糸井 やっぱり、どんなこともそうかもしれないけど、
突き詰めていくと「こころ」なんですよね。
こういう就職をテーマにした話だと
「こういう人が採用される」とか
「こういう人に来てほしい」とか
具体的なことを言われたほうが
悩んでる人にとってはうれしいんでしょうけど、
やっぱり、ひとりひとりの
「こころ」をわかりたいし、
そういう出会いをしていきたいんですよ。
岩田 私、いまよりずっと若いころ、30代前半くらいの
自分がものすごく忙しく感じていたころに、
「自分のコピーがあと3人いればいいのに」
って思ったことがあるんです。
でも、いま振り返ると、なんて傲慢で、
なんて狭い視野の発想だったんだろうって
思うんですよ。
だって、人はひとりひとり違うから
価値があるし、存在する意味があるのに、
どうしてそんなこと考えちゃったのかなって
恥ずかしく思うんですよ。
いまの私は逆に、
ひとりひとりがみんな違う強みを持っている、
とういうことを前提にして、
その、ひとりひとりの、ひととの違いを、
きちんとわかりたいって思うんです。
それがわかってつき合えたら、いまよりもっと
可能性が開けるっていつも思ってますね。
糸井

うん。やっぱり、人は、人なんだから、
人以外のものになろうとしちゃダメなんだよね。
人間って明るく、たかが知れてますよね。
「これしかできない」ってことがギリギリあって、
だからこそ人はおもしろいんです。
だから、なんていうのかな、若いときって、
「超人になろう」って、一旦思うんですよ。
「人間には無理だけど、オレにはできる」って
若いときには思えちゃうんですね。
でも、そんなおまえも人間なわけで(笑)。
だからたぶん、逆に、年をとってからのほうが
できることが増えるというのはそういうことで、
「なかなか思うようにはいかないものだ」
ってことがわかってきてからのほうが
いろんなことができるようになるんですよね。

