1 全方位的な思想

フーコーって何なんだっていうのはおかしいですけど、どういう意味があるのかっていうことになるわけですけど、これは人によってさまざまな、つまり、歴史家は歴史家なりに、歴史家としてのフーコー、あるいは、歴史の方法としてのフーコーみたいなものを取り上げますし、取り出しますし、人によってさまざま、取り出す場所が違うんですけど、ぼくらが、フーコーっていうのは、意味があるなって最初に思ったのは、この人の方法は、マルクス主義的な方法と、まったく違った方法で、権力の問題とか、国家の問題とかを含めまして、まったく違った方法で、この人の方法を巧みにっていうか、うまく使えば、大なり小なり、いまの思想っていうのは、マルクス主義から枝葉が出たものであるか、あるいは、マルクス主義の崩壊の過程で出てきている考え方とか、さまざまな意味合いで、マルクス主義っていう大きな枠組みの外には、なかなか出られないっていうのが、実情だっていうふうに思いますけども。
フーコーを、ぼくが、最初にあれしたのは、『言葉と無』っていう著書なんですけど、それを読んだときに驚いたのは、ようするに、マルクス主義、あるいは、マルクスの考え方っていうのと、まったく違うっていいますか、関係ないっていいますか、その枠組みの中にない方法でもって、マルクス主義が適用しようとしたあらゆる分野に対して適応できるっていう、まったく独立した方法だっていうふうに思えたところが、びっくりしたところで、ぼくが、フーコーっていうのは何なんだっていうこと、あるいは、何であったのかっていうことを言おうとすれば、結局そこになっていく、つまり、マルクス主義の枠外の方法でもって、つまり、そこに入ってこない方法でもって、マルクス主義が適用している、あるいは、提起している、あらゆる分野の問題点に対して適用できるっていいましょうか、突っ込んでいけるっていう、そういうまったく別の方法だっていうことで、びっくりしたわけです。ぼくは、そこが、フーコーのもっている意味だろうっていうふうに思っているわけです。
だから、言葉でいいますと、つまり、マルクスの思想っていうのは、19世紀における知識、あるいは、知恵といいましょうか、知恵が展開される分野でいえば、分野の分布でいえば、マルクスの思想、もちろん、マルクス主義もそうですけど、19世紀的な知識、あるいは、思想の分布の中に、すっぽりとはまり込んでしまうんだっていう言い方をしていますけど、その言い方もまた、非常に新鮮でっていいますか、びっくりしたところで、つまり、その手のことをはっきりと言いきる思想っていうのはなくて、大なり小なり、みんな、マルクス、あるいは、マルクス主義の、その尾を、別れて分散していって、あるいは、修正していってっていう思想が、現代思想の主流を占めているので、それに対して、まったく別の場所に立って、別の場所に立っている思想とか、方法とかっていうのは、たくさんあるわけですけど、たいていの方法っていうのは、たとえば、マルクス主義が提起するきわどい問題、国家論であるとか、権力論であるとかっていうことには、ぜんぜん適用できないわけです。
だけど、フーコーの方法っていうのは、それは、適用できますし、また、自分でもやっていたりします。ですから、それはぼくが、いまも、総合的に、マルクス、あるいは、マルクス主義が突っ込んでいけるあらゆる分野に、同じように突っ込んでいける方法として、あるいは、総合的な方法としては、やっぱり、最後の人だろうなっていうのが、ぼくらが、よくわからないんですけど、遠くから見てての考えだっていうことになります。
ですから、それ以降の思想っていうのは、全部、そういう意味合いでいえば、みんな断片で、破片であるって言ったらいいくらいに、破片になっちゃってるってことです。つまり、ある分野については、専門であるけど、よく突っ込んであるけど、全般的な分野には及ばないし、まして、マルクス主義が提起しているきわどい問題っていいましょうか、国家論とか、権力論とか、そういう問題については、まったく適用できないとか、あるいは、それには適用できるんだけど、ごく一般的な社会現象、歴史現象っていうものについては適用できないとか、いずれにせよ、それ以降の現代思想っていうのは、かけらであるっていうふうに言えば、いちばんいいと思いますけど、ある意味で、みんな、かけらであって、総合的に、どの分野であっても、現代が提起する問題に対して、適応するできる方法は、それ以降はないっていうふうに、言うことができると思います。
逆にいえば、依然として、いまでもマルクスの方法、あるいは、マルクス主義の方法が、ある程度の有効性をもっているように見えているのは、そのためだと思います。つまり、そういう意味合いで、フーコーっていうのは、最後の、そういう言い方をすると、全方位的に対応できる思想の、最後のものだっていうことができるんじゃないかっていうふうに思います。

2 ヘーゲル・マルクスの国家の考え方

前、ぼく、ヘーゲルのことを、国家論を中心にして、お話したので、その続きって言うのはおかしいけれど、それと接続できたほうがわかりやすいし、お話としても、筋が通ると思いますから、どういうふうにしたら、ヘーゲル、あるいは、マルクスの方法と接続できるかっていいましょうか、接続点って言っても、断絶点って言ってもいいですけど、その連結する境界線っていうのが、どこで見つけられるかってことからはじめてみますと、まず、ヘーゲル・マルクスの国家論っていうのが、この前、話題にのぼったと思うんですけど、ヘーゲル・マルクスの国家論っていうのの、いちばんの特徴はなにかっていいますと、国家っていうものと、社会っていうものとを、重なり合いっていうのを、分離して考えるべきだっていう考え方を、はじめてとったっていうことは、ぼくなんかには、いちばん特徴のように思います。
つまり、国家っていうのは、幻想の共同体であって、それは、市民社会の上に、法律やなんかを介して、制度的に、上にかぶさっているように見えますけど、ほんとうを言えば、国家は国家であり、市民社会は社会である。われわれは二重生活をしていて、ようするに、市民社会のなかで、日常生活を営んで、職業をもって営んで、生活したり、行動したりしているわけですけど、それは、上のほうに、制度としての国家っていうのがあって、そこで、ある意味合いで、そこからの規制を受けたり、制約を受けたり、また、ある面では、国家をはみ出して、市民社会っていうのは存在しているわけです。
つまり、そういうイメージを最初に、ヘーゲル・マルクス系統の国家論がつくったと思います。それは、非常に重要な考え方であって、マルクスなんかの考え方を、もっと極端にいいますと、われわれが日常、生活したり、行動したりしている市民社会っていうのは、ようするに、国家よりも、すこしはみ出す、つまり、国家より大きいものなんだっていうことを、はじめて言ったと思いますけども、つまり、それは、ぜんぜん別に扱えるんだし、扱うべきなんだっていうことを、はじめに打ち出してきたっていうのが、やっぱり、ヘーゲルからはじまって、その影響を受けたマルクスみたいな人たちの考え方はそうだと思います。
で、国家が市民社会に規制を及ぼす場合には、たとえば、法律なら法律っていうのを介して、規制を及ぼすわけです。それから、また、職業的にっていうのはおかしいですけど、職制的、職域的に、国家が市民社会に対して、影響を及ぼしている分野もあるわけです。
たとえば、非常に簡単に考えて、郵便局でもいいです、郵便っていうのは、あれは、国家が経営している郵便局なんていうのは、国家が経営していて、市民社会の生活の真っただ中に存在しているわけで、はがきを売ったり、買ったり、貯金をしたり、おろしたりしているわけです。それは、国家が経営しているわけです。
そのように、ある種の経営体っていうのは、国家が市民社会のなかに、出店を持っていて、それでやってる、そういう分野もないことはないです。あるわけです。そういう意味で国家が市民社会のなかに入っている部分もあります。
それからあとは、だいたい、法律を介して、これこれこういうことをしたら、3か月以上の懲役だとか、何十万円以上の罰金だとかいうような、そういう法律を設けて、市民社会の生活に影響を及ぼしているし、また、規制したりしているわけです。
つまり、国家のやりかたっていうのは、そういう法律を介して、市民社会を規制するか、じゃなければ、国家の経営する経営体を、市民社会のなかに設けて、そこで、ふつうの経営体、企業体と同じように、取引きをしているっていう、そういうふたつのやりかたで、国家は市民社会に関与しているっていいますか、関係をつけていることが言えるわけです。
いわゆる、社会主義国家なるものがありますけど、たとえば、中国なら中国とか、北朝鮮とかってありますけど、そういう場合には、国家が100%、市民社会を規制しているっていうふうに言えば、いちばんはっきりしたイメージが湧くわけです。
それじゃあ、日本とか、アメリカとか、いわゆる資本主義国家っていいましょうか、そういうふうに言われているものはどうなのかっていうと、国によって違うと思いますけど、だいたい20%とか、30%くらい、法律でもって、国家が市民社会に対して、いろいろ、これこれすべからずとか、これこれすべしとか、そういう規定でもって、干渉しているっていうふうに考えるといいと思います。
その違いは、100%国家が市民社会を規制しているか、それじゃなきゃ、30%しか規制していないかっていう、そういう違いに過ぎないっていえば、違いに過ぎないっていうふうに言うことができると思います。

3 アジア的な国家の考え方

その規制の仕方をして、はじめて国家っていうのは、われわれが日常生活をしている市民社会と関係をもっているんだってことが言えるわけです。その考え方っていうのは、いまでいえば、ほぼ常識に近い考え方になっているわけですけど、いまでもそういうふうに考えていない人たちもいるわけです。
たとえば、いまニュース番組になっているオウム真理教が考える国家っていうのは、そういうふうに考えていないと思います。つまり、100%市民社会を規制しているっていうんじゃなくて、生活している社会も全部すっぽりとはまってしまうと、含んでしまうし、また、それをもっといえば、そのなかに住んでいる人たちの心の中まで、すっぽり包んじゃっているものを、国家だっていうふうに考えていると思います。
それは、いってみると、東洋流のっていいますか、アジア的な国家の考え方っていうのは、大なり小なりそうだと思います。日本でもっていいますか、われわれ、ぼくらでも、青年時代から第二次大戦、あるいは、太平洋戦争中までは、国家っていうのは、そういうものだって考えて、そういうイメージをもっていました。
つまり、社会生活をしている、そういう人たちとか、そういう生活の場面とか、職場の場面とか、あるいは、農業でいえば土地とか、そういうのも全部ひっくるめて、漠然と、日本国家っていうと、それを全部ひっくるめたものを、だいたいイメージしていたっていうふうに思います。それは、東洋流の国家の考え方だと思います。
ですから、その頃、ぼくらはそうでもないけど、ぼくらの父親とか、父親の父親くらいの代までの人だったら、土地は国家のものとか、国家って言わなきゃ天皇です。神個一人のものだとか、土地っていうのは、誰それのものじゃなくて、神個一人のものだっていうふうな言い方で、全部そこで、国家に包括されてしまって、自分では私有している土地の証書とか、そういうものは持ってるんだけど、ほんとうは、心の中では、自分のものだって思っていないわけです。国家から与えられたものだぐらいに考えているっていうのが、それまでの一般的な考え、いまでもそういう考え方だって思います。
それから、もっと極端な人は、国民っていいますか、社会に住んでいる、日本国だったら日本人ですけど、日本人っていうのも、それは天皇陛下の子どもでとか、国家の子どもでとか、そういう人間までぜんぶ含めて、それは、国家のものとか、あるいは、国家を支配する人のものっていうふうに、そういうふうに考えていたっていうのが、そういうふうに感じていたっていうのが、一般的だったわけです。
それが、戦後のさまざまな変革のなかで、日本における国家の考え方っていうのも変わってきて、現代では、ヘーゲル・マルクス流の国家っていうのと、市民社会とは違うんだよっていう、国家は法律みたいのを介して、市民社会に干渉している、そういう存在なんだよ、だから、国家っていうのは、政府っていうのに、ほぼ等しい意味合いで、ぼくらはそういうふうに使っていると思います。
つまり、それは、いちばんわかりやすいのは、たとえば、公害裁判みたいなのがあって、それで、国家を相手取って、公害病の生涯の補償を認める為に、国家を相手取って、裁判を提起するとか、訴訟を起こすっていうような言い方の場合も、その国家っていうのと、ほぼ等しい意味合いで、国家っていう言葉を使っているっていうのが、いまのぼくらの使い方だと思います。
でも、心情まで含めていうと、そこまでなかなか東洋の人は、なかなかそこまで徹底できないで、理屈ではそうなんだけど、やることは、なんとなく市民社会に生活している、生活のやりかたそのものも、国家の中に包括して、漠然と考えているっていうなのが、そこまで心情的な心のところまでいえば、そういうことになっていると思います。
それは、また、いま現在の、ニュース番組になっているオウム真理教みたいな事件が起こると、テレビとか報道機関なんかに出てくる、自分ではインテリだって、知識人だって思っている、そういう連中が記事を書いたりなんかしても、ようするに、全部、ぼくらが見てると、国家の機関のひとつである警察がそうですけど、警察がめちゃくちゃな捜査方法をしても、それはいいんだ、いいんだって、それは前提として発言してるっていう発言しか、皆目存在しないっていうふうになっています。
それは、なぜかっていうと、国家っていうのを、国民をぜんぶ包括している存在のように、解釈しているからだと思います。そういう解釈を心情的には、心の問題としては、逃れられていないからだと思います。それはやっぱり、現在の日本人の実情だと思います。
でも、頭では、そうじゃなくて、国家っていうのは、上のほうにあって、われわれの生活を、社会を、規制しているけど、それは、生活社会、つまり、市民社会と国家とは違うんだよっていう、まったく違うものなんだよっていうような、理屈では、そういうことはわかっているし、言っているような人でも、それから、自分を国際人だと思っているようなインテリでも、やっぱり、それはそうじゃないです。そういうことになってくると、全部、国家の機関がやることは、前提的に、なんでもいいことなんだっていいますか、許すっていうか、それでいいんだっていうふうになっていって、それで、ものごとの判断が起こるっていうのが、現状だと思います。
これは、ぼくらは、非常にびっくりしたことです。たとえば、オウム真理教事件みたいな、サリン事件みたいな、きわどい事件が起こると、そういうことがみんな出てきちゃうわけです。ほんとうは、理屈をこねると、国家っていうのは、社会とは違うさっていうふうに思っているし、言ってる人たちは、そういうきわどい事件が起こると、すぐに心情的に、ぜんぶ国家っていうのは、自分たちのおこないとか、感じ方まで全部、国家っていうのを前提として、肯定して成り立っているんだっていうふうに、思ってしまうってことになってくるわけです。
それは、ほんとうの意味では、東洋的な国家観っていうのを、われわれはまだそんなに逃れられていないってことを意味していると思います。それが、現状だと思います。

