だれかと残念を共有すること。

糸井重里

・昨日、有吉弘行さんのツイッター(X)で
 「動物園休みだったよ 悲しくて泣いちゃったよ」
 と書いているのを見て、つい、ぼくもこう書きました。
 「何度かの、そういう経験を思い出した。
 『子どもと残念を共有する』ので、
 ある意味いい思い出になっている」と。
 ほんとうに、そうなんです。
 ぼくは、あんまりいいおとうさんではなかったけど、
 いろんなところに娘を連れて行ったりしていました。

 時代ももっと昔だから、インターネット前だったし、
 なんでもかんでも予約予約というような習慣もなくて。
 勇んで出かけて「休みだった」とか、
 あまりに混雑していて「引き返した」とか、
 釣りだったら「まったく釣れなかった」とか、
 旅先で娘が「熱を出した」とか、いろいろありました。
 でも、その残念について、いっしょに味わっていたことが、
 いまになっても、よかったなぁと思えるのです。
 大ケガをしたり事故にあったりするのは困りますが、
 それより手前のいろんな失敗や不運などは、
 いちいちがたのしい思い出になっています。
 いっしょに笑うのも、いっしょに感激するのもいいけど、
 いっしょにがっかりしたり、いっしょに泣くのも、
 「おれとおまえ」の思い出として、ほんとに貴重です。
 
 いっしょに「残念を共有する」って、
 親子の話として、ふと思いついたことばなのですが、
 パートナーとか、友だちとか、仕事のなかまとの間でも、
 とても大切な記憶になっていますよね。
 もちろん、残念やら失敗やらをしたくてしてるんじゃない。
 だけど、避けて通れるものでもないですからね。
 喜怒哀楽、幸福感も挫折感も、だいたいはあるですよ。
 「悔しかったよなぁ」なんて言い合える人がいるって、
 あとになってみると、ほんとに恵まれていることなんです。
  
 あ、そっか、もしかして、いちばんうれしいのは、
 心に残っていく「経験」と「関係」なのかもしれないな。
 いま考えたばかりなので、うまく説明もできないけど。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
すべてを支えるのは、よく食って、よく寝て、よく遊ぶだね。