HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
芸術〈アート〉は誰も語らない物語を語る。ーベトナム戦争をアートで再構築するディン・Q・レさんの場合
ディン・Q・レ 《無題(二重の女)》 2003年 Cプリント、リネンテープ 96.5×182.9 cm キース・レッカー&ジェームス・モーン氏蔵
第3回 アートで「ベトナム戦争」を語るということ、誰も語らない物語を語ること。 2015-10-02-FRI
──
ディンさんが、アートの題材として
「ベトナム戦争」を取り上げている動機は
「ベトナム戦争のことをもっと知りたい」
ということなんでしょうか。
DQL
そうですね。

まだ、ちいさいころに戦争を経験し、
10歳でベトナムを離れたので
当時は
自分のまわりで何が起こっているのか、
まったく理解できていなかったので。
──
なるほど。
DQL
今になって、
あのとき自分の家族のまわりで
何が起こっていたのか、
そして、どうしてそんなことが
自分の国に起きてしまったのか、
何とか知りたいと思って
もう25年くらい続けています。
──
そんなに。
DQL
ええ、でも、25年やっても
「まだ何もわかってないな」というのが
正直なところです。
──
学校で習う「ベトナム戦争」については
たくさんの人が研究したり、
本に書いて発表したりしていますが、
ディンさんは
他の人とはちょっと違う視点とやり方で
また別の「ベトナム戦争」を
教えてくれているような気がします。
DQL
でも、私みたいなことをやっているのは
私だけではないと思います。

それは、多くの戦後生まれのベトナム人が
成長し大人になって、
さまざまな「ベトナム戦争」に触れた結果、
「正式に」教えられてきた戦争と
「何かが違う」と違和感を抱いているから。
──
そうなんですか。
DQL
じゃあ、どういうことだったんだろうと
自分自身で探究をはじめる。
そういうことが、今、起こっています。

だから私も、そのなかのひとりなんだと
自分では思っているんです。
──
日本で、日本人が
ベトナム戦争のことを知ろうとした場合、
アメリカ人ジャーナリストの書いた本や
当時のアメリカ高官の回顧録、
日本人の書いた専門書やエッセイなどは
読めるのですが
ベトナムの「えらい人」ではない、
ハイさんみたいな「ふつうの人の話」には
なかなかアクセスできないです。
DQL
そうでしょうね。

ふつうの人、ということで言えば、
私自身、共産主義者ではありませんから、
共産党政府や
彼らの信じる考えとは対立する思想を
持っているんですね。
──
ええ。
DQL
でも、共産主義政府のために絵を描いていた
アーティストにインタビューし、
彼らを題材にした作品をつくってみたら
「ああ、自分は
 この人たちのすべてに対立してはいない、
 この人たちの言うことも理解できそうだ」
と感じるようになったんです。
──
具体的には、どういう部分で?
DQL
最終的には
《光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ》
という作品になったのですが
ベトナム戦争中の「従軍画家」の描いた
ドローイングが、
とっても「美しかった」んですよ。
ディン・Q・レ 《光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ》 2012年 100点のドローイング:鉛筆、水彩、インク、油彩、紙/シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド サイズ可変、35分 所蔵:カーネギー博物館、ピッツバーグ 展示風景:「ディン・Q・レ展:明日への記憶」森美術館、2015年 撮影:永禮 賢 写真提供:森美術館
──
従軍画家というと
前線の兵士にくっついていって絵を描く、
つまり
「戦いの場面を描いて記録すること」を
期待されている画家、ですよね。
DQL
そうです。

一般的に「戦争絵画」のイメージといえば
爆弾、燃え盛る炎、煙で真っ黒い空、
地面に倒れた兵士‥‥など
戦争の恐ろしい場面が多いと思うんですね。
──
あるいは逆に、
空に軍旗をはためかせているような、
勇ましい場面とか。
DQL
でも、彼らの絵は違うんです。
──
と、言うと。
DQL
ベトナム戦争は
あまりにも長く続いた戦争だったから
血まみれの場面なんて
みんな描きたくなかったのか、
「戦いと戦いのあいだにある時間」を
描いているんです。
──
具体的には、どういうシーンですか?
DQL
地べたに座っている人、
そのへんをブラブラ散歩している人、
軍服を脱ぎ捨てて
川で水浴びをする若い兵士たち、
ハンモックで
ふるさとの誰かに手紙を書く兵士‥‥。

そういった何気ない場面ばかりで
戦いのシーンなど、
まったくといっていいほど描いてない。
──
「従軍画家」なのに。
DQL
彼らは、故郷の人たちに
この、アメリカとの戦争が何であるのか、
その意義を絵で伝えるために
前線へと送り込まれていったわけです。

つまり、「戦争プロパガンダ」の目的で
描かされている絵なのに
戦争らしいシーンをまったく描いてない。
──
へぇー‥‥。
DQL
むしろ、彼らが描こうとしていたのは、
そのような場にあっても、
いかに、人々が「ふつう」であろうとしたか。

