1 司会

■■(不明)。を迎えてお話しをして頂くことになった訳で御座います。但し、題を頂いておりませんので、どういうことになりますか。これは先生ご自身の口からお話し頂くことであると思っております。大体予定は中休みを取りまして、前後2回お話をして頂く、その後質疑応答といいますか問答形式で後を締め切って参りたいと、こう思っている次第で御座います。尚恐れ入りますがそのマイクは録音用で御座いまして、入っておりませんので・・・。

2 思想ということ、信仰ということ

 ただ今、紹介に与りました吉本です。えーと何を話するかっていうことなんですけども、『最後の親鸞』以降、にわか勉強をしましたことがありまして、そのにわか勉強したことをまだ充分に咀嚼はしていないんですけども、しかし勉強したところで、その後をお話ししてみたいというふうに思います。それで、今、題ということを仰ったんですけども、大凡触れたいことは1つは、信ということで―信とは信ずるの信―それから不信ということの問題、それからもう1つは造悪って言いますかね、つまり進んで悪を為すということはどうしていけないのかという問題と、それから関連して来る訳ですけれども、善悪をどういうふうに考えるべきなのかという問題と、それから最後に上手く、上手く喋れましたなら、自然法爾をお話ししてみたいと思います。全体的に言いたいのは、やはり親鸞についての僕は批評家な者ですから、親鸞論と言うことになると思います。で、初めに皆さんは、真宗の信仰という立場になる訳だと思いますし、僕は『最後の親鸞』の場合もそうでしたけれども、思想、親鸞の思想という所に重点を置いて論じ、問題にして来た様に思うんです。そして信仰ということと思想ということ(とが)、どこが違うかっていうと―違わない所が多いんですけれども―違うとすれば―皆さんは違わないと仰るかも知れないから、それはまた別ですけれども―信仰といいますと、例えば親鸞について語るっていう場合に信仰っていう場合には内側から、内部から親鸞を語るっていう、つまりあくまでも内部の側にあって語るっていうということにどうしてもなって行く、けれども思想っていう場合には、例えば親鸞なら親鸞を論ずる場合でも信仰の内部から語るっていうよりも、信仰の内部と信仰の外部の境界の所に踏み絵みたいな踏み石を置いといて、そして1人の宗教家である思想家である、そういう人を取り上げる、そういう人について考えるというのは、そういう所がいってみれば違うと思います。内部にも行くのかも知れないですけど、外部にも行ってしまう、そういう所が多分思想ということと信仰ということを強いて分けてしまえば、そこが違うといえば違うというふうに言えると思います。
 ここら辺りから段々僕自身の独断になって来ますけれども、親鸞という人は偉い宗教家・宗教者であると同時に、今言いました思想という立場から信仰以外の場所から見ても大変、対象として取り上げても充分に耐え得る―充分に耐え得るというのはおかしな言い方ですけど―大変日本では珍しい、充分に耐え得る思想家だって僕には思われるので、そういう立場からもう1度問題にしておきたいというところが話の始まりになって行きます。

3 『後世語聞書』と『歎異抄』

 で、1つどこから入っていくかっていいますと、親鸞が法然の他に傾倒していた浄土宗の先達に隆寛という人と聖覚という人と、両方・2人いる訳ですけども、隆寛の『後世物語』、或いは『後世語聞書』とか、いろんないわれ方をしていると思いますけども、『後世物語』ってのは親鸞は盛んに晩年に手紙の中で、これを読めっていっている本なんですけど、隆寛のいったことの聞き書きだっていうふうにされています。きっと確定するにはまだ難しいのかも知れないですけども、『後世物語』、あるいは『後世語聞書』って言う文章がある訳ですけど、そこで丁度『歎異抄』と同じ様な質問と、同じ様な問題の答がなされている訳です。ちょっとそれをあれしてみますと。
 またある人がいうには念仏すれば、一声一声に無量の生死の罪が消え、光に照らされて、心が柔和になると書かれているとのことです。然るに、念仏して年久しくなりましたが、三毒煩悩も少しも消えず、心もいよいよ悪くなっていく。善心が日毎に増してくるということもありません。そういう時に、仏の本願を疑う訳ではありませんが、我が身の様な悪い心根では、たやすく往生の様な大きなことを遂げられるとは思われません。
 というのが『後世物語』の中に質問があって、それにまた同じ答がある訳であけですけども、それに対して師が言った
このことは誰でも人が嘆く心根です。誠に迷える心というべきだ。我が身の罪によって往生を疑うのは、仏の本願を軽くみることではないか。これは信心のかけた心である。また別ないい方をすれば、先にいった至上心―至誠心ということですよ―(を)まだ心得ないからだ。お前は心を静めてよくよく聞きなさい。この現身において罪が消えて心が善になるだろうということは、決してあり得ないことなんだ。そうあり得るとすれば、即身成仏ということがある筈だ。どうして穢土―穢土っていうのは汚い現世という意味でしょう―穢土を嫌って浄土に生まれようという道があるんだ。全て罪が滅するというのは、臨終の最後の一念に込めてこの身を捨てて浄土に往生することをいうのである。然ればこそ浄土宗と名付けたのである。
 『後世語聞書』の中にそういう箇所があります。これは『歎異抄』の中にも同じ箇所があるのは皆さんの方がよくご存じのことで、『歎異抄』の中でいえば念仏をしても踊躍歓喜の心が起こってこない。それから浄土へ行きたい心が起こらないのは、どうしてなんだというふうに唯円が訊くと、親鸞がそれに対して自分もそう思っている、思っていた。お前もそうだったのか。よくよく考えると天に踊り、地に踊る程の嬉しい・喜ばしいことなのにことを喜ばないのだから、いよいよ往生は一定だと思うべきでは無いのか、で、もう1つ肝心なことは喜ぶべき心を抑えて喜ばせないというのが煩悩のせいなんだというふうに、親鸞は『歎異抄』の中でそう答えている訳です。で、この問いっていいますか、どうして念仏を唱えても嬉しい心が湧いてこないのかとか、どうして念仏を唱えても少しも善心・いい心が湧いてこないのかっていう問い自体を取り出して来ますと、『後世物語』の場合でも親鸞『歎異抄』の場合でも同じ様な問いである訳です。つまり同じ様な問いであることはどういうことかっていうと、浄土宗の教義・教理・浄土宗の理論というものでは、多分法然でも聖覚でも隆寛でも、皆大体同じところまで、行くところまで行ってるっていうことだと僕には思われます。

