プロ野球選手の孤独。  ──原辰徳の考えるチームプレー。
第1回 大人になった野球選手たち。


糸井 原さんが子どものころに
転校をくり返してたっていうのは、
はじめて聞きました。
ああ、そうですか(笑)。
糸井 小学校と中学校のあいだに6回も。
うん。学校の名前、ぜんぶ言えますよ。
糸井 そうですか(笑)。
しかし、それはまさに、
「いま思うといい経験」かもしれないけど、
けっこうキツかったんでしょうね。
そりゃもう、イヤでしたよ。
とくに新しい学校にはじめていく日っていうのは
ほんとうにイヤでね。
それでも、初日はおふくろがいっしょに
ついてきてくれてたから、
ここで自分がイヤな顔してると
おふくろが悲しむだろうなぁ‥‥
なんてことを思いながらね。
糸井 いい子ですねぇ(笑)。
そうなの(笑)。
心のなかは、もう前日の夜から、
ああー、また挨拶しなきゃいけないな、とかね。
みんなの前に出てね、どこどこから来ました、
なんてことを言うんだ、って、
イヤな気持ちになってるんだけど、
おふくろと廊下を歩いてるときには、
「いやー、きれいな学校だなぁ」って(笑)。
糸井 ははははは。
しかも、ぼくは身体が大きかったからね、
目立つんですよ。
だから、その、かならず、
やんちゃ坊主たちのターゲットになるんです。
糸井 あー、最初にシメとこう、って。
そうそうそう。
それでね、こっちは、何回も転校してるから、
まぁ、そういう意味では、慣れてるんですね。
糸井 はい(笑)。
で、もう、そうなっちゃうのは
しょうがないってわかってるんだけど、
いちおう言うわけです。
オレは、ケンカなんかしたくない、と。
でも、あんたたちはしたいんだろ?
だったら、誰がいちばん強いんだ?
いちばんの親分が出てきてよ、って。
というのは、親分と最初にやらないと、
下っ端たちと何回もやらなきゃなんないから。
糸井 ああ(笑)。
そういうこともね、
自分の経験のなかで覚えていくわけ。
で、やるとなったら、一回やれば終わるんですよ。
ぼくはその、体力があったからね。
糸井 そうか、基本の身体能力がずば抜けてるから。
そうそう(笑)。
それはやっぱり、少しはね、
2、3発は殴られることはあったにしても、
でも、体力には自信があったから、
素手でケンカするっていうことには、
小さいころから慣れてましたし、
やるとなったら、まぁ、パパッと終わる。
糸井 というようなことも、
6回転校しながら、まさに身につけていったんですね。
そうですねぇ。
糸井 しかし、転校のたびに、
そういう目に遭っていたということは、
そうとう目立ったんでしょうね、原さんは。
ま、ぼくはね、非常にその、
容姿端麗で、スポーツができて、
目立ちましたから!
一同 (笑)
糸井 それはでも、野球選手になってからも
同じような部分があったでしょう。
「この目立つ新人にブツけてやろう」
くらいのことを思った人もいましたよ、きっと。
まぁまぁまぁ、それはね、うん(笑)。
でも、そういうこともぜんぶ含めてね、
いい経験にするっていうことが
とっても大事なような気がしますね。
糸井 どんな経験も、大事にする。
はい。
糸井 そういえば、前に一度、
原さんにお話をうかがったときに、
野球というものに目覚めたのは、
原さんのお父さんが高校の野球部を率いて優勝して、
地元の炭鉱の町を一気に
お祭り騒ぎにしてしまった
(※原さんの父親、原貢さんは、1965年、
 福岡県立三池工業高校の監督に就任すると、
 当時無名高だったチームを
 夏の甲子園初出場初優勝に導いた)という経験が
すごく大きかったっておっしゃってましたよね。
それが、いまも自分のなかに活きてるって。
あ、そうですね。
だから、やっぱり、ぜんぶ活きてますねぇ。
糸井 お父さんが優勝して地元を盛り上げたことも、
6回転校して、そのたびに目をつけられたことも、
高校2年で全日本チームに入ったことも、
巨人の四番を長く打ったことも。
はい、ぜんぶ。
(続きます)

2013-04-09-TUE