1 主催者挨拶(中上健次)

 主催者の一人として最初に話させてもらいます。中上健次です。このタイトルというのは「いま、吉本隆明25時」という、そういうタイトルになってるんですけど、このタイトル、ぼくが考えたんです。このタイトルに吉本隆明25時をやる意図もなにもかも入っている、込めているつもりなんです。
 そもそものいきさつから話したいんですけど、ぼくにとって、ぼくというのは、いま日本の現代小説を書いている一人の人間なんだけど、文学をやっている人間にとって、ずーっと吉本隆明は気にかかっていたと、それで、いま一番気にかかっているんだ。
 ぼくは10代の頃から吉本隆明を読んでいて、ずーっといまも読み続けているんだけど、吉本隆明という人間が元々マルチプルなんだけど、さらにもうすこし、いままでのレベルをメタのレベルに展開し始めた。それで吉本さんと突っ込んで話してみたいとおもいまして、それをちょうど三上さんと互いに話し合ったんです。三上さんも一緒に突っ込んで話してみたい、それなら、どこか温泉かなにか行って、三人で風呂に入ったり、川の字になって寝たり、そうして、とことんまで話してみようじゃないかと、眠くなったら寝ると、朝起きて飯食って、飯食いながらでもそういうことを話してみよう、そういうことを考えて、吉本さんにそういうことに付き合ってくれないかと言いにいったんです。
 そうすると、たぶん、吉本がフジテレビの影響じゃないとおもうんですけど、いまとなってみれば、吉本さんは壮年の真っ盛りでいらっしゃる、じぶんの体力テストをここで試みようとおもうのか、それとも、一緒に伴奏しようとするぼくたち、中年に差し掛かったんだけど、中年の体力テストを試みるのか、24時間をちょっとおれ、いっぺん話してみたいなと言い始めたんです。
 それはすごいおもしろいじゃないかと、いろんなことが見えてきます。これは、吉本隆明という人間の中に、政治も、文学も、思想も、社会も、あるいは、情報というものも、あらゆるものが詰まっている、それはもちろんぼくだってそうなんです。あるいは、皆さん方、一人一人だってそうだとおもうのだけど、それを吉本隆明ほど、むき出しにしてきた人間はいないと、それを24時間という時間のなかで話を聞いてみよう、大賛成で、それで、こういうかたちにひっぱり始めたわけです。それがいままでの経過なんです。
 経過までしゃべりまして、今日、吉本さんと24時間、かたちは違いますけど、それこそ温泉にいって川の字になって話を聞くと、そういう別な形の試みがあると、24時間付き添うつもりです。どうかよろしくお願いします。(会場拍手)

2 主催者挨拶(三上治)

 三上です。吉本さんとの付き合いは、学生時代からかれこれ二十何年になるわけですけど、この間、いろんな意味で、吉本さんの著作や、日々の行動のなかで影響されながらきたわけですけど、そういうなかで、以前に吉本さんがどこかで24時間の話をしてみたいということを、また聞きとか、そういうのを聞きまして、どこかそういう機会が実現したらいいなというふうに、ぼくも考えていたわけです。
 今年、たまたま、去年の暮ですけど、中上氏と、今日のゲストで来ていただいている石川好さんという人のアメリカ問題の本をつくる機会がありまして、その後、飲んでいるときに、ぼくはこういう構想をもってという話をしているときがありまして、それはちょうどさっき中上氏が言っていた話と合致するわけですけど、そういうのがちょうど半年間ぐらい続きまして、やっとそういうさっき中上氏が話した経過でこれが実現することになったわけです。
 ぼく自身はここ数年、ぼくは以前、革命とは何かというむずかしいことを考えていたんですけど、もう革命なんてやるべきことは何もないじゃないかと、革命することは何もないということから、どういうふうに問題を考えたらいいのかということがひとつありまして、これはたぶん現在の若い作家たちが表現するものがない。あるいは、じぶんたちのやるべきものがないというふうな、ひとつの内面的な危機に直面しているという問題をどう考えたらいいのかということがあって、そのことをある意味ではとことん突き詰めてみたいという欲求と、これからの長時間のマラソン討論という構想とか結びついていて、実際、この会場の中でどんなふうに実現していくのか、24時間というタイトルは、ぼくは徹マンで24時間やったことはあるんですけど、それ以外、24時間なんていうのはやったことがないので、よくわからないということと同じように、この会場の中身もいちおうのシナリオはできているわけですけど、それこそやってみなきゃわからないという、生番組みたいなところがあるわけですけど、ともかく、内容的にも、時間構成的にも、主催者としては精一杯、24時間を、じぶんはじぶんなりの意図どおりで実現したいとおもっています。以上です。(会場拍手)

3 主催者挨拶(吉本隆明)

 吉本です。中上さんや三上さんのお話にもありましたけど、ぼくは前から、いつか24時間講演会というのをやってみてえなみたいなことを、座談会みたいなことで、半ば冗談ですけど、公言したり、また個人的に話をしてりしていたことはあるんですけど、とにかく、それを本気でやるためには、体力から作っていかないきゃダメだなということを考えると、ちょっと億劫でみたいなことで、そのまま過ごしてきたわけです。
 この間、タモリの24時間テレビ番組を、どういうことになるのかな、いったい24時間やるとというふうに思いながら眺めていました。それで、そうすると、あれだけ話芸の専門家であって、それで、だいたいぼくが見ていると、タモリの関係する番組に出てくる人たちというのは、あらゆる人たちをみんな動員したり、とにかく、非常にいろんなことを考えて、それで24時間やっていたというふうに、ぼくにはおもいました。
 それでも、たぶんあれは、中身が薄いというふうに言われる、つまり、流しすぎているというふうに言われるんじゃないかなというふうに、ぼくはそういうふうにおもって、ぜんぶ見たわけじゃありませんけど、はじまりのところと、夜中と、夜遅くと見ていたんですけど、やっぱりそういうふうになるんだと、つまり、専門家がやってもああなるんだなと思ったら、急に怖気をふるってしまったわけです。
 しかし、ここのところにちょうど中上さんと三上さんから話がありまして、それなら、おれはそういうことを考えていたことがあるからドッキングしようじゃないかみたいな話になって、今日の企てになったわけです。
 その際にぼく自身が考えたことは、結局、べつにセクトの集会じゃありませんから、三人でそれらしき主張を打ち出してどうという、そんなことはまったく考えなかったんで、つまり、そういうのはダメだというふうにおもっているわけで、そうじゃなくて、じぶんらの力量で、ほんとうならば力量の及ばない範囲なんだけど、しかし、関心は非常にもっているという、そういう人たちを様々な分野からゲストに迎えることができて、交渉がもし成り立つならば、全体がぼくらということでなくて、全体の話の中、それを大まとめにまとめると、やっぱり何かなってたよということにはなりうるんじゃないかというふうに考えまして、一生懸命、ゲストの方々の、ぼくらの力量と及ぶ限りのあれでもってお招きすることができました。
 これ自体がどういうふうに進行するのかというと、ほんとうにやってみなければわからないことがあるのですけど、とにかく、ぼくらがいくらおもしろくやろうとしても、おもしろさの専門家というのはいるわけなので、そういう人たちにかなうわけがないわけですから、そういう意味合いのおもしろさというのは打ち出せないかもしれないのですけど、ぼくらなりのおもしろがり方とか、遊び方というのも含めまして、全体の雰囲気で、何かが、何かというのは簡単なことで、いまということだとおもいます。いまということがバーッと打ち出せたら、それはよかったということに、ぼくはなりうるような気がいたします。
 そういう意味で、やってみなきゃわからないのですけど、精一杯つとめさせていただきたいとおもいます。皆さんのほうも、頑張れなかったら自然体ですから、寝ちゃいますけど、頑張れるだけ頑張りますので、皆さんのほうもお付き合い願えたらというふうにおもいます。(会場拍手)

4 司会(三上治)

 ぼくらが知らず知らずのうちに使っていた言葉ということで、いろいろそういう言葉があるわけですけど、そのなかで「現在」という言葉を、ぼくらはずいぶんいろんな面で使うようになったとおもうのです。「現在」」という言葉のなかには、ぼくらがいろんなものを考えたり、いろんなことを思考したりするときに、かつてのモデルとか、類推とか、そういうものが効かなくなってしまったという情況があって、大なり小なり、「現在」を、「いま」という状態を「いま」というかたちで考えるしかないというような問題意識にかられていまして、そういうことが「現在」という言葉をずいぶんいろんな意味で流通させている。
 そういうことのなかに、そういう生活の変貌ということを考えたときに、ひとつの喩といいましょうか、イメージという意味では「都市」という概念は、非常に大きな中心的な概念になるわけです。それは実際上の具体的な生活の面で、我々の生活が変貌しているという意味と、それから、文化とか、観念とか、そういう上部構造まで含めたところで、現在というものが変貌しているという、そういう2つの側面があるわけですけど、そのことを中心に、「都市論Ⅰ」ということで、吉本さんの講演を受けたいとおもいます。

5 東京のイメージ

 「都市論Ⅰ」ということで、もう一度、時間がありましたら、今日の夜やろうとおもっていますけど、ふとして、「都市問題から見た天皇制」と書いてありますけど、ああ書くと大げさなんですけど、最初のコピーの中に、ぼくが天皇制についてしゃべっているみたいなコピーがありまして、それをくっつけないといかんなという感じで、くっつけてきました。あとでちょっとだけ申し上げたいとおもいます。
 どこからお話していこうかとおもうのですけど、今年の62年度の経済白書というのがあるのですけど、経済白書というのを読みますと、そのなかの項目に「東京集中と地域経済」という項目がわざわざ設けてあります。東京集中というのは、きっと為政者のほうでもなかなか大問題になっているのかなという印象を受けます。
 ぼくも東京集中と東京拡散といいましょうか、つまり、東京は次々と衛星都市といいましょうか、周辺都市を次々と食べながらどんどん膨張していきつつある。そういう東京膨張というのと、東京集中というのの、その2つの意味を、ぼくの得意なところに引き込みたいわけなので、うまくいくかどうかわからないのですけど、できるだけ仕込んでいこうというところから始めたいというふうにおもいます。
 まず申し上げたいのは、東京というのは具体的にどういうことになっているのかということを、データをあげて申し上げます。そうすると、これはどこかそこらへんの本にどこにでも書いてあるものなので、東京の総面積が600㎢、これは、数字はいいんですけど、パリの5倍であって、ロンドン、ローマの5分の2であって、ニューヨーク、モスクワの4分の3というふうに、ものの本に書いてあります。
 総人口は840万人で、これは世界の大都市でモスクワに次ぐんだと、そして、そこには資本金1億円以上の法人企業の本社というのが、全国で2万1000社あるうち8500社というのが東京に集中している、そういう意味合いのイメージをだんだん加えていきますと、東京というのは、ニューヨーク、ロンドンともうひとつあるわけで、これは相当、最近重要になってきたんじゃないかとおもいますけど、東京はニューヨーク、ロンドンと並んで国際金融市場のひとつになった。
 誰かがテレビに出てきて、近頃、24時間テレビとか、24時間トークとかというふうなことがあるけど、なぜ24時間なんですかみたいな、そんなことが問題なんですかねなんていうアナウンサーの質問に対して、都市問題の専門家だとおもうのですけど、答えていわく、東京は金融市場として世界で重要になってきた、そのために24時間どこかでフル回転していないとならないみたいなことが起こりつつあるんだと、つまり、それに付随して様々なものが、消費市場というのがそれを取り巻いて、やっぱり24時間どこかで何かやっていないといけないみたいなことがあって、そういうことがあるから、現在の若い都会の人たちというのは、夜中であるとか、昼であるとかという、区別なんかをあんまりつけなくて平気だというような、そういう風潮のひとつのあらわれじゃないかみたいな解説をしておりましたですけど。
 この24時間トークというのがそれであるかどうかは別として、国際金融市場のひとつになったということは、情報交換という意味では時差がありますから、ニューヨークとか、ロンドンとかと、時差がありますから、いずれにせよ、24時間くらいぜんぶ、情報が受け入れられたり、発せられたりする体制をもっていないとならないみたいなのをもつようになったという意味あいの、いちばん大きな要因になるんじゃないかというふうにおもいます。
 それから、もうすこしデータをあげて、東京のイメージというのをあれしていきますと、こんなのはぜんぶ、ぼくの調べたものでもなんでもなくて、本に書いてあっただけですけど、個人消費というのが、全国の12%は東京でなされている、それから、レストラン店舗は全国の15%を占めている、百貨店販売額は21%を占めている、映画館は全国の12%を占めている、そういうあれの年間の売上高というのは、全国の25%は東京でなされている。
 それから、もうひとつ、国公私立大学、それから、高専といいましょうか、そういうのを合わせまして、全国の38%の教育機関というのは、だいたい首都圏にあって、学生数は42%が東京に集中しているというふうなデータが出ています。
 東京のあとのイメージというのは、ここにランドサットの東京の映像がございますから、これでもって、だいたい東京のイメージを考えてくださって、このイメージのなかに、いまのデータを突っ込んでくだされば、そうすれば、なんとなく、世界都市としての東京であり、それから、経済白書のあれでいえば、「東京集中と地域経済」というのが問題になるような意味での東京というもののイメージが描けるわけですし、また、世界の大都市というものがどういう問題に直面しているかということのイメージもなんとなく思い浮かべられるんじゃないかというふうにおもいます。
 ぼくらが、都市論みたいなことをやってきたわけですけど、都市論というものを様々な展開のされ方とか、様々なアプローチのされ方というのがなされています。それは非常に写真家のプライベートな「私の東京」みたいな、そういう「東京」と題する写真集みたいなものも何種類か出ておりますし、それからまた、路上観察学みたいなことで、東京の路上における様々な珍しき現象とか、おもしろき現象とか、おかしい現象とか、どうしようもない現象とかというのを観察する人たちもいて、そういう人たちも、それぞれの東京像というのを出しております。