岩田 そうですね。
糸井 「やればできる」ってケツ引っぱたいたって、
引っぱたかれるケツも引っぱたく手も痛いわけで。
それよりは、超人どころか、
「なにもできないんじゃないか」っていう集団が
なにかをやり遂げたときの喜びを
知ったほうがいいよね。
ぜんぜんあてにされてない人や物事が
誰かに評価される喜びって、すごいもんねぇ。
そういうのが、やっぱりぼくはうれしいなぁ。
岩田 自分でも自覚してなかったようなことで
人が喜んでくれるのって、うれしいですよね。
糸井 そうそうそう。
岩田 やっぱり、「人の役に立った」とか、
「誰かが喜んでくれた」っていうようなことが
つねに自分のエネルギーになってる感じがします。
糸井 そこは岩田さん、一貫してますよね。
それこそ、ぼくに出会うまえから。
岩田 ああ、そうですね‥‥。
いや、じつはね、私、非常に鮮烈に
覚えてることがあるんです。
あれは『MOTHER2』の
開発が終わった直後のことですけど、
私、糸井さんに「お願いがあります」と言って
糸井さんの事務所を訪ねたことがあるんです。
なにをお願いしに行ったかというと、
当時、私が勤めていたHAL研究所の
顧問になってくださいってお願いに行ったときで、
糸井さんは、あとから、
「岩田さんがなにをお願いしてきても、
 ぼくはよほどのことがない限り
 『うん』と言うつもりで最初から会ってたんだ」
とおっしゃってたんですが、
そのときに私は、どういうわけか、
自分の仕事観を糸井さんに語ったんですよ。
糸井 語りました。覚えてますよ。
岩田 で、そのときに語ったことって
やっぱりいまも変わってないんです。
「自分は、他の人が喜んでくれるのが
 うれしくて仕事をしている。
 それはお客さんかもしれないし、
 仲間かもしれないし、
 仕事の発注者かもしれないけど、
 とにかく私はまわりの人が
 喜んでくれるのが好きなんです。
 まわりの人が幸せそうになるのが
 自分のエネルギーなんです」
みたいなことをお話ししたんです。
なんであんな話を、
当時、知り合って1年ちょっとぐらいの
まだそれほど距離が近いとはいえなかった人に
どうしてあんなに素直に語れたのか、
いまだに謎なんですが(笑)。
糸井 うん。ものすごく素直に語ってましたよね。
岩田 ええ。
いや、たとえば20年来の親友であれば、
あれを語ることができても
不思議ではないんですが‥‥。
でも、まるで20年来のつき合いの
先輩に話すように話したんですよ。
‥‥話せたんです。
糸井 いや、あれはね、
それこそ星空が見えてましたよ(笑)。
岩田 (笑)
糸井 部屋も、座った位置も覚えてますよ。
岩田 ええ、私も、あのときの光景って、
すごく心に残っているんですよ。
それで、いちばん忘れられないことは、
私が話し終えたあとで、糸井さん、
「オレもそうだぜ」っておっしゃったんですよ。
糸井 そう、覚えてる。覚えてる。
岩田 で、私は思ったんです。
「ああ、だから、大丈夫だったんだ。
 いろんなことでまったく違うやり方をするし、
 個性もぜんぜん違うし、歩んできた道も違うのに
 私と糸井さんが妙なシンクロをするのは、
 同じ仕事観があったからなんだ」って。
それから、私は糸井さんとの距離が
すごく近づいたような気が、勝手にしてました。
糸井 それはもう、まったくそうです。
あのね、人に、自分の考えをまとめて
しゃべらなきゃいけない機会って
そんなに何度もないんですよ。
交渉したり、営業したりするときに
プレゼンテーションの場っていうのはあっても、
それはやっぱり成績のためにすることだから。
そうじゃなくて、思ってることを
とにかくぜんぶ伝えたいんだっていう、
子どもっぽいくらいの欲望を
ぶつけ合える場というのはそんなにはないんです。
だから、ぼくは、岩田さんが
「お願いがあるんです」ってやってきたときに、
そういう場にきちんとしなきゃって思ったんです。
つまり、なんだろう、ぼくも岩田さんも、
根っこのところで共通しているのは、
照れながらでも別に生きていけるんですよ。
違う言い方をすると、人の気持ちをわかる人ほど
照れずに生きていくのはむつかしいんです。
だけど、「照れてる場合じゃない」っていう場面が
生きているとときどきあって、そのときは、
岩田さんがその場面をつくったんですよ。
それはね、やっぱり学生にはなかなかできない。
わけても当時の岩田さんは、
ぼくよりも年下だったけれども社長でしたからね。
社長じゃなければ、あれはできない。
たとえば岩田さんがただの技術者だったときに、
「ぼくは仕事をこう考えるんです」なんて
誰かに言ったことはないでしょう?
岩田 ないです、ないです。
いや、それどころか、ああいうふうに
自分の仕事観をほかの人に語ったのは
はじめてだったかもしれないんですよ。
だから、当然、練習もしてないし、
パワーポイントがあるわけでもないし、
やり直しがきくわけでもない、
1回きりの勝負で‥‥まぁ、だから、
愛の告白といっしょかもしれない(笑)。
糸井 いや、近いですね。
だって、仲間を結成したいっていう
プロポーズですから。
岩田 そうです。
あれはプロポーズなんですよ、構造として。
糸井 そうですよね。
だから、仕事をするときの仲間を選ぶときに
「大切にしてきたこと」を訊くというのも
まったく同じことで。
岩田 そうです、そうです。
私と糸井さんのおつき合いが続いてる理由も、
「大切にしているもの」が
非常に近いからなんです。
私がそのプロポーズを表現したときに、
糸井さんが心から「オレもそうだぜ」って
答えてくださったから関係が続いてるんですよね。
糸井 そうですね。
そうか、思えばあれは、
岩田さんとそんなに長くつき合っていない
時代のことだったんですね。
岩田 そうなんですよ。
まだまだつき合いの浅い時期で、
たぶん、お互いの詳しいことは、
よくわかっていなかったころなんです。
糸井 でも、あれですね、あのときは、
面接をしたわけじゃないんだけど、
面接で訊きたいような話を
けっこういっぱいしたような気がする(笑)。
岩田 (笑)
(続きます)


2008-04-16-WED



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHIBNUN