1 司会

2 中上健次を考える場所

 私論というのは「勝手なことを言う」、という意味に受け取ってほしいわけです。中上さんという人は僕には論じにくいのですが、まんざら知らない人ではない。文学というものは、その人が古典になってしまったほうが論じやすい。つまり、対象が動いていないものですから論じやすいということはあります。そういう意味で言うと、たぶん中上さんはまだ動いていると言ってもいい。僕の中で動いているという気がします。
 ですから、古典みたいにしっかりと「こうだ、こうだ」と決めていって論ずるみたいなことはなかなか難しい。中上さんは亡くなったわけですけれども、文学作品としては死んでいない。だけど、ひとたび死なないと古典にはならないわけです。古典になってしまうとある意味で論じやすいのですけれども、そこの過程のところに中上さんはいるものですから、作品に対してうまく距離を取れないところがあります。
 そこで考えた、と言ってもそれほど考えたわけではありませんが、どこで見ると一番見やすいかな、と考えました。僕は考えた挙げ句に、この三つを考えればいいかな、中上さんが持っている問題はだいたい言えるかな、と思いました。
 初期に、『十九歳の地図』という作品があります。それから、『一番はじめの出来事』という作品があります。この二つを足がかりにして、『岬』という、後年の中上さんの展開の一番最初のところに食らいつく、みたいな作品があります。いい作品ですが、その三つをうまく複合させると中上さんのイメージが出てくるかな、と見たわけです。
 そこのところで中上さんをとらえていくと、たとえば『十九歳の地図』はどういう作品か。これは熊野吉野でなくてもいいわけですが、どこか地方の草深いところの青年が東京の大学へ入ろうと思って東京へ出てくる。そして、東京で予備校に通って予備校生生活をする。予備校生生活をするのですが、生活していくうちに大学へ入ることがあまりピンとこなくなってしまう。つまり、つまらないことに思えてきてしまって、世間並みに言えば挫折するわけです。別な意味で言えば、ジャズ喫茶にいたり、麻薬はやらなかったようですが覚醒剤その他をやる。さまざまな悪はやるというかたちで、予備校生が都会の真ん中に生活して、アルバイトとして新聞配達をしている。
 そういう設定をして、そういう人間がどういうふうに考えていくか。ちょっと怖いぜ、というような、つまり『罪と罰』のラスコーリニコフみたいな感じの、悪を成しうるか成しえないかというぎりぎりのところまでやる、というふうなことを描写しているのが『十九歳の地図』だと思います。
 『一番はじめの出来事』は、草深い山国で子どもたち、悪童たちがどんな遊び方をして、どんな生活の仕方をするかをものすごくよく描写しています。中上さんの作品は、いつでも二つの足を持っている。同時期に二つの足を持っていると考えると、とても考えやすい、考えやすい距離が取れるような気がするわけです。

3 『十九歳の地図』――善悪を超えてしまった作品

 『十九歳の地図』という作品は、親には予備校へ通うと言い伝えているのですが、ちっとも行く気がなくてジャズ喫茶に入り浸ったり覚醒剤をやる。覚醒剤をやるお金がないときには、頭痛薬を多量に飲むことで紛らわせるということをやる。それで、新聞配達をしている。
 その同じ時期に新宮の中上さん的な人、つまり予備校生で都会の中に埋没してしまい、小さな悪みたいなことをやる青年はたくさんいたのだと思います。その中の一人である主人公の生き様、考え方を展開していきます。
 これはなかなかいい作品で、文学というものは要するに善悪を超えることがありうる。逆のことを言うと、善も悪も犯罪もデカダンスも何もかも、全部包括するのが文学というものの立場なのだ。そこから見れば、どんな悪だって許容される、どんな想像力でも許容される、みたいなところがあるわけです。そのことは文学作品の善し悪しにあまり関係ないことで、しかしすべての立場を許容するということが文学にはあります。
 何か知らないけれども、言葉で善である、悪であるということを通常の意味からどこかに脱出させるのはとても難しいのですが、稀にそれがある時期、あるとき、ある作品を取ればやってしまえるときがある。中上さんの『十九歳の地図』は、本当にそれをやってしまっている作品だと思います。