6 膨張の論理

 結局、ぼくらが都市論をやったときに、東京もひとつの世界の現在の大都市というふうに考えまして、都市論というのはどういうふうにして可能かというのを考えたわけです。その場合に、様々な要因があるんですけど、要点は、ぼくの理解の仕方では2つなんです。
 つまり、現在の大都市というのは、一種の都市を生態系のひとつのなかに包括させるとしますと、現在の大都市というのは、いわゆる過剰な膨張と、それから、過剰な収縮というのを繰り返しているわけです。
 その過剰な膨張と過剰な収縮ということの意味ということを捉まえていきますと、現在の都市の主要なイメージというのは、すぐに捉まえることができるというのが、ぼくらのもっている都市論の大きな観点です。
 この観点を申し上げますと、ひとつは膨張のほうから申し上げましょうか、いま申しましたとおり、東京というのは、こういうふうに緑でないところが、だいたい東京の都市の圏内に属するわけですけど、しかし、これはいまでもどんどん膨張しつつありまして、だいたい中部地方のほうに膨張する面のほうが多いんですけど、膨張していきまして、だいたい相当なところまで、東京のなかに入っていっちゃうんじゃないかなということになるわけです。
 これも具体的な膨張のデータのひとつになりうるのは、たとえば、首都圏から通勤一時間以内というようなところは、全国の都市でいいますと、平均で85%だというふうに言われています。ところで、東京だけは75%ぐらいだ、つまり、それだけ他の都市よりも膨張の度合いと、それから、速度と、それが速やかになっているという、それが止まるという兆候がないということなんです。
 その膨張の問題というのはどういう問題を提起するかといいますと、ひとつはようするに、緑のところは山になっていますけど、山も平地も田畑もあるわけで、ひとつは、周辺の農業、あるいは農村というものをどんどん侵食していく、そうすると、農業問題ということが、新たな問題として出てくるということがひとつあります。
 それじゃあどこで止まるのかというふうに考えますと、現在のところ止まる要因というのはどうしても考えられないと、そうすると、農業問題としては、ようするに、都市周辺の農業、あるいは、農地というものは成り立つものだろうかどうかという問題が盛んに提起されているとおもいます。
 それは特にお米の値段みたいな問題で、つまり、アメリカから安くていい米が入ってくるのに、なぜ殊更、米なんか作らなきゃいけないんだ、特に大都市周辺でどうして米なんか作らなきゃいけないんだという論理というのが一方にあります。
 それから、一方にはお米というのは、日本人の魂だから、やめて輸入するなんていうのはけしからんという、安い高いでそういうのはけしからんという論議もあります。これを白熱させますと、これはつかみ合いどころじゃなくて、血の流しあいになっていくとおもいます。
 ここの問題はどうしようもない、しかし、根本は何かというと、現在の大都市、つまり、東京が典型ですけど、大都市がどんどん周辺の農村とか、そういうもののあれを侵食していくという現象が根底にあるわけです。
 これをもっともうすこし抽象化して、抽象的な理論といいますか、論理として申し上げますと、大都市が周辺を侵食していく問題というのは、理論的に何だろうかというふうに考えますと、この原動力は何だろうかということを考えますと、たくさんの要因が考えられるんですけど、ひとつ大きな要因を考えますと、情報化ということ、あるいは、コミュニケーションでもいいんですけど、これから情報化社会になるので、高度情報というようなものの国内的な分散ということです。国内的な分散というのが、非常に大きな大都市膨張の理論的な原動力だというふうに考えていいんじゃないかとおもいます。つまり、情報というものの巨大化とともに、同時に情報の分散化というのが起こらざるをえない、あるいは、逆に一中心よりも、情報の多中心性ということがどうしてもなされざるをえない。
 それから、もうひとつは、なされざるをえないと同時にそれが可能であると、高度になったから可能である、つまり、東京と山梨なら山梨で、現在の情報化技術でいえば、山梨からわざわざ出張してきて、東京で会議を行うみたいなことをしなくても、山梨なら山梨にいて、同時に顔を見ながら、声も同時に聞きながら、会議をすることができるということはわりあいに容易にできますから、だから、そういうことの要因も含めて、高度化というものと、分散化というものがたぶん都市膨張の非常に大きな理論的原動力になっているというふうにおもわれます。これは裏を返せば、また都市収縮の原動力でもあるわけなんですけど。
 そうしますと、この都市膨張の問題というのは、少なくとも、情報化社会度といいますか、情報化が高度になり、また、多様になるにつれて、都市膨張の仕方というのは、ますます激しくなるし、速度も早まっていくというふうな形になるとおもいます。この場合に、もちろん同時に、様々な農業問題とか、公害問題とか、同時に振りまきながら、それから、農業は果たしてどうなっていくのだろうかというような問題も同時に、現在の大問題ですけど、大問題も同時に包括しながら、都市の膨張というのが続いているというようなことになります。
 もし、この問題を都市の内部で、つまり、東京なら東京の都市の内部で、この問題の帰趨といいますか、行く末というのをいちばんよく見極めたいと思われるならば、それは都市の中で、緑地がどういうふうに減って、そして、住宅地ないしビル街がどういうふうに増えて高層化していくかという問題をみればいいわけですし、もっと微分化していきますと、この問題はビルの中に、たとえば、ぼくはよくビルの中にお茶室を設けたり、日本庭園を設けたりという例をあげますけど、そういうビルの内部での緑地、緑化といいましょうか、そういうものの様相というのをよく見ていればいいわけで、もっと普遍的にいいますと、本来は地べたに作られるべきもの、あるいは、地べたを掘って作られるべきものが、ビルの内部に入っちゃっているという箇所がたくさんあります。そこの問題をよくよく見られることが、だいたい都市膨張の行く末というのを占うのに、いちばんいいんじゃないかというふうに、ぼくはおもいます。
 それは、もちろん、裏から返せば収縮の問題でもあります。本来、地面にあるべきものが、やむをえず緑地として減っていっちゃうということ、それから、もうひとつは、ビルの中で、本来、地面で行われるべきものがビルの何階かで行われるというようなことになってしまっている。それはいったい何なのかというような、そういう問題というのが、そういう問題をよくよく微細に見ておられると、だいたい都市が地方の農村とか、田園とかを侵食していく侵食の仕方と、その進行度と様相というのを、だいたい占うことができるとおもいます。

