1 過去の詩の再現という問題

 今日は「過去の詩・現在の詩」というのが与えられたテーマです。
 以前自分が一番関心を持ったのは詩の形式ということだったように思います。詩の形式と言いますのは、ぼくらが関心を持っている現代詩というひとつの詩の形式があって、短歌、俳句という形式もあります。それらの形式というのはぜんぶ一緒に現在は並んでいるわけです。そういう形式の問題が一番の関心のありどころだったように思います。
 なぜかと言いますと、形式というのは一般的に、ある詩の形式が古いとするならば、その形式が前景から退くというかたちで次の形式が出てくる。たとえば和歌の形式が先にあったとすれば、それを捨てるかたちで俳句や俳諧なら俳諧という形式が出てくる。それがまた捨てられるかたちで我々が近代詩あるいは現代詩と呼んでいる形式が出てくるというかたちで、物好きというか好事家という人たちだけが俳句や短歌をやっているということがありえたとしては、詩の問題としては何ら問題を提起しなくなるということでしたら、形式の問題もどうということはないわけです。けれども少なくとも日本語で書かれた詩というものを考える場合には、いつでも新たに生み出された形式というものは必ずそれ以前に存在した形式と並列に存在するといいましょうか、一緒に並ぶといういうのが日本語で書かれた詩というものの非常に大きな特徴だと思います。そのことがぼくなんかの関心の中心にあったように思います。
 で、もうひとつ関心のあった問題というのは、表現という問題の中での、過去の詩と現在の詩というふうに言えばいい問題です。過去にある形式で存在した詩というものがあって、その詩というものが実際にどのようにそれが再現され得るかということが、過去の詩というものを評価することの大きな問題になってきます。
 それは本当はとても難しいことです。過去の詩の表現的な再現ということはどういうことなのか。ある時代、たとえば古今集なら古今集の時代に、ある一つの詩がつくられた。その詩は、現在我々が解釈しているように本当に存在したのかどうかという問題が、過去の詩の再現という問題だと思います。
 そのことはなかなか難しい問題をいろいろはらんでいるので、少なくとも過去の詩と現在の詩ということを問題にする限り、とても大きな関心を秘めている問題です。そのことを少しお話ししてみようと思います。
 過去の詩というものがどういうふうに再現された場合にそれが本当に過去の、つまりそのときその時代に考えられていた通りの考えられ方、あり方でその詩があって、しかもそれがそのあり方を、現在の我々が現在の詩というものに照らして非常に正確なイメージでつかみ得ているというようなそういう再現の仕方というのは、一体どういうことなのかということの問題につきます。
 その問題には限度というのはないわけで、より良い再現の仕方というものはこうじゃないか、あるいはより良い再現の仕方というのはどういうふうにしたらやっていけるかという問題に帰着するので、絶対的な尺度でこれが過去の詩の再現だと言えるような形に行き着くことはとにかくできないことだと思います。
 ただ、より良い再現の仕方というのはどういうふうにして出てくるかということと、それは今の再現の仕方とどういうふうにして違うか。そのことが今の詩ということにどういう問題を跳ね返してくるかというようなことが言えたらいいのではないかと思います。

2 さだまさしの詩はなぜ古いか

 どこから入ってもいいわけなのですけれども、現在の詩というところから入ってみます。今、本なんか片付けてしまったから、たまたま手元にあった詩のある数行を書いてきました。どれでもいいけれども、たまたまそこにあったから持ってきたわけです。一つはさだまさしの「線香花火」という詩があるのです。詩があるというのは、つまり詩であり歌であるわけでしょうけれども、そのある一つの節をちょっと挙げてみます。
 もう一つ、たまたまそこにあったのですけれども、相場きぬ子さんという人の『笑い鶏』という詩集の中の詩があるのです。それも数行挙げてみましょう。
 「線香花火」のほうから挙げてみます。

きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね
きみへの目かくしみたいに両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える
揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ

水に落ちた音でしょう。そういうところです。
 随分しち面倒な表現ですけれども、イメージとしてどういうことを言っているかというと、女の子と男の子がいて女の子が浴衣を着ていて、女の子の帯のところにホタルが止まった。そのホタルというのは帯の露草模様を本当の草のように思ったのだね、というようなことなのでしょう。要するに女の子に目隠しをするみたいにホタルをそっと両手で包んだら、薬指からホタルが逃げて行ったというのです。そういう動つくの中で女の子の心の揺れが、線香花火を持っている手が震えてそれで線香花火の火玉が下に落ちたという表現だと思います。つまり恋歌なのだと思います。イメージとしてはそれだけの情景だというふうに思います。
 もう一つやってしまったほうがいいでしょう。相場さんという人の「今度主演する女優は」という詩の幾行かをちょっと読んでみます。

あんたが死ぬほど悪い男でも こんな雨降りの晩に
傘がなくて恋人がいなくて 行くあてのない
まだほんの坊やみたいな子を 拾わない女っているだろうか
彼は親指の爪をかむ癖をもっている すねに金色の巻き毛があり
音を立てて前髪から 今輝く不幸がしたたり落ちる
そして他の女のために泣いているのは
なんて腹立たしいんだろう 男はとっとと歩くものよ

 これもイメージとしては極めて明瞭で、失恋してしょぼくれた男が雨降りの晩に歩いているというイメージがあって、何となくそういう男をかまいたくなるということなのでしょう。それだけのことだと思います。かまいたくなるという一つのある瞬間の感性ということだと思います。
 二つとも現在の詩です。つまり現在の詩であるわけです。二つとも広い意味では恋歌に違いない。恋歌に違いないわけですけれども、何が一番違うかということを一口で言いますと、さだまさしの「線香花火」という詩では、ある感性のフォルム、定型と言ったらいいのでしょうか、それが最初に信じられているわけです。最初にイメージがあるわけで、そのイメージは非常に類型的なものです型としてのイメージだということがすぐわかります。
 線香花火をしている竹久夢二とか蕗谷虹児とかが描いた女の子の絵みたいに、浴衣を着て線香花火をやっている女の子のイメージ。それでその帯にホタルが止まって、そして男の子が帯に止まったホタルを両手で包もうとしたらホタルがそこから逃げて行った。それだけの動つくの中で女の子の気持ちの動揺が、手を震えさせて線香花火の火玉が下に落ちたというイメージです。そのイメージは、型としてのイメージです。つまり、ある感性あるいは情緒というものの型であるわけなのです。
 型がまず最初にあって、そしてこの詩がつくられているということがすぐにわかります。ところが相場さんの詩を見ますと、男女の間にある感性の型とか情緒の型なんていうものは初めから信じられていないわけです。ただ、ある感性が、ある感覚の仕方、感じ方というものが瞬間に起こった場合にそれを言葉に定着していくという、その定着していく定着の仕方がどうなるかということは書いてみなければわからない。書いてみなければ本当にはわからないというふうに書かれているわけです。
 そこが言ってみれば非常に大きな違いなわけです。このことが一つの問題であるわけです。そうすると両方とも、十年くらいの間をとればこれは現在の詩であるわけです。この二つのつく品のどちらが先に書かれているかということは、たとえば実証的な文学の研究家──あるいは、古典文学の研究家──という人たちは、どちらが先に書かれたかということをいろいろな証拠から、この詩は何年何月に発行されてとか、この歌は何年頃流行ってとか、さだまさしの歌は何年頃流行ったというようなことから実証していって、どちらが先に書かれたかということを実証するという研究家はいるわけです。
 しかし、そんなことはどうでもいいわけです。つまりこれはいずれにせよ十年なら十年の範囲をとれば現在、つまり同じ時代の詩ということになってしまうわけです。だから決して、この歌は何年何月──たとえば天平何年──に書かれたというふうに確定したからといって、この歌が新しい、この歌が古いということは何も言えないということがすぐにわかります。文学における実証ということの考え方というのをそういうふうに考えたらまるで違ってしまうというふうなことが一つあります。
 もう一つは、たとえば、それではどちらが古いのだろうかということです。。仮に百年後にこの二つの詩が文学研究家の手にかかったとします。どちらが古いというふうに考えるかというと、非常に常識的といいましょうか。普通いう意味での鋭い、よくできた百年後の研究家だったら、多分さだまさしの詩のほうが古いというふうに決めると思います。
 なぜ古いというふうに決めるかといえば、それは今言いましたように、最初に感性のフォルムといいますか。定型というものが信じられているからです。その信じられているということのためにこの詩のほうが古いというふうに考えるに違いないと思います。
 たとえば、少しましな実証主義的な研究家だったらば、いや、書かれた年月はこの「線香花火」のほうが新しいかもしれない。新しいなら新しいと仮に確定した。しかし感性は、ここに書かれている詩の感覚は古いものだ。古い伝統を踏んでいるものだというふうに言うに違いないと思います。

3 言葉の現在性と過去性

 しかし、問題はそれで何が解けたわけでも何でもないわけです。ただ、要するになぜ我々が、たとえば古今集なら古今集、万葉集なら万葉集のある歌と歌を比べてみて、こちらが古いか新しいか、これは当時のはやり歌なのか、それともちゃんとした専門といえる当時の詩人というものがつくった詩歌なのかということを、万葉集なら万葉集の任意の二つのつく品をもとにして確定せよといった場合に、多くの大部分の実証主義的な研究家というものは、あらゆる証拠を集めてきて、年代を確定して、年代がこちらのほうが五十年古いとか五十年先だとか、こちらは後だというのでこれは古い歌だ、こっちが新しい歌だというふうな確定の仕方で満足するでしょう。
 しかし、その満足はまったく意味をなさないということがわかります。つまり何千年の間のたった五十年とか、二十年とかそんなことは意味がないわけなのです。どちらが古い新しい、日付を確定しても意味がないわけです。詩としての意味はないわけです。
 そうすると今度は、今言いましたように、どういう描かれ方をしているから新しいとか、どういう描かれ方をしているから古いとか、そういう確定の仕方をするでしょう。そうなりますと、つまり詩のつくられた年代といいますか、日付のようなものは詩の新しさ、古さというものを一義的に確定する要素にはならないということがわかります。
 多分、たとえばさだまさしの「線香花火」という詩も、今のはやり歌というものの流れの中では多分相当新しい感性、新しい詩だと思います。
 しかし、専門の詩人という意味合いをどう定義するかどうかは別として、詩の言葉の現在の地平線というものを想定しますと、そこをとにかく踏まえて書いている詩というものに比べて、さだまさしの詩は古いと言われざるを得ないというようなことがわかります。
 それはなぜかというと、感性の定型、フォルムというものがまず先に信じられていて、そのイメージとはつまりフォルムであるということが初めから信じられているからです。詩がそこに向かってイメージを集中するように、フォルムがイメージであるように、そのイメージに向かって言葉を集中させるように、この「線香花火」という詩はつくられている。だからそのつくり方というものは、少なくとも詩の言葉の現在の水準というものを想定しますと、そこには到達していないというふうに考えたほうがよろしいと思います。
 だから、それゆえに古いのだというふうに、相場さんの詩に比べて古いだろうというふうに言うことができると思います。そこが、たとえば相場さんの詩は男と女というのはどういう出会い方をするか。どういうふうに感じるかということについても、一般的に現在もフォルムというのはあるわけでしょうけれども、そのフォルムがまずイメージとして信じられていて言葉がそこに集中されているわけではありません。
 つまり、言葉は書いてみないとわからない、わからないように言葉は展開されているということがわかります。この展開の仕方は、いわば自分の世界というものを開いているということにもします。つまり何かに向かって開いている。それが良いか悪いかではないわけです。何かに向かってというのは、言葉の今の水準に向かって言葉を開いているということだと言えると思います。そのことが、相対的に比べてみてこちらの詩を新しいとする大きな要素だと考えることができると思います。
 このことは、過去の詩、現在の詩、あるいは過去とは何なのか、現在とは何なのかということ、あるいは言葉というものの現在性というものと過去性というもの、それから言葉が古いとか新しいとかいうことは何なのかという問題に入っていく場合の、とても大きな前提だというふうに考えることができると思います。
 そういうことを踏まえていませんと、たとえば万葉集なら万葉集、古今集なら古今集の詩を見ても、皆単色に見えるわけです。単一の感性で覆われているように見えるわけです。そのように詩を読んで、読んでしまうことで終わってしまうわけです。しかし、本当は、それは単に過去の詩に対する始まりにしか過ぎないということが言えるわけです。
 現在多くの古典研究家によってとらえられている過去の詩というものは全部この単色なのです。全部単色だというふうになっていって、それ以上の問題は言葉の色合いの現在的な反映ということでの理解のされ方、ということで終わってしまうわけです。
 過去の詩の再現の仕方がいかにも正当そうに見えて本当は正当でないということは、現在の詩というもののあり方を思い浮かべれば非常によくわかるわけです。ですから、過去の詩というものの、それを再現するということ、現在に再現するということは、そんなにやさしいことではないし、またそんなにつまらないことでもないわけです。
 たとえばモダンな人は、古今集や万葉集が何とかといってもそんなものは全然関心がないわけでしょう。しかし関心がないということは別に自慢にならないのです。どうしてかというと、その人が新しいと考えているものというのは、やはり一つのパターンとしての新しさだから、その人が古いと考えているものは全部パターンとしての古さなのです。
 けれども、本当の古さとか本当の過去というのはどういうのかということは、かなり現在についてのイメージとか、現在についての言葉のイメージとも関連してくるわけで、その人が現在の詩とか現在の言葉というもののあり方に対してどう考えているかということによって、過去の再現の仕方というのはまるで違ってくる。そのことがある意味ではとてもおっかないことですし、またある意味では限度がないということが言えると思います。
 そのことの問題が、過去の詩と現在の詩という問題の形式上の問題ではない問題の、とても大きな問題の一つだというふうに考えられます。それだけのことを前提として、たとえば、いくらか過去の詩の問題に入っていってみようと思います。

