・昨日は大河ドラマ『べらぼう』最終回だった。
蔦屋重三郎と一年間だけだが毎週会ってきたが、
とうとうあの世に逝ってしまった。
大きな戦さがあるわけでもないし、ちゃんばらもない。
江戸の町と江戸城の内でだいたいが済んでしまうので、
大きな物語の好きな人には物足りなかったかもしれない。
しかし、ぼくは、この一年ずっと、
おもしろく蔦重と過ごしてきた。
ともだちと会えなくなったような気持ちが残っている。
蔦重、いついかなる時でも
「なんとかできねぇかな」と考えていたよな。
それなんだよ、それが好きだったんだ。
戦略とか戦術というより「なんとかできねぇか」という
「窮鼠が猫を噛む」ようなやり方がおもしろかった。
もっと長いことつきあってみたかったなぁ。
だってねぇ、享年47歳だよ、死因が脚気だって。
いまの時代だったら、ビタミン不足だとわかっているし、
命に関わるような病気じゃないと知っているけど、
当時は、そうはいかなかったんだなぁ。
脚気ばかりじゃなく、他の病気にしたって、
いまならなんとかなってることが多いわけでね。
じぶん自身のことを照らし合わせても、
蔦重の他界した年より後のほうがいろいろやってるよ。
「ともだち」のこととして考えると、つくづく残念だよ。
「人生は短いが芸術は長い」とは、ほんとうだ。
たしかに蔦重の残したものはいまも生きているけれど、
48歳から後の蔦屋重三郎が生きていたら、もっと、
「やったかもしれないこと」が、あったと思うんだよ。
歴史上の人物だし、ドラマのなかの人だし、
もうすでに史実としての結論は出ているんだけどね。
二百年以上も昔の他人のことなのに、
もうちょっと「なんとかできねぇか」と、ぼくが思うのは、
やっぱり蔦屋重三郎に、特別な気持ちがあるんだろうな。
ま、せめて、現代医療などの助けも借りて、
あっしは、簡単には死なねぇで、精を出していきます。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生きてることがおもしろいうちは、死なねぇほうがいいよ。