1 司会

 今日は、昨年木村俊介さんをお招きして、やはり特別講座を行ったんですけど、それに続きまして、今日は、吉本隆明さんをお招きして、「『源氏物語』と現代」というタイトルで講演をおこなってまいりたいと思っております。吉本さんはずいぶん皆さん方はご存じだと思うんですけど、戦後、優れた多くの著作を刊行されていまして、戦後思想に大きな影響を与え、また現在も先進的な課題にむかって励んでおられる方です。今日は「『源氏物語』と現代」というタイトルなのですが、皆さん方のなかで、趣味とか、教養、また文学がお好きな方、また、学問的に研究なされている方もおられるでしょうけど、今日は、そういったものも含めて、包括したうえで、私たちが生きている現代というものに対して、通路を吉本さんにつけていただけたら、そこまでつけていただければ、教室としては、それが果たせるんじゃないかというところで、ぼくたちは考えております。また、その通路が見つかったうえで、それを自分たちなりに、じぶんの生活とか暮らし、それから知識とか、そういった色々なじぶんの生きているうえでの現代というものへ、それがつながれば、ぼくたちの教室の意味があるような気がします。それでは、吉本さんにお話をはじめてもらいたいと思います。それではお願いいたします。

2 与謝野晶子説がいい

 ただいま、ご紹介にあずかりました吉本です。いま司会者の方から言われたように、今日のテーマは「『源氏物語』と現代」というテーマなんですけど、「『源氏物語』と現代」というテーマも様々な場所から近づいていくことができるように思います。ぼくが今日ここでお話したい近づき方というのは、『源氏物語』を現在、皆さんが読もうとした場合に、どうしたらそれを読むことができるかというところから入りまして、『源氏物語』を現在読むということは、あるいはどういう読み方をすれば現在『源氏物語』を読んだということになるのかというようなお話のほうに入っていきまして、それでもまだ時間が、余裕がございましたら、今日は夫人講座ということなので、主人公たちの相当部分は女性であるわけです。女性の物語であるわけで、また、作者も女性だと言われているわけですから、様々な意味で女性の問題に関わってくる特徴があります。だから、そういう問題も時間があれば、触れることができたらというふうに考えるわけです。
 皆さん方は、まだ『源氏物語』というのは、名前は聞いているけど読んだことがないという方もおられるわけでしょうし、また、読んだことがあるという方もおられるわけでしょう、また、研究しておられる方もおられるわけだと思います。これから読むんだとか、まだ読んだことがないという方には、たいへん僕の話は役に立つんじゃないかと思いますけど、すでに読んだことがある方に役に立つかどうかよくわからないんで、その場合には、ぼくの読み方というものとお比べになって、そして何か得るところがあったらよろしいんじゃないかというふうに聴いてくださればよろしいと思います。それから、研究されている方がおられたら、それはぼくよりもよく知っていることを意味するので、あいつはあんなことを言っているけどデタラメじゃないかとか、そういうものを持ちながら聴いてくだされば、それなりにお役に立つんじゃないかというふうに思います。
 まず、『源氏物語』を読みたいと皆さんがお考えになって、それで書店に行くとします。そうすると、ぼくの知っている限りでは、現在、3種類、少し大きい本屋さんでいったら、そこの店頭に行けば3種類の『源氏物語』の現代語訳というのが店に出ております。ひとつは、与謝野晶子が訳した『源氏物語』、これは角川文庫で三冊の本になって出ている。それから、もうひとつは、谷崎潤一郎が訳した『源氏物語』が、これは中央公論社から出ております。これは大きいほうも愛蔵版のほうもございますし、もしかすると、文庫本もあるかもしれません。文庫本は、ぼくはあまり見てないですけど、それも目に入ります、だから、読むことができます。そして、もうひとつあります。それはいちばん新しいわけですけど、円地文子さんの訳した現代語訳の『源氏物語』というのが、これは新潮社だとおもいますけど、これも新潮文庫に文庫本になっていると思います。この3つが『源氏物語』を読みたいと考えて、本屋に行かれますと、すぐに目につく現代語訳の『源氏物語』であるわけです。現代語訳でたくさんだっていうふうに、ぼくは思います。だから、そのいずれかを読むことができると思います。
 この3つの『源氏物語』の現代語訳のうち、どれを読んだらいいのだろうかとうことになってきます。そうすると、これはぼくの考え方ですけど、ぼくの考え方では与謝野晶子の訳が、いちばんいいんじゃないかなというふうに思っておりますし、ぼく自身が昨年、『源氏物語論』というのを書いたんですけど、そのときに、たいてい拠り所としたものは、与謝野晶子訳の『源氏物語』であります。
 どうしてかということになるわけですけど、一概にいえないのですけど、与謝野晶子の『源氏物語』の現代語訳というのは、与謝野晶子という人が、明治時代に、明治20年代ぐらいに娘さんであった時代を送った人です。その当時の娘さんで一定程度の、まあ与謝野晶子の場合は、関西の商家の出ですけど、そういうところの娘というのは、一種の教養として『源氏物語』というのを読んでいるわけです。
 教養として読んでいるということはどういうことかといいますと、書かれた言葉の意味はそれほどよくはわからない、全部が全部わかるわけではない、しかし、わかるわけではないけど、それを音読したり、素読したりしているうちに、ひとりでに文章のリズムみたいなもの、文体のリズムみたいなものが身についてといいますか、わかってしまう、そういうわかり方だと思います。
 そうすると、意味として正確に解釈ができてというわけじゃないんだけど、しかし、何回も何回も繰り返し暗唱するように、暗記するように読んでいるうちに、ひとりでに大雑把な意味しかわかっていないのだけど、ひとりでに暗唱できちゃっている、そういう読み方をした、あるいは、そういう教養の取り方をしたのが、与謝野晶子だとおもいます。
 そうすると、こういう教養の取り方をした人の現代語訳というのは、意味がそれほど正確でない場合でも、中身の把握というのは非常に正確で、まだ原文のもっているリズムというものを、ひとりでに身についているという訳し方をするものだというふうにいうことができます。
 それですから、ぼくらが、谷崎さんの訳も、円地さんの訳も、それぞれによろしいのですけど、ある意味でいいますと、与謝野晶子の訳には誤訳がたくさんあって、そういう意味でいったら正確でないという言い方もされてしまうわけですけど、それに比べれば、谷崎さんの訳も、それから、円地文子の訳も、すでにたくさんの研究書も、注釈書も生まれたあとで訳されていますから、訳自体にしても正確ですし、また、それほどな誤訳があるわけでもございません。そういう意味合いでは、谷崎さんの訳とか、円地文子の訳のほうが、たぶん与謝野晶子の訳よりもよろしいわけですけど、しかし、それにもかかわらず、ぼくは最初に特記して、『源氏物語』自体の魅力といいますか、一種のリズムとか、一種のメロディみたいなものがあるわけですけど、それをある程度、与謝野晶子自身のメロディに置き直しているわけですけど、そのメロディが読む人に伝わってくるという意味あいで、やはりこの訳によられるのが一番いいんじゃないかというのが、ぼくの感じ方です。

3 具体的に訳本を比べる

 具体的に比べて見てみますから聞いていてください。「葵」という章の一部分なんですけど、これは源氏が自分の子どもの時から、紫の上を自分が育てていて、育てているのですけど、理想の女性に育てようとして育てて、紫の上のほうでは、源氏のことを父親と同じような感情で向き合っているわけですけど、源氏のほうであるとき、それに耐えきれなくなって、そして、源氏が男として、紫の上にむかっていくときの変貌の仕方と、そのときの紫の上が受ける衝撃といいましょうか、父親だと思っていた源氏がはじめて男の顔を見せたということを書いて衝撃みたいなものを描いたところなんですけど、まず、与謝野晶子の訳を読んでみましょうか、

 つれづれな源氏は西の対ばかりいて、姫君と扁隠しの遊びなどをして日を暮らした。相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去と違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって。心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは『どうしてお寝みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら』とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯の箱を帳台の中へそっと入れて行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕の横にあった。なにげなしにあけて見ると、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさずがに馴れし中の衣を

 と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくなってならなかった。

 これが与謝野晶子の訳です。今度は谷崎さんの訳をやってみましょうか

 退屈しのぎに。ただこちらの対で甚だの偏つぎだのをなさりながら日をお暮しになりますのに、生れつきが発明で、愛嬌があり、何でもない遊戯をなされましても、すぐれた技倆をお示しになるという風ですから、この年月はさようなことをお考えにもならず、ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいましたのが、今は怺えにくくおなりなされて、心苦しくお思いになりつつも、どのようなことがありましたのやら、「幼い時から睦み合うおん間柄であってみれば」、餘所目には区別のつけようもありませんが、男君が早くお起きになりまして、女君がさっぱりお起きにならない朝がありました。女房たちが、『どうしてお眼ざめにならないのかしら。御気分でもお悪いのであろうか』とお案じ申し上げていますと、君はご自分のお部屋へお帰りになろうとして、おん硯の箱を御張台の内にさし入れてお立ちになりました。人のいない折にようよう頭を擡げられると、引き結んだ文がおん枕元に置いてあります。何心もなく引き開けてご覧になりますと、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ね
 さすがに馴れしなかの衣を

 と、いたずら書きのように書いてあります。こういうお心がおありになるとは夢にも思っていらっしゃいませんでしたので、こんな嫌らしい御料簡のお方を、どうして心底からお頼み申し上げていたのであろうと、情けなくお思いになります。

 これが谷崎潤一郎の訳です。もうひとつ、円地文子の訳を読んでみます。

 所在ないままに、ただ姫君の部屋で碁を打ったり、偏つぎなどをして、日を暮らしていらっしゃるが、姫君は気立てが賢しくて、その上愛嬌がおありになり、ちょっとした遊び事のうちにも、正しい筋をお見せになるので、相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられたこの数年の間こそ、ただ子供々々した愛らしい御方ですませていたものの、今はなかなか我慢出来なくなられて、まだ無邪気なおとめの姫には可哀そうかと思われもするが、その辺りはどういうことであったのか、…もともと一つ御帳の内にお寝みつけになっていて、人の目にはいつからともはっきりお見分け出来る御仲合ではないのであるが、男君だけが早くお起きになって、女君はいっこう起き出ていらっしゃらない一朝があった。女房たちは、『どうしてこんな遅くまでお寝みになっていらっしゃるのかしら』『御気分でもお悪いのでは』などと御様子を見て心配していた。君は東の対のほうへお出でになる折に、硯の箱を帳台の内にさし入れて行ってしまわれた。人のいない暇に女君はやっと頭をもたげてご覧になると、引き結んだ文が枕元にあった。何心なく、取り上げて開けてごらんになると、

 あやなくも隔てけるかな夜を重ね
 さすがに馴れし中の衣を

 と書き流しになさったように読める。このようなお心がおありになるとは、ゆめにも思いがけなかったことなのに、こんなひどい方とも知らず、どうして心底から分け隔てなく頼もしいと思ってばかりいたのであろうと、女君はわれながら浅ましくお思いになるのだった。

 これが円地文子の訳です。ぼくが訳したものも読んでみます。

 所在ないままに、ただ西の対へきて碁を打ち、扁附などをしながら、日をお暮しになったが、若紫の心ばえはあでやかに可愛らしくなり、何ということもない遊びごとのなかにも、美しい手筋などを考え出されたりするようになったので気にもかけなかった歳月のあいだこそ、たださり気ないあでやかさを感じただけであった。もうこらえきれなくなって、心苦しい思いはしたが、どういうことがあったのか、他人には区別がわかるような間柄でもない二人なのに、男君のほうがはやく起き出されたのに、女君のほうがとても起きてこられないような朝があった。人々はどうなさったのでしょう、御気分がすぐれないとお思いではないかと案じて心配されるのに、源氏はじぶんの部屋へ戻られるとて、若紫の硯箱を御帳の内に差入れてゆかれた。若紫は、誰もいないあいだに、かろうじて頭をもたげてご覧になると、結んである文が、御枕の下にあった。なに気なくひきあけてみると

 あやなくも隔てけるかな夜を重ね
 さすがに慣れて夜の衣を

 と、書き流された歌があった。こんな心をお持ちとは、ゆめにも思いおよばなかったので、『どうしてこんな嫌らしい気持を抱いておられたのを、心底から信じて頼もしい方だと思ってさしあげたのか』と口惜しくおもわれた。

4 微妙な心理の匂いをどう訳すか

 いま3種類の訳を読んだんですけど、与謝野晶子の訳と、それから、円地文子の訳と、それから、谷崎潤一郎の訳と、何が違うかというのを、句読点の置き方から、訳から、ぼくのは正確に訳してあると思います。つまり、ぼくのほうが文体の訳し方ができるだけ忠実に訳したものです。
 だから、お比べになればわかるんですけど、与謝野晶子の訳というのは、勝手にといいますか、自由に自分の息の区切り方で、自分の呼吸の置き方で、自由に文書・文体を区切っていることが、なんとなくおわかりになると思います。だからきっと、お聞きになっていると、いちばん入りやすく入っているとおもいます。しかも、鮮明に入ってきているんじゃないかなって気が、ぼくはするわけです。それから、それに比べると、谷崎さんの訳はくどいと思います。
 いまの場面で何が問題なのかといいますと、いままで源氏のほうは、父親が自分の女の子を扱うみたいに、自由に抱きすくめたり、そういうことをして遊んだりしてあげて可愛がっているわけです。だけども、少しもそこにエロス的なといいますか、性的な思いは少しも出していなかったわけです。それがだんだん堪えきれなくなって、若紫のほうはきれいになりますし、女らしくなって成長していくわけで、堪えきれなくなって男として振るまうという、そういう箇所なんです。いままで父親だと思っていたのが、男として振るまわれて、若紫のほうが衝撃を受けるという、そういう場面です。
 そうすると、これを原文と忠実な句読を打って、そして忠実なように訳しますと、これはうまく通じないのではないかという危惧が訳すほうの側には、必ずあるのです。これは、ぼく自身もそうでしたからわかりますけど、かならずそこが、うまくここは自分の理解も加えて訳さないと、これはうまく重ならないかもしれないぞというふうな疑いを抱くわけなんです。疑問を抱くわけです。だけども、ほんとうにそうかどうかは別なので、たとえば、ぼくはやってきたので、たぶん、ぼくはそこの微妙な心の行違いみたいなものと心の変貌みたいなものは通ずるはずだと、ぼく自身は思いますけど、しかし、訳者になってみますと、そこはおっかないところであるのであって、こんなあっさりと流されたら、読む人に通じないんじゃないかという疑問を必ず抱くわけです。だから、通じないと思われる心を補って訳そうとするわけです。
 これは谷崎さんの訳も、円地文子の訳もそこのところがよくわかります。たとえば、谷崎さんのあれでいえば、「愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさ」、「愛すれば愛するほど」なんていうのはどこにも書いていないわけです。だから、これは谷崎さんが補っているわけです。それから、「ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいましたのが、今は怺えにくくおなりなされて」というけど、「ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいましたのが」ということはちっとも書いていないわけです。書いていないけど、これを補わなければ通じないのではないかという憂いといいますか、これは訳者のほうにあるわけです。だから、そういう一種の解釈を含めた訳をみて補うわけです。補う衝動というか、補う気持ちというのは訳者のほうには起こってくるわけです。
 これは円地さんのほうになると、もっとそれが極端になります。極端にこのままじゃわからないんじゃないかというので、円地さんの場合には、「相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられたこの数年間の間こそ」というような、とてつもない付け加え方であって、つまり、そういうふうに付け加えないとわからないと思う気持ちがあるわけです。だから、「相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられたこの数年間」というのは、とてつもない具体的なといいましょうか、具象的な補い方であって、そういう補い方をしたら原作者の意図を阻むのではないかというくらい補い方をしているわけです。
 そうすると、訳者のほうは十分に補えたから、充分通ずるはずだというふうに、どうしても訳者のほうは思いますし、あるいは、みなさんがお読みになった場合には、ぼくなんかの理解で、これは円地さんの訳がわかりやすい、ぼくはいちばんいいとお感じになるかもしれないのです。そこのところについての皆さんの感受性とか、みなさんの感じ方に対して、ぼくは干渉するつもりは少しもないのですけど、しかし、ぼく自身の理解の仕方からすれば、「相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられた」というふうに言われちゃったらおしまいじゃないかという気がするんです。つまり、源氏のほうは自分の、中宮の面影に非常によく似ている子どもを偶然に山で見つけてといいますか、出会って、そして、この子を育てて、理想のあれに育てて、じぶんの初恋の人の思いを遂げられると、また、理想の女性に育てられるじゃないかというふうにして育てているわけで、若すぎて男女の交わりをまだ知らないからとか、まだ思いおよばないからということで、育てているのではなくて、父親が娘に対するような気持ちを一面では抱きながら、しかし、娘に対しては普通の男親というのは、娘が育って、少女期に達してしまえば、娘を自由に抱いたりなんてことは、男親のほうはしなくなっちゃって、できなくなってしまうわけです。だけれども、この場合には、源氏はじぶんのほんとうの娘ではないものだから、そういうふうに自由に抱きすくめて可愛がってやったりということも平気でされる、それで、一方でまた父親の娘に対する気持ち、性的な感じというのは少しも持たないで、そうしているわけです。ところが、だんだん育っていくうちに、若紫のほうは、利口にもなるし、可愛くもなるし、そういうふうになってきて、そして、あるとき父親として振るまっている自分自身にだんだん堪えきれなくなって、不意に男として扱っちゃうという、そういうところを描いているわけで、必ずしも、若すぎて男女の交わりをまだ知らないときだからというところで扱っていたわけではないと、ぼくは理解します。
 作品の理解をする場合に、そういうふうに、ぼくは理解するわけですけど、これを円地さんの訳のところまで補ってしまうと、確かにはっきりしてわかりやすくはなるのですけど、作品のある前提の仕方で、決めてしまうことになっちゃいます。ですから、このぼくの理解の仕方では、この訳の仕方は、あまりに細かく補い過ぎていて、訳としては立派じゃないのではないか、これは訳者の気持ちも推し量れば、このまま忠実に訳したところで、通じるはずがないという思いがありますから、不安もありますから、こういう補い方をしてしまうのですけど、もっともなモチーフなんですけど、しかし、ぼくの理解の仕方ではこれだったら補い過ぎではないかという理解を捉えざるをえないわけです。
 そうすると、谷崎さんの訳はそれに比べれば、まだ補い方は少ないのですけど、「過去と違って愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさ」というのは、谷崎さんらしい補い方だっていえばそうなんですけど、ぼくの理解の仕方では、補い過ぎなので、決断力で読者を突き放してしまえばいいというふうに、ぼくはおもいます。ですから、そこまで補って読者にわからせるとか、わからなければいけないんじゃないかというふうな杞憂をもつということは捨ててしまえばよろしいのではないかというふうに、ぼくにはそう思われるわけです。

5 与謝野晶子の自在な訳

 ですから、こういうふうに考えますと、むしろ与謝野晶子の訳というのは、非常に大胆な、ぶったぎりと言っていいくらい大胆なぶったぎり方で、むしろ原文よりも刷毛が粗くて、サッサッサッと自分のリズムで、サッサっと塗っているという感じがして、むしろ原文よりもぶっきらぼうで勝手なことをやっているというような印象をもちます。しかし、訳としてみるならば、訳者としての態度としても、ぼくは、与謝野晶子の態度といいますか、訳者としての態度、それから、リズムの取り方がいかにも立派なように思えて仕方がないので、ぼくだったらこの3種類の訳が店頭にありましたら、やっぱり、与謝野晶子の訳によられるのがよろしいのではないかという考え方をもつわけです。
 しかしながら、先ほど言いましたように、与謝野晶子の訳というのは勝手なぶったぎりが多いし、与謝野晶子が座右にもちえていた注釈書としては、北村季吟という人の源氏物語の『湖月抄』というのがあるわけです。『湖月抄』というのは唯一の注釈書でありまして、『湖月抄』の注釈というのは、そんなに微に入り細にわたるものでない注釈なんですけど、しかし、とにかく全般的に初めから終わりまで注釈したものとしては、徳川時代の唯一の注釈書なんですけど、たぶん、与謝野晶子はそれだけが傍らにあるだけで、あとは若いうちから耳に慣れ、暗唱するように自分が何回も何回も読んだという、そういう素養だけで訳していると思います。ですから、その後の国文学者、研究者というものの学問的な研究の進み方みたいなものは、どんな恩恵も受けていないわけですから、たいへん誤訳とか、勝手な思い過ごしみたいなものも多いわけで、そういう正確・不正確ということをいうのでしたら、もちろん、谷崎さんの訳や、円地さんの訳のほうがよろしいわけですから、そちらのほうによられたらいいのですけど、ただ、『源氏物語』をひとつの文学作品として鑑賞されたいということでしたら、ぼくはやはり与謝野晶子の訳によられるのが、いちばんいいんじゃないかって気が、ぼくはどうしてもするわけです。
 与謝野さんの訳がどんなに思い過ごしといいましょうか、誤訳といいましょうか、それをどういうふうにやっているかというのを、もうひとつ例であれしてみますと、これは葵の上が亡くなったときの描写なんですけど、はじめに与謝野晶子の訳を読んでみます。

 源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭わしさが深く思われて所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸に対して痛ましい残酷な方法で行われることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野の火葬場へ送ることになった。

 谷崎さんの訳でみましょうか。

 大将殿は、悲しいことの上にまたもう一つのことを添えて、世の中をたいそう憂いものと身にしみてお悟りになりましたので、なみなみならずお志の深い方々からのおん弔いどもも、おしなべてうっとうしいようにばかりお聞きになります。院にもお嘆き遊ばして、お見舞いを下されましたのが、なかなか面目にもなりますことなので、悲しい中にも嬉しさが交ったりしまして、大臣はおん涙の乾く暇もありません。人がお勧め申し上げるままに、厳めしい御祈禱などを、万一生き返りなどもなさいますかと、さまざま残るところなくお試しになり、おん遺骸のだんだん変って行かれるのを見給いつつも、なおいろいろと思いきり悪く手段をお尽くしになるのでしたが、その甲斐もなくて日が立って行きますので、今はいたしかたなく、鳥辺野にお送り申し上げる途々も、傷心のことどもが多いのです。

 これが谷崎さんの訳です。円地文子の訳をやってみましょうか。

 君は深い悲しみの上に、生霊のことをお思いになると、いっそう嘆きが重なって、世の中をまことに辛いものと身にしみて思召すので、並々ならぬ関係の方々のお悔やみまでも、すべて味気なく思召される。院にもいたくお嘆きになって、御尋問下さるのがとりわけ面目あることで、悲しさのうちに有難さも交って、父大臣の御涙は乾くひまもない。人々がおすすめ申上げるままに、万一にも生き返りなさりはすまいかと、いかめしい祈禱などをさまざま残る方なくお試みになり、御遺骸がだんだん変ってゆかれるのを見ながらも、思いきることが出来ずに迷われるのであった。その甲斐もなく日が経ってゆくので、この上はよんどころないことと、鳥辺野へお運びしたが、その道々も見るに堪えないほど悲しいことが多い。

 これが円地文子の訳です。この場合でいいますと、円地文子の訳がいちばん、この場面でいえば、いちばんいい訳のように思います。
 与謝野晶子の訳でいいますと、最初に相当なぶったぎりといいますか、相当な自由な、自在な訳仕方です。「源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭わしさが深く思われて」というふうにあっさりやっていますけれど、そんなにあっさりと原文は書かれているわけではないです。むしろ谷崎さんとか、円地文子の訳のほうが忠実で正確だというふうに思います。
 それから、たぶん与謝野晶子の思い過ごしの訳があります。たとえば、「人の忠告に従い蘇生の術として、それは遺骸に対して痛ましい残酷な方法で行われることまでも大臣はさせて」となってはいますが、原文をみますと、そこまでは、なかなか言うことができないので、「いかめしい御祈禱の方法」、つまり、蘇生の御祈祷といいますか、生き返りはしないかということで、祈禱をさせるわけですけど、いかめしい祈禱の方法のやり方をさせたというのが、たぶん正確な訳で、与謝野晶子のように、遺骸に対して痛ましい残酷な方法で行う祈禱というふうに言ってしまうことはできないのではないかというふうに思います。
 だから、そこのところは、たとえば、『撰集抄』なんて読むと出てくるのですけど、たとえば、西行法師が山の中で、白骨がバラバラになった死骸に出遭った、それで西行が真言の祈禱をやって、それで一種の蘇生術の祈禱をやると、バラバラになった骨が組み合わされて、元の人間のかたちができて、それで、蘇生したみたいな、そういう箇所が、つまり、西行法師の法力のすごさというのをいうために、そういう箇所がありますけど、与謝野晶子は、ここで考えた、遺骸に対して残酷な方法でやる祈禱というのは、一種の秘法の祈禱法があって、それを施したというふうに、与謝野晶子はここで一種、思い込みをしていると思います。
 この思い込みの仕方というのは、根拠のある思い込みの仕方だと思いますけど、たぶん、ここのところはそこまで思い込んで訳すことができないので、ここで谷崎潤一郎訳や円地文子訳がやっているように、いかめしい御祈禱というふうに訳すのが、いちばん妥当なんじゃないかというふうに思われます。
 そうすると、与謝野晶子の訳というのは、誤訳というふうに言っていいものになるし、原文でいいますと、「いかめしきことどもを、生きや返りたまふと、さまざまに残ることなく」というふうになっていますから、遺体に対して残酷な方法とまでいうことは、そこまで言うことはできないので、やはりこの場合だったらば、むしろ正確な円地文子訳がいちばんいいということになる場所だと思います。
 つまり、このような箇所を拾っていきますと、いちばん与謝野晶子訳が、これは誤訳だというふうに、これは誤解じゃないかというふうに思われる箇所がいちばん多いと言うことができます。だから、そういう意味合いでは、決して正確ではありませんから、そういう意味合いでいったら、いいことではないのですけど、ただ、ほんとうに皆さんが一個の文学作品として、『源氏物語』を読まれるというふうなことだったら、ぼくはどうしても与謝野晶子の訳がいいというふうに言うより仕方がないんじゃないかというふうに、ぼく自身は考えます。これは人それぞれに好き嫌いがあります。また、好みの文体というのがありますから、これは一概に言うことができないので、ただ、ぼくが現在の場所からみて、どれを店頭から拾ってくるか、買ってくるかといえば、与謝野晶子訳を買ってくるだろうなということを申し上げるわけです。

6 心の動きをとらえる視線

 これがだいたいどうやって読んだらいいかということについての、ぼくの考え方であるわけです。次にそれじゃあ『源氏物語』というのはどういうふうに読んだらいいのかということになってきます。つまり、現在、『源氏物語』を読むとしたらば、どういうふうに読んだらいいのかということの問題になってきます。これは作品鑑賞法の問題でありますし、同時に作品批評の問題でもあります。つまり、作品鑑賞の問題として、あるいは、作品批評の問題として、現在、どういうふうな読み方をすれば、現在、『源氏物語』を読んだということになるだろうかということの問題になります。
 これを非常にわかりやすいところから入っていくために、『源氏物語』というのは、いちおう体裁としては、谷崎さんが明瞭にそういう場所で訳を進めているわけですけど、ひとりの語り手がいて、こういう物語をしているというかたちで、『源氏物語』はいちおう一通りのことをいいますと、そういう語り方で、書き方で、物語が語られています。つまり、ひとりの語り手がいて、そして、物語を語って聞かせているというものが『源氏物語』の作品のあり方です。
 谷崎さんの訳では女言葉で明瞭にしてありまして、絶えず傍でそれを見ていたひとりの女房といいましょうか、女性の側近者の目を想定して、女性の側近者が語っている物語というかたちで、谷崎さんは明瞭にそういうふうに訳してあります。しかしながら、こういう明瞭な場所の取り方が必ずしもいいということが言えないことがあります。
 つまり、どうしてかといいますと、そうであったら、そばに控えていた女房が物語を語っていると言って、源氏がこうこうふるまわれました、紫の上がこうふるまわれましたというふうに語っているというふうにだけ考えますと、不可能な場所があります。不可能な場所というのはあとで申し上げますけど、具体的に申し上げますけど、そうだったら、そばにいる人間には到底わからない、たとえば、光源氏の心の内面の動き、心の中の動きとか、紫の上の心の中の動きとか、それから、その他の登場人物の心の中の動きというものも描かれています。
 そうすると、心の中の動きなんていうのは、そばに控えている、あるいは、仕えている女房が、いくらそばにいたって、主人公たちの心の中の動きまでは見ることができないわけですから、それを書くことももちろんできないわけです。
 ですけれども、『源氏物語』の作品を優れた作品としているのは何かといいますと、登場人物たちの心の中の微細な動きというものが、同時に描写されているということが、非常に大きな要素であるわけです。
 ですから、確かに見かけ上はひとりの語り手がいて、そして物語を語っている、主人公たちがこうふるまっているという物語を語っているというかたちがとってありますけど、しかし、それはあくまでもかたちがそうとられているというだけであって、作品自体ははるかにそれとは違う面が同時に働いていることがわかります。つまり、登場人物たちの心の中の動きさえもよく微細に捉えているとか、そういうひとつの目があるということがわかります。
 そうしますと、ひとりの語り手がこの物語を語っているというかたちの取り方は、確かにかたちの取り方としてあるのですけど、しかし、同時にそれは必ずしもその作品の全部を語るものじゃない、その作品自体はもっと立体的にといいましょうか、登場人物たちの心の動きさえも微細に捉えられているというようなところに特徴があるので、それは、はるかに語り手というものを設定して作品が書かれているということをはるかに超える問題でもあるわけです。
 ですから、作品の中にはそういう二重の作用があります。つまり、作者が直接に登場人物たちの心の中での動きを描写していると、作者が直接に推察して、それをこういう場面では主人公たちはこういう心の動きをするはずだという想定のもとに、作者がそういうふうに登場人物たちの心の中の動きを描いているという、そういう面と、それから、また語り手が、主人公たちがこういうふうになさいましたとか、それに対して女主人公はこういたしましたとか、つまり、あくまでもひとりの語り手がいて、そして、この物語を語って聞かせているというような面と二つの面があります。

