これまでのこと、ブタフィーヌさんのこと。

第4回  たかしまさん、Macを買う。

── 空手部のつらい経験を経て、
社会人になったらヨットをやってみたり、
テニスやってみたりして、
3年間を過ごしたんですね。
たかしま たのしい会社生活を。
── 3年目になにがあったんですか?
たかしま その3年目の年、毎日のように
終電で疲れて帰るとき、吊革につまかって、
「疲れたー」と思ってつり広告を見たんです。
それが、たぶんデザイン学校の
つり広告かなにかで、
そこにデザイナーとか、
イラストレーターとか、
そういう、文字が載ってたんですよ。
これまで、全然話には
出て来なかったですけど、
ずっと、絵が好きで、
落書きみたいな絵なんですけど、
ずっと描いてたんですね。
ちょこちょこちょこちょこ。
絵を描いてるときって、
すごいたのしいなと思ってて、
お金なくなっちゃって、お腹すいたときも、
一番の紛らわし方は、
絵を描いてることだったんですよ。
── それは、習ったわけじゃなくてただ描く。
たかしま ただ描いてました。
習ってなかったですね。
一応高校のときに、
選択科目で美術をとっていましたが
ちゃんと習ったっていうことはなくて、
職業にしたりする意識は
まったくなかったんですよね。
絵は、自分にとっては、
自然にあるものだっていう
感じだったんですよ。
ひまがあったら絵を描くっていう感じの
付き合い方だったんです。
それが、そのつり広告で初めて
「イラストレーター」
っていうのを意識したんですね。
もちろん言葉は、
たぶん知ってたと思うんですけど、
初めてこう、イラストを描く、
イラストレーターっていう仕事が
世の中にはあるっていうのを、
そこで意識して。
そしたら、なんとなく、こう、
ザワザワというか。
── ザワザワしてきて。
たかしま いろいろ、調べたくなっちゃって、
本屋さん行って、
イラストレーターについての
本を読んだりとかしてるうちに、
仕事にしてみたいっていうふうに
思うようになりました。
── そのつり広告を見たのは
いくつぐらいなんですか?
たかしま 24歳で卒業、就職したから、
26、27歳ですね。
── まだまだ可能性がある、
若い時期ですよね。
たかしま 実際2、3年じゃ会社の仕事も
ひよっこ状態だったんで、
右も左もわからないみたいな、
ふわふわした状態ではあったんですけど、
そのときは、すごく強く
「なってみたい」っていうふうに、唐突に
「わぁー」って盛りあがっちゃって。
それで、そしたら今度は、
どうすればなれるかっていうのを考えて、
とりあえずは東京だろう、と。
── イラストレーター、イコール、東京?
たかしま なんとなく東京なのかなと思って
で、東京にいる友人に頼って、
東京に部屋をまず借りたんです。
東京にいればなんとかなるだろう、みたいな。
── 会社を辞めて?
たかしま 有給が貯まりまくってたんで、
まず1週間使わせてもらって、
友達んちに行きましたね。
東京に行くときの新幹線で
手持ち無沙汰なので、
なにか買おうと思って雑誌を
なにしようかなって見てたときに、
当時、そのイラストレーターになるにあたって、
コンピュータ使えた方が
いいんじゃないかと思って、
Macを買ったんですね。
Macの使い方を勉強しようと思って
MacFanって雑誌をキオスクで買ったんですよ。
それを、新幹線で読んでたら、
最後のページにスタッフ募集って書いてあって
そこに、編集者ライター、イラストレーター
ってあったんですよ。
あれ? っと思って、
電話してみようと思って
友達に家に寄ったときに、電話借りて、
電話してみたら「じゃあ、面接来てください」
っていうふうに言われたんで、すぐ、
「じゃあ、明日うかがいます」って言って。
友達も当時Macを買ったばっかりだったんですよ。
── 機種は。
たかしま ぼくが買ったのは、
Power Macintosh 6100でした。
── ピザボックス。
たかしま ピザボックス。
かわいいやつですよね。
── それが、Macデビューですね。
たかしま ちょうどMacFanも、パワーPC登場、
みたいなので、盛り上がってて。
仕事ではUNIXだったんですよ。
でも、普段社員ひとりひとりもらえる端末は
MS-DOSでした。
── でもイラストレーターになることを
考え出したら、Macっていう選択に。
たかしま そうです。そしたら
翌日の面接に、
「作品あったら持ってきてください」
みたいなことを言われて、
わかりましたって言ったんですけど、
なんにもないんで、友達も持ってたMacを借りて
キッドピクスっていう
コドモ向けのソフトで
しまうまを描いて、
翌日持って行ったんですよ。
2008-12-11-THU
(つづきます!)
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