7 収縮の論理

 それから、今度は収縮の問題ということになるわけですけど、この収縮の問題というのがどういうことになるかといいますと、収縮がいちばんよくあらわれてくるのは何かといいますと、ビルの密集地帯でしばしばそれを体験することができますけど、ビルの密集地帯で、ある程度展望の効く高い階層だったら非常にわかりやすいのですけど、そういうところで、ビルが非常に密集しているところを眺望いたしますと、本来ならば、人間には限定された一視野があるのですけど、本来ならば人間の一視野の中に、こういうものは到底映ってくるはずがないというような光景がたくさん描かれます。見えるところがあります。つまり、本来、一視野で見られるべき視野の範囲内に、ほんとうならば3つか、4つの視野で見なければ見られないような、たくさんの視野の重なり合いといいましょうか、見える対象の重なり合いといいましょうか、そういうのが観察されるところがあります。
 それは都市のなかのいちばん密集地で観察すると、非常によくそれが観察されます。それはとてつもない奇異な感じを与えます。その奇異な感じをよくよく分析してみれば、結局、人間の一視野のなかに到底入ってこない光景が、部分的にですけど重なり合って、同時にそれがひとつの光景として見えるというような、そういう箇所があります。
 そういうところは、たぶん、本来よりも密集的に都市が収縮作用を起こしているところで、密集地域で非常に多く見られる現象だとおもいます。この現象は都市というものの視野をかぎりなくイメージに、つまり、映像に近づけていくわけです。
 そういうところで見ていきますと、現実に見ている光景なんだけど、なんとなくそれは映像を見ているというようなところに、人間の視覚を追い込んでいくということがあります。
 そういう箇所というのは、都市の中にしばしば見つかるわけですけど、都市の収縮作用といいますか、あるいは、過剰な密集作用というのが起こりつつある、そういう箇所だというふうに見ることができます。そうすると、それをもっと微細なところでいえば、どこでそれを観察したら観察できるかといいますと、それは様々な大きな問題というのを提起していると僕はおもいます。
 提起していることのいくつかをあげてみますと、さっきの、本来、緑地であるべきもの、あるいは、農村にあるべきもの、あるいは、地面に置かれるべきものが、ビルの中に含まれちゃっているみたいなことを先ほど申し上げましたけれど、それと同じ伝でいいますと、都市の中に、あるいは、もっと都市の中のビルの中に、たとえば、工場を包括してしまえということが、具体的に時々話題になってきます。つまり、都市のビルの中に工場を作っちゃえという、そういう発想です。都市のビルの中に工場をつくっちゃうという場合に、その工場というのは、当然、空間的には小規模のものとならざるをえないわけです。とくにそれを目的としてビルをつくれば別ですけど、そうじゃないかぎり、ふつうの都市の貸しビルでもいいですけど、それから、マンションでもいいですけど、その中に工場をつくっちゃうというふうなことが、しばしば話題になったりしていますけど、それはわりあいに都市の収縮作用を象徴する大きな目印になるというふうに、ぼくは考えます。
 つまり、それはなぜかといいますと、都市というものが過剰な収縮作用というものを起こしていった場合に、それじゃあ生産作業というものは一体どういうふうになっていくんだという、もちろん、どこか遠いところに工場をつくって、そこから製品を運んでくるとかいうことはもちろん可能なわけでしょうけど。そうじゃなくて、都市内でもしそういう問題を処理しようとしたら、どうするんだろうかというふうになってくると、ビルの中に工場を入れちゃえみたいな、そういう発想というのはどうしても起こってくるはずなので、時々そういうことをやっているところの例が問題になったりしてきます。
 それは、わりに形態として新しいように見えるから、そういうことが話題になるのだとおもいます。そうなってきますと、それは、ぼくの理解の仕方では、わりあいに現在の都市が膨張と収縮というのを繰り返していきながら、どんどん展開していっちゃう、そのことのひとつの象徴をあらわしているというような気がするのです。

8 新しい分業の概念

 その場合にどういうことが問題になってくるのかというふうに考えますと、いちばん大きな問題というのは、いま出てきている問題としては、分業という問題のようにおもいます。
 つまり、分業という問題は、アダム・スミス以来の分業の概念でいいますと、一人が、たとえば、鉱山から鉱石を拾ってきて、それを製錬して金属を作って、それを伸ばして針金を作って、針金を加工してまた針を作るというようなことを、そういう原料から製品までにたくさんの工程があるとすると、その工程のひとつひとつを一人の人がやるよりも、分担してやったほうが遥かに高能率になるし、遥かに便利なんだというような、そういう必要性から、それから分業が発達してくるというような、そういう意味あいで分業という概念が使われてきているわけですけど。
 そういうふうに、ビルの中に工場を誘致してしまえとか、そこでやっちゃえというふうな発想をとりますと、そうすると、分業の概念というのをちょっと違えなくちゃいけないので、これはある意味では、分業の概念の復活に似ているわけですけども。
 その場合には、たとえば、少人数のグループを作っちゃって、グループでならば、素材から製品まで小グループで全部やっちゃう、そういう小グループをたくさん設けるというような、分業の仕方をしますと、そうすると、案外、小規模なといいますか、小空間の中で、原料から製品まで作ることが可能であるし、また、別な意味でいいますと、その作られた製品がグループ毎に違っているために個性といいますか、そういうことを持たせることもできる。
 それから、もっと大げさにいいますと、それを必要とする消費者というものの必要性を主体にして、それに則って、消費者の必要性というのは多様なわけですけど、その多様性に即応するような形で、小グループが原料から製品まで作っちゃうと、また、別の必要のところに対しては、別の小グループが素材から製品まで作っちゃうというような、そういう多様性でもって、必要とするものに適応することができるというような、そういう意味合いも含まれて、分業の概念のなかに、新たな小規模完結型の分業というのをやりまして、そして、それを質と量ともに多様化していくというような、そういう分業の体制というのが、当然このなかにあらわれてくる、たとえば、ビル内工場というようなことのなかには、必ずそういう問題があらわれてくるわけです。
 だから、とくにそれは小規模生産みたいなところから、それはなされるに違いないことは間違いないですけども。そういうふうなかたちで、都市の収縮作用、あるいは、密集作用というのに対して、生産というのが適応しようというふうに考えていくというような、そういう様相いうのが見られるわけです。
 これは、分業というものの概念に、古くて新しい概念といいましょうか、そういうものを新たに喚起していく、ひとつの問題になってくるようにおもいます。都市というものを収縮作用でいっているわけですけど、収縮作用からみられた都市というのは、だんだん映像に近づいていくだろう、つまり、イメージに近づいていくというような、そういう作用があるに違いない、これはたぶん、世界のどういう大都市でも、たぶんこの問題が起こっているんじゃないかと思われます。
 この収縮作用というのは、それじゃあ何を原動力として収縮作用というのは起こるだろうかといえば、先ほどの高度情報化ということの原動力の問題と裏腹になりますけど、同じ原動力で裏腹になりますけど、それは高度情報化ということが、はじめから言いました情報の国際化といいましょうか、国外化といいましょうか、そういうのが、国外的な、あるいは、世界的な情報化の網の中に緊密に入っていくといった場合に、情報化の作用はたぶん集約と集中を必要としているので、都市の集中作用というものは、たぶん、情報の国際化といいましょうか、国外化といいましょうか、そういうことの要因が非常に大きな作用を及ぼしているんじゃないかということが言えそうな気がします。
 だから、東京なら東京にたくさんの企業の本社みたいなものが集約せざるをえないのは、地方にある支社とか工場とかとの国内的交通もさることながら、情報交換もさることながら、国際的な情報交換にも耐えなくちゃならないみたいな、そういう作用があって、そして、都市の収縮作用というものが行われるんじゃないかというふうに考えられます。
 ここでひとつ、いままでお話してきたところで、都市の膨張と収縮にまつわるいくつかの問題というのは出てきたとおもいます。それは、ひとつは農業問題であり、緑地問題であり、そして、ひとつは工場の問題であり、それから、分業問題であるというような、そういう問題が出てきているとおもいます。その問題を時間があれば後のほうで、また申し上げたいとおもいます。

