信頼の時代を語る。
山岸俊男さんの研究を学ぼう。

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

「正直は最大の戦略である」というと、
矛盾した言い方に聞こえるかもしれません。

もともと、人を騙したり攻撃したりすることが
勝利のための条件であるとは、
誰も思いたくはなかったわけで。

そこに、山岸俊男さんの研究が登場してきたのでした。
「最後に勝つのは正直のほうです、実験の結果、ね」
というような内容だったわけですよ。
これには、びっくりするやらうれしいやら。

「ほぼ日」の父が、『情報の文明学』(梅棹忠夫)なら、
「ほぼ日」の母は
『信頼の構造』(山岸俊男)だったんですよ。

第1回 正直は最大の戦略である?!

第2回 彼女と研究、どっちが大切なんだ?(笑)

第3回 人類史上、99.9%が集団主義の社会だった・・・
    なぜ、西洋だけは、特殊な社会を育てたの?

第4回 アリを見るように、人間を見ている?

第5回 しあわせな社会って、実は、何だろう?

第6回 私には、実験が必要です。

第7回 最終的にはやっぱり・・・。

第8回 動機の源は・・・?


※さあ、今回は、
 社会心理学の山岸俊男さんと
 darlingの対談の最終回になりますよ〜。
 ・・・その前に、その前にっっ。
 昔の山岸さんの教え子さんから
 メールが届いたんだよー。まずはお届け。

>今日メールしたのは、
>糸井さんと対談していた
>山岸先生を発見したからでした。
>私は、10年も前に山岸先生のゼミにいた学生で、
>先生のファンでありました
>(先生は知らないと思うけど)。
>私が、毎日ポーっとながめている
>「ほぼ日」に突然、先生が登場したので
>近所でスッピンのまま歩いていたら
>偶然にも初恋の人と出会ったように、
>うれしくちょっと恥ずかしい感じがしたのでした。
>
>そして相変らずの山岸先生で
>なんだかうれしくなってしまいました。
>
>学生の頃、授業の合間に
>先生とコーヒー飲みながら
>雑談するのが好きだったのですが、
>何の話題からそうなったのかわからないのですが、
>「コンプレックスを持っている人間の方が魅力的だ」
>と先生がおっしゃっていたことを、
>コンプレックスだらけの私は
>10年も経った今でも大切に覚えているのです。
>
>こんなこと、先生には
>とても直接言えないんですけど。
>ほぼ日でなら言えてしまう。
>不思議な魔力ですね。
>
>いやー。ホント山岸先生との対談、
>うれしかったです。ありがとうございました。
>
>kayokayo

 いい話じゃないの〜っ!!!
 読んで下さっている人も、このメールで、
 山岸さんが、どんな感じか、わかるよね?
 そんな人なんだよ。

 では今日の対談に参りますよ。
 darlingとふたりで第2回に盛り上がっていた
 組織論についての話から、はじまります。
 人がものごとを行う動機について、
 話題は少しずつ移行してゆくの。
 では、どうぞ。

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糸井 ぼくが組織論を知りたいのは、
動機だけで、純粋な興味として
「研究は面白いなあ」と集まったはずなのに、
どうしてうまくいかなくなるかを、
知りたいからなんですよね。

生産をするだけでは動機を維持できないし、
アメリカで事例が出てるサンタフェ研究所とかは、
経済構造として社長がいますというかたちで
研究機関が作られていて、本でだけ読むと
うまくいっていそうに見えてうらやましいけど、
実際は、そんなに甘いもんじゃないでしょうし。

だって、キチガイを集めようとすればするほど、
組織をどうしていくのかは、怖くなりますよ。
サンタフェみたいにノーベル賞の人たちが
何人もいるところで楽しくやってるなんて、
そんなの、実際は、あるわきゃないもん(笑)。
集団というのは、機械ですよね?
組織というその機械と、信頼や動機という
キーワードを、どう結ぶのかを知りたいんです。

利己的な人間でもある一方で、
研究という生産のために集まった人たちが、
どうなっているのかの仕組みは、
よろしかったら研究してほしいくらいですね。
山岸 その研究は、私にはとても難しいですね。
原理で考えられる部分が非常に少ないからです。

学問には、科学と芸能があると思うんですよ。
組織は、その芸能の部分だと思うんです。
アメリカの大学で言えば、
プロフェッショナルスクールでやっている部分は、
ほとんどが芸能なんですよ。つまり科学ではない。
例えば、医学や法解釈やビジネススクール・・・
そういったものはすべて、基本的には
スキルの集積であって、芸能だと思うんです。

そこには根本的な原理があるわけでもなく、
その根本的な原理を適応させるところで
解決する問題もないと感じるんですね。
糸井 歴史で言うと、原理ではわからない時には、
必ず、当面の解決法として宗教が入りますよね?
宗教以外で解決したものは、もうほとんど
基本的には見たことがないというか・・・。

宗教というものすごい分厚い衣装を選ぶのか、
何も選ばなくて済んで、やっていけるのか・・・
そんなようなことは、ぼくはすごく興味あります。
ですから、当面の計決法としての宗教を、
ぼくは、否定しきれないんですよね。

今、山岸さんが芸能とおっしゃったことと、
宗教とは、とても似たものだと思うのですが、
でも、今ある宗教は、嫌なものが多いわけで・・・
だったら、嫌じゃない宗教ならいいのではないか?
そう考えたりもしているんです。
でも、宗教が嫌じゃないって、何なんだろう?

