HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

いまは走れば、
いいんじゃない?
<対談> 水野良樹(いきものがかり)× 糸井重里
2.誤解をどうするか。
水野
さきほど糸井さんが、
自分が書いた文章やコピーについて
「誰が書いたかどうかはどうでもいい」
ということをおっしゃいましたが、
糸井さんに、そこで葛藤した時代はありますか?

たとえば、いまのぼくくらいの年代とか、
自分の仕事がどんどん世の中に
広がった時期があると思うんです。
そのとき「これは自分が作ったものだ」とか
言いたくなったりはしなかったでしょうか。
糸井
うーん‥‥誰かが勝手に真似してたら
「それはダメでしょう」と思いますけど、
ほかの人より、その思いはないかもしれない。
ぼくは出身がコピーライターなので、
もともと気持ちが匿名なんです。
水野
ああ。
糸井
ただ、近くの人に褒められたときには
すごく「俺だよ」とか言ってると思います(笑)。
つまり、うちのカミさんはそういうことを
まったく褒めない人ですけど‥‥。
水野
(笑)。
糸井
だけど、もしカミさんが
「あれ良いね」って言ったら、
そのときぼくはものすごく
「オレオレ」とか言うと思いますね。
あと、社内の人たちから
「糸井さんのこれ、すごく好きです」とか言われても、
メッチャクチャうれしい。
でも、知らない人が褒めても褒めなくても、
そこはどっちでもいいです。
水野
その感覚、ぼくもまったく同じです。
「自分がやったんだぞ」と言いたいのは、
身近な人たちに褒められたときというか。
糸井
自分のやったことで周りが喜んでくれるのは、
「おもしろいゲームの発起人をした」
みたいなことなんですよね。
ちょっと、高級ステーキをみんなに
奢っているような気分にも近かったりする。
そういう周りへの「俺が考えた!」は、
ほかの人より言うかもしれない(笑)。
でも、そういうときくらいかな。
水野
ただ、糸井さんのことばというのは
「おいしい生活。」だったり、
社会に大きな影響を与えることも多いですよね。
そこに喜びや不安を感じることはないですか?
糸井
それはもちろんありますよ。
だけどそこも自分は
コピーライター出身なのが大きくて、
書いたことばが良いだの悪いだの
いろいろと言われていく道のりは、
最初から想像しながら書いてますから。
水野
起こる波を、事前に想像してある。
糸井
ええ。だからたとえば
「おいしい生活。」の決裁者は
当時の西武百貨店社長の
堤清二さんという人だったんですが、
「このことばに決まった場合、
それこそ女性問題とかが出たとき、
週刊誌とかに『堤清二のおいしい生活』って
書かれますよ。それでもいいですか?」
といったことは確認しています。
そこは覚悟しておいてもらう必要があるから。

そのとき堤さんからは、
「それはもう結構ですよ」と
言ってもらったんですけど。
水野
ええ。
糸井
あと、いまはツイッターとかで、
知らない人から変に非難されて‥‥
もありますけどね。
なにかあるたびに、
「糸井は電通から金をもらってるから」
みたいなことを言う人が必ずいるんです。
仕事しないでもらったこと、ないけどね。
ただそれには、
「さびしいなあ」と思うだけですよね。
水野
それも受け入れるんですか?
糸井
受け入れたくはないですけど、
そう思った人がいたのは事実ですよね。
そして、そういう話って、
発言した人は信じ切ってると思うんです。
その本人が固く信じていることばを
「違うんだよ」と変えさせる自信は、ぼくにはない。
水野
ああ。
糸井
もちろん、そこで嫌な気持ちに
ならないわけはないです。
たぶん水野さんも、勝手にいろいろと言われて
傷つくネタはいつでもあるでしょう?
人からは
「あなた、傷つくことなんてないでしょう?」
とか言われるんだけど。
水野
あります、あります。
糸井
そこはぼくもそうですよ。
傷ついたり疲弊したりがないわけはないです。
だけどそこで
「なんとかその誤解を解きたい」と
動きはじめたら、
それがライフワークになってしまう。
そんなことをしている暇はない。

だけど、その同じ時間にたとえば、
拾ってきたドングリを土に埋めて、
芽が出て、人が「どれどれ」って寄ってきたら、
誤解は解けないかもしれないけど、
喜ぶ人は増えますよね。
同じ時間なら、ぼくはそういうことに使いたいんです。
水野
なるほど‥‥。
ただ、ぼくはまだみんなに
わかってほしい気持ちが強くて(笑)。
「誤解されてるな」と思ったら、
すべてを説明できないのもわかりつつ、
すごくガタガタと自分の作品について
説明してしまったりしています。
糸井
いやいや、その気持ちはありますって。
水野
そうですか?
糸井
それはそうですよ。
とはいえ、誤解や伝わらないことって、
ついてくるものだと思うんです。
水野
ああ、そうですよね。
糸井
表現で仕事してるのって、
やっぱりちょっと変だと思うんですよ。

たとえば、水野さんもたぶん暮らしのなかで
「もうちょっと考えたら詞になるな」
と思うこととか、いっぱいあるでしょう?
だけどそんなふうに日常を見てるの、
変じゃないですか。

たとえばお母さんからしたら、
「この子、なにかすごく考えてるけど、
いまは早く食べてほしいなあ」みたいな。
水野
わかります。
糸井
そういう変わったことを考えているわけだから、
伝わらなかったり、
やいやい言われるのはしょうがない。

だから、誤解をなんとかしようとするより、
「その変な自分がもっと楽しくなるには
どうすればいいんだろう?」
とか考えるほうがいいんじゃないかな。

そして、その変さって、
やめられるならやめてもいいんだと思うけど、
やめられないものだし。

表現者はみんな、そのあたりのことを
しょっちゅう行き来しているんじゃないでしょうか。
水野
糸井さんもそうですか?
糸井
それはそうですよ。

そして、そういう大もとの
「もともとやめてもいいような
変なことを始めたんだよな」
という感覚は、
なにかこう、心の片隅に
大事なものとして持ってたほうが
いいと思うんです。

もちろんそうやって言いながらも、
「でもやめないよ」も大人の約束なんだけど。
(つづきます)
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2016-10-24-MON