 それはどこかというと、予備校生のふりをして遊びまくっている主人公は、新聞配達をしながら自分の配達区域のうちではなはだおもしろくない、金持ちがおもしろくない、立派な門構えのところに新聞を入れておもしろくない。うちとか、いろいろな意味でおもしろくないやつがいる感じがすると、自分の配達区の地図をつくっておいて×印をするわけです。
 ×印をして、×印が三つくらい重なったら死刑にしてしまおう、という考えです。そういう×印をつけていくという考えです。現実に主人公はそれを実行することはできないのですが、想像力の中でならばそういうことをやれると作品の中で展開しています。想像力の中でそれをやれると表現すること自体は、さまざまな契機がないとなかなかできません。
 中上さんも、この作品を除いたら、あとは一種、善の作品です。どんな悪ぶっても善の作品だということになりますが、この作品はちょっと異様なというか、一歩踏み越えればやってしまう。何者ともわからない目の、生活にふてくされた青年が意味もなく殺人をやってしまう。そういうところで殺人を実行してしまう。想像力では、もうやってしまっている。そこへ実際に、現実に踏み込まないだけでやってしまっている、という作品だと思います。
 もう一つは、たとえば東京駅なら東京駅へ電話をかけて、「俺は今日、何時何分の汽車を爆破する」と予告する。いたずらと言えばいたずらですが、そういういたずらをやるわけです。そのいたずらの結果がどうか、そんなことはどうでもいい。とにかく想像力に任せて、電話でそういういたずらをする。
 そのいたずらの特質は、自分のほうは見えない。何をしても相手からは見えないけれども、もし相手が本気にしたら、まかり間違えば爆発があるかもしれないと思わせるところで、社会的な躁状態みたいなものがそこでできあがらないことはないという可能性を持っています。
 けれども、自分のほうは無名で隠れている。社会から脱落しているものの心理状態を身につけているわけですが、相手に対してはどんな驚かし方もできるみたいな場所を非常に明瞭に、明細に描写しているのが『十九歳の地図』という作品の特徴ではないかと思います。
 つまり、その特徴は、言ってみれば草深い地方から都会に何事かをしようと思って出てきた人間が、大都市にまみれているうちに「なにがしかをしよう」みたいなときめきを失っていく。失っていった人間はどうしたらいいのか、あるいはどういう考え方をするのかを、実に適切に描いています。

4 本質的な孤独さという資質

 そういう青年は現在でもいるかもしれません。たくさんいるわけですが、その中で『十九歳の地図』という作品の特徴を挙げてみます。たとえばありきたりの意味での無名の挫折した青年の孤独感、感慨、想像、イメージというようなものを、中上さんの作品は超えていくところがあります。どういうふうに超えていくかというと、中上さんは具体的に、叩きつけるような言い方で言っています。
 つまり、太平洋をヨットで一人で横断したくなって、自分の好きなことがしたくて、自分で気球をつくって気球に乗って冒険する。その手のというか、その程度のというか、その程度の孤独さはみんなくだらない。その程度で紛れるような孤独さなどくだらない。自分が持っている孤独さは、全世界を爆破してなくしてしまえ、それでなければ自分は生きていないという追い詰められた苦しさだということを、『十九歳の地図』は非常によく描写していると思います。
 中上さんが描いている主人公の孤独は、地方から都会へ出てきて、地方から野心を抱いて都市に出てきた人たちがうまく学校に入って、学校を出て、うまく社会になじんで、とならずに挫折したという一般論で言う挫折の仕方を、中上さんは主人公に仮託して超えよう、超えようとしている。つまり、本気でしていることがとてもよくわかるのです。この世界を全部なくして、俺が印をつけたやつはみんな殺してしまってもいいと主人公は想像力の中で考える。つまり、そこまで考えてしまうところに追い詰められている主人公を非常によく描いていると思います。
