日本のすばらしい生地の産地をめぐり、
人と会い、いっしょにアイテムをつくる試み。
「/縫う/織る/編む/」、
どうぞよろしくお願いします。

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古橋佳織理さんインタビュー後編- 世界で名だたるハイブランドが愛する生地。

──
古橋織布さんは、創業が1928年。
もうじき100年ですね。
古橋
そう、いま96年です。
──
佳織理さんは何代目ですか?
古橋
4代目です。
2021年に、継ぎました。

──
おいくつのときに継ぐ決心をされたんですか?
古橋
26歳のときです。
けど、それまでは
まったく興味、関心がありませんでした。
というのも、どういったことをやってるのか
知らなかったんです。
小さいときは
「工場(コウバ)の中は危ないから」って、
入ったことはあんまりなかったですし。
思春期になると、
ますます他のことに興味が移りますし(笑)。
──
家のことに無関心な年頃ですよね。
古橋
海外に行きたい欲がものすごく強くて、
英語だけは勉強してたんです。
ですから、家に残ろうというのは
まったく考えていませんでした。
もう大学から一人暮らしをしたくて、外に出て、
で、留学したくて留学してみたいな感じで、
もうやりたい放題(笑)。
──
(笑)。
古橋
日本のものを海外に伝える仕事がしたいと思って、
最終的に、日本の特色ある技術を持ったメーカーの
海外営業部に配属になりました。
そこで働いて3年、4年、
その間にうちの、古橋の会社も海外展開を始めていて。
そんな時に、転機になるようなことがありました。
東京出身で、文化服装学院を卒業した
濵田美希さんという方が入社するんですね。
それが、私が入る1年くらい前。
その当時のうちの会社はもう、本当に家内工業で。
外からの人は2人くらいしかいなくて、
全部で5人くらいの町工場だったんですよ。
そこに東京からね、こんな片田舎の町工場に、
単身で入るっていうのが、衝撃で。

──
「こんなことする人がいるんだ」みたいな。
古橋
よっぽど意識がないと、そんなことしませんよね。
すごい生地オタクのその人が来るということは、
うちには何か優れたものがあるんだ、って。
私、一人っ子なので、その技術を絶やすことが
もったいないと思うところもありましたし、
若いうち、何かできるうちに手伝いたいなあって、
それで、実家に帰って。
そこからいろいろ、濵田さんに教えてもらったりして、
糸のこととか、素材のこととか学んでいった感じですね。
松下
濵田さん、マニアックで、
すごい熱意のある人なんですよ。
生地が大好きで、大学の頃からイタリアとか、
海外の産地を自分で見て回ってたそうなんですけど、
あるとき、「あれ? 日本の生地の方がすごいわ」
って気づいたんだそうです。
そこまで研究心があって、パワーがある人が
世界の産地も見たうえで、
「じゃあ、日本の産地に行こう」って思ったときに、
古橋織布を就職先に選んでいるんですよ。
すごいことですよね。

古橋
学んでいくうちに
絶やしちゃいけないなっていう想いは
より強くなりました。
松下
ほんとに昔から「古橋はすごい」とか
「古橋の生地はこうだ」みたいな話は
聞いていなかったんですか?
古橋
一切、聞いてないですね。
お祖父ちゃん・お祖母ちゃんが現役の頃が、
織機をガチャンって1回鳴らすと
1万円儲かったという
「ガチャマン」と呼ばれた時代で、
好景気だったそうです。
父は、そのあとの時代で、
全く違うスタイルを始めまして、
細かい仕事や難しいものばっかりやって、
「大丈夫なのか」みたいな、
そこでの祖父母と父の親子喧嘩みたいなのも聞いてて。
──
お父さんはどんな。
古橋
開拓者っていう感じですね。
松下
開拓者ですよね。家の中でも反対されて(笑)、
産地の中でも抵抗勢力もあったみたいです。
古橋
そうですね。
──
開拓者のお父様がそばにいても、
家業のすごさに気がつかなかったと。
古橋
そう、気づかず。
でも、大学生のときに、
うちの仕事で1回イタリアに行ったんですよ。
展示会に「通訳代わりで」で父と一緒に行って、
そこで、名だたるブランドのバイヤーさんと
名刺交換をしたら‥‥。
松下
「あれ?うち、すごい?」みたいな?
古橋
そう。
別のときに母とパリに行ったときには、
ヴィトンの本社とか
エルメスの本社に行きまして、
もう単純にミーハー心がくすぐられて(笑)。
──
うちで仕事をしたら、
外国に行けちゃう、みたいな。
古橋
‥‥っていうのは片隅にはあったけど、
でも、自分が関わることになるとは
まだ学生でしたし、思ってはいなかったですね。
絶やしてはいけない、という想い。
──
本格的に関わるようになってからは、どうでしたか?
古橋
そうですね。
実際に展示会に行って、お客さんたちと顔を合わせて、
うちの生地に対しての評価を直で受けると、
評価がよければ単純にうれしいから、やりがいというか、
もっとやってみたいな、っていうところはありましたね。
それでやってみると、知り切れないっていうか(笑)、
知れば知るほど、っていうところもありまして。

松下
古橋織布さんは、遠州産地を代表する会社だし、
佳織理さんは、背負ってるものがある、
覚悟っていうか、責任感が強い感じがしますよね。
古橋
うちは父の代で古橋っていうブランドを、
ある程度つくってるから、
まずそれを崩しちゃいけないっていうところが
一番にありますかね。
で、継続するためには、
今はうちだけじゃなくて、
産地全体のこと考えなきゃいけないと思います。
──
全体のこと。