4 『古今和歌集』巻二〇――洗練された民謡調の歌のアンソロジー

 日本の過去の詩で、いわば当時のはやり歌ではないかという歌と、その当時の古今集なら古今集時代の詩の言葉の地平というものを踏まえて開かれた言葉で詩を書いていた詩人との相違を、はっきり間違いなく比べられるというようになっている最初の詩歌集というのは古今集なわけなのです。
 古今集の巻の二十──つまり最後なのですけれども、東遊びの歌とか大歌所の歌とかというような形で分類されている巻があります。そこの巻立てになっている詩というものが大体において、こういうふうに想定することができるわけです。
 民謡調の歌の、つまり民謡のごとく、はやり歌のごとく流行っている歌の極めて洗練された形というのが、まず古今集の巻の二十というのに集められているその大歌所の歌と、大歌というふうに言われているものです。東遊びの歌と言われているものとか、あるいは国歌とか国々の歌とかいうふうに言われているものが多分当時のはやり歌のとても洗練された形であろうということが、巻分けの仕方というものから言えるわけです。
 もっと前、前というと万葉集ということになるのですけれども、万葉集だとなかなかこれは判断の問題になってしまって、難しくなります。民謡調のごとき古い表現であるか、相当な言葉の修練をした人が個人の名前を名乗ってもいいような人が書いたものであろうかというようなことを確定するのは判定力の問題になってきてなかなか難しいのです。万葉集の場合にその判定を分類の仕方で言えるのは、ただ東歌というふうに言われているもので、これは相当はやり歌に近い形ではないかということは言えるわけですけれども、それ以上のことは何も言えないというふうになります。
 ところが、古今集の大歌の歌というのは、民謡あるいは民謡調みたいなもの現在でいうさだまさし的な歌というものが、非常に洗練された形で残っているものがこれだろうなということが形式とか類別の仕方から言えるわけです。

5 神遊びの歌の本歌を推理する

 そうしますと、その歌がどういうあり方をしているかということが、一番古い歌のあり方の大きな目安になり得るわけです。その目安をそこにつけて少し問題を考えてみるということができると思います。
 幾つかの目安というのをお話してみますと、古今集の巻の二十の民謡調の歌の中で、いわばお祭りや何かのときに歌われたり唱えられたりした歌というはやり歌を一つとってきましょう。

わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり

自分の家の門のところに掘られている井戸の清水を、この自分の家が里遠く、離れた家にあるので人は──人というのは女性かもしれません──汲みに来ないので、草が生い茂ってしまっている、という歌だと思います。古今集ではこれは神遊びの歌というふうになっていますけれども、もとをただせばやはり恋歌だろうということが想定されます。
 ところで古今集に神遊びの歌というふうに載せられているこの歌の、もとの歌というものがどういうふうに考えられるだろうかと考えていくとします。もとの歌という意味は大変難しいのですけれども、とりあえずどちらが年代が古いかという意味合いです。これの本歌となり得るようなより年代の古い歌というのは一体あるだろうか、あるとすればどれくらいあるだろうかというふうに、まず非常に単純に年代とか日付ということで考えてみます。
 そうすると幾つか考えることができます。これは万葉集の中にあります。幾つか挙げてみましょうか。

わが門の 浅茅色づく 吉隠の 浪柴の野の 黄葉散るらし

という歌が巻十にあります。
 それから、巻十六に

わが門の 榎の実もり喫む 百千鳥 千鳥は来れど 君そ来まさぬ

という歌があります。これも恋歌です。「榎の実」というのは榎の木の実ということです。それを食べにたくさんの小鳥たちは来るけれども、あなたは来ないよという歌だと思います。
 それから

わが門に 千鳥しば鳴く 起きよ起きよ 我が一夜づま 人に知らゆな

これは非常に簡単です。とてもはっきりしたいい歌だけれども、要するに一夜妻が、通ってきた男に、人に知られたくないので千鳥が鳴いてもう夜が明けそうになっているから夜が明けないうちに早く帰ってください、と言っていることだと思います。

わが門の 片山椿まことなれ わが手触れなな 土に落ちもかも

という歌があります。「なれ」というのは汝ということです。これも意味は非常に単純ではっきりしています。自分の家の門のところに咲いている椿の花よ。その花のようにおまえは──おまえというのは女性でしょう──自分が手を触れたならば椿の花のように地に落ちるだろうか。落ちないだろうか。あるいは地に落ちないように手を触れないようにしようかという意味合いになると思います。
 まず一通りの探索からいきますと、この四つくらいの歌が多分先ほど言いました神遊びの歌、つまりお祭りのときに歌われたはやり歌の洗練された形と思います。「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」。「みくさおひにけり」というのは「水さびにけり」というふうに後には変わっていきます。後のお神楽の歌になりますけれども変わっていきます。この歌の本歌と考えられるのはこの四つくらいというふうに考えていいわけです。ただ、これは言うまでもないことですけれども年代が古いものという意味合いで、このもとになっているだろうと推定するだけのことです。
 それよりも、今度はもっと推理を狭めていきまして、この四つの本歌と考えられる歌のうちに、内容からいってどの歌がこのお祭りの歌の本歌になっているかというふうに考えてみます。すると四番目に言ったものが本歌であろうというふうに推定できるように思います。
 どうしてかというと、これは何とも韻のくぐり方とか中身とかからそれを断定する以外に方法がないわけです。他に確定する方法は少しもありません。ただ、中身と歌い方の様式からいってこれだろうと言えるだけです。
 だから、四番目の「わが門の 片山椿まことなれ わが手触れなな 土に落ちもかも」という歌が本歌だろうとおおよそ推定することができます。これは、「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」という歌とのある言葉の展開の仕方が、他のものに比べて類似性が非常に濃いということから、まず間違いないのではないかと推定することができます。

6 叙景歌の変化――『古今和歌集』と『万葉集』の違い

 この推定の中で、この本歌の歌い手は一応、専門の歌人ではないですけれども、地方にいた、言葉については非常に専門の歌うたいだと考えていいと思います。この歌がどうしていつのまにか、誰によってはやり歌の一つみたいなものとして流布されるようになったのかと考えていくと、古い歌、新しい歌ということについてのさまざまな問題が提起されてくるような感じがします。
 何が違ってくるかといいますと、本歌と考えられている歌では、たとえば「わが門の 片山椿まことなれ」というところまでの言葉の展開には、詩としてのさほどの中心的な意味はないと考えることができます。詩としての中心的な意味がないにも関わらず、「もし詩というものを考えるとすればそういう言い方をする以外には詩というのは書き得ないのだ」というふうにあったことが言えるわけです。
 つまり、そのためにしか前半の詩の言葉の展開というのはないのです。「わが門の 片山椿」というのは、「自分の家の門のところに咲いている椿の花」ということなのですけれども、そのことの中には本当に言いたいこととか、本当に表現したいことがあるわけではないのです。本当に表現したいことは後半の「自分が手を触れたならばお前は──恋人です──お前は椿の花が落ちるように落ちるのであろうか。そうじゃないのであろうか。何といいますか、愛しいというなら自分は手を触れないほうがいいのだろうかという一種の恋のためらいみたいなものを歌っていると思います。そのことが本当は表現したいことなわけです。
 そのことを表現するのにそのこと自体を言えばいいのではないかという概念はまことに近代の詩の概念です。そのこと自体を言うためにはどうしてもある景物、風景というものについて何か言わないとそのことを言えないということが、万葉集なら万葉集の、「わが門の 片山椿」というような歌にある固有の様式なわけです。
 つまり、何か言いたいことを言うためには、ある言葉の表現をしなければいけない。その言葉の表現はどうしてもある自然の景物みたいなものについて触れなければいけないのです。触れていくうちに触発される、ある言葉のいざないみたいなものがあって、そのいざないの力がなければ、自分の恋人は自分が手を触れたならばということを歌う、詩に表現することができないというのは、それがその時代の一般的な詩のあり方だと言うことができます。
 そうすると、それに比べればこの古今集に出ている、一種のはやり歌として流布されているこの歌というものは、全然そういう要素がなくなってしまっています。
 歌の後半にこそ本当に言いたいことがあって、その言いたいことを言うために自然の景物をいわば通り道としてどうしても通らなければいけないという概念は、もうこのはやり歌の中にはなくなっていることがわかります。そんな意味はまるでなくなっています。ただ叙景として歌を展開すればいいのだという概念が、もう歌の概念としてできていることを意味します。
 「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」。このことは今の言葉で言ってしまえば、自分の家の門のところに井戸があって、きれいな水がわいている。しかし、自分の家は遠い山里にあるので、人がやって来ること、あるいは人という意味合いを女性、女という意味にとっても、自分の好きな人がやってくるというようなこともないので、草がぼうぼうと茂ってしまった。
 これは、何か言いたいことがあってそのことを言うために「わが門の 片山椿」というふうに歌ったというのはまるで違います。自分の門辺にある井戸自体のことを歌って、その井戸自体がもう古くて、また人里離れて人が手を触れたり、人が汲もうとしたりしないので草が茂ってしまっているというふうに井戸自体のことを歌っているわけです。
 自分の本当の表現に突き当たるために言葉をとにかく運ばなければいけない、言葉を運ぶには何をどう運んだらいいのか、それは景物から運んでいく以外にない。つまり、景物を歌うことから運んでいく以外に自分の本当の表現に突き当たる手段がないというような形で運ばれているのではないわけです。
 先ほどとの比較でいえば、相場さんの歌みたいなものは、とにかく男と女とのある感情というものがあって、その感情には別にフォルム、型があるわけでも何でもなくて、人と人とによってまるで違うことでもあるし、瞬間によっても違うことを定着するには、とにかく言葉を表現していくより仕方がないという、いわば開かれた未知みたいなものがいつでも言葉の中にあるわけです。それと同じ意味合いが、「わが門の 片山椿」というような詩の表現の中にあります。
 本当に言いたいことに突き当たるために、どうしても景物のところから入っていく。とにかく、景物も自分が相当しっかりいつでも見ていて、頭の中にイメージとして常に引っ掛かっている景物からとにかく入って行く。それで言葉を次第に自分の何か表現したい中心というようなものに近づけていく以外に方法がないというような、そういう表現の仕方として詩がつくられているのではなくて、もう自分の家の門のところにある。掘られている井戸のわき出るきれいな水というものがあれば、そのことについて歌っていけばそれが詩になっていく。詩になっていって、それはいわば歌われる詩になっていくということが、古今集の神遊びの中では信じられているということがわかります。
 こういうところに、一つははやり歌というようなものと、そうではない──それが意識された詩人によって書かれているかどうかは別として──定立されている詩というものとの違いというようなものが一つ大きく現れているのです。