4 国家と市民社会

だけど、ようするに、ヘーゲル・マルクス流の考え方っていうのは、それをはっきり分類してしまったわけです。これから、フーコーのところに、なんとか接続しなきゃいけないんですけど(会場笑)、そうすると、ようするに、どういうことが言えるかって、ヘーゲル・マルクス流の考え方を押し進めますと、国家っていうのは、一種の観念のっていうか、幻想のっていうか、そういう観念の共同体として、それ自体の歴史をもっていて、これが、どういう歴史になるかっていうことは、人々が社会生活をやっている市民社会、あるいは、人間社会でもいいですけど、そういう社会のありかたっていうのと、社会のありかたは、社会のありかたとしての歴史をもっていて、国家っていうののありかたは、国家のありかたとしての歴史をもっていて、それは、ほんとを言うと、切り離して考えることができるんだっていう考えを極度に進めますと、そういう考え方が成り立つことになります。
ぼくらは、そういう考え方をもっています。つまり、国家と、われわれが生活している生活社会、あるいは、市民社会っていうものとの関係はどうなっているんだと、それは、ひとつの幅があると、その幅の一方の極端をいいますと、国家と市民社会とは、まったく関係ないっていうのが、一方の極端であって、一方の極端は、やっぱり国家がこうだと、市民社会もこうだよっていうふうに、国家と市民社会が、密接な関係をもって、それぞれの歴史を歩んでいるっていうような、それをもう一方の極端としますと、ふたつの両極の間に、国家と市民社会の関係が横たわっているっていいますか、存在しているっていうふうに、ぼくらは、そういうふうに理解します。
そうしといて、いってみれば、市民社会のほうが、国家よりも、大きい存在だってふうになっているっていうふうに、そういう意味で理解しています。ですから、極端な場合には、日本の市民社会は、産業としては、高度に発達した資本主義の社会ですから、社会の産業としては、非常に高度に発達した産業をもっているし、それを職業として、みんな従事しているってなっていると、しかし、極端なことをいいますと、そこに、古代さながらの国家っていうのが、その頭の上に乗っかって、それで。市民社会といろんな意味合いで関係したり、規制したりってこともありうるっていうことが、極端な場合に言えると思います。
それから、もっと極端な場合には、また、反対の極で、極端な場合には、国家っていうのはあってもなきより得であって、市民社会の生活、職業、それから、産業っていうようなものが、だいたい全部、ある民族国家を押し進めていく、いちばんの要因であって、国家は、そのあとから、それに都合がいいような国家として、あとからくっついていくっていうようなイメージを持ってもいいわけです。
つまり、産業社会、あるいは、市民社会のほうがどんどん、社会、文明とか、民族国家の枠組みをどんどん進めている要因になっていて、国家はそのあとくっついていくってして、わずかな規制力をもってくっついていくだけっていうような、そういう意味合いでも可能です。つまり、両極のイメージが可能だって、ぼくはそう考えます。それは、いかようでも、両極の間のかたちっていうのは、いつでもとれるっていうふうに考えるのが妥当だって、僕は思っています。
日本っていう国は、どんな国なんだっていうふうに、たとえば、外人から訊ねられた時に、日本は非常に発達した産業をもっていて、それで、発達した職業形態をもっていて、そういう非常に高度な社会なんだっていうふうな答え方っていうのをするとしますと、それは、あっているわけですけど、だけど、忘れちゃいけないことは、その上のほうまで言うならば、憲法によって規定された象徴天皇を上にもった国家機関をもっているっていうふうに言うことも、それを入れないと、日本っていうのはどういう国なんだって言ったことにならないことになります。ほんとは、そうだと思います。
でも、われわれは、日本は高度に発達した資本主義国でっていうふうに、そういうふうに言うと、いちおう済んじゃって、そうかそうかって思うんだけど、もっとほんとうに、全体的に言おうとすると、どうしても、そういう政治国家っていいましょうか、それも言わなきゃならないし、天皇は国民統合の象徴してあるってことも言わないといけない。それもいっしょに言わないと、高度資本主義が発達した社会っていうのと、いっしょに言わないと、日本国っていうのを言ったことにならないことになります。そういうふうになっています。
そういう両極になるわけで、だけれども、いまの現状っていうのはどうかっていったら、つまり、市民社会の経済的中心である産業の発達の仕方が、日本国全体をリードしていくっていうかたちのほうが、著しく前面に出てきている、これは日本国だけではなくて、ほかの、アメリカでも、ヨーロッパでも同じだと思いますけど、つまり、産業社会の発達度っていうのが、先へ行っちゃってて、国家はそのあとからくっついていくっていうかたちになっていくのが、ますます現状だと思います。
ですから、国家は、上のほうの国家としての規制力を発揮して、枠組みをちゃんとつくりたいと思っているかもしれないけど、産業自体は、世界性をもっていますから、国境でどうだってことじゃなくて、自由に、いわゆる多国籍産業みたいに、自由に世界中を、商品も跳ね回りますし、お金も、元気のあるところに、どこの国へでも集中していっちゃうっていうような、そういうふうに産業分野だけみれば、だいたい国家の枠組みは、外れそうになっていて、産業の世界性っていうのは、どんどん発達していってるっていうのが、現状だと思いますけど、国家はそれに対して、なんとかして、国家という枠組みをもちたいっていうふうに思っていて、それも、国際的競り合いみたいなのが、たとえば、日米貿易摩擦のようなかたちで出てくるわけです。
国家なんてなくて、産業だけあって、つまり、市民社会みたいなのだけあるとすれば、何の規制も、摩擦もいらないので、産業の赴くままに、交通すればいいわけですけど、国家の観念は発達していないものですから、国境を開くってこととか、国家を開くって方法をとらないものだから、それはやっぱり、国家単位で、自分の地域の産業を有利にしたいってことがはたらいて、摩擦が起こるみたいなことになって、そういう矛盾が相当激しくなっているなってことが、いまの国家と社会っていうものの国際的な状況だっていうふうに思えばいいと思います。

