1 経済学は支配の学

 (講演冒頭は音源なし)
素人であるか、玄人であるかっていうことよりも、経済学っていいましょうか、経済論っていうのは、いずれにせよ、ご紹介ありましたように、大所高所っていいますか、上の方のからおおづかみに骨格をつかむみたいなものが、経済学とか、経済論っていうものの特徴なわけです。それがないと経済学にならないっていうふうなことになります。
そうすると、どういうことかっていいますと、もっと露骨にいってしまえば、経済学っていうのは支配の学です。つまり、支配者にとって、非常に便利な学問なわけです。そうじゃなければ指導者の学です。反体制的な指導者にも、なかなか、この経済学っていうのは、おおづかみに、つかみ方っていうのは、非常に役に立つわけです。
ですから、経済学っていうのは、いずれにせよ、支配の学であるか、指導の学であるかっていうふうに言うことができると思います。ですから、みなさんが経済学の、非常に学問的なかたい本は別ですけど、そうじゃなくて、すこしでもやわらかい本だったらば、つまり、啓蒙的な要素が入った本でしたら、それは体制的な、つまり、自民党系の学者が書いた本でも、それから、社会党、共産党系の学者が書いた本でも、いずれにせよ、自分が支配者になったような感じで書かれているか、あるいは、自分が指導者になったような感じで書かれているかのどちらかだって、すぐに、おわかりになると思います。
しかし、みなさんは、なかにはおられるし、これから、おれ、指導者になるんだって人とか、支配者になるんだっていう人も、おられるかもしれませんし、また、そういう可能性もあるかもしれませんけれども、いずれにせよ、いまのところは、たぶん大多数の人は、なんでもない人だっていうふうに思います。つまり、一般大衆といいましょうか、一般庶民といいましょうか、そういうものであって、学問はあるかもしれないとか、関心はあるかもしれないって人だと思います。
ぼくも、あんまり支配者になる気もなければ、指導者になる気もまったくないわけです。ですから、ぼくがやるとすれば、もちろん、素人だっていうこともありますけど、もちろん、一般大衆ってものの立場っていいましょうか、一般大衆の目からみたら、どういうふうにみたらいいんだってことが、根底にあると思います。
それは、ぼくの理解の仕方ではたいへん重要なことで、みなさんたいてい、経済論みたいな、流行っているのを、どういう傾向の人でもいいんですけど、社共系の人でもいいし、自民党系の人でもいい、みてると、本気にすると、全部、どっかで勘が狂っちゃうと思います。本気にしていると、あるいは、指導者用に書かれていたり、指導者用の嘘が書かれていたり、あるいは、支配者用の嘘が書かれていたり、また、そういう関心でもって書かれていたりするものですから、みなさんの方では、勘が狂っちゃって、どっかでだまされたりしますから、そうじゃなくて、一般大衆、おれは権力なんか、指導もほしくねぇんだっていう、そういう立場から経済をみたらどういうことになるんだってことが、とても、重要な目のように思います。
それに目覚めることが、とても重要だっていうふうに、ぼくは思います。つまり、それがわかることが、ものすごく重要だと思います。つまり、これは、なんか経済を牛耳っているようなふうに書かれているなぁとかいうふうに、牛耳れる立場の人であって、そういうつもりで書いているなっていう学者の本とか、逆に、自分は指導者でもって、一般大衆とか、労働者の指導者になったつもりで書かれている経済論とか、そういうのばっかりがあるわけですから、それはちゃんとよく見ないといけないと思います。
そうじゃなくて、みなさんが自分の立場として、自分は何なんだって、どういう場所にいて経済を見るのかっていうことを、よくよく見ることが大切だっていうふうに、重要だっていうふうに思われます。こういうことは、専門家は云ってくれないですから、ぼくは言ったわけですけど。

2 円高ドル安問題の仕組み

 そこのところで、たとえば、そういう場所から、円高ドル安っていうふうに、盛んにいわれているわけですけど、それはどういうことかってやってみましょうか、そこから入ってみましょう。
 いま、円高ドル安で、円が百四、五十円になったりとか、1ドル百四、五十円になったりで、円高ドル安になってるわけで、ところで、円高ドル安であろうと、円安ドル高であろうと、みなさんの生活が豊かであればいいわけで、どちらでもいいわけなんです。あんまり、円高ドル安っていうふうに、盛んに新聞に書かれると、だれでもがドル安っていうのはいけなくて、円安ドル高がいいんだなんて思わない方がいいと思います。そんなことは、ほんとはどちらでもいいわけなんです。
 一般大衆、つまり、われわれとしては、われわれが豊かな生活をできれば、どちらでもいいってことになります。だから、それは、ほんとは、あんまり重要な意味はないんだっていうことが、どうしてもはじめに出てくるわけです。
どういうことかっていうことをお話ししましょう。つまり、そもそも円高ドル安にしようじゃないかって話が出てきたのは、だいたい、学者さんの考え方のいうところによりますと、1985年ですから、昭和でいって何年頃だろ、いま88年だから、3年か4年前だと思いますが、そのとき五か国外相会議、あるいは、五か国首脳会議っていうのがありまして、五大国首脳会議でしょうか、そのとき、アメリカから、あんまり今は、円安ドル高で困ると、円安ドル高っていうのはどういうことか、ぼくはちょっと安直だから、データを書いてきましたけど、その頃は…書いてないな(笑)、その頃1ドルが265円なんていうふうな、大ドル高円安っていうときがあったわけなんです、85年頃。そこいらへんのところ前後してまして、1ドル二百三十何円とか、そういうときもあったんです。
そういうときに、結局、アメリカが主張して、円高ドル安にしようじゃないかっていうふうに、なぜかっていうと、アメリカは経済的なピンチみたいなのもありまして、そのピンチも、要約すれば、日本に対する貿易関係でピンチだったと思いますけど、そのピンチのところに乗じて、投機的要素でもって、ドル高になっちゃってる部分が、たくさんあるというふうに判断されたわけです。
そこでもって、ぼくは、五大国先進国会議でもって、アメリカの提唱で、円とか、西ドイツのマルクなわけでしょうけど、円を主に目標にして、円高ドル安の方に移行しようじゃないかっていう提唱がなされたわけです。それじゃあ、賛成しまして、そういう傾向にもっていったわけで、すべての予想に反しまして、円高ドル安っていうのが、五大先進国の予想を超えて進展してしまったわけで、ここまでいくとは思わなかったわけです。
その要因は何かって言ったら、日本の企業が優秀なわけです。日本の月給取りとか、労働者っていうのは、わりあいに我慢しますから、安いお金で、つまり、あんまり給料の値上がりしないで、それで耐えるっていう、そういう美徳がありますから、美徳か悪徳かわかりませんけども、それでもって、予想を超えた円高ドル安になってしまったっていうのが、現在の状況だと思います。
予想を超えて、円高ドル安になってしまおうが、しまうまいが、日本が富めば、一般大衆が富めばいいんだってことになるわけなんです。ところで、それが、そうはいかない要因が出てきたわけなんです。
そういうのが書いてあったから、あれしましょうか、わかりやすのが書いてあったから、ビックマックを1個買うっていうわけです、それが1986年で、辻村さんっていう人の本に出てたんだけど、わかりやすいから、あれしたわけですけど、つまり、どういうことかっていったら、ようするに、1986年9月現在で、ワシントンではビックマック1個の値段は、1ドル60セントだ、その時に、東京では、370円だっていうわけです。同じ品物がです。同じ品物が370円、そうだったら、1ドル60セントは370円に相当するわけです。相当すれば、べつにどうってことないわけです。円高ドル安もへちまもないわけです。そうしたら、計算したら、すぐわかりますけど、1.6でこれを割ればいいわけです。そうしたら、1ドルは231円になるわけです。231円に該当していれば、円高でもなければ、ドル安でもないってことの理屈になる、簡単な理屈でそうなりましょう。ところが、現実には86年9月には、1ドルが154円だった、つまり、231円だったら、どちらでもないわけなのに、1ドルが154円だから、ようするに、それが円高なわけです。
ところで、円高であったって、先ほど言いましたように、円高ドル安であろうと、円安ドル高であろうと、ようするに、ちゃんとしてやっていっても、ちゃんとしてやっていくってことは、人によって考え方が違いましょうが、ぼくは、一般の人は、大多数の大衆が、ちゃんとしてやってきて、豊かでやっていければ、いちばんいいわけですけど、ところが、そうはいかない要素が出てきちゃったわけです。で、とんでもない円高が進んじゃって、円高ドル安が進んじゃったわけです。予想を超えて進んじゃって、現在はそれをまた、是正するのに大慌てだっていうことになってるわけです。
ところで、どうして予想を超えて進んじゃったかって、さきほどもちょっと言いましたけど、もう一度あらためて申し上げますと、日本では、これ賃金の四角なんですけど、日本では、1975年の日本の平均賃金を、例えば100としましょう、そのときに、日本の賃金を、80年の時に102、84年の時に105.2っていうくらいに、つまり、多少賃金は高くなっていますけど、ほとんど変わらないわけです。
ところが同じ年に、たとえば、アメリカならば、アメリカも75年を100としますと、80年には、132.4に該当するわけで、賃金が、給料が上がっちゃっているわけです。それから、84年には、148円まで上がって、給料がすごく上がっちゃうわけで、給料分がどんどん上がってくるわけです。日本みたいに、日本の労働者とか、サラリーマンみたいにこらえ性が、我慢する特性がないわけです。これは、美徳であるか、悪徳であるかわかりませんけど、これだけ上がっちゃってるわけです。
これだから、ますます生産コストは高くなるっていうことで、ますます円高ドル安が予想を超えて進んじゃった要因のひとつはそういうことがあります。その時は、西ドイツは、75年を100としますと、80年には119だか、120くらいですね。84年は125って上がっているわけです。給料の平均が上がっているわけです。これも、アメリカに比べたらそれほどじゃないけど、日本に比べたらずいぶん、年年で上がってるじゃないかってことになるわけです。だから、これらを比べてみますとわかるように、これだけ安い給料で、日本の労働者とか、職員とか、一般のサラリーマンっていうのは働いてくれるわけですから、産業としては非常に、国際競争力にものすごく莫大に耐えるわけで、それがようするに、予想を超えた円高ドル安のひとつなわけです。それでいま、結局大慌てに慌てているっていう段階になってる。