7 時代の差・はやり歌と詩の言葉の差

 もう一つ言えることは、時代の差というようなものが現れていると思います。時代の差というのは、万葉集なら万葉集というものと、古今集なら古今集というものとの間の一つの落差というようなものです。この落差というのも、万葉集のたとえば晩期の一つと古今集の初期には断絶はありません。どちらをどちらに入れても決して不都合でないというようなものとしてしかありませんから、それをどちらが先どちらが後というようなことは、ただ日付以外のことで言いようがないというようなものです。しかし、漠然と想定すれば、つまり一般的に概念として想定すれば、万葉集のほうが先にあって、古今集のほうが後にあるということができます。
 その表現の差というようなものが、いや応なく出ているということがあると思います。それは今言いましたことが一つです。万葉集である叙景をする場合に、叙景が完全な叙景という歌というのは本当は全然ないのであって、まるまる叙景というふうに万葉集で考えられる歌があるとすれば、それは多分叙景の背後に全体的なメタファーがあるのです。全体的なメタファーというのはなかなか何であるかということは突き止めがたいですけれども、しかしそれは全体的なメタファーがあったというふうに見たほうがいいようなものです。ところが、もう古今集になれば叙景が叙景として歌われるとか、叙景を叙景として歌うというような概念がすでに詩の概念としてでき上がっているということができます。
 それから、もう一つ言うことができることは民謡についてです。民謡的な、はやり歌的に歌われる、あるいは民謡的に歌われる歌というものと、そうではなくて古今集でいえば紀貫之のように専門の歌人と言われている人たちがつくる歌との間には、ちょうどさだまさしと相場さんの詩の中にある落差というようなものが一つあるということです。
 だから、どちらも古今集の歌であり、形式からいえば、五、七、五、七、七というような和歌形式の歌として同じ、収録されているところも同じ、そして日付も確定すればどちらが先とも言えない、あるいは本歌というのを探ればどちらが本歌とも言えない。どちらの本歌が古いともいえないというのは、そういう歌を比較した場合でも、やはり詩の言葉の同時代的な知恵というものに対して、どういう接触の仕方をしているかどうかということが、はやり歌というような歌と、詩の言葉が詩の言葉として書かれているそういう歌との二つの落差というものを語るということができると思います。

8 神遊びの歌から採物歌への転化

 今言いました「わが門の いたゐの清水」という、お祭りのときの神遊びの歌の〈神遊び〉という概念が、後世になってきますとやはり専門の神遊び専門の人ができてくるというような概念になってきます。
 神遊び自体が、たとえば村落の共同体の若い男女がお祭りにかこつけて歌ったり踊ったりしながら歌われ、つくり変えられる歌という意味合いから、村とか町の神社にちゃんと居ついた、役目・職責としてお神楽ならお神楽に携わる人たちが出てきてしまった後では、神遊びという概念自体も、村里の普通の人がお祭りでさわいで歌ってという概念から、神社から指定された職務として神遊びをやる、お神楽ならお神楽の専門家のお祭りということになってきます。
 そうすると、それにつれて神遊びの歌というのもいわば後世の神楽歌というようなものに転化していってしまうわけです。その場合に、どういうふうに転化されていくか。
 たとえばこの「わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば みくさおひにけり」という歌は、後世も神楽歌の中でも歌われる歌として残っています。
 神楽歌の中で、採物というものがあります。採物というのは、能とか狂言、お神楽の舞で、榊の葉っぱや頭にかぶるものや杖、そういう小道具のことを採物というわけですけれども、後世の神楽歌の採物歌の中に、今の歌が入っています。今度はそれがまた転化のされ方というのを語るわけです。いかに言葉の表現の仕方が時代を経るにつれて転化されていくかということについて、一つのサンプルであるわけです。
 今の「わが門の いたゐの清水 里遠み」という歌自体の中には、何もお神楽の小道具の歌になり得る要素というのはどこにもないわけです。自分の家の門のところにあるきれいな井戸のわき水ということの中には、後世の能・狂言、お神楽の舞の中の採物の歌という要素はどこにもないわけですけれども、時代が経た後は神楽歌の中で、採物の歌の中にこの歌がもう入り込んでいる、あるいは転化してしまっている。
 何の採物かというと、お神楽舞ならお神楽舞の中の水をくむときの舞う人が持っている柄杓の歌に変わってしまっているわけです。お神楽をやるシテとワキみたいのがいるわけですけれども、いわば問答歌みたいに展開して舞っていきます。その柄杓の歌の末歌──問答を仕掛けるものに対してそれを受ける人が歌う歌──に転化しています。
 どういう転化をしているかというと、まず柄杓の歌の採物歌のもととして本歌があります。

おほ原や せがゐの清水 ひさごもて 鳥は鳴くとも あそびてをくめ

というのが本歌としてある。そして先ほどの歌が末歌になります。

わが門の いたゐの清水 里遠み 人しくまねば 水さびにけり

「水さびにけり」というのは、「みくさおひにけり」という言葉が変わってしまったものです。はやり歌ですから、変わってしまうということはしばしばあり得るわけです。これは採物歌──水を汲むときの柄杓の歌というのが柄杓の神楽歌というふうに変わってしまっています。

9 内容の転化の任意性と形式の転化の法則性

 そうしますと、この変わり方というものの中にどれくらいの時間が含まれているかという問題──数百年なら数百年という時間がどのくらい含まれているかということ──があるかもしれません。けれども、そのことよりその時間の変化の中で本歌と考えられる万葉の「わが門の 片山椿」から、古今集の神遊びの歌の中にある「わが門の いたゐの清水」といような清水の歌に転化して、それがまた後世、神遊びがお神楽というふうに専門的に転化していった場合に、採物の歌として転化していく。その転化の仕方の中で、先ほど言いましたように歌の形式の変化というのが一つあります。それとともにもう一つは、何が詩を転化させていく要素かを考えていった場合、何が転化させていくかということの中に法則性というようなものは何もないわけです。
 表現というものの形式の変化は漠然と、変化の仕方がこうなると言うことはできます。しかし、過去の一つの歌(本歌)があるとして、はやり歌のように多数の人によってつくられ、あるいはつくり変えられる歌がどのように転化していくか。転化していった場合にどのようなものを取り出し、どのようなものを捨てて転化されていくかということの中には何も法則性はないということです。
 むしろ、非常に多くの偶然性といいましょうか、多くの任意性があるということなのです。だから、後世に神楽歌になって残ってきた場合に、平安朝末ないしは鎌倉時代になって多分確定していったものでしょうけれども、その時代になって神楽歌としても確定していった形式のときに、これが歌舞の小道具の歌の一つとして転化してしまうということは、本歌というものを考えればまったく偶然としか考えられない。
 本歌の中には、ただ恋歌の要素だけがあって、他の要素は何もない。それが古今集の神遊びの歌の中ではもう叙景の歌みたいなものとして変化してしまっている。もっと後世の神楽歌みたいなものになっていきますと、神楽舞の小道具の歌というものに転化してしまっている。そういう転化の仕方の中で、最初の恋歌から最後の神楽歌の採物の歌までの間に、転化の必然性というのは何らない。そういう意味合いではまったく偶然のつくり変えというようなものがそれを転化させていることがわかります。
 ただ、形式上の転化の中に、ある法則性というのは考えることができます。最初、心を歌うためのイントロみたいな形で叙景がなされていたものが、叙景自体が詩の目的になっていくというようなところに転化し、そしてそれが問答歌のある具象的な歌の受けの形に展開していくというような、そういう転化の仕方の中に一般的には想定できる形式上の変化というのはあります。しかし、何が内容としてとられ、採用され、何がつくり変えられていくかということの中にはまったく転化の仕方の法則性というのは見いだすことができないと言えると思います。

10 万葉の恋歌からひるめ歌へ

 その問題をもう一つ挙げてみます。古今集のやはりお神楽歌、祭り歌の一つです。巫女さんの歌い舞う歌です。

笹の隈 檜の隈河に駒止めて しばし水飼え 影をだに見む

というひるめうたがあります。ひるめうたというのは、神社の巫女さん、あるいは神社がない場合でも村里の巫女さんの歌です。ただ、もとを正せばこれのもとになっているのも万葉の巻の十二にあります。

さ檜の隈 檜の隈川に 馬留め 馬に水飼へ 我外に見む

 「水飼え」というのは水を飲ませるあてがいという意味です。「さ檜の隈 檜の隈川に馬留め」という意味合いは、「さ檜の隈」というのは「檜の隈川」の枕詞ですから、言ってみれば、「檜の隈川のほとりのところで自分の馬を留めておいて、そしてその馬に水をやってくださいよ、私の恋人よ」ということです。
 これは巫女さんである女性が歌ったと考えるか、あるいは女性が檜の隈川のほとりで馬に水をやっているのを恋人である男が水を飼えて、少し止まっていてくれと思っている。「我外に見む」というのは自分はよそながら、遠くのほうからお前の姿を見ているからという意味合いだと思います。万葉の歌は、男女いずれの歌ともいえないですけれども、女性の歌とすればそういうふうになりますし、男性の歌とすれば女性に対して女性が馬に水をやっているのをよそながら見たいというような歌になると思います。
 これが古今集の中では、ひるめのうた、巫女さんの歌だというふうになってしまいます。そのことの中にはたぶん理由があるのかもしれません。これははじめは、檜の隈川というのですから三輪山のほとりのところでしょうけれども、村里の巫女さんの姿を歌った歌として先にあって、それがひるめのうたというお祭りの巫女さんの舞い踊りの歌になったのだと思います。
 言葉は少し違ってきています。「笹の隈」というのは「さ檜の隈」というのと同じ意味です。「檜の隈」という言葉は地名で、この場合は川の名前ですけれども、地名に「さ」という接頭詞がついたものだと思います。これが枕詞で「笹の隈」というのもそのなまりで、「さ檜の隈」と同じ意味合いだと思います。「さ檜の隈 檜の隈川に 駒止めて」というのは、「馬留め」という万葉集の表現よりも「駒止めて」という表現のほうが、言葉としては伸びやかになっています。伸びやかになっているというのは、言葉の時代的な変遷、言い方の変遷ということですけれども、それだけ違っています。「馬に水飼え」というのが「しばし水飼え」という表現に変わっています。
 「影をだに見む」というのはあなたの姿をよそみながら見ようという意味合いで「我外に見む」というふうに言葉が言い換えられています。この言い換えということの中には、たくさんの人に歌われていたり、唱えられたりしているうちに変わってしまったという要素があるからだと思います。
 なぜこの万葉の歌が、ひるめうた──神祭りのときの巫女さんの歌に変わってしまったのか、なぜ恋歌が巫女さんの歌に変わってしまったのかということについての何も法則性はありません。
 それから、本当はとても興味深いことで、大歌というのは一応中央の朝廷がそういう歌をかき集めて、保存したり編さんしたりしたものを意味しているわけですけれども、そういう歌の中に恋歌の転化があるかと思うと、民謡があったり、民謡の転化したものがあったりすることには、何らの法則性というのはないのです。何が採用され、何が編さんされ、そして何が保存されたかということに対して、何も法則性がないのです。そのことはちょっと興味深いことなのです。これはいい歌だから保存したのだということもなければ、これは大いに公の感情を歌っているから保存したんだというほどのこともないのです。つまりどういう歌を保存したのか保存しなかったのか、編集したのかしなかったのかということに対して、まるで法則性がないということはちょっと面白いことなんですけれども、この場合はそんなことはどうでもいいわけです。