5 国家ができる前、何があったか

フーコーのあれに入っていきますけど、つまり、国家なら国家っていうのは、たとえば、それ自体の歴史を持っているって考えればいいと申しましたけど、その考え方は、ヘーゲルとか、マルクスとかっていう人たちの観点から、どうしても出てくるのです。
そうすると、国家っていうものの以前に、何があったのかっていうと、いろんな言い方ができるんですけど、国家の前には法、法律の法ですけど、法っていうのがあったんだ、で、法っていうのの前に何があったんだ、法っていうのの前には宗教があったんだっていう、そういう歴史的な経路をたどっていきますと、そういう一種の発展の経路の分岐点になる概念っていいますか、考え方が成り立ちます。
つまり、国家が国家として成立しない以前には、何があったんだろうか、つまり、国家の歴史をたどるとして、その以前には、何があったんだろうかっていえば、それは、法があって、それが国家の代わりをしてたっていうふうに言うことができると思います。
その場合の法っていうのは、たとえば、むかしの、古代の、村なら村の集団性っていいますか、地域性っていいますか、それは何が規制して、何がそれに対して、関係づけて、枠組みをつくっていたのかっていえば、やっぱり、村の掟が、その代わりをしてたって言うことができます。
つまり、国家が成り立つ以前には、何が国家の代役をしていたかっていうと、それは、やっぱり、掟っていいましょうか、法が代役をしていたんだって考えることができます。人間の集団性っていうののなかで、部族っていう概念がありますけど、部族っていう概念のところまでは、部族っていうのは、いくらたくさん連合して集まっても、部族の集まりっていうことだけでは、掟とか、法とかっていうのは、それを、枠組みをつくったり、生活を規制したりする掟っていうのはあるわけだけれど、それは、国家と違うわけです。国家の代役はしているわけだけど、国家とは違うわけです。
何が違うかっていうと、いちばん違うのは、つまり、国家の条件っていうのがあるわけだけれど、国家の条件っていうのは、ヘーゲル・マルクス流に言えば、それ自体が独立したひとつの枠組みの世界をつくっているかどうかってことが、いちばん大きな、国家になっているか、あるいは、国家以前の、つまり、法律、あるいは、法にしか過ぎないかってことの、いちばんの分かれ道です。
それで、国家が国家として閉じてて、人々が生活している社会とは、別問題なんだっていうことを、いちばんはっきりそれを象徴させるのは何かっていったら、それは、武力です、武装力です。つまり、市民社会とか、村の社会でも、村の共同体でも、ほかの村とケンカしなきゃならないとか、ほかの村から、この村の物を持ってかれるのはやだって言ったら、こん棒でも、弓矢でも持って、武装して、そういうふうにさせないように、ほかの村との争いになったときには、武装して争うみたいなことっていうので、武装っていうのはあるわけですけど、国家っていうのと何が違うかっていうと、国家っていうのは、そういうような、村なら村が生活を守るためとか、自分たちの社会の共同体を守るために、武装力をもって、ほかの村と争うみたいな、そういうやりかたと、国家とは、ぜんぜん別の次元で、閉じられた国家っていうものの、いまの政府って言えば、いちばんいいんですけど、政府が政府として動かせる、政府だけとして動かせる武装力っていうのを、いわゆる村々が、共同体が、ほかの共同体とケンカしたり、争ったときのために持っている武装力とまったく違うように、国家が、自分の武装力を持って、あるいは、支配する長老たちが、そういう武装力を、自分たちで持って、それが、村を守る、自然にできあがった武装力とは違う次元で、そういう権力を、長老たちが持ったっていうふうになったときには、だいたい、国家っていうのが、できる糸口っていうのが、いちばんつくわけなんです。
ようするに、国家は国家として閉じられた、あるいは、村々を治めていた長老会議みたいのがあるとすると、長老会議は、村の人たちがどうであるかってことじゃなくて、自分たちが、こう言えば動かせるような、そういう武装力をつくろうじゃないかっていう話し合いになって、そういうのをつくっちゃって、それは、村の人たちが、隣の村とケンカしたときに、やむをえずつくった、そういう武装勢力とは、まるで次元が違うっていうようなかたちで、そういうのを持ったときには、そういうのが、国家というものの糸口になるわけです。
ですから、それはどういうことかっていうと、ようするに、国家が、法律、あるいは、掟っていうのがあった段階から、それが、ちょっと発達していっちゃうと、それが国家形態になる。国家形態になったいちばんの象徴を、どこで見ればいいかっていったら、村を治めている、首脳とか、長老とかが、自分たちの命令で動くような武装力を持とうじゃないかって、村の人たちがどうしたっていう、そういう武装力とは違うところを持とうじゃないかっていうふうに考えて、そういうのを持ったときが、いちばん閉じられた、村の共同体とは違った、閉じられた首脳部の共同体っていいますか、首脳部の共同体のまとまりができたっていうことを意味します。これがやっぱり、国家の徴候だっていうことになります。
そうすると、村々の掟っていうのは、たちまちのうちに、国家の長老会議っていいますか、長老会議なら長老会議の掟とか、武装力で、ものを言わせるぞみたいな、そういう関係付けとか、命令とか、そういうのに、たちまちのうちに包括されていくっていうことになります。それが、国家のはじめで、ですから、逆にいうと、国家以前の国家と同じ役割は、法律、あるいは、掟っていうものが、それをやっていた役割をしていた。すると、掟っていうもの以前に、掟の代わりをしていたのは何だろうか、それは、宗教であるっていうふうに言うことができます。
それは宗教的に、村のなかに、かならず、神がかりができる人がいまして、神がかりができる人が、神がかりで、神さまの御託宣で、こうせい、ああせいっていうなのを、神がかりになったときに、村の人たちに、それを命令するっていいますか、これは、神の命令であるっていうことで命令する。それは、法律ではないんですけど、やっぱり、法律の代わりに、宗教的な神がかりの御託宣なんですけど、つまり、神さまはこう言ったぞっていうふうな言い方なんですけど、それは、それ自体が、法律の代わりになるっていうふうになります。
そうすると、国家の以前には、やっぱり、法律があり、法律の以前には、それの代わりをしていたのは、やっぱり宗教だっていうことになります。つまり、神がかりの人の御託宣っていうのが、神の言葉として、村々を規制していくとか、村々を支配していくとか、村々に命令していくっていうようなことの代用をします。
そうすると、国家っていうのの、いちばんはじめのかたちっていうのは、法律っていうのから、宗教っていうかたちに、さかのぼっていって、こういうかたちが、国家のかたちの、いちばん古いかたちだろうと、そうすると、国家の歴史っていうのは、そういうふうにして、たどっていけば、国家っていうのは、そういう歴史をたどって、いまの国家になったんだっていうふうに言うことができます。
いまの近代国家以降、あんまり変わり映えがしていないんですけど、近代国家以降にできた、いわば民族国家っていうふうに言われているものなので、現代でも、それは壊れていない、つまり、市民社会の要求のほうから、壊れそうになって、産業経済の要求から、国家の枠組みが壊れそうになってはいますけど、依然として壊れてなくて、日本国は日本国として政府を持ち、アメリカ国はアメリカ国の政府を持ちっていって、国家のかたちを保っております。
それで、それに対して、市民社会っていうのは、その規制をひとりでに破らなきゃ、貿易もできないし、産業も発達しないってなりますから、だから、それを破ろうという勢いっていうのは、産業のほうにはいっぱいあるわけですけど、国家、あるいは、政府でもいいですけど、それはやっぱり、国家の枠組みを守ろう、守ろうっていうふうに、保とう、保とうっていうふうにしてるっていうふうに考えることができます。

6 宗教とは何か

そうすると、いまの言い方からすると、国家以前に法律があり、法律以前に宗教がありっていうふうに、そういうふうに歴史を考えますと、いま宗教あるじゃないかとか、また、これから宗教つくろうなんていう人も出てくるかもしれないですし、それはどうしてなんだってことになります。
つまり、すでに国家のところまで、宗教のかたちっていうのは、人を規制する意味合いとしては、神の言葉から法律の言葉になり、それは、国家の言葉っていうふうになって、あるいは、政府の言葉ってことになって、もう宗教の段階は終わっちゃったじゃないかっていうふうになっているにもかかわらず、現在、宗教はございますし、また、新しく宗教をつくろうなんて人もいるわけですし、それは、新宗教と言ったり、新進宗教と言ったりしてますけど、そういうのはどうしてできるんだってことになるわけです。つまり、これは、日本国は市民社会にかなり高度な産業を発達させて、高度な、そういう社会生活をしているわけですけど、それにもかかわらず、宗教っていうのは、まだあるし、また、出てくるのもあるじゃないのっていうふうに考えることができます。
もうひとつ、それと裏腹なことですけど、理念って言ったらいいんでしょうか、思想と言ったらいいんでしょうか、イデオロギーと言ったらいいんでしょうか、イデオロギーっていうのがあります。つまり、そういう言い方をすると、資本主義のイデオロギーとか、社会主義のイデオロギーとか、社会、あるいは、産業は、資本主義の自由競争でなければいけないっていうようなイデオロギーを持つ人もいますし、社会主義で、ちゃんと貧富の差のない平等な社会でなければいけない、そのためには、国家がそれを規制しなければいけないとかいう考え方の人も、いまもいるわけです。
そうすると、何故に、理念とか、思想とか、つまり、本来的には、社会生活のなかで出てくるはずのものが、どうして、一種の規制するイデオロギーっていうものとして、現在、出てくるかっていうと、このイデオロギー性っていうのは、かならず、宗教的なかたちをとって人を規制する、あるいは、そういう人を規制するってなって出てきます。
本来ならば、イデオロギーっていうのは、宗教性とは関係なく、宗教性とか、党派性っていうのと関係なく出てくるっていうふうになってる、そこまできているはずなんだけど、そうじゃなくて、イデオロギーを持っているやつは、どっかで宗教性を持っています。イデオロギーを宗教的に使おうと思っています。
こうしちゃいけないぞとか、おまえこうしたら悪いぞとか、おまえこういうことで勝手なことを言うのはダメだぞとかいうふうに言う場合の、ダメだぞっていうのは、一種の信念とか、主義とかっていうかたちで、つまり、宗教の形態として、イデオロギーはかならずいます。いまでもそういうふうに出てきます。
だから、それ相当の知識人がイデオロギーを持ちますと、たいていその人のどっかが宗教的です。自分も規制しますし、他人も規制しようとしますし、他人も自分と同じような考えであるべきであるって規制しようとしたり、それから、本当に規制したりします。
そういうふうに、本来は、イデオロギーは社会生活に便利なもの、あるいは、社会生活を自由にさせるために存在すべきものであるにもかかわらず、社会生活が発生したものであるにもかかわらず、イデオロギーっていうのは、いまでも宗教的に出てきます。宗教的なかたちをどっかで出てきます。また、イデオロギーを持った人間っていうのは、どっかが宗教的です。何か信念みたいのを持っていて、信念を持っているのはいっこう構わないんだけど、他人がそのとおりじゃないと気に食わないので、他人を規制するような、自分の信念で規制するっていうようなことをやめないです。やります。つまり、それはイデオロギーを持った人は、かならず宗教的に出てきます。
宗教を持った人は、つまり、宗教だけやっていればいいでしょっていう、つまり、自分の心の中を平安にしたり、平和にしたり、静かに研ぎ澄ましたりってことだけやっていればいいでしょっていうのに、なんかつくってみたり、サリンつくってみたり、武器をつくってみたり、余計なことをするわけです。宗教が社会全体を規制しようみたいな、本来的には、国家、法律、それから、宗教っていうのは、慨していえば、神の共同性みたいなところから、宗教なんていうのは発生していくべきものなのに、現実社会を規定するためのいろんな手段をつくろうとしたり、そういうことを考えたりします。したりするっていうようなかたちで、宗教っていうのは出てきます。そうじゃなければ、お寺でお葬式をしているか、観光でお金を取ったりとか、そういうことになって、それは死んだ宗教として、いまも存在しています。
ほんとうに自由な宗教になりうる、日本でいうとなりうる要素っていうのは、浄土系の宗教っていうのは、日本でも自由になりうる要素なんですけど、たとえば、具体的にいえばいいわけです。つまり、本願寺系統の、東本願寺とか、西本願寺とかありますけど、そういう系統の宗教は、浄土系統なんですけど、浄土系統の宗教っていうのは、いちど宗教を壊すやりかたをしていますから、教祖がやってますから、いちばん自由であるべきかたちをとれるわけなんだけど、それはとってないんです。
ほんとうに、いま、浄土系の宗教家、あるいは、僧侶っていうのは、いちばんそれをとりやすいから、どういうかたちをとったらいちばん理想的か、現在に合うように理想的かっていったら、ようするに、そういう僧侶は、これはわれわれも、みなさんもそうだけど、市民社会の職業に従事する、勤めるサラリーマンになったって、商売人になったって、なんでもいいですけど、そういうふうに、昼間はちゃんと市民社会の一市民と同じように勤めをやったりなんかして、そこで生活の費用を得て、そういう生活をして、それで、ぼくはそういう言い方をしますけど、だいたい25時間目になったら、はじめて宗教やればいいわけです。
つまり、自分の宗教の修行とか、お経を読むとか、お葬式に行くとか、そういうのは、だいたい25時間目でやる、あるいは、職業が休みの日、ようするに、土日の日にそれをやるってすれば、非常に、現在の社会における、市民社会における宗教のありかたとして、宗教家のありかたとして、いちばん理想的なわけです。ですから、本願寺系統の人のお寺なんかもやめて、みんなサラリーマンになったほうがいいわけです。それで、まだ、それでも宗教をやりたかったら、ようするに、25時間目でやればいいってことになります。
なぜ、そんなことを言うかっていうと、現在の社会では、そのこと自体が即座に実効性がない、つまり、なんか手を加えたら商品になって、これは、値段がついて売れるっていうようなことに従事している、それに従事しているとか、商品を売ってるっていう職業に従事している人とか、みんなそうやっているんです。24時間そうやって、それ以外のところで、趣味で詩を書いているんだっていう人は、だいたい25時間目で、みんなが寝静まったころ、詩を書いたりして、それで、それを発表したりっていうふうにやっているわけです。それは、文学みたいな、直接なんかの役には立ちませんから、心には役に立つかもしれないですけど、直接、実効性はないですから、でも、それをやめられるかっていうと、そんなことはないので、それはやめられないわけです。
そうしたらば、文学芸術をやっている人は、人が買ってくれるから、食おうと思えば食えるよっていうふうになれば、便利ですから食いますけど、そうじゃないかぎりは、だいたいみんなそうしているわけです、小説を書こうなんて人は。みんな24時間勤めて、25時間目で小説書いて、それで作品をつくって、同人雑誌をつくって発表してってことを、それはやるわけです。
そうだったら、お坊さんだって同じなので、こんなもの役に立ちませんから、それで、人間のなかに宗教心っていうのはあるわけで、宗教心とは何かっていったら、自分を超えたいっていう願望です。自分を超えたいっていう願望が、さまざまな掛け道をもちますけど、さまざまなやりかたがありますけど、宗教もそのひとつであって、自分の心が自分の心以上のものになりたいっていうのが、宗教のはじまりですから、つまり、そういうものは、実際には役に立ちませんから、自分の心には役に立つけど、役に立ちませんっていうのが大筋ですから、やっぱり、そういう生き方っていうのをしなきゃいけないのですけど、たとえば、本願寺系統のお坊さんをみたって、それは、やってないんですよ、お寺の中にいて、お寺を守ってっていうふうにやっているわけです。つまり、それは宗教っていうのは、どう生きるかみたいなことを、あんまり、昔は考えてた、教祖は考えてたんです、教祖は考えたけども、もう、いまになって考えるのも嫌になっちゃったっていう、そういうのが、お葬式と観光だけやるっていうことになっているわけです。

