糸井 機会と成長、ということでいうと、
岩田さんほど物事をどんどん吸収していく人を
ぼくは知らないんですけど。
岩田 (笑)
糸井 ぼくは長いつき合いだからわかるんですけど、
「それって完全に専門外だったでしょ?」
っていうことが、いつの間にかできているというか、
むしろ得意分野になっているということが多くて。
どうしてあれができるんですかね?
岩田 うーん‥‥。
自分で自分のことをその前提で話すのは
ちょっと抵抗がありますけど(笑)、
まぁ、他人事のようにして言うと、
やっぱり好奇心といいますかね、
自分が興味を持ったことは知りたくなるんです。
で、わからないままほっておくのがイヤなんです。
だから、たとえば糸井さんに出会った。
糸井さんは私にはできないことができる。
同じ人間なのになぜだろう。
その「なぜだろう」ってところから、
自分に合った方法で、同じようなことが
できるようにならないものだろうかと考えて
行動に移していくというようなことでしょうかね。
糸井 で、そういうふうに動き出したら、
とにかく岩田さんはあきらめないんですよね。
岩田 はい。あ、いや、でも、
じゃあ、私がものすごく
歯を食いしばっているかというと‥‥。
糸井 そんなふうには見えないね。
岩田 ぜんぜんそうじゃないんですよ。
あの、たとえば、ちょっとずつ努力しますよね。
当然のことですけど、1日では急にわからないし、
本を1冊読めば変わるっていうこともないし、
近道があるわけでもないですよね。
これは以前の対談でもお話ししたことですけど、
そういうときに、人は、注いだ努力に対して
十分な結果、見返りがないと感じたときに
それをやめてしまいやすいと思うんです。
私にも、そういう挫折はないわけじゃないです。
ただ、身についたいろいろなことについては、
「あ、ちょっとわかったな、おもしろいな」という
自分の変化の兆しみたいなものを
感じ取りやすかったんだろうと思います。
ひとつひとつはとっても小さいんだけれども、
わかったり、つながったりすることで
それがおもしろく感じられて、
その連続で身についていくような感じなんです。
糸井 思えば、岩田さんが歩んできたのは、
自分にとっての異分野を
取り込み続けるような道のりですよね。
優秀なプログラマーだった人が、
あるとき、社長として
傾いた会社を建て直さざるをえなくなって、
そのあとは任天堂という大きな会社に入って、
アメリカではたらくことになって‥‥。
そういう「新しいなにか」にぶつかったとき、
岩田さんはどういう態度でいるんですか?
岩田 「新しいなにか」にぶつかったときですか。
糸井 つまり、いままでのやりかたが
まったく通用しないようなところに
進まざるをえないようなとき。
岩田 そういうときは、まず最初に、
ほかにいい選択肢があるか考えますね。
そして、自分がそこへ行くよりも
もっといい選択肢が見えたら迷いますけど、
「そっか、自分がやるのがとりあえず合理的か」
って思えたら、行くでしょうね。
糸井 周囲を見渡して、
誰もいないなら自分が行くしかないと。
岩田 ええ。
だから、これまでの道のりでいえば、
ほかの人が見つからなかったんでしょう。
糸井 まぁ、たしかに、ぼくが端から見てても、
かわりの人はいなかったと思います。
岩田 だから、自分がやるのが
いちばん合理的だと思ったんでしょうね。
少なくともその瞬間に迷いはなくて、
自分が立ち向かうのがいちばんましであると。
糸井 プログラマーっぽいですね。
岩田 ええ、プログラマーでしたし、
いまも思考はプログラマーです(笑)。
糸井 なるほど(笑)。
覚悟を決めるカギは、合理性なんですね。
岩田 好きとか嫌いとか、
大変とか大変じゃないとかよりも、
「これは合理的であるか否か」
って思ってやってきましたね。
いや、だからね、できることなら
しないでおきたかったことは
たぶん、いっぱいありますよ(笑)。
糸井 うん、薄々は、わかるつもりです(笑)。
あの、これは萩本欽一さんが
おっしゃってたことですけど、
人のやってきたことは、
ほとんど不本意なことの連続なんだと。
岩田 ああ、はい。
糸井 あれだけ成功を重ねてきた人がそう言うんですよ。
これまでに自分がやってきたことは、
ぜんぶ、不本意なことだと。
でも、「そこにしか道はないのよ」って、
欽ちゃんは言うんです。
だから、たぶん、岩田さんも、
自分からはそう言わないだろうと思いますけど、
逃げていいんだったら逃がしてくれって
言いたかった場面がきっとありますよね。
岩田 ああ、そうですね‥‥。
すごくわかりやすいところで言うと、
ステージに立ってスピーチをするのは
好きでも得意でもないと思ってます(笑)。
糸井 うん、そういうこと(笑)。
岩田 ただ、やっぱり、
ほかの誰かに「やれ」って言うよりは
自分がやったほうがいいなと思ってやってます。
その判断があるから、覚悟が決まるんですよ。
糸井 しかも、いつの間にかスピーチは
英語になっちゃったしね。
岩田 ええ、2001年以降はそうですね。
まぁ、カタカナ英語でキレイな発音ではないですけど、
現地の人は、よくわかると言ってくださるので、
とりあえずはいいかなと。
糸井 岩田さんが英語でスピーチするところを
はじめて見たときは、
友だちとしてホロリとしましたよ(笑)。
この人はそこまでやれるんだと思って。
だって、できるようになったわけでしょう?