3 大多数は景気がよくない

 もうひとつ要因があります。それは何かって、これは、円高ドル安が日本の大衆に対して、一般大衆に対して、不意である要因になります。それはなぜかっていうと、一般論でいえば、いまの給料の比較でいいますと、給料を我慢しながら働いているっていうことになりますし、ほかの国に比べたら、我慢しながら働いているから、その分だけ余計に円高の要素、それから、日本が経済力を、国家として獲得する要素になっているわけですけど、そうじゃない要素として、結局もうひとつあるんですけど、日本の円高っていうものを支えているのは、自動車産業とか、それから、電気機械とか、電気器具です。つまり、家庭用の電気器具っていうようなものとか、あるいは、高度な情報装置のための半導体とか、半導体の製造メーカーとかっていうように、ごく少数のっていうような、大前さんっていう人のデータによれば、上位20社くらいのメーカーが、円高を支えているので、それはだいたいのうち、自動車産業とか、家庭電気器具とか、半導体とかっていう、輸出産業でも、おおいに世界中をのしてるっていうような、そういう産業で円高をものすごく誘発してるっていいましょうか、支えている企業の働いている人の人口っていうのは、全働いている人の人口の13%だと、つまり、いってみれば、どういうことかっていうと、簡単なことで、みなさんの中で、例えば、みなさんがひとつの教室だとすると、平均すると70点だ、だけれども、そのなかで、たとえば、上位10人ぐらいの人が、ほんとは100点満点でも、200点ぐらいあるくらい優秀な人がいて、100点満点なのに、200点くらいやったらいいっていうようなのが10人ぐらいで、あとは、本当は、ものすごくできない人がわりにたくさんいて、平均すると70点になってる、こういうのと、日本の産業っていうのはおんなじだっていうことなんです。
 つまり、大部分の日本の産業は、円高に寄与するところは、そんなになくて、ごく少数のべらぼうに優秀なっていいますか、輸出向けでべらぼうに優秀な企業だけが、少数の企業で、就業人口でいえば、13%くらいの企業だけがものすごく優等生で、ものすごく外貨を稼いでっていう、つまり、日本国家としては黒字だっていうか、黒字をもたらしているので、大部分の産業っていうのは、古い型の産業っていうのは、そんなに寄与していないっていうこと、そうすると、みなさんがすぐおわかりになるように、てきめんに支えている少数の、200点満点ぐらいで支えている少数の企業も、なかなか国際競争力で、それを維持するのにきついでしょう、東京大学受験だとかっていうことで、維持するのがきついってことがあるでしょ。
それから、それ以外のところでは、円高ドル安になっているのに、自分たちの企業はそんなに寄与していないですから、自分たちの企業はそんなに景気はよくないっていうことになるでしょ。大部分のところは、円高で外国に対しては、日本国家として全体でいえば、外国に対してはたくさんの財産を持ってるんだって、日本っていうのは、いま、外国にある資金っていいますか、財産は、世界で一番もっているってなってるわけだけど、しかし、そんなものは、あんまり優等生でない、大部分の日本の企業に働いている人にとっては、べつに何の関係もないわけでして、かえって景気がいいとかいうふうに言われながら、実際の問題として、それに寄与もしていない代わりに、それから恩恵を受けていないし、むしろ、景気はあんまりよくないんだっていうような、傾向としては、景気はよくないんだっていうふうになるわけです。そこが問題なわけです。問題なのはそこなわけです。
 主に、この賃金の問題と、それから、いまの少数の輸出力のある優れた産業が、ものすごく優秀なもんだから、平均すると、円高にしてるんだけれど、実質上は円高に寄与してる企業っていうのは、そんなに多くはないんだっていう、こういう2つの要因っていうものでもって、現在の、しきりに、対外資産っていうのは、日本は富んでいて、世界第2番目の経済大国になった。そして、対外資産っていうのは、世界で一番持っているんだって、そういうふうに言われながら、ちっとも自分たちは楽にならないんじゃないかとか、自分たちには、ちっともそれは及んでいるとは思えないじゃないかっていうふうに、みなさんがたぶん実感されていると思うんですけど、それは、ぼくらもおんなじで、いくら金あるって、日本国が富んだって、財産を持ってる、対外資産を持ってるって言うけど、そんなのはちっとも、われわれに及んできてるっていう実感がこないじゃないか、それはなぜなんだっていったら、たぶん、いま申し上げました要因に、主な原因があるっていうふうに考えたらいいと思います。
だから、そういうことがいちばん問題なわけです。べつに、円高ドル安自体が、あんまり問題でないんです。これ自体が問題なのは、ようするに、支配者が問題なので、つまり、自民党政府にとっては、これは大問題なわけです。だから、みなさんが自民党の閣僚かなにかになったら、これは心配すればいいわけです。みなさんが心配するところは、ここいらへんのところで、なぜそんな金をたくさん持ってるというし、日本は世界第2番目の経済大国になったっていうけど、なぜおれらのところは索漠としてるんだっていう、そういうことがみなさんにとっていちばん重要なことなわけです。
だから、そのことに、円高ドル安っていう問題と、あなたがたの実感の問題といいますか、あなたがた自身にとって問題なところとのつながりと、断層といいますか、本当は直接の関係はないんだよっていうことと、しかし、つながってんだよってこととの、その2つの区別っていいましょうか、2つのことをうんとよくわきまえられるっていうのが、とても重要だと思います。
つまり、円高ドル安っていうふうに、政府が一生懸命心配していると、みなさんの方も一生懸命心配するっていうのは、ナンセンスであるわけで、そんなことはないのです。それは、政府が心配したらいいのでありますし、みなさんが、やがて、総理大臣とか、そういうあれになったら、心配されたらいいと思います。それは、一生懸命心配すべきだと思います。全体の問題ですから、一生懸命心配すべきだと思いますけども、みなさんがいま心配することは、そういうことではないんです。そういうとこではないので、どういうふうにうまくやるかなっていうふうなことを、よく観察しながら見てるのがいいと思います。
で、自分らのところはちっともよくならないじゃないか、かえって悪くなったじゃないかっていうようなことだけをみなさんが心配して、それに対して、あまりにひどかったら、異議を申し立てればいいわけであって、円高ドル安自体をどうするっていうことは、べつにいらないわけです。だけれども、この円高ドル安っていうのは、相当影響あるぜっていう、つまり、生活やなんかとか、不況とか、そういうことに影響はあるぜってことは、確かなことだから、その影響と、円高ドル安っていうのとの間接的な関係と、その2つを非常によくわきまえておられることが重要じゃないかっていうふうに思われます。
こういうことは玄人の人っていいますか、経済学者とか、経済専門家っていうのは、言ってくれないわけで、いずれにせよ、自民党的な色彩で云うか、社共的な色彩で云うか、どちらかで云うわけです。それは、そうじゃないんです。つまり、円高ドル安っていうことの事実と、それから、みなさんのところに及ぼされる影響っていうものと、それをよくよく見ておられるところが、重要だと思います。

4 知ることが重要

 そうすると、ぼくみたいな観点をいいますと、ようするに、経済問題っていうのはあんまり重要じゃないってことになっちゃうんです。つまり、自分たちの生活に響いてくる問題っていうのは、給料のことだけになってくるわけです。この給料の問題だけになってくるような気がするわけです。
 だから、あんまり直接の影響ないっていうふうになっちゃうんだけど、しかし、知るってことと、知らないってことは、ものすごく違うんです。知ってるってことは、非常に重要なことなんです。知るってことは、そのことを超えていくひとつの重要な前提ですか、知らないで超えることはできないのです。知らないで超えようとしたってだめなんです。見当が違っちゃうんです。見当が違う反対とかやるんです、よく。だから、ようするに知ることってことは、まず、超えることの前提になるわけです。
ですから、直接関係なくても、支配者にとって、政府にとってとか、国家の担当者にとっては、切実な問題だけど、みなさんにとっては、それほど切実じゃないんです。切実だっていうと、おまえ、なにもしようがないじゃないかと、おれがどうやったら円安に寄与できるんだったって、みなさんは何も持ってないでしょう、つまり、直接の手段をもっていないでしょう。せいぜい給料を我慢するくらいで(笑)、冗談じゃないよってことになっちゃうわけです。
だからそんなに、寄与することはないってこと、寄与することもできないです、直接な意味では。だけど、ようするに知るっていうことは、そのこと自体とか、その現状を超えていく前提になりますから、やっぱり、知るっていうことはとても重要だっていうふうに思われます。
 その限りにおいては、この2つの国際競争力っていいますけど、2つの国際競争力が、日本がものすごく優秀なものですから、ようするに、先進国五か国会議の予想を超えた円高ドル安になっちゃっているわけです。それを、いま慌てて、修正しようとしているわけ、それからもうひとつは、円高ドル安になったはいいんですけど、2番目の要因が大きな影響だと思うんですけど、日本の経済全体が、輸出産業依存型っていいますけど、輸出偏重型に変わっちゃったんです。
つまり、みんな、自動車産業とか、家庭電気製品とか、半導体とか、ハイテク技術とか、そういう少数の200点満点ぐらいもってる、そういうのにみんなおんぶして、よろしく頼みますって具合に、おんぶしてしまうってかたちの経済構造ができてしまったってことがあるわけです。だから、輸出依存型の経済にひとりでに移行していっちゃったっていうことがあるわけなんです。
だから、結局、政府はまた、内需拡大っていいましょうか、輸出依存型の経済から、そうじゃなくて、国内の需要に対して、国内で消費するっていう、そういう産業の方法、方向っていうのに、方向を変えていこうじゃないかっていうのが、たぶん、いまの政府の経済方針だっていうふうに思われます。
 そして、着々と、そういうふうに移行しつつあるっていうのが、経済専門家の分析です。そういう型に移行しつつあるっていう経済分析をやっております。それが現状だと思います。これだって、みなさんには直接は関係ないわけです。間接的にはあります。たぶん、働いてる企業が国内消費型であるか、対外輸出型であるか、どちらかの要因が何%とかってなってるでしょうから、そういうことで、勤めている会社が、景気がよくなるとか、少し景気がよくなったとか、輸出製品を、国内用に切り替えがはじまったとかっていうようなことを、みなさんがお勤めのところで、それを感じられるだろうっていうふうに思われます。つまり、そういう意味では影響があります。
そうすると、それがうまくいけば、お勤めの企業がうまくいけば、みなさんの給料の要求っていうのは、よりたやすく通るようになりますから、だから、みなさんのところにも影響があるっていうような、そういう影響の仕方でもって、みなさんに影響してくるだろうってことが確かで、だから、内需拡大型っていうのが、輸出依存型で、円高ドル安っていうのから、内需拡大型っていうふうに移行しようとしてるのが、たぶん、いまの政府自民党の、いちばん経済政策の、いちばんの要点じゃないかっていうふうに思われます。
しかし、そのことの問題は、よく知っていて、それが、自分たちの職場とか、あるいは、学生さんだったら、親からの送金がどのくらい減るか、増えるかってことを通じて、その問題は、みなさんにきっと影響してくるだろうっていうふうに思われます。
 それから、みなさんもちろん、自営してたら、それはもちろん直接に、もろに、国内型の産業に移行するのと、輸出産業に従事しておられるのと、どちらもおられるとすれば、それは、直接、企業に影響を与えると思いますから、重要な要因となって出てくるだろうと思います。つまり、給料を支払えるか、支払えないとか、潰れてしまうか、潰れないかってことで、きっとたいへん切実な問題だと、響いてきているだろうっていうふうに思われます。
それが、だいたい、円高ドル安の原因っていいますか、つまり、円高ドル安は、そういうふうに、世界経済の首脳部が、そういうふうに決めたからそうなったんだけど、しかし、予想を超えちゃって、円高ドル安になっちゃった理由は何なのか、そのために、相当大慌てに修正しなければならないことが、たくさん出てきたっていうような、それから、さっぱり、対外資産がたくさんあるし、国家は富んで、世界第2の経済大国になったのに、ちっとも豊かにもならないし、衣食住をあれしてみたら、食はそうでもないんですけど、あんまり豊かにはなってないっていうような、あんまり豊かな実感はないなっていう、そういうことの原因っていうのは、そういうところにあるっていうふうに、お考えになったら、よろしいんじゃないかと思います。
専門家に云わせれば、もっとたくさんの要因を挙げるでしょうけれども、だいたい、ここいらへんのところが主要な要因ですから、ここいらへんのところが原因で、いま、そういうふうに、過剰なっていいますか、予想を超えた円高ドル安になって、慌てふためいて、それで、それがまた、輸出依存型になって、それを慌てふためいて、政府が修正しつつあるっていうのが、現在の段階だっていうふうになってるわけです。