7 千年前の作者の無意識

 だから、作者というものを今度は中心に考えますと、作者が直接に登場人物たちの心の中の動きを捉えているというふうに見える箇所と、それから、作者が語り手におまえこういうふうに語るようにしろというふうに、いわば語り手を媒体にして、語り手の口を通して描写されている箇所があります。つまり、作者がいて作品を書いているのですけど、作者が作品を書く場合に、作中の人物の内面を直接に描いている場合と、それから、ひとまず語り手にこう語らせるというかたちで物語を展開している場合と、その二つがあります。その二つがないまぜられて、この作品が書かれていることがわかります。
 そうすると、あくまで作者がいて作品が書かれるという考え方だけじゃなくて、作者がいて、語り手がいて、そして作品が語られている。そして、作者は語り手に対しても干渉しますし、また、作品の中の登場人物の心の中の動きに対しても作者は関与していると、つまり、作者はその二つの関与の仕方をひとつの作品の中にしているという読み方を、もしこの作品の中にされるとすれば、それはこの作品を現代的に読んでいることのひとつの大きな特徴を出します。ですから、皆さんがはじめのうち慣れないと、そういうふうに文学作品を読まれることをされるに、作者がいて、こういう作品を書いているよというふうに、作品をお読みになるだろうと思いますけど、もっとよく丁重にといいますか、丁寧に作品を読まれることがありましたら、そうじゃなくて作者が一人の語り手を介して作品を語らせているという箇所と、それから、作者が自分の内面にある問題から類推して登場人物たちの心の中の動きを精密に描写している箇所があると、これは単に傍にひとりの語り手を想定するだけでは、とてもこんな登場人物の心の中の動きまで見えるわけでもないし、語れるわけがないと、だからこれは、作者が登場人物の内面の心の動きに直接関与しているに違いないと思われる箇所と、丁寧に皆さんが文学作品をお読みになると、そういう二つの語り手を介して展開されていく箇所と、それから、作者が直接に作品の登場人物に対して関与しているように書かれている部分と、その二つの部分がひとつの文学作品の中に、ないまぜられているというふうに作品をお読みになることができると考えます。
 そのように文学作品をお読みになることは、きわめて現代的なことです。つまり、現在の文学作品についての様々な研究とか、様々な批評とか、鑑賞の方法とか、そういうものが現在において到達している到達点を踏まえますと、ひとつの文学作品はこのように語り手を介して作品を読むという読み方と、それから、作者の心の中の動きに則って、作品の中の登場人物の心の中の動きが書かれていると、そういうふうに読める箇所とが、ないまぜられているというふうに作品をお読みになることができるようになると思います。
 そのようにお読みになることができるようになったときに、あるひとつの古典作品の作品を、もちろん現代の作品もですけど、作品を現代風にお読みになることができるようになったということを意味しております。ですから、皆さんがはじめはそういうことに慣れないでしょうけど、よく文学作品をお読みになっていくうちに、そういうことは自分でもおわかりになるようになりますし、そうしますと、作品のもっている微妙な、微細な影とか、光とか、それから、微細な気持ちの移り行きとか、単に登場人物の微細な心の動きの移りゆきだけじゃなくて、そこに反映される作者の心の動きの微細な光と影というものを読むことができるようになります。つまり、そういうふうにして読むことができるようになったときに、作品を現代的に読むことができるようになったということを意味するわけです。
 『源氏物語』をまさに読む場合に、現代風に読むという場合にも、まさにそういうことであって、そういうことができるようになりましたときに、あるいは、できるようになりますと、いわば作者が800年なら800年前に、あるいは、600年なら600年前に、そういう時代に作者がある意味では無意識のうちに、ある意味では意識して、描かれたものなのですけど、作者が無意識のうちに表現したもののなかでも、作者の無意識までも読むことができるというふうに、『源氏物語』を読むことができるようになるというふうに考えます。そこまで読めるようになりましたときに、やっぱり『源氏物語』を現在風に読むということは、どういうことなのかということの意味がはじめて浮かび上がってくるわけになります。
 そうすると、この問題は作品の中で、どういうふうにあらわれてくるかといいますと、これは作品の中にしばしばあらわれてくる語り手の注釈という問題としてあらわれてきます。ざっと、ぼくらが拾ったかぎりだけでも40か所ぐらい、そういう語り手が注釈を作品の中でやる箇所があります。そういう箇所は40か所ぐらいありますけど、そういう箇所にひとつの語り手の存在の主張というものが、よく行われていることがわかります。これは、学者・研究者は草子地の問題と言っています。つまり、ぼくらは批評家ですから、作者の注の問題だというふうに、作品の中における作者の注の問題だというふうに、ぼくらは言いますけど。学者が、それは草子地というふうに言っているものです。
 それではちょっとあげてみましょうか、これは「夕顔」の巻というのがありますけど、「夕顔」の巻のいちばん最後のところの何行かというのがこれですし、また、それがいちばん作者注ないしは草子地といわれている問題の、いちばん顕著に、いちばんしみじみとあらわれている箇所になります。そうすると、これは与謝野さんの訳でそこのところを読んでみましょうか、

 こうした空弾とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことであるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかり書かれているのではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これを補って書いた。何だか源氏に済まないような気がする。

 と、こういうふうに書かれています。これは「夕顔」の巻のいちばん最後のところです。つまり、何を言っているかというと、これは、語り手がこの物語を語っているんだよという体裁を作品自体がいちおう外面的にはとって、表面的にはとっているわけですが、そうすると語り手が「夕顔」の巻みたいなものは、主人公である源氏自身は、夕顔というのはそれほど身分が優れた女性ではないわけです。巷に隠れ住んでいる女性に通った恋の物語だから、源氏自身は隠したいと思っていたことであるかもしれないのだけれど、何か光源氏が帝王の子供だから、天子の子だからといって、それを知っている人は皆、あるいは、源氏の恋人になっている人は皆、身分の高い立派な人ばかりだというふうに、だからこんなのは理想の物語だみたいに思われると嫌だから、自分はあえてこの「夕顔」の巻というのを書いたんですよって、これは源氏自身にとっては済まないことなんだけどというふうに作品の中で書かれているわけです。つまり、作品の中で語り手がそういう注釈を書いているわけです。
 こういうやり方は、『源氏物語』のなかでも、先ほど言いましたように、40か所ぐらいざっととってもあります。たとえば、「末摘花」の巻のところでも、登場人物の服装のことを書いているわけですけど、その服装のことを書いた後で、女王の服装まで言うのははしたないようだけど、昔の物語には、女の着ているものについて、真っ先に語られているので、じぶんも書いたんだというようなことが書かれています。これは語り手がそういうふうに注釈をしたというふうに、そういうふうに弁解した、つまりこれは、語り手が注釈したというふうな体裁になっています。
 こういう箇所は『源氏物語』の中にたくさんあります。数えるだけでたくさんあるわけですが、原文からみたらもっとたくさんあるでしょうけど、すぐに見つけることができます。だから、そういう語り手が出てきて、時として、そういう注釈をやる、たとえば、主人公の源氏が六条御息所のところに源氏が会いに行くと、そうすると、二人で何を語ったかというのは、何もわからないけど、昔からの仲だから、きっと内緒の話をしたに違いないみたいな箇所は、そういう言い方で書かれているわけです。そうすると、語り手が作品の中で主人公のためにそれを注釈しているとか、登場人物のためにそういう注釈をしているという形態がとられています。

8 作者と作品のなかの語り手の分離

 こういう箇所はどうして作品の中に書かれているかというと、もちろん、作者として様々な思惑があるのでしょうけど、ここでは、作者がどういう思惑でそういう語り手の注釈みたいなものを作品の中にあえてやっているのかという、作者の思惑をじゃなくて、こういう思惑が出てくることは何を意味しているかということから、ぼくなんか入っていきますと、これは作者が明瞭に作品の中で語り手というものの存在を設定して、語り手が語るというようなかたちをとっていくことが、ひとつの極端にあらわれた、綻びといいますか、縫い目といいますか、縫い目というものがこういうかたちであらわれていくというふうに理解されるわけです。
 このことは作者というものと、それから、作品の中の語り手というものを明瞭に分けることができていることを意味しています。あるいは、明瞭に分けよう意図が、明瞭に分離しているということが、作品に対して様々な問題を提起しているわけです。
 これは様々な問題を提起していますけど、ひとつは先ほどから言っていますように、作品の効果というものをより複雑にしているわけです。つまり、作者が直接、登場人物の内面に対して、内面に関与して描写していると思われる箇所と、それから、作者が語り手を介して、語り手の口を通じて、あるいは語り手の目を通じて、登場人物たちの心の動きを、あるいは、行いの動きを描写していると思われる箇所とが交錯してあらわれますから、つまり、作品を非常に複雑な効果にしていることは、もちろん、先ほどから申し上げていますとおり、根本的な問題についてあります。
 もうひとつの重要な問題があらわれます。それはどういうことかというと、これは様々な言い方ができるわけですけど、語り手というものは、作品の中であたかも生きている人間のように、じぶんも影の人物なんですけど、生きてちゃんとふるまって、ある場合には、そこに恋人同士が二人しかいないのだけど、影の人として二人に語り手が付きまとっていると、あるいは、隠れていると、それじゃなければ、到底、こういう描写はできないはずだという描写をすることもできます。
 もっとマジックみたいにしていえば、語り手が自分の姿を消して、それで登場人物の心の中にひとつの影として入り込んでしまって、登場人物の心の中に語り手が入り込んじゃって、心の中で語り手がふるまって書いているみたいな、あるいは、登場人物にそういう言葉を吐かせているとか、そういうふうに思われる。語り手というものの姿が作者と完全に分離できていますと、語り手自身が影の人物になったり、あるいは、空気だけの人物になって、登場人物の中に霊魂のように入り込んで、そういうこともできたりとか、さまざまなかたちで入り込むことができると、そうすると、様々な場所から作品を描写することができると、作品を描くことができるということができるようになって、語り手を自由自在なかたちに、語り手を放すといいますか、作品の中に放してやるということができることを意味するわけですから、そうすると、それがどれだけ作品の世界に奥行きを与えるかということがわかります。つまり、そういうことができるためにどんななにか奥行きをたくさん与えることをできているか、あるいは、できるかということがあらわれています。