11 本歌と末歌への分裂

 万葉の歌は誰かによってつくられたのでしょうけれども、やはりその地方でもてはやされたんじゃないかというふうに思われます。それがいつの間にか、神楽歌といいますか、神遊びあるいは神舞いの歌に転化していった。それが後世になると神楽歌のなかに入り込んでいくわけです。神楽歌のなかに入り込んでいった場合には、ひるめ歌という神楽歌のひとつの舞の形式に付随して歌われる歌に転化しています。そうしますとどういうふうに転化するかというと、いまの「さ檜の隈 檜の隈川に 駒止めて しばし水飼え 影をだに見む」という歌はふたつに転化していきます。一つはひるめうたの本歌。つまり問答歌として今の歌が、言ってみれば二つにこの場合には分裂しているわけです。本歌と末歌ということに分裂しています。その分裂している本歌のほうを言いますと

いかばかり よきわざしてか 天照るや 昼目の神を しばしとどめん 
しばしとどめん

というふうに変わっています。
 何がどうなっちゃったのかといいますと、川のほとりに馬を留めて、しばらく止まって水を飲ませてやってくれて、それをお前の姿をよそながら見て慰みとするからという恋歌というものが、ひるめの神様の姿を目の中に留めておこうという歌にまず変わっているわけです。「いかばかり よきわざしてか 天照るや 昼目の神を しばしとどめん しばしとどめん」というのが本歌になっています。
 末歌は

いずこにか 駒をつながん 朝日子が さすや岡辺の玉笹のうえに 玉笹のうえに

というふうに変わっています。これはどこかに馬を留めよということなのです。朝日がさしている丘のほとりの笹の葉がたくさん茂っているそこのところに馬を留めようという歌に変わってしまっているわけです。
 何がおかしいのかといえば、最後のところがおかしい。「玉笹ののうえに 玉笹のうえに」という表現がおかしいと思うのです。どうしておかしいかというと、本歌とまるで無関係だということはもちろんなのですけれども、古今集にあるひるめうたで、「さ檜の隈 檜の隈川に 馬留め」という歌の一種のなまりとして、「さ檜の隈」というのが「笹の隈」に転化したわけです。
 そうしたら今度は、神楽歌の末歌の中ではこの「笹の隈」という、本当は「さ檜の隈」といえばそれは檜の隈という地名に対して接頭後をのせていった意味のある表現ですけれども、それを「笹の隈」というふうに言ったら、それはそのなまり言葉だという以外に何の意味もないのです。本来的な意味は何もなくて、ただなまりだという意味で「笹の隈」と言っているのですけれども、神楽歌の中の、「笹の隈」の「笹」という言い方はなまりなのです。「さ檜の隈」のなまりである笹というのがいつのまにか、意味として詩の中に入り込んでしまうわけです。そして「いずこにか 駒をつながん 朝日子が さすや岡辺の 玉笹のうえに 玉笹のうえに」というふうに、そこから連想されて「玉笹のうえに」というような表現が出てくるわけです。
 この転化の仕方の中にも、正当な意味合いでの意味の転化というのは何もないので、まったく偶然に「さ檜の隈」というのを「笹の隈」というふうに訛っているうちに、その「笹」という言葉に意味をかけて、今度は笹の葉っぱが茂っている「玉笹のうえに」と意味が取り換えられて、そして神楽歌の中に転化して入ってくるというような形になってしまいました。
 この間にたとえば、やはり数百年の時間があるとしますと、この時間の中で何が詩の、時代の流行というものを転化、変化させるか。そして、流行であるのにも関わらずもとの感情をただせば、詩の核にあるもとというのは本歌としてそれがある。それがどのように転化するとかいうことの中には少しも法則性はないのです。
 しかし、形式的な転化の仕方はある。何が転化されるかということの中に法則性がないということが、いわばはやり歌というものと、いわば同時代的な詩の表現というものの中にある差異としてそれを考えることができるということ、そういうさまざまな問題を、過去の詩の中に想定することができるわけです。

12 詩の言葉の空間の複雑さ

 ですから、もし現在の詩のあり方ということと同じような意味合いで過去の詩のあり方というようなものを問い直そうとするならば、問い直し方、再現の仕方というのは大変複雑な陰影の立て方をしていかないとできないということが言えると思います。
 だから、ある詩が日付として新しいか、同時代であるかどうかということは、詩の新しさ・古さと少しも関係のないということが言えると思います。あるいは、ある詩の内容が、形式というものが同じ時代に書かれていたとしても、まるで片方が古代的な形式の様相をたくさん保存しながら書かれているということもあり得るわけですし、また、まったくフォルム自体がわからず、どうなるかわからない展開の仕方をしながら詩が書かれているということもあり得るわけです。
 これを等しく、過去の同時代の詩、あるいは現在の同時代の詩というふうに理解しなければいけないということの複雑さ──詩の言葉の空間の複雑さ──というのが一つあり得ると共に、あるいはまったくこれを同時代の詩として考えたら、考え違いをしてしまう、日付としては同時代の詩ということがあり得るのだということもまた、かなり複雑な陰影を、過去の詩と現在の詩というものの中に提起するということが言えると思います。
 このことはぼくには相当大きな関心でして、これは詩ということを離れてしまいますとたとえば歴史ということなのです。歴史というのはどういうふうに再現したら本当の再現になっているのか、どういうふうに再現したら本当の再現にはなっていないのかという問題は、やはり大変陰影のある問題を本当は提起するわけです。
 だから、その問題をよく再現できない場合には、いわば現在の再現の仕方というものに対して、どういう原型を提起してくるかというようなことに対して、やはり惑わざるを得ないというようなことが出てくるわけです。これは詩の問題ということを離れて、歴史の問題と考えても、歴史の現在をどう再現するのかということと同じ意味合いで、過去をどう再現するのかということは、多くの問題を提起します。現在をどう再現するのかということができていなければ、やはり過去をどう再現するかということはうまくできないのだということが、逆にいえば言える問題だということなのです。やはり、現在をどう再現するのかということと同じような意味合いで過去をどう再現するのかということが、ぼくなどには大きな関心になっている一つなのです。
 詩の問題としても依然としてそうで、やはりぼくは割に過去の詩に関心をもっているほうなのですけれども、その過去への関心の持ち方、あるいは過去の詩の再現の仕方ということについては絶えずやはりイメージを修正していかないとならないということに本当によく当面します。それはあたかも現在というもののイメージ、総体的なイメージを確定していくのにたくさんの修正を絶えずいつでもしていないとわからなくなってしまうようなことと、まったく同じ意味合いとしてぼくの中ではある問題なのです。
 今日は、詩の形式としての過去の詩・現在の詩ということと、また同じ意味合いでぼくの関心のありどころから過去の詩と現在の詩ということについて関心のありどころというようなことを一応お話ししてみたわけです。
 もし時間があるならば、何か皆さんの意見なり何なりお聞きしたいと思います。一応これで終わらせていただきます。

13 質疑応答1

(質問者)
 ユリイカの2月号かなにかに黒田三郎の追悼特集がありまして、そのなかで、飯島耕一さんとかが、あの人は戦後の恋愛詩の5人の内に入るだろうとか、たとえば、茨木のり子さんなんかは、岩波のジュニア版のなかで、黒田三郎の恋愛詩集というのは戦後で一番じゃないかみたいなことを言っていますし、飯島耕一さんは、もし戦後らしい抒情詩人を一人だけ挙げよといったら、やはり、黒田三郎なのではないか、黒田さんをまず挙げておいて、そのあと、田村さんとか、加島さんとかの名を思い出すのではないかと言っていますけれど。「荒地」の中で、吉本さんは黒田さんをどのように見ているかを。

(吉本さん)
 ぼくもあの人の恋愛とか、「胸のボタンにはヤコブセンのバラ」とかあるでしょ、ものすごく好きで、恋愛詩人として僕はということではなくて、あの人は「荒地」という詩のグループの中で、市民という、これは戦争中と戦後の、あるいは、戦前と戦後のイメージを対比させないと、意味合いがよく出てこないと思うのですけど。
 市民という概念を非常に重要視した、あるいは確立した、詩人なんじゃないかと思うんです。市民意識と言ったらいいんでしょうか。みなさんの年代だと市民意識なんていうのは当たり前だというか、自然に身に付いちゃっている部分があるんですけど。戦争中までのことを考えると、市民という概念を確立することはものすごく大変なことなんです。
 そういう意味あいからいうと、中原中也みたいな詩人というのは、市民意識以前なんです。そういう意味あいからいうと、あの人には市民意識というのはないんだということになるでしょ。つまり、市民意識がなくても、本質的な詩人があるという、中原中也の中にはあることがあるんですけど。
 しかし、たとえば、ヨーロッパの本質的な詩人というのはいるでしょ、つまり、ボードレールでもいいし、ランボーでもいいんです。そういう人と中原中也と何が違うかというと、つまり、ボードレールとかランボーというのは、市民意識というのは前提なわけです。だから、アンチ、否定的な意味でしかここの中にないんです。ないから問題にならないんだけど。それは前提にあるんだということを踏まえないボードレール論とか、ランボー論はダメだと思います。つまり、ボードレールとか、ランボーのなかに、本質的な詩人だけを言っているような論はダメだと僕は思います。
 そうじゃないです、そこはヨーロッパと違うところなんです。だから、小林秀雄のランボー論というのは、そういう意味ではダメだったと僕は思います。それは本質的な詩人という意味あいで言ってしまうと、市民というのがないんです。だから、市民以前しかないので、たとえば、中原中也というのは、市民以前というものと、それから、本質的詩人とが、ようするに結合した詩人なんです、そういう見方からすると。それはランボーとか、ボードレールとまるで違うことです。中原中也とはまるで違うのです。
 本質的な詩人という意味あいで似ているように思えても、まるで違う、その違いということの重要さということを黒田さんという人は初めて確定した人なんです。戦後初めて確定した人なんです。戦後詩人として、初めて確定した詩人なんです。
 だから、あの人の恋愛観もそうですけど、あの人の良い詩があるでしょ、わかりやすくて、しかもいい詩があるでしょ、その詩は全部、一定の安定感といったらおかしいのですけど、一定の社会意識としての安定感というのがあるでしょ、表現の中に、言葉の中にあるでしょ、そのことが重要だと思います。そのことが黒田さんの大きな意味合いだと思います。
 つまり、その市民という概念を初めて、戦後にしか確立しなかったですから、戦後の詩の中にしか確立しなかったというのを確立した。そのことが重要だと。つまり、詩人というものの中に、一人のなんでもない普通の現代の社会、資本主義をべつに否定もしないけど、肯定もしない、殊更、肯定しているわけでも、否定しているわけでもない、しかし、秩序そのままで、とにかく、大多数の生活人というのがあるでしょ、生活人の意識というのが、ひとりでにこのなかに入っていって、それは前提として、そして、詩を書いているという、そういう書き方、そういう詩というのを初めて確立した、戦後ということは、近代史で初めて、戦前にはないのです。市民という概念はないのです。
 詩人の中にはましてないのですけど、初めからひねくれているわけだから。大多数の生活人の生活の仕方とか、その時の感性、そんなものは初めから放っぽり出されたやつが詩なんか書いて、詩人というふうになったわけですから、だから、初めからないのです。
 そのことは、本質的な詩人というのは、自然的に市民社会というものに対して、市民社会の意識に対して、本質的にアンチなんだけど、だけども、ヨーロッパにおけるアンチ秩序、アンチ社会という詩人というのは、必ず市民意識というのは腹の中に入って否定しているわけだから、あるいは、成熟した体系があって、それで否定しているわけです。これは日本の近代詩人というのはそうじゃないんです。初めから社会をひねくれていくわけです。
 そのことに対して、黒田さんは初めて、市民意識といいますか、大多数のなんでもない秩序を否定もしない、社会の否定も何もしない、そのかわり偉そうなことも言わない。そういう人の生活人の生活意識というのは非常に重要だということを初めて言った人だし、また、そのことをいつでもここのなかに踏まえて詩の表現の仕方をしている人です。それを初めて確立した人です。それは恋愛詩に限りません。そのことが黒田さんの意味じゃないでしょうか、意義じゃないでしょうか。ぼくならそういう追悼文を書きますけどね。(会場笑)

