横尾、細野、糸井、3人が集まった日。
第2回
横尾さんは、YMOになりそこねた。
細野
当時、冨田勲さんが
「月の光」という名盤を作りまして。
糸井
冨田さんは、シンセサイザーの大御所というか
元祖みたいな方ですね。
細野
もうすばらしいアルバムで、
コンピューターでこんなことができるんだ、と
ぼくは驚きました。
訊いてみたところ、
ドの音が36という数字だったりするし、
長さも強さもすべて数字で打ち込んでいくらしい。
ぼくはすごく興味をおぼえていました。
一方、そのインドの旅に、じつは横尾さんは
アルバムの制作の仕事をもっていったんです。
糸井
そのインドの旅で、
本来は横尾さんが
音楽を作る必要があったんですね。
細野
ええ。
それで、とにかく、ぼくがやみくもに
コンピューターで打ちまくってできたのが、
「COCHIN MOON(コチンの月)」
というアルバムです。
当時、横尾さんは、ときどきスタジオに来ては
「これ、こうならないの?」
「ここはなんか男っぽすぎる」
とか、いろんなことを言うんですよ。
糸井
小うるさいわけですね(笑)。
細野
小うるさいんです。
でね‥‥、
横尾
「小うるさい」っていうところだけ聞こえたよ。
会場
(笑)
細野
小うるさいんですが、
横尾さんは別に、厳しいわけじゃないんですよ。
糸井
うん、いつも厳しいわけじゃないね(笑)、
何か言いたいんです。
細野
そうそう、言いたいんです。
それで、なんとか「COCHIN MOON」を作りあげて、
その後YMOの構想ができました。
で、さきほど言ったようにメンバーが集まってきて、
「Firecracker」という曲を
最初にレコーディングしたんです。
糸井
コピ、コピ、コピ、コピっていう。
細野
ぼくたちロック世代にとって、あのときは
音楽がコンピューターに移る変革期です。
そういうときに、
「コンセプトをどうしようか」ということになり、
「そうだ、横尾さんがいるじゃないか」
と思いつきました。
糸井
バンドなのに。
それ、すごいですね。
細野
そう。音楽のメンバーじゃなくて、
第4のメンバーとして横尾さんがいれば、
いろんなことができると思いました。
でも、そのお手本はすでにいたんですけどね。
糸井
絵描きさんの入っているグループが
ほかにいたんですか?
細野
絵描きさんじゃなくて、詩人とかね。
プロコル・ハルムというバンドもそう。
糸井
プロコル・ハルムには詩人がいたんですか?
細野
そうです。準メンバーですけどね。
その詩人のオーラがすごくバンドに影響してる、
そういう存在だったんです。
だから、横尾さんもそうなるんじゃないかな、と思って
打診したら「やるよ」と。
糸井
「やるよ」と?
細野
言ってくれたんですよね。
横尾
ミュージシャンじゃない人間が
グループの一員として入るのは、
おもしろいなと思ったの。ただそれだけです。
細野
まぁ、こっちもそうですよ。
おもしろいなと思って。
横尾
でも、ちゃんとした、
正式な依頼を受けてないわけ。
糸井
ま、バンドなんて、そんなもんですよ。
細野
はい、そうです。
横尾
電話で、ただ、
「テクノカットにしてタキシードを用意してほしい」
と言われただけです。
細野
そうです。
糸井
ははぁ、テクノカットってのは
決まってたんですね。
細野
テクノカット、大事だったんですよ。
横尾
タキシードは高橋幸宏さんに頼んで、作ってもらった。
で、「テクノカットにしろ」って言うから、
テクノカットにしたの。
糸井
したんだ。
横尾
電話で細野さんに
「ぼく、テクノカット、もうやっちゃったよ」
と伝えたら、
「えっ? ほんとうにやっちゃったの?」
って言うわけよ。
細野
そのときぼくは
テクノカットにしてなかったんです。
まだロングヘアでした。
横尾
だから、
「これ、ほんとうにグループを
作る気があるかどうなのか?」
「ちょっと怪しいなぁ」
と思いはじめました。
糸井
横尾さんはどんどん先走ったんですね。
横尾
ぼくはね、だいたい形から入るから。
まず形。中身はどうでもいい。
あとで中身はついてくる。
細野
それで、こっちのほうは、
もうはじまっちゃいそうだし、
レコード会社も、記者発表をやると言い出したんです。
糸井
あ、そこからは、
レコード会社が仕切ってるんですね。
記者発表なんて、
細野さんは思いつかないだろうから。
細野
ぜんぜん、考えもつかなかったことですよ。
糸井
そのわりに、細野さんは
最初からYMOで
世界制覇を考えてたんですよね。
細野
野望はありましたよ。
糸井
記者会見は思いつかないけど、
世界制覇は思いついてるというのが
細野さんのすごいところです。
細野
(笑)、破たんしてるんですよ。
YMOが少数派だという認識はしていたんですが、
世界中に少数派はいます。
世界の人たちも少数派の仲間です。
そういう意味で、世界制覇と思っていたんです。
糸井
すごいよなぁ、
それが、ああいうスケールの
ワールドツアーになったんだもん。
細野
それで、その最初の記者発表には、
メンバーですから、当然、
横尾さんもいらっしゃる予定だったんですよ。
ところが、来なかったんです。
糸井
記者会見に来なかった?
横尾
ええ。
記者会見はね、
いまじゃ日にちは覚えてないけど、
4時からだったんですよ。
会場
(笑)
横尾
その日は、
なんの仕事だったか思い出せないけれども
締切に追われててね、
その日にしあげなきゃいけないようなことを
してたんですよ。
糸井
はい、はい。
横尾
もう4時だ、なんて思ってさ、
タキシード用意してるんで、
テクノカットできてるんで。
糸井
わははは。
横尾
そのときの編集者が、
新聞だったか週刊誌だったか、しつこくて、
「時間までに終わらなきゃ、私はクビになります」
みたいな、脅しみたいなことを言うわけです。
糸井
泣き落としですね。
横尾
だんだん時間が迫ってきて、
「いまから行って間に合うかどうか」
というところまで来た。
それで、もうこれは間に合わない、
という時間になったときに
ぼくはもう「やめ」って決めたんですよ。
糸井
運命の分かれ道ですね。
横尾
うん。
記者会見にぼくが現れてはじめて、
YMOが4人組ということが
紹介されるわけじゃないですか。
細野
そうですね。
横尾
でも、ぼくが行かなきゃ
3人組になってるわけでしょ?
会場
(笑)
横尾
どちらにしても、ぼくは
付け足しだと思われてるわけよ。
音楽やるわけじゃないんだからね。
だから、これはもう出席しなくてもいいや、と思って。
細野
勝手に決めちゃってね。
糸井
連絡はなかったんですか?
細野
ないない。待ってたわけですから。
横尾
あとから行くのはかっこ悪いし、
行かなかった。
そうしたらテクノカットまで、
憎らしくなっちゃって、
グチャグチャ!
糸井
グチャグチャにしちゃって(笑)。
横尾
タキシードはそれから何十年も着てないよ。

(つづきます)
2016-11-28-MON