HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
北米インディアンの古老に
弟子入りして
猟師の修行を積んできた人。

文化人類学者・山口未花子さんに聞いた
「大好きな動物たち」のこと。

たったひとりで
カナダのインディアンの古老を訪ね、
弟子入り志願し、
700キロもあるヘラジカを仕留めたり、
その巨体を解体したり、
肉を処理したり、皮をなめしたり‥‥という
猟師の修行を積む女性がいます。
文化人類学者の、山口未花子さんです。
そこにはきっと、
ワクワクするような冒険譚があるに違いない!
そう思って取材にうかがったのですが
何よりおもしろかったのが
大好きな「動物」についてのお話、でした。
「彼らインディアンが
 いかに動物たちに感謝し、愛着を感じ、
 リスペクトしながら、
 動物たちから恵みを得ているか」
そんな話が、すごく、おもしろかったのです。
聞き手は「ほぼ日」奥野です。
全4回の連載として、おとどけします。
 
第2回
人間と動物は
「ありがとう」という関係で
つながってきた。
── 動物に対する、カスカの人たちの
感謝や愛着、リスペクトを感じるのって、
どういうときですか。
山口 やはり「決して無駄にしない姿勢」ですね。

野生の動物の肉は
本当に、残さず、きれいに食べるんです。

冷凍の野菜なんかは
案外「ペッ!」て捨てちゃったりするのに。
── そうなんですか(笑)。
山口 どうしても食べきれずに残ってしまったら
保存食にしたり
飼い犬に与えるとかして、
ゴミ箱に捨てる場面は見たことありません。
── 野生の恵みとは、それほど特別であると。
山口 みんな
「動物たちのおかげで、生きているんだ」
「私たちは
 パート・オブ・ジ・アニマルだ」って
いつも言ってます。

あれは、「おそれ」に近い感覚だと思う。
── おそれ。
山口 きちんと食べるために動物を殺すのなら、
問題はないんです。

だけど、一発で仕留めずに怪我させたり、
食べるためじゃなく
ただ虐めたりするのは、すごく悪いこと。
── なるほど。
山口 以前、一発で仕留めるのは無理な距離から
遊び半分に
ビーバーをバンバン撃った若い人がいて
案の定、仕留められずに
ビーバーの歯が折れちゃったことがあって。
── 痛そう‥‥。
山口 怪我を負ったビーバーは
「ギャッ」とか言って逃げたらしいんです。

そうしたら次の日に、
その人が、転んで同じところの歯を折った、
みたいな話はしょっちゅう聞きます。
── 因果応報、ということですか。
山口 悪いことをしたら自分に返ってくるし、
そもそも
動物のほうが人間より「知って」いる。

カスカの人たちは
「動物には
 隠しごとができないから困る」とか、
よく言ってますね。
── お見通しなんですね、人間のことを。
山口 そうそう。狩猟に関しても、同じです。

カスカの人たちは
「動物が獲られに来てくれるんだ」と
考えているんです。
── つまり、ヘラジカやビーバーは
撃たれるのを知っていて、撃たれてる?
山口 そう、自ら「獲らせて」くれている。

自分たち人間が強いから、
かしこいから、武器を持っているから
動物を殺せたんじゃなく、
動物のほうが
殺されるのを許してくれてるんだって。
── だからこそ、
動物に対する感謝や尊敬の気持ちが
芽生えるんでしょうか。
山口 そうなんだと思います。

これ、ヘラジカの肺と鼻を結んでいる
「気管」なんですが‥‥。
── はい。
山口 ヘラジカの身体を解体し終わった古老は
こうして、
森の木の枝にぶら下げておくんです。
── 何のために?
山口 はじめは、わたしも気づかなかったんです。

でも、解体されたヘラジカの身体を
スケッチしていたら、
この気管の部分がどこにも見当たらなくて。
── 森の木の枝に、ぶら下がっていた。
山口 なので、どうしてこうするのって聞いたら、
この部分には
まだヘラジカのスピリットが残っている、
こうしておけば
風が通り抜けてヘラジカが息を吹き返し、
肉や毛皮を再び身につけて
また、ハンティングされに来てくれるって、
そう言ってました。
── おもしろいですね。
山口 カスカの人たちとヘラジカとの間には、
そのような、
「循環する関係」が築かれているんです。
── なるほど。
山口 あるいは、
ヘラジカでもビーバーでもウサギでも、
調理するときには
かならず彼らの「目玉」を取ります。