(質問者)
 たとえば、市民というのは、ヨーロッパのもので、黒田三郎さんもヨーロッパのやつを本歌取りみたいにして、ただ受け売りをしているとも言えるのではないでしょうか。

(吉本さん)
 もっと本質的な言葉というものをあれするでしょ、日本の現代詩というのはさ、いまの人はみんな受け売りじゃないですか。全部そうです。受け売りの言葉しか使えないですから。まだ使えないです。使えるようになるには大変なんです。いっけん使えそうになるのですけど、しかし、たいへんなことだと思います。
 つまり、その時にはなくなるんです、歌人がいたり、現代歌人がいたり、現代俳人がいたりというのは、それはなくなっちゃうんです。ほんとうに言葉が使えるようになったら。まだ、使えないから、そういうのがまだいるんです。だけど、ほんとうに使えるようになったら、必ずそれはなくなっちゃう、そんなこと言ったら、皆まがい物です、まがい物でしか書けない。
 つまり、根源的な言葉というのがあるんです。根源的な言葉というのにどうしても入ろう入ろうとしていくわけです。そうすると、早急に入ろうとするから、それぞれの仕方でまがい物の詩を書いているわけです。現代詩人というのはそれぞれの仕方でまがい物の詩を書いている。
 しかし、モチーフはそうじゃないんです。あるひとつの根源的な言葉に到達したいわけです。それはたえずそう思っているんです、書いている人は。だけども、それぞれの仕方でなかなかうまくいかない。一人自体のあれでそうなるというものじゃないんです。これは表現…。
 言葉は自然物である部分があるように、なかなか自然物と同じように変わらない部分があるんです、言葉のなかには。だから、変わらないんです、なかなか変えられないんです。一人二人の詩人が強引な言葉遣いをあみだしてみたとしても、なかなか変わらないです。
 だけども、どんな人だってそうなんです、みんな、根源的な言葉というのを使いたいんです。使いたいというか、そこに到達したいんです。だけども、なかなか到達できないんです。それぞれの仕方でそれをやって、それぞれの仕方で、それぞれの経路でまがい物をやるでしょうね。だから、そういう意味で黒田さんだってそうかもしれないけど、それは、しかし、そういう意味だったら皆そうですよね。

(質問者)
 現代というのが、たとえば、詩の個人としてやらないで決まっているのと、時代的な詩の演説みたいなところからもってくると、現代というのはどんなふうに言えるんですか。

(吉本さん)
 あなたの現代という概念がどういうふうに指しているのかよくわからないんですけど、現在ということですか。
 ぼくは漠然と感じていることで小さく括れば、ようするに、詩を書いている人が、詩を書いている人というのは詩人もそうだし、詩を書いている人があまり変わり映えしないでしょ、しないっていうこと、そのことが問題なんじゃないですか。だから、変わり映えしないから、彼の個性、彼の人間、彼の生活、彼の職業、そんなの誰をとってきても皆、それほど変わり映えしないから、括弧で括れば、みんな(A)で括れちゃう、そうだったら、べつに(A)というのはいらないじゃないですか、つまり、人間というのはその人の個性とか、内面性とか何もいらないじゃないですか、ということがいまの詩の問題じゃないですか。
 つまり、その人らしい詩を書くとか、表現するとかいうことのなかには、あまり意味がなくなっちゃってきつつあるということが非常に大きな問題なんじゃないでしょうか。それがもっと問題になってくれば、もっときつくなるでしょうけど、きつくなってくるんじゃないでしょうか。つまり、自分が自分以外のものでありえないということに、だんだん詩人が苛立ってくるんじゃないでしょうか、もっときつくなれば、非常に苛立ってくるんじゃないですか。
 いまのところは、それが言葉の問題としてだけ、その問題がきつつあるけど、やがてそれは、生活の問題であり、存在の問題でありというふうになって、存在の問題として変わり映えがないよというふうになっていくというところに、きつさがだんだんいきつつあるというのが現在なんじゃないでしょうか。そのことが現在の詩の大きな問題なんじゃないかというふうに、ぼくは思いますけど。

(質問者)
 小林秀雄の本居宣長論に対して天皇制とかなんとか、だから、森鷗外の『澁江抽齋』では、『澁江抽齋』というのは、真ん中辺で真面目臭くて、以降、奥さんが次から活躍しだすみたいな、もし、澁江抽齋がその時代の、たとえば、江戸時代の典型の人だったら、決めつけただけでは否定しきれない部分というのが、小説の中にあると思うんですけど、『本居宣長』というのを天皇制という網ではこぼれるほうがすごく多いのではないかと思うんです。

(吉本さん)
 つまり、本居宣長という学者ですか、学者とか、思想家というものじゃなくて、それを書いた小林秀雄。それは、小林秀雄でしょ、つまり、本居宣長じゃないでしょ。小林秀雄が天皇なんていうのは僕はおかしいと思ってます。あなたが言ったっておかしくないです。あなたが天皇というのはいいじゃないかとか、スターじゃないかと言っても、そんなのはちっともおかしくないです。だけど、小林秀雄が言ったらおかしい。
 なぜならば、天皇ということに傷ついているはずですから、傷ついてつまずいているはずですから、つまずいて、死にそうな目にあっているはずですから、だからおかしいと僕は言っているわけです。本居宣長という学者、思想家から、そんなものを取り出してきたらおかしいということです。それを自分のことのように自分の事としてそれを取り出してきているのはおかしいと僕は言っている。
 あなたが取り出してきたっておかしくないです。それから、あなたがこれから、天皇というのは全日本国民の柱であると、あなたが言ったっておかしくないです。つまずいたとか、傷ついたとか、そういう死ぬ目に遭ったとか、そういうあれはあなたにはないから、それはいずれにせよ、どう考えようと切実ではないわけです。切実であるかもしれないのは、あなたが天皇をこう考えるために切実であるかどうかというのは、これからの問題であって、いまのところどう考えるかといったら、切実じゃないのだからどうでもいいことなのだと僕は思います。
 だけれども、小林秀雄がそうだといったらおかしいのです。おかしいということをあなたは知らないかもしれないけど、おれは知っているわけだから、だから、おまえはおかしいと、ほかのことがどんなにできたって、ゼロだよ、ゼロというよりマイナスだよと言っているわけです。
 つまり、どうして死に目に遭ったことに対して死ぬ気で考えたことがないんだということを僕は言っているわけです。おまえは死ぬ気でそのことを考えたうえで言っているか、言っていないじゃないか。だけど、ぼくは死ぬ気で考えたことを言ってきています。だから、ぼくはそう言うわけです。
 だけど、小林秀雄は死に目に遭ったということについては変わりないわけでしょ、ぼくと、そう変わりないわけです。しかし、それだったら死ぬ気になって考えてきたらよかろうと、死ぬ気になって考えてきたらそうは書けないじゃないですか。否定するにしろ、肯定するにしろ、もっと屈折もあるし、それから、経路もあっていいじゃないですか、こんな言い方はないでしょという、こんなことを言うみたいだったら、ほかのことをどんなに立派に言ってもダメだよ、お終いだよということなんです。ようするに、ぼくが言いたいことはそうなんです。
 それはあなたがどう考えたっていいんです。それは、神さまだと思ったって、日本国の柱だと思おうと、あるいは、憲法の規定どおり、象徴だと思おうと、それはなんでもいいのですけど、ただ、自分がそう思ったことの報いというのは、これから出てくる。それはそうなんです。ぼくもまた、天皇についてこう言った、こう否定したということの報いはこれから受けるかもしれない。しかし、それは覚悟の上だし、自分なりに考え尽してそうなっているんだから仕方がないわけです。
 だけど、小林秀雄は一生懸命考えなくて、ただ判断を中止してきて、いまどきになって何を言っているんだ。なんだあいつは、二十年前、三十年前と同じことを言っているのということを、ぼくは言っているわけです。だったら、それはほかのことができていたってそれはダメですよということを、ぼくはそう言いたいわけです。
 本居宣長もそうなんだけど、それはまた違うことです。それは時代として、つまり、同時代の中に本居宣長というのを再現していかなくちゃいけないです。べつに、神話の神様を宣長が自ずから言ったからといって、それをどうだというふうに、それは反動だとかなんとかいうふうに否定することはできない、そういうことは違うことです。
 だけど、それは小林秀雄が言ったらおかしいと、ぼくはそういうことを言うわけです。でも、あなたが言ってもおかしくないです。べつにおかしくないことですから、どのような肯定のされ方をされようと、それはおかしくないんじゃないでしょうか。あまり傷ついていないわけですから、全然、雲の上というか、別の世界の、時々、週刊誌の中に出てくる意味しか、あなたにはないわけですから、それはどう考えてもいいと思いますけど。だけど、小林秀雄は、それはそうはいかないと僕は思います。

14 質疑応答2

(質問者)
 「過去の詩・現代の詩」という演題だったわけですけど、実際に詩をつくられる立場からして、詩の公準というのは時代を超えてあるものとお考えですか。

(吉本さん)
 そういうふうに考えないですけど、言葉というものの現在の水準、水準というのは水平線といってもいいし、地平線といってもいいのですけど、言葉の現在的な水準とか、地平線とか、そういう概念はありうると思っているわけです。そういう概念があると僕は思っているわけです。
 具体的にこれだとか言うのではなくて、それは詩を書く人みたいに、言葉の専門家みたいなものが、一生懸命やっていくことのなかで、言葉の現在的な水準とか地平というのは、刻々と作り変えられてあるわけですけど。
 だから、誰のどれが現在的な水準で、これは水準以下であるというふうになかなか言うことができないのですけど。そういう概念はあっていい、考えていいと、ぼくは思っています。しばしば使っています。

(質問者)
 言葉単体に対してですか、ひとつの言葉に対してですか。それとも、言葉が組み合わされて、ある表現されたものに対する水準ということですか。

(吉本さん)
 そうです、表現の水準なんです。あるいは、眼に見えない言葉の飛び交っている流布され方の水準なんですけど。それは漠然とそういう概念を僕は想定して使っていますけど。その水準というののいちばん先端の場所というものをイメージでいえば、刻々につくられつつあるというふうに思っていますけど。刻々につくっているのは誰なんだといったら、まず第一に詩を書く人とか、小説を書く人とか、つまり、少なくとも、言葉について、絶えずあれしている人が、たぶん、先端のところを刻々と作り変えつつあるだろうなと思っていますけど。