5 農業問題とは何か

 それで、次にそこのところから、派生してくる問題でもありますし、また、別の問題だっていうふうに云うことができる問題があります。それは、農業の問題です。農業の問題っていうのは、べつに農業の問題が、ほんとはあるわけでもないんですけど、みなさんが知ってる、新聞とか、ジャーナリズムを賑わした問題として、ひとつは、ここから及ぼされた影響もあるわけで、盛んにそういう論議がなされているから、そのことをもうひとつ、申し上げてみたいと思います。ことのはじまりは、たとえば、大前研一さんとか、竹村健一さんとか、そういう自民党系のっていいますか、わりあいラジカルな経済論をやる人がいるわけです。
大前さんは専門家かもしれませんけど、竹村さんは、ぼくらとさして変わり映えしない素人だと思います。でも、2人の、両方とも云うことは、おんなじことを云って、それが、ことの口火を切ったことのはじまりなんです。つまり、それは、おもしろいから申し上げますけど、なぜ、おもしろいかってことと、なぜ、おもしろくないかってことと、両方申し上げますと、それは、どういうことかっていうと、大前さんも、竹村さんも、ようするに、大都市、東京とか、名古屋とか、大阪とか、つまり、大都市の周辺と内部の農地っていうのがありますけど、農地でお米なんかつくってるところは特にそうなんだけど、そういうのは、全部やめにして、全部宅地にしちゃえばいいじゃないかっていう論議を出したわけです。
で、これは、具体的にいいますと、竹村さんの云い方は具体的なんですけど、竹村さんは、そのためにどうすればいいかっていうと、自民党がこうすればいいって云ったんです。つまり、大都市の周辺と、それから、大都市の中にある農地に対して、一般の空き地並みの税金を課すようにしたらいいっていうふうに主張したわけです。つまり、農地であるっていうと、税金は安いわけです。竹村さんは、しきりにそういうことを書いているわけだけど、だから、柿の木3本くらい植えといて、農地だっていうふうにやってるじゃないか、こういうのはみんな、宅地並みの、ふつうの空き地並みの税金を取るべきだっていうふうに、そういうことを含めて、そう主張したと、そしたらば、だいたい大都市の周辺の農家は、農地を売ってしまうだろう、売ってしまったら、それは宅地にすればいいんだ。宅地にすれば、都市の一般大衆っていうのが助かるんだっていう、住宅難にあえいでいるわけだから助かるんだっていう、そういう論議をしたわけ、それから、大前さんもおんなじことなんですけど、自民党政府は農協とか、選挙があると、農協とか、農民とかの票が、自分たちにくるもんだから、それを言わないんだけど、ほんとは、自民党が自分たちの体質を変えて、都市サラリーマンが、自民党の票の基盤だって、意識を変えなきゃだめだ、変えといて、やっぱり、大都市周辺の農地、とくに米作っていうのはやめにして、宅地にしたらいいんだと、そしたらば、農家の方は、そういう土地を売り払えば、だいたい200年生活するだけの金がいっぺんに入るはずだと、そういう計算をしたわけです。それで、都市の大衆は、住宅難が解消される、こういう論議をしたわけです。
こういう論議をしたら、カンカンになって怒ったのがいて、それは、農協とか、それに類した農文協とか、そういうところにいる連中が怒ったわけです。それは、さまざまなニュアンスがあるわけです。あの大将たちの言うようにしたら、やっぱり、おんなじじゃないか、地上げ屋さんが介入してきて、高い金吸い上げて、入れるやつも、下の方の一般大衆の方でも、下の方の人は入れなくて、やっぱり、上の方の金のあるやつが入れるってなっちゃうじゃないかっていう論理もありますし、それから、農業は日本の魂だっていう人たちもいまして、いろいろな団体の、いろいろな論理があって、農業が滅びてしまったら困るじゃないかっていう論理もありまして、それで、猛烈な勢いで反対して、いまは最大の危機だっていうふうにあれして、猛烈な反対をして、それは、ジャーナリズムを賑わしたわけです。
で、もうひとつあるわけです。もうひとつが円高ドル安に直接響いてくるわけですけど、つまり、円高ドル安が過剰に進んじゃった、予想よりはるかに進んじゃったのを是正するために、アメリカの要求のひとつは、貿易を自由化しろと、とくに農業問題に関係あるのは、食糧品と、それから、お米ですけど、食料品とお米っていうのを自由化して、どんどん輸入させろっていうふうに、それを要求してきているわけでしょ、政府に対して要求してきています。
そうすると、そのこともまた、農協とか、そういうところにいる人たちを、ものすごく危機感を抱かせたわけです。どうしてかっていいますと、日本とアメリカの、米の価格を比較すると、86年度だけとってみますと、そうすると、生産者価格として6倍、日本の方が高いんです。アメリカを100とすれば600なんです。高いわけです。だから、もちろん同じ品質、カリフォルニア米っていうのが、だいたい日本のいい米に匹敵するっていわれてますけど、お米を、アメリカのいうとおり、輸入制限を撤廃したら、だいたい6倍高いんだから、向こうの買うに決まってるじゃないか、そしたら農家は一挙にだめになっちゃうじゃないかっていう、そういう危機感が、ひとつなんです。
それから、もうひとつは、これは消費者価格だと2倍したところなんですけど、いずれにせよ、かなりの程度、価格の落差があるわけです。それだけ、ある意味では、日本の政府っていうのは、農業政策としては、農家の保護っていいますか、米の価格の保護をある程度やっていることを意味していますけど、直ちにアメリカのいうとおりにしたら、お米だけとってきたら、6倍から、消費者価格の2倍くらい、そのくらい格差があるんだから、向こうのを買って食べるに決まってるじゃないか、一般大衆は安い方買うに決まってるわけですから、そしてら、日本の米なんか買うやつはいなくなっちゃうから、すぐに、日本のお米は下げなくちゃならないじゃないか、値段を下げないと、そうしたら、農家の経済っていうのは、直ちに大混乱を呈するじゃないかっていうのが、また、農協とか、そういう農業立国みたいなことを考えている人たちの、そういう論理だと、それが、円高ドル安の問題と、いっしょにからんで問題になって、非常にジャーナリズムみたいなものを賑わせる論議になって、みなさんの方も、たぶん、そういう論議を聞かれたことがあると思います。つまり、そういう論議になって、あらわれたわけです。

6 農業問題でほんとうに重要なこと

 ところで、本当に農業問題にとって重要なっていうふうなことをあれしてみますと、どういうことかっていいますと、昭和25年に農業関係者、農民、あるいは、農業関係の仕事にたずさわっている人口は、全人口の45.2%くらい、だいたい50%近くあったと、82年っていうのは去年でしょうか、去年では、9.7%だというふうに、つまり、これだけ減っちゃっているわけです。
今度は内訳を申し上げてみますと、専業農家っていうのは、つまり、農業だけやってる農民です。全農業従事者の中の14.8%、つまり、15%ぐらいが農業だけをやっている人で、それから、あと15%ぐらいは、第1種兼業、つまり、時々、ほかのところへ出稼ぎに行ったりとかってしながら、農業やってるっていうのが14.2%、で、第2種兼業農家っていうのは何かっていいますと、ようするに、農家であって、主人とか、息子とかが、サラリーマンになってとか、工場の労働者になって働いているっていう、つまり、月給取りであって、農家であるっていうのが、第2種兼業農家、これが69.9%、つまり、70%っていうのは、ようするに、サラリーマン農家なんです、現在。
これは、みなさんがよく頭においといた方がいいと思います。その手の論議は、読んだとき、参考になりますから、つまり、いかに嘘を言い合っているかっていいましょうか、嘘を言い合っているのがよくわかります。つまり、もう月給取りにして、農業だっていう、畑や田んぼを持ってるけど、自分はサラリーマンやってるっていう、そういうあれは70%なんです。ほんとに純粋な農家っていうのは15%なんです。この数字は、大切ですから、頭のどっか入れておられた方がいいと思います。
そうしといて、ぼくなんか、61年度の農業白書なんです。それでみますと、農業人口っていうのは、だいたい3年ごとに1%~1.6%の割合で、農業人口っていうのは減少しています。つまり、増えるっていう兆候はありません。どっから考えてもありません。過去の統計からもありませんし、ないと思います。だから、いずれ減っていくでしょう。しかも、兼業農家が多いですから、兼業農家から減っていくでしょう。
これがまた、竹村さんやなんかのあれになっているわけで、つまり、最初に土地を売っちゃう人はこういう人だっていうふうになると思うんです。第2種兼業農家の人が売っちゃうだろうって考えられるわけです。それが、70%はそうなんだっていうことがあるわけです。だから、これが農業問題で起こった論議の基礎になるデータなわけです。
 もうひとつ、竹村さんなんかは、それを盛んに強調するわけですけど、農家1所帯あたりの貯蓄額っていうのは、1557万円っていうのがあります。純粋にいろんなあれをしていきますと、1351万円で、ところで、みなさんの方の貯蓄額は、だいたい、692万っていいますか、平均、で、純粋にいって、442万っていうふうになっています。
たぶん、みなさんは、おれのところそんなにねぇっていうふうに云われるかもしれないですけど、平均するとこうなるんだから、だいたいこれだけもっておられるでしょ、本当に貯金通帳みせろっていったら、たいていこれくらいもっていると思います。だけど、農家はこれくらいもっているわけです。これもようするに、竹村さんの論議の、非常に大きな基礎になったわけです。また、農家の方には、なにを言ってやがんだっていう、反発の根拠になったわけです。
つまり、ここらへんのところで、こういう農業問題の論議が起こったわけです。しかし、みなさんが、竹村さんや大前さんのように、自民党を通じて、こういうふうにやって、宅地を増やして、それで農業を減らしてっていう、農家を大都市の周辺から、農家、とくに米作のあれを減らしてっていう、竹村さんや大前さんの論理と、それから、けしからんっていう、ああいうとんでもないやつだっていう、自民党の反動デモがとかっていうわけで、農協とか、農文協とかにいる連中が大反発をして、いまこそ農家が潰れるんだみたいな、そういうふうにやって、大げんかになって、対立になっているわけですけども、対立になっているように見えるわけですけども、一般大衆から見たら、ようするに、両方とも嘘だっていうことになるわけです。そんなことはないんです。
 たとえば、3年に1.0%とか、1.6%とか減少していくことはたしかです。これを単純に割ってみればわかりますけど、なくなるには200年ぐらいかかります。単純なあれをすると、単純に減少率でいくと、農家は日本からなくなっちゃうっていうためには、だいたい200年ぐらいかかります。
これは単純概算でいいますと、そんなに危機でも何でもないんです。何でもないってことはないんだけど、混乱は生ずるけど、安いお米、安い食料品が入ってくるわけだから、ようするに、均衡の価格になるまでは、大混乱を、混乱はいちおう呈するけど、あるところで均衡に達するっていうふうに、思うのが非常に常識的な考え方なわけで、ぼく…(音声中断)、専業農家が10%からちょっと下がっちゃったところくらいで、日本の農業っていうのはかなりの年月、安定して、国際競争力ももちろん耐えるやり方を、いろんなやりかたを、ハイテクのやりかたもいろんなことを使いながら、そのぐらいで、たぶん、僕だったら、そのぐらいで、均衡に達するだろうっていうふうに思いますから、いま、輸入したら大混乱が起きて、日本農業が潰れてしまうなんてことはないと、ぼくは思います。
だから、この手の論議っていうのは、非常に誇張を含んで、いずれにしろ、指導者になりたいやつと、それから、支配者になりてえやつが、ようするにケンカしてるってわけで、だから、両方とも誇張しているわけです。だから、みなさんは、この種の誇張には入らない方がいいと思います。
つまり、支配者になりたい人の云うことと、指導者になりたい人の云うこととの対立っていうのには、まあ切実には違いないから対立しているわけだけど、しかし、そのまんまが自分のあれだっていうふうに、思わない方がいいと思います。ある程度、それとは、自分の立場っていうのは違う、あれは、指導者と支配者のケンカであって、自分らとは違うよっていうことを、はっきり踏まえていた方がいいと思います。そのうえで、切実なところは切実っていうふうに、考えられた方がいいと思います。
たとえば、宅地の住宅問題とか切実ですけど、それは、そういうふうに考えられた方が、ぼくはいいと思います。だから、ぼくらは一般大衆の場所から見れば、ようするに、農家っていうのは、いま14.8%ぐらいでしょ、これがたぶん、10%ちょっと下がったところで、いくら貿易自由化しようがなにしようが、ここらへんのところで、たぶん均衡点に達し、日本農業はたぶん、相当いいあれでもって、生産性と精神の質でもって、だいたい、対抗してるだろうって、国際競争力に耐えるだろうって、ぼくは常識的に考えます。
だから、これらの論議っていうのは、やっぱり、支配者と指導者の論議であって、みなさんがそれは、支配者になるか、指導者になったときに、どちらかに加担されたらよろしいのであって、いまのところは、そういう加担されない方がいいと思います。つまり、もっと冷静に見ておられた方がいいと僕は思います。