古橋
職人技術を継承することが急務ですよね。
織物って、機屋だけじゃない、
準備工程がものすごく多いんです。
松下
ぼく、それを知って、本当に驚いたんですよ。
まずは紡績、糸を紡いで、撚る工程。
そこから糸を織機にかけるために、
経糸を巻きつけ、
糸の毛羽立ちをおさえるためにのりをつけ、
1本1本を3つの部品に通します。
ひとつの生地につきだいたい4,000本とか、
多いと1万本くらい、
職人が数日かけて通すんです。
そこまで終わってようやく、
シャトル織機が動き出す。
その、どの工程にも、
それぞれに職人がいるんですよね。
こんなに工程がたくさんあるんだ、って。

古橋
連携あっての産地なので、
まずそこを考えなきゃなって。
松下さんや宮浦さんと一緒に、
行政との取り組みも行ってますし、
若手の生地屋や染色加工場が集まって、
発信する場も設けたりしています。
もっとみんなに、身近な存在でありたい。
──
佳織理さんのこれからの課題や、
展望はありますか。
古橋
そうですね。将来的には、今、
生地が200品番くらいあるんですけど、
そこをギュッと絞って
うちだけのテキスタイルに
集約していきたいですね。
──
個性がさらに凝縮されそうですね。

古橋
そして、古橋の生地を使ったブランドだけ、
製品だけを集めて、ショップをやりたいです。
松下
ああ、いいですね。
──
オリジナルのブランドもあるんですよね。
古橋
はい。
濵田さんが県外から来たばかりの頃、
産地なんだから、
古橋の生地ことはみんなが当然知っている
と思っていたそうで。
ところが、地元の人と話していて、
「何、それ?」みたいな反応が
かえってきたことがあったらしくて。
それで地元に向けてのPRグッズとして
つくりはじめました。
──
産地の人に教えなきゃ、と。
古橋
そう、そうなんです。
それと、古橋織布の生地が
どこで使われてるかを
知ってもらうことが一番早いかなと思って、
うちの生地を使ってくださったブランドに、
「古橋織布の名前を出してくれませんか」
とお願いしています。
一般の人には、古橋は知らなくても、
知ってるブランドに使われてたら、
「あ、すごい」ってわかりやすい。
だから、それをやりたくて。
いろんな考え方がありますし、
他社に知られたくない場合もあって、
みなさんがオッケーではないですけどね。

松下
それが、この業界では普通の考え方ですね。
古橋
そう。でも、ずっと言ってたら、
以前断られたブランドが、最近になって
うちの名前を出したいって言ってくれたり。
松下
へえーっ、そうなんだ。
古橋
そう。言ってみるもんだなと。
だから、やらなきゃいけないことは
いっぱいありますけど
10年、20年とかそういうスパンで考えてますね。
で、夢の範囲で言うと、
機屋カフェをやりたいんです。
松下
そんなかわいいものがどこかにあるんですか。
古橋
機屋の民泊が山梨県の富士吉田にあるんですって。
富士吉田も、織物の産地なんです。
泊まることができて、
そこで機織りを見学できるそうです。
「あ、いいな、それ」と思って。
──
織機を見ながらお茶できるような?
古橋
そうそう。そういう感じで。妄想ですけど。
でも、そのくらい身近なものでありたいな。
あと、もうひとつの夢は、浜松駅の、
JRの新幹線降りてすぐの、いまピアノがある、
あの場所に織機を置きたい(笑)。

──
もっと広めたいという気持ちが伝わってきます。
古橋
そうですね。
松下
僕が知ってからの話ですけど、
遠州の機屋さん、若い方が結構多いんですよ。
20代、30代が多い。
古橋
うちの場合、まず濵田さんが入って、私が入って。
お客さんたちが40代とか。
だいたい同世代なので話がわかりやすいし、
自然と仕事量も増えていったんですよね。
それで今、若い人が雇用できる体制にまで
なんとか整えられたんですけど。
父がつくってきてくれた土台があって
これだけの商品があるから、
できたことでもあるんですけど。
みんなで、想いを一緒にして
やるしかないと思っています。
──
この先、明るい感じがします。
ありがとうございました。

コードレーン
綿100%

タテ糸40番手双糸×80番手単糸×ヨコ糸100番手単糸

空気感のある細い糸で織り上げた軽やかな生地です。
タテ糸の一部にのみ太い糸を入れることで、
通常よりも強い凹凸感が生まれ、
シワ感が際立ち立体感のある特別な風合いとなります。
肌に触れる部分が少ないから、とても涼しいです。

ヨコ糸には極細の100番手の糸。
羽根のように軽く、しなやかな素材感です。

 


 

バフクロス
綿100%

タテ糸20番手単糸×ヨコ糸30番手単糸

シャトル織機を改造して、ようやく織ることができる生地。
強い摩擦にも耐えられるような太い糸を、
超高密度で織りあげています。
糸が扁平にならないよう、ゆっくり織られているので、
太い糸でもやわらかく、しっとりとした素材感です。
しっかりしていてヘビーで丈夫だけど、
なめらかで上品な雰囲気です。

 


 

バンブーリネン
リネン60%・レーヨン(バンブー)40%

タテ糸20番手単糸×ヨコ糸麻番44番手単糸

タテ糸にバンブーレーヨンを、
ヨコ糸に麻を使用した生地です。
強度の弱いバンブーレーヨンに、
強い麻を交差させることで、
やわらかく、且つこしのある生地に仕上がりました。
自然なシワ感とレーヨンの持つとろみ、
リネンのさらりとした冷涼感のある素材感です。
手仕事感あふれる独特の質感と、軽くて楽なのが魅力です。

(つづきます)

2024-04-11-THU

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    販売方法|通常販売
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