9 『源氏物語』を現代風に読む

 もうひとつのことがあらわれます。それはどういうことかといいますと、作者も作品の登場人物たちに対して、そこまで描こうとは思っていなかった、作者も思っていなかったと、それから、作者が設定した語り手も、作品の中でそんなところまで語ろうとは思っていなかった。作者もそういうふうに語ろうと思わなかった。それから、作品の中で作者が設定した作品の中の語り手も、そこまでは語ろうとは思っていなかった。それなのにもかかわらず、登場人物の心の動きとか、それから、実際の行為とか、そういうものは作者も設定していない。つまり、作者もそんなことは考えていない。それから、作者が設定した語り手も、そこまでは描いていないんだと、しかし、その作品を読むと、読む人間には、誰も描いていないにもかかわらず、そういうふうな心の動き方をしているというふうに、作中の登場人物がそういう心の動き方をしているというふうに読める時があります。つまり、作者もそういうふうに描こうと意図していないと、そういうふうに描こうと意図したわけじゃないと、それから、作者が設定した作品の中の語り手も、そういうふうに語ってはいないと、何も語ってはいないと、それならば、誰も語っていないのに、そんなふうに思えるはずがないと、作品を読んだら、登場人物は誰も書いてもいないし、書こうとも思っていなかったようなところまで、作中人物の心の動きが読める時があります。これも皆さんが文学作品というものを注意深くお読みになると、そういうことがわかるようになります。
 そうしますと、そういうことがどうして可能なのかということが問題になってきます。その可能な要件の根本的なひとつが、作品と作品の中の語り手とが、完全に分離できていると、作者の中で完全に分離できていることが根本的な条件になります。それが分離できているとしますと、そうすると、作者もそういうことは語ろうとしていないと、それから、語り手もそういうふうに描こうとしていないように、その作品を読むと、登場人物の全然意図していない心の動きがこっちに伝わってくることがあります。そういう作品を生みだすことができるようになります。
 この問題は非常に重要な問題なんです。これは『源氏物語』を現代風に読むということからでてくる、非常に大きな問題です。この読み方ができるというふうになったときに、やはり『源氏物語』というものを現代風に読むことができるようになったということを意味しております。
 それじゃあ、なぜ、作者も描こうとしなかったと、それから、作者が設定した語り手もそう語っているわけじゃない、その場合に、それなのにもかかわらず、こうして作中の登場人物の心の動きとか、語られてもいない心の動きが、どうして読む人の心に伝わってくるのだろうかということが、なぜなのかということが問題になります。
 それはなぜかといいますと、その場合には作者の無意識というものは、作者のもっている無意識というものは、作中の登場人物にちゃんと含まれていたからだというふうに理解するのが、神秘的でない理解の仕方です。つまり、なぜ作者が描こうというモチーフももたず、また作者が設定した語り手もそのモチーフを語っているわけじゃないと、しかし、それにもかかわらず、登場人物の人間像からはそういうふうな語ってもいない心の動きがわかると、こっちに伝わってくるというふうな、そういう文学作品にとっては最後の問題なんですけど、その最後の問題がどうして伝わってくるかといいますと、それは作者のモチーフとしてはそう描こうとしていないけど、作者の無意識の中では、そういうモチーフが潜在的にはあったんだというふうに、それが、いま私たちが作者の無意識のモチーフを捉まえることができるようになったんだというふうに考えれば、それは神秘的では少しもないわけです。たぶん、その考え方がいちばんもっともらしい、あるいは、ありうべき考え方だというふうに思われます。
 文学の作品の歴史があり、それから、文学作品を読む、あるいは、鑑賞するということにも歴史があります。文学作品の歴史は文学史というわけですけど、文学史のなかで、『源氏物語』が現在でもなお滅びないし、それから、現在でもなお生々しく伝わってくる出来栄えを示しているし、しかし、これは千年なんなんとするほどの以前に書かれたものだ。なぜ、そんなときに書かれたものが、いま生々しく伝わることができるのかというふうに考えますと、作者の無意識まで含めていいますと、『源氏物語』という作品が十分に現在の高度な作品鑑賞の到達点といいましょうか、高度な作品鑑賞、あるいは、作品批評の到達点で鑑賞することに堪えるだけの問題を、作者の無意識までも含めていえば、もっていたからだということになります。また、もっていたから『源氏物語』というのは、滅びない古典として、生々しい古典として存在しているわけで、もし、そういうものがないとすれば、これは平安朝に様々な物語が書かれているわけですけど、また、様々な高度な日記類が書かれているわけですけど、『源氏物語』というのは、さまざまな日記類と当時の物語の両方を集大成したひとつの達成点にあたるわけですけど、その達成点はたいへんに高度なものであって、作者は無意識の部分をたくさん含めていますけど、しかし、作者の無意識を含めて実現しちゃったものは、現代風の高度な鑑賞の仕方をしても十分にその鑑賞の仕方に堪えるという要素をもっている。それほど高度なものだったということがいえるわけです。
 ただし、こういう言い方をできるのは、『源氏物語』の作品を現代に引き寄せるからではありません。現代に引き寄せて、現代風にそれを切り取っているからではありません。そうではないのであって、現在の作品鑑賞の到達点というのは、作品鑑賞の歴史として存在するわけですけど、その到達点を描いて、作者の無意識のモチーフまでも読み込むことによってはじめて現代風に読めるということなんです。
 作者が千年も前の人ですから、そんなべつに高度な理屈を知っているわけでもないし、高度な教養をもっていた人ですけど、しかし、高度な理屈を知っているわけでもないし、千年後にはこういう鑑賞の仕方ができるだろうということを知っているわけでもないわけです。ただ、そういう無意識に描いているわけですけど、しかし、無意識までも、もし意識化して読み込むことができるならば、それは十分、現在の鑑賞の到達点までで堪えるくらい、それほど高度な達成をしているということを意味しています。
 たとえば、比べればわかりますけど、つまり、現在の作家でも私小説作家というものはおるわけでしょ、身辺雑記みたいなものは、じぶんは朝起きて顔洗ってどうしたとか、ここへ行ったとかいうような作品を、いまでも書いている文学者というのはいるわけです。普通の人よりも、小学生よりも、うまく書いてありますから、それは一種の作品になっているわけですけど、しかし、書かれていることは、私は朝起きて、顔洗って、どこか散歩に行ったら何に出遭ったとか、こういう作品を現在の作家でも私小説作家は書いています。
 そうすると、この場合には、作者である私と作中の私とは、あんまり区別がつかないわけです。つまり、区別つかないといって、完全に分離されているわけでもないです。作品の中の私という人物と、作者である私とは地続きになっているわけです。そうすると、この小説は『源氏物語』よりも作品の構成度からいけば、はるかに原始的な、つまり、はるかに程度の低いといいますか、達成度の低い作品です。達成度としては達成度の低いやり方です。つまり、低い達成の仕方です。だけど、この達成度という意味あいは、作品として現実的にいいか悪いかとは多少違う意味合いをもちます。つまり、それとは、直接は関係しません。しかし、はるかに『源氏物語』よりも単調な、単純素朴なできあいの作品というのは、現在だってつくられています。
 たとえば、皆さんが旅行記みたいなものをお書きになれば、私は何時何分に起きて、顔を洗ってどうしたという、神社に参拝に行ったとか、どこを見物に行ったと、こう書かれるに違いありません。そう書かれた場合は、それを作品と考えるならば、作中の私と現実の生きた私とはちっとも分離されていないわけです。地続きになっているわけです。そのような作品は、現在でも私小説として書かれているわけです。
 しかし、この私小説は、作品構成の仕方としてみるならば、きわめて原始的な作品です。『源氏物語』よりもはるかに以前にあるものです。つまり、そういう言い方をすれば、『源氏物語』が無意識も含めて現在でも鑑賞されるということは、『源氏物語』がいかに作品構成度として、いかに高度なものであるか、いかに現在も生々しく生きているものであるかということを意味しているわけです。

