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男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


婦人公論井戸端会議<
(全5回)

第1回
ノストラダムス・ケーキ

糸井 世紀末、ノストラダムス、世界滅亡と、
今、終末論が盛んですね。
とくにノストラダムスについては、
1999年がその予言の年だというので、
今年に入ってから、キャンペーンみたいに
あちらこちらで取り上げられています。
藤本 日本でノストラダムスが
よく知られるようになったのは、
五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』('73)
という本がきっかけでしょう。
糸井 あの本がベストセラーになって、
最初の大予言ブームが起こったんですね。
'70年代半ばでしたか−−オイルショックの頃ですね。
小松左京さんの『日本沈没』が大ヒットしたのも
同じ時期で、そういったものが一緒になって、
当時、なんか危機感がありました。
僕は子どもの頃、五島さんの本を読んで、
「1999年に人類は滅亡するんだ」と、
すごく怖い思いをした、
いわゆるノストラダムス世代なんです。

糸井 今のブームの中心も、その世代ですよ。
怖かったけど、同時に、
「うさんくさいぞ」という思いが子ども心にもあって、
興味がわかないまま、ずっと切り捨てていました。
それが、あるとき
心理学者のユングが晩年に書いた本を読んでいたら、
数ページだけ、ノストラダムスについての
記述があったんです。
ノストラダムスは時代の裂け目、
宗教の変革期に現われた人だと
書いてありました。
そして、一人ではなく、同じような予言者が
あの時代にはたくさんいたと。
糸井 第2、第3の“ノストラダムス”がいた……。
ノストラダムスは宗教改革運動や宗教戦争が起こる
直前に生きた人ですけど、
ユングはそういう歴史の中での位置付けを
ちゃんとしてるんです。
ノストラダムスを超能力者の枠組みから解放して、
時代の文脈の中に置こうとするアプローチの仕方を、
僕は面白いなあと感じました。
で、こういう見方があるのかと思っていたときに、
たまたまテレビでノストラダムスの足跡をたどる
取材の話をいただきまして。
糸井 じゃあフランスへ?
ええ。
竹下節子さんという、比較宗教史家で
ノストラダムスの研究もされている方と一緒に、
ゆかりの地を訪ねて回ったんです。
それで、ノストラダムスや終末論というものに
感心が出てきたんですね。
藤本 取材では、やはり南仏のサロンにある
『ノストラダムスの家』に行かれました?
ええ、行きました。
藤本 蝋人形館があって、
観光名所のようになっているんですね。
糸井 東京タワーみたいだ。
じゃあ、ノストラダムス饅頭もあったりして。
ノストラダムス・ケーキはあった。
藤本 近くのお菓子屋さんでは、
ノストラダムス・チョコレートを売ってました。
糸井 やっぱり、あるんだ。(笑)
それは、ノストラダムスが書いたレシピを
復活させたものなんですけどね。
糸井 藤本さんは、『預言者ノストラダムス』という
小説をお書きになっています。
なぜ、ノストラダムスだったんでしょう。
藤本 ブームになる前から、
ノストラダムスに興味をもっていました。
仏文学者の渡辺一夫さんの著作が好きで、
『ラブレーのイタリア便り』なんかを読むうちに、
『ルネサンスの人々』という本に
行き当たりまして。
そこでノストラダムスを知ったんです。
ルネサンスの人たちって、
今の時代の観念で見ると、
一人の中に複数の人間がいるようなところが
あるでしょう。
ノストラダムスも複合体の人なんです。
そういう人間をよく理解できなくて、
もっと知りたいと思ったのがスタートでした。
糸井 ルネサンス時代に生きた、
一人の人間への興味から始まったんですね。
藤本 ただ、その頃は
日本にはノストラダムスについての資料が
ほとんどなくて、フランスに行くたびに
資料を集めたり、ゆかりの地を歩いてみたり。
糸井 知れば知れるほど、興味深い人物でしたか。
藤本 たとえば遺言を見ると、この椅子は誰が相続する、
銀のお皿は誰にあげるとか、
実に細かいことにまで言及してるんです。
自分の死後、妻の妊娠がわかり、
生まれたのが男の子ならこういう権利を与え、
女の子ならこう、もし双子だったら−−、
そこまで想定して書いている。
妻が再婚しなかったら
自宅の3分の1を自由に使っていいだとか。
糸井 すごく実務的なのね。
藤本 こんな遺言を書く人はどういう性格だったのか、
そういうところから自分の中で
ノストラダムス像をつくっていきました。
糸井 ノストラダムスが大ブームになったときは、
どんなふうに眺めてました?
藤本 はじめは、これでまたいろいろなことがわかるから
嬉しいなって。
糸井 資料が増える。
藤本 だけど本を買って、前書きを読んだ段階で、
あ、違う本だわ、求めていたものじゃないなと(笑)。
あのブーム以来のノストラダムス像が、
実像とあまりにかけ離れているので、
それをもとの位置にもどしたいというのも、
その後、創作の動機の一つになりました。

(つづく)

第2回 明るい預言者

第3回  終末に期待する気持ち

第4回  宇宙との感応関係

第5回 さて、恐怖の7月は?

2000-01-04-TUE

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