7 対立の根底にあるもの

 たとえば、大前さんとか、竹村さん、つまり、ぼくらの言葉でいえば、ラジカルな保守主義なんですけど、自民党系の人、自民党がやってくれることを頼みにしている人だと思いますけど、その人たちの論議っていうのは、どこがだめかっていうことを考えるわけです。よくよく考えますと、それはこうだと思うんです。
 つまり、この人たちは、事態をあっさり考えすぎるような気がするんです。たとえば、大都市の周辺の農地の税金を、ふつうの空き地並みの税金に上げてしまえって、そしたら、必ず売っちゃうからっていう、竹村さんのやりかたですね、それを自民党がやれば、ただちに売っちゃって、宅地になる。そういうふうに言ってますけども、ぼくが思うには、そういう竹村さんとか、大前さんの論議には、さまざまな段階があると思う、段階のやりかたがあって、云い方があって、それで、竹村さんの云い方は、中間の策だと思う、中間の考え方だと。
もっと本当にラジカルな考え方をとるとすれば、自民党がとるとすれば、自民党が、たとえば、都市周辺と、都市内部の農耕地を全部、自民党が買い上げて、国営の住宅をいっぱい建てて、都市の一般の人たち、都市のサラリーマンとか、労働者に、それを提供する、ある値段、抽選かなにか知りませんけど、提供するっていうのがいちばん厳しいやりかたでしょ。つまり、そういうふうに強行しちゃうっていうのが、いまの問題でいちばん厳しいやりかたです。
いちばんゆるやかなやりかたっていうのは、ほっとくっていうことです。ほっとくっていうのがいちばんゆるやかなやりかたです。ほっとけばどうなるかっていったら、たぶん、大都市周辺の農家っていうのは、黙ってても土地を売ってくだろうと思います。もちろん、その間に地上げ屋さんが介入して、かなり高い金でもって、それを買い取ることで、ほっとけばそうなって、宅地にだんだんなって、都市は膨張していく、それから、農地は縮小していくっていう、そういうかたちが、自然に取られていくだろうって思います。ほっとけばそうなると思います。
それから、自民党が意識して、都市周辺の農地を買い上げる、そういうふうにやったらば、国営でもって住宅をつくって、アパートとか、マンションをつくって、そこに都市のサラリーマンとか、労働者の家がない人を入れるっていう、こういうことをやったら、それは相当ラジカルなやりかたになります。それで、竹村さんが云ってるやりかた、中間のラジカル度っていいましょうか、そういう意味をもってると思います。
 ところで、これは、ほっとけっていうのは別ですけど、竹村さんの云い方、つまり、都市周辺の農地に宅地並みの課税をしてしまえっていう、竹村さんの、そういう云い方で言われていることでも、もしこれを、たとえば、自民党なら自民党、自民党じゃなくても、共産党でも、社会党でもいいんですけど、それで実行したら、ぼくはそうすると、血をみるまではないけど、相当きついことになるような気がするんです。
つまり、日本人っていうのはだめなわけです。そういうことに慣れてないんです。革命っていうのに慣れてないから、その程度の穏健なことで、もしやったら、相当なもんだっていうふうに思います。だから、ぼくの理解の仕方では、自民党は、いくら竹村さんや大前さんがおまえらやった方がいいんだって言ったって、やらないだろうっていうふうに思います。やったら、たちまち、農協の票を全部失い、農民の票でも失うという心配をするでしょうし、さまざまな利害関係もからむでしょうから、たぶん、それはできないだろうと思います。つまり、いってみれば、大前さんでも、竹村さんの云ってることは、一見するとなんでもないことのようにみえて、また世間もなんでもないように言ってるけど、これはやっぱり、一種の革命なんです。
だから、これは日本のどんな政府がやったって、できないと思います。たぶん、それは行われないでしょうっていうふうに、ぼくは思います。それじゃあ、社会党でも、共産党でも、やれるかっていうと、この人たちもできないです。この人たちは、社会の現在の、大局的な問題は何なのかっていうのが、全然わかんないですから、ようするに、どぶさらいっていうか、こういうところでやるからこうしてるとかっていう、つまり、大局がどうだっていうのは、あんまりわからないですから、それもできないと思います。
だから、いちばん可能性があるのは、自然にほっとかれるだろうっていうこと、それから、もうひとつ心配な、心配でもないんですけど、警戒すべきことっていうのは、たとえば、市民主義者みたいなのがいるわけです。そういうのの論議を聞いていると、相当すごいことを言うわけです。つまり、自民党政府がそんなのできないから、社共の政府でしょうけど、そういうのをつくって、それで、土地を買い上げて、国家が買い上げて、一帯を住宅地にして、それで、それを一般大衆に提供してっていうふうに、そういうことを、つまり、自民党政府ではできない、そうじゃない政府ならできるようなことを言うけど、ぼくはそうじゃないと思います。できないと思います。いまの見識だったら全然できないと思います。
いまの見識だったら、農家はいまにも滅びるっていう、日本の農業は滅びるぞみたいな、そんなこと、こっちの方に加担しているんだから、どうしようもないわけです。そんなこと云ってんだから、どうしようもないわけです。だから、そんなことはないんです。そんな論議は嘘なんです。だから、そういうことに対して、ものすごく、みなさんが冷めていた方がいいと思います。
つまり、切実なんだけど、その論議っていうのは、ようするに、支配者と指導者との、あるいは、支配者と指導者になりたいやつとの論争、論議ですから、これは、いくら白熱したって、実態と違うんです。そうじゃないんです。みなさんがよく見てるのは、農家のひとりひとりが見ている農業問題っていうのと、この人たちが見ている農業問題っていうのでは、あるいは、都市問題でもいいですけど、それは、違うのです。
違うところと、同じところと、それはよくよく、ぼくは、みなさんが一般大衆であると仮定して言ってるわけだけど、みなさんの大多数が、いまのところ、一般大衆だと、将来はようするに、支配者っていいましょうか、大臣になる人もいるかもしれませんし、指導者になる人も、総評の書記長とか、そういうのになる人もいるかもしれないから、それは将来の事ではなくて、いまはそうじゃないだろうっていうふうに思って、そういうところでお話ししているわけですけど、ぼくは、それは、ある面では冷静にしたらいいと思います。そんなに、ヒステリックになる必要もないし、どうってことはないっていうふうに、お考えになった方がいいと思います。