9 東京を例とした横圧力

 都市というのを、東京なら東京という具体的な例で申し上げますと、東京の場合ですと、東京の都市としての膨張と収縮というのは、一般的に大都市の膨張と収縮の仕方それ自体に他ならないので、格別のことはないわけですけど。ただひとつ、具体的なことになってきますと、いくつかの違う要因が東京の場合に具体的にあります。
 それを膨張と収縮に対する一般論に対する条件の力といいましょうか、条件としての力というふうに考えますと、東京の場合にはいくつかあります。ぼくはおもしろいからそういうふうにあげるわけですけど、重要だから必ずしもあげているわけではないので、東京の膨張に重要な要素だからあげているのではなくて、おもしろいからあげている要素が多いのですけど、いくつかあります。
 それは、ひとつは、第一に大川端、ぼくが子どもの時に住んでいたところなんですけど、ひとつはここだとおもいますけど、ぼくらの子どもの頃には、石川島播磨の造船所があったところのあたりなんですけど。もっと前は石川島監獄という監獄があったところなんですけど。江戸時代からあるんじゃないでしょうか。佃島に留置されたみたいな、銭形平次みたいなのはそういうのが出てきますが、ひとつはいま申し上げました隅田川の三角州なんですけど、ここのところが現在、リバーサイドシティという計画で高層のマンションみたいなものが作られつつあります。それは、東京都と三井不動産かなんか、そういうところがあれだったと思いますけど、それはかなりな高層で、データはあてになりませんから、口から出任せにいいますと、40階で160mくらいの高さのが2つと、それからあとは、中高層の高さのマンションが10棟、周りを取り囲むみたいにあって、小学校があって、もちろん、商店街もみんなあるというような、そういうのが作られつつあります。
 そうしますと、なにが起こるかというと、ひとつはこの佃島地域というものの商業の中心というのは、ここに西中通りというのがあるのですけど、それはたぶん、これができますと、非常に壊滅的な、なにかしなければ、どうしようもないというふうになるに違いないとおもいます。
 それから、もうひとつは、できたすぐ隣がいわゆる昔懐かしい江戸時代からの佃島情緒とか、佃煮がなんとかといわれているところですけど、それはたぶん、なにか特別保護地域みたいなふうにしないかぎりは、たぶん、壊滅するだろうとおもわれます。ぼくはわからないですけど、とにかく、高い金で買いましょうと言われれば、たぶん、売っちゃうだろうとおもいますから、そういう大きな変化を地域に起こすような気がします。
 それから、もうひとつ言えることは、それが僕にはおもしろい徴候のひとつのように思いますけど、ここにそれだけの高層マンションが立ちますと、地図でみますと、ここが皇居です。つまり、皇居というのは、ぼくの理解の仕方では、よく見えちゃうとおもいますけど、日常をよく見えちゃうんじゃないかと思うのです。
 それから、ここにそれができますと、力学的にいって、築地とか、有楽町とか、銀座とか、そこらへんのあたりのビルは高層化せざるをえないだろう、あるいは、もともと黙っていてもするでしょうけど、高層化を促進せられざるをえないだろうというふうに思われます。
 それがひとつ、それからもうひとつ、もっとたくさんあるのですけど、永代橋周辺の倉庫がまた再開発されるあれがあります。それは結局、ここなんかと同じじゃないでしょうか、つまり、こういうのは元来、倉庫会社があれすることじゃないのですけど、こういうイベント会場用の設備を倉庫会社が作っているということは、新しい現象なんでしょうけど、それと同じことが、永代橋あたりですと、ここらへんの倉庫群の再開発みたいなことがなされつつあります。
 それから、もうひとつは、これは、たぶんまだ計画ができたとかいうことなんでしょうけど、ぼくらが物の本で知れるかぎりでは、東京テレポート構造計画というのがありまして、それはたぶん、ここかここだとおもいます。つまり、13号埋め立て地というところだとおもいます。ここらへんを中心に情報流通の中心街みたいなものが、それこそ電子情報なんですけど、それがそこにできるという計画があります。
 それから、もうひとつは、よく新聞ダネになって、皆さんがご存知の新宿新都庁計画というのがあります。これは、丹下健三の設計なんですけど、いちばん高いのは地上48階で243mとなっています。この庁舎ができるということで、新宿の東京の都市内の位置というのは、格段に違ってくるだろうなというふうに思われます。
 これらのことは、東京の膨張と収縮に対して、一種の条件の横圧力といいましょうか、そういうのを与えている要因です。これはそういう計画がたとえばなされた時に、東京の膨張と収縮に対して、どういう歪みを与えるかとか、どういう歪を与えるかという問題を必ず提起するというふうに、ぼくには思われます。
 これがさしあたって、近年、数年間といいましょうか、10年以内といいましょうか、そういう範囲内で東京の膨張と収縮が、都市の無意識の膨張と収縮に対して、かなり意識的な意図的な条件としてこの力が加わった場合にどうなるかという問題は、だいたいこういうことを考えると非常にわかりやすいんじゃないか、あるいは、無意識の膨張収縮に対して、意図的なといいますか、意識的な、あるいは、計画的な歪をあたえる力というのを、これはもっているんじゃないかというふうに、ぼくはおもいます。