 これは中上さんの作品の資質と言いましょうか、文学の資質の中でとても重要なものだと思います。中上さんは自分自身が功成り名を遂げていくうちに、次第にそういう考え方を緩和していく。ゆるめていって、何とかかんとか自分に平衡感を持たせるわけですが、必ずしも全部失ってしまうということではない。ときどきそれが突発的に出てくると、『十九歳の地図』で自分が描写した心理状態に自分がたやすく移行できる心境になっていく。
 僕らもよく被害者として当面したことがあります。いま覚えていることで言えば、十年はたたないと思いますが何年か前に、中核が成田闘争の続きでJRの駅に火をつけて暴れてしまったときがあります。そうしたら夜中に中上さんから電話がかかってきて、興奮して「どうですか」という。何がどうなんだか。(笑)ねぼけた目をして起こされて、付き合った覚えがあります。
 つまり、そのときのことはだれでもある程度、身近だったし、だれでも体験している。そういうときに中上さんは、『十九歳の地図』に書いているわけです。一個の文学者として文壇とも付き合い、友だち、文学仲間とも付き合うのですが、どこかでだれも持っていない、だれによっても満たされない何かがある。そういうことがあると血が騒いで出てきて、盛んに電話魔になって電話をかけまくる。さすがに「お前のうちを爆破するぞ」とは言わないわけで、「どう思いますか」と盛んに言う。「どうってことねえだろ、眠くてしょうがないんだ」。(笑)たびたびそういうことがありました。
 それが、中上さんの本当の意味の孤独だと思います。文学者仲間で結構満たされている部分もありますし、文壇の中の栄誉でも満たされているところもありますが、そういうふうに満たされてもどこかで何か満足しない。そこを捕まえてくれる世界はどこにもない。そういうものが、中上さんの中にいつでもあって、それがあほらしいと言えばあほらしい行為になって現れます。中上さん自身は大まじめなので、『十九歳の地図』に書いているわけです。
 そういう中上さんは、本当に孤独ではないかと思います。中上さんの文学作品を読むということは、一方では一つずつはそういうことを読むことだと僕は思います。それが一つの足で、とても重要なことです。たぶん中上さんがいろいろやりながら、生涯それは中上さんから消えなかった。生涯、中上さんは孤独だったのかなと思える基礎は、そこにあると思います。

5 『一番はじめの出来事』――秘密の場所と匂いの問題

 もう一つの足は、いま申し上げたとおり、『一番はじめの出来事』です。これもいい作品だと思います。この作品は、非常に大きな意味を持っていると思います。どこに特色があるかを僕なりに申し上げると、紀州熊野の草深い山の中の町ですが、中上さんの地理的描写によれば前方に海を控え、川が真ん中に流れている。後方には山が差し迫っていて、海と川と山に挟まれた平地、中上さん得意の言葉で言えば「路地」に仲間の悪童たちがいる。
 悪童たちは何をしているか。中上さんの作品の中で、悪童たち仲間は村から見える背後の山のてっぺんに秘密の小屋を建てようと考えている。ときどき学校をさぼって集まって、木を伐ってきたり、草を刈ってきたりして、そこに秘密の小屋をつくるわけです。
 秘密の小屋をつくって、きっと町の人たち、親たちの噂話に上るでしょうが、もし海が津波であふれてきた場合、村は全滅してしまうけれども、そういうときは親や兄弟は秘密の小屋に逃げてこさせれば助かる。そういう小屋をつくろうと言って、学校をさぼったりする。それを山学校と称して、悪童たちが働いて小屋をつくるわけです。
 それを悪童たち固有の秘密にして、親兄弟にもどこで何をしているかはだれもしゃべらない。仲間同士だけの秘密を守って、そこに小屋を建てていくというのが作品の一つの大きな山です。
 もう一つは、いまはめずらしいですが、以前だったら村や町に一人くらい、頭のおかしい、名物の男が村からはずれたところに住んでいる。そいつはそばへ行くと人間の子どもを焼いて、煮て食ってしまう。子どもは、そいつに捕まるとみんな猫にされちゃうという伝説、噂を持っている名物の男、輪三郎という男が住んでいるわけです。
 秘密の小屋をつくってその男といつか闘おう、あの小屋を襲って闘おう、みたいに考える。村の人たちが伝説を怖がっている、その男と闘うみたいなことを一方では考える。一方では、洪水などがあったら親兄弟をみんなそこへ逃がしてやって助かるんだ、みたいなかたちで秘密の小屋をつくるという設定が『一番はじめの出来事』の主な設定です。