8 一般大衆が持つべき思想

 そうしますと、さきほどから申し上げてきました、円高ドル安っていう問題と、また、それにからんで、国内で、円高ドル安はやり過ぎだから、これを是正しようなんて、一種の国際抑圧力といいましょうか、そういうのがきた時にどうするのかっていう、そういう論議っていうものと、農業の論議とは、重なって出てきている。現在の、経済問題の主要な論議の観点っていうのは、そういうところにポイントがあるわけです。
 そうすると、いままでだって申し上げましたけれど、問題は何なのかっていうことがあるわけです。たとえば、これでもって日本の農業は潰れるんじゃないか、これ輸入したら潰れるんじゃないかっていうふうな論議を、極端に推し進めていきますと、一種のなんていいますか、国家主義になっちゃうんです。
それから、市民主義者みたいに、社共がなんか政権をとって、宅地問題でも、国家が宅地を買い上げちゃって、マンション建ててみたいな、そうすると、一国社会主義になっちゃうんです。国家社会主義になっちゃう。社会国家主義になっちゃう。そして、ファシズムっていうのは、国家社会主義っていうのはファシズムなんですけど、これは反対にスターリニズムっていうのは、社会国家主義なんです。これは、紙一重なんです、おんなじなわけです。だから、そういうふうになっちゃうんです。
ぼくが、もし意見としてっていいますか、理念的な問題として、実感的な問題ではなく、理念的な問題として云いたいことは、その種の論議はまゆつばですよっていうこと、それから、もうひとつは、やはり、日本の現在の、現在も将来もそうかもしれないですけど、日本の政党っていうのは、進歩的政党も、保守的な政党も、そういう確固たる農業構想をもって、それで、都市周辺の宅地を全部、買い上げるなら買い上げるっていうような、そこにマンションとかアパートをつくるっていう、国家がつくって、提供するっていうような、そういうことを考える場合には、それでもって、ぽしゃっちゃうような農民がいたら、補償はこういうふうにやって、こうするんだっていうことを、明瞭な方針として出して、相当抵抗が、きついことがあるだろうけど、われわれはそれをやるから、ついてきてくれっていうようなことを言えるような政府っていうのは、一度ももったことないっていうことが、とても重要なことだと思います。
 それから、もうひとつは、いまみたいに、極端に貿易摩擦とか、そういう問題をあれしますと、国家主義になっちゃうんです。どうしても、国家主義、民族主義になっちゃうんです。これは、世界がかつて、第2次大戦までに経験済みのことなんです。そうじゃないんです、国家っていうのは、どういう国家でも、開かれていなければいけないんです。どっかが開かれていないといけなくて、それが、たぶん、歴史の進む方向なわけです。だから、こういうのを極端に、摩擦問題をあれしてくと、ようするに、国家主義になってっちゃうんです。保護貿易国家主義になってっちゃうんです。全部がそういうふうにして、世界中全部が閉じていっちゃうっていうふうになってしまうんです。
 だから、ぼくが、みなさんが一般大衆であるっていう仮定のもとにお話しして、その一般大衆だって理念を持った方がいいです。ある思想を持った方がいいですよって、べつに、社共か、自民党かっていう思想じゃないんです。そうじゃなくて、ようするに、国家っていうのは、だんだん開いていった方がいいんです。だんだんだんだん、歴史の過程でなくなっていった方がいいんですよってことは、ひとつの思想だと思います。一般大衆が、現在のところ持っていい思想だっていうふうに思います。
 だから、みなさんは、いまは紆余曲折あって、国家主義的になったり、貿易摩擦で、アメリカ野郎とかいうことで、やることも、一時的にはあるかもしれないけど、大局的には、歴史は国家を開いていく方向にいくんだっていうことが、一般大衆のみなさんでも持った方が、ぼくはいいと思います。あるいは、持ってた方がいいと思います。そうじゃないと、やっぱり、とんでもない見当違いをする、これはいいと思って、見当違いのことをしたり、言ったりすることがありますから、それは、そういうもんだっていうふうに思われた方が、それが理念なんだ、思想なんだ、一般大衆が持つべき思想なんだ、一般大衆っていうのは、なんでもない人でも、やっぱり国家っていうのは、だんだん開いていった方がいいんだよっていうことくらいは、持ってた方がいいと思います。
それはひとつ問題なんです。それを持ってたら、みなさんは、保守支配者と、進歩指導者の、どこが間違っているか、すぐわかります。それだけのこと持ってたって、どこが違ってるのか、あの論議はどこがいけないのかって、すぐわかります。だから、それくらいは、持っていた方がいいと思います。あとは、みなさんは、持つべきものは何もないです。
つまり、輸入産業の問題が、みなさんの就職してる先でもって、給料をどれだけ上下させるかとか、好況不況をどれだけもたらすかとか、そういう問題で、みなさんの生活に直接響いてくるでしょうけど、それは、切実だから、いつでも見ておられるでしょうし、見ておられなきゃいけないと思いますけど、それ以外のことだったら、いま申し上げたこと以外は、だいたいやらせておけばいいと思います。任せておけばいいと思います。
みなさんは任せておいて、しかし、よくよくそういう気持ちがあったら、よくよく勉強されて、みなさんが将来、支配者になったり、あるいは、逆に、指導者になるときに備えられて、勉強されたらいいと思います。一生懸命勉強されて、どこが馬鹿なんだとか、どういうこと言ってるやつが馬鹿なんだとか、どういうふうに保守的な、わたし自民党支持するみたいに言ってるくせに、言ってる人でも、言ってることは、馬鹿に急進的なことを言うじゃないかとか、あるいは、左翼的なことを言ってるくせに、馬鹿に反動的なやつがいるじゃないかとか、いろんなことがわかりますから、だから、みなさんは、そういうことは、よくよくそういうふうにして、見ておられたらいいと思います。
 あとは、みなさんの責任に直接かかわってくるのは、まずまずないと思います。間接的にかかってくる問題で、みなさんの責任において、どうしても、これに加担しなきゃいけないみたいな、そんなことはどこにもないと思います。やらしておけばいいじゃないかっていう、やらせておけばいいと、ぼくは思います。
ただ、ようするに、理解力において、ぼくらも、そういうことはいつでも、自分の課題としているわけですけど、みなさんだって、理解力において、支配者、つまり、政府自民党よりも、それからまた、指導者になりたいやつの言ってることよりも、みなさんの理解力と、知識と、洞察力っていうもので、それを超えなければいけないと思います。将来は、それを超えなければいけないと思います。
みなさんが、将来やがて、大臣になられる方も超えなければいけないし、それから、指導者になられる方も、いまの指導者のようなのじゃなくて、それを超えなければならない。そのためには、洞察力、知識、理解力、そういうものを勉強されて、それをどんどん、自分で蓄積されていかれるってことが、ものすごく重要なことだと思います。それがなかったら、何にも始まりませんから、それが非常に重要だと思います。
もし、みなさんが切実に、たとえば、中小企業を営まれているとか、少ない給料でものすごく働かされているんだとかってことで、そういうことで、非常に切実にきついってことがあったら、その場所で、具体的な問題として、具体的に解いていくっていうような、解決していくっていうことを、仲間の人たち、あるいは、ご自分で、自家自営でもって、そういうことを積極的にやっていかなきゃ、つまり、自分でやらなければ、こういう指導者とか、支配者っていう人たちはやってくれないですから、つまり、そういう大局的なことはやるかもしれないけど、個々の人がどう困ってるかとか、どういう問題に切実に当面しているかってことは、やってくれないですから、だから、自分で、その切実な問題は、自分で解かなければ、解いてくれないよって、そういうふうに思われて、それにぶつかっていく、積極的にぶつかっていかれるっていうことで、それは、べつに、農業問題のせいでもなければ、円高ドル安のせいでもないっていう、そういう問題であるから、直接、そのせいではないですから、そこは、ほんとに、個別的、具体的に、ぶつかっていかれて、それで、解決されるっていうのが、それ以外にないと思います。誰も頼るものはいないよっていうふうに、思われた方がいいと思います。
ぼくは、学生さんは、勉強する以外にない、勉強して、いまの自民党の大臣とかがやってる方針とか、出してる方針とか、いまの指導者のやってる方針とか、見識とか、いまの学者が書いてる、述べてる見識とか、そういうものを、みなさんが超えていかなければ、いけないですから、超えていく課題っていうのは、学生さんで若いですから、勉強されて、よくよく事態を見られて、見られる場合には、経済問題の場合は2つあって、大局で見るっていうこと、それから、自分の実感に即して見るっていうこと、それで、できるならば、大局で見たことと、実感に即して、自分が解決したことがつながるような、そういう道っていいますか、通路を自分でつけるっていうようなことが、勉強の内容に該当するでしょうけど、そういうことを一生懸命やっていかれたら、ぼくはいいんじゃないかと思います。
それが、問題なわけであって、それ以外に直接みなさんが、将来はともかくも、現在のところ、みなさんの責任において、解決しなければならない問題っていうのは、この、いま社会を賑わせている問題のなかには、直接的にはないっていうふうにお考えになった方がいいと思います。こういうことを強調するっていいますか、素人だからいうので、玄人だったら、専門家だったら云わないと思います。
ぼくらの取り柄っていうのは、そういう意味合いでは、一般大衆ってことで、ぼくはべつに、支配者になるつもりもないし、指導者になるつもりもありませんから、だから、そういう意味だったら、あんまり利害はからんでこないですから、申し上げられることは、そういうことなわけです。そういうことをよくよく、あれしてくだされば、勉強されたり、生活状態に対応されていかれたら、よろしいんじゃないかっていうふうに、ぼくは思います。これで、いちおう終わらせていただきます。(会場拍手)

9 質疑応答1

(司会)
 なにか、質疑・質問等ございましたら手を挙げてください。
(質問者)
 経済という枠組みといいますか、図式が、支配者、ないし、指導者がつくり出したもので、そのなかに巻き込まれないようにという、そういう警告の意味で受け取ったんですけど、それが下手すると、国家主義的な危険な方向へ行くという、趣旨だったと思うんですけど、その場合、いわゆる、われわれ一般庶民が、なにを拠り所にして、そういう支配者の論理に抵抗したらいいのかっていう、そういう問題があると思うんです。
個人個人の利害、あるいは、エゴだけで抵抗してればいいのか、結局、吉本先生は勉強しろとおっしゃいましたけど、勉強して、自分が支配者なり、指導者になる、それが目的だったらば、全然、変わらないわけでして、吉本先生は、支配者の論理っていうのはやっぱり、よくないもんだという前提にたっていると思うんです。
ただ、距離を置いて、冷静に分析しているだけじゃなくて、それは倫理的によくないと、それに対して抵抗する、なんらかの拠り所、根拠を示すことが、要求されてくるんじゃないかっていう気がするんですけど。つまり、単なる個人的な利害やエゴだけで、逆らってればいいのかっていう、そういうことです。

(吉本さん)
 ぼくは、あなたの云われることわかるんですけど、だけど、ちょっとだけ、ニュアンスが違うんです。個人的なエゴで逆らったり、対処したりすればいいのかっていうふうに、あなたがおっしゃるけど、ぼくはちょっとニュアンスが違って、個人的なエゴとか、利害とかっていうので対応するっていうことが、基礎になかったら、何にも始まらないから、それを基礎にした方がいいっていう、今日のニュアンスもそうだと思うんです。
そのうえで、はじめて、もし理念として、考え方として、どういう考え方を持つべきかっていうことの問題は、そのうえで起こってくるっていうふうに思うわけです。だから、多少あなたの云われるのと、多少のニュアンスが違うような気がします。
 つまり、基礎にあるのは、個人的に当面している問題で、どうやって対処したらいいんだって、生活が困っていたら、それをどうやって切り抜けたらいいのか、そういう問題が基礎になかったら、基礎にあるべきなんだっていうふうに、それが基礎になければ始まらないっていう、ニュアンスになります。
そのうえで、もしゆとりがあるとか、違う次元で、なにか考え方っていうものを、持ちたくなったんだっていいますか、そのうえで、持ちたくなったんだっていう問題があるとすれば、そのうえで、その問題は、探求されるっていいますか、追求されるっていうことになるんじゃないでしょうか。
だから、あなたの言うとおりだって言ってもいいんですけど、多少どうもニュアンスが、違うような気がします。そのニュアンスの違いっていうのは、どういうところに現れるかっていうと、ぼくの、思想みたいなものを云っちゃってもいいんですけど、それを云わないで、できるだけ普遍的な問題、ひとりがどういう思想を持っているかって問題になって、普遍的な問題として、できるだけ云うとすれば、こういうのが基礎だと思うんです。
つまり、日本は先進国五か国会議みたいので、先進国っていうなかに入れられているように、現在の社会では、先進的な社会なんです。もっと具体的にいえば、先進的な資本主義の社会なんです。先進的な資本主義の社会っていうのが個別的に当面している、つまり、それぞれの国で当面している、五か国それぞれで当面している問題と、固有の問題と、それから、先進的な資本主義社会が全般的に当面している問題、2つあると思うんですけど、その問題のなかで、差しあたって、あなたがいま質問されたことで、関連したことで申し上げるとすれば、ひとつ申し上げればいいんじゃないかと思うんですけど、うまくあなたが理解してくれるかわからないんだけど、先進資本主義国、あるいは、先進的な社会では、たとえば、総評でも何でもいいんですけど、国鉄でも何でもいいんですけど、労働者っていうのがあります。労働者の組織みたいなものです。組織労働者です。組織されていないけど、労働者もいます。それから、少人数のそんなとこ入ってない労働組合っていうのもあるわけです。
そうすると、先進資本主義社会の新たに出てきた問題っていうのは、組織的な労働者、あるいは、労働者というものと、それから、一般大衆です。この一般大衆っていうのは、非常にあいまいな言い方なので、いまでは、組織労働者といえども、一般大衆であるっていうふうに言える部分がたくさんあるわけです。
むかしは、市民社会の枠があるとすると、労働者っていうのは、枠から落っこちた人たちが労働者っていうふうに、肉体を使ってあれしてる以外ないみたいな、そういうのが労働者っていう規定だったけど、先進資本主義社会では、そういう資本主義の初期に規定したあれが、すこぶるあいまいになって、全部があいまいなる市民社会の中に、全部入っちゃってきてるっていう、もちろん少数のあれがいるんですけど、入っちゃってきてると、組織労働者っていうのも、同時に、消費の場面でいくと、一般大衆のなかに入っちゃってるっていう、そういうことっていうのは、先進資本主義社会では、起こりつつあるわけですけど、そういう場合に、労働者っていうのは、あなたのおっしゃるあれでいえば、庶民プラス何か考え方を持っているもの、あるいは、持つべきだとされているものっていうのが、労働者っていうものだとすれば、そういう労働者っていうものと、それから、一般大衆とは、あるいは、自分の中における労働者と、自分の中における一般大衆とは、あるいは、どっかで働いて、何かをつくって、給料もらってる自分と、それから、休日に、あるいは、会社終わってから、どっか劇場行って、映画を見たんだとか、芝居を見たんだとか、あるいは、レストラン行って、食べたり、飲んだり、食ったりしたんだっていう自分との間に、自分の中における自己矛盾でもいいわけですし、また、一般大衆と労働者との対立でもいいんですけど、そういう矛盾がきたすっていう場面が、現れてくるってことが、とても重要な、先進資本主義社会の当面している新たな問題だと思います。
その問題に対して、従来の党派的な思想っていうのは、対処することができないんです。できないから、依然として、組織労働者っていいますか、労働者っていうのが主体であって、あとのやつはみんなくっついて来いって、知識人とか、プチブルっていうのは、同伴者とかっていうような、いまでもそう思ってるんです。
だけど、ほんとうは、それじゃおさまりがつかんぜっていう、自分の中にある一般大衆と、自分の中にある労働者とが、自己矛盾をきたす場面とか、あるいは、労働者と一般大衆とが、自己矛盾をきたす場面とか、そういうようなのが、ぼちぼちに出てきちゃったって、大きな問題として出てきちゃったっていうのが、現在の、先進五か国会議みたいのやってるところで出てきてる問題のように思います。
それに対して、従来の理念だったら、対応できないと思います。だから、申し上げるわけですけど、それに対して、ぼくの理解の仕方としては、組織労働者と一般大衆、あるいは、自己の中にある組織労働者と、自己の中にある一般大衆、あるいは、自己の中にある生産者と、自己の中にある消費者っていうものとの間に、矛盾をきたすっていう場面に、当面した場合に、どちらを重点に考えたらいいだろうかっていうふうにいう場合に、一般大衆に重点を置いた方がいいんだよっていう、そういう場面っていうのが、ときどき現れるようになったっていうことが、ぼくは、いま、あなたがおっしゃったことに対して、根本的に重要な問題のように思います。
そこのところを考えられるっていうことが、重要なんじゃないでしょうか。あなたが庶民といわれた、われわれ庶民がっておっしゃったけど、われわれ庶民は自分の当面している利害関係でもって、生活を支えていて、悪戦苦闘すれば、それが第一の問題なんだけど、それ以上に理念をもちたいならば、その理念はどこに主体があるか、いま僕が云ったところに、非常に大きな問題があると思います。そこのところを考えられたら、それが、持つべき理念なんじゃないでしょうか、と僕は思ってます。
あなたが、いま、理解してくれなくてもいいんですけど、ちょっとそれは、考えてみてくださった方がいいと思います。それは重要な問題で、やがて、わりに普遍的な問題として、現れてくると思います。それは、いま急にわからなくてもいいんですけど、僕がそういうこと言ったぞってことは、ちょっと考えてくださったら、とてもいいと思います。

