書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。東京~福島~宮城 2018車 - ほぼ日刊イトイ新聞
浅生鴨
2018.03.09

いつか祭りになるのだろう

時間はいつも一定の速度で流れているように思えるけれど、
できごとによって、人によって、場所によって、
その速さは少しずつ違っているように感じることがある。

あれから七年という時間が経とうとしている。
七年は決して短い時間ではない。
それでも、あの時のことを思い出すたびに、
僕は絶望の淵に立たされるような気がする。

その日、僕は放送局にいた。
あらゆる情報が集まってくるはずの場所で、
僕は自分に何ができるのかもわからないまま、
今やっていることが何かの役に立つかもわからないまま、
目の前を流れる膨大な情報を、ただ処理し続けていた。

はじめは怖くなかった。
自分のいるビルが大きく揺れた瞬間も、
遠く海のほうで煙が立ち上っているのが目に入ったときも、
さほど怖いという気持ちにはならず、
それよりも、今やれることをやらなければという
奇妙な使命感だけが頭の中にあった。
まわりで上がる悲鳴も、何か重い物が落ちたような音も、
まるでどこか遠くで鳴り響く背景音のように感じていた。
感情のメーターが振り切れてしまう前に
自然にリミッターがかかったような、そんな感覚だった。
そうして、今ここで必死になってキーボードを叩くことが、
いったい何になるのかと思いながら、
それでもせめて誰か一人にでも届いて欲しいと願い、
危険が迫っているのだと、何度も発信を繰り返した。

恐怖を感じたのはそのあとだ。
目の前のモニターにしだいに溢れ始めたのは、
多くの人たちの悲鳴にも似た言葉だった。
みんなが僕に助けを求めていた。
どうすればいいのかと必死で尋ねていた。
それなのに、僕は何もできなかった。
逃げて欲しい、生き延びて欲しい、そう願っているのに
僕には何もできることがなかった。
もしも僕の言葉がまちがっていたらどうするのか。
僕の答えで彼らを危険に晒すことになったらどうするのか。
そう思うと、怖くて何も答えることができなかった。
やがてモニターにはあまり言葉が流れなくなった。
僕は己の無力を恥じつつ、怯え、彼らを見殺しにしたのだ。
いったい僕はどうすればよかったのかと今でも悩む。
できることがあったのじゃないだろうかと後悔する。
あのときに感じた恐怖と絶望を、自分の卑怯な振る舞いを、
僕は一生忘れないと思っている。

それでも七年という歳月は、僕の気持ちを和らげた。
流れ続ける時間は、心の奥底に横たわった重い石の塊を
静かに洗い続け、いつのまにか、その角を削っている。
けっしてその石が消えることはないけれども、
心を刺していた痛みは少し薄れてきたような気がしている。

僕の心の底にある石の角を削った時間は、
僕だけの速さで流れているもので、
それは他の人にも同じように流れるものではないし、
より硬く大きな石を心の底に抱えている人たちに
流れる時間の速度は、きっと、もっと遅いのだろう。
それでも時間は流れ続けている。
その速度がどれほど遅くとも、必ず流れ続けている。

鎮魂や慰霊は、先に逝った者のためというよりは、
遺された者のためにあるものだと僕は思っている。
今年、二十三年を経た阪神淡路大震災の慰霊の日に、
ふと僕は、もうこれは個人のことにしてもいいと感じた。
多くの人で揃って慰霊をする時間は、少なくとも僕には
もう必要がないのかも知れないと感じた。
なぜ、そう感じたのかはわからない。
きっと、それこそが時間が経つということなのだろう。
ただ、僕が忘れずにいるべきことを、
僕が忘れずにいれば、それだけでいいと思ったのだ。
個人的なものとして過ごせばそれでいいと思ったのだ。

だからというわけではないのだけれども、
正直にいうと、今回の旅を、僕はほんの少しだけ
どこか躊躇しているようなところがある。
結局のところあの日の当事者になることのできない僕が、
これまで東北で出会った友人たちに、
あの日を個人的なものとして静かに過ごしてもらうには、
遠く離れた空の下で、静かに僕自身のあの日のことを
考えるだけでいいのではないかという気もしている。
その一方で、まだ個人的なものだからというには、
少し早いのかも知れないという思いもある。
きっと、それぞれに流れる時間の速さがちがっているのと
同じように、正解はどこにもなくて、それは、
いつまでも僕自身で考え続けるしかないことなのだろう。

一年に一度、とつぜん思い出したように
あの日を風化させてはならないという人たちがいる。
けれども僕は風化すればいいと思っている。
すべての過去はやがてゆっくりと日常に溶け、
いつか日常の一部になっていく。
それが、風化するということなのだから。
社会の中で風化することと、
個人がずっと忘れずにいることは、たぶん両立する。
風化とは忘れることではないのだ。
角が取れ、痛みが薄れ、
それでもけっして忘れられない過去を過去として、
自然に受け入れられるようになることなのだ。

それにしても時間の流れは偉大だと思う。
祇園祭りを始め、ほとんどの祭りは鎮魂の祭りだ。
でも、もう祇園祭りに胸を痛める者はいない。
盆踊りで悲しみにくれる者もいない。
あらゆる慰霊と鎮魂は、いつかそうした祭りになり、
本当の意味での風化をするのだろう。
ゆっくりとゆっくりと長い時をかけて。

この旅で、そうした風化の兆しを
見つけることができればいいなと思っている。

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