10 内面描写の例-若者の巻

 皆さんが『源氏物語』というものを、源氏物語講座みたいなもので、皆さんがお聴きになれば、そのようには読んでくれないと思うんです。学者先生はそういうふうになかなか読んでくれないのです。よく研究しているのですけど、なかなかそういうふうに読んでくれないし、そういう読み方を教えてくれないのです。
 それはそうじゃないので、ぼくらは、学問は少しもないんですけど、しかし、ぼくらは批評というもので、自分たちの自分なりに現在、詰めている人間ですから、現在の文学作品の批評、つまり、文学作品の解消の仕方ですけど、解消の仕方のひとつの達成点になると思います。その達成点からいきますと、やはり、そういう読み方をして、つまり、『源氏物語』の作者の無意識までもこちらに移ってくるように、微細に作品を読むことができるようになったときにはじめて、『源氏物語』を現代風に読むことができたということを意味するわけです。
 本来的にいいますと、これは、原文を抜きにして、微妙さが伝わるわけがないという見方ができるわけなんですけど、ぼくの考え方ですとそれは確かにそのとおりですけど、それは学者先生にお任せすればよろしいのであって、現代語でやっても十分に、少なくとも、作者というものと、それから、語り手というものと、それから、語り手が語るようにして登場させている人物の言動、言葉、行いというものは、皆それぞれ違うものなんですよという区別の仕方をした上で、作品を読まれることに慣れられたら、そうすると、『源氏物語』を現在的な、あるいは、現代的に『源氏物語』を読むという読み方一般論でいえば、古典的な作品を、つまり、千年とか、何百年とか前に書かれた作品を現代的に読むということはどういうことなのかということの、いわば基本点といいますか、基本点を捉まえることができると思います。
 これはようするに、そういうふうに読もうとしなければ、文学作品はそういうふうに読めません。それからまた、千年前に書かれた作品を現在にみだりに引き寄せようとしたらば、これもまた、そういうふうには読めませんし、また、違った読み方になってしまいますから、そうじゃないので、そこの微妙さは、お馴れになるより仕方がないのですけど、しかし、いま申し上げましたところを加えられて、文学作品というものを一般的に、あるいは、古典の作品というものを一般的にいえばそうですし、具体的にいえば『源氏物語』というものを、そういうふうにお読みになりますと、そうすると、そのうちに必ずひとりでに、ぼくが申し上げましたとおり、作者の無意識までも読み取ることができるという読み方がお出来になるようになります。そのように、日本語でお出来になったときに、はじめて、『源氏物語』というのが、いまに、現在に甦ったということを意味します。また、現在、『源氏物語』を読むんだということ、読むことの意味は、ほんとうの意味で捉まえられるということも、ひとつの大きな前提になると思います。その前提に馴れられることは非常に重要だと思います。
 たとえば、物語の語り手を設定して、この作品は、表面上は書かれているということは、いかにそこだけじゃ解釈できない、また、いかに語り手というものを完全に作者から分離することによって、内面の描写ができるようになったかという例をひとつあげてみてみましょう。
 これは「若菜」の巻というのが二つありますし、また、『源氏物語』の中で最も優れた巻のひとつなんですけど、そこのところで、源氏が、天皇が自分の三番目の娘を、内親王を引き取ってくれと言われて、源氏はそれを承知しまして、仕方がなくといいましょうか、そんなにあれじゃないんだけど、それを引き取って、じぶんの形式上の嫁さんにするというところがあるんです。そこに通うということなんですけど、じぶんには紫の上という奥方がいるわけですけど、奥方に天皇から無理無理に言われたので、引き受けてしまったんだというふうに、内緒でしてしまったんだというふうに紫の上を納得させるわけです。紫の上は、そういうのは天から降って湧いたような災害みたいなものだからいいですよというふうにして、それを許すわけです。
 それを許すわけなんだけど、これは微細な読み方のひとつになるわけですけど、ひとつは源氏のほうが天皇から無理無理、じぶんの娘を行くところがないから、行く末が心配だからおまえが引き取ってくれと、こう言われたから仕方なしに引き取ったんだというふうに紫の上にはそう言うんだけど、作品を読みますと、そうじゃない匂いがあるわけです。そうじゃなくて、源氏のほうもいくらかの浮気心といいますか、好奇心があって、それをうかうかと引き受けていたというようなところがあるわけです。それが作品の匂いであるわけです。匂いからそれを感じることができるわけです。
 一方、紫の上のほうは、わかりましたって、それは災難みたいなものなのだから、私はべつにいいですよというふうに、紫の上はそう言うんですけど、自分自身はそうは言いながら、あの人は私を引き取る時もそうだったけど、あれは浮気心があるんだというふうに思うわけです。それも匂いなのです。匂いとしてこっちに伝わってくるわけですけど、伝わってくるように描かれているわけなんですけど、言葉で言われているわけでは決してないのですけど。明らかに伝わってくるわけです。そうすると、紫の上のほうもまた、裏の言葉では、亭主は天皇から無理やり押しつけられたから仕方なしに引き受けてきたよと言っているのだけど、しかし、ほんとうは少しは浮気心があるんだって、じぶんのほうもそうしたいのだということがあるのだというふうに、紫の上もそう思っているというふうには書かないけど思っているわけです。

11 紫の上の心の動きを描くマジック

 その両方が口には出さないけど思っているところが、たいへん重大な結果を招くわけです。紫の上ほうは許すんだけど、やせ細っていって胸の発作に襲われてしまうわけです。そこの源氏のほうは、女三の宮、三番目の内親王ですけど、そこへ通っていくのですけど、その女性が、女性としての心映えとして、自分の奥さんである紫の上と比べものにならないような幼児性、いってみれば、そんなに立派な女性ではないというのがすぐにわかるわけなんですけど、後悔するんですけど、後悔しながらも、まんざらでもないような顔をして通っていく、それで、紫の上はそれを許すんだけど、だんだんだんだん衰弱していって発作に襲われる、そのときの紫の上の内面描写なわけです。これはぼくの自分の訳で
 対のほうで、慣例になった院がおられぬこんな夜は、紫夫人は起きていて、女房たちに物語など読ませてお聞きになった。こういう世の中の例として語り集めた昔物語りなどにも、浮気な男、色好み、ふた心ある人にかかわりをもった女が、でも最後には誰か依りどころになる男をもっているということになっている。だけどじぶんは源氏の院の浮気ごころのために、いまも不安に揺れ漂った暮し方をしている案配だ。たしかに院のおっしゃるように、じぶんはひととちがった幸運にめぐまれている身なのかもしれぬが、誰もが耐えきれずに苦しみとする、男に浮気された女のもの思いから、生涯逃れられない身でおわってしまうのであろうか。味気ない身の上だなどと、紫の上は思いつづけられて、夜が更けてから寝んだその暁け方から、御胸が痛くなり苦しまれた。女房たちが介抱して、院にお知らせをやろうと申上げると「いやそれはとんでもないこと」とお止めになって堪えがたい胸の痛みをおさえて、夜を明かされた。

 というふうな箇所があります。これは紫の上の最初の発作になって、一度は息を絶えそうになるのですが、またそれは回復するのですけど、だんだん衰弱が極まって亡くなるというふうになって、つまり、死んでいく最初の徴候になっているわけです。徴候になったときの最初の紫の上の内面の動きというのが、いま読みました箇所になるわけです。
 この読みました箇所は、ひとりの語り手が語るという形態を表面上はとっているけど、いま読みましたことからわかりますように、こういう紫の上の心の中の動きというのが、傍に絶えず付いている一人の女房が語り手になっているという、そういう女房によって、紫の上のこういう心の動きは描けるはずがないわけです。それは、語り手が紫の上の心の中に入り込むのでもないかぎり、手品かマジックで入り込んでしまわなければ、こういう内面の動きなんか、外からわかるはずがないのです。ただ、胸が痛くなって倒れたということは、もちろん外からわかるわけなんですけど、しかし、紫の上が心の中でどう思って、どう感じて胸が痛くなったかという、そういう描写が自然になされているわけですけど、この自然になされる描写というのは、単に外側にひとりの語り手を想定しているという、そういう語り方は不可能であることがわかります。
 また、同時にそういう語り手を、それから、紫の上の心の中を描写している描写の仕方とが、いわば、ひとつの文章の流れのなかにスムーズにつなげられていることがわかります。つまり、ここまでは傍にいる一人の語り手でも言えるはずだと、ここからは傍にいる語り手では言えなくて、心の中に入り込んでいなきゃこんなことは言えないはずだという、そういう二つの箇所が、非常にスムーズにひとつの文章の中に流れていることがわかります。
 これは完全に作者と分離された語り手とが完全に分離されている、語り手も自由自在になって、登場人物の心の中の動きまで探れるような自由自在の目をもっているところにしていますし、同時に作者がじぶんの心の中になぞらえて、作中人物の、この場合は紫の上の、心の中の動きを描写することができていることを意味しています。つまり、その二つの箇所がいわばスムーズにひとつの文章の中で流れてしまっていることを意味します。
 そうすると、皆さんがこれをお読みになります場合に、うかうかとお読みになれば、べつに語り手も作者もなしに、ひとつの文章としてお読みになり、また、そういうふうにお聞きになるでしょうけど、よくよく丁寧にお読みになれば、いや語り手にこんなことは言えるはずがないという箇所と、それから、これは胸の痛みで胸をおさえて夜を明かされたなんてことは傍にいる一人の語り手の目があれば、それは描写することができるわけですから、そういう箇所と、それから、そういう設定の仕方じゃ到底こういうことは書けないはずだという、そういう箇所が、いわば、スムーズに継ぎ目のないようになっていますけど、その二つの箇所がその中に含まれているというふうに読むことができると思います。
 そういうふうに読むことができるようになったときに、はじめて文学作品を、あるいは、『源氏物語』を現代的に読むことができるようになったということを意味しているわけなのです。これはうかうかとすれば、そういうふうにお読みになることはできませんし、また、そういうふうにお読みになれなくたっていいっていえばいいのですけど、なにもそんな無理して読むことはないじゃないかといえば、そうなのですけど、しかし、もしいい作品の読み手という、作品の読み方、読書ということから出発して、いい作品の読み方、それから、達者な作品の読み方から、ちょっと玄人風のといいますか、玄人になるかならないかはべつなんですけど、玄人と同じような読み方ができるよという、つまり、専門の本の読み方をする人と同じような本の読み方をできるよというふうなところまで、もし、いきたいならば、あるいは、いくということもおもしろいのではないか、そうすると、おもしろくなるかもしれんよということも含めていうならば、やっぱり、そういう微細な読み方ということに慣れていかれることが、現代風の読み方だって、つまり、現在、『源氏物語』を読むという読み方だっていうことだと思います。つまり、そのことがたいへん重要なことでありますし、また、それが作品を現在として読むかということの重要なポイントになっていくわけです。そのことが『源氏物語』を作品として、現在、完全に読んでいく場合の、いわば、一種の前提条件といいましょうか、骨組みとなるような問題となっていくわけです。
 ぼくは先ほどから、文学作品の読み方というものを通じて、あるいは、『源氏物語』の読み方というものを通じて、しきりに『源氏物語』と現代とのかかわり方というものに入っていったわけなのですけど、これはそういうふうな読み方が、どんなに大切な読み方か、あるいは、どんなに専門家といわれているものが、そういう読み方をしているかということ、それから、そういう読み方に慣れていることが、作品の読み方としては、現代という問題なんですよということを、ほんとうは言いたいわけなんですけど、そんなことはべつにプロでない皆さんに言っても仕方がないといえば仕方がない、そんなことは無意味だといえば無意味なんですけど、しかし、これはひとりでにある文学作品を読んで読書をしたというようなことを自然に進めていきますと、どうしてもそういうところに入っていってしまいます。また、入っていくことによって、読書ということのおもしろさといいますか、底の深さといいましょうか、底の限りなさというものが、だんだんだんだん深みにはまり込んでいくようなものですけど、本というものはどんなものなのか、どういうことなのかということを、どこまでも入っていける糸口にもなりうるわけです。そして、そういうふうに入っていける糸口をつかんでいったときに、『源氏物語』というのは、はじめて現代的に甦ることの前提条件として出てくることになってきます。