4 『歎異抄』の思想的問題

 ただ、答え方というと『後世物語』、あるいは『後世語聞書』というものと、『歎異抄』に出てくる親鸞の答え方っていうのが違うっていうことが判ります。何が違うかっていうと、『後世語聞書』では1ついっていることは、自分が罪深い身であるということで弥陀の本願を疑っちゃあいけないんだということが、1ついわれていること。それから自分がこの現世に於いて、我々が現世に於いて罪が消えるなんてことはあり得ないんだ。あり得ないから、だから本願に到達する場合に、罪は滅することは無いのだけれど、念仏を唱えても罪が消えることは当たり前のことなんだけれど、最後の最後の一念の所で浄土へ転出するんだっていう、そういう答え方を『後世語聞書』(?)ではしている訳です。その答え方は何かっていったなら、やはり一種の教義的な、理論的な答え方だっていうふうにいえばいえると思います。それに対して『歎異抄』に出てくる親鸞の答え方っていうのはそうじゃなくて―何ていいますか―自分自身の罪は消えないとか、自分自身はどうせ罪は消えないだという問題は、非常に―何ていったらいいでしょうか、いう言葉は無いけれどいってみれば―よく身についているっていいましょうか、身についたいい方をしている訳です。唯円が、どうして念仏を唱えても嬉しい心が出てこないのだろうといった場合に、自分もそうだと思っていたというふうに答える訳です。それでそういうふうな答え方っていうのは正直ということ、オネスト(Honest)と違うわけです。つまりそう答えられること自体の中に含まれている1つの思想的な問題がある訳です。その思想的な問題というのは様々ないい方が出来るでしょうけれども、1つは教義的ないい方、教義的な意味合いからいえばね、これは源信『往生要集』以来そうなんですけれど、そうであるし、また法然も盛んにそれを問題にして来た、問題にして来ている訳だけども臨終正念という考え方がある訳なんです。つまり臨終の時に念仏を唱えられれば往生できる、つまり臨終の時の念仏に非常に大きな重さをかけるという思想ってのは、源信以来『往生要集』以来吹っ切れていない訳で、法然もまたある意味で吹っ切れてない訳です。そこんとこは頻りに問題にしている訳です。ただ法然ってのはどこが―例えば源信なんかと―どこが違うかっていうと、臨終正念ということをいうけれども、臨終の時には人間ってのは、もの凄く苦しいんだということをいっている訳です。そのことをもの凄くリアルにいっている訳です。もの凄く苦しくて、念仏なんか唱えるなんてことは出来ないよと言うことをいっている訳です。出来ないんだよ。だからそういう意味からいって、臨終の時に念仏を唱えるってことに重点を置くっていうことは、本当は意味が無いんだよということを法然はいっている訳です。で、それに対して親鸞の答え方、『歎異抄』に出てくる親鸞の答え方は完全にその問題を吹っ切っている訳で、当たり前なんだよ、当たり前なんだよと言うこと、つまり臨終正念と言う考え方(は)理念的にその問題・理論的にその問題は既に親鸞では吹っ切れてちゃっているっていうふうにいうことが1ついえると思うんです。

5 親鸞の逆接と<造悪論>

 で、もう1つは、そういう所が思想っていう立場から1番興味深いことなんです。親鸞の中で1番興味深い、親鸞の考え方の中で1番興味深い関心のあるところなんですけど、1つの逆説っていうことだと思うんです。逆説っていうものの構造を考えてみると、今の『後世物語』或いは『後世語聞書』の逆説っていうのは、罪なんて絶対消えないものなんだ、だから善心なんて生じようはある筈がないんだ。だからこそ、だからこそ要するに本願っていうのは絶対的に信ずることに足りるものなんだ。つまり人間っていうのは罪は消えない、それから人間なんて善心を生ずる(?)筈はないっていうことは、そのことは逆に本願の絶対性というものを、謂わば保証するものなんだという一種の教理的な逆説っていうのがやはり浄土宗ないしは浄土真宗の思想の非常に大きな意味合いだろうと、思われるんですけども、その場合に『歎異抄』に出てくる親鸞の逆説っていうのは、既にもう―何ていいますか、どういうふうにいったらいいのでしょう―本願を信ずるっていうことはもう不信ということ・信じないっていうこと、あるいは人間が悪だとか罪だとかというそのこと自体を、信と言うものを全部同一化しちゃっているっていうふうにいえばいえるって思います。そういう逆説っていうのは一種の思想的な逆説―単に教理的なっていいますか、理論的な逆説を、教理的な逆説を越えちゃって― 一種の思想的な逆説なんだっていうふうに言えばいえると思います。そこんところが親鸞、親鸞の思想っていうのが本当は浄土思想としては極限まで行ってしまったというふうに思われるところだってふうに考えられる訳です。で、ところがそういうふうに逆説っていうものをそこまで進めてしまえば、それならば信ずる者もそれから信じない者も皆同じじゃないかってことになる訳です。信仰したい人は信仰すればいいし、信仰したくない人(?)は信仰しなければいいんだと、もし信仰しなくても信というものが、つまり本願を絶対的に信ずるっていうことが不信というものを全部包括してしまうなら、信仰することも信仰しないことも同じじゃないかという考え方が当然出て来る訳ですし、それから―何ていいますか―善悪についてもそれじゃぁ強いて人間は善をしなくても、善なる行いをしなくてもいいじゃないかと、いいことになるんじゃないかと、それで今度もっと極端に成って来ますと、人間ってのはどうせ救われるならば、罪深くてどうせ救われるならば進んで悪をなしたっていい筈じゃないか、そういう考え方と言うのは当然親鸞の思想の所まで行ってしまえば、当然そういう考え方って出て来る筈だっていうふうに思われる訳です。だからそこの所は、多分親鸞・親鸞教徒って言いますか、初期の親鸞教団にとって1番大きな問題であったし、また実際問題として親鸞教団が関東で善鸞の事件を含めて大揺れに揺れたってのはなぜかっていったらば、今の問題なんであって、そういう逆説―驚異的な逆説―を乗り越えて、人間の善悪について何も善を行うことなんか何も要らないよ、何も必要ないじゃないですか、もっと極端にいけば進んで悪を為したってかまわない、いい訳じゃないか、そういう問題が実際問題として当然出て来る筈なんで、当然出て来るから当然出て来たんで、それが初期の親鸞教団にとってあるいは親鸞の生涯にとっていわば最大の事件だった様に思います。それを処理することが、親鸞にとって相当大きなエネルギーを使った点じゃないかなと思われます。
 もう少し―親鸞の考え方の進み具合を、もう少しあれしてみますと、『歎異抄』に現れている親鸞でね、こういうことが問題になると思うと思うんです。つまり唯円の問いに対して答えて、浄土へ往くことは嬉しいことなんだ、それで現世、嫌な現世ってのを離れることも嬉しいことなんだと、それなのに嬉しい心が湧かないのはどうしてなんだと。嬉しい心が湧かないのは当然なんだ。至極当然なんだと。しかしそこの所で『歎異抄』の親鸞で微妙な答え方がある訳ですけども、それは喜ぶべき心を抑えて喜ばせないのは煩悩のせいなんだと言うことをいってる訳です。喜ぶべき心を抑えて喜ばせないのはということは、それは煩悩なんだ。だから喜ぶべき浄土へ本願に拠って一挙に超出出来るんだということが、その後続く訳ですけども、しかしそこで一般的にいえること― 一般的に親鸞がいわば余韻としていってることは、人間の中に抑圧すべき、つまり善を行うにしろ悪を行うにしろ、つまり善を行おうとすれば思いっきり善を行うことは出来ない心ってのが人間の中にある。それからそれならば悪を行おうとする、つまり悪を行おうとすると―その悪が大きな悪であれ小さな悪であれ―悪を行おうとすると何か悪いことをするってよくないんじゃないかという心が誰にでも起こってくる訳です。で、本当は親鸞が余韻の中でいっていることはそのことなんだ。人間は善を行おうとしても、本当の意味で善を行おうとしても、こんな善を行うのは何かバカバカしいじゃないかってな、疑いとか抑圧心とか、そういうのが起こってきます。それから悪を行うとしてもスッキリと行うことが出来ないと言うことが、割に人間の現実的な在り方なんで、それは多分善悪に関わらずそうなんで、善行であれ悪行であれ、野放図に善行を行うとか野放図に悪行を行うということは、多分どんな人間にも出来ないということがある訳なんです。それで、多分親鸞は、『歎異抄』の中に出て来る親鸞は同時にそのことをいっているので、「喜ぶべき心を抑えて喜ばせざるは、煩悩の所為なり」ということは逆にいうと、悪いことをしようとしても、悪いことをさせないのも煩悩のせいなんだということを、逆にそういうことも余韻としていっているので、多分そこの所が親鸞に於ける煩悩具足の凡夫といういい方、現世に於ける人間の在り方っていうものに対する考え方で、多分親鸞が大きく歩みを進めたのは、そこいら辺のところが1つあるんじゃないかっていうふうに思われます。そこんとこは多分親鸞が大変多く、逆説として『後世物語』から(の)、進んで突き詰めてしまったところだと思われる訳です。