 僕がこの作品を読むとすぐに感じることは、去年かおととし、フォレス・カーターという人の『リトル・トリー』という作品があって、それが翻訳されてかなり多く読まれました。その作品はいろいろ問題になったのですが、インディアン出身のアメリカの作家が自分の幼少時代、親たちが亡くなっておじいさんとおばあさんのところに引き取られて山の生活をする、という作品です。その作品の中の一人ひとりが、つまりおじいさんもおばあさんも作者である少年も、秘密の場所を持っています。おじいさんはおじいさんで、秘密の場所を持っているわけです。
 もちろんおばあさんもその少年も、おじいさんの秘密の場所がどこかは知りません。おばあさんも秘密の場所を持っているけれども、それがどこにあるかは知らない。知らないけれども同じ家にいるわけですから、漠然と「あそこじゃないかな」というあたりはついているという程度で、でも明かさない。親兄弟にもだれにも明かさない。そういう意味で、個人が秘密の場所を持っている。
 少年は少年で、やはり秘密の場所を持っているわけです。そういう秘密の場所を持って、という遊び方は都会のガキでも、下町のガキでも、つまり僕らでも、僕らの時代には自分の秘密の場所がちゃんとあった。そこにいろいろなものを置いておいたり、ベーゴマを置いておいたり、よくやった秘密の場所がありました。秘密の場所という意味が非常によくわかります。中上さんの作品は、まさにその秘密の場所を悪童グループでつくるということが非常に大きなモチーフになっている。
 そのモチーフとまったく対応するわけですが、中上さんはメタファー、直喩とか暗喩という比喩という作家であり、同時ににおいの作家です。日本の近代文学は漱石に始まり、芥川、堀辰雄、立原道造と、においに鋭敏な人たちの系譜があります。中上さんは、そういう意味で言えば日本の作家です。研究している方はもちろんわかるでしょうが、そうではない方もお読みになればわかる。中上さんという人は、においにものすごく敏感な人です。
 中上さんのにおいの敏感さはどこに特色があるかというと、体臭、汗、精液のにおいとかよく言っていますが、要するに生理的なにおいにものすごく敏感な人です。天然、自然、樹木、樹液のにおいに敏感な人で、敏感な描写をやっているのが非常に大きな特色です。
 ついでに漱石はどこに特色があるかというと、一つはにおいてに過敏な登場人物をよく主人公に選びます。主人公にそういうものを与えるのが漱石の特徴です。もう一つ、『こころ』などを読むとよく出てきますが、ふるさとのにおいがした、みたいな、一種形而上学的な意味なにおい、これが漱石のにおいの特徴だと思います。
 芥川の特色は同じようなものですが、強いて言うと幻嗅、本当はにおいがするはずがないのににおいがする、みたいなことが芥川の晩年にはよくありました。作品の中にも描写されています。この幻嗅は、芥川の文学の非常に大きな描写の特色になります。堀辰雄はやはり敏感な、ある意味で病的なにおいの持ち主で、「村のにおいがした」という。
 柳田國男が「村のにおいがした」というときは民俗学的なにおいで、村の祭りのときお線香のにおいが村中に満ちていたという、そういう意味でのにおいです。堀辰雄の『美しい村』に「村のにおいがした」と出てくるときは、要するに村という全体を一つのにおいのメタファーとして感じているわけです。つまり、そういう敏感さが堀辰雄のにおいの描写です。
 立原道造の特色は堀辰雄と同じようなもので、においに敏感な描写をやっているな、ということです。強いて特色だけを挙げるとすれば、立原道造の場合は万葉の歌人などと同じで、色合い、光の当たり具合、光の雰囲気という意味合いで「におい」という言葉を使っているのが特色です。これは詩の中に起こっています。
 そういう意味で言うと、中上さんのにおいの特色は非常に生理的なものです。生理的なにおいが中上さんの特色で、そういう意味で言えば中上さんはにおいの文学系譜に属すると言っていいと思います。
 中上さんの『一番はじめの出来事』は、中上さんのあとから出てくるさまざまな萌芽というか、問題がみんな出てきているわけです。その一つは、秘密の場所というようなことで出てくる問題と、においで出てくる問題がある。

6 アフリカ的段階の自然描写

