いをしていません。
まさにスナップ写真なのです。
ぼくがカメラのレンズ交換をしていると、
目の前に彼が立っていました。
カメラを向けたら、にっこりと頷くので、
ぼくはシャッターを切りました。
この場所は、その数ヶ月前に
サイクロンで壊滅的な浸水の被害に遭った地域なのですが、
それでも彼のこのすがたを見ていると、
未来という時間があることを確信することが出来た、
ぼくにとっても大切な写真の一枚です。
[Camera NikonD3 / Lens 35mm]

 
  もちろん電機メーカーのセンサーが作る画が、
すべて写真的ではないというわけではありません。
まぐれ当たりでなのか、偶然なのか、
それこそ意図したものなのかはわからないけれど、
すごくいいバランスで、
「わぁ、いいなぁ」って思う時がある。
これは、もしかしたら、どのメーカーがというよりも、
流行りもあるのかもしれません。
今、ちょっと派手だったり、解像感が高かったり、
パッと見、きれいなほうが、
みんなが「きれい、きれい」って言いますから、
それに合わせての流れっていうのがあるのかもしれません。
でも、そうじゃなくて、
明らかにまだまだ発展途上なところがあっても、
自分たちでセンサーを開発する技術を持ち、
それに合わせたレンズをつくるというシグマは、
ちょっとすごいな、と思うのです。
自分たちの中だけで完結できる
トライ・アンド・エラーができる状況の中で、
作っているということなのですから。


  ▲ 青森の白神山地にある「十二湖」は、
小さな沼がたくさんある、ぼくの大好きな場所。
白神は水の森といわれるように、
どこもかしこも瑞々しい森です。
湖面はもちろんのこと、
ブナの木たちもキラキラと光っています。
そんなすべてが写って欲しくて撮ってみたのですが、
ちょっと、そのきらきらが写ったような気がします。
[Camera RICOH GR / Lens 28mm]

  次回は、そのシグマの話をもうすこしくわしくします。
2013-09-05-THU
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