12 宮廷世界と一夫多妻制

 いままでお話したところで終わらせてもよろしいわけなんですが、あとは、『源氏物語』をお読みになりたいときには、本屋さんに行かれると、ぼくが言ったとおりにありますから、お読みになれば、誰がしゃべるよりもご自分でそういうふうにわかるというふうになりましたら、それでよろしいわけなんですけど、少し時間をもらってつづまりをつけるために、『源氏物語』というのの背景的な特性というものは、特徴というものは、いくつかすぐに感じられるのですけど、申し上げてみますと、やはり、ぼくの理解の仕方では、これはやっぱり、女性の受難とか、ものの哀れとか、あるいは、感受性の繊細さとか、哀れさとか、そういうものを描くことが非常に大きなモチーフだっただろうと思われるわけです。
 そういう物語を描く場合に、どうしても背景に必要だったことは、やはり、一般的に招請婚といいまして、男のほうが女性のほうに通っていって、そして、婚姻を遂げるという、そういうふうにして、婚姻を遂げて、女性のほうの父親が後見人になる。これは、こういう婚姻の制度というのがなければ、だいたいこの物語としては、前提は成り立たないと思います。つまり、男のほうが女性のほうに通っていく物語。
 それから、もうひとつあります。それは、一種の一夫多妻婚です。一夫多妻婚ということが根底になければ、この物語はもちろん成り立っていない、一夫多妻婚というものが成り立たせている基盤であると思います。そうすると、主人公たちは、とくに女主人公たちは、一夫多妻婚がいわば習慣になっておりますから、習慣的に是認されていますから、たとえば、紫の上は、光源氏がほかの女性を訪問して、ほかの女性のところに通っていくことは、いわば、制度として、あるいは、習慣として、婚姻の風習としては、許されていることですから、それは気持ちの上ではともかく、頭ではそれは是認されているわけです。あるいは、すべての登場する女性にとっては、それは是認されているわけです。しかし、頭の上で是認されているということと、一人の男性が自分と違った女性とかかわり、そこでその女性の子どもが産まれるということを気持ちが是認するかどうかということは、まったく別物である。むしろ、男性がほかの女性に通っていたときに、女性というものが受け取る、一種の受難といいましょうか、哀れといいましょうか、気持ちの哀れというものが、どれだけ微細に、しかし、習慣としてはこういうふうになっていると、あるいは、じぶんがその男性を愛しているから、頭では是認する。しかし、気持ちの上では、やはり是認できないと、そういう微細な心の動きというのを肯定したり、否定したり、あるいは、苦しんだりというような、そういう微細な心の動きを最もリアルに、あるいは、現在を書く感じにしてもちっともおかしくないほど、微細なところまで描き尽しているということが、だいたい、『源氏物語』を優れた作品にしている根本的な問題だと思います。
 そうしますと、やはり、一夫多妻ということが是認されているという、風俗的、あるいは、婚姻成立して配偶になる、また、男性が女性のところに通ってくるという、それで、だいたい女性の父親に是認される、肯定されると、承認されるかたちをとると、女性のほうに、その家の代々の財産を相続するとか、建物を相続する権利は女性のほうにだいたいあると、つまり、わりあいに女権的である、あるいは、母権的である、そういう制度があり、男性はそういう制度でいえば、男性は通ってくるもので、同時に女権的でありますけど、女性のほうに代々の財産というもの、土地というものを相続されているというような、女権的な社会でありますけど、同時に一夫多妻制みたいなものが是認されているために、苦しみというものも多いわけです。
 そういう婚姻制度的な背景というものなしには、到底、この物語は成り立っていないわけです。そういう婚姻制度という背景的なものを、ひとつ頭の中といいますか、背景の中に描いておくことが、作品の理解というもの、あるいは、作品の属性の理解というものを書き過ぎちゃうんじゃないかなというふうに思われます。

13 女性文化への転換期

 それから、もうひとつ、それと同じことなんですけど、似た言葉でいうことにすぎないのですけど、当時の中世の限られた女性層なんですけど、この女性層のもっている心の動かし方というようなものは、たいへん高度な心の動かし方をしています。
 この高度な心の動かし方というものは、どうして可能であったかということを考えてみますと、それはひとつ、そういう言い方をしますと、男性文化から女性文化への転換期にあったということ、つまり、違う言い方をしますと、女性文化の興隆期にあったということが非常に重要なことのように思います。
 それはどういうことかといいますと、当時でいいますと、公文書といいましょうか、公の文書は皆、漢文で書かれているわけですし、公の学校で教えてくれる教養というのは、中国の古典の教養であって、それから、漢文をどうやって立派に書くかとか、それから、漢文の詩をどうやって立派につくるかということが、当時の学問の教養に非常に大きな主要なあれであって、それから、官庁、つまり宮廷に勤めれば、必ず公文書はぜんぶ漢文で書かれるわけです。漢文で書かなくちゃいけないわけですし、文書はぜんぶ漢文であるというような、公な意味でそれをしているのは漢文であったわけです。
 当時でいえば、詩をつくるんだといえば、それは漢詩をつくることであると、漢詩をつくることがごく当たり前だとされていた時代なわけですけど、その時代の背景のところで、宮廷の背景の文化の箇所で、女性も非常にじりじりと教養・文化というものを身につけ始めまして、たとえば、『源氏物語』の作者といわれている紫式部というのは、当時の最高のインテリゲンツィア、知識人だといわれる男性に比べて、少なくとも、同等の公的な漢詩文の教養を完全にもっていた人です。その上で、芸術みたいなものをもっていたわけです。つまり、当時、文化は漢文化でありますから、公文書といえば漢文であると、詩といえば漢詩の漢文の詩であると、そういう情況のなかで、宮廷の仮名書きの文化、物語とか、それから、歌とか、和歌ですけど、和歌というものの素養を背景にして、どんどん女性の文化というものが興隆してきたわけです。
 そうすると、これは『源氏物語』のなかにもでてきますけど、光源氏が、つまり主人公がそういうふうに言ったり、困ったりしているところがありますけど、当時の男性の知識人というものは、女性というものは幼稚な物語をつくったり、読んだりして、泣いたり、騒いだり、それを夢中になって写して、引っ張りだこで読んでみたりというような、つまり、幼稚なことばかりして、喜んでいて、日を過ごしていると、詩といえば、それは和歌であって漢詩文ではないと、和歌をつくっていると、しかし、漢詩文はつくれないと、だから、女性は幼稚なんだ幼稚なんだというふうに、当時の男の知識人というのは、みんなそう思っているわけです。
 しかし、徐々に女性の間でつくられている和歌、つまり大和言葉の歌ですけど、あるいは、つくられたり、書いたりして、物語というものは、幼稚なところから、だんだんだんだん高度な微妙な、微細な描写もできるようになり、心の動きもまた描写できるようになり、つくれるようになり、だんだん高度になっていった過渡期にあるわけなんです。とくに『源氏物語』なんかその頂点に属するわけで、だんだんだんだん男性の知識人たちは女性文化のあり方というものを侮っているうちに、だんだんだんだん広大化といいましょうか、馬鹿にできないぞというふうに、内心そういうふうに思い始めていた時期にあたるわけです。これは平安朝初期から、中期にあたるわけで、そういうふうに潜在的に影のほうに隠れて、仮名書きの物語とかを幼稚な形で、面白おかしい物語とか、御涙頂戴物語とか、そういうふうに書かれていた物語は、だんだん人間の微細な心の動きをできるように、だんだんこうなっていくわけです。和歌というのも、そんなに高度じゃない和歌のつくり方をしてたんだけど、だんだんだんだん高度に微細な心の動きというのを相手に伝えるということができるようになっていったわけです。
 当時の公式の文化、文学というものの素養のある人達は、愕然として気がついて、これはいかんといいましょうか、これは馬鹿にできないぞというふうになって、自分もひとつ、仮名書きの物語をつくってみようとか、日記を書いてみようとか、たとえば、『土佐日記』というのは典型的にそうですけど、じぶんも女のふりをして物語を書いてみようという、勝手に男性が自作した物語というのがあるわけですけど、そういうようなものを男のほうもまたやってみようみたいに思ったり、また和歌も男性で、それを高度に修練するようなものがだんだん出てくるというような、そういう案配で、女性文化というものが、だんだん影の領域から侮れない力でもって興隆してきたというような、そういう背景がまたひとつあるわけです。その背景がまた、これだけ繊細な主人公たちの、登場人物たちの心の動かし方を可能にした非常に大きな要因だということができます。
 つまり、その背景はどうしても踏まえることが必要なので、たとえば、現在もある意味でそうなので、先ほどの主催者の方も言ったのですけど、夫人講座というのかといったら夫人講座というのだと、現在もある意味でそういう面がありまして、たとえば、新しい歌詠みとか、新しい作家が10人出てくると、そのうち6人までは優秀なのは女性であり、ここ何年かの文化の動き方のなかにも、そういう要素というのはありますけど、ある意味で、そういう意味合いでは似ていることもたくさんあるのですけど、こいつはサブカルチャーだというふうに侮っていると、なかなか侮りきれない高度なものです。女性だって侮っていると、どうも女流の新人の歌詠みだとか、そういう若い人でも10人いたら6人までは女性のほうが優秀だとか、それから、お年寄りの女流大家といいますか、年寄りの男の作家と、年寄りの女の作家だったら、年寄りの女の作家のほうが遥かに優秀だということは、現在もそうですけど、ある意味で似ているところがあります。そういう女性文化への転換期だということも背景として大きく捉えていなければならない問題のひとつのように思います。