(質問者)
 わたしも、そんなに先生の意識とずれているとは思わないんですけど、つまり、日常的に、そういう権力者なり、指導者なりの論理っていうのは、あるわけですよね。そこに巻き込まれないためにということであれば、さしあたり勉強して、知識を持って、冷めた目で見る。ここらへんはよくわかったんですけど、いまひとつちょっと弱いような感じがして、拠り所ですよね、いわゆる一般大衆側につく、そちらの側の立場で考えるというのは、ある状況においては、そういうことが迫られると思いますけど、日常的な生活の中で、どういうところに足場を置いて、考えていくかと、そういう意味合いでお尋ねしたんですけども、さしあたり、自分の実感を大事にしろというふうに受け取ってよろしいわけでしょうか。

(吉本さん)
 それは、それで結構なんじゃないでしょうか、面倒なことをいうと、いろんなことがありますけど、それがいちばん重要なことで、いつでも実感と突き合わせて、その手の論議っていうのは、突き合わせて聞いて、理解するっていうことが、で、実感と合うところと、合わないところを突き合せられることが、いいんじゃないでしょうか。それでもって、取捨選択されるのが、さしあたって、いちばんやりやすいことなんじゃないでしょうか。それで、拠り所とおっしゃいますけども。

(質問者)
 つまり、そういう、圧倒的な力をもった組織なり、流れなり、権力なりに対して、自分を失わないということは、これは口で云うのは簡単ですけども、相当はっきりしたものを、自覚的にもっていないと、むずかしいと思うんです。ぼくは、べつに、特定の人をどうこう言ってるんじゃなくて、聞きたいのはむしろ、先生がそういう前提にして云ってるんじゃないかということなんですけども。

(吉本さん)
 あんまり、前提はないです。ようするに、さきほどから言っていますように、何よりも、生活実感に、自分が生活上、当面している問題、切実な問題があったら、それこそが第一義的な問題なんだっていうことが、基礎に据えられていて、たとえば、それと悪戦苦闘する、つまり、生活と悪戦苦闘することが、いちばんの出来事で、そのほかのことは、ゆとりがないんだっていう、そういう場面だったら、それは、そういう場面に、忠実に従っちゃって、あんまり社会でどういう論議があるとか、政治でどういう論議があるとか、そういうのは、ぜんぜん第二義以下の問題で、自分はいま、それどころじゃないんだっていう、第一義的の問題なのは、その問題なんだっていうふうな、問題意識を、とにかく、基礎に据えられたら、よろしいんじゃないでしょうか。つまり、基礎に据えられることが、一番重要なことじゃないでしょうか。
なぜかっていいますと、たいてい、指導者って論理と、支配者の論理っていうのは、ようするに、一般大衆っていう、生活のことばっかり、目先の生活のことばっかり考えてるやつは、一番だめな奴で、もっと社会の事を考えろとか、広く世間のために奉仕しろとか、ようするに、国家社会のことを考えなきゃだめだとかっていうふうに、一番だめなのは、生活を考えてる奴が、一番だめな奴で、それを第一に考えてるのが、一番だめな奴で、そうじゃなくて、国家、社会、公共のことを考えてるのが、それよりもいいんだみたいな、ひとりでに価値観の序列があるんです。
ところが、ぼくは違うんです。ぼくは、反対なんです。ぼくの価値観でいうと、全然反対なんです。つまり、自分の生活の事を第一義として、それを24時間とられると、全部取っちゃって、あとほかのことは全部関心ないんだ、または、関心をもつ余裕がないんだみたいな、そういう人がいるかどうかは別として、そういう人が価値観の原型だって、ぼくは考えてるわけです。
だけれど、人間っていうのは、それぞれの社会に生きているわけですけど、人間っていうのは、大なり小なり、それから逸れちゃうんです。つまり、逸れて、余計なことを考えざるを得ない場面に、誰でも当面しちゃうんです。べつに、考えなくてもいい、円高ドル安なんて、考えざるを得ないようなところに、当面しちゃうわけです。読まんでもよい本を読んだりとかっていうふうになるわけです。どうしてもなっちゃうわけです。そうすると、それは、ぼくの理解の仕方では、やむを得ない逸脱なんです。価値からの逸脱なんです。僕はそうなんです。ぼくの価値観はそうなんです。逆さまになってるんです。
だから、僕みたいなのは、いちばんだめな奴で、つまり、旅芸人なわけですけども、ようするに、自分の生活だけを考えて、それに対処して、生活にまつわることなら一生懸命考えるけど、それ以外のことは、あんまり考えたことないんだっていう、そういう人が、価値観の、生き方の原型になっていて、しかし、人は大なり小なり、それから、逸れて、余計なことは考えたりせざるを得なくて、どっかに生きている限り、必ずそうなんですけど、余計なことを考えざるを得ない場面に、さきに立ってしまうと、それは、価値観からも、源泉からも、逸脱なんだけど、それは、やむを得ない逸脱なんだっていう、やむを得ないから逸脱しているんだっていう、そういう理解の仕方が、いちばんいいと僕は考えているわけです。
だから、ぼくは、それが基礎に据えられるべきで、もし、それ以上のことを考えたいならば、また比喩で言って、みなさんが、キツネにつままれたようだっていうような、口先だけだって思われちゃうと、困っちゃうんですけど、だから、それ以上、余計なことを考えたいなら、ようするに25時間目で考えろっていうことになっちゃうんです。つまり、25時間目で考える気分がないと、ダメなんじゃないかなっていう感じ方っていうのがあるんです。24時間はいいんだと、生活の事ばっかりで、みんな使っちゃったんだっていう場面に当面したら、それは、仕方がないから、25時間目で考えることがあるなら、25時間目で考えるっていう、やることがあるなら、25時間目をつくりだしてきてやるんだっていう、そういう発想になります。それが価値観の源泉になります。ぼくはそれで、けっこうなことだって思ってますけどね。それでいいんだって、僕自身は思ってますけどね。

(質問者)
 どうも、ありがとうございました。

10 質疑応答2

 いま、円高ドル安とか、農業問題っていうのを云われたんですけど、もうひとつ、こういうパニックを強いるような言い方の議論がだんだん出てきたものですから、外国人労働者の問題どうするんだっていう議論が出てきて、それについてお伺いしたいんですけど、僕なんかが考えてるのは、3つぐらいニュアンスがあって、入れるなと、入れろっていう2つに分けると、入れるなっていうのは大きく言うと、賃金が下がっちゃうから入れるなっていうのが、ある意味では、保守の方も、一部なんかそういう云い方をする、だけど、考えてみると、それはとにかく、入れても入れなくても、上がってないっていうか、入れてる業種の方が上がってることなんかも含めて、それもおかしい、それとあと、入れろの方に2つくらいニュアンスがあって、山崎正和さんたちみたいに、国際文化が身につくんじゃないか、国際化していくんじゃないか、これも考え方によっては、在日とか、朝鮮人の人とつきあったりするんだけど、文化なんか、いちいち一生懸命考えてつきあってたら、つきあえないっていうようなことが、ある意味では、ひとつあって、それから、もうひとつ、入れるの方に、贖罪感的に、第三世界の、これはすごい極端な言い方だけど、民衆だから、こう連帯しなきゃいけないので、なってくみたいな、3つのニュアンスみたいなのが、議論の中に、どんどんどんどん出てきてるっていうことがあると思うんですけど、これ、どれみても、いちばん大事なタブーを解くみたいな、外国人に対して、そばにポッと来ちゃったときに、困っちゃうなとか、どうしようかっていう、タブーを解くってことに、あんまり全然、どれも関係がないみたいな、言い方みたいなものが見えるんですけど、日本経済の行方っていうのは、タブーを解く条件みたいのを、どんどんつくってきてるのかどうかみたいなことなんですけど、それは、ようするに、吉本さんとか、網野さんなんかそうなんですけど、起源論かなんかで、日本人なんて、どうせ異族がわーっと集まって来ちゃったんじゃないか、その寄せ集めじゃないかっていうのが、一般大衆の中に、そういうふうにポッと言われたときに、ああそうですねっていうふうに思えちゃうような条件っていうのが、とにかく、自然にいまのままいって、出来てくるのか、それともなにか、さっき言ったように、入ってきた時に、固まっていっちゃうみたいなふうになっていっちゃうのか、タブーが解けていい方向になっていくのかっていうことをお聞かせ願いたいんですけど。

(吉本さん)
 それは、さきほども申し上げましたとおり、もし、一般大衆として、理念を持つとすれば、国家っていうのは、だんだん開いていかないといけないっていうことが、歴史の方向だろうって申し上げましたけど、そのことと、ちょっとあなたの言われた問題とは、ちょっとだけ、焦点を結ぶような気がするんです。
 ですから、ぼくは、抽象的な言い方をすれば、国家が開かれるような方向性をもっているならば、外国人労働者が来ようと、日本人労働者が行こうと、それは、決して悪いことじゃないんじゃないですかっていうニュアンスになると思います。
つまり、それ以上のことを、ほんとに大マジメに論議するとすれば、なんとなく、僕はやっぱり、どっちかのような気がして、支配者の、ひとりでに支配者になったつもりでやってるか、あるいは、指導者になったつもりでやってるかみたいな、気がするんですけど。ほんといえば、そんなこと言ってる間にも、ちゃんとこの頃、向島だって、時々、外人を見かけたりするでしょ、買い物してるとか、そういうこと多くなりましたから、ちゃんと来てるわけで、それは国家がそういう方針を決めるかもしれないし、決めないかもしれないけども、しかし、だんだんと、そういう外人の労働者が、日本でも働くようになり、それから、日本の労働者が外国行っても働くようになるっていう、そういうふうに、だんだんなっていくっていうことだけが、歴史の方向として、間違いないんじゃないでしょうか。そのくらいで、あとそれを、法律として決めるか、決めないかっていうのは、それこそ、おまかせすればいいんじゃないでしょうか。

(質問者)
 さっきの3つの議論っていうか、ニュアンスの中に、とにかく、パニックになっちゃうんじゃないか。将来、そういうことがどこか基調としてあって、それに対して、どうするかみたいなことが云われてるんですけど、吉本さんのお考えでは、そんなことにはならねぇよっていうのがあるんでしょうか。

