もくじ
第1回感謝の気持ち。 2014-02-05-Wed
第2回生きる、ということ。 2014-02-06-Thu
第3回はたらくとは。 2014-02-07-Fri

第3回 はたらくとは。


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──
岩崎さんの『点滴ポール』の最後に、
「この本作りは
 37歳にして、はじめての『仕事』です」
とあったのが、とても印象的でした。
岩崎
それまで、はたらいたことが、なかったので。
──
どうでしたか、はたらいてみて。
岩崎
やはり、好きな五行歌を書くということでも
「仕事でやる」となると、
いままでとは、ぜんぜんちがうことでした。
──
それは、どんなところが?
岩崎
まず仕事ですから、厳しい面があります。
ナナロク社の担当の村井さんに
いろいろと、アドバイスをいただいたり、
真剣な「打ち合い」をやりました。
──
いわゆる、ダメ出しとかも?
岩崎
ありましたね。詩とか五行歌について
考えたり、悩んだりすることばかりでした。
──
そこでは「プロ」としてのアウトプットを
要求されていたってことですね。
岩崎
だから、全力を尽くしました。
そのぶん「仕事をしている」実感‥‥というか、
充実感を味わうことができました。
ちょっと身体が大変でも、
仕事を優先しなければならないこともあって。

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──
締め切りとかに、追われたりも?
岩崎
しましたね(笑)。
あと、
「なんとしても、答えを出さなきゃならない」
という経験は
「仕事」とか「はたらく」ならでは、ですね。
──
ご自身のブログに
締め切りとかもなく書いていたときとは‥‥。
岩崎
緊張感が、ぜんぜんちがいます。
やっぱり、何かをつくろうと
一生懸命「はたらいている」わけですから、
なんとしてでも、これを‥‥
という気持ちが生まれてくるんです。
──
妥協できないぞ、みたいな。
岩崎
私なりに「いい仕事がしたい」と思って
全力で、取り組みました。
身体の疲れすらも「仕事の実感」でした。
がんばりすぎて、
すこし具合が悪くなっちゃったりしたときも
あったんですけど(笑)、
でも、それだって「仕事のうち」でした。
──
たのしかった、ですか?
岩崎
たのしかったです。
──
「はたらく」とか「仕事」って、
なんなのかなあって、よく考えるんです。
岩崎
そうですね‥‥はじめてはたらいてみて、
思ったのは
「仕事をする」ということは、
「生きる」ってことだな、ということで。

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──
あ、そう思われましたか。
岩崎
だって、そこでは、まさに私は
「生きていることを、している」感じだったから。
つらいことや苦しいこともたくさんあるけど、
たのしくて、幸せなこと‥‥というか。
──
あの、岩崎さんは仙台在住ですけど、
東北の地震のあとに
一時的に「詩が書けなくなってしまった」と
本に書かれてましたよね。
岩崎
ええ。
──
それって、どういう感覚だったんでしょう。
はたらくことが「生きること」だとしたら
岩崎さんにとって
詩が書けなくなってしまうというのは‥‥。
岩崎
あれはもう、絶望的な状況、でした。
──
書けない、というのは。
岩崎
それをふくめた、震災全体の状況が、ですね。
でも私自身は、多くの人のおかげで、
僥倖のように、「生きる」ことができました。
──
そうだったんですか。
岩崎
私、地震で停電すると、困ってしまうんです。
人工呼吸器って電気で動いているから。
──
実際、電気は‥‥?
岩崎
震災当時、マンションに住んでいたんです。
両親やヘルパーさんが、
私のことを、必死に護ってくれたんですが、
やはり、停電が起こりました。
──
ええ。
岩崎
119番に電話をかけたんですけど
地震による影響で
まったく、つながりませんでした。
大変なことになるって思ったんですが
自分では、どうすることもできない。
でも、そのとき、
たまたまマンションのようすを見に来た方が
玄関から声をかけてくれたんです。
──
大丈夫ですか、と?
岩崎
別に救援活動の仕事をしていたわけではない、
ふつうの、一般の方だったんですが
人工呼吸器に電気が必要だという事情を
お話ししたら、
外に、救急車を探しに行ってくれたんです。
──
その人が?
岩崎
そう。
──
震災直後に救急車って、見つかるものですか?
岩崎
もう、本当に、ものすごく、
走り回ってくださったんだろうと思います。
どこでどうやって見つけてくださったのか
わからないんですが、
何時間かあとに、連れてきてくださった。
──
すごい。
岩崎
だから、その方のおかげで、助かりました。
緊急時のバッテリーが切れる前に
救急車で電源確保することができたんです。
──
本当に、奇跡的というか。
岩崎
その方の家族や知り合いだって、
少なからず、大変な状況だったと思います。
でも、目の前の私を、助けてくれたんです。

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──
まさに命の恩人ですね。
岩崎
私自身は、そうやって助けていただきました。
でも、今度は、地震の被害の全体状況が
わかってくるにつれて
心を「暗黒のかぎ爪」で掴まれてしまいました。
歌を詠むなんてできなくなりました。怖くて。
──
怖いというのは、具体的には‥‥。
岩崎
震災に、自分の言葉で触れるのが、怖くて。
──
なるほど。
岩崎
それからひと月、歌を詠みませんでした。
そうしているうちに、
詩を通して出会った、東京に住む友だちが
訪ねてきてくれたんです。
そして、私が歌を書いてないって知ると
「今こそ歌を書くときだ」って、
「今書かないで、いつ書くんだ?」って、
そう、言ってくれたんです。
そして、その言葉を聞いたら
なぜだか、
こわばっていた心が解けていったんです。
──
また、書けるようになった?
岩崎
ひとつの大きなきっかけに、なりました。
──
はじめは、どのような詩を?
岩崎
そうは言っても、葛藤は続いていたんです。
ですから、いちばん最初に詠んだのは
「もう言葉が出ない、書けない」
という状況自体を歌ったものになりました。
──
なるほど。
岩崎
でも、それから徐々に
自分自身が感じたことや、体験したことを
書けるようになっていったんです。
──
その、「書け」と言った人もすごいですね。
あの地震の揺れを体験した人に対して、
簡単には言えないと思うんです。
強い信頼とか覚悟がなかったら、簡単には。
岩崎
ですから、
はたらくことが「生きること」だとすれば
「今書かないで、いつ書くんだ?」って
言ってくれた友人は
もうひとりの、命の恩人なんだと思います。
──
いまのお話を聞いていたら
「はたらく」というのは「希望」ということに
とても関係しているように感じました。
岩崎
そうですね、たぶん「希望」というのは
「これからも、生きていくんだ」
という気持ちのことだと、思うので。
──
なるほど。
岩崎
きっと「はたらく」には
「自分自身の足で歩いていくこと」が必要で、
そしてそれは
「生きるたのしさ」そのものだろうなあって、
そんなふうに、思います。
──
でも‥‥そうは言っても、
ついつい「怠け心」が出ちゃうなんてことも
あったりします‥‥か? 
岩崎さんも、僕らみたいに。
岩崎
もちろん、ありますよ。
──
そこをふくめて「はたらく」ですものね。
‥‥と、怠惰な自分を
正当化するわけじゃないんですけど(笑)。
岩崎
(笑)

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<おわります>