10 都市論から見た天皇制-猪瀬直樹『ミカドの肖像』

 せっかくあんなに大きく「都市問題から見た天皇制」というのを書いてあるわけだから、やりますので、いちばんわかりやすいのは、いま申し上げまして、ここが皇居です。いま申し上げました伝で、ここらへんのビルが高層ビル化していくというふうになっていって、その極限の状態を考えまして、地上げ屋さんでも、土地資本でもいいのですけど、そういう人たちが、これを売らないかというふうに言った場合を考えます。ここを売らないかと宮内庁に交渉したと、西武でも東武でもなんでもいいですけど、売らないかと言った場合に、売らないという保証がないのではないかというのが、ぼくの理解の仕方です。
 つまり、どこかの時点で都市の収縮に該当しますけど、収縮作用がどこかの時点まで、つまり、飽和に近い時点までいったときには、ここはやっぱり売ろうというふうになるのではないかというのが、ぼくの理解の仕方です。
 売ってどうするんだといったら、そしたらやっぱり京都へ行こうじゃないか、京都御所へ行こうじゃないかというふうに、そういうふうに考えるのじゃないかというふうに、ぼくには思われるわけです。天皇家はみんなエコロジストですから、こんなところには住めねえってことで、どっかの時点でぼくは、東京の収縮作用のなかにそれが入ってくるんじゃないかというのが、ぼくの理解の仕方です。
 こういう問題について、一番おもしろい本を出されたのは猪瀬直樹さんで、猪瀬直樹さんが『ミカドの肖像』という本を出されたんです。それはベストセラーになっていましたから、皆さんもお読みになっていると思いますけど、猪瀬さんの本のなかで前半というのは特におもしろかったです。
 それは何かというと土地問題なわけです。猪瀬さんは詳細なデータを調べられてあげておられるわけですけど、現在、利用可能な、つまり、産業をもっているとか、そういうのではなくて、利用可能な土地の広さでいえば、天皇家の所有している土地の広さに対して利用可能な土地の広さよりも、西武がもっている利用できる土地の広さのほうが倍ぐらいあるというふうに、猪瀬さんは詳細なデータであげておられます。これはとても重要なことのようにおもわれるのです。
 どうしてかといいますと、マルクスが非常に的確にそういうことを言っているのですけど、つまり、土地問題に対する東洋的な意識というものと、それから、東洋的なデスポティズムといいますか、東洋的な君主というものの両方の観念というものはあいまっているわけですけど、その観念のなかの重要な柱のひとつは、土地というものは公地公民だという、もっと極端にいいますと、土地は君主一人のものというのが、東洋的な社会での非常に大きな特徴であるわけです。
 だから、皆さんの親父さんというのは、ぼくと同じぐらいだから少し怪しいのですけど、つまり、そういう人も、そうじゃない人もいるでしょうけど、ぼくの親父となってくるとほとんどそうなんですけど、じぶんは土地権利書みたいなものを持っているくせにして、どこかに土地はお国のものだとか、お上のものだという観念がどこかにあったんです。これは農家であればなおさらそうだったとおもう。いまの農家は知りませんけど、少なくとも、ぼくの親父ぐらいの年代までは、農家の人というのは、じぶんの土地だという観念はなくて、やっぱりお上のものだとか、国家のものだという、もっと濃縮していきますと神御一人のものだ、つまり、天皇のものだと、こういう観念をもっていたくらいの、これはつい最近、4,50年前までそうなわけです。つまり、何千年と続いてそうだったわけです。それくらい、土地はお上のものという観念が強かったわけです。
 東洋社会ではどこでも強いんです。つまり、土地は支配者のもので自分のものじゃない、じぶんはただ仮に借りているだけだという、そういう観念というのは、それくらい、何千年も昔からつい4,50年前までそうだったというくらいのもので、いまでも東南アジアとか、中国とか、そういうところでは、いまでもそうおもっているに違いありません。土地は国家のものだとか、そういうふうにおもっているに違いないと、ぼくには想像できます。
 日本はかろうじて、その領域を脱しつつあるから、4,50年の間に、だから減りましたけど、だけど、よくよく考えてみて、ぼくはまだ怪しいんじゃないかなとおもっているわけです。つまり、皆さんのなかで土地を持っている人がいるかもしれませんけど、そういう人は日本国が滅びようと、おれの土地は嫌だ、どこにもやらねえと思っている人は、かなり少ねえんじゃないかというふうに、いまでも思っています。
 だけど、ほんとうに私有するということは、そういうことなんだと、ぼくにはおもいます。国家がどうなろうと、そんなことは知らないよというような、それはどこに占領されていようと、おれが持っている私有地はおれのものだと、これはぜったい渡さないと、こういうふうな観念というのが、ほんとうの私有の概念だとおもいます。そこまでいける人というのは、いまでも少ないんじゃないかというふうにおもいます。それくらい東洋的社会のとても大きな特徴のひとつはやっぱり土地問題になるわけです。

