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宮本茂 × 糸井重里、対談2005

 

糸井 やっぱりぼくはゲームで遊んでもらうときに
テレビの前に座らせるというのが
むつかしくなっていると思ってるんです。
だから、大きさや携帯性のことではなくて、
ニンテンドーDSとか
ゲームボーイアドバンスのように
「自分専用のモニターがある」
というのが、いいような気がするんですよね。
宮本 そうですね。
『nintendogs』なんかも、
机の上に置きっぱなしにしておいて
一日中つき合ってもらいたいんだけど、
テレビだとずっと映しとくわけにもいかへんので
やっぱり専用のモニターが
必要になってくるんですよ。
糸井 うん。極端なことをいうと、もっと大きな、
「卓上DS」みたいなものが出たら、
調子にのって買っちゃいそうな気がする(笑)。
こう、両手でパッカンって開けるようなやつをね。
宮本 (笑)
糸井 あの、元アップルの、いまマクドナルドの社長の
原田(永幸)さんが言ってたんだけど、
「コンピューターというのを、
 ああいう形をしたものだと
 思い込んでいるのがもう、間違いなんだ」と。
コンピューターって、もう、
コンピューターっていう形のものじゃなくて、
どこにでも入り込んでて、
あらゆる場所にあるのが
コンピューターなんだから、
ウインドウズだ、マックだなんていう時代は、
もうすぐ終わるんだっていうのね。
だから、このニンテンドーDSを見てると、
ゲーム機というものの形も
どんどん変わっていくんじゃないかと思う。
宮本 うん、そうですね。やっぱりこう、
「触る」というだけで、
ゲーム機としてぜんぜん違うものになったし。
技術が変わると、製品のイメージも
ぜんぜん変わっていきますしね。
糸井 ニンテンドーDSは、形としてはまだ
これまでのゲーム機に近いけれど、
いずれはもっと違う何かに
なってくんだろうなっていう
予感がありますよね。
宮本 うん、ありますね。
糸井 そのあたり、まあ、
答えはまだ出ないんでしょうけど。
それとも宮本さんには
ちょっとは見えてるんですか?
宮本 うーん、まあ、
最終的にはそうならなかったんですけど、
ぼく、ニンテンドーDSの形を決めるときに、
これ(十字キーとボタンすべて)を
思い切ってなくそうかなと
思ったこともあったんですよ。
糸井 はーーー!
宮本 これ、なかったらいいのにな、って
思った時期もずいぶんあったんですけども。
これだけで割り切れたらええなと。
糸井 それ、あり得たんですかね?
宮本 どうでしょうね。
まあ、アドバンスのソフトも
遊べなくちゃいけないので、
そういう流れを汲んでるあいだは
無理なんですけどね。
糸井 そうかそうか(笑)、これ、
アドバンスのソフトも挿せるんだもんね。
宮本 ええ。まあ、それぐらい思い切れたら
かっこいいなと思ったんですけど。
── でも、そういうことに対してはきっと、
つくり手より遊び手のほうが保守的ですよね。
宮本 ああ、そうよね、うん。
糸井 思い切って十字キーをなくしたら
「なんだよ!? それは!」とか。
宮本 そうそう(笑)。不安になるんでしょうね。
── 自分でも言いそう(笑)。
「そこまで新しくしなくていいです」って。
糸井 そういうのは、
とくに子どものほうが保守的ですよ。
つまり、「新しいお父さんに馴染まない」
みたいなことですよ。
お母さんはもう馴染んでるのにさ。
宮本 (笑)
糸井 まあ、子どもが保守的だっていうのは、
当然といえば当然なんです。
つまり、自分の力で生きる手段を
持っていないわけですから。
いままでどおりなら生きていけるものが、
あんまり変わっちゃうと
死ぬかもしれないっていう
不安が出てくるわけですからね。
だから、遊び手が不安になるのは当然ですよ。
宮本 うん、そうそう。
糸井 でも、そのときに、お母さんのほうは、
「こっちのお父さんと暮らすほうが
 生きられるのよ!」
って思ってるわけでしょ(笑)?
── で、新しいお父さんが、
魅力的なオモチャとかお菓子とかをくれると‥‥。
糸井 あっという間に馴染んで、
生きていけたりしてね(笑)。
宮本 (笑)
糸井 それって、革新的な企業と
古くからいるユーザーの関係そのものだね。
でも、そういうふうな企業も
いまはずいぶん少なくなってると思うけど。
やっぱりいまは、心配性の子どもと、
「しばらくこのままのほうが
 いいんじゃないのかい?」
って言うようなおばあさんが
たくさんいるような世の中だから。
でも、宮本さんが、
ニンテンドーDSをつくりながら
「十字キーやボタンが
 なくてもいいんじゃないか」って
思ったっていうことだけでも、
なんか、いいですよね。聞いててうれしい。


続きます!
2005-03-07-MON