7 知の考古学という方法

それで、なぜこんな話になったかっていうと、宗教がどこで法になるかっていう、その結節点っていうか、境界面っていうのがあるわけです。この境界面の考察の仕方によっては、フーコーがそういう言い方をする「知の考古学」っていうふうに、つまり、知恵に関して出てきたものごとっていうのは、考古学的に蓄積されるものであるっていう、極端にいいますと、考古学的に蓄積されて、現在に至るものである。
ですから、考古学的な面っていうのはどこにあるかってことを見つけさえすれば、ヘーゲル・マルクス流の法から国家へ移るんだって、ようするに、原則的に段階を考えて、それから、法の以前には宗教があったんだっていう、そういう段階的な考え方と、接触点を用いるわけです。
段階的な考え方っていうのは、たいへん抽象的であり、また、普遍的であるって、そのふたつの条件を持たないと、段階的な考え方っていうのは成り立たないで、ヘーゲルっていうのは、一生懸命それを見つけ出したってことなんですけど、それとおんなじように、フーコーは、そうじゃないと、知恵にかかわることは全部、段階じゃなくて考古学だ、つまり、考古学的な知恵のある面をはっきりさせると、知恵っていうのは、考古学的な遺物と同じように、層になって次々次々重なってきて、現在に至るんだっていうふうに考えることができるっていうのが、たぶん、やさしく言い直した、フーコーの基本的な考え方です。
そうすると、ヘーゲル・マルクス流の考え方、つまり、段階的な考え方っていうのと、そうじゃない、知恵の広がりっていうのが、層を成していて、それがどんどんどんどん積み重なりをやってきて、現在に至るんだっていう場合に、それじゃあ、知恵の考古学の層っていうのは、どうやったら見つかるんだっていうことを接触させるためには、境界面を見るのが、いちばんいいだろうっていうことになると思います。
それだから、いま、お坊さんのっていうか、僧侶の話をしましたから、あれしますと、宗教が法になるっていう契機をいちばんはっきり、日本の宗教を具体的な例としてとりますと、どういう境界面を切ればわかるんだっていうことで、切ってみますと、それを切ったはじめっていうのは、ようするに、いま申し上げてきました、日本の宗教でいえば、浄土系の宗教、つまり、具体的な人でいえば、法然とか、親鸞とかっていう、そういう人たちがはじめた、これは中世、つまり、鎌倉時代にはじまったわけです。新宗教のひとつなんですけど、法然・親鸞っていう人たちが、はじめて、宗教と法との切り口っていうのを、はじめて明確にしたわけです。
そうすると、その明確にしたところを取り出せれば、それは、段階じゃなくて、考古学的な層なんだっていう、層の移り変わりなんだっていうことがいえるっていうふうに、ぼくは思います。仏教の専門家であるお坊さんの専門的なっていいましょうか、仏教の修行っていうのはどういうものであったかっていうと、それはいまのあれとおんなじなんです。オウム真理教の麻原さんがやったことと同じことで、つまり、精神を統一して、人間以上の境地っていうのを、精神の統一によってつくりあげていくっていう修行っていうのが、主な修行で、その修行は、初歩の段階から、非常に高度な段階まで、ヨガのあれでいっちゃえば、チャクラっていうわけでしょうけど、つまり、精神の集中点っていうのがあって、それはインドからはじまるわけですけど、つまり、東洋っていうのは、そんなことばっかり考えてきたんです。
つまり、文明なんかつくらないで、乞食みたいな恰好をして座って、体のどこに精神を集中すれば、どういうイメージができるかって、何千年もかかって、そんなことばっかり考えてきたんです。だから、それは馬鹿馬鹿しいっていったら馬鹿馬鹿しいんだけど、まあ馬鹿馬鹿しいわけです(会場笑)。文明的にいえば、馬鹿馬鹿しいわけですけど、しかし、何千年もかかって考えだしたことですから、やっぱり根拠はあるわけです。つまり、やっと考えたんだよってことでいえば、精神の集中点っていうのは、いくつかありまして、仏教で決まっているわけで、それをどんどんどんどん進めていきますと、終いには、額にやってきて、それから、頭のてっぺんになって、頭のてっぺんまで精神の集中点があれすると、そこで出てくるイメージが出てくれば、修行は終わりっていうことになるわけです。
それはおんなじなんです。たとえば、いちばん近いのは、禅宗の座禅っていうのは、それに、もろに近いわけですけど、それで頭のてっぺんまでくれば終わりっていう、それで、修行を達成したっていうことになって、お弟子さんに教えてっていうことになるっていうのが、鎌倉時代までの仏教のありかたです。慨していえば、そういう境地に到達するってことが、大変だっていうことです。
ですから、お坊さんの、みなさんもご存じのように、京都とか、奈良とか行くと、お坊さんの木彫、木像っていうのがあるでしょ、鑑真でも誰でもいいですけど、それを見ると、たいてい頭のここいらへんのところが膨らんでいるんです。膨らんでいるようにつくられているわけです。それはやっぱり、一生懸命やって、頭のてっぺんまで修行が済んじゃうと、そうすると、頭が膨らんできちゃうんです。
つまり、内観ですから、体の中にっていいますか、精神を集中する場所っていうのがあるから、ようするに、外に対して向かう感覚っていうのなんか、使わないんです、あんまり、その修練っていうのは。内観ばっかりやっていて、頭のてっぺんまで修行するんだっていうと、だいたい頭のてっぺんが膨らんじゃうわけです。
だから、非常に高僧の木像っていうのを見ると、たいてい頭が膨らんでつくってありますから、そういうふうにみんなつくってあります。それは何を意味するかっていうと、ここまで修行済んだんだぜっていうことを意味するわけです。つまり、そういうふうなのが、仏教の修行です。
そういうふうにすると、どういうことができるかっていうと、ようするに、死がつくれるってことで、死ぬってことがつくれるわけです、人工的に。ふつうだったら、ケガして死んじゃったとか、病気で死んじゃったとかってなって、死がつくれないわけですけど、ようするに、修練によって死がつくれるっていうふうになるわけです。
そうすると、死がただつくれるだけじゃなくて、イメージとしてただつくれるだけじゃなくて、死のなかに自分がいる、あるいは、死の世界のなかに自分がいるっていう、あたかも如実にっていいますか、如実にそのなかにいるってかたちで、死の世界のなかで、手触りとか、物が見えるし、まわりも見えるしっていうようなかたちで、自分もそのなかにいるのとおんなじようにして、死の世界のイメージがつくれるっていうわけです。そうすると、こんなにはっきりと、具体的に、ちゃんとあるんだから、だから死後の世界はあるぜってなるわけです。
そして、死後の世界は、こういうふうにして、修練することでもって、見たり、体験したりすることができるとすれば、現実の世界を体験することとおんなじじゃないかってことになるわけです。
そうすると、そこまで修行すれば、ようするに、生も無常であると思えば、死も無常である、つまり、はかないものであると、生もはかないものである、あるいは、生きているこの社会は苦悩であると思えば、死後の世界も苦悩であるとか、とにかく、いま、この世界も、あの世の世界も、みんなおんなじだよっていう境地に到達したときは、仏教における悟りってことになると思います。
宗派によって、悟りの後をどうするかってことは、宗派によって違いますけど、仏教の修行っていうのは、それをもって、前提といたします。それは、悟りです。だいたい高僧、名僧っていうふうに言われている人たちは、それは頭のてっぺんまでできたっていうことを意味しています。で、頭のてっぺんまでできた人は、たいていなんとか大師ってことになっていると思います。最澄でいえば、伝教大師っていうおくり名を持っているわけですし、空海でいえば、弘法大師ってことになるわけです。そういうふうになっているわけです。そこまでやったっていうことなんです。それが、高僧、名僧だってことになっていて、そこまでやった人は、弟子を感化したり、人格的に人を感化したりっていうことができたりするっていうことになります。
そうだったら、おんなじことができたっていうふうに、麻原さんが言ってるんだから、できてるって言ってるわけだから、麻原さんもそれだけ偉いんだと思ったほうが、ぼくはいいと思います。つまり、修行者としては偉いんだよっていうふうに思ったほうがいいと思います。
だから、これは、のっけからサリン事件と結びつくかもしれないし、つかないかもしれないですけど、のっけから犯罪者とか、異常者とか言ったら、ぜったい間違えだとぼくは思います。つまり、仏教の修行者としては、かなわない人ですよっていうふうに思ったほうがいいと思います。そうしたほうが、これから、いろいろ出てくるでしょうけど、評価すべきときとか、否定すべきこととか、肯定すべきこととか、いろいろ出てくると思いますけど、見当を外さないと思います。
しかし、いま、ジャーナリズムが考えているようなとか、言ってるようなことを真に受けると、間違えると思います。人間も間違えるし、だいたい事件そのものも間違えるというふうに、ぼくは思います。だから、そういうふうに、ジャーナリズム、つまり、マスコミが言ってるのは、とんでもないことだって、ぼくは思っています。
でも、かれらの価値観があるから、そう思ってるんだけど、かれらの価値観っていうのは、それだって悪くはないですけど、しかし、それが、かれらの価値観っていえば、ようするに、それは、テレビ俳優さんは偉いし、テレビの女性アナウンサーで美人であるっていうのは、あこがれの的であり、これは最高の価値を持っているんだと思っていると思います。テレビキャスターっていうのは、インテリ中のインテリでっていうふうに、自分では思ってると思いますけど、価値観がそういうふうになっているから、そうじゃなかったら、みんなダメだって思ってるわけです。思ってると思います。
そういう価値観を本気にすると、ぼくは間違えると思います。だけど、けっして悪くないですけど、美人は悪くないし(会場笑)、悪くないですから、いいですけど、そういうふうになろうと思ったっていいし、なってくれたっていいですけど、でも、それを最高だなんて思うと、だいたい間違っちゃうよって、誰でもそうですけど、間違えちゃうと思いますから、やっぱりダメな価値観を持っているなって、ぼくには思いますし、そこに出てくるインテリ共も、誰から言われるのか知らないけど、やっぱり、おんなじようなことを言ってっていうふうになっちゃうし、あらあらっていうのが、ぼくの理解の仕方で、それは宗教の修練もそうなんです。