11 東洋的専制(デスポティズム)としての天皇制の終焉

 これは猪瀬さんがそう解釈しているわけではないので、ぼくが猪瀬さんの本がおもしろいとおもったのは、そこなんですけど、つまり、現在、西武の土地が天皇家の土地に比べて2倍ぐらいになったと、使うことが可能な土地が2倍になったということは、いってみれば、東洋的なデスポティズムといいましょうか、デスポティズムとしての天皇制といいましょうか、それは終わったことを意味していると、ぼくはおもっています。
 つまり、もう民間の一資本のほうが、天皇家よりも多くの利用可能な土地をもっているということは、すでに長い伝統をもった東洋的デスポティズムの根底にある、土地はお上のものだ、あるいは、土地は国家のものだとか、土地は公のものだという、こういう観念が突き崩された、一資本によって突き崩されたことを意味しますから、ぼくはそういう天皇制のデスポティズムの非常に大きな柱である土地所有という問題の根底は崩されたというふうにおもっています。
 だから、ぼくの理解の仕方では、それで、猪瀬さんは、西武はどういうふうにその土地を手に入れたかというと、第二次大戦、つまり、太平洋戦争が終わったときに、皇族とか、爵位をもった人たちが、今までどおり、あまり特権的な暮らしができなくなった、そういう困っていたときに、家屋敷を売らないかといって、その土地を買い占めて、そこのところで、プリンスホテルみたいなのをその後につくったって、猪瀬さんは詳細なデータをあげて、そういう説明をされておりますけど。
 ぼくは、そういうふうにして、土地を民間の一資本がそういうかたちで手に入れて、とうとう天皇家の土地よりも大きな土地所有者になったということは、東洋的な君主・皇帝という意味あいでの天皇家の大きな柱はすでに崩れてしまったということで、ぼくはたいへんおもしろい現象だなというふうにおもうわけで、猪瀬さんのほうのニュアンスは、ぼくなんかのニュアンスと若干違って、西武資本はえげつねえなという、そういう観点が無きにしも非ずみたいな、そういう論調になっていますけど、ぼくはそうおもいませんでしたね、そうおもわないで、民間の一資本というものが、そういう天皇家の土地よりも利用土地としては大きくなったということは、たいへんおめでたいことだといいますか、いいことだといいますか、それは歴史のある必然を象徴しているというふうに、ぼくにはおもえまして、たいへん興味深いようにおもいました。
 ただ、ぼくはこの都市問題というところから天皇制を見ていくということは、つまり、周辺がぜんぶ見ることが、つまり、日常の生活性をぜんぶ見ようと思えば見ることができるというふうに、ビル街が皇居周辺を囲んでしまった、そういう場合を想定しますと、やっぱり、ぼくは売るじゃないかというふうにおもうんです。売るという時がどこかにくるんじゃないかなというふうに思えてならないのです。
 それは、じぶんならじぶんの家があって、周りが全部、高層にはならないでしょうけど、4,5階のビルができちゃって、うちだけいつでも下の方向から見られているとなって、それで土地屋さんが、ぼくの家は借地なんで、地上権はあるわけだから、地上権を買うからとか言って、地主さんは売ると言ったって、だから、地上権を買うと言ったら、お前、金をいっぱい出すから売らないかと言われたら、やっぱり動揺しますね、べらぼうに高い金だしてくれたら、それはもう売っちゃえと、こういうふうになるような気がするのです。つまり、上から日常を眺められるということは、ものすごく嫌な感じがするのです。これは誰でもするわけで、ましてや周りが全部そういうふうになった場合には、ぼくはなんとなく売っちゃって、京都御所なら京都御所に引きこもるというふうに考えるときがないということはいえないんじゃないかというのが、ぼくの理解の仕方なんです。都市問題から見た天皇制に対する理解の仕方なんです。
 それで、この売っちゃった後に、誰がそれを買って、それをどうするのか、保存するのか、それともマンションかアパートをつくっちゃうのか、そういうことは買った人次第のことでしょうけど、そういうことは、ぼくはひょっとするとありうるんじゃないかなというふうに思われるのです。
 それは、戦争中まで、つまり、明治維新から太平洋戦争中までの公家皇族といいましょうか、そういう人たちが生活に困って自分の家屋敷を売っちゃうみたいなことは、ちょっと想像もつかないことなんですけど、そういうことが起こっちゃったわけで、それは西武の先代の堤康次郎という人は、それを買っちゃったという、そういう事態があったということ、それでいまや西武の土地所有が、皇族の所有の倍ぐらいになって、使用可能な土地としては倍ぐらいになっていることを考えますと、そういうことは、都市の収縮の問題が過剰になってきた場合には、そういうことが起こりうるんじゃないかというふうなのが、ぼくの理解の仕方です。
 そういうことはいっけんすると、つまり、イメージとして考えなければ、こんなことはあんまり我々には関係ないことだと、つまり、古い伝統をもっており、いまでも、憲法の中には国民統合の象徴だと書かれている天皇家と、それから、大資本とのせめぎ合いの問題なので、ぼくらには関係ないといえば関係ないわけなので、しかし、都市のイメージの問題として、都市の膨張・収縮というようなものの、ひとつのあり方の問題としてみれば、そういう可能性というのは、とても興味深いことじゃないかというふうに、ぼく自身は考えております。あんなに大きく書いてもらっているのに、このくらいじゃ申し訳ないですけど、ぼくが都市問題から見た天皇制というのは、そういうところにいちばんの要点が帰着していくんじゃないかというふうに考えております。

12 農業問題とは何か

 それから、もうすこし、膨張と収縮というものが孕んでいる様々な問題を申し上げます。ひとつは、膨張が、先ほど申し上げましたとおり、周辺の農業・農村というものをどんどん食っていっちゃうということなので、食っていっちゃうということに対して非常な危機感をもっている部分もありますし、そんなものは当然なんだという部分もあります。それが現在のせめぎ合いの非常に大きな問題だとおもいます。この問題をめぐって様々な論議が交わされているということがあるとおもいます。
 その場合に、ぼくなんかが抱いているイメージは、この都市の膨張の勢いというものを、どんなあれをしても、まず止めることはできないだろうなというふうに考えます。だから、ようするに、農業問題というのは、都市と対立する問題じゃなくて、都市問題と込みで考えなければならない問題として、必ず起こってくるんじゃないかというのが、ぼくなんかの理解の仕方です。
 それの象徴というのが、たとえば、ビルの中に緑地を作っちゃえとか、日本庭園を造っちゃえとか、ビルの中に公園をつくっちゃえとか、現在、ぼちぼちそういう発想が起こってきているわけですけど。そういう発想というのは、たぶん、その場合の農村の問題と都市の問題、特に大都市周辺の農村と都市の問題に対する、あるひとつの象徴性をもっているんじゃないかというのが、ぼくの理解の仕方です。
 もっと極端で大胆率直な論議をする大前研一なんかはすごくて、都市周辺の農村なんかみんな売っちゃえばいいんだという、売っちゃえば、ある程度の都市の住宅問題と、それから、都市周辺の農業問題とが同時に解決しちゃうから、売っちゃうのが現在の農業革命の問題なんだと、そういうふうに言っている極端な人もいるくらいです。
 だから、その問題は非常に大きな問題になっており、また、エコロジストはそうじゃねえなんて、膨張する都市はぶっ壊しちゃって、中都市で、みんなが生産的で友好で楽しい、そういう生活ができるような規模で、農村と都市とが調和しているような、そういう生産だけをやるようにして、それで理想的なあれをつくって、それで、様々な老齢社会の問題とか、公害の問題を解決しようじゃないかみたいな、そういう構想をもっているエコロジストもいるわけで、だから、そこらへんのところは、現在のわりあいに緊急な課題のひとつになっているとおもいます。
 それから、ぼくはもうひとつ、収縮が与えている問題というのは、工業の問題をどうするのかという問題がやっぱりどこかに含まれているような気がします。それはいろんなことで考え方を変えなきゃいけないんじゃないかというような気がするのです。それは、分業の問題もそのひとつだとおもいます。分業という概念をどういうふうに変えていくかという問題みたいなものも、そのひとつに含まれていくような気がします。
 だから、この収縮の問題というものは、農業問題よりも、様々な工業問題とか、あるいは、流通の問題とか、そういう問題というのをぜんぶ孕んでいるような気がします。つまり、分業と込みになるわけですけど、流通という問題は、収縮の中にはとても大きな要因で含まれるとおもいます。
 それでも、ぼつぼつ需要者の意図を組んだ企業があって、需要者の意図どおりの設計をやって、それを小規模独立した分業体制をもった、そういうところで消費者の希望どおりに設計された、そういう装置とか、機械とか、そういうのをつくるという、つくって、物が逆に、流通業者がそれを運んで、それを消費者が買うというのではなくて、逆に消費者の必要性というのを受け止めて、設計プラントみたいのをつくるみたいな業者が中間にいて、それで製造業者にそれを作らせるというような、そういう場合に、小規模独立分業みたいのを多様に連結するみたいな、そういう分業の概念が、ある程度、有効な局面というのはでてくるので、そういうふうに変わってくるんじゃないかというような、そういう問題というのをやっぱり収縮は孕んでいるとおもいます。
 それは、やっぱり、ある程度、藤原さんみたいな人から、そういう提唱みたいなのがあったりして、やられているところもあるのでしょうけど、ビルとかマンションの中で、素材から製品までつくっちゃうと、その場合に、必要な人はマンションにきて、こうやってくれ、ああやってくれというのをちゃんと見ながら、いちいち指摘してやってもらうみたいな、そういうやり方みたいな、そういうことが少し問題になったりしていますけど、それらはたぶん非常に象徴的にみれば、都市の収縮問題が孕む産業とか、流通とかに対するひとつの象徴的な意味合いを、たぶん、それは含んでいるんだというふうに考えます。それがだいたい都市の収縮問題が孕んでいる問題のとても大きな問題だとおもいます。