15 質疑応答3

(質問者)
 2つ聞きたいのですけど、『悲劇の解読』なんですけど、ひとつは、≪音声聞き取れず≫吉本さん自身は誰を想定されていたか。もうひとつは、先ほどの詩のことと関連しちゃうんですけど、本の最後のところで小林秀雄の意識は最初にある意識じゃないのか、最後に行きついたのかもしれないけど、最初にあるんじゃないかという、≪音声聞き取れず≫オナニストじゃないか、自意識の球があって、その内側に天皇が、本居宣長とか、いろんな詩があるんだけど、実際は小林さんの自意識の球体の内側から見ただけじゃないのか、あなたが行きついた意識は、やっと行き着いたなんて言っているけど、ぼくはそう解釈したんだけど、結局、願望ですよね、そうすると、小林秀雄なんかオナニストじゃないのか、そういうふうに取ったんだけど、そういう人にあなたオナニストだよと言っても、関係ない人ならいいですけど、実際に、生活とか、働くということで、ぼくの言い方が悪いのだろうけど、≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 こうじゃないでしょうか、小林秀雄というのは、ぼくはどう思っているかといったら、批評というもの、日本の文学、歴史のなかで、近代批評といいましょうか、つまり、批評という概念を、それとして確立した人だと思っているわけです。
 それ以前にも、もちろん、明治時代から批評というのはあるわけです。作品がでると、夏目漱石氏の何々はこうであるというような批評が出るみたいなことは明治時代からもちろんあったわけです。そういうのをもっぱらしていた人もいるわけです。だけれども、それは僕らが考えているような批評というものと違うわけです。
 つまり、批評が自分として世界を持って、それは作品に触れたり、作品に立ち入ったりすることであるかもしれないし、あるいは、作者に立ち入るということであるかもしれないのだけど、そういうことをぜんぶ捨象しても批評として世界が残るという、そういう意味合いでの批評を初めて確立した人だというふうに思うのです。
 だから、これを肯定するにしろ否定するにしろ、僕なんかもたくさんの影響を受けてきましたけど、誰でもがどこかで出発点とするというか、原点とするみたいな、そういう意味あいの存在だというふうに僕は思っています。
 だから、劇画の世界でいえば、手塚治虫みたいなものじゃないでしょうか。手塚治虫の作品は嫌だという人はたくさんいるわけでしょうけど、しかし、やだと言ったって、ある時期にその影響を受けて、それで持った世界があるなということがわかって、そこに自分も世に出ていくかというような体験ということを考えれば、誰しもがどこかで片隅に置いているというような、そういうのと同じ意味合いで、やっぱり、小林秀雄という存在が存在しているというふうに僕は思っています。
 小林秀雄という人はそういう影響もたくさん受けたし、たくさんのことを学んだけれど、しかし、本質的にいって、あるところからどうしても肯定することができない世界のなかに、じぶんが入っていったと思います。
 肯定することができない世界というのは、天皇がどうしたこうしたというのは、それはひとつの具体例に過ぎないのですけど、大きなことはあなたのおっしゃったことと関連するわけだけど。つまり、世界の大きさというものと、自意識の大きさと言ってもいいのだけど、内面と言ってもいいです、内面の大きさというものは同じなんです。内面の大きさと同じ大きさで世界というものが描かれるわけです。それはダメじゃないかと僕は思っていたとおもいます。そこが問題なんだと思います。
 つまり、我々は意識を行使する、ごく日常の時間の中で、毎日生きていく生という形、あるいは、生活でもいいし、あるいは、存在という形でもいいですけど、存在というかたちで意識が触れていく範囲というのは、たしかに非常に狭いんです。しかし、たぶん、直接に触れられる世界というのは、事実の世界としては狭いんですけど。一般的に、通俗的に生活圏と呼んでいるものは大きな事実の世界として触れられる事実の世界、それ以上の世界というのは触れられないのです。
 だけれども、我々が世界というのを描くなら、もっと遠くまで描くわけです。まったく触れたことのない世界をも描きうるわけです。もっと極端な場合でいえば、まったく触れたことのない世界で、あるいは、見たことも、もちろん聞いたこともない世界で行われた、あるいは起こったことに対しても感覚的でありえたり、また、情緒的でありえたり、あるいは、心情的でありえたりするということもありうるわけです。
 その心情的でありえたり、感覚的でありえたりすることが正確か否かということは、また別の課題になりますけど、正確であるか、被害妄想であるか、あるいは、誇大妄想であるかは別として、しかし、まったく意識が触れたことのない世界、あるいは、具体的には触れたことのない感覚が触れたことのない世界とか、目に見たことがないとか、生活が触れたことのない世界についても、我々は描くことができるのです。あるいは、それを超えて世界を描くことができる。その世界から被害を受けることもできる、あるいは、情緒を受けることもできるということがあります。
 そのことの問題というのが、小林秀雄の場合には、あるところまではそうであったにもかかわらず、あるところからそういうふうに世界を見ることをやめてしまって、自意識と同じ大きさにしか世界を描かない、あるいは、世界というのは自意識と同じ大きさしかないと、だから、超えられた世界、あるいは、事実の世界を超えられた世界、超えた世界、そのことを事実の世界に触れたと同じ意識の範囲で描くというのは、そういう世界に入っていっちゃったじゃないかということを僕が言いたかったわけで、結局、そういうことを言っているんだと思います。
 そのことで小林秀雄から僕が学んできたそのことが尽くされるわけでもなんでもありません。学んできたことがそういう言い方のなかに尽くされることはできないかもしれないけれど、その尽くされない部分は小林秀雄論じゃなくて、それ以外の部分で見てくれというふうに、ぼくの場合はそう言うより仕方がないです。それ以外の部分、ぼくのやったことのなかで、ぼくが小林秀雄から学んだこととか、受けたあれとかというのはどういうふうにそれが展開されているかということは見てくれと僕は言いたいので、小林秀雄論のなかでは、そういうことが途中から、つまり、世界が自意識と同じ大きさになっちゃっているじゃないか、それはごく出発の初期に、たとえば、ランボー論を書いたときに、小林秀雄の中にあったものと、ある意味で同じになっちゃっているんじゃないかということを言っているのだと思います。
 小林秀雄のランボー論というのは、先ほどもちょっと言いましたように、ぼくは何がダメなのかというと、やっぱり、自意識の問題としてしか、詩の問題を掴んでいないからだというふうに僕には思えるんです。だから、まるで違うんです。ものすごく誤解するんです。だから、誤解だとおもいます。ランボーについての誤解だと思います。
 ランボーについての誤解だなんていうのは、ぼくは専門じゃないですから、そんなことを言うとあれですけど、しかし、ぼくにはわかることがあるように思うんです。そのわかることというのは、背景がわかるんです。背景がイメージとしてわかるような気がするんです。それがまるで考慮されていないんです。
 そうすると、みんな自意識の問題になっちゃうんです。純粋さの問題とか、倫理の問題とか、みんな自意識の問題になっちゃうんです。自意識の純粋さ、生粋さとか、そういう問題になっちゃうんです。
 そうじゃないです、ランボーの純粋という意味は、そういう意味じゃないんです。もちろん、そういう意味合いも中に含まれているのですけど、そういう意味合いに尽きるものじゃないです。純粋という概念がそうじゃないです。だから、とてつもない俗物が純粋なんです。我々の概念でいう俗物が純粋でありうるわけなんです。
 つまり、そのことの問題が、だから、俗物と我々が貶すでしょ、云い捨ててしまうことの中には2つのことがあるんです。我々の中に、近代以前のものがあるんです。市民社会とか、そういう市民社会みたいなものが、ぼくらの中には本当の意味では入ってない部分があるんです。市民社会というのを避けた部分のところでやれば、俗物だというふうに言っちゃうんです。言っちゃう面があるんです。俗という意味あいをそういうふうにとったら、まるで違う概念です。
 小林秀雄はランボーを理解したというふうに思っているかもしれないけど、ほんとうは僕はわかっていないと思う。なぜ、わかっていないかというと、俗ということとか、純粋とかは、不純とか、純粋とか、それから、倫理とか、善とか、悪とか、それから、社会とか、そういうことがわかっていないからです。
 わかっていないというのは、頭ではもちろんわかっているのでしょうけど、腹の中からにはわかっていないんです。ほんとうにはわかっていないんです。それは僕らには本当にわかっているところがあるんです。でも、ぼくらにもまだわからないところはあるんです。だから、俗物ということで決めつけちゃうんです。だけれども、その俗物と決めつけるときの俗という概念のなかには近代以前のところから言っている部分が多分にある。
 だから、そこが問題なんだけど、しかし、小林秀雄の場合には、俗という概念がまったく欠落しているんです。ランボーにある俗という概念、近代という概念でもいいんです、あるいは、近代社会という概念でもいいんです。そんなものは殊更いわなくても、腹の中に入っていることと、入っていないこと、それが見えないこととはまるで違うんです。そこのところへ、小林秀雄は結局、帰っていってしまったじゃないかということを言えれば、ぼくは小林秀雄論の場合には十分であったわけです。ぼくが言いたいのはそこのところであったということなんです。
 それから、そのことと関連するわけだけど、ぼくも全部じゃないけど読みましたよ、『悲劇の解読』というものの序文とか、そういうのに触れた人が書いているものを、全部じゃないですけど、読みましたけど、ぼくはつまらないことのような気がするの、つまらないことのような気がするというのは、何かというと、そんなことよりも、ぼくが言いたかったことは非常に単純な簡単なことなんです。いま、批評という概念が奇態に瀕しているということを言いたかったんです。批評という概念を保持するのが難しいことを言いたかったんです。
 どこからむずかしいかというと、ぼくが書いているとおり、学問研究・文学研究という概念があるでしょ、文学を読む、探求する、追及する、あるいは、文学を解読するという、そういう概念があるでしょ、それから、作品、もっとはっきりいえば小説です、小説という概念と、その両方から浸透されていて、批評という概念は危なくなってくるよということを言いたかったわけです。
 だから、批評という概念を全うするということは、これを持続的に全うするということは、もう非常に不可能になっているよという、厳密にいうと、そういうのを全うしてきたという人はそんなにいないんだよと、いるかいないかというぐらい難しいことなんだよということを僕は言いたかったわけです。
 何人か書いている人のを読みましたけど、大部分に感じた不満というのは、ぼくは中身を読んでもらいたかったので、要旨を読んでもらいたかったわけじゃないんです。それは冗談としまして、つまり、文学という概念があるんです。ぼくはそこで言いたかった文学という概念をまるでわかってくれない、理解してくれないじゃないかということを感じました。
 つまり、どういうことかというと、文学という概念がどうやって成立するか、べつに頭で成立するわけでもなんでもないのです。頭で成立するわけでも、感性が鋭いからいい文学者になるというわけでもないんです。あるいは、いい詩人になるとか、いい詩が書けるというわけでもないのです。そういう意味で書けると思っているのは間違いなのです。それが間違えだということを確かめるためには長い年月がいるんです。
 たとえば、荒川さんが感覚で詩というのは書くんだよというふうに言ったって、それは短い年月を取ってくるとそれでいいのですけど、長い間やってみないと詩というのは本当にそうかどうかというのはなかなか言えないのです。そのことが問題なんです。
 そうすると、何が文学で何が文学でないかという場合に、そんなものじゃなくて、ぼくが言いたかったのは、それは悲劇なんだと言いたかったのです。悲劇というのはどういうことかというと、ピンからキリまであるんです、悲劇というのは。それは小林秀雄から宮沢賢治まであるんです。近代文学の概念のなかでもそれだけあるんです。
 それは約めてしまうとどういうことかというと、たとえば、こういうことなんです、簡単にいっちゃえば、ここでいっちょう頭を下げて、日常の挨拶を、こんにちはとか、どうもご無沙汰しましてとかっていう挨拶をできるかできないかということがあるでしょ。このなんでもない挨拶をできないがために生涯を狂ったとか、あるいは、そういうふうに俺はできないんだというふうに、できないものだから、なんかうまくいかないんだ、人との関係とか、この社会で食っていくのにうまくいかないんだとか、そういうことはたくさんあるでしょ。
 そんなのはたった簡単なことで、できる人にとっては、つまり、市民にとっては簡単なことだけど、御無沙汰してますとか言うこととか、朝会ったらおはようございますと言うことなんか、簡単だといえば簡単な事なんです。だけれども、それを言えないために、運命が狂うとか、極端にいうと、そういうことというのはあるでしょう。
 つまり、そういうことに対してどこかで落とし前をつけようということなんです。落とし前をつけようということから、言葉というのは始まったんじゃないのか、つまり、文学なんていうのはそういうことじゃないのか、つまり、日常のたわいないこと、ここでにこりとひとつ笑えば相手はうまくやってくれたかもしれないのに、どうしてもそこで笑えなかったんだというようなことというのはあるでしょ、そういう些細なことがあるでしょう。しかし、些細なことが、非常に重大な内面性の問題を提起してしまうことがあるでしょう。そのことにどこかで落とし前をつけようということを抜きにして、文学ということの表現というのが本質的に成り立つかどうかということ、そのことを言っているんです、ぼくは。
 だから、吉本というのは『悲劇の解読』というので、ある種の文学というものは必ずそういうことに対する落とし前ということから、文学というのが始まっているんだということ、そのことが良い悪いじゃないです、あるいは、それが良いのか悪いのかということは、それが文学の価値をどうつけるかとは別に、その落とし前ということにあいつは固執しているんだということ、そのことを言えばよかったんです。言ってくれれば、あいつは読んでるなとこっちは思うのに、そのことが言えなければ、読んでないなぁというふうに思っちゃうんです。
 それが文学に対する考え方が違うということ以前にある問題です。読めるか読めないかという問題です。読み取れるか読み取れないかという問題であって、そのことはちゃんと口を酸っぱくして、それは、そのことばかり書いているわけだから、そういうことなんです。あるでしょう、中原中也っていうのはどうしようもない奴だったということがあるでしょう。
 それは言葉の問題じゃなくて、どうしようもなかったんです。若くして自分を天才だと思っちゃったわけです。思いこんじゃうでしょ。詩を作るより田を作れと喩えたし、田を作れというのを徹頭徹尾、若い頃、14,5の頃から軽蔑して、詩を作れということであれして、今度は市民がよく通う、中学から高校行って、大学行ってという、それも軽蔑してやめて、何して食ってるかというと、親から金をくすねて食っていて、それでも、おれは天才だと思っているわけです。そう思っているわけです、そう思いこんでいるんです。
 大抵の人は大なり小なり皆、中原中也であるわけです。みんな思い込んでいるわけです。詩なんか書いているやつはぜんぶ思い込んでいるわけです。だけど、中原中也まで思い込める人は少ないのです。途中でへぇと目覚めるわけです。なんだおれはダメだと、それほど天才じゃなかったと思うわけです。思って詩なんかやめたという人もいますよね、歌をつくる人もいますし、事業家になる人もいるわけです。
 だけど、文学というのはどこから始まるかということが問題なのであって、そのときに、やっぱり俺はダメだったというところから文学というのは始まるわけです。だから、みんな、じぶんの悲劇を隠しているわけです。どんな凡庸な文学者だってみんな隠しているんです、じぶんの悲劇を。
 それは、なぜかというと、文学なんていうのはそれから以外に始まるわけがないのだから、だから、とうとう、若いころ天才だと思ったけど、ダメだということがわかってきたよというところから、それがわかってきたら、初めて一丁前になるわけです。一丁前の詩を書く奴になるわけです。だから、みんな、一丁前の顔をして詩を書いているやつは全部、そういう悲劇をしているわけです。
 もっとひどいやつは、じぶんを天才だといまでも思っているわけです。それは中原中也みたいな人なんです。そうすると、どうしようもないわけです。こいつは頭は鋭いから、うかうかしたことを言うと、すぐ屁理屈をこねる。どうしようもない。喧嘩はするし、とにかく人付き合いは悪いし、威張るし、つまり、どこから見たって取り柄がない。それでもまだ天才だと思っているわけです。それで他人に迷惑をかけて暮らしているわけです。それでだんだんへばってくるわけです。へばってきて死んじゃったと、だから、表現という、言葉というものに隠された、そういう悲劇というのがあるでしょう。
 それから、悲劇そのものがあるでしょう。つまり、宮沢賢治とか、ぼくが『悲劇の解読』で取り上げた人はみんなそうですけど。悲劇を隠さなかった人です。ぜんぶ隠さないでやっちゃった人です。仕方なしに貫いちゃった人です。
 しかし、そこまでいかなくたって、ごくふつうのそこらへんの文学者だって、みんな隠しているわけです、悲劇を。隠してあれしたから、一丁前の顔をして、詩とか小説を書いているわけだから、みんな隠しているわけです。その隠しているという問題を、言葉の問題に対して、対立づけなければ、対抗づけなければ、それは文学を解したことにならないでしょうということを言っているわけです。ぼくはそう言っているわけです。
 それは文学観として、それに反対であろうとなんであろうと、それはいいのですけど、そのことは読めなければならないと僕は思います。だけども、それは読んでいないです。ぼくが言っていることはそれだけのことです。それは非常に単純なことです。そのことは批評という概念がどうしても取り避けることができないんです。隠している悲劇、隠されている悲劇、それから、悲劇を隠さなかった人、それから、悲劇に気がついてそれをやめた人、やめて生活人になってしまった人、そういう人も問題です。つまり、文学から離れてしまった人の問題、そのことをぜんぶ解せなければ、それは文学でない。文学の批評にはならんでしょということ、ぼくはそういうことを言いたいわけです。そのことの問題なんです。ぼくの言っているのはそれだけのことだと思います。
 で、ぼくは『悲劇の解読』のなかでは、悲劇を隠さなかった人、傍からみれば皆、はた迷惑な奴ばっかりです。比較的それが少なかったのが小林秀雄だと思います。小林秀雄だって傍に恩恵を施したかもしれないですけど、でも悲劇はちゃんと隠されています。
 最もはた迷惑だったのは、たとえば、それは太宰治であり、宮沢賢治だと、これははた迷惑であったに決まっているんです。市民社会に対してはた迷惑だったんです。ことに近親の人ははた迷惑だったに決まっているわけです、そんなことは。だから、そのはた迷惑だったことというのはあるでしょ。
 それから、宮沢賢治じゃなくても、詩とか、童話なんてやめちゃった人というのはたくさんいます。じぶんが殊更、天才でも何でもないことに気がついて、気がついてからほんとは始まるわけですけど、ほんとは文学なんて始まるわけですけど、そこのところでやめてしまった人もいるわけです。
 やめるというのは、そのことはちっとも悪でもなんでもないし、つまらないことでもなんでもないことなんです。だけど、その選択の持っている意味あい、意味というものは、やっぱり、それが潜在的に問題にできなければ、それは文学に対する批評にはならないでしょということが言いたいわけです。ぼくはそうだと思います。そのことだと思います。序文でも、そのことの問題だと思います。それでよろしいですか。