8 宗教と法の境界面

浄土系統の新宗教の教祖たち、つまり、法然とか、親鸞とかは、そこのところで、新宗教を開いたわけです。それは、邪教というふうに、そのとき、言われたんですけど、旧仏教の名僧から言われたんですけど、法然なんかは最初に言って、ああいう修行は、法然も、親鸞も皮肉な人っていうか、まじめな人ですから、坊さんたちがやっているむずかしい修行、へその下からはじまって、瞑想して、頭のてっぺんまでいくのに、10年も、15年も費やしてとかって、そういうのは、むずかしいことで、凡人にはできないから、凡人は、言葉で、南無阿弥陀仏って言えば、極楽浄土へ、つまり、浄土へいけるっていうふうに、そういう教義をつくったんです。
そういう言い方で、それをつくっちゃったんで、もちろん、旧仏教からは、名僧からは、邪教のごとく批判されたわけです。法然も、親鸞も、旧仏教の修行はしているわけです。若いときに、比叡山で散々そういう修行をやって、自分も知ってるんです。やってるわけですけど、それをやめてるわけです。やめちゃったわけです。
どうしてやめたかっていうと、こんなむずかしいことは、ふつうの凡人にできるわけねえよとか、やる暇なんかありゃしねえよ、職業をやってるのにっていうわけで、ようするに、言葉でもって、南無阿弥陀仏みたいなことを唱えれば、確実に極楽浄土へいけるっていうふうに、そういう教義をつくったんです。
そしたら、もう、名僧たちは、その当時の、たとえば、明恵なんて人は、名僧ですけど、自分も本気で修業している、修行の上にまた修行を積んでってやってる人で、名僧なんですけど、明恵なんかも批判します。法然っていうのは、偉い人だって、優れた人だって思っていたけど、こんなことを言いだして、とんでもない話だ、仏教を殺めるんだみたいに言い始めまして、宗教なんてのは、心の修練の問題なのに、言葉でもって、南無阿弥陀仏って言えば、極楽浄土へいけるみたいなことを言うのは、とんでもないやつだって批判をしますし、比叡山の大将たちは、あいつらは修行なんかもやめろと言うし、無知蒙昧な民衆にむかって、南無阿弥陀仏って言えば、浄土へいけるみたいなことを言いだしちゃうし、とんでもない連中だっていうふうに、訴えられたりして、めちゃくちゃな弾圧をくうわけですけど。
でも、かれらは、何をそこでしたかっていうと、宗教、この場合は仏教なんですけど、仏教がやる宗教的修練っていうのには、意味はないんじゃないかな、つまり、自分が、たしかに修行して、そういうイメージをつくって、生死を克服するイメージをつくったってことは、自分でできたっていうふうに言うけれど、それは、別に言い換えれば、一般の人にはそれはむずかしすぎるし、できないからって言い方をしますけど、ほんとうをいえば、そういうことには、意味がないんじゃないかっていう、そういうイメージをつくるって、そういうことには、意味がないんじゃないか、あっても、その人にとって意味があるだけなんじゃないかっていうことに気がつくわけです。
そしたら、どうすればいいんだ、宗教っていうのは、どうあればいいんだってことを考えたと思います。その場合に、法然、親鸞は、言葉で南無阿弥陀仏って言えばいいんだっていうふうに言うけども、それは、どういうことを意味するかっていうと、そういう修練はしなくてもいいと、だけど、そうじゃなくて、ようするに、信仰の問題、つまり、宗教的な問題は、倫理の問題、つまり、善悪の問題に移し変えれなきゃだめだっていうことを、はじめて、自分たちが見つけ出して、自分たちが言いだしたわけです。
だから、法然、親鸞の、そういう言い方を、いちばん極端にいいますと、極端な言い方ではっきり言っているのは、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」っていう言葉が、親鸞にもありますし、法然やその弟子たちにもありますけど、それに類した言葉がありますけど、つまり、善人だって往生できるんだと、だから、悪人なら、なおさら往生できるんだっていうふうに言ったわけです。
そう言うことによって、何を意味するかっていうと、信仰の問題は倫理の問題だと、しかし、その倫理の問題とは何かっていったら、ようするに、世間一般社会、たとえば、いまだったら、いまの日本の市民社会に通用している善悪の基準っていうのとは違う、かれらは、浄土っていうものの規模における善悪っていうのは、人間の社会があみだしている善悪の規模より、はるかに大きいもので、そんなものは包み込んでしまうような大きな善悪っていうのはあるわけで、それを仮に、ぼくはそういう言葉を使うわけですけど、普遍的な善悪だって考えれば、言い方をすれば、それは、普遍的善悪とは何なのかとか、普遍的善悪に帰依すべきだ、それを信ずべきだ、あるいは、それを信じられる方向にいくべきだっていうふうに、宗教の問題を移し変えてしまうわけです。信仰の問題とか、信仰を高度にするために、修練するっていう、それまでの仏教における修練の仕方っていうのを全否定するわけです。全否定して、それは倫理の問題だ、しかも、人間社会における、常識的に、他人をぶん殴ったら悪だとか、あるいは、他人を殺したら悪だとかいうふうな意味合いの、人間の社会がつくりあげている善悪の問題っていうのとは、はるかに規模の大きな善悪っていうのに、どういうふうに向かえるかってことが、それが信仰の問題なんだっていうふうに、置き換えたわけです。
じゃあ、人を殺したら悪であるっていうけど、それは人間社会の小さな規模の善悪の問題に過ぎないんだっていうと、誤解を生ずるので、ぼくは、日常茶飯事で、サリン事件のああいうふうな話題のとき、無差別に関係のないやつを殺しちゃうから悪いですねみたいなことを言ったら、それなら、関係ある人を殺したらいいっていうのか、言えるんですかってまともに言われて、ものすごく困ったわけで、それはそういう意味じゃないので、それは、たとえば、親鸞なら親鸞の言葉でいいますと、悪人のほうが善人より往生しやすいんだっていう言い方をして、善悪の規模がはるかに浄土っていいますか、信仰が到達すべき地点にあるところの倫理的な善悪は、つまり、普遍的な善悪は、もっと大きな善悪なんだってことからいいますと、親鸞の云い方は、人間っていうのは、なにかの契機、機縁です。だから、モメントってことです。つまり、機縁がなければ、人間っていうのは、ひとりの人間だって殺すことはできないよっていう言い方をしています。つまり、いきなり、前に人がいて、刃物があったから、殺してみろっていったって、何のあれもないですから、理由もないわけだし、はじめてお目にかかる人で、それで、殺してみろって言ったって、殺せるわけがないでしょって、そういうことです。つまり、機縁がなければ、人間っていうのは、ひとりの人間さえ殺すことができない。だけども、機縁があれば、殺したくなくても、千人、百人、殺すことだって、ありうるんだよっていう言い方を、親鸞はそういう言い方をしています。
たとえば、いちばんわかりやすいのは、戦争みたいな、国と国の戦争だから、おまえ出征して行けっていうふうに、政府から言われて、太平洋戦争のときに、そういうふうにしたわけですけど、そうやって、おれ殺したくないなと思いながらだって、鉄砲を撃ちゃ、千人、百人、殺すことになっちゃう、殺したことになっちゃってるわけです。だけども、個々の人にとっては、だれも殺したくて殺して、おもしろがって殺しているわけではなくて、殺したくないなって思いながらでも、戦争だからとか、自分も鉄砲を撃たなきゃ殺されちゃうからとか、そういう機縁があってあれすれば、殺したくなくたって、人間っていうのは、千人、百人、殺すっていうことだってありうるんだよっていうふうな言い方で、人間の社会が、あるいは、人間がつくりだす善悪の基準の問題っていうことの成り立ちかたっていうのと、怪しさっていうものと、もっと大規模な、宗教的、本来なら、信仰が到達すべき境地っていいますか、そういうのを考えると、それに該当するところの普遍的倫理、普遍的善悪っていうものに到達しようとすることが、宗教の問題であって、その善悪っていうのは、人間の社会がつくりあげた、あるいは、人間関係がつくりあげたそういうものより、もっと大きいものなんですよっていう言い方をしています。そして、それに到達することが、宗教の問題です。
それに到達するためにどうすればいいんだ。それは、言葉で、真心からの信心でもって、言葉で南無阿弥陀仏っていうふうに言えば、それで浄土にいけるんだっていう言い方をしたわけなんです。
それで、法然と親鸞とは、いくらかニュアンスが違いまして、親鸞の場合には、ほかのいいことをしようと思ったり、ほかの坊さんがやるような修行をしようと思ったら、それはダメだっていう言い方をしています。そんな修行をしようと思ったらダメだ。それは往生できない。それは、全然いらないし、修行するのはダメだっていう言い方します。
法然は、そこまでは言わないんで、つまり、助行っていいますか、助けるあれとしては、ほかの修行をしたっていいし、いい行いをするって心得て、それをやるのはいいけれど、でもそれは助行にしかならないと、本行は、言葉でそう言えばいいってことであって、親鸞なんか、もっと極端にいいますと、ほんとは一回やればいいんだ、一回唱えればいいんだっていう、つまり、一念義って申しますけれど、一念義に近い考え方をとっています。一回でいいんだ、だけど、人間はいつ死ぬかもわからないから、一回以上念仏を唱える機会をもっているならば、なおさら、そういうふうに自然に唱えたらいいのであって、それは、浄土の仏法に奉ずるってことになるだろうから、それは、そうすればいいんだっていうくらいの意味合いで解釈して、一種の普遍的倫理っていうのを目指したわけです。

9 宗教を普遍的倫理という面で切る

そうすると、ふたつの切り口があるわけで、ひとつは、普遍的倫理っていうのが、もし、ありうるとすれば、それは、法っていうもの、法律でもいいですけど、法っていうものに、即座に接触する接触面じゃないかっていうことが言えるわけです。
市民社会で、良い行いをしたとか、おまえはそれは悪い行いだって言ってる間は、ただの村の掟とか、町の掟とか、市民社会の掟に過ぎないのだけど、その、良い、悪いっていう問題を普遍的な善悪っていうところまで進めていきますと、それは、市民社会の、おまえは良いんだとか、悪いんだとか、具体的な生活のなかで言ってるよりも、もうすこし高度に、頭の上に置かれた善悪っていう問題になって、これはすぐに法、あるいは、法律の条文になったり、法律自体になったりっていうかたちで、たくさんの人が、この人は従うけど、この人は従わないとか、この人は善だと思ってることが、この人にとっては悪だったとか、そういう個々別々じゃなくて、普遍的な善悪っていうところで、掟が、法っていうようなかたちでつくれることが言えると思います。
そうすると、信仰っていう、信ずるっていう精神の状態、信じて信ずる境地を高めていって、悟りへ到達する仏教的信仰の問題は、やはり、普遍的な倫理の問題に移し変えられる。そうすると、そこの平面で切るならば、それは、法っていうことにつながっていく契機がありますから、そこで切る切り方でもって、宗教のあらゆるありかたっていうのを、そこの面で切るっていうのは、つまり、普遍的倫理っていう面で切る切り方を見つけ出せれば、つまり、宗派によってそれぞれ多少違うわけですけど、それでも、普遍的な倫理の問題の面で、ぜんぶ微少に違っている宗派の宗教信仰心っていうような問題を、そこで切るならば、それは、フーコーのいう考古学的な面っていうことになりうるんだって思います。
そういうふうに考えれば、フーコーの考え方っていうのは、そういう段階論的な、つまり、ヘーゲル・マルクス流の考え方と、接点を持てるっていうふうに、ぼくには思われます。それを、たとえば、日本の浄土系統の元祖に源信っていう人がいまして、『往生要集』っていうのを書いて、比叡山の横川ってところに僧堂をくんで、そこで修業して、はじめて、『往生要集』っていう、浄土系統の法門を集めた本をつくった人ですけど、ぼくらもそういうことをやったことありますけど、源信の『往生要集』からいって、法然の『選択集』っていうのがありまして、法然の『選択集』へ歴史的に移っていく場合に、浄土系統の思想は、どこが変化したかっていうようなたどり方をすると、それは、浄土系統の歴史っていうものを解明するたどり方になります。
その解明するたどり方をやると、考古学的な意味での面は出てこないわけです。だけど、歴史的に、非常に緻密なっていいますか、源信の『往生要集』では、臨終のときに唱える念仏に、とくに重きを置いて、臨終のときには、仏像から五色の紐といいましょうか、布が出てて、死ぬ間際、臨終の間際になったら、五色の紐をつかまえながら念仏を唱えると、そうすると、そのまんま浄土へ往生できるんだっていうのが、源信の考え方のなかにありますし、『往生要集』の考え方のなかにありますし、源信は実際的に、そういうあれをつくって、やってるわけです。
それに対して、法然なんかは、いや、そんなことは、それほどの問題でなくて、言葉だけで念仏を唱えればいいと、そんなことをしなくても往生できるから、ことさら臨終のときの念仏に重きを置く必要はないんだって言いだしたわけです。
親鸞になると、なおさらもっと、移り変わりがありまして、つまり、人間っていうのはどういう死に方をするか、いつ死ぬかなんてのは、誰にもわからないんだっていう、そんなことはぜんぜん決まってないんだ。だから、念仏を唱えればいいとか、臨終の念仏がいいんだとか、そんなことを言ったって、病気次第によっては、口のきけない臨終だってありうるわけだから、そんなことを言ったって、そんなのはダメなんだ。だから、極端なことをいえば、至心っていう言葉を使ってます。真心から、自分は浄土にいけるっていうふうに信じて、一回念仏を唱えれば、それだっていいんだよっていう言い方に、親鸞の場合には、そういうふうになっちゃうわけです。余裕があるなら、もっとしたほうがいいですよ、だけど、ほんといえば、一念義でいいんだよっていうふうに、極端にいいますと、親鸞はそう言ってくわけです。