6 <造悪論>をめぐって ─『末燈抄』

 で、今度は今の『後世物語』と『歎異抄』のきき方に即して、もう少し親鸞の考え方の進み具合ってのを突き詰めて行ってみますと、なぜそれじゃ進んで悪の振る舞いをしてはいけないのかという問いに対して、『末燈抄』の中で考え方を進めている考え方がある訳ですけども、それは1つは悪というのは、悪を行うとはどういうことなのかっていうと、初めに悪を行ったり、盗み心があったり、煩悩があったり、そういう行いがあって、初めにそういう行いがあって、そして念仏に帰依していく過程で、悪心というものがひとりでに消えて行ってしまうという、そういう過程というのは悪というものの在り方っていいますか―悪というものの在り方っていうのは、人間の中でそういう過程でしか通らないんだと言うことをいっている訳です。つまりどういうことかっていうと―上手い言葉でいうことは出来ないんですけれど―つまり悪としての悪っていうのは人間には無いんだ。あるいはなし得ないんだと言うことをいっていると思います。つまり悪っていうのはなぜ人間が可能なのかっていえば、それは―何ていいますか―善に向かう―あるいは親鸞の信仰の問題としていえば―念仏に帰依していく絶対に帰依していくその過程で以て消えていく様な、そういうものとしてならば、人間には悪っていうものは存在しうると。しかし悪そのものとしての悪とか、あるいは悪をする為の悪っていうものは、人間には存在し得ないという考え方が、『末燈抄』の中で出て来る親鸞の考え方にあると思います。つまり悪としての悪なんてものは人間に可能でもないし、またあり得ないんだ。つまり悪ってものは、何か人間が何か行為をしていく場合に、何か考えていく場合にその過程で出て来る訳だけれども、それは何か一種の消えゆく過程でしか、つまり消滅していく過程としてしか悪ってのは出現しないという考え方ですね。つまり悪を悪として取り出すことが出来る様な、そういう悪行・悪の行いってのは人間には可能でない、どんな人でも可能でないという考え方が、やはり突き詰められて出て来ているっていうふうに考えられます。
 それからもう1つ、『末燈抄』の中で、なぜ進んで悪を行ってはいけないのかということに対して(の)答え方として、自分が悪を行って現世の悪っていうものに加担しながら、そして現世を嫌い浄土を願うってのは矛盾ないかということを『末燈抄』の中の親鸞はいっている訳です。つまり自分で以て悪に加担しながら、現世の悪に加担しながら、しかも現世を嫌うってのは矛盾じゃないかと、だから進んで悪を行うことは為してはならないことなんだってないい方をしている(?)。それからもう1つ人間が悪を出来る―もう1つ進んでいる考え方ってのは、人間が悪を行うことが出来るってのは、よくよく考えてみると自分が悪であるっていうことを、本当は自覚してないんだよということを、親鸞はいってると思います。そういう考え方を進めている(と思います ?)。 つまり悪が出来るとか、悪の行いを出来るっていうことはいってみれば、自分が悪機であるということを本当の意味では知らないから、そういうことが出来るんだよぉという言い方を『末燈抄』の中でしていると思います。その考え方は、やはりつまり浄土教義というものの一貫性からは境界を踏んでいるっていいますか、信ずる者も信仰しない人間にも通用するところまで、悪という考え方を進めている点だっていうふうに、僕には思われます。そういうところが『末燈抄』の中で取り出して来ることが出来ると思います。それからそれは同じことなんですけど、例え話でいうと要するに、治す薬があるからといって毒を好きになれということはないだろうっていう言い方をしている訳です。つまり何かっていうとね、ちょっとここら辺の親鸞ってのは、少し悲しい訳なんでして。つまりこれはね相当な大きな問題なんですよ。つまり初期の真宗教団にとってね。つまり親鸞の教団にとってはね、関東に於ける真宗の教団にとってはもの凄く大問題だった。異端邪説が沢山出て来て、最たるものは、そんなのが進んで絶対に摂取されるならば―浄土に摂取されるならば、悪人であろうと善であろうと摂取されるならば―それじゃ進んで悪をしたっていいし、思いのまま振る舞ったっていい筈だって言うことを教えるという、そういう異端が普及して来る訳でしょう。そこにわが子善鸞の問題が絡んで来る訳で、そうすると大揺れに関東教団というのは大揺れに揺れる訳です。親鸞はそこんとこで必死になって防ごう、教理的にも理論的にもそれは間違いなんだって言うことをいう為に、あらゆる考え方を動員して来ている訳です。で、その動員の仕方ってのはとっても教育的(に)―教育的っていうのはおかしいですけど―非常に、非常に悲しい訳ですよ。つまり基本的なトーンってのはいけないんだよ、進んで悪をしちゃいけないんだよ、そんなことは判っているだろうっていうふうに、判っているだろう、だけど唯判ってるだろうといったってそんなこたぁいうこと聞く訳ないので、だもんだからそれを何とかして理論的にそれをいおうとする訳です。だからいろんな面から親鸞はそこで理論的にいってる訳です。だから多分そこら辺で、いろんな考え方を親鸞は進めています。

