「イノチダモン」と「たいようをすいこむモン」
――
「マッテルモン」の次は
どんな門をつくられたんですか?
荒井
「マッテルモン」とほぼ同時に
つくったものなんですけど、
大分県の「高崎山おさる館前芝生広場」にも
「たいようをすいこむモン」という
門のオブジェを設置しました。
――
「たいようをすいこむモン」。
これもまた、かわいい名前ですね。
荒井
でも、当初は
「イノチダモン」という門を
つくりたいと思っていたんです。

――
「イノチダモン」というと、
荒井さんの描かれた
同じ名前の絵本を読んだんですけど、
ここに描かれている門のことですか?
絵本『イノチダモン』。
荒井
そうです。
――
(絵本をひらいて)
絵本のなかでは、赤ちゃんの体と前足部分を
「門」に見立てていますよね。
絵本『イノチダモン』より。
荒井
うん、そうそうそう。
この絵は、赤ちゃんのようでもあるし、
尻尾の生えた爬虫類のようでもある。
とくに定義はしていないんですけどね。
――
びっくりしました。
荒井さんから見ると、
こういう身体の一部分でさえ
「門」になるんだなぁって。
荒井
うん。「くぐることができるもの」であれば
「門」と言ってもいいんじゃないかと思って(笑)。
――
なかなか思いつかない発想だと思います。
荒井
しかも、これを設置しようとしていた場所は
猿を放し飼いにしている公園で、
近くには水族館も海もある。
海なんか、生きものの宝庫なわけでしょ。
「これは命に関わることを、
 モチーフにするべきだな」と思ったんです。
人間って、もともと海から出て進化して、
1億年くらいかかって人間になるんだけど、
その進化の疑似体験を、人間の赤ちゃんは、
たった十月十日(とつきとおか)で
お母さんのお腹のなかでやってのける。
それって、考えるとすごいなぁって。
人間にかぎらず、生きものの
「命」がうまれる瞬間、
それはまさに門をくぐるようなものだから、
「イノチダモン」というのはどうだろうって‥‥。
――
あぁ‥‥。
納得できます、なんだか。
荒井
それで、オブジェのための
スケッチを描いていたんですけど、
「これ、相当お金かかりますよ」と
言われてしまって、
やむなくアイディアを
変更せざるを得なくなったんです。
まぁでも、それはそれでしょうがない。
それで「イノチダモン」のほうは
絵本になって、実際のオブジェは
「たいようをすいこむモン」になったんです。
――
「たいようをすいこむモン」のほうには
どんなメッセージが
こめられているんですか?
荒井
「たいようをすいこむモン」も
ギャグみたいな門だけど(笑)、
太陽の光って、すごく重要ですよね。
植物だって、虫だって、人間だって、
太陽がなければ生きていけない。
だから、みんなに
「太陽からエネルギーをいっぱいもらってほしい」
という意味をこめてつくったんです。
太陽の力には計り知れないものがあるし、
極端なことを言うと、人間は、
太陽を見て、口を開けとくだけでも
いいのかなと思う。
「たいようをすいこむモン」
――
たしかに、太陽を浴びてると、
心も真っ直ぐに育つ気がしますね。
荒井
そうそう。まぁ、オブジェを見た人からは
「なんだ、ただの浮き輪じゃねぇか」なんて
言われちゃいそうだけど(笑)。
――
「マッテルモン」と
「たいようをすいこむモン」の
2つの「門」をつくられたのをきっかけに、
荒井さんの中でテーマがだんだん
「門」になっていったんでしょうか。
「マッテルモン」と同時に製作をすすめているところ。
荒井
そうですね。
そのときは、目の前の門をつくるのに
必死だったけど、
「『門』をいろんな場所に設置したら、
 おもしろいだろうなぁ」というのは、
つくってるときから、ちょっと思ってました。
――
いろんなところに、門を。
荒井
門があると、みんなくぐりたがるんです。
それがおもしろいと思ったのと、
「くぐるだけで、願いが叶う」
というものがあったら、楽しいなぁと思って。
それと、俺、門というのは、
あえてつくらなくても
自然のなかに存在しているとも思うんです。
自然に林立してる木と木の間、
それも門になってるんじゃないかなぁ、と。
――
そう言われると、たしかに
これから見る木々が、
「門」に見えてきそうです。
荒井
だって、鳥居もそうだけど、
「門」は、2本の木を見て
「この木とこの木が大事な木」と決めたところから
はじまったという説もあるんです。
――
「この木とこの木が大事な木」?
荒井
そう、昔の人は2つの木を選んで、
ここからは結界で、ここから向こうは
「神の住む世界」というふうに定義した。
そこに縄を張ることになって、
どんどん、いまの鳥居のような形に
変化していった‥‥という説があって。
だから、門をくぐるのって
簡単なことなんだけど、
くぐるという行為が
原始的な、「儀式」みたいなものを
兼ね備えているのかなぁって‥‥。
なんとなく厳かな気持ちになるし。
――
はい。ちょっと清められる感じがします。
鳥居をくぐるとき、一礼するのも、
「ここからちょっと
 聖域に入らせてもらいますよ」という、
挨拶のような気もしますし。
荒井
そう、だから
願いをあえて思い浮かべるのではなく、
くぐるだけでも充分なんじゃないかな
とも思うんです。
だって、人間は口にしなくても、
すでに願いごとや欲がいっぱい詰まってるもの。
――
荒井さんのつくるものって、
「マッテルモン」とか、
「イノチダモン」とか、
ネーミングがすごくかわいいのに、
いろんな思いが込められているので、
そこが、すごくおもしろいです。
荒井
いい加減につくってるようで、意外にね(笑)。
単なる言葉遊びで付けたネーミングでも、
やっぱり自分で責任を持たなきゃならない部分があるし、
その言葉を解体していくと、
いろんなことが少しずつわかってくる。
でも、なにかの専門家になろうと思って
やってるわけじゃなくて、
「あ、そうか」って、
自分がただ驚きたいだけなんです。
(つづきます)

2014-09-18-THU

取材協力:東北芸術工科大学美術館大学センター事務局
大分県のオブジェ写真提供:NPO法人大分ウォーターフロント研究会/NPO法人BEPPU PROJECT