岩田 幼少期にアメリカに
住んでたわけじゃないですからね(笑)。
高校のときは英語苦手でしたよ。
糸井 だからさ、苦手とか苦手じゃないかとか、
好きとか嫌いとかってことじゃなく、
人生ってやっぱり決まるね。
苦手だからイヤだと言ってたんじゃ、
なんにもできなくなるね。
岩田 だから、どうせやらなきゃいけないなら、
さっさと覚悟を決めて
前向きに取り組んだほうがいいじゃない、
っていうことなんでしょうかね。
糸井 うん。でもそういうことを言うと、
「私は弱いんです。それができないんです」
っていうメールがたくさん来るんだろうな(笑)。
岩田 いや、でも、糸井さんも私も、
してないこともいっぱいあるじゃないですか。
糸井 ありますね。とくにぼくは、
岩田さんとくらべたらものすごくあります(笑)。
岩田 覚悟を決めてやってることもあるけど、
してないこともいっぱいあるし、
してないことは、
しないですむからしてないんですよ。
で、しなきゃいけないことを、やってるんですよ。
糸井 あのね、その話を聞いて思い出したのはね、
ぼくの子どもが高校のときのことなんだけど。
ある日、子どもが学校帰りに
カラオケボックスに行ったとか行かないとかで、
先生から親が呼び出しを食らったんですよ。
で、ぼくは、そういうPTA的なことは
とっても苦手で、なるたけ逃げてたんだけど、
そこで子どものために先生と話すというのはね、
なんだか、すごくうれしかった。
岩田 はははははは。
糸井 なんていうか、
「ここはオレの出番だ!」って思えてね。
でも、イヤなんですよ、もちろん?
岩田 ええ、イヤですよね。
糸井 イヤに決まってます。ただ‥‥。
岩田 自分がやるしかないんですよね。
糸井 そう。それで、しかも、子どもは、
自分のために苦手なことを
すすんでやってくれる人のことを
好きになるに違いないと思って。
だから、やっぱり「ありがとう」って
言われたいんですよ。
岩田 だから覚悟が決まるわけですね。
糸井 そうそうそう。
岩田 いや、あのね、
私が英語のスピーチを引き受けたのは、
いまの呼び出しの話とほとんど同じです。
糸井 やっぱり(笑)。
岩田 だって、誰かがそうしたほうがいいんですよ。
私がはじめてスピーチをしたときは、
まだ社長に就任していないころですから
「社長としての使命」というわけでもないんです。
誰かが、アメリカのショーで、
任天堂というのはこういう考えでやっているんだ
ということをしゃべらなければいけない。
宮本(茂)さんに練習してもらうのか?
いや、宮本さんの時間をそこに使うより、
おもしろいゲームをつくってもらうべきだ。
じゃあ、自分がやろうという判断だったんです。
糸井 たいへんに決まってるけれども、
「自分がやったほうがいいぞ」
という判断のもとに覚悟が決まる。
その連続なんだね。
岩田 そうですね。
そして、重要なことは、その覚悟によって
「できなかったことができるようになる」
ということがおもしろかったということです。
たいへんだけど、同時に
おもしろみも見つけることができたので、
いままで続けてこれたんだろうと思います。
(続きます)


2008-04-18-FRI



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHIBNUN