第10回 夢を持ちなさい、ではなく、夢を見なさい。

[池谷]
実は、浅い眠りであるレム睡眠中にFをくっつけるだけだったら、それ自体では何も起こらないんです。
つまり、次のノンレム睡眠にそのFがどう使われるか、ということが重要で、そのあたりが、まだよくわからないんです。
それから、Fが入ることでどうやって閃きにつながっていくのか、そのあたりがまだ、わからない。
あとは、なぜFが選ばれたのか、ほんとうは、根拠は違ったところにあるんじゃないかと考えてもいいわけです。
あるいは妄想からきたものかもしれない。
そのあたりが、広い意味で、私の研究テーマでもあるんです。

[糸井]
Fが、GであろうがZであろうがよかったんですね。
どんなものでもよかったAやらBが、別の何かを作り上げていくことは、人がふつうにやっていることと似ていますね。

[池谷]
いや、ほんとにそうですよ。
細胞をずっと見ていて思いますが、私たちが人と人の間でやっているようなことを神経細胞同士もやっている。
これはほんとうに、おもしろいです。

[糸井]
他者が入ってくることと、夢の中に自分が入ってくるのとは、もう同じなんだということでしょう。
どっちもオーケーなんです。
それをくり返すことで、脳が新しい整合性を言い訳したりしていくわけでしょう。

[池谷]
記憶がすり替わっちゃうこともあります。

[糸井]
Fのような、無関係で規則性がないと思われるものが入ってきても、それを新しい整合性に組み上げられるのは、いわば、頭のやわらかさですね。
Fが来たときに排除してしまう人だって当然、いるでしょう。

[池谷]
はい、います。その人はそこでストップしてしまいますが、ただ、その分野において能力を発揮することはありますね。

[糸井]
その機能になって、できることがあるということか‥‥。

[池谷]
ただ、Fを脳にもともと持ってなければ、Fはくっつきようがないですから。
いずれにせよ、限りは出てくると思います。

[糸井]
専門領域のところで磨いてくことだけをずっとやっていくと、その専門領域の伸びも悪くなりますね。

[池谷]
僕は学生たちに、毎年同じことを言ってるんです。
まだ研究をはじめたばかりの新入生は
「どんな教科書で勉強したらいいんですか」とか、
「どういう論文を読めばいいですか」と言ってくる人が多いですが僕はあえて意地悪して、教えないんです。
そういう人ほど、その本ばっかりやっちゃうから。

[糸井]
それ、意地悪じゃないですよ、親切です。

[池谷]
はい、長い目で見れば親切かもしれません。
逆にフラフラしてる人にはこういう教科書があるよ、と言ってあげる(笑)。



[糸井]
解を求めるという熱情はすごく大事だと思うけど解を求められればそれでいいというのは間違いでしょうね。
「解」生成装置になったら徹底的に自分が弱まります。

[池谷]
そうですね。観方が弱まる、というのはそうです。

[糸井]
Fの出てくる夢という──
「夢を持てよ」の「夢」じゃなくて、
「寝て見るほうの夢」を持たなきゃ、と言うべきだね。

[池谷]
あはは、おもしろい。
まさにそうですね。
それは脳のレパートリーを増やすということです。
おかしいですね、
「人と対話するのも夢なんだ」
という言い方をしたら、寝るほうの夢の話だとは誰も思わないでしょうね。

[糸井]
「夢を持ちましょう」の「夢」は、要らないね。
夢と現在の道筋を正しく書ける人なんていないし、書けたとしても、それは全部予測で間違いなんだから。
それに合わせて生きていったら、FやGといった、いらないもの削ってしまうに決まってるんですよ。

[池谷]
ほんとにそうですね。
でも、うーん、となると、夢を叶えた状態って、どういうことなんでしょうか。

[糸井]
ある夢を叶えて、得られたのは、地位と金だとします。
地位と金というものは、何かをやりたいときに自分の代わりになって、やってくれます。
でも、それは、自分が実現したのではなくて、金が実現したことになる。
自分の能力は何も変わってないし、おもしろくもない。
なぜなら、それは、買ってきたものですから。
それに比べたら、夢を見ることと同じように、一本の映画を見ることや一冊の小説を読むことのすばらしさは思っている以上にあるんじゃないでしょうか。



(つづきます)


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