 もう一つ、天然、自然のにおいと関連しますが、中上さんの『一番はじめの出来事』の特色は、『十九歳の地図』でメタファーとして出てくる描写は、『一番はじめの出来事』では天然、自然環境の中での悪童たちのいたずら話と秘密の小屋をつくるのが大きな話です。
 『十九歳の地図』では、草深いところで育ったものが大都会に出てきた場合、直喩としてしか自分の出生と生活の場所の二つをつなげることができない。同じ出生の地そのもので、天然、自然に囲まれていたずらをやって遊んでいる人間たちを描写したときには、中上さんの描写はメタファーになりません。
 メタファーにならないで何になるかというと、自然の中にまみれている、溶け込んでいる人間という描写になっていくわけです。それは至るところにありますが、読んでみましょうか。
 「風がふいてくる。僕と秀の衣服をはためかせ、山全体をうごめかせ騒々しい音をたてさせる。小屋のそばに立っているせんだんの大木が、ちいさな葉を一斉にひらひらふるわせて僕と秀を嘲っている。葉裏を白くひからせて、せんだんの木は僕たちをからかう。僕はまるで山全体が一斉に哄笑を始めたように、葉ずれの音や草どものなびく音の渦の中に立ち、ただ光につつまれている輪三郎の小屋をみつめていた」という描写があります。
 つまり、本来ならば自分の状態を自然の比喩でメタファーにするところですが、メタファーではなくて樹木の中にまみれている自身自身、僕が言うとだめですが、風や樹木のほうが主語になっている。主語になって、その中にまみれている自分や秀という悪童となっている。自然の動きの中にまみれている人間、本来メタファーになるべきものが一緒に、両方が、自然と自分がまみれてしまっている、解け合ってしまっているという描写になっています。これが、中上さんの大変大きな特色だと思います。
 これは僕の得意のところに引っ張って行こうとすると、すぐ引っ張って行けます。(笑)日本の神話の中でも非常に初期の神話、神武天皇が出てくる前の、神武天皇のおやじさんやおじいさんなどが出てくる段階までの日本の神話を見るとわかります。日本の神話の特色は自然物、土地とかをみんな人間にしてしまいます。ですから、自然物が口をきいたり、人間らしいふるまいをしたりしても全然不思議ではないとなる。
 逆に、人間の言葉は自然の言葉と同じになってしまう。たとえば岩の上から滝が落ちてくると、神話で言えば湍津姫(たきつひめ)という女の神様になってしまっている。神様として比喩しているのではありません。滝=何とか姫という女の神様になってしまう。これは日本の初期神話の特徴です。
 というよりも、僕の得意の言葉で言えば、アフリカ的段階の神話です。日本の神話の中でも、初期にはどこの土地を指しているかすこぶる不明なところや、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)みたいに、「こんなもの人間ではない」という、いまで言えば抽象概念を神様にしてしまっている。抽象的な観念を人間にしてしまっているとか、自然の川の流れ、滝が落ちてくるものをみんな神様の名前にしています。
 四国や中国という場所も神様、たとえば愛媛、飯依比古(いいよりひこ)という神様の名前にしてしまっている。愛媛というのは女の神様です。愛媛県に愛媛という神様がいて、治めていたから愛媛というのではありません。愛媛という四国の一つの場所=女の神様です。
 これは日本の初期神話の特徴で、僕らの言葉で言えばアフリカ的段階の神話です。これはどこの場所を指しているか。たとえば神武天皇のおやじさんの鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、海幸彦、山幸彦となると、南九州の場所のことを空間的に指していると言えてしまったから、これは少なくとも日本列島に入ってからの神話だとなった。それ以前だと、どこの場所か不明になっています。
 しかし、明瞭なことは自然物と人間はまみれているというか、イコールだという観念が支配している。こういう段階の神話を、僕らはアジア的以前のアフリカ的段階の神話といいます。つまり、中上さんの作品の重要なところはそこにある。『一番はじめの出来事』は割合、初期のものですから、たぶん中上さんは無意識のうちに描写していると思いますが、本当はアフリカ的段階の神話を非常によく象徴的に表しています。