16 質疑応答4

(質問者)
 『悲劇の解読』のなかで、宮沢賢治のやつを読んで、『青年は荒野をめざす』というのは三文小説家の書く嘘っぱちだ、青年は無償をめざすとか、そういう宮沢賢治が無償をめざすところでは、すごく印象に残っていて感銘深いのですけど。宮沢賢治の対社会的な面が、もうちょっと読んでいてピンとこないのです。

(吉本さん)
 …が少ないという意味だったらよくわかるのですけど。ぼくが言いたかったのは、無償ということがどういうふうにでてくるか、それから、宮沢賢治の思想的な部分にでてくるかということが一番したかったです。いちばん言いたかったことです。

(質問者)
 社会的な面をよく読ませてくれる人が吉本さんしかないみたいな部分があるじゃないですか。

(吉本さん)
 そんなことないですよ。たくさんいるんです。宮沢賢治の様々な追及というのは、いろんな面からとことんやられてきていますから、たくさんありますよね、そういう追及というのは。それぞれ特色をもってありますけどね。じぶんのモチーフのところでやればいいという感じで、それ以上のあれはないのですけど、そういうことはもしあれだったら、いままでの人のあれが足りないということでしたら、自分でやっちゃえという。

17 質疑応答5

(質問者)
 ≪音声聞き取れず≫、自分が天才だと思っちゃう変わり目があるでしょ、その境界点がひとつの形ではないでしょうか。
 それからもうひとつは、先ほどの小林秀雄の話で、吉本さんの考え方は、小林秀雄の≪音声聞き取れず≫、相撲の土俵でいえば外枠にこだわっているような自意識、AでいえばAバーをとったような、そういったものを自分で探して見つけて批判しているのだから、アンチテーゼとしても成り立たないし、逆に言えば、小林秀雄のコンプレックスみたいな、そこから何も新しいものが生まれないじゃないかということから、結局、小林秀雄の逆のことを言っていれば、逆というか言っていないことを言って論が成り立つから、そこから何か新しいものがでるかどうか、そのひとつの形になっちゃうと何もならない。逆に小林秀雄さんのほうが立派で、その対立としてどうも成り立たないんじゃないかという、そこらへんどうでしょうか。

(吉本さん)
 それは僕もあなたのおっしゃることに賛成です。そういうふうにしかなっていなかったらダメなんでしょうねと思います。一から十まであなたのあれに賛成です。ぼくがもしそうでしかなかったとしたら、ぼくのほうがダメです。ちっとも小林秀雄よりよかったことにもならないし、また、新しいものを出したことにもならないと思います。ただいちゃもんつけているだけという意味あいしかないですから、だから、一から十まで賛成します。
 それからもうひとつ、それもまた型になっちゃうじゃないかという、そうなんです。ただ、それを型にするかしないかという問題はもう誰の責任も負わせることができなくて、その人の責任なんです。その詩人の責任なんです。それを型にしちゃうか、また、その型を壊すものを絶えず自分が突きだしていけるかということは、その人の問題なので。

