石川九楊の「書」だ。
(8)休まずに五年間
糸井
石川さんのお話を聞いていて思ったのが、
ぼくは、女手の面積を
どんどん耕していったつもりでいます。
文章もよく平仮名に開いてしまうわけですが、
平仮名にしたくてやっているんじゃなくて、
中央に流れている川を表現している気がします。
石川
糸井さんの「おいしい生活」は、
「おいしい」が女。「生活」が男ですね。
糸井
いや、本当にそうです。
「生活」という言葉はいわば漢語なんですよ。
その概念を表す漢字の二文字なんですよ。
わざとらしく、ダサい「生活」という言葉を
乗っけているんですよね。
石川
シュッと削ぎ落とした言葉じゃダメですね。
糸井
それじゃ、ダメなんです。
ああ、この意図をわかってもらえることは、
なかなかないので嬉しいです。
石川
日本人の心理って、漢字と平仮名の間を、
絶えず往復しているんですよ。
「暮らしかな、生活かな、やっぱり生活だ」って。
日本人ってみんな、
そういうふうに思考しているから、
ちょっと不思議なんです。
糸井
そうですね。
行ったり来たりさせるほど、知的ですよね。
やっぱり人間関係の中で揉まれてしか
学べないようなことがありますね。
やっぱり、書くことで学べることもありますよね。
石川
ともかく、字は書こう。
習字をやったほうがいいでしょうけど、
まずはやっぱり、字を書くことから。
それと、字は基本的に縦に書いてほしいですね。
横に書く必要がなければ、縦に書こうと。
縦に書くものと横に書くものは、違うんです。
学生にね、テストしてもらったんですけど、
同じテーマで縦と横に書いてもらうと、
文章がそうとう変わるんです。
糸井
縦に書いたほうが
ちゃんとした文章にしようとするから、
難しくなりますよね。
横に書いた時には、
記号のやり取りとして
完成されているかどうかで済んじゃうんで。
石川
手紙も、横に書いたら通信文になるし、
縦に書くと手紙になる。
でも、手紙は通信文ではありませんから。
手紙というのは、
人間と心を誕生させた一つの表れで、
書き方の文体です。
糸井
メールは便利ですけれど、
情報の伝達にしか過ぎませんよね。
石川
そうですね。
▲「方丈記No.5」
糸井
最近は写経をする人が増えていますが、
写経はいいのでしょうか。
石川
いや、写経はいいですよ。
それは、書くということですから。
ただし、下に置いてなぞらないように。
写経というと勘違いして、
文字を写すものだと思ってしまう。
なぞるための機械までありますけど、
そうじゃなしに、
手本を横へ置いて書いてください。
糸井
見て、書く。
石川
写したって、そんなのおもしろくないでしょう。
文字が曲がるとしても、
写すよりも曲がっているほうがいい。
そこからがスタートです。
糸井
文字をなぞるのは、
写経という名のカラオケですね。
リードするメロディがあるんだもの。
石川
写経ってみんな、
「写」という字の意味を取り違えているんですよ。
写すんじゃなくて、書くという意味ですから。
「誰々写」というのは、「書く」という意味なのに、
勘違いされて、手本を下に敷き写したりする。
自力で書かなかったら、おもしろくも何ともない。
糸井
博物館にある写経の展示には、
命がこもってますよね。
ひとつも間違えないでそこまで、
いわば祈りをこめるように書いている。
みんな、本当は、
あれがやりたいんだろうね。
石川
ああ、なるほどね。
糸井
もうすぐ、ほぼ日で学校を始めるんですよ。
古典しかやらない学校です。
石川さんのお話を聞いていると、
書き言葉こそ、石碑を読むみたいな
おもしろさもありますよね。
三島由紀夫ぐらいの時代までは、
漢詩を読める人たちがいましたが、
その辺りから後はもう読めない。
石川
漢文教育をやらないといけませんね。
もう、先生がいなくなって、
ほとんどできなくなっていますね。
糸井
たぶん、大学院にちゃんと詰め込めば、
おもしろいことは、
いっぱいできるはずなんですよね。
これからはみんな、
遅くまで会社に居ちゃいけないことになります。
かといって、居酒屋か家かしかないというのは、
寂しいから、こういうことをしたいんだと思います。
石川さんの書道の教室は、あるんですか。
石川
はい、ありますよ。
東京、名古屋、京都と3箇所。
糸井
ああっ、そうですか。
ちょっと前のめりに
通うことを考えています。
石川
初心忘るべからず。
熱意を持ってやってもらわないといけませんよ。
まずは五年間。
糸井
五年間‥‥。
石川
五年間は、まず、休まずに。
糸井
厳しい(笑)。
それはすごいですね、やっぱり。
うーん、まずは展覧会へ行きます。
石川
そうですね、はい(笑)。
糸井
ありがとうございました。
ぼくは、何も知らない人の代表ですから。
石川
いや、いや、こちらこそ。
(以上で石川九楊さんと
糸井重里の対談はおしまいです。
ご愛読いただき、ありがとうございました!)
▲「二〇〇一年九月十一日晴 水平線と垂直線の物語 上」