YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson905
      生きて、はたらく文章



書いたものが評価されるまでの道のりは、長い。

5年、10年、いや
死んでしまってから評価される人もいる。

この長さが待てず、

あきらめてしまう人がすごく多いのだろう。

しかし瞬時にもらう評価は、文章自体への評価。

新しい、面白い、すごくうまい、
それもとってもとっても大事なことだ。

けど、その時点の「きっと多くの人に役立つだろう」は、
予測。
だれもタイムマシンで未来に行って検証したわけではない。

その文章が読者にどう根づいて、生きて、はたらいたか?

リアルな結果を目で見るまでには、
それなりの時間がかかる。

この長さが待てない「書く人」を励まさねばと思う。


2018年は、自分の書いたものが、尊敬すべき大人から、
はっきりと評価された年だった。

とてもつらいこともあった。
自分の書いたものを踏まれているようで、
「文章と相思相愛」を書いたころは、つらかったが、

秋になって、
『考えるとはどういうことか』の著者であり
東京大学教授、梶谷真司さんから、
この世のことかというくらい嬉しい評価をもらったことは、
「考えることで人は自由になり、多様性を受け入れる
に書いた。

また、コルクの代表である佐渡島庸平さんからは、
「編集を最も体系化した本」という評価をいただき、
自分で思いもしなかった「作家を育てる」という可能性を
ひらいていただいた。

ジャーナリストであり、食品ロス問題専門家でもある
井出留美さんは、御著書執筆に、
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』が役立ったと、
先日井出さんが「オーサーアワード2018」を
受賞された折にも
心底嬉しいコメントをいただいた。

十数年かかった。

本が出てから、このような現実を目の当たりにするまでに、
十数年かかっており、

そこまでの道のりは長く、孤独で、凍てついていた。

もっと早く知っていれば、と痛切に思うが、

こうして時間が経ったからこそ、
自分の書いたものが、読んだ人にどんな種を撒いたのか、
それがどう実ったかを、

言葉でなく、この現実で、検証できる歓びがある。

そしてその歓びは揺るぎない。

自分自身で、なぜ拙書が長きにわたって、
文章を書く人に役立っているのかを考えてみたところ
1つには、

「構成」。

1冊の構成、文章構成はもちろんだが、

書き手である私は何者で、
読者に対して何を目指すのか、
そのために何をどういう手続きで伝えていくか、
という構成。

とくに、構造化、
小論文編集長だった時代に、
まったく文章を書けなかった高校生が1年間で
入試小論文に合格するために、

まず何から手をつけてもらい、
どういう段階を踏んでチカラをつけてもらうのか、

構造化すること、体系立てて教育することを
徹底的に鍛え抜かれた。

だから、
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』は
構成がしっかりしている。

土台と骨組みがしっかりした建物がゆるがないように、
長年経っても教育効果は薄れず、
でも、それだけに重さが出て、ラクラクとは読めない。

考え抜かれた本が、結実していることに心底希望がある。

と同時に、

「ほんとうに時間がかかったな、
長かったな、本って、こんなに現実の結果を見るまで
地道で時間がかかるんだ!」

とあらためて驚いている。

この長さが待てずに潰れていく人もすごく多いんだろう。

あきらめたらいけない。

私は以前、「書く歓び」は3つと言った。

解放・理解・創造。

まず、本当の想いが書けたとき、
人は心底、「解放」される。

さらに、読んだ人から、
親にも友だちにもされたことのないような
深く骨身にしみる「理解」を得る。
伝わったとき、理解の花が降るような歓びがある。

そして、「創造」。
まだ現実にないことも人は書いてつくることができる。
書いたことが現実になっていく。
書く力を鍛えれば、自分の想いに添った人生を
書いて創っていくことができる。

そして、今年実感したのは、
書いたものが、読んだ人の中に、

「生きて、はたらく歓び」。

私の書いたものは、きょうも、
生まれて初めて本を書く人や、
就活のエントリーシートを書きあぐねている学生や、
聞く耳をもたない我が子へ手紙を書く親御さんに、
生きて、寄り添い、はたらいている。

きょうの終わりに、先週の
「人は波のように良くなっていく」
に届いた読者のおたよりを紹介したい。

来年も、読者とともに。


<「Lesson904人は波のようによくなっていく」を読んで>

近頃、小5の娘が、
学校に行きたくないと訴えはじめました。

小規模校のためクラス人数が少なく、
その中で性格の合う女子がいない現状で、
「自分らしくある」ことと「周りと合わせる」ことの
狭間で悩んでいるように見えます。
ある日、

「声をかけたりしてがんばってるけど、
なかなか輪に入れなくて、
ひとりでいることが、さみしい」

と訴えました。

疲れ果てた娘の顔を見ていたら、
「学校に行きなさい!」などという気持ちは起きず、

「今日は1日ゆっくりやすみたい」

という娘の言葉を受け入れて、
ある日、学校をお休みしました。

親子で公園を散歩し、カフェでのお茶を楽しんでいたら、
表情はほぐれてきて、

翌日には、スッキリ起きて登校していきました。

しんどかったでしょうが、
行くんだと決意して行動した娘を見送りながら、

学校を休むことも、登校することも、
自分で決めた娘の意思の強さを、
心から頼もしく感じました。

大人は、つらい環境だと「転職」できるし、
「有給」だってとれるけど、

子どもたちは、
学校という枠の中で、
いかなるときも「がんばる」ことを
強要されているような気がします。

(もちろんそうでない学校や先生もたくさんいて、
その先生方に私は希望を感じています)。

娘も、今の状況を乗り越えたようでいて、
再び落ち込むこともあるだろうと思います。

また「学校行かない」と言われるかもしれないと思うと、
少しドキドキする気持ちもありますが、

波のように感情が行ったり来たりしながら、
徐々に、自分らしさを見つけていける、
自分のことを自分で決められる人間に成長していくのだろう
と信じて、

子どもとの暮らしを楽しんでいきたい。

「人は波のようによくなっていく」
ということをはっきりと言葉にしてもらって、
すごく心が落ち着きました。

一人の人間が成長する過程だもの、
直線的に良くなるばかり、なんてこと、
ありえないですよね。

(はぐみ)


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※来週の「おとなの小論文教室。」はお休みです。

 


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2018-12-26-WED

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