(吉本さん)
 ならないです。これは農業問題でも、パニックになるなるっていうんで、食料品の輸入を自由化するとなるっていうんですね、カリフォルニア米は、いいお米で、安く入るんだから、誰だって食っちゃうから、それは一時的にそういうことはあるかもしれないけど、ぼくは日本の農業っていうのは、そんなに、脆弱なものでないですから、さまざまなハイテクを使ったり、品質で、生産性を向上させたりとか、質をよくしたりっていうかたちで、必ず、若干の減少は、劇的にも減少していくと思いますけど、減少は起こるかもしれないけれども、僕はやっぱり、国際競争力にも耐えていくだろうなって、若干減ったところで、耐えていくだろうなと、ぼくは思います。非常に常識的にそう思います。
だから、パニックになりそうだっていうのは、いつでも、倫理的イメージだけは、現在のまんまに固定して、それで、こっちの外側の事態だけは、どんどん進もうとしてあれするから、パニックの考え方っていうのは起こるわけです。
たとえば、それは、女の人の体外受精の問題とか、そういう問題もそうなんです。モラルに反するとか、反しないとか、盛んに論議しますけど、ぼくは先駆的な人たち、いろんな意味で、ガリレオもそうだけど、ようするに、先駆的ことを言った人は、ひどい目に遭って、あいつは悪魔だとか言われたりするわけだけれど、しかし、やがて、歴史はそれを解くっていうふうのとおんなじように、やっぱり、モラル、倫理っていうのは変わりますから、倫理観も変わりますから、人間っていうのは、非常に可塑的っていいますか、グニャグニャしたものだと思います。かたちをいくらでも変わるものだと思います。
つまり、3千年なら3千年の時間のあれをとりますと、3千年前の原始未開の時代だったら、たとえば、となりの家の木にフクロウがとまっていて、こっち向いて鳴いたっていうと、それはフクロウっていうのは不吉な鳥だっていうのは、部落にあれしてるとすれば、あれは俺の方に向かって不吉な鳥を鳴かして、俺のうちの誰かに、死んだりした方がいいっていう、そういうふうにあれして、鳴かしているんだっていうことで、そのとなりのうちのやつを殺しちゃうって、そうしたって、それは、モラルとして許されていたっていう時はあったわけです。いまそんなことしたら、とんでもねぇ話だってなるでしょう。つまり、3千年経てば、それくらい、モラルみたいなものは違っちゃうんです。
だから、モラルのイメージをここだけ持っといて、一見すると、気分がいいことじゃないなみたいな、医学者とか、そういうのはやるでしょ、やっちゃうでしょ、やっちゃったりすると、なんとなく奇妙な感じで、違和感を持つわけだけれど、それはある意味で致し方ないんで、昔だと火あぶりにされちゃうわけです。だけど、先駆的な人は、やむを得ず、そういう火あぶりにされたって、やるのはやるし、言うのは言うわけです。だんだんだんだん、それがわかってくるみたいな、そういうふうになってきて、モラルが変わってくるんです。
そういうことがあるんじゃないですか、そんなにパニックなんか、そんなに来ないんです。日本でパニックっていうのは、ないんですよ、明治維新の時、多少はあったんですね、パニックっていうのは、ないですよ、起こらないです。明治維新とか、敗戦の時に、多少はありましたけど、ぼくはパニックが生じるとは思いません。外人労働者がどんどん流れてきたって、どうってことはないと思います。
それは、傾向としては、いいことです。それから、日本人の労働者が移民するっていうのではなくて、個々の人が、おれはフランスに行って働きたいとか、アメリカ行って働きたいとか、ブラジル行って働きたいってことで、どんどん、そこで、働いて、居ついちゃって、根をはっちゃってっていうことは、とてもいいことだって思います。
それを、一種の侵略政策みたいなものと一緒にしちゃったらよくないです。そういう意味ではなくて、向こうにも受け入れてくれる基盤があって、こちらでも行きたいとこは、行った方がいいんじゃないかっていうことがあって、それだったら、それはいいことじゃないでしょうか。

11 質疑応答3

(質問者)
 いま、エネルギー問題とからめて、原子力発電をどうするかという問題が、かなり云われてますけども、その点について、どうお考えでしょうか。

(吉本さん)
 どういうところを問題にしているわけですか。

(質問者)
 原子力発電推進派と反対派というのがあって、それの議論として、原子力発電をすすめていかないと、将来、エネルギーがなくなると、そういう議論と、それから、原発は非常に危険だから、やめた方がいいという、それについて、どうお考えでしょうか。