14 よく涙を流す登場人物

 それから、これはどういうふうだろうかと思われることがいくつかあるわけですけど。もうひとつあげてみますと、作中の人物たちは、何かにつけてよく泣くわけです。つまり、虫の声を聞いて泣いたとか、それから、誰それのこういう物語を聞いて泣いたとか、それから、誰それが死んで涙を流したとか、作中の登場人物たちは現在から考えると異常だと思われるほど涙を流すという、涙腺が多いといいましょうか、涙の量が多いわけなんです。この涙の量というのはどうして多いのかといったら、非常に現在から考えると、奇妙に思われることのひとつです。この涙の量がごくわずかな箇所でいかに多いかというところをちょっとあれしてみますと、与謝野の訳でやってみましょうか、これは「若紫」のところです。

 「私はまだ病気に疲れていますが」
 と言いながらも、源氏が快く少し(琴を)弾いたのを最後として、皆帰って行った。名残惜しく思っていた山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では、年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も「何の約束事でこんな末世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないのかと思ってみると悲しくて悲しくてならない」と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。

 というふうにあります。これは若紫が山に病気を患ってこもっているわけですけど、訪ねてそこで琴を弾いてくれといわれて、琴を弾いて帰って行くという箇所ですけど。琴を弾いて、それを聞いて皆涙を流し、それから、こんな人がこんな世に生きていたかと思うと悲しくなると、これだけでも2回涙を流す箇所があるわけです。これは数え上げるときりがないので、つまり、事ごとにふっとしたことで、主人公たちは涙を流します。これは非常に特異なように思われます。
 これを現代風の言葉でいえば、感傷的でセンチメンタルだったということになるわけです。また、日本人というのは感傷的でセンチメンタルだという言い方もなされうるわけですし、また、現在でもお年寄りというのは、すぐ何かというと涙を流してしょうがないというふうに、若い人から言われて、何かにつけて涙を流すというような、現在もなくはないのですけど、しかし、現在の小説の中に、やはり、日本の小説でもこんなに涙を流すという箇所を見つけることは、そんなにたくさんできないわけです。むしろ、涙を流すところなんか作品の中に書いたりしちゃうと、こんな幼稚な作品はないと言われかねないほど、現在ではなくなっているわけですけど、平安朝の物語をみますと、『源氏物語』を含めまして、よく主人公たちは涙を流しているわけです。
 そうすると、ある悲しいことがあったできごとを、秋の虫の声を聞きながらとか、月の光を見ながら無常を思って涙を流したというふうに、すぐになっていくわけです。それは、非常に特異なもののように思われます。これは日本のそういう伝統文化といいましょうか、伝統文化のなかには、非常に大きな特徴的な要素のように思われます。これについては、非常に日本人というのは感傷的な、あるいは、情緒的な、心情的な国民性をもっているんだみたいな解釈から、さまざまな理解のされ方というのがあるわけでしょうけども。

15 自然を言葉の文法としてみる感性

 ひとつの理解の仕方をしますと、日本の季節の移り変わりというようなものが、非常に微細な色彩とか、音とか、それから、枯れる草木とか、そういう様々な要素から非常に繊細に移り変わって、それがまた翌年になると繰り返されて、同じように繰り返されて、同じように、新年から約何日目と数えると、だいたい花はこういうふうに移り変わって、何が咲きそうになってというのが、現在、狂い始めていますけど、長い間、千年も、何百年もの間、村里ではそういう移り変わりみたいな、何日目か経つと、だいたいこういう花が咲き、こういう花が散り始め、それから、何が芽を出すとか、何月何日頃になると、こういう風が吹いてきて、ここはこういうふうになってとか、体がひんやりしてくるとかいうことが、だいたい毎年のように繰り返され、しかも、それはかなり繊細な度合いで、毎年のように繰り返されるというような、そういうような自然というものに長い年月取り囲まれていきますと、それは微細なひとつの言葉の文法といいますか、言葉の文法のように自然の風物とか、季節の移り変わりとか、音とか、光とか、影とかいうのが、言葉の文法といいましょうか、つまり、「私は何々」ということはできるけど、「は私」というふうには、日本語ではいうことができない。「私」の次には「は」がくるんだとか、「私」の次には「に」がくるんだとか、「私」の次は「を」がくるけど、「を私」ということは日本語ではないんだというなのを、たとえば、日本語の文法だとすれば、それと同じような意味あいで、梅よりさきに桜が咲くことはないんだといって、梅が咲いてから散って、何日目ぐらい経つと桜が咲くんだというような、そういうことがかなり微細な意味あいで、自然の移りゆきのなかに染まってくるとなると、そうすると、それはひとつの自然の風物というもの、あるいは、自然の音とか、光とか、そういうようなものをひとつの言葉と同じように聞けるというような属性みたいなものを、日本人のなかに、感受性のなかに、考えることができるのかもしれないというふうに思います。
 そうすると、月が出て、光がこういう照り具合がしてて、だいたいここらへんにこういう草花があって、それから、月の光に照らされて、こういう鳥が飛んでいくというような、そういう文法というものが、だいたい揃うと、そのときに自然の風物の文法みたいなものが揃うと、それは「哀しい」という言葉だというふうに受け取れるみたいなものが、いわば、感受性のなかに、もしできるとすれば、逆に今度はこういう哀しみとか、こういう哀れというものを表現した場合には、あるいは、しつらえられる場合には、こういうのとこういうのとこういうものをもってくれば、これは哀しいということになるとか、哀れという感じになるというようなことが、いわば、自然の風物においても、そういう文法みたいなものが、繰り返し繰り返し感受性としてできるというような考えと、風物自体を言葉と同じように読み取るといいますか、感じとるということができるようになっているというようなことがいえるのかもしれないというふうに思います。
 つまり、こういう自然と村里とか、山里とか、それから、町といいますか、市といいましょうか、そういうものとのかかわり方というものは、必ずしも日本固有なものではなくて、だいたいにおいて、アジア地区のような、広い野っぱら、あるいは広い川の畔とか、広い平野の縁とかというところに田んぼがあって、村ができてというようなところでは、だいたいにおいて似たり寄ったりなんですけど、日本の場合にはとくに島で隔てられて、また、温帯みたいなところにあって、自然の分布みたいなものの移り変わりが、非常に繊細に刻まれるものだから、殊更そうなのかもしれないですけど、そういうところの感受性では、自然というものの風物の移り変わりは、ひとつの言葉と同じように感受されて、また、文法と同じように、「哀しい」と言われれば「哀しい」という心の状態が浮かび上がってくるように、ある風物が目の前にうつると、それは「哀しい」と受け取れるというような、それは言葉の文法のようにそれを受け取れるみたいな感受性が生まれてきている、培われてきているというようなことがあるのかもしれません。
 それだから、登場人物たちがしきりに我々から奇妙だと思えるほど、何かというと涙を流すということで、言ってみると、光源氏というのは、設定されているのは、太政大臣みたいな人ですから、いまでいえば、田中角栄とか、中曽根とかいう人たちと同じだと思うのですけど、ああいう人と同じ人が月を見ては涙を流すというふうにちゃんと出てくるわけです。そうすると、この人は総理大臣かというふうに思えるほど、そういう地位も教養も申し分ないというような主人公たちが、つまり、閣僚級の人達が皆、月を見ては涙を流し、誰々の葬式にいっては涙を流しというふうに描かれているわけです。
 きわめて奇妙に思われるのですけど、それは自然の一種の言葉を文法としてみる見方というものが、そのときに作者にもあり、また、登場人物がそうであるというふうに描かれていることは、ほんとうにそうであったんだというふうに考えて、たぶん間違いないと思います。つまり、これは物語というのは誇張として受け取るように、そうじゃなくて、たぶん一般的な感受性というもののなかに、そういうものが存在したんだというふうに考えられれば、ぼくはいい理解の仕方じゃないかっていうふうに思われるのです。
 ですから、そういうようなことを背景として考えられる、何かっていえば涙を流すというような流し方を、なんでこんなにセンチメンタルだということを、作者のせいにするのではなく、登場人物のせいにするのではなくて、いわば、ひとつの日本の伝統社会をもっていた、伝統的な山里、あるいは村里、それから、町というものがもっていた感受性として、それを理解するという仕方ができるのかもしれないように思われます。それはまた、『源氏物語』の背景を理解するのに、非常に大きな意味をもったものだというふうに考えられるわけです。
 また、そういう特徴を数え上げていきますと、たくさん数え上げることができますけど、まず、ぼくが今日お話しましたようなことを踏まえてくださるならば、たぶん、皆さんが『源氏物語』というものを、あいつがしゃべったから初めて読んでやろうというふうに思って、本屋さんに行かれて読まれて、どういうふうに感じるか、あるいは、どういうふうに感じたら、現代風に読んだということになるかというようなことも含めまして、まず入り口から入っていって、中木に分け入っていくというやり方にとって、まず、道筋がおおよそつけられたんじゃないかというふうに思われますので、これで終わらせていただきます。これは、時間を超過したように思います。これで終わらせていただきます。(会場拍手)



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