不自由を体感しやすいぼくのような人間にとって、
嫌ではない宗教はどのようなものかを考えたら、
今のところ一つだけはっきりと考えられるのが、
「出入り自由」というキーワードなんです。
でも、これがまた、出入り自由にすると、
宗教ではなくなるんですけど。
山岸 なるほどー。そうだと思いますね。
糸井 組織論にしても、出入り自由としたときには、
今までの範疇では考えられなくなるのですが、
ほとんど言語矛盾とさえ見えるのですが、
「出入り自由な宗教」という言葉を使い続けて
何かを見つけるしかないのかもしれないなあ、
というのが、今のぼくの仮の考えだと思います。

山岸さんがおっしゃっていることにしても、
「信頼をしたほうが得だ」という仮の宗教を
身にまとわせているわけですよね?
つまり「正直は最大の戦略である」という
その「戦略」という言葉は、限りなく宗教に近い、
勝ち負けの論理の言葉なわけですから・・・。
いったん仮着を着せたほうがうまく回転するぞ、
というのと同じように考えていくことですよね。
山岸 それは、おもしろいですね。
みんながあることを信じている社会においては、
そのあることが、本当のものになってしまう・・・
宗教というのは、
そういうものかもしれないですね。
糸井 かつてあった宗教で、ぼくが一番
嫌じゃないなと思えるものは、親鸞なんです。
一番「勝手な宗教」です。

現世の状態を、ぜんぶ否定も肯定もしないで、
ただ、「ある」とみなすんです。
アリさんがいるのとおんなじように、「ある」。
で、余計なものはぜんぶ省いてしまって、
「南無阿弥陀仏」と一言言うだけでいいとしてて。

そう決めたことについては、そうとう、
思想家としての経験から来てもいるだろうし、
苦しみ抜いた結論だろうし・・・そう考えた
親鸞の脳には、ものすごい膨大な宇宙を見ますね。

南無阿弥陀仏の一言で、
すべてを救ってしまう「ことにした」人の、
心の大きさと痛み、これがかっこいい・・・。
今のところ、それが一番マシかなあ、と思います。
山岸 新しく実験のシリーズをはじめたんですけど、
それはその問題に近いと思います。
放っておくとだめになる状態があるので、
集団の中で何らかの制度を設定する必要があって、
でも「強制」の制度は絶対にみんな嫌がるんです。

そこで、強制でもなくて、
みんなが自分たちで情報を整理できる仕掛けには、
どういうシステムが考えられるのか?という。
そんなシステムを作れるかは、わからないですが、
それをうまく作ることについて、考えています。
誰もがそういうシステムを願っているだろうから。
糸井 たぶんぼくのやれることは、例えば
山岸さんが仮に提出された「正直」について、
それをしたら成功したという例を、
生めるかどうかが重要になるのでしょうね。

でも「仕事として例を見せる」となってしまうと
これは別次元の「キャンペーン」になるから、
そこが難しくなってきますけども。
山岸 そうですね。
糸井 だから、正直のまま放っておいてみて、
「何だか、失敗も含めて楽しそうだなあ」
と言われた日には「イケる」かな?・・・
そういうところで、ぼくは現在、
「ほぼ日刊イトイ新聞」をやっているような。
ぼくにとっては、「おもしろそうだな」と
言われるあたりにカギがあるという気がします。

・・・いやあ、このへん膨大な話ですね。
政治も経済も絡んできますから。
貨幣だけで動かせないものがあるというのは、
さっきの組織論が完成できないこととも絡むし、
つまり人間は、とても困ったモノであって・・・。
やっぱり、組織論にとても興味があります。

山岸さんの話、おもしろいなあ。
哲学であり宗教であり、ぜんぶあるから、
もう、社会学じゃあ、ないですもんね。
山岸 そうなんだと思います。
「何学?」といわれるとこまるんですよ。
私自身としては、今から生まれつつある
ほんとうの社会科学を、やりたいんですね。
今までの社会科学というのは、エセ科学なわけで。
糸井 そこで、サンタフェ的な学際的な組織があったら、
研究って、楽しいでしょうね。
・・・あとは、きちんとやるための
研究費が欲しくなってくるでしょう?
山岸 はい。そして、それはじめちゃうと、
そっちに時間が取られてしまうんですね。
・・・そこは、すごいジレンマです。
予算がないとできないことがたくさんあるし、
かといって、予算を取ることを真剣にしていると
自分の研究がおろそかになってしまう・・・。
糸井 やっぱり、プロデューサーを、
日本が育ててこなかったんでしょうね。
理解して「お金、出しますよ」という
テクノクラートが、やはり研究には必要ですよ。
山岸 ただ、今は、新しい学問ができる場面に
何らかのかたちで直面できているので、
そこがすごくうれしくて続けています。
そういう、新しさに直面しているといった
幻想のようなものがあるから、
私も研究をしているんだとは思いますよ。
糸井 やっぱり、動機の源は幻想ですね(笑)。
ほんとに、ぜんぶのことを言い足りないままで
考えを進めたくなるところで対談が終わりますが、
ほんとにありがとうございました。
お話をしてて、わくわくしましたよ〜。

(※ここまでで、終了時間になったんだよ。
  「おっ。ここからじゃん?
   おもしろいから、もっと続けて欲しい」
  と思った人もいるのかもしれませんね。

  再度の山岸さんの登場を望む人は、
  メールをお送りくださいませっ。
  「ほぼ日」としても、とても楽しかったので、
  もしかしたら、また、別の機会に、
  何らかのかたちで登場していただけることを、
  かなり切に思っているんだよー。

  今日までご愛読くださり、
  どうもありがとうございました)


山岸俊男さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山岸俊男さんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2000-11-30-THU

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