7 <煩悩具足の凡夫>たる資格

 で、もう1つ親鸞はそこで『末燈抄』の中で、考え方を進めていることは、煩悩具足の凡夫ってのは何なのかということについて、やはり1つの考えを進めているっていうふうに僕には思われます。それは一般的にいうと、人間はほっとけば、現世に於ける人間ってのはほっとけば、皆煩悩具足の、至らない煩悩具足の凡夫なんだと。それは罪も行うし悪も行う、それから善ってのは出来るだけ行わない様にしようと。そういう様に、ほっとけばそういう様になってしまうんだと。そういうのを煩悩具足というんだと。で、そんなこたぁ例えば弥陀・釈迦もよくご存じであると。よくご存じなんだからいわば四十八願に全部摂取してみせるという考え方を出してきたんだと。こういうふうな言い方を浄土教義ではしている訳です。煩悩具足とは何なのか。ほっとけば人間ってのは現世で皆煩悩具足である。それは煩悩具足の凡夫ということの本当の意味なんだっていうことは、多分それは浄土教義の(が)理論的に言っていることなんです。ところが親鸞は『末燈抄』の中でその考えをもう少し進めている訳です。というふうに僕は読み解くことが出来ます。それは勝手な読み方ですから当てにしないでくれればいい訳ですけども。もう1つ親鸞が進めていることはね、煩悩具足ってのは唯ほっとけば、つまり現世における人間ってのはほっとけば善を好まないし悪は遣る。それでほっとけばいいことをしようとは思わないと。なるべく面倒なことはしたと思わない、それから悪いこともしちゃうと。途轍もないことも考えちゃと。いってもみちゃうと。それから思ってもみちゃうと。それが煩悩具足だと。それだけでは煩悩具足の凡夫とはいえないんだと言うことを、親鸞は『末燈抄』の中でいってというふうに思われます。それはどういうふうになれば、煩悩具足の凡夫といえるかというと、それは煩悩具足ということを自覚できる時に初めて煩悩具足・煩悩具足の凡夫といえるのだということを親鸞は暗示している、つまり余韻としてそういうことを『末燈抄』の中でそういう考え方を進めているように思います。つまり煩悩具足ってのは絶対に、往相というところから捉えたら、(ところから)だけじゃ煩悩具足とは絶対にいえないんだと。一種の還相という過程から煩悩具足を捉えなきゃ煩悩具足の凡夫とはいえないんだ。つまりもっと極端な言い方をすると、煩悩具足の凡夫の資格っていうのは何かっていったならば、単にこの現世に於いて我々はやっぱり罪深い人間なんだなぁていうふうに。それで悪は遣りたいし遣っちゃうし、善はなかなか遣りたくないんだなぁていうふうな、それだけじゃ煩悩具足の凡夫とはいえないんだよということを、親鸞は『末燈抄』の中でいっていると思います。それでは煩悩具足の凡夫ということの資格はないんだ。それでそうじゃなくて、内省的・自覚的に煩悩具足の凡夫ということが捉えられたら初めて、その時に煩悩具足の凡夫ということが完成するんだ。つまり煩悩具足の人間・凡夫である我々だということが初めて完成するんだっていう考え方を、親鸞は『末燈抄』の中で出してきているっていうふうに、僕は思われます。どういうふうに出してきているかってことはここに僕は抜きだしてあります。それは別として、そういうふうに思われます。ですからそれじゃ進んで悪をすることの出来る資格ってのは、今度逆にいうと進んで悪行をしていい―僕は極端な言い方をしますから、耳障りかも知れませんから、それを思って聴いて下さい―進んで悪をなすことが出来る資格っていうのはそれじゃ何なんだ、そういう資格はどういう人間にあるのか、それはいわば今いいましたように煩悩具足ということを還相過程から自覚的に・内省的に捉えられることが出来た、そうした時に初めて人間は進んで悪をなす資格があるんだということをいっていると思います。つまり外から煩悩具足の凡夫っていうふうに、外から名付けたり、それから外から見える様に進んで悪をすると、「あぁ悪いことをしやがった」っていうふうに外から名付けられる様な悪の仕方をしている、そういうやつは煩悩具足の凡夫たる資格は全然無いんだ。だから謂わば弥陀の本願に摂取される資格は無いんだっていうふうにいっていると思います。それならば本当に煩悩具足の凡夫たる資格、あるいは進んで悪に接近することが出来る者、あるいは進んで悪を遣ってもいい資格があるっていうのはどういう人間なのかっていうことは、それはつまり悪を好む者に近づくことが出来るっていう、そういう言い方でいってると思いますけども。それは「浄土に参りて後、衆生利益に返」った後だといっている訳です。つまりこんな言い方を■■■(不明)すれば、今の言い方で言えば、慈悲という考え方でも善悪という考え方でも、還相の過程から善悪っていうのを捉えられた、そういう人間は悪に近づく資格■■■(不明)そういうふうに捉えられた時初めて、そういうふうに慈悲というものを捉えられた時初めて、人間ってのは悪に近づく、あるいは悪をなす資格が初めて出て来るんだよということを親鸞は『末燈抄』の中で言っていると思います。だから煩悩具足って言う、煩悩具足の凡夫という考え方自体をも、親鸞は謂わば、つまり初期の親鸞教団が進んで悪をなしてどうして悪いか、そして悪をなす思いのままの行為をしてなに悪いのか、思うのままことを思い、言うがままのことを言い、遣るがままのことを遣ってどうして悪いのか、全部本願が摂取するならそれでいいじゃないかという、そういう異端邪説とそういう実行者に対して、親鸞が防止・防衛する為に頻りに説いてる訳ですけど、その説き方―親鸞の必死な説き方の中でいわば煩悩具足の凡夫という、そういう考え方を一歩進めていっていると思います。それで進んで悪をなすことがなぜ悪いかっていうと、進んで悪をなす資格のある者は、実に煩悩具足の凡夫ということをいわば内省的・自覚的過程から、いわば還相の過程から本当に捉えた者が初めて・初めて煩悩具足の凡夫といえるのだから進んで悪をなす、つまり外から判るように悪をなすなって言う人間には本当は煩悩具足の凡夫(と)いう資格さえないんだということを親鸞は説いている訳です。で、そういう考え方の過程でいわば一種の還相過程―往相過程からではない還相過程からの煩悩具足の凡夫ということの考え方を一歩進めているっていうふうに、そういうふうに読み取ることが出来ると思います。