 先ほど言ったように、秘密の小屋をつくって悪童たちが遊ぶと設定する。中上さんはだれを模倣したわけではなく、本当にそういうふうに遊んだから書いているのだと思います。つまり、体験的描写の変形だと思いますが、そういうふうにしているということは、ひとりでに中上さんが後に神話的意義をつけるわけです。
 今日、やられた方が取り上げている作品の中でも、完全に中上さんが意識的に神話化している。つまり、それ以前に、無意識のうちに、アフリカ的段階の神話の描写を自然描写の中に、子どもの遊び方の中にやってしまっています。
 たとえば『リトル・トリー』という作品を見ると、それがよく出ています。インディアンであるおじいさんとおばあさんに養われた少年のふるまいを描いていますが、おじいさんのあとをくっついて小鳥を捕りに行くと、おじいさんが「木がああいうふうに風に鳴っているだろう。あれはこういうことを言っているのだよ」と少年に教えます。つまり、木がこういうふうに風にそよいでいるとそれは何を言っていることなんだよ、ということがおじいさんやおばあさんにもわかる。そういう自然とのまみれ方をしている。
 これは、まだ自然が宗教になっている以前の段階の自然になります。アフリカ的段階と言えばアフリカ的段階で、中上さんが無意識に『一番はじめの出来事』で初めてやっていること、そういう自然描写をよくよく考えると、自然と人間とがまみれているときの描写です。これがまみれられないとき、つまり『十九歳の地図』みたいに都会に出てきた末っ子の少年を描く場合には、メタファーとしてしか描写できません。
 つまりその二つ、都会に出た熊野人、熊野の場所で育った熊野の子どもたちという二つの問題が、中上さんの文学の二つの足だと思います。中上さんの文学はいろいろな位置づけ、意味づけができるでしょうが、一番簡単で一番よく見えるのは、そういう意味づけだと思います。 都会に出てきたアジア的田舎の人と言えば、ごく普通、一般になってしまいますが、中上さんの作品のおもしろいところ、特色は、都会に出てきたアジア以前の人、つまりアフリカ的段階の人ということです。それが中上さんの文学の一つの特色です。
 もう一つの特色は、いま言ったようにアフリカ的段階の自然、つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、中上さんが非常によく描写していることです。これが中上文学の二つの足である、と僕は思います。

7 「路地」の一族の原型

 『十九歳の地図』は結論的にというか、どういうふうになっていくかというと、あいつを爆破してやろう、いたずら電話をして列車に爆弾をしかけたぞ、みたいないたずらはするのですが、ついにそれを実行するところには行かない。自分をどうしていいかわからない。『罪と罰』の主人公ではないですが、自分を神様だと思うけれども、現実には予備校に行く、行くと親をだまして、予備校にも行かないで遊んでいる。どうなるかわからない、わけのわからない人間になってしまっている自分という現実的身分しかない。
 しかし、自分は「俺は神様だ。想像力の中ではこの世界を全部支配している」と考える人間の精神状態と言いましょうか、そういうデカダンスを本気で描いています。結局、それ以上のところへは行かないで、想像力と現実の自分の身分との矛盾に涙するみたいなことが『十九歳の地図』の結論だと思います。
 後年の中上さんは、「俺は世界を支配しているのだ」とはまさか思わなかったでしょうが、文学者として功成り名を遂げたと言ったらいいのでしょうか。文学者としてそうしましたから、この矛盾が中上さんの中で非常に少なくなっていったのが、中上さんの文学が成長する一つの過程だったと思います。
 でも、ときどきどうしてもがまんならない。がまんしているものがどこにも発散できない、どこにも理解してくれる人がいない。理解してくれるやつ、あるいは理解しているふりをしているやつはみんな頭のいい都会の大学の先生とか、そういうのばかりです。