描かれた人物の顔を見ると
「ふつうの暮らし」への憧れだったり、
戦争終結への願い、希望‥‥。
──
ええ。
DQL
直接的ではないにしても
「どうにか、この戦争が終わってほしい」
という願いが
込められているようにも感じるんです。
──
従軍画家って何人もいたと思うんですが
みんながみんな、そのような?
DQL
ええ、とっても不思議なことなんですが
たくさんのアーティストが
自分なりの絵を描いているんですけど、
それらを集め、
ひとつのまとまりとして見てみると
まるで、たったひとりのアーティストが
すべての絵を描いているかのように、
みんなが、同じ方向を向いているんです。
──
それは、なぜだと思われますか?
DQL
どうでしょう、なぜでしょうね。

彼らは「アーティスト、絵描き」なのに
ある意味で「個性を捨てて」います。
──
それって、アーティストにとっては、
もっともつらいこと、なのでは?
DQL
ええ、いちばん「恐ろしいこと」です。

他の人と違うことこそが
私たちのアイデンティティですが、
それを捨ててまで
この戦争が終わってほしいという思いを
共有していたんでしょうね。
──
なるほど。
DQL
そういう意味で、私は、
共産主義じたいに共感はしていませんが、
彼らの思いそのものは
すごく理解できるなあと、思ったんです。
──
政治的な考え方や
宗教的な信念が違ったりすると
ときに、前王朝の文献を「焚書」したり
遺跡を破壊したりしてしまうところまで
いったりもするわけですが
「考えは違うけど、絵はいいよね」
って言えるのは、いいなあと思いました。
DQL
そこは、アートですからね。
──
争っている同士だけど
「ある一点では、理解し合える」って。
DQL
私はそこに希望があると思います。
──
冒頭、ディンさんは
「アートは、スパッと割り切れない、
 多義的で
 複雑な問題を考えさせてくれる」
とおっしゃっていましたが
政治とかアカデミズムでやる場合って、
こういう妥協のし方、
譲り方って、難しいと思うんです。
DQL
おっしゃるように「AでなければB」、
「一方が正しければ
 他方は、すべて正しくない」
という考え方だと
その隙間にこぼれ落ちてしまったものは
なかなか、すくい取れない。

でも、そういう物語をすくい取れるのが
アートだと思ってやっています。
──
説得力のある結論だとか
感動的なラストが「なくてもいい」のが
アートなんだって
ディンさん、言ってましたものね。
DQL
それに
「AでなければB」と言い切れないのは
ベトナム戦争が極めて複雑だった、
ということも、関係していると思います。
──
なるほど。

もともとフランスの植民地だったこと、
当時の米ソ冷戦の対立構造や
いわゆる「ドミノ理論」、
となりの大国・中国との関係だとか
ベトナム戦争には
いろんな要素が絡んでますものね。
DQL
ですから私は、あの戦争に関しては、
たったひとつの場所から
全体にたいして唯一の判断を下すことなど
とてもできないと感じています。
──
今の言葉は、すごく重いですね。
DQL
でも、ひとつだけ言えるのは
あの戦争を経験した
ふつうのベトナム人に聞いてみれば
「もう二度と
 戦争なんかしたくない」って
誰もが、言うだろうってことです。
──
そうですか。
DQL
私は、自分の人生のなかで、
ベトナム戦争と、カンボジアとの戦争と
ふたつの戦争を経験しているんですが
その経験から言うと
戦争とは「絶対に避けるべきもの」です。

もう二度と、あんな思いはしたくない。
当時の立場がどうであろうと
みんな、そう思っていると思いますね。
──
今日のお話を聞いて思ったのは
戦争、それも「ベトナム戦争」みたいに
歴史の教科書では
「出口のない真っ暗なトンネル、泥沼」
みたいに言われた戦争にあっても、
こう言っちゃ何ですけど
どこかチャーミングなエピソードや
人間のふつうの営み、
そして牧歌的とさえいえるような光景も
当たり前ですが、
あったんだなあということでした。
DQL
そう、どんなに厳しい状況であっても、
「希望」を、
それが、どんなにちいさかったとしても
何かしらの「希望」を見出すのが、
私たち人間なんだなあと、思いますね。
──
なるほど。
DQL
いかに過酷な状況に置かれたとしても
その場に応じて、
ひとりひとりが、それぞれ何かを考え、
そこに希望を見出して
ときにユニークなことが起きたりする。

それが、人間の営みじゃないかなと。
──
戦争してたって
人の「あたまのなか」は自由ですもんね。
DQL
そこに、私は、希望を感じます。
──
ディンさんは、今後も、
ベトナム戦争について考えていくんですか?
DQL
何か、別のこともやらなきゃなあって
思ってはいるんですけど
調べれば調べるほど
おもしろくなっちゃうんですよね。
──
「ヘリコプターが大好きで
 ついに自作してしまったベトナム人」
とか
「富士山麓の原っぱでで
 ベトナム戦争を再演している日本人」
とかにも、会うし。
DQL
そうそう、だから結局、
戻ってきちゃうんですよ、ベトナム戦争に。
<終わります>
デディン・Q・レ 《無題(パラマウント)》 2003年 Cプリント、リネンテー 101.6×152.4 cm シャファー家蔵 写真提供:ベルビュー美術館、ワシントン