8 善鸞の問題

 この問題に対して善鸞―自分の子供の善鸞の問題が絡んで来る訳です。これは研究家の人(達)に訊いてみなくちゃ判らないですけど、僕にはあまりハッキリしないことがある訳ですけども、大雑把なところは今言いました様に、「どうして進んで悪をなしちゃいけないいだ」と。「遣れ遣れ、遣ったっていいんだ」と異端邪説が大いに興って来ると、「思うがままに思い、遣るがままに行い、聞くがままに聞き、言うがままに言っていいんだ」。そういう教義もドンドン出て来る、そしてそれを実行する、またそれを教える、そういう人達も沢山出て来ると。それに対して防戦する真仏とか性信とか、つまり親鸞が割合信頼しているそういう弟子たちが、おおいに防戦これ努めるってなことが1つある、防戦しても及ばない様な勢いですが異端邪説が蔓延していく、そういう大揺れに揺れるてなところ(に)善鸞の問題が絡んでくる訳です。善鸞の問題ってのは、「自分は親鸞の意向を汲んで来たんだ。自分は親鸞から―父親の親鸞から夜秘かに自分だけに伝授された法門ってのがある」と。「その法門ってのは関東集団で念仏の指導者に教えている、そんなもんとは全然違うんだ」(という)、そういう言い方をして善鸞が信者を獲得していく。それで関東集団で殆ど親鸞の教義ってのは、やせ細って行っちゃう。大揺れに揺れた。その揺れ方は2つの揺れ方があって、善鸞の言い方の揺れ方―つまり自分は父親から秘かに授けられた法門があるってな、そういう言い方で揺れていく揺れ方と、もう1つは進んで「悪をなしたってどうして悪いんだ。思うがままのことを思い、言うがままのことを言って、遣るがままのことを遣ってどうして悪いんだ」。そういう揺れ方と。いわば2つの揺れ方があると。それに対して、親鸞の意向を汲んで防戦に努める、そういう人たちもいる。そういう揺れ方の中で一種の弾圧の口実、つまりあいつらでたらめなことをするってな、弾圧の口実(が)起こってくると。それは多分関東の、初期の関東の教団の揺れ方の1番大きな問題だっただろうと思われます。詳細のことはなかなかよく判らないことがあって、僕にはよく判りませんけれど、大筋のところでそういう思想的にいえば、そういう問題が渦巻いていたんだって思われます。で、そういう過程の中で親鸞は「善鸞に対して、善鸞にそんなことを夜教えた覚えは全然ない」と。「そんなのは全然でたらめだ」と。善鸞が本当に言ったこと―秘かに授けられた、親鸞から授けられた法門ってのは何なのかっていうこと、それについて本当のところは、ちょっとよく判らないところがあるですけども、なぜそれ(を)「自分が秘かに夜教えられた、受け継いで教えられた、伝承された、それが正しい法門なんだ」っていうふうないわれ方が、なぜ起こるかっていう理由は、判るような気がする、思想的に判るような気がする。それは非常にいわば事柄の2面の様なもので、進んで悪をなしてどうして悪いんだってないわれ方の、丁度裏返しなんだ。ある1つの自衛的・儀式的な契機なしに信であるか、信仰であるか、不信であるかということを、決めることが出来ないであろう。つまりそれは親鸞の思想の中にある、1番大切なところである様に思われますし、また同時に、いわば1番誤解されやすいところでもあるし、1番言ってみれば危ないところでもあるでしょうと、思われるところなんですけれども。そこんところで例えば、ある儀式的な・儀礼的な・宗教的な手続きって言うものを、踏むことなしに、踏み切ることなしに、心を不信から信へと転換することは、人間には出来ないじゃないかっていう考え方ってのは、それこそ誰にでもある訳です。つまりそこのところを多分、善鸞ってのは突いたんだっていうふうに思われます。僕にはそう思われるんです。つまり思想的にはそういうことだと思われます。それは同時に、親鸞の思想の中にある一方の「進んで悪をなしてどうして悪いんだ。だから悪をなしたっていいぞ。遣れ遣れ」っていう、そういういわれ方っていうのが一方に起こるのと、丁度裏返しに、やっぱり人間の信仰に入るか、信仰しないかということの切れ目・境目のところでは、一種の転換というものが要るんじゃないのか、人間には。つまりある内面的―非常に内面的、誰にも判らないような、あるいは師匠と自分しか判らない様な、一種の宗教的な手続き、あるいは儀式的な手続きが要るんじゃないのか、入信の手続きが要るんじゃないのかってことは、誰の心にも起こり得る訳なんです。これは必ずしも仏教の信仰だけに限らないんあって、マルクス主義の場合だって何だって同じなんです。マルクス主義を信じるか信じないかってこと、これを信じるか信じないか、これ認めるか認めないかってな場合も、(何か)不信から信へ行く場合に、何か一種の儀式的なっていいますかね、自分は信仰をしたっていう、何かそういう手続きみたいな、あるいは心の転換みたいなものといいましょうか、誰にも告げられないけれども自分自身の中にだけはある、法悦って言ったらおかしんでしょうか、そういうものがないと、あるいは法悦を起こす手続きっていうものがないと、人間ってのは不信から信へ踏み切れないんじゃないかという考え方(は)誰にでも起こる、あり得る訳なんです。つまり善鸞が説いたことの内容ってのは僕には判らないんですけれども、しかし善鸞は多分そこのところで、自分は父親から秘かに授けられたそれだけは、正しいんだよっていう言い方が出来たんだろうし、またそこんところを突いたんだって思われるんです。

9 親鸞の悲しみ

 それに対して親鸞は現実的には善鸞を義絶する訳です。つまり親との縁を切る訳です。親との縁を切る場合に親鸞はどういう言い方をしているかっていえば、「俺が全然そんなことを言ったことも、遣ったこともないことを触れ回っている」と。「それは全く嘘だ」と。「それは謗法だ」。仏教に対する全くの誹謗だっていうことをいっている訳です。それからもう1つ。親に対するもの凄い反逆だと。これは五逆である。五逆である。謗法であるってのは全く途轍もないことである。もっと極端な言い方は親を殺すんだ、殺すことなんだっていう言い方をして、義絶だっていうことをいっている訳です。で、この言い方っていうのは、いってみれば親鸞(は)もの凄く悲しい訳です。どういったらいいでしょう。道徳的な訳です。道徳的っていうのはおかしいんでけどね。正しい教義っていいますかね、理論っていいますかね、浄土真宗の・あるいは浄土宗の正しい理念というのを守らなきゃいけないということはね、親鸞は必死にしている訳ですよ。そのことはとても『消息集』を読んでも、『末燈抄』の中に収録されている書簡を読んでも、もの凄く悲しいです。だからあらゆる意味で必死になって、教理的にも必死になって様々な説き方をしていますし、それからもの凄く護教的だ、護教的な親鸞(を)そこに見ることが出来る訳です。それで、そこでの親鸞ってのは、とても悲しい親鸞が僕には思い浮かぶ訳です。もう少し別な言い方を出来ないのかねぇという言われ方ってのを、親鸞は必死になってしています。教理的にしています。それは『教行信証』と同じ様な意味合いで、同じ様なところから親鸞は必死になって説いている様に思われます。そこでの親鸞は信仰的な、理論的にも様々な問題を出してきて、言い方をして、新しい問題を出してきている訳なんですけど、全体の調子・トーンはとても悲しいなぁという感じが―ここは非常に親鸞にとっては、親鸞の生涯の中では最大の事件であるし、最大の衝撃だったんだなぁということが、よく判る様な説かれ方をしていると思います。そこんところは、進んで悪をなすってのは、どうしていけないんだってな、そういう問題に対する親鸞にとって1番きわどい、1番の問題のところであると僕には思われます。しかしこの問題を通じて親鸞は、信仰・不信仰ということについても、それから善悪ということについても、それから進んで悪をなすことはどうしていけないんだという問題に対しても、それから煩悩具足の凡夫とはどういうことなんだ、本当の意味ではどういうことをいうんだ、それから確かに悪をなすということは、絶対に確かに本願の妨げには絶対にならないんだ。しかし悪を進んでなすことの出来る資格ってのは何なのかってな、そういう問題に対して多分親鸞の独特の・独自の思想っていうものを、遙かに遠くまでその過程で、親鸞は進めていくことが出来た様に僕には読み取ることが出来ます。丁度半分時間が経過しましたので10分ばかり休憩して、また後半を始めたいと思います。
 (司会者)それでは10分間休憩致します。