(質問者)
 言葉をひとつの時間のパラメーター、それを型にしちゃうと時間が止まっちゃうから、そういうふうな考え方なんですか。

(吉本さん)
 そうです。もう少し付け加えますと、型というのが重要な分野というのはあるんです。民謡とか、俗謡とか、流行歌とか、唱歌とか、そういうものの中では型というのはわりに重要なんです。重要なものだと思います。つまり、わりに民俗的なもの、あるいは、もっと習俗的なもの、そういう表現というのは型が重要なんです。型が重要なわけではないんですけど。型の強力さとか、型の力強さというので、人を打つのはそうなんです。
 だけど、個々の作家が、つまり、詩人なら詩人によってつくられる、大なり小なり、個々の詩人の、個々の最大限の言葉の努力によって作られるみたいな、そういう世界は、あまり、型は絶えず壊されていくという形で転化して進んで行くわけですけど、俗謡とか、民謡とか、流行り歌とか、歌謡とかというのは、型の強力さというのがしばしば人を打つわけです。
 それはたとえば、演歌なら演歌というのがなかなか滅びないという型の強さ、それから、テレビやなんかでも、水戸黄門とか、最後になるともうすぐ「頭が高い」と言うだろうなと思うと、ちゃんと言う、それでも明日もまた見るというのがあるでしょ。そうすると、型はわかっている、しかし、あの型は強力なんです。何かというと、あれは物語の原型というのを強力に護持しているからなんです。
 物語の原型というのは何かというと、そういうある登場人物とか主人公がいると、それが方々遍歴したり、さまざまなできごとに出遭うわけです。それが辛い目に、悲しい目に、ひどい目にどんどんどんどん遭っていって、それでフッと、何かあったときにフッとそこから抜け出して助かるとか、救われるとか、それから、そういうのがギリシャの時から物語の原型なわけです。
 それは様々であり、神さまが普通の人のなりをして、方々に行って、馬鹿にされて、ふつうの人から傷めつけられるのだけど、あるときフッと何かをきっかけにして、神さまだということがわかるとか、王子様が乞食の恰好をして、諸国を遍歴して乞食として傷めつけられるのですけど、あることをきっかけとして王子だということがわかって、それから幸福になるとか、それがギリシャ悲劇の悲劇というものの型なんです。その型というのはたとえば水戸黄門などで強力に定義しているわけです。だから、もうわかっていたって、あの野郎はいまに必ず「頭が高い」と言いだすに違いないとか、印籠を出してこうやるに違いないと思っているとちゃんとそうするでしょ。それでもまた来週の水曜日に見る、視聴率が高いわけです。
 つまり、それはなぜかというと、ああいうのは型なんです、型の強さとかいうものは、ある原型というものに触れているわけです。これは時代的にも原型なんですけど、あるいは、人間の心の原型みたいなものがあるでしょ。人間の心というのはそうでしょ、つまり、ある言葉に対応する場合に、非常に事柄自体が難しい場合であっても、散々つらいめにあったり、しょげたり、悲しんだりして、散々痛めつけられて、どうしようもなくなっちゃったときに、フッと出ちゃうのが人間の原型でしょ。心の原型でしょ。それから、ふるまいの原型でしょ、あるいは、生活の原型でしょ。だから、その原型が物語の原型として、つまり、ギリシャ悲劇ならギリシャ悲劇としてあるわけです。
 だから、それは人間の心の原型というのを踏まえているかぎり、型というのが強力であるということが、わりに民俗的な流行歌謡とか、そういうものに流布されている物語、そういうものにとっては型が人を打つんです。
 ところが、ある時代の専門のといったらおかしな言い方ですけど、ある言葉なら言葉の、芸術なら芸術に携わろうとか、絵画に携わろうとか、小説を書こうとしているというような、それは個の力でもってやろうとしている、そういう人にとっては、型というのは絶えず壊すべき問題なんです。それを壊せなければ必ず負けるんです。
 なぜならば、必ず通俗的なものに負けるんです。通俗的な小説とか、通俗的な物語とか、大衆小説とか、大衆歌謡とか、そういうものの強さというのに必ず負けてしまうんです。なぜならば、そういう型は無意識のうちに原型というもの、人間の心の原型というもの、あるいは、悲劇という物語の原型というものを無意識のうちに踏まえているからです。
 ところが個々の一人が、あなたがたとえば詩を書こうと思った場合には、もうそんなのは原型なんて踏まえてはいないのです。あなたの持ち物だけで、内面の問題だけで、詩なら詩を書こうとしても、そういう人にとっては、強力な型というのは敵なんです。敵と言ったらおかしな言い方ですけど。それにのせられたらかなわないんです、絶対にかなわないんです。流行されているものにかなわないんです。
 だから、それに対して絶えずそれを壊すということがようするに詩を書くことであり、小説を書くということであり、絵画をやることでありということは、たえずそうなんです。一人の人間が心でそう思って、自分で意識してそうしようと思ってやるのは、たえず型を壊さなければいけない。壊すことが重要なんです。一瞬でもそれを壊さなければ、あるいは、壊すことをやめて型に従属したならば、じぶんが通俗化するか、じゃなければ通俗的なものに負けるんです。必ず負けるんです。
 だけど、もし逆にあなたが大なり小なり大衆的な意味あいで、その強力な意味をもったそういうもののジャンルというものに、あなたが自分を打ち込んでいこうとするならば、それは型というものを大なり小なり踏まえなければダメなんです。
 型の強さというものは、歴史の強さというものがあるんです。人間の言語の歴史の強さ、それから、人間の心の歴史の累積というのがあるんです。だから、型を踏まえるということは、少なくとも、大衆的な意味あいのジャンルの芸術において、あなたがやる場合には、必ず型を踏まえなければいけないです。あるいは、型を意識しなければ絶対ダメなんです。それを踏まえるか踏まえないかということが大きな問題になってしまう、また、それを意識するかどうかは大きな問題なんです。
 だけど、現代詩なんて少なくともやろうという人はそうじゃないです。型というのを絶えず壊そうとする。持ち物をぜんぶ捨てよう、捨てようと思うわけです。じぶんの持ち物というのは、自分と何かある出来事とか、それだけあればいいというふうに、だいたいそういうところでやるんです。持ち物はぜんぶ捨てるし、壊すということでやっていくわけです。そういうことで、未知の開かれた世界というのに挑戦していくわけですけど。
 そういうジャンルもあるし、そういうやり方もありますし、それから、現代の小説でも原理的な小説というのはあるでしょ、それはいま言いました、決まっているんです、物語の型というのは、小説の型というのはぜんぶ決まっているんです。だいたい、人間の心の型なんです。
 つまり、ある主人公がいて、なにかひでぇ目に遭って、どん底に陥って、それから、どうしようもなくなって、死ぬか生きるか、破滅するかしないかとなった時に、フッとなにか道が開けるようになったというのが、だいたい、どんな悲劇でも悲劇の型なんです。だから、あらゆる小説はみんなその型をほんとは潜在的に踏まえているんです。
 そのうち、わりに前衛的な小説というのは、その型を抜いていくわけです。重要なところをいくつか抜くわけです。抜いてできているのが、前衛的な小説なんです。日本にはあまりないというか、ヨーロッパはやるでしょ、新しいことをやるでしょ、それはなにかといったら、ギリシャ悲劇の物語の型というのから重要な型の定義を抜くんです。省略したり、抜くんです。それがようするに非常に前衛的な小説、そういうふうに理解された方がいいです。つまり、小説というのはそういうものだ、どういう型もないような、初めも終わりもないような、尻尾もないような、何を書いているんだこれはという小説というのは、そう思えても、しかし、それは重要な悲劇、ドラマ、あるいは物語というものの型から重要な定義をいくつか抜いてできているんだという、ちゃんと抜いてあるというか、抜いていることを本人が意識したかどうかは別として、抜いているところでちゃんと型に対して、物語の原型、あるいは、悲劇の原型に対して、ちゃんと対決しているんだというふうに考えたほうがいいです。そういうふうに理解したほうがいいです。つまり、非常に前衛的なわけわからないこれはというのがあるでしょ、小説でも、翻訳のなかでも、それは翻訳がまずくてわからないのもありますけど。だけども、それはちゃんと踏まえているんです。物語とか、語りという、悲劇というもの、ドラマというものの原型をちゃんと踏まえている。踏まえて重要な部分を抜いてるんです。抜くに際しては、ただ素知らぬ顔をして抜いてありますけど、必ずそれは対決して抜いているんです。だから、自分の内面の中にある悲劇的原型というものに対して、物語の原型に対して、それに対決しながらそれを抜いているんです。その抜き方が作家なんです。そういうふうに理解されたほうがいいです。それだから、型というのは必ずしもある部分では重要でないことはないのです。そういう問題なように思います。

18 質疑応答6

(質問者)
 ≪音声聞き取れず≫、いまの歌謡のなかでも、最もリアリティの少ない。ぼくが戦後詩を読んだ時には、≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 あなたはそうおっしゃるけど、ぼくはシンガーソングライターみたいな、あるいは、新進歌謡曲みたいな、そういう人の作詞のなかでは、ぼくは何人かの一人だと思えますけど。たとえば、さだまさしとか、松任谷由実とか、とにかく2,3人の人の中に、ぼくは入ると思っていますけど。作詞だけをみて、そのなかに入るくらいのうまさだなというふうに、ぼくの評価はそうなんです。
 だから、ホームドラマのなりそこないみたいな、そういうあれじゃないかという評価は、ぼくは納得しがたいです。つまり、詩の場合でもそうですけど、詩人の場合でもそうですけど。そういう言われ方というのは、この詩人は社会思想的なことを作っていないからダメじゃないかというのとさして変わり映えのない評価の仕方じゃないかなというふうに僕にはおもえます。
 ぼくはあまりそういう評価の仕方というのをとりたくないです。つまり、主題というものに積極性とか、消極性があるという考え方は、とうの昔に消し飛ばしたというふうに僕自身は思っているわけです。完膚なきまでに消し飛ばしたと思っているわけですから、ぼくはそれとあまり変わらないんじゃないかという気がするから、ぼくの評価の仕方は違いますから、ぼくもそんなにたくさん読んでいないですけど、でも、いちおうそういう人達の類の、残されて集められたようなものというのは、わりに読んでいると思うのですけど。
 ぼくは2,3人の中の一人だとおもって挙げているので、取り立てて特別な理由はないんです。たぶん間違いないと思うんです。何人かのうちの一人くらいのうまさはあるんじゃないかと思っています。

 

19 質疑応答7

(質問者)
 さきほど、現在の詩について、表現として停滞しているということで、存在という言葉をチラッと出されましたよね。それと今日の表題で「過去の詩と現在の詩」ですか、さだまさしというものに対してひとつの規制的な言葉を発想する形式ですね、発想形式を問題にしていたと思うんです。≪音声聞き取れず≫、あるいは、精神医学的な問題になるような状態を契機として出てきたような発想形式というのは、そこから出てきて、現在はそれにもう頼っている。それ自体がひとつの既成性になってしまっているというふうに考えると私は思うんです。先ほどの存在の無ということをチョロッと出されたのはどういう意味あいのことなのか。

(吉本さん)
 具体的にいうと、どういう詩で言えますか、たとえば、精神医学的なパターンみたいなものは。

(質問者)
 たとえば、シュールレアリズムでもいいですし。

(吉本さん)
 そうすると、いまのあれでいうと飯島さんとか、そういう人たちの詩ですか、岡さんとか。

(質問者))
 私はあまり詩をやっていないものですから、たまたま書店でチラッと眺めた時に、言葉のつながっていくものを眺めていると、そういうものを感じて。

(吉本さん)
 ぼくの思うには、日本のいまの詩人でいえば、飯島さんとか、岡さんとか、そういう人、わりにシュールレアリズムの影響をたくさん受けてきた詩人は、詩が書きやすいんじゃないかなという、漠然たる感じを持っていますけど。書きやすく、書いてるんじゃないかなって、あるいは、書きやすくなっているんじゃないかなって感じを持っているんですけどね。
 だから、そうじゃなくて、言葉というものを欲張るというんでしょうか、言葉というものに存在感から流行感まで、つまり、効力感とか、その中間にある言葉の持つ機能を全部の言葉に負わせないと収まりがつかないみたいな感じ方で言葉を使ってきた詩人には書きにくくなっているように思いますけど。また、書きにくくなっていくような気がしますけど。
 そのときに、その書きにくくなっていくなり方がどういうふうにしてそうなっていくのかといったら、生活感も、社会感も、それから、その外枠自体も社会自体もさして変わり映えがしないし、母機もなくなっていく、それがついに存在感自体もまた動きがなくなって、どうしようもなくなっていくというような感じ方になっていったときには、言葉に様々な機能をぜんぶ負わせなきゃ収まりがつかないように詩を書いてきた人たちというのは、詩が書きにくくなっていくんじゃないかというのが、ぼくは実感的に感じている感じ方なんですけどね。だから、やがてしかし、そういうふうになってくるような感じを持っていますけどね。だんだんそうなっていくに違いないなという感じを僕自身はもっているということなんです。だからもっと具体的に、この詩人が書いているような詩というふうにあれしてくださると大変わかりいいんですけど。だいたいよろしいですか。(会場拍手)



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