 一面では中上さんはコンプレックスがあるものだから、そういうのと付き合うわけです。頭は悪くないですから付き合ってよかったのでしょうが、一面では中上さんをずいぶんだめにしたと思います。中上さんをだめにしたのは何かと言ったら、そういうギャップ、だれによっても満たされないところを中上さんはずいぶんいろいろなところで直してしまった、癒してしまったことがあると思います。
 しかし、それは中上さんの文学の本質で、あとになるほど癒しがまんべんなく普遍的になっていった。しかし、ときどきは間欠温泉のようにばっと吹き出してくるというのが、中上さんの生き方だったと思います。
 一方で、自然の中にまみれてしまう。自然と自分と区別がつかなくなった人間というところでの、中上作品の主人公たちはどうなるか。少し成長して、『岬』みたいな作品になると、路地の人になるわけです。路地の人として、さまざまな登場人物として出てきます。
 その登場人物は、『岬』のときにはちゃんと固定してしまっていると言ってもいい。自分の実父である妙な男が妙に威張っていて、ずるをして、悪をして、お金も儲けて、その地位、論理で威張っている。本当は、それは自分の実の父親だった。自分は義理の父親と一緒にいる。
 実の父親は、路地で成金になって威張っている。そいつがしゃくに触って仕方がなくて、殺してやりたいくらい憎らしく思っている。一族の中のいろいろな葛藤、首を吊って自殺してしまう兄貴、気がふれてしまう姉というかたちで、路地の一族の人物は全部廃人に変わる。『岬』という作品の中でも、ちゃんと原型が出てきています。あとはこの原型の人物をどう動かすか、どういうふうに付加価値をつけていくかが、中上さんの作品の、晩年に至るまでの非常に大きな特徴になります。
 つまり、あとはどうやって人物を神話化するか、神話に仕立てるかは、中上さんの作品の一つの大きな流れになってきます。神話化は、さまざまなかたちでなされます。
 たとえば僕が『岬』や『一番はじめの出来事』の中で一番いいなと思うのは、復讐心や親和感という両方の矛盾した気持ちを含めて、自分の実の父親がほかの女に産ませた子どもがあいまい宿のバーみたいなところにいる。その女が自分の異母妹だということは何となく自分でわかりながら、父親に対する復讐心と親和感と両方から、異母妹のところへ行って関係してしまう。つまり、近親相姦してしまう物語がそこに続いてきます。
 また、自分の実父の、ずるなどをして金を儲けてしまう人物に歴史的な意味を与えてみたりというかたちで、さまざまな神話をその人物たちに付加していくのは、中上さんの作品の大きな特徴だと思います。
 しかし、基本的に言うと、中上さんの作品における基本的なタイプは、いま申し上げた『岬』と『十九歳の地図』と『一番はじめの出来事』の三つを典型的に取ってくると、ほとんど全部、図式は出尽くしているとも言えます。それらを総合した最初の作品が、『枯木灘』だと思います。

8 アフリカ的段階を自覚的に掘る必要性

 『枯木灘』という作品はいい作品ですけれども、ここでは自然と悪童たちが溶け合ってしまっているかたちです。土方をやる主人公は土方がとても好きで、土方をやってつるはしで土を掘っていると何か自分と自然とが一体になった気持ちになれる。それが一番好きな仕事だ、と主人公が述べたりする。そういうかたちで『枯木灘』の中には出てきます。
 土方をやって、つるはしを振るって、このときだけは自分は自然と一緒になってやれるというパターンが、何回も何回も音楽の第何楽章というかたちでくり返し、くり返されるのが『枯木灘』の構成の一番の特徴だと思います。 つまり、そういうことの原型は、すでに『一番はじめの出来事』の中で初めになされているわけです。ある意味では、『一番はじめの出来事』のほうがはるかに高い濃度で自然と合一してしまうというか、溶け合ってしまう人間が『枯木灘』よりもっとよく表れていると言えると思います。
 中上さんという人は、ついにそういうかたちで自分の作品を展開させていったと思います。晩年に僕らが中上さんに言ったことは、「あなたの言う路地などはないのだから、いつまでもそういう小説を書くな」と、僕はそういう言い方をしました。