(吉本さん)
 ぼくは農業問題とおんなじで、あんまり切実だっていうふうに思えないですけど、これは、切実な問題だっていうふうに、どうしても思えないんです。だから、おまえ何だっていったら、推進派でもないし、反対派でもねえよっていうのが、いちばんのニュアンスなんで、それで、みなさんに、ぼくが、なんかおすすめすることがあったら、どちらにも入らない方がいいですよっていう(会場笑)、これらの問題とおんなじになってしまうんです。なっちゃうんですよね。
 つまり、フランスみたいに、全部が原子力発電になって、やってる国もありますし、それから、日本みたいに、2,3基か4,5基か知りませんけど、やってるところもありますし、それから、これからやろうってところもありますし、どこかオーストラリアかどこかで、やめちゃったってとこもありますし、それぞれのあれで、さまざまありえるんじゃないでしょうか(笑)。
 それをやっぱり、パニックにしちゃいけないんです。こないだもそうですけど、四国の発電所で、出力の調節やったら、ぼくは6チャンネルを見てたんだけど、そしたら、エコロジストっていうか、反原発のデモが行って、職員とかがもみ合っているのを、テレビでやってましたけど、見てると、おやおやっていうのが、ぼくの観点です。反原発派っていうデモは、「おめえら人間かぁ」とか言ってやってるんですね(笑)、だけど、笑っちゃ悪いですけど…、まあ、よしましょうか(会場笑)。
 そんなに僕は、切実な問題じゃないように思いますけど、ようするに、反原発の人たちは、原子力発電には、事故は許されないんだっていう、そういうふうに言うわけです、危険だから。それは、ぼくは違うと思います。だけど、その手のことは、いったん、恐怖のあれをしたら、無限にその恐怖はうつるみたいなのがあると思います。エイズとおんなじで、いったん、どこかでうつるんじゃないかみたいに思いだしたら、もう、いくらでも想像力で、いくらでも恐怖はうつっちゃう、そういう種類の事柄でしょう。
 だから、ぼくは、そういう事柄っていうのは、農業問題でもそうなんだけど、第一に基礎に据えなければならないことは、技術的なことだと思います、準技術的なこと。それで、専門の原子力科学者と、それから、原子力技術者で、もちろん、自民党支持のやつもいるだろうし、社共支持のやつもいるでしょうし、エコロジストにそういう専門家もいるでしょうけど、その人たちが、準技術的な論議を、ちゃんとして、責任を持って公開して、それで論議することが重要だと思います。
 どういうところがあれば危険であって、どういうふうにすれば危険じゃないのかとか、そういうことは、準技術的に論議することが重要だと思います。それがなかったら全部だめです。全部、感情論、こないだのあれみたいになっちゃうでしょ。それは、ただのパニックにしかならないです。反対したって、パニックの反対にしかならない。パニックを起こす反対にしかならない。そうじゃないんです。ようするに、技術的な問題です。まず、それが基礎になってしないといけない。
そうすると、それは本当に、原子力科学者で、おまえ、科学者としての責任を持って、原発は危険だと言えるかって、原発のここが危険だって言えるかっていうふうに、ぼくは、責任を持って言う人はいないと思ってます。原子力科学者で、科学者としてじゃなくて、ひとりの人間としてっていうなら、やっぱり、たとえば、あなたが恐怖の感情をいったん持ったら、いくらでも広がっちゃうんです。そして、専門家として言ってるんじゃない、人間として言っちゃうでしょ。
そうじゃない、ぼくが言うことはそうじゃない。人間としてなんかいいから、おまえ、専門家として、責任あることを言え、責任ある賛成と、責任ある反対を言って論議しろ、これが重要なことだから、それは、やられてないです。反対する人も、気分で言っています。ようするに、専門家として言ってるんじゃなくて、ようするに、ひとりの人間として言っています。あなたと変わりない、ぼくと変わりない、人として言っているんです。そうしたらば、医者だからエイズは怖くなくて、ふつうの人は怖いっていうわけはないんです。医者だって、怖いと思ったら、怖いわけです、人間として怖いわけだから。それとおんなじなんです。そういう次元で云われているんです。
 ぼくは、原発反対っていう科学者がいるんですよ、いますけど、そういう人に、おまえ、科学者としての責任を持って、署名して、自分の署名でもって云ってみろって言ったら、いう人はいないと思います。いままでは、いないです。そういうふうに云ったら、全部責任をとらないといけない、とらないで、人としてこういう危険なことはとか言うんです。そうすると、おまえ、危険なことはやらないか、そんなことはないんです。
ぼく、技術者であったことがあるんです。このへんで働いたこともあるんです。向島公園に、戦争中、動員学生が来てましたけど、ぼく、技術者として働いたこともあるんだけど、そのとき、ぼく、事故を起こしたことがあるんです。それは、原子力とはまた違うんですけど、そういうものだっていうことの話があるんです。つまり、責任上、ぼくがあれしてた、工員さんが、いつものとおりやっていて、油に、触媒っていうのがあるんですけど、触媒っていうのを入れたら、ぶわぁーって油が吹き出し、かぶっちゃったんです。どうにも痛い痛いって言って、すぐに医者に連れていったんです。そしたら、医者がおっかながっちゃって、近所の医者がおっかながっちゃって、あれしてくれないんです。ほかのとこ行ってやるから、近くの大学病院行けって、こういうふうに言われて、わざわざ僕は、電車に乗って、連れていって、入院させまして、治療してもらって、家族の人たちも呼んで、お医者にどうですかって言ったら、今晩もてば大丈夫だと思うけど、もつかどうかわかりませんって言われて、一晩中くっついて、家族の人たちに、平謝りに謝りますし、そういうのをしましたけど。
そうすると、どうするかっていうと、2つやるんです。ひとつは、ありのままの報告書を提出するわけです。進退伺いをするわけです。それから、もうひとつは、もういちど、自分がやるわけです。今度は、同じ条件で、自分がやるわけです。ぼくはやってみますって、レポートは書きますけど、辞表も出しまして、でも、ぼくにやらせてください、同じ条件でやらせてくださいって言ったら、上の人の、学校の先生なんですけど、助教授なんですけど、やろうじゃないかっていうんです。今度は、ぼくがやりましょうって言って、やっぱり、おんなじ条件をつくりまして、みんなどかして、ぼくもバァーってなったら、できるだけ逃げるっていう態勢をつくりまして、そしたら、大丈夫だったんです。
つまり、技術とか、科学とかっていうのは、その厳密さっていうのは、そのくらいの厳しさっていうのは、みんな持っているんです。それじゃなければ、技術者として、みんな通用しないです。必ず、学者でもそうです。やっぱり、責任上、それだったら、やろう、もう1回やろうって、ちゃんと言えます。やりましょうって、自分の責任でもって、それはやるんです。
つまり、準科学的なっていいますか、準技術的な論議っていうのは、本当に責任を持って、ちゃんと学者が論議しないと、そんな受けのいいことを言ったらだめです。つまり、人間として言ったら、たしかに怖いです。ソ連の事故みたいなのが起こったら、たしかに怖いです。原子爆弾落とされたら怖いですから、だから、誰だって怖いんです。それは、事故っていうのは、いつでもあるんです。小さな事故っていうのは、いつでもあるんです。たえずあって、たえずそれにのっとって、防御方法とか、着衣とか、改良されてとか、早期にどんどん取り替えたりとか、いつでもやられていると考えるのが、それが常識なんです。
原子力発電所でも、当然やられているに決まっているんです。だから、事故が許されないっていうのは、嘘なんです。そんなことはないです。事故はあります、起こってます。だけど、人命に関する事故っていうのは、日本だったら、原子爆弾が落ちたのは、40年か、50年前です、戦争末期です。人が死に、後遺症で悩まされちゃった人がたくさんいます。そのあとでいえば、日本の国内では起こっていないですけど、福竜丸っていう、南太平洋で、アメリカの実験のあれを被って、それで、亡くなった人いますよね、たぶん、その2つなんです。半世紀たっているんです。2つなんです、人命にかかわる原子力の事故っていうのは。
あと、もちろんこうしたとか、そういう部分的な、つまり、お医者さん行って、レントゲン写真撮ったときに、それもいいことじゃないんだけど、その手の被害を一時的に、一瞬に受けたとか、そういうのはあるかもしれないと思います。たくさんあると思います。だけれども、そういうような、大きな人命に関する事故っていうのは、ぼくだったら、半世紀起こっていないっていうのを、常識とします。
それから、ある原子力発電装置が、出力と入力の調節ができないような装置なんていうのはありえないんです。そんなのは危なくないです。危なくないけれど、誰だって技術的なことは、100%ないって、誰でも言い切れないんです。もし、いったん不安を持つなら、それはないというふうに、言ったうえで、しかし、それは、技術的な人のやることですから、それはありえるんだよってことはあるんです。それを恐怖としてもっていくか、そうじゃなくて、先駆的なものとして、人類の科学的な、実験理性ってものは、とにかく、こういうのをつくったんだっていう、有効にやったんだっていう、そういうことの問題っていうのは、一種の文明史的な問題だっていうことが、入ってることに、そういうことを含むかどうかっていうことは、そんなに簡単なものじゃないんです。
ムードで反対したり、おまえ人間かとかって言うけど、しかし、ほんとに危なかったら、第一に逃げるのは、原子力発電所で働いている実験物理学者と、技術者と、労働者は第一、最初に逃げます、もし、ほんとに危なかったら。逃げようとしてないですもの、だから、いちおう危なくないと思っているんです。それは常識です。ぼくらの常識です。こんなもの、反対するのが左翼で、あるいは、反体制で、賛成するのが、自民党、保守派でって、そんなことは、全然ないですから、全然違いますから、そんなこと言ってもらったら、絶対困るんです。
それから、そんなことで、ムードで、日本の反体制って連中が、ムードであれしてもらったら困るんです。そうじゃないんです。そのことは、技術的な問題の論議であって、準技術的なものが基礎にあって、そのうえで、本当に危険であるかどうかっていったら、第一に論議されなければ、し直さなきゃけないです、この状態を。と、ぼくは思っています。
それから、もうひとつあります。この手の論議が、どうして起こるかっていうと、やっぱり、モラルと、恐怖感と、そういうものと、それから、装置とか、そういうものは現状のまんまっていうふうに考えて、そうしといて、そのまま、これが延長したらっていう考えなわけです。
それから、もうひとつあるわけです。技術っていうのはわかんないんです。わかんないっていうのは、つまり、技術の発達っていうのは、わからないところがあるんです。われわれの予想をまったく超えることがあるんです。たとえば、いま盛んに、問題になっている、超電導物質っていうのは、たとえば、各国が競争でつくろうとしてるでしょ、それが、たとえば、できたとするでしょ、そしたら、原子力発電所はいらないわけです。つまり、超電導の物質ができたら、電気抵抗なしに、電気ロスなしに、エネルギーを供給できるわけだから、そしたら、原子力発電所自体がいらないわけです。
つまり、技術っていうのは、思いがけないものが解決するっていうことが、もうひとつあるわけです。これは、わからないです。現状ではわからないです。でも、解決するってことはありうるわけです。まだ、あります、こないだ、暮れと正月に、ぼくはテレビを見ていましたけど、そしたら、テレビで言ってました、技術関係のアナウンサーみたいな人と、それから、技術関係の会社の、そういうエレクトロニクス関係の会社の人かなにか、そういう人が対談してまして、自分らは、太陽エネルギー発電所を、ようするに、宇宙空間に打ち上げるっていう、そういう計画っていうのを考えているんだみたいな、そういう話が出てまして、もし、それが実現したら、これも原子力発電所はいらないわけです。
だから、そういう思いがけない解決っていうのも、技術にはありうるってこと、その2つは、われわれ現状でもって、どんなに想像をたくましくしても、これは予測を超えることっていうのがありうると思います。だから、そういう意味だったら、論議のし直しをしないといけないっていうふうに、ぼく自身は考えています。だから、とてもそれは、大切だと思います。
これも、農業パニックとおんなじで、そんなことはないんです。日本の農業っていうのは、このままほっといたって、300年ぐらいはかかります、農業がなくなっちゃうまでに。単純計算でそうなります。もちろん、そんなに長く持たないと、ぼくは思ってますけど。そうじゃないんです、自分たちが、ようするに、指導者と支配者が、なりたいやつが、自分たちが恐怖に駆られているとか、自分たちがパニックに陥っていることに、それと、一般の農家がパニックに陥ってることとは、別ですよ、冗談じゃないです。だから、農家の人よ、目覚めよって、ぼくは云いたいです。
冗談じゃないよっていうふうに、個々の農家は目覚めたらいい、都会でいえば、個々の労働者は目覚めたらいいっていうのとおなんじで、個々の労働者は目覚めたらいいと思います。目覚めた方がいいと思います、ぼくは。支配者になりたいやつとか、指導者になりたいやつに引き回されることはないのであって、労働者とか、一般の大衆はないのであって、自分たちが社会の主人公だと思えばいいわけだから、こういう経済統計の調査をしますと、日本の一般大衆の七十八パーセントから八十何パーセントは、自分たちは中流意識をもっているわけだから、中流意識ってなんだかっていいますと、ようするに、実質をともなわないじゃないかっていいますけど、実質なんて、伴なおうが伴うまいが、そんなことはどうでもいいことなんであって、意識として、自分は市民社会の半ばを占めているっていうのが中流意識なんです。半ばを占めているっていうふうに、自分もそう思っているんです。思っている人がだいたい、80%くらいいるわけだから、現に、自分たちが主人公であるわけだから、主人公だと思っているわけだから、だから、そんなに人から引き回されるようなことは、つまり、指導者になりたい奴とか、支配者になりたい奴から、そんなに引き回されることはないんです。それが現在の問題でしょう。
自分たちの考えで、自分たちがやることが、この社会のやることなんだっていうふうに、自分たちが思えるか、思えないかっていうことだけなんです。ところが、ほかの経済統計をとると、そういうふうに思ってるわけなんです。もっとちゃんと出てくるわけなんです。中流意識を、意識を持っていると思っているわけです。中流っていうのは、半ばっていうことです。社会がこう、上から下まであるとすれば、その半ばっていうのを占めてると、自分が思っている人が、80%ぐらいいるわけだから、20%の人が、そう思っていないわけです。
そうすると、ここの指導者になりたい人たちは、20%の人たちのことを言ってるんです。それは決して悪いことじゃないと、20%の人たちも、中流意識を持てるくらい豊かにならなくちゃいけないわけだから、それにいろいろあれするのは、いいことだけれども、本当の課題っていうのは、そうじゃないでしょう。この人たちは何をしたらいいんだってことが問題でしょう。
つまり、自分たちは中流を占めてるって80%の人のために何をしたらいいんだって、おれだったらこうするってことを、言ってごらんなさい、やってごらんなさいって言ったら、言えないでしょうが、この人たちは、社共の人たちは言えないでしょうが、持ってないんだから、その頭がないんだから、あと残り20%の人は、まだ中流意識を持てないでいる人は、名実ともにいるわけだけど、その人たちのことをやってるんです。それは悪いことじゃないです。でもそれは、20%のエネルギーを使えばいいんです。あと80%のエネルギーは、自分は反体制って言ってるんだから、80%のエネルギーは、おれたちがやったら、こういうことをやりますよって、はっきり言って、やったらいいんです。
やればいいじゃないですか、訴えたらいいじゃないですか、全然そんな、見識なんかないんだから、原子力発電所は危ないか、危なくないかとか、危ないっていうのに賛成してるとか、農民が滅びたら、日本は、農業が滅ぶからだめだっていうと、それに賛成だとか、そういうふうに言ってるんだから、そんなことばっかり言ってるんだから、そういう全然だめです。問題にならないです。
自分たちがやっぱり、自分たちだっていうことを意識するだけじゃなくて、自覚するっていうことが、重要なんじゃないでしょうか。それは、政党なんかに引き回されることはないって、ぼくは思います。労働者だってそうなんです。自分たちが主人公だと思って、主人公じゃなかったとしたら、少数派だとしたらば、一般大衆のために、自分たち労働者は、組織労働者は、一般大衆のためになることをやろうじゃないかっていうふうに、発想すればいいんです。
それなのに、おれたちが主人公だと、まだ思ってるんだから、そうじゃないです。もはや、労働者っていうのは、とくに、組織労働者っていうのは、一般大衆のために、社会の半分以上を占めていると自分たちが思っている一般大衆のために、何ができるかっていうふうに、自分たちをもっていけるかってっことが、ようするに、課題なんです。
つまり、自分が主人公っていうんじゃなくて、一般大衆のために何ができるか、それが、究極の左翼性ってことなんです。それができないんです。それが、そういうふうにもてないんです。やっぱり自分たちがあれだと思ってるわけで、そんなことはもう過ぎて、そういう時代は、全部が過ぎたとは言いません。あと、何十パーセントは残っているわけだから、それもまた、大切なことですけど、そんなことをほじくるのが商売じゃないです。反体制っていうことは、それが商売じゃないです。先進社会では、そういうふうになってる。そこの問題なんです。
だから、どうすればいいかっていうのは、わかりきってることなんだけど、そんなこと言ったってしょうがないから、言ってもしょうがないから、抽象的に言ってますけど、おまえやれって言ったら、やりますけど、おまえやれって言うなら、やってみせますけど、だけど、おれは、先ほど言いましたけど、ないから、そういう気は、指導者になる気も、支配者になる気もねぇから、そんなのしょうがない。だけど、課題はそうだっていうのは、経済統計からも、みごとに出てますから、そうすると、この人たちは、いや、実質の生活が伴わないじゃないか、こういうあれの仕方をするんです。ケチの付け方をするんです。しかし、それは、実質が伴うか、伴わないか、やってみないといけないけど、確かめなきゃいけないけど、それは第二義であって、そういう意識を持ってることが重要なわけです。
自分たちが主人公だと思ってるやつが、それが80%占めてるってことが、重要なことなんです。どうすれば、そういう人たちがよくなるんだっていう、そういう方針を出せなかったら、そんなものは問題にもならないです。と、ぼくは思います。だから、この手の問題は全部、パターンはおんなじだと思います。農業問題をとってきても、反原発を持ってきても、反核問題を持ってきても、全部おんなじだ、パターンがおんなじだ、だから、どういうふうに対応すればいいのかっていうのも、自ずからあきらかなことだっていうふうに、ぼくには思います。それがぼくの理解の仕方です。

12 質疑応答4

 (質問者)
 〈音声聞き取れず〉

(吉本さん)
 いまのところ、全然ないんで、1年に2回くらい、東京に出ることがあるんです。
 去年は行きました。それから、九州にも行ったんですけど、北海道にも行きましたけど、大阪にはないんですけどね。(会場拍手)

 

 

 

テキスト化協力:ぱんつさま