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“WONDER SCHOOL !”
ほぼ日刊イトイ新聞 presents 超時間講演会。



(※今回からは、比較経済史学の川勝平太さんと
  糸井重里の打ちあわせでの会話を、おとどけ!
  川勝さんと、はじめて出会った日の話なんだ)
川勝平太さんプロフィール
糸井 川勝さんの講演には、
「日本のゆくえ」というタイトルを、
つけさせていただいています。

川勝さんがおっしゃっていた
「美しい国になることが、
 この国のゆくえとして、
 いちばん良いことなんじゃないか」
というお話には、感銘を受けまして。

最近、農業に強く関心を持っているのですが、
例えば、第一次産業と言っても、
農業には、十分に、
情報産業の要素もあるんですよね。

趣味がいいだとか、美しいだとか、農業には
感性を動かさなければならない要素が山ほどある。

ぼくは、農業に、
肉体のぜんぶを使って実行する
情報産業みたいなイメージを持っているんです。
農業は、スポーツや絵画や音楽にも似ています。

だけど、会った人に、
「農業がおもしろいし、
 これから大事になると思う」
と伝えても、今はまだ、
「きたないし、
 苦しいことばかりでいいことがない。
 だいたい、ヨメもこないし……」
みたいに思っている人が、多いみたいなんです。
川勝 ええ、よくわかります。
農業をなりわいにするのは大変ですが、
なりわいではなく、農を楽しむことが、
もっと簡単にできればよいのになぁ、
とつねづね思っています。

農業が
スポーツ、音楽、絵画と似ているといわれたのに、
我が意を得ました。
それでというわけではありませんが、
なりわいとしての農業ではなく
「農芸」というのがいいと思うのです。

大学院生の頃、宮沢賢治さんの
『グスコーブドリの伝記』という童話に出会って、
主人公の自己犠牲の崇高な生き様に深く感動し、
それをきっかけに
宮沢賢治の全作品を読んだのですが、
彼の書いた『農民芸術概論綱要』という
文章というか、詩篇に出あいました。

「いざ もろともに
 宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばろう」
といった
素晴らしい詩句がちりばめられています。

宮沢賢治が羅須地人協会というのを作って、
自活を始めたときに書かれたものらしく、
賢治は農業を生活の軸にして
芸術との両立を試みようとしたのですが、
賢治を通して、
農の営みに強い関心を持ちはじめました。

ただ、京都に生まれ、高校を卒業してからは、
海外生活をのぞけば、
ずっと東京でしたので、都会しか知りません。
調べていくと、農業をなりわいとするには、
最初から、5反(50アール)の土地を
持たなければいけないとか、
専業農家でなくてはならないとか、
いろんな法的規則があります。

日本政府は都会民が
簡単に農業できないようにしているとしか
思えませんね。

そもそも、早稲田で教えていたとき、
学生諸君に
「地方の時代だ」「農芸がよい」と言っても、
早大生は、だいたい地方出身で、
都会に憧れて出て来ているのですね。
糸井 講義をするのは、
地方がイヤで来てる人たちに対してなんですよね。
川勝 そうですね。
それにぼく自身、都会に住みながら
「地方の時代」「農芸の時代」
と主張しているのは無責任なことでした。

「まずは、自分がやらないといけない」

ある時、そう決めて、脱東京、というより、
脱関東平野を決めました。
そう決めても、結婚していましたから、
ボスの同意……つまり家内の同意がないと、
絶対にダメですよね。
糸井 それはそうです。
川勝 家族にかかわることでは、
男の影はうすいです。
日頃のコミュニケーションが効いてきますね。
日頃のコミュニケーションはよかったのですが、
それでも家内が反対すれば、実行できません。

それで、ボスの
いちばん機嫌がいいときに相談して、
同意をえました。
家内も早稲田出身なので、
「都の西北」を大吉の方角と定めて、
信州に移りました。

それで言行一致し、
若い青年たちにも、主張しやすくなりました。

「私たちは、
 弱いものの味方であるべきであり、
 いま弱いのは地方だ。
 大都会で大輪の花を咲かせるなんて
 所詮夢のまた夢だから、
 地方に散り、在野にあって、
 雑草のごとくに生きよ。
 もちろん、雑草などというのはない。
 一木一草すべてに名前がある。
 地方で小さな一輪の花を咲かすことが大事なのだ」

決心が実行できて本当によかったと思っています。
  (月曜日につづきます!)





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2004-05-07-FRI

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