 「それはよくわかっている」と自分では言っていました。僕はそう思います。つまり、『枯木灘』まで行ったらたくさん、十分です。あとはこれに尾ひれ、背びれをどうつけるか。神話的、あるいは民俗学的な知識をどれだけ中上さんが知識として獲得していったか。本当は、獲得した成果を作品の中にどう表していったかという問題でしかないと言っていいくらいです。『地の果て至上の時』を書いたときには、確か「これはだめな作品だ」と中上さんに言ったのを覚えています。「あとで新宿に出てこい」とか冗談を言われて、僕は行きませんでしたけれども。(笑)
 僕だったら、ないのだからもうこんなものはよせ。なくても小説は成り立つけれども、「ない」という意味はフィクションという意味とはまた違う意味で、もうない。そういう段階は過ぎた。この段階をまだ持続する。日本で言えば吉野熊野、南で言えば琉球、沖縄、北で言えばアイヌというものが一定の意味を持つためには、いままで言われているような段階で考えてもだめだ。つまり、根拠地という意味合いで考えてもだめだ。
 要するに、いま言ったようにアフリカ的段階まで自覚して掘れ。そこまで掘るならば全部フィクションとして成り立つから、そこまで掘るなら話は別だ。そうでないならば、つまりアジア的な段階で根拠地みたいなものを考えるならそんなものは意味がない。もうだめだからやめたほうがいいのではないか。僕はそういう考え方を、生前中上さんに言ったことがあります。
 中上さんは「自分なりにそれはわかっているつもりだ」と言っていたけれども、作品の中にそれが具現されたとは思えない。最後に『軽蔑』という作品が新聞小説でありました。これは作品としていいと言えるかどうかわかりませんけれども、僕はある程度いいのではないかと思って読みました。
 どういうところかというと、『軽蔑』の中では根拠地という概念を具体的な土地、つまり吉野熊野という土地と設定していないのです。ここは吉野熊野のこと、つまり路地のことを指しているな、と読み継いできた読者は考えますが、作品の中で僕が理解した限りでは、あまり具体的にそれを指定していない。要するに、フィクションの根拠地を中上さんは考えているな、と僕には思えました。
 もう一つは、『十九歳の地図』で表現したものと、『一番はじめの出来事』で最初に表現したものですが、主人公たちの振る舞い方で、主人公はくにへ帰ってそこに居着いてしまう。主人公が連れて行った都会で仲良くなった女性は、「ここにいても自分は何の役にも立たない。吉野熊野の根拠地に自分は同化できない、私は帰る」と言って新宿のストリップ劇場へ帰ってきてしまう、みたいなかたちで、中上さんは『十九歳の地図』と『一番はじめの出来事』という二つの足の問題を総合しようと考えたのではないかと僕は思いました。
 つまり、僕などの距離から見る読み方だと、中上さんは最後にこれをもって自分がやってきたことの一種の総合をやろうとした。やろうとしたことがうまくいったかどうかは人の評価で分かれるところですが、これをやろうとしたのだなと、僕はそういうふうに読めました。中上さんは「俺は十分、わかってるんだ」と言っていることの意味がきっとそこにあったのだろう。僕はそういうふうに思って、最後の『軽蔑』という作品を読んだことを覚えています。
 中上さんという人をどこで評価したらいいか。強いて色分けしようとするなら、僕だったら『枯木灘』までの中上さんの可能性を見ると思います。その可能性は大変大きな可能性であって、その可能性をある一つの方向にだんだんはっきりと収斂させていったのが、中上さんの文学的な生涯だったと思います。この可能性は、中上さんがやった以上にも以外にも、これ以外の可能性を広げることができるのではないかと僕には思えます。
 僕はどう評価するかと言ったら、どちらかと言えば『枯木灘』までの中上さんの可能性はもっともっと追求する価値が一番あることなのではないか。これからあとの可能性がそんなところで出てくるのではないかというのが、僕の考え方です。そこあたりが、まだ古典になっていない中上さんの作品が比較的冷静に見える場所だと僕には思われます。
 この場所で考える中上さんの文学の骨組みは、だいたい僕が中上さんという人、文学に抱いているイメージの骨格になっていきます。たくさん読まれた方も、これから読まれる方もおられるでしょう。再び読まれたときに、今日申し上げた僕が考えた中上さんの文学的な生涯の図式が、いろいろな意味で中上さんの文学の理解をわかりやすくさせることがあったら、それで満足だと考えています。これで終わらせていただきます。