13 都市論の射程

 都市論というのを、もうすこし引きこむと、ぼくの得意の分野に引きこめるのですけど、それは、ぼくはたびたび話しているんです。それを話すと、なんとなく千昌夫の「北国の春」みたいになっちゃって、あいつは「北国の春」で半年暮らしているというような感じになっちゃうので、あまり、同じことは言いたくないので、ここでは申し上げないのですけど、大都市の問題というのを総体的に理論化するには、どこで理論化したらいいかというのを考えますと、収縮が極度なところで理論化するのが、いちばん理論化しやすいのです。
 だから、収縮の極度なところで、これを理論化しますと、そうすると、これは一種の人間の視覚像に対して、真上からくる視線が同時に行使された時につくられる、ひとつの映像があるわけですけど、つまり、四次元映像があるわけですけど。その四次映像を理論化するということが、大都市の収縮問題、つまり、大都市が収縮極まったところで、イメージ化する、映像化する、それを頂点として、問題の全体を理論化することができるひとつのキーだというふうに、ぼく自身がおもいまして、そういう観点から、現在、ぼくは「ハイ・イメージ論」と言っているのですけど、それを現在、展開しているわけです。
 そのなかで、都市論という問題も含まれているわけですけど、そういう問題を展開しているので、もし、御関心があるのでしたら、そこでもって見てくださると、とてもよろしいんじゃないかというふうにおもいます。
 都市問題というのはつまらない問題であり、同時に重要な問題であり、それから、現在の問題であり、同時に歴史的な問題でもあるわけです。それから、現実の問題であるとともに、同時にユートピアの問題であるわけなんです。つまり、19世紀のユートピア主義者というのは、都市論というのをたいていはやっているんです。たいていは、いってみれば中都市理想論なんですけど、都市問題というのはたいていやっております。
 中都市の問題というのは、同時に農業の問題、あるいは、周辺の農村の問題とひっからまって、たいていは問題にしているわけです。しかし、それにもかかわらず、大都市問題に歴史的都市問題の段階は突入してしまったということを意味しているとおもいます。それで、現在では大都市問題というのをどういうふうに周辺の農村問題と一緒にどうやって解いていくかということが、とても大きな理論的な問題だとおもいまして、また、大きなイメージの問題だというふうにおもわれます。
 つまり、大都市の収縮というところ、密集化・過密化というところで起こる都市の一種の映像化といいましょうか、つまり、そのなかにいるのに、じぶんが見ている視野はまるで映像の中の視野と同じじゃないかというようなふうに見れてしまう、そういう問題が孕む美的な問題とか、映像化の問題とか、そのなかでの生活的な問題とか、遊びの問題とか、様々な問題がそこで起こるわけですけど、その問題は都市の収縮の問題というのに、帰着するとおもいます。
 その収縮の問題というのは、たぶん、新たに歴史的なユートピア主義者というのが体験することがなかった問題に属するとおもいます。だから、この問題は新しい問題のようにおもいますけど、そこでさまざまな都市の膨張が極まったところの大都市の問題という問題がそこのところに集約して起こるんじゃないかというふうにおもわれます。
 それに対するぼくらが一生懸命それを解析して、そこの問題のどこに確信があるかということを解きたいもので、「ハイ・イメージ論」のなかで、そういうことをやらかしているという、そういうことに属します。もちろん、申し上げますけど、都市というのは、大都市東京だって、そんなところだけじゃなくて、もちろん、緑地というのもありますし、民家の住宅地というのもあるわけです。
 そういうところは何かといったら、それは相変わらず、昔ながらの、いわゆる地面の上に人間が住むとか、人間が住むのに必要な生活必需品が並んだ商店街があるとかいう、そういう昔ながらのそういう都市が下町にもありますし、上の手、山の手のほうにもあります。そういう土地は昔ながらの理解の仕方、つまり、農村から都市ができたという、そういう理解の仕方で、都市に人が住むようになったという、そういう理解の仕方で理解できる領域も、もちろんあるわけです。
 つまり、膨張と収縮の極まっているところだけが都市じゃないのであって、もちろん、そういうところもあるわけで、それはひとつの問題として、都市問題のなかで決してないがしろにできる問題ではないし、また、ぼくらが住むにいいところといって、住んでいるところは、たいていそういうところです。つまり、出勤してというのではなくて、じぶんが住むというところは、たいてい、都市の膨張・収縮の中心地に近いところであり、しかも、わりあいに地面に住宅地があって、商店街もあって、緑地もないことはないという、そういうところは、住むに理想の地域として、誰でもが求めているところの場所であるわけです。
 ですから、その問題ももちろん、都市問題の中に含まれているのですけど、現在の大都市問題を、中心的に力点としてつかまえるには、どこでつかまえるかといったら、やっぱり、膨張と収縮というところでつかまえるのがいちばん適当だ、いちばん適しているんじゃないかというのが、ぼくらの見た都市問題のパートⅠというところの問題なわけです。
 それで、後でといいますか、夜に入りまして、時間がありましたら、パートⅡというやつをやってみたいというふうにおもいます。べつに、ぼくの観点がそう変わるわけじゃないのですけど、すこし違う問題をやってみたいので、それはパートⅡとしまして、パートⅠというのは、およそこういうところで終わらせていただきます。(会場拍手)



テキスト化協力:ぱんつさま