商人が仕掛けた真剣勝負 株式会社ジンズ 田中仁 代表取締役社長×糸井重里 商人が仕掛けた真剣勝負 株式会社ジンズ 田中仁 代表取締役社長×糸井重里
(7)志のない上場からのどん底
糸井
「生活のたのしみ展」の機会に、
ほぼ日とJINSで打ち合わせがありましたよね。
ぼくはあの時、田中さんの参加のしかたに
すごく興味があったんです。
自分もやっていることなんですが、
社員の方がなにか案を出している時、
ダメそうな案には、
田中さんはあまり押さないじゃない(笑)。
田中
ああ、はいはい。
糸井
自分も、そういうつもりでいるんですよ。
ああ、でもぼくのほうが押すかな。
でも、田中さんだって、
絶対に押したい時は押しますよね。
田中
うんうん、そうですね。
糸井
「俺はこのぐらいの場所でいよう」みたいな、
田中さんのあり方がよかったんですよ。
あの打ちあわせ、すごく参考になりました。
田中
余分なことを口出さないようにはしてますね。
糸井
そうしてますよね。
きっと、会社をはじめた頃から、
似たようなことしてきたんじゃないかな。
打ち合わせを見ていたって、
スタッフから好かれてますもん。
田中
そうですかねぇ。
糸井
若い時とかにでも、
アイツやっつけてやろう、
みたいなことを思われたことはありますか。
田中
うーん‥‥。
そんなに好かれていないと思うんですよね。
糸井
そうですかねえ。
でも、好かれていないと、
飲んだくれている時代に人が離れていくものですよ。
田中
やっぱり離れていった人もいますよ。
自分はどちらかと言うと、
誰からも好かれるタイプではないと思うんです。
糸井
そうなんだ。
田中
自分の中で優先順位があって、まず中心は家族ですね。
その次に社員。
その次に、周りの人たちです。
そういう順番で、
自分のことを理解してくれたらなと思っています。
糸井
家族だけっていう人も、
世の中にはきっといるでしょうね。
その順番は、若い頃からなんですか?
田中
いや、それも途中からですね。
自分は今、こんな偉そうに話していますけど、
商売という一連の、失敗、成功、失敗、成功という、
今に至るまでのプロセス全部が、
私を成長させてくれたと思っているんです。
本当に商売を愛していますから。
糸井
よかったなと思ってるんですね。
田中
すばらしい職業だと思っています。
糸井
商人(あきんど)はモノを作る人たちと違って、
作っているプロセスの苦労が
ないように見られがちですよね。
「みんなが商人になっちゃったら、
モノを作る人がいなくなっちゃう」
というような感じで、下に見られていました。
つまり、いいところをかっさらう人みたいに。
田中
そうですよね。
糸井
でもそれは、大人になると、
間違いだってわかりますよね。
田中
そうですね。
糸井
どの仕事も、同じように大変ですよね。
「商人でよかった」というのを
本当に言えるようになるまでには、
なかなか時間がかかりますよね。
田中
そうですね。
糸井
伊藤忠の社長の岡藤さんが、
商人という言葉をよく使っていますよね。
それこそ今の時代だったら、
モノを作るということが、どんどんロボット化するし、
逆に言えば、手を掛けたものが、
認めてもらいやすい時代になりかけています。
そうなると、全部を俯瞰して見ていられるのは、
商人の仕事になりますよね。
でも今の田中さんは、作るということに、
仕事の軸をもう1本置いた商人ですよね。
田中
そうですね。
糸井
特に、メガネ屋さんになってからは。
田中
もう今は、メガネ屋っていう感覚も
あまりないんですよ。
糸井
あっ、メガネ屋の感覚がないんですか!
そのあたりのこと、もうちょっと教えてください。
もともと田中さんは、
メガネが本職じゃなかったところから
スタートしているわけですよね。
田中
そうです、そうです。
糸井
田中さんの本を読んで知ったんですけど、
韓国を旅行中に安いメガネを見つけたんですよね。
その時に、日本のメガネの販売構造に疑問を感じて、
「だったら、自分で商売にできるな」と思ったと。
きっと、エプロンやポーチを作るようにして、
メガネの事業も始めたんですよね。
田中
始めたきっかけは、そうですね。
メガネの販売を始めてから、
これも小手先のセンスでどうにか売れて、
運と縁に恵まれたんです。
それで、新興市場に上場するまではできました。
糸井
運と縁で、上場まで行けちゃったと。
田中
行けちゃったんですね。
糸井
上場しやすい時期だったんですか?
田中
わりとベンチャーブームでしたね。
糸井
ほぼ日が上場した時にも、
上場の意思みたいなものを聞かれましたが、
JINSの場合は、どういう意思があったんですか。
田中
恥ずかしながら、上場そのものについては、
「できたらカッコいいよね」ぐらいのレベルでした。
いろんな方からよく言われていたのが、
「上場は、ゴールではなくてスタートだ」と。
言葉ではわかっていても、よくわかっていなかった。
糸井
運と縁だもんね。
田中
すごい志を持って上場したわけではないんですよ。
「できるならやっちゃおう」ぐらいでした。
そんな気持ちで上場したから、
やっぱり戦略も、今ひとつ骨太なものができなくて。
でもお金は入ってきたものだから、
それまでと同じように
感覚的にいろんなことにチャレンジして、失敗して。
二期連続最終赤字になって、特別損失も出したんです。
糸井
その期間には、焦りも生まれたんですか?
田中
それまでにないプレッシャーでしたね。
連続赤字になった時には、
初値で962円あった株価も、
39円とか40円になっていたんですよ。
糸井
20分の1以下だ。
田中
株価が39円とかになると、
時価総額で8億円くらいになるんです。
当時のヘラクレスの上場維持基準が、
浮動株時価総額5億円だったんですよ。
要するに、経営陣が持っている以外の、
流通している株が5億円以上じゃないと、
管理ポストに入って、
この状態が1ヶ月続くと上場廃止になるんです。
たまたま神風が吹いて、廃止は逃れましたが、
でもまあ、そこまで行ったんですよ。
糸井
本当にすごいですね。
田中
そうなってくると、銀行とか証券会社が来て、
「MBOで会社を市場から買い戻して、
もう一回未上場になりませんか」
という提案とかですね、
「御社に興味のある会社に、
M&Aで会社を売りませんか」
と言ってくるんですよ。
じつはもう、売っちゃったほうが楽なんですよね。
糸井
その誘惑は大きかったでしょう?
田中
会社を売ってしまったほうが
世の中にとっていいんじゃないか、
社員のためにもいいんじゃないか、
と思い始めたんです。
糸井
はぁー。
(つづきます)
2017-12-27-WED