10 考古学的な層と段階

そうすると、源信から親鸞まで、浄土系統がたどった、歴史的な経緯はどういうふうになっているかってたどることはできます。しかし、そういうたどり方をしても、考古学的な面っていいますか、そういうものは出てこないわけなんです、ちっとも。それだったら、そういうたどり方をするならば、そのたどり方をいつまでやってたって、はじまらないって、そんなこといくらやったってダメだってことで、段階っていう考え方をヘーゲルはあみだしていると思います。
その段階っていう考え方はどういう考え方かっていうと、歴史的経緯であるとともに、不連続なので、つまり、不連続な結節点っていうのが、歴史の中にあるんだと、それが段階なんだ。だから、段階っていう考え方は、抽象的であると同時に、歴史的であるっていう、そういう要素を兼ね備えた段階っていう考え方をすれば、歴史っていうものをひとつの生態として把握していくことができるんだよっていうのが、ヘーゲル・マルクス流の考え方だとすれば、浄土系統の歴史的経緯はあるんですけど、日本仏教のありかたにとって、何が考古学的な切り口っていうのになるかっていったら、それは、やっぱり、普遍的な倫理っていう面で、信仰の問題を切るっていいますか、その面で切るっていうような切り方をすれば、それは、考古学的な層となりうると、その上に何が積み重なるかっていうと、法的な経緯が積み重なってっていうことになっていって、それで、国家の問題に至りつくだろうっていうふうになるわけです。
重要なことは、そういう考古学的な層っていう考え方が、かならずしも、歴史的な段階とも、それから、歴史的な発展っていいましょうか、発展とも、けっして一致しないってことなんです。つまり、フーコーの考え方は、必然的に間抜けする問題は、歴史主義っていうことを断ち切るっていうことは、ひとつ必然的に出てきちゃうんです。
どうしてかっていうと、それじゃあ今度は、法っていうものと、国家の間の、つまり、法から国家へ転移する場合の切り口っていうものを考えたら、どういうことになってくるだろうかってことになってきます。
そうすると、これも具体例がありますから、日本のあれでいいますと、日本国でいちばん古いっていいましょうか、古い一等初めに憲法って名前がつけられているのは、聖徳太子の十七条の憲法です。十七条の憲法っていうのの中に、第一条は、「和を以て貴しとなす」っていう、あるいは、やわらぎって読むのかもしれませんけど、「和を以て貴しとなす」っていうのが第一条です。つまり、和解的であること、人と仲良くするっていうことでしょう。つまり、仲良くすることをもって、いちばん尊重すべきこととするんだっていうのが、第一条です。
しかし、これは、どうでしょうか、法であるだろうか、それとも、倫理であろうかっていうふうになるわけです。そうすると、これは、倫理と、これを法って、憲法って言ってるけど、ほんとは倫理と法との混合したもの、あるいは、中間物っていいましょうか、入り混じったものでもいいですけど、そういうものに過ぎないんじゃないかってことになります。
そうすると、「和を以て貴しとなす」っていうのは、市民社会を規制する倫理というよりも、これが、憲法だったらそうなんだけど、ほんとはそうじゃなくて、一種の普遍的な倫理であるとともに、つまり、法となり得る要素も持っているとともに、また、憲法と名付けているように、そのころは市民社会じゃなくて、農民が主ですけど、農民社会を規制する言葉でもあるという意味合いで、聖徳太子は、それをつくったとされているものであるわけです。
そうすると、これは、普遍的倫理であるとともに、法としての性格をもってそれを効用とする、普遍的倫理を効用とする要素も持っているっていうことになって、そのふたつを持っているんじゃないかってなります。
そうすると、十七条の憲法のなかに、ただ一か所だけ、何条か忘れましたけど、農繁期における農民の賦役、税金の代わりにおまえ労働しろって、つまり、賦役ですけど。人頭税みたいなものなんですけど、国家が農繁期に農民を使っちゃいけないっていうような項目が一か所あるわけです。それは、いわば、法律に近いんです。普遍的倫理の根元にある宗教であるというよりも、やや法律に近いんだっていうふうに、完全な法律に近いんだって言える部分だと思います。それは、たぶん、十七条の憲法のなかに一か所です。あとは、農民社会を律する倫理であるか、あるいは、それから出ていって、普遍化しようとする宗教的要素を持っている、普遍的倫理を目指している条項であるか、それとも、ほんとの法律であるかっていうが、全部はあんまり区別がつかないのが、日本国憲法のはじまりにあるわけです。
そうすると、今度は、法から国家へいくっていう経路は、どうしたらいけるんだっていうふうになるわけです。そうしたらば、ぼくの理解の仕方では、たとえば、具体的に言って、十七条の憲法のなかで、いま言いました、農繁期に国家は使っちゃいかんぞっていうような、そういう条項だけにしていけば、国家っていうものが形成されるってなるわけです。それが形成されれば、農民社会っていうもののありかたと、国家のありかたとは、ヘーゲル・マルクスじゃないけど、分離できるわけなんです。
しかし、ぼくの理解している限りでは、それじゃあ、武家時代になって、鎌倉幕府では貞永式目とか、建武式目とかっていうのがあるんです。そうすると、それは、みなさんもご覧になれば、岩波書店の日本古典思想大系みたいなのを読んでみれば、すぐに書いてありますから、武家が政府になるわけです。鎌倉時代になって、朝廷が政府じゃなくて、武家が政府になるわけですけど。武家を規定する式目をみても、ちっとも法律にならないんです。依然として、武家社会を規制する道徳であるか、あるいは、武家社会を規制する道徳であるとともに、それを超えて、普遍的な道徳原理であるのか、それとも、国家的な、そういう道徳的要素を追っ払っちゃった、つまり、ぜんぶ削り取って、ちゃんと法律になっているかっていう考えと、依然として、十七条憲法とそんなに変わり映えがしないってことになります。これが徳川時代になって、鎌倉幕府法っていうのが、武家諸法度みたいなのがありますけど、そういうのをみたらどうなんだっていったら、原理が儒教的な原理になっただけで、やっぱり、倫理っていう問題が払底できていないんです。純粋に法律的っていうところになっていかないんです。なっていかないってことは、ようするに、国家っていうことになっていかないじゃないかってことは、厳密な意味で、つまり、西洋的な意味での国家って言えないじゃないかって、そのとおりなわけです。そこがネックなわけです。いまでもそうですけど、ネックです。

11「法的な規定」という切り口

そういうところで、幕府時代を経て、幕府時代になって、鎌倉幕府法が、倫理じゃなくて、これはやっぱり法律だよってなったとすれば、幕府は、日本国の国家、つまり、政府を形成している中心であって、そうしておいて、人間社会っていうのは、それから分離して、人間社会っていうのはあって、中間に武家層とか、領主層みたいなのがあって、小さな国の、アメリカでいえば、ワシントン州とか、ニューヨーク州とか言ってるのとおんなじ、州とおんなじ枠組みが下にあるわけです。鎌倉(徳川)幕府は国家の中心になってってなってるわけです。
徳川幕府の兵隊っていいますか、旗本でもなんでもいいんですけど、そういうなのが、国軍っていうことになって、農民社会っていうのは、それから分離して、上にあるかもしれないけど、規定はやかましいかもしれないけど、それとは別のものなんだよっていうふうになるはずなのに、それがならないものですから、依然として、日本国における国家っていうのは何なのかっていったら、この土地は領主さまから授かったものだとか、ようするに、徳川家のあれから授かったものであるぐらいの観念を、どうしても農民が払底しないわけです。それで、心の中までいえば、国家っていったら、みんなそういうふうにぜんぶ包んだものだっていう観念を、日本人っていうのは、それを吹き払うことができないわけです。いまだって、ほんとはできないわけです。
そういうふうになってるのは、なぜかっていったら、道徳、それから、法っていうもの、それから、宗教っていうものと、それから、国家っていうものと、その切れ目、切れ目の考古学的な層っていいましょうか、それを見つけようとすると、段階的にそれは見つかるかもしれないけど、考古学的な層を見つけようとすると、非常に困難なわけなんです。
ですから、今度は、どこでもって、式目とか、武家諸法度っていうようなものが、どこで国家の国法になっていくんだってことを考えていくと、どうしても、国法といえるものをつくりあげることができないことになります。
それじゃあ、国軍っていうのはあったかっていうことになりますけど、幕府自体は国軍だと思って、諸藩の兵はみんな国軍だと思って、幕府がいざなんとかって言えば、みんな幕府の兵隊として機能すると思っていたかもしれないけれども、どっかに藩の兵隊であって、武力であって、もしかすると、遠いところの、九州とか、東北とかの藩は、幕府に反抗するかもしれないっていうあれをいつでも持っているような、つまり、国軍としての統一性じゃなくて、国軍なんていえるのは、旗本だけだっていうことになって、これは、幕府を取り巻いている親衛隊みたいな機能しかなくて、国軍とは到底言えないよみたいになって、すこぶる曖昧で、藩の武力であるのか、幕府の武力であるのかっていうのが、どちらでも移行できるみたいなので、非常に曖昧なことになっているわけです。
そうすると、その切り口っていうのが、どうしても、法的な規定が国家になるっていうことの境界面が、ひとつの考古学的な切り口だと考えるとすれば、武家諸法度とか、式目とか、そういうものの中から、法に近いものっていいますか、法に近いものだけをピックアップしてとってきて、そのほかのものはぜんぶ捨ててしまうっていうようなことをやりますと、かろうじて、それが考古学的な層をつくることになります。それをやらなければ、どうしても、日本における国家の、法から国家へ移っていく場合の、考古学的な層として保存できる層っていうのを、設定することができないことになります。
そうすると、それは、追及したうえで、何が、これは法として成り立ちうるけど、これは法としては成り立たないとかっていうことになるかっていったら、なかなか規定するのがむずかしいと思います。それをきっとやることが、法の歴史みたいのをやる研究者の眼目っていいますか、題目になるんだろうと思います。
ぼくらが話に聞いている、たとえば、法になりそうなっていうふうに、鎌倉幕府の掟のなかで、これは法になりそうだなと思えるのは、たとえば、武家層でもって、亭主のほうが、つまり、武士のほうが、いろんな理由をつけて、三下り半を書いて、おまえをこれこれの理由で離縁すると、だから、うちへ帰れっていえば、三下り半で離縁は成立しちゃうっていうのがあるでしょ、そうすると成立しちゃうって言われているわけです。しかし、もうすこし詳しい人が言うことは、そうじゃなくて、それは、たしかに、そうなんだけれども、その場合に、今度は離縁される側の、奥方のほうが、ある武家のところに結婚して、国が命令してるっていったときに、自分が持ってきた、タンスや荷物の中に持ってきた衣類とか、いろんな小道具とか、そういうのがあって、それを、いっしょに生活している間に、亭主がどっか質に入れちゃったとか、使ってどっか失くしちゃったとかっていうのが、もしあって、これこれのものを亭主が使って、失くしちゃったとか、とっちゃったとかっていうふうに、逆に奉行所に訴えると、逆に三下り半は無効であるってなって、亭主のほうが百叩きになっちゃうみたいな、そういう規定っていうのはあるわけです。
そうすると、それは、いかにも法律らしいんです。つまり、その手の項目は、つまんないことに多いと、ぼくは思います、探しても。つまんないことはないですけど、一見つまらない、生活の些細なところに多いと思いますけど、そういうのだけピックアップしていくと、法律になり得るってことは、ピックアップできると思います。
それは、国法になり得るか、国家の法律になり得るかどうかは、またもうすこし、それを普遍化した条項にしないかぎりは、ならないでしょうけど、そういうのをピックアップしといて、それを普遍化したら、三下り半と、そのアンチのそういう規定っていうのを、もう一度、普遍化していったら、どういう規定になるかなっていうことを考えて、そういう規定だけを集めて、それを考えた上でつくれば、やっぱり、法律が国家へ向かう、普遍的な、つまり、考古学的な面っていうのがつくれると思います。しかし、それは、ほんとうに、勉強して一生懸命つくらないと、それはできないわけなんです。これはあっさり、そうはいかないよってなるわけです。それが日本国のありさまになっています。