10 <善悪>の問題 ─ <宿業>という考え方

 いちばん関心があって好きなところなんですけれども、善悪という問題がある訳なんですけれど、善悪の問題でもう1つ新しく出してきた問題があるとすれば、善悪というのは―『歎異抄』にも『口伝抄』にもある訳ですけれども―善悪は宿業であるっていう考え方。つまり善悪って言うのは現世の人間が左右できる問題では本質的にはあり得ないんだとう問題なんです。だから『歎異抄』の言葉でいえば、兎の毛・羊の毛の先にある塵ばかりの「つくる罪の、宿業にあらずといふことなし、としるべ」っていうふうな言葉になる訳ですけども、ほんのこれっぽっちの善悪でさえ、■■■(不明)意志して出来上がった善悪の行為なんてのはあり得ないだ。無いんだと言うことをいっている訳です。この考え方っていうのは、親鸞の考え方の過程でいいますとね―親鸞の思想に影響を与えた人でいいますとね―善導の考え方よりも曇鸞の考え方なんですよ。曇鸞に近い考え方だと思うんですけどね。善悪ってのは人間が今まで悪を進んで遣っちゃぁいけないのかとか、いいとか、そういう論理をして来たと。して来ましたけど、そんなことをいうけど本当(を)いったら、人間の善悪なんてその人の意志で出来る善悪なんて絶対無いんだよ、毛の先程の善であれ悪であれ、全部それは宿業なんだよ。つまり幾世代の過去から幾世代の未来に渡り、そういう生命の―そういう言い方はいけない、通俗的になっていけないですけども―そういう以前から、そういう一種の契機で以てたまたま悪が出て来ちゃったり、行いをしっちゃったり善の行いをしちゃたりすることだって、それ以外の善悪なんて絶対あり得ない。言うまでも無く勿論、人間が意志して出来る善悪なんて全くないんだよ。絶対できやしないんだよっていうふうな言い方をしている訳です。このことは、僕なりの言い方で少し解説をしますとね、僕も割に好きなんでんですよ。人間が意志して出来ることなんて、たいしたことじゃないという考え方は、僕もの凄く好きなんです。ぼくの考え方の根本の中にもあるんです。人間の行為の内で、行いの内で意志して出来ることなんて、たいしたことないよってのは僕の考え方の中にもあるんです。それで僕は信仰者じゃないから、決して宿業だっていうふうに親鸞の様にいいませんけどね、不可避だって言ういいかたをするんですけどね。自分はそう思うんですがね、僕はねたいしてまだ50(歳)位にしか生きてないんだけれど、50(歳)位生きてきた体験から―たいした体験でもないんですけどね―大体自分の意志で以て、意志で以て出来たことって先ずないんですよ。つまり俺はこうなろうと思ってね、なったことなんて1つもないんですよ。初めには多分こうしようとかね、勉強しようとかね、要するにどうしようとかね、遣るんだけどね、大抵それで何とかどうにかなっちゃったっていうことはね、僕は(の)経験上全く無いですね。それから人間はどういう道を行ったらいいのか、どういう道を選んだらいいのかね、どういう道を選んで生きたらいいのかって言う場合でもね、多分意志して選んだ―皆さんだってそうだと思いますよ。つまり俺は揺るがす訳ではないですけどね、信仰を揺るがす訳ではないですけどね、つまり皆さんだって意志して、意志して遣れることとか、遣ったことってたいしたことないですよ。大抵はこれより他生きようがなかったよっていうふうにしか人間は絶対に生きられないものなんですよ。だから子供の時からこうなろうと思って、その通りなっちゃったとか、意志強固になっちゃとかね、意志強固でこういう人間になろうと思ったらね、その通りになっちゃったなんてという人がいたら、お目にかかりたいっていうふうに僕は思いますね。絶対そういうことは人間にはあり得ないって僕は50年の経験上、それは断言できると思います。人間の意志して出来ることなんて、先ずいってみれば半分なんですよ。後の半分はあちらから来るんですよ。現実の方から、現実の方からぶつかってくるんですよ。つまり意志してこうしようと思った場合、思えば思う程現実の方は(から)―何か知りませんよ。それは障害であったり壁であったり、何か知りませんけど―ぶつかってくる。何かそこで揉まれて全然道はない、どこにも道はないって思った時に、何か知らないけど、もうどうしようもないよと思った時に、スーッと1つだけ、スーッとそこに行くよりしょうがないよってな―極めて消極的な言い方をしますとね―そこへ行くよりしょうがないよっていうふうに何か多分道が啓けてくるんですよ。それ以外の啓け方って人間にはあり得ないってのは、僕は経験上、確信して已まない考え方なんです。
 この考え方は割にね、規模は違いますけどね、親鸞の中にあるんです。あると僕は思います。つまり善悪ってのは宿業であってね、決して意志して善行・悪行なんて出来るもんじゃない。意志して出来た善行・悪行なんてないんだよ。本質的にそう言い切った時の親鸞ってのはね、進んで悪をなしていいのか、あるいは進んで勝手なことをしていいのかどうかってなことに対してね、現実的に親鸞教団が大いに揺れる訳ですけれど、揺れに対して親鸞が必死に防戦してる訳ですけど、その防戦してる時の親鸞には絶対に出てこない考え方なんですよ。防戦してる時の親鸞にはあんまり出てこない考え方で、もう少し親鸞が自分の思想に帰った時に■■■(不明)善悪は宿業であって、決して人間が意志して行う善悪なんて、爪の垢ほども、兎の毛の先程も、羊の毛の先程にもないんだよっていうことを、親鸞はその様にいっている、言い切っています。それでそれは親鸞の考え方の中で割に―現象論・実体論・本質論みたいな言い方をすると―現象論の言い方ではなくて、実体論の言い方なんです。善悪の問題はそう言っちゃってますね。宿業なんだ。だから人間なんて絶対に出来ないよ、進んで悪をして遣ろうなんていってね、出来たらお目にかかりたいということを、ハッキリ言っちゃっている訳です。それは多分善導なんかよりも曇鸞の考え方に近い訳ですし、曇鸞よりも親鸞自身の考え方に近い訳なんで、親鸞の独創的な考え方に近い訳です。そういうことをハッキリ言い切っちゃっています。それで僕はそれは正しいんじゃないかなって思います。つまり宿業と言う言葉を僕は使いたくないけれども、しかし人間は意志して善をなして、意志して悪をなして、そんなことは出来る訳がない、そんなふうにして出来る善悪なんてのはたいしたことはないんだ。そんなふうにして出来る善悪はどうせたいしたことはないんだよってのが、僕の根本の中にあります。だから本当の善悪という問題、あるいは本当に人間がこれより他に生きる道はなかったよっていう道ってのは、絶対に意志した道ではありません。意志って言うのは最大限見積もっても半分しか絶対に作用しませんね。後の半分以上は必ず向こうからやって来る問題、向こうからやって来る契機・モメントといいますか、それで以て人間の生き方は決まっていく、またそれで決まってこない生き方ってのはたいしたことないって、僕には思われます。それで多分その考え方とはまるで規模も違うしあれも違うんでしょうけども、しかし親鸞の善悪は宿業であるという考え方は割にそれと似ているところがある。で、それは割に仏教の中に割にある訳です。浄土教の教義の中に、割に後期になればなるほどある訳です。曇鸞なんかの方が、善導なんかよりも曇鸞なんかの考え方の中に、より多くあるっていう問題が1つある訳です。