そして、ヘラジカの気管みたいに
森のなかだとか
裏庭の藪のなかにポッと置いてくるんです。
── 目玉を?
山口 わたしたちには理解にしくいんですけど、
カスカの人たちって
たとえばヘラジカならヘラジカが
「個体であると同時に、群れ全体でもある」
という考えを持っているんです。

そして、それぞれの「目玉」を通して
全体で情報共有をしているというんです。
── へえー‥‥。
山口 なので、自分のからだが焼かれたり、
ゆでられたりする場面を
その「目玉」を通して見せるのはよくない。
── だから取って、森に還す。
山口 わたしが
まだ目玉のついた頭蓋骨を手にしただけで、
おばあちゃんが慌てて
「それ、ちゃんとしとかないとダメだから!」
とか言って取り上げちゃうくらい。
── そんなに厳しいんですか。
山口 動物から恵んでもらった「贈り物」だから
決して無駄にしないし、
還すべきものは、きちんと森へ還す。

カスカの人たちと動物とは、
そういう「ありがとう」という関係性で
ずっと、つながってきたんです。
ヘラジカの皮をなめす古老。 写真提供:山口未花子
── カスカの人たちの考え方に触れてから、
「食べる」ということについて、
何か、意識とか感覚が変わりましたか?
山口 わたし、ちいさいころから
動物のこと、本当に大好きだったんですけど、
「動物を食べる」ことについては
なんというか‥‥抵抗がなかったんです。

かわいいとか、かっこいいとかと同じく、
「食べておいしい」のは、
その動物の「大きな魅力のひとつ」だなって
ずっと思ってきたんです。
── ええ、ええ。
山口 その感覚は正直なものだったんですが
でも、たとえば
「動物が好きなのに、食べちゃうの?」
みたいな質問をされたときには
どうにも、
うまく説明がつかないなと思っていて。
── なるほど。
山口 でも、カスカの人たちと暮らしてみて、
彼らが
「動物の生命を奪って食べるんだけど、
 動物にすごく感謝していて
 動物のことをすごく尊敬していて
 動物のことが大好きなんだ」ということを知り、
それまで
どう説明していいのかわからなかった感情に
「あ、こういうことなのかな?」
と整理がついたんです。

なんというか、
「動物が好きなのに、動物を食べることって、
 変なことだったり、
 悪いことだったりはしないんだなあ」と
思えるようになったんです。
── ふだん、肉を消費するだけの自分なんかは
スーパーで売ってる豚バラ肉と
ブヒブヒ言ってるかわいい子豚とは
ほとんど自動的に
切り離して考えているような気がしますが、
カスカの人たちにとっては、
そこが、一直線で繋がってるんですもんね。

森で出会って、撃って、解体して、
干して、調理して、食べているわけだから。
山口 「あのビーバーかわいいし、おいしそうだね」
って言ってるのを聞くと
「え? あなた本当に動物が好きなの?」と
言われそうなんですけど
カスカにとっては、両立する気持ちなんです。

かわいかったり、かっこよかったり、
足が速かったり、愛嬌があったり、
そういう
動物に対するポジティブな気持ちのひとつに
「おいしい」っていうのも、ある。
── そこに、山口さんも共感している‥‥と。

何せ、カスカの人たちが
「決して、いたずらに殺さない」ことに
尊敬の気持ちを覚えます。
山口 うん、そうですね。
── 野生の恵みを無駄にしない、という姿勢に。
山口 ですから、カスカの人たちにとっては
「キャッチ・アンド・リリース」
というのも、ちょっと理解できないんです。
── あ、そうか。
山口 彼らにとっては
せっかく「獲られ」にきてくれた魚を
釣り上げておいて、また川へ戻すというのは
贈り物を受け取ったんだけど、
「やっぱり要らないや」って言ってるような
ものなので。
── なるほど。
山口 そうやってカスカの人たちは、
動物を、自分たちの大切なパートナーとして
暮らしてきたんです。
<つづきます>
2014-04-16-WED
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