12 天皇条項のあいまいさ

それで、近代になって、明治になって、伊藤博文っていうのが、明治憲法っていう、外国に行って、いろいろ研究して、ドイツの憲法なんか勉強してきたりして、勉強してきて、日本国には天皇っていうのがいて、天皇っていうのをどういうふうにしたらいいのかっていうのを、いろいろ考えたりして、明治憲法っていうのをつくるわけです。
明治憲法っていうのは、これは岩波の『世界憲法集』っていうのに書いてありますけど、それ以外になかなか見つけるのがむずかしいでしょうけど、それを見ると、のっけからまた、のっけから二番目ぐらいですかね、「天皇は神聖にして侵すべからず」っていう項目があるんです。
そうしたら、これは法律か、道徳か、日本の市民社会で守るべき道徳なのか、それとも法律なのか、それとも、市民社会における道徳を普遍化したものが、この条項になっているのかっていうふうに考えると、なかなかこれ、問題になってきます。
しかし、知恵は知恵だし、明治維新はひとつの革命であることには違いないと思えるのは、つまり、それ以下の条項をみると、だいたいほかの国の、つまり、ヨーロッパの国の憲法の条項らしき条項がぜんぶ揃っているわけです。
ただ一か所、ちょっと付随するのがあります。ぼくが考えると、統帥権っていいましょうか、軍隊を動かす権利だけは、直接、天皇にあるっていうのは、明治憲法のあれですけど、それは、ちょっと問題になると思いますけど、第一条っていうのは、これは道徳であるのか、それとも、法律であるのか、あるいは、国家を規定するあれなのか、市民社会だけを規定するあれなのかっていうのを、ちょっと区別しがたいっていう項目であることに間違いないです。だけど、項目はだいたい、西洋の近代国家における憲法と、ほぼ同じような条項っていうのは、ちゃんとつくられているっていうふうにつくったわけです。
ところが、どうしても、天ぷらじゃないけど、衣だけ衣替えしたって、なかなか西洋並みにはならんですよっていうのが、第一条によくあらわれているので、昔ながらの、つまり、守るべき法律なのだか、国法なのだか、それとも、ただの道徳的な規定なのかっていうのが、すこぶるあいまいであるっていうような、そういう項目を、どうしても、一条一カ条のっけから載せておくことによって、古来からの、日本の憲法っていうのは、聖徳太子以来、あんまり、道徳だか、なんだかわからないような、そういうことしかつくってこなかった、できてこなかったっていうのに対して、かろうじて、そういうところとの接続点を設けているわけです。
だけども、ほんとうに、そんな外国に行って、ヨーロッパに行って、むこうの憲法を勉強してきて、おんなじようにつくろうじゃないかっていうふうにして、そういうつくり方をしないで、鎌倉幕府法とか、諸藩の持っている、各藩が持っている藩法っていうのがありますけど、それをよくよく検討して、明治維新、あるいは、幕末の連中が、それを一生懸命、研究していて、そこから道徳的要素が比較的少ないっていうような項目だけをもってきて、それを、一種の普遍的な要素として、拡大したら、拡張したらこういうかたちになるぜっていうふうに憲法をつくったら、たぶん、それこそ理想的な、つまり、日本の憲法が理想的なっていうのは、たぶん、ふさわしい日本の憲法が自発的に、自律的にできたってことになるのでしょうけれど、それよりも手っ取り早く、とにかく留学して、むこうへ行って、むこうの憲法を全部さらってきて、それを、うまくあんばいして、古来からの日本の憲法っていうものの考え方っていうのも、どっかで入れて調和しないとっていうので、第一条みたいなものを、「天皇は神聖にして侵すべからず」みたいなものを入れたと思います。
それで、今度は、国軍の規定ってことになります。近代国家ですから、国軍を持たないといけないってこと、国軍を持つ規定のなかで、いちばん重要なのは、国軍っていうのは、天皇が統帥するんだぞ、つまり、国軍を統帥する権利は天皇にあるんだぞっていう言い方をしているわけです。
これは、付随する非常に重要な、古来からのっていえば、古来からのだし、これは邪魔っけでしょうがないっていう考えをとれば、邪魔っけでしょうがないので、いまだにかたがついてないっていうふうに、いまの憲法だって、象徴だっていうふうなかたちで、くっついているみたいなことになっているわけです。くっついていても、あいまいでしょうがないと思う人もいるでしょうし、これがあってちょうどいいんだって思う人もいるでしょうし、また、こんなのはないほうがいいっていう人もいるでしょうし、また、少数でしょうけど、ウルトラナショナリストもいて、また昔の明治憲法の神聖天皇っていうのにしたほうがいいっていう人もいるでしょうけれども、どんなふうな考え方をしようと、この一項目は、「神聖にして侵すべからず」から「象徴天皇」になって残っている、この一項目は、日本国の伝統的考え方を象徴してあって、それは同時に、日本人のもっている、農家の人も、漁業の人も、それから、都会の働いている人も、学者みたいなインテリも、全部がそのあいまいさをいまだにもってる、引きずっているんだって、自分の鏡みたいなもので、これは、依然として、重要な問題として、考えなきゃいけない。これを抜きにして、平和憲法を守れなんて言ってるやつがいるけど、平和憲法を守ることは、この象徴規定を守ることを同時に意味します。
それは、あいまいなことなんです。それは、厳密にそれは考えなきゃいけないってことになるわけです。だけど、あいまいなことで済ましてるっていうのが、ピンからキリまでっていいましょうか、あるいは、右から左まで同様であるっていうのが、いまの状況です。この項目っていうのは、そういう意味をもって、十七条憲法からずっとあれしてくわけです。

13 近代日本の原罪

ですから、フーコーの切り口っていうのと、それから、ヘーゲル・マルクス主義の段階的な考え方とを、合致させるためには、幕末から明治に至る革命の過程で、武家諸法度みたいなものの中から、それから、各藩の持っている藩法っていうのは、多少ずつ違いますけど、その藩法の中から、法律らしい法律っていう項目をピックアップしていって、それを普遍化したら、どういう規定になるかっていうことを、内在的に考えていってつくれば、ちゃんと、国民の憲法らしい憲法ができたに違いないんですけど、それをしなかったし、できなかったっていうのが、日本国の一種の原罪みたいなものだと思います。
これを原罪と考えない考え方もあります。つまり、原罪と考えるためには、西洋化=近代化って考えるならば、たしかに原罪だと、しかし、西洋化=近代化と考えないとしたらどうなんだとか、東洋的専制、あり方っていうのを基準にしたらどうなんだとか、ようするに、日本国っていう特殊性っていうのは、せいぜい段階的に分解して、これは、アジア的要素と、アフリカ的要素の大きな混合物だと思いますけど、日本っていうのは。それを伝統とする、つまり、古代とすると思いますけど。そういうものを、特有なものって考えたら、これは、各地域がそれぞれ、特有であるって考えたものなんだっていえば、さまざまな論議がありますから、それは、一概に、一定的に、これはいいんだって規定することはできないと思います。
さまざまな考え方がありうると思いますけど、さまざまな問題がそこにあるっていうことは、確実なわけで、やっぱり、非常に簡単に、西洋化=近代化って考える人は、「天皇は神聖にして侵すべからず」とか、「天皇は国民統合の象徴だ」とか、そういう項目を信仰して、信じていて、天皇が死ぬと、死んだときには、皇居の前行って、拝んだりする人もいるので、西洋化=近代化って思ってるやつは、これは土人だっていうふうに言うわけです。土人だって日本人なわけで、そういうやつは、土人っていうのは、そのうちになんとかなるさって思う以外にないって、それは、いまの日本の知的な風景のなかに、みなさんがかなりな程度、信じている風景のなかに、それが依然としてあるっていうふうに、ぼくは思います。
これは、なかなかむずかしい問題で、これは、さまざまな複雑な問題で、そんな簡単に片づけてもらっても困るし、それなら、いっそ神聖天皇にしようじゃないかっていうのも困りますし、平和憲法を擁護しようとか言いながら、天皇は国民統合の象徴だっていうのを残してしまうっていう考え方も困ります。困るとぼくは思います。それは、ぜんぶ困ります。どういうものにしたって、ぜんぶ、どっかが凋落しちゃうよなってことになってしまいます。
ぼくらが、九条はとっておいたほうがいいって、これは、世界でいちばん進んだ憲法の条項だからとっておいたほうがいい、それから、天皇は国民統合の象徴だっていうのは、これは、とっちゃったほうがいいって、ぼくがそういうふうに言うと、あの野郎って、誰も賛成してくれない、ようするに、とんでもないやつだって思われてるか、あいつは偏屈でしょうがないんだって言われるかどっちかだと思います。
それくらい、みなさんも、ご自分の考えはこうだって持たれたほうがいいと思います。いいんですよ、どういうのを持たれても、おれは神聖天皇がいいっていう人がいたっていいけど、ただ、いずれにせよ、自分の考えを持たれたほうがいいし、これは、なかなか統一しようとすると、なかなかできない。多数決をやると、国民とすれば、どっかに決まると思いますけど、そのくらい、むずかしい問題として、しかし、このむずかしさ、あいまいさっていうのは、われわれが引きずっているむずかしさっていいますか、あるいは、けっして、自分とは無関係ではないのであって、ぼくらは、国民統合の象徴はとっちゃったほうがいいと思いますけど、とっちゃったほうがいいと思ったおまえは、戦後50年における、自分の考え方の首尾一貫性っていうのを信ずるか、自分で信じられるかってなってくると、ぼくは、戦争のときは、神聖天皇に賛成だって思ったんです。
さらに、天皇機関説とか、天皇は立憲君主だという考え方が、そのときもありましたけど、ぼくは、いちばんやりやすいって言ったらおかしいんですけど、これならば、兵隊いって命を捨てるっていう名目っていうのは立つなっていうふうに、つまり、同胞のためとか、肉親のためとか、それから、国家のためとか、それから、天皇のためとか、いろいろ考えるわけです。
なんか考えて、つっかえ棒をあれしないと、なかなか簡単に、人間っていうのは死ねるものじゃないのであって、そういうのを考えて、ぼくは、やっぱり、非常に宗教的な天皇、つまり、神聖天皇です。そういうふうに考えると、自分ら、つまり、人間以上のところに位するなにかみたいに思えて、それがつっかえ棒にいちばんなりやすいなっていうのが、ぼくらの考え方です。
戦争は敗けて、敗けたって急に考え方の転換はできないので、当初は、ぼくらは、なんらかの意味で、天皇規定っていうのは、残っていた方がいいって、自分は思っていて、当初をいうと、国民統合の象徴だっていう項目に対して、ぼくは肯定的でありました。ぼくが決めたわけでもなんでもないんですけど、ぼくは、肯定的でありました。
だけど、いろいろ勉強していくうちに、自分なりに、これはやっぱりダメなんだなっていうふうに思ってきましたけれど、そういうふうに考えると、自分はずいぶん、自分の考え方を、自分なりに、50年かかって、いろいろ変わってきたなって、その都度、自分なりに、いろいろ考えてきて、その考え方に頼るじゃなくて、進歩したっていうふうに、主観的には思えるんだけど、しかし、おまえ首尾一貫しているかって言われると、首尾はちっとも一貫していないってことになります。