11 <本願の規模>といういい方

 それからもう1つ関連していえば、『口伝抄』の中に出て来る訳ですけれど、本願は絶対に善悪を選んで摂取するんじゃなく、善悪を選ばず必ず摂取しちゃうんだ(という)言い方の中で『口伝抄』の中での言い方は、もし善人は往生できるが悪人は往生できない、あるいは善機は往生できる、しかし悪機は往生できないという様なことを言うんならば、それは本願の規模っていうものを疑うことになるんだと言っている。つまり規模っていうことを言っている訳ですよ。本願の規模―弥陀の本願の規模はもっと、全然大きいんだぜと言うことをいっている訳です。だから、それに比べて善機だから往生できる、悪機だから往生出来ない、善行すれば往生できる、悪行すれば往生できない。そんなこたぁ、そんなつまらないことを言っているのは、全然規模が小さいんだよっていう言い方を『口伝抄』の中で言っているんです。本願の規模っていう言い方ってのは、やはり『口伝抄』の中で非常に大きな問題だと思います。それは『歎異抄』の中で、悪人は往生する、いわんや善人は往生するはずだっていうふうに■■■(不明)、それは全く関係ない(?)。善人は往生する、まして悪人は往生するに決まってんだってのは正しい言い方なんだって(な)、『歎異抄』の中で言っている言われ方と同じこと―本願の規模という言い方、別の・言葉は違いますけど―同じことを言っている訳です。それじゃ『口伝抄』の言い方と『歎異抄』の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」■■■(? 大量不明)。『口伝抄』の言われ方だっていうふうに考えればいいと思います。「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言い方は本願の規模、つまり本願とは何かという言われ方から言っているのではなくて、それに摂取されるべきと言いましょうか、念仏者、それとごく普通の凡夫って言うそういう側からその問題を、善悪の問題を言ってる言われ方っていうのは、つまり■■■(不明)。・・・言われ方ってのが「善人なおもって往生を遂ぐ」という『歎異抄』の言われ方であって、本願の規模とはなんぞや、本願とはなんぞやと言う問題から往々に言った言われ方が、いわば『口伝抄』の言われ方だって思います。同じことをやはり言ってるんだと思います。その本願の規模という言われ方、善悪を選ばないのはなぜかって言う言われ方てのは、もう1つ新しく『口伝抄』とか『歎異抄』の中で出てきている言われ方だっていうふうに僕には思われます。

12 <自然法爾>について

 で、最後に自然法爾とは何なんだということを、時間がありますからちょっとお話ししてみようと思います。自然法爾ってのはね―僕は『最後の親鸞』てのを書いたでしょう。で、僕は先程も言いました様に、思想と言うところから、親鸞のことを取り上げたくて、それから親鸞を問題にしたくて書いたでしょう。それだから自然法爾と言うのは、自然法爾と言う考え方は、親鸞の一種の晩年の到達点って言われる考え方なんですよ。批評もありましたけどね。「お前の『最後の親鸞』ってのは最後まで親鸞を懐疑的な、疑い深い人間にしちゃっている。しかし親鸞の最後の到達点の自然法爾と言うことについて論じなければ、それはちょっと遺憾のじゃないか」という、そういう批評があったんですよ。そういう批評ってのは、沢山あった訳です。確かにそうなんだろうと思いますけど、僕は取り上げなかったっていうふうには、ちっとも思ってない訳です。つまり同じことを取り上げたんだよっていうふうに、取り上げたんじゃないかなっていうふうに、あるいは取り上げる意志がなかったんだけど、自然に取り上げたことになったんじゃないかなって僕自身はそう思っている訳です。だからそこのところをにわか勉強で― 一体それじゃね、俺は自然法爾という考え方をね、俺はひとりでに(?)取り上げたと言っていいんじゃないかと言うこととね、しかし親鸞の自然法爾という考え方自体とをね、何とかして結び付けられればいいんだろうと言うのが(?)そういうことを考えてみた訳です。親鸞の自然法爾という考え方、僕の要約ですからね、存外当てにならないかも知れないんですけども、自然法爾という考え方が最も見事に出ているのは、全集で言えば「古写書簡」六に出て来る訳ですよ。肝心だと思うところだけ申し上げてみましょうか。読んでみましょうか。間違っているかも知れないけれど僕が■■■(不明)。
 弥陀仏の御ちかいは、もとより行者のはからいではなく、南無阿弥陀仏とたのむことによってむかえようと、おはからいになられたのであるので、行者が善であるとも、悪であるともおもわないのを、自然というのだと聞いております。御ちかいというのは、無上仏にならせようとおちかいになったのである。無上仏と申すのは、形もなくてあらわれる。形がなくてあらわれるので、自然とは申すのである。形がおありになると示すときは、無上涅槃とはいわれない。形もおありにならない様をしらせようとて、はじめて弥陀仏というように、ききしっております。弥陀仏は、自然の様をしらせるための料(手段・媒体)である。【弥陀仏は自然の様を知らせる為の手段・媒体である】。この道理をこころえたのちには、この自然のことは、いつも沙汰すべきではないのである。取り上げてとやから(く?)云うべきではない。つねに自然を沙汰すると、義なきを義とすということは、なお義があることになってしまうだろう。これは仏智の不思議というものである。
 こういうふうに肝心なところは言っていると思います。僕が勝手に解釈しますとね、理解しますとね、自然というのはね―親鸞が自然法爾という場合の自然とはどういうことかって言うと、それは行者―つまり念仏者ですよ、人間の方ですよ、煩悩具足の凡夫の方ですよ―行者の計らいとか、行者の思惑とか、そういうものがないありのままの―そういうものがなくてありのままに然らしめちゃう、そういうことを言っていると思います(?)。それは行者と言うことを主体にして、つまり念仏者と言うことを主体にしてありのまま、何の計らいもなく然らしめちゃうっていう、そういうことを自然っていうふうに言っていると思います。法爾とは何かって言うと、それは如来の・阿弥陀仏のちかい―本願でもいいですよ―如来の本願が、自分の自ずから持っている徳って言いますか―道徳って言いますか―何らの計らいもなく自ずから持っている徳で以て、その徳のままに然らしめちゃうことが法爾なんだ、そういうふうに親鸞は言っていると、僕は理解します。だから、自然というのは行者の方から言っていると。行者を然らしめちゃう。自ずから然らしめちゃう。法爾という場合は、如来の本願と言うものが自ずから備えている徳―道徳でも何でもない―自ずから備えている徳によって、その徳のまにまに、そう然らしめちゃうと言うことが法爾だと言うふうに、そう言っていると理解します。そうすると自然法爾とは何なのかと言うと、それは行者・念仏者の方から、あるいは現世の人間の方から、自ずからそう成らしめちゃうと言うそういう働きと、それから働きが念仏となってあらわれた時に、一方において如来の・弥陀仏の本願が自ずから備わっている徳というもので、そう然らしめちゃう―そう然らしめちゃうと言うことは無上仏に成らしめちゃう―そういうことが、行者の側のからと本願の側からと、自ずから然らしめちゃうという作用が合一してしまう。つまり自ずから然らしめちゃうというその作用が自然に合一しちゃうっていうのが、自然法爾だって言うふうに親鸞は言ってると思います。