14 自分の憲法案を持ったほうがいい

ですから、おまえ、そんなことを言って、とっちゃえって言って、ケロッとできるかっていったら、そうでもないんです。やっぱり、自分なりになんかが残るんです。言葉でなかなか言えないけれど、何かが残るっていうのがあるわけです。それくらい、どんな考え方をしても、きっと残るっていうふうに、ぼくには思います。
そこで切り口をやっちゃうと、ダメなわけで、やっぱり、もし、憲法って言うのを、それぞれが、自分でつくれっていうふうに、自分でつくってみようっていうふうに言ったら、なんとかして、いまの日本の社会の現状っていうのと、それから、自分の考え方の現状っていうのと、それから、自分の考え方を理想化する、つまり、普遍化していった場合には、これはどうなるかっていうことを考えあわせた上で、きちっとやれば、現状に合う、自分の考え方にも合う、憲法の条項がつくれると言えますし、また、それは、誰それにまかせるのではなくて、それぞれの人が、自分でそれを持ったほうが、ぼくはいいと思います。
持つ憲法の条項が、どれであるかってことは、さして問題でないし、それが統一できるっていうふうには、ちっとも考えていないですから、それはいいんですけど、変わってたって、違ってたっていいんですけど、それぞれのあれを持ったほうが、ぼくはいいと思います。
そうでないと、普遍的な切り口っていうのを、ここで見つけようと思って、何を土台としてもいいんです。現行の憲法を土台としてもいいし、これは岩波文庫を買ってくれば、書いてありますから、それから、参考のために、ほかの国の憲法も書いてありますし、至れり尽くせりなものですから、これはそうじゃないなっていったら、違う項目に自分でやって、自分でそういうのを持っているのは、とてもいいことだと思います。
持っていて、何のためにそんなことをするんだっていったら、ようするに、フーコー的にいえば、普遍的な切り口っていうのを、法が国家になっていく場合に、普遍的な切り口は何なんだってことを、現行の憲法は、不完全なものですから、伝統的な道徳と区別できないような、要素も入っていますから、そういうのを全部あれして、国家としての憲法としたら、どういうふうに普遍化したらいいかって自分で考えて、そういう考え方をつくりだすために、やっぱりそれは、土台になるから、やってみたほうがいいと思います。
それから、もうひとつあることは、もっと未来性を考えれば、そういう国家っていうのは、消滅に向かいます。消滅に向かうってことは、疑いのないことです。国家が消滅に向かうときには、どういう項目が、どういうことが切り口になるかっていうことも、ついでに考えられたほうがいいと思います。
それに対して、ぼくが、自分なりに考えた、初っぱなの考えは、リコール権を持つことだと、ぼくは言っています。つまり、早めに、国家を開いた方がいい、つまり、国民に対して、半分開けた方がいい、ぼくがいう国家っていうのは、政府にほぼ等しいんですけど、国家っていうのは、国民の過半数が無記名投票で反対だっていったら、政府は変わらなきゃいけないっていう条項を、憲法の項目のなかに、一項入れるってことができれば、それは、国家が開かれていくきっかけになるって、ぼくは考えています。
ぼくは、相当、イメージだけでいえば、後のことまで、自分のイメージで考えています。だから、自分なりに言うことができますけど、それは、みなさんがそれぞれで考えられたほうがいいんです。つまり、西洋並みの国家にするためには、どういう条項を、どうしたらいいんだとか、そういうふうに考えていって、それも含めて、世界における国家っていうのは、だいたい解体に向かいますから、解体に向かうっていうのは、歴史の経路ですから、向かうと思います。その場合には、どうしたら、どの項目を変えたらいいんだっていうのを、自分で考えて、そういう項目を一丁加えれば、それは、未来性があるっていうことになります。
それの参考になるのは、ヨーロッパだけです。ヨーロッパっていうのは、ヨーロッパ共同体としてふんばっている箇所があります。そうすると、たぶん、憲法がないところで、各国、こういう項目については、ヨーロッパで協力するとか、同一化するとか、法律に類したものがあると思います。それは、参考になると思います。つまり、共同体に向かって、一歩踏み出していますから、けっしていい国じゃないですけど、ヨーロッパの国は。でも、そういう意味合いでいったら、すこし先へ行こうとしているところがあります。
だから、そういうのも参考にしたうえで、日本国の国家っていうのは、西洋並みの国家にするための憲法っていうのは、どうなっていけばいんだっていうのを、それを普遍化していったらどうなるのか、そして、それが消滅に向かうっていう歴史の方向性っていうのを忠実にたどるには、どうしたら、どういう項目を設けたらいいかっていうようなことは、みなさんが、個々に持ってたほうが、ぼくはいいように思います。
ほんとうに、本音まで言わせると、違っちゃうと思います。人によって違っちゃうと思います。人によって違っちゃうってことは、けっして悪いことじゃないんです。より進歩的なあれに賛成すればいいなんてのは、絶対そんなことはないですから、たとえば、平和憲法を守れなんて言ってるやつは、やっぱり、ダメなことはダメですから、そんなことを言うと、天皇は国民統合の象徴っていうのを残すことを意味するわけです。そんなのダメです、ダメだってわかりきっていることです。そんなの、ちっとも理想でもなんでもないんです。
だから、どういう項目になろうと、そんなことはいいと、だけど、自分だったらこうだっていうことを、ほんとうに無意識の中まで、あるいは、伝統的なあれも含めて、それはやっぱり、自分なりに持って、つくっておられて、そのうえで、もっと欲を言うならば、こういうふうにして、国家が、これから未来に向かって壊れていくためには、どういう項目を加えたらいいか、あるいは、どういう項目を保存したほうがいいかっていうようなことを、やっぱり、ご自分で考えて、持っておられたらいいんじゃないかって思います。

15 マルクス主義系統の枠外の人

フーコーって、おまえ、そういうことばっかり言ってたのかっていうと、そうじゃないのであって、ぼくは、ただようするに、フーコーの考え方、つまり、考古学的な層を見つけるってことは、非常に、ある意味で、これは弁証法でもないし、それから、段階論でもないけれども、たとえば、ある偉い宗教家が教義としてしか、持っていなかったであろうような、そういう要素で、つまり、人間でありながら、人間以上の社会を目指すみたいな、あるいは、自分でありながら、自分以上のものを目指すっていうようなことを、失わないで、しかも、それが、科学的といったらおかしいんでしょうか、普遍的でありうるっていう、そういうふうに考えるには、どう考えたらいいんだってことを、一生懸命、フーコーは考えた人です。
つまり、考えて、マルクス主義、あるいは、マルクス主義の解体の過程で、出てきたいろんな考え方の枠外に、はじめて出られた人です。と、ぼくは思います。出られて、しかし、マルクス主義が提起したものが、おれのやりかたでできるっていうような方法を、はじめてつくった人です。ですから、それが重要なことだと、ぼくは思っています。
だから、そういうことをフーコーから学ぶためには、ただの単なる普遍化っていったら、それだったらサイエンスっていいますか、フィジカルサイエンスっていいますか、自然科学がいちばん普遍的ではないかって、たとえば、コップならコップが、誰が分析したって、ちゃんと成分が同じように出てくるって、これは、科学っていうのは、普遍的じゃないかっていう言い方ですれば、普遍的なようにみえるでしょう。
だけど、それは、ようするに、大槻さんの言い方とおんなじで、そんなのは、フィジカルな対象だけ扱っていれば、そのとおりだよ、だけど、そんなのを科学的と言うんじゃないんです。つまり、そうじゃないと、メタフィジカルなこととか、心理的なこととか扱っても、なおかつ、それは妥当だって、普遍性があるって扱える方法も、科学的なんです。
科学の対象になる自然物を、こういう品物を扱って、誰が分析したっておなじものじゃないかって、デリダなんかが、そういう方法こそが普遍的だっていうのは、それは違うんです。それは、対象を限定しているんです。対象を科学的に限定するから、普遍的な、つまり、誰がやっても間違いない方法ができてきたのが、科学なんです。
だけど、科学っていうのが、もし、もっと発達していくならば、心理的領域、精神的領域、精神現象論の領域まで入って、妥当性っていうよりも、普遍性なんですけど、あるいは、普遍性でありながら、かつ、妥当性であるっていいましょうか、そういう方法っていうのを見つけていくってことになるわけですけど。それは、フーコーが、ぼくは、はじめて、考古学的方法として、はじめて、それをつくった人だと思います。
だから、ぼくは、フーコーを読むときは、さまざまな読み方がありますし、さまざまな業績がありますから、たとえば、第一級の文芸批評の領域でも、第一級の仕事をしていまして、そんなこといったらキリないよってなってますけど、ようするに、何が問題なんだっていったら、普遍的なっていいますか、考古学的な方法を、切り口っていうのを、もし、見つけられさえすれば、歴史っていうのは、古代とか、いまとか、たどらなくても、考古学的な面を見つけて、その積み重なりっていうふうに、歴史をそういうふうに理解できるならば、そうしたら、歴史っていうものが、いわゆる歴史をたどらなくたって、丁寧にたどらなくたって、歴史を包括できるんだよってことになると思いますし、もしかすると、それは、未来性をつくりだすこともできることが可能なんだってことを、フーコーは、はじめて、ぼくに言わせると、マルクス系統の枠外で、はじめて、それができた人だと思います。
枠外の思想なんかいっぱいあります。もちろん、近代には、いっぱいあります。しかし、そういう思想に、なんでもやってみろ、おまえ権力論やってみろとか、権力論をやって、妥当なあれを出してみろっていったら、出てこないです。反動的になったり、現実の治世をそのまんま肯定したりとか、現実の市民社会をそのまんま肯定したりとか、国家をそのまんま肯定したりっていうふうになっていっちゃいます。だから、そんなのは、いっぱいあります。マルクス主義系統以外にいっぱいありますけど、そういうのじゃなくて、系統以外であり、同時に、マルクス主義が提起したものは、全部やれるっていう方法をやったのは、フーコーだと思います。
だから、ものすごく、大きな存在だっていうのは、ぼくの理解の仕方です。大きな存在だし、ぼくはきちっと、ちっともしていないんですけど、どっかできちっとあれをしないとダメだよって、人に言わなくて、自分でですけど、自分もしないといけないよって思っているわけです。そこのところが、話として通じますと、ぼくにとっては、フーコーっていうのは、こうなんだよっていうことを、ぼくにとっては、言ったことを意味すると思います。あとは、みなさんがそれを追及されるかどうか、追及して自分のものにされるかどうかって問題になっていくと思います。
残念なことに、ぼくの戦後50年の系のなかで、マルクス主義って言いたくない、ぼくは、あんまり言いたくないんだけど、ぼくは、マルクス主義者っていうのと、マルクス者っていうのは違うんだとか言いながら、でも、マルクス系統の修正過程とか、分解過程とかに、ぼく自身は入ってしまうと思いますけど、そのところから、フーコーをみて、何が自分に有効性を持つかっていうような読み方をするわけですけど、つまり、現存する思想の中で、そういう系統が分散したもの、修正したもの、解体したもの、それ以外の思想っていうのは、あんまりないんだよ、あっても、全部のことを扱えないんだよって言ってもいいくらい、まことに貧しいっていうのが、現在の世界の思想の状況だと思います。
だから、フーコーの方法っていうのは、そのなかで最も有効性と、未来性のある方法だと思いますし、また、みなさんが、マルクス主義なんていうのに、一度もおれは洗礼を受けたことはないぞっていうふうな、本を読んだけど、あんまり洗礼受けてないよっていう人だったら、なおさらいいから、フーコーの方法っていうのを、追及されたらよろしいんじゃないかっていうふうに思います。
ほんとに国家論の問題みたいなところに、一点に集中したところで、フーコーのことを申し上げて、フーコーっていうのは、そんなやつか、そんなせまいやつか、そんなことしかしてなかったのかって言われると、困っちゃうんですけど、たくさんのことをしていますけど、それでもって、フーコーの存在意義っていうふうに、ぼくが考えているものの、おおよその筋道っていうのは、伝えられたんじゃないかっていうふうに、ぼくは思っています。これで終わらせていただきます。(会場拍手)


テキスト化協力:ぱんつさま