13 本質論としての<自然法爾>

 で、それは例えば、僕らのよく知っている人からいえば、学者で言えば上山春平なんていう人は、これは親鸞の到達点だっていうふうに言ってるところのものなんですよ。自然法爾。きっと皆さんの方の浄土真宗の理論からきっとそういうふうになっているんだろう、そういうふうに言われているんだろうと思いますけども、それは一体何なんだと、こう言うことになる訳ですよ。そうするとね、僕はこの言われ方は何かって言うとね、親鸞のこの言われ方というのは、単に親鸞の思想の到達点だって言うふうに言うべきではないんだ、段階的に言うとね―1つは段階論としていえば―これは親鸞の(は)本質論を言ったんだよ、こういうふうに僕には思えるんです。だから本質論を言ったんだよ、親鸞に則して言えば、『教行信書』の中の「信巻」と「真仏土巻」、「涅槃経」を本質論として引用している箇所があるでしょう。本質論を言う場合に「涅槃経」を親鸞は持ってきている訳です。『教行信証』でいえば「涅槃経」を持ってきて、いわば他力への横超ということを言いたいところがある訳です。その立場は親鸞にとって本質論の立場なんですよ。本質論から言っている立場なんですよ。多分自然法爾というのは、『教行信証』に対応させて言うならば、「涅槃経」を引用して本質論―真宗の本質論を展開しようとした、そういうところで言ってる言葉だっていうふうに、僕には思われるんです。だから、それならば俺だって『最後の親鸞』の中で言ってるよっていうふうに思う訳です。それはどういうふうな言い方で、親鸞はどういう言い方でいってるかというと、僕はね、善悪の2つは「総じてもて存知せざるなり」ということを言っている訳です。それからこの上は本願を信じ奉るのも、信じないのも「面々の御はからい」であるということを言ってるんですよ。つまり「面々の御はからい」であるというのは、何も強迫している訳でも何でないんです。それは要するに自ずからしからしむる訳ですよ。善悪も総じてもて存知していないと言うことを『歎異抄』の中に出て来る訳ですけれども、そうことを明言している訳ですよ。その明言は決して、思想的には逆説なんですけど、それは多分本質論の立場なんですよ。つまり自然法爾という考え方は教理的に言えば、親鸞の本質論ですから、親鸞の教義にとって最も本質的な場所なんでそれを到達点というのも宜しいでしょうし、それが親鸞の信仰の立場なんだ、立場の最後の到達点なんだというのも宜しいでしょうけれど、しかしそれは思想の立場から言いますと、それは本質論と言うことであって本質論としてそれを言っているであって、どこから出て来るんだと言えば『教行信証』でいえば『涅槃経』を持ってきて―『涅槃経』と言うのはある意味、本質論をいっているんで―仏の『本質論』をいっているんで―そこのところで言っていることを、『涅槃経』を引用してきて真宗の教義を述べているところが『教行信証』の中にありますけれど、その立場から言っているのが自然法爾という考え方だと思う(のです)。だからこれを最後の親鸞の到達点だと言うだけではなくて、これは本質論の位相からいわれている言葉であって、本質論の位相とは実体と対応するし、現象とも対応する。つまり親鸞の現実に取り入った問題とも対応する―そういう意味に理解しなければ、いけないんじゃないか―いけないんじゃないかはまずいですから―そういうふうに対応せしめれば、僕は多分『最後の親鸞』の中で、1番問題にしていることはそのことだから、僕は信仰者じゃないから、信仰者じゃないように親鸞をでっち上げよう、親鸞の像をでっち上げようとしていることは確かなんですけれども、しかしそんなに間違っちゃぁいないですよと、僕には思われる訳です。

14 本質論から展開される思想とは何か

 で、『教行信証』の中で、『涅槃経』を引用しているのは「真仏土」編(?)と「信巻」のところとの2つ(です)。どういうふうなところを引用しているかっていうと、人間の生というのは実体としては存在しないということ。それからだから悪の行為も存在しない。善の行為も存在しない。善悪2つの行為も存在しない。優れた行為も劣った行為も存在しない。そういう箇所を引用しています。それから永遠に変わらない実体としての自我というのは存在しない。だから勿論『涅槃経』から引用している箇所では、比喩の・例が引用してあります。だから殺害―人を殺す―も存在しない。そういうところを引用しています。それから涅槃の悟りも、悟りとは何なのか、自然法爾章の書簡でいえば成仏と言うことですよ。涅槃の悟りとは何か。それは悟りはあるのでもなければ、ないのでもないようにあるんだというところを親鸞は『教行信証』の中で引用しています。つまり涅槃の悟りとはあるのでもなければ、ないのでもないようにあるのだというふうに引用しています。どうですか自然法爾と似てないですか。そう思いませんか。多分ここから出てきているんですよ。親鸞の場合、本質論として出てきている。だから悪の自覚を持たされた者は悟りがない時、持たせないか、あるかもしれないとするってなことがあるということを言っている(?)。そこの箇所を引用します。それから解脱、つまり無上の悟りということをいっている。解脱についても『涅槃経』の中から、解脱、色の形、無上の悟り、自然法爾の文章の書簡、解脱って何なんだ。それは色も形もないものなんだ。そしてそれは如来なんだ。それは不死であり不生である。つまり死にもしなければ生きもしないものなんだ。老いもしなければ死にもしない。それから無上上だ。無上上は無上のまた上だ。そういう箇所を『涅槃経』から引用していながら、親鸞は横超ということを説いているところがある訳です。親鸞の真蹟書簡の「六」の中に出てくる自然法爾、また親鸞の最後の信仰の境地だといわれている自然法爾という親鸞の考え方というのは何かといったならば、その様に親鸞が悟りすましちゃったというふうに理解するのは、僕は正しいというふうには僕には思えない訳です。ただそれは本質論というふうに言わないで、現象的にいえば親鸞教団、初期の教団が大揺れに揺れ、親鸞は盛んにそれに対して防戦これ努め、善鸞に対しては義絶するとか、ほとんど無茶苦茶のことに成ってて、親鸞自身にとっても一生涯の大事件でしょう、そういう大事件というものに対して親鸞は必死になってあらゆることから防戦これ努め、いろんなことを説く訳でしょう。しかしそれは現象の立場、現実の立場から様々な思想を展開しながら防戦している訳です。しかし親鸞の思想というものを、そういうところだけから見たなら間違いであると同じ様に、それと自然法爾という考え方と(は)全然別物なんだと考えたら間違いになるし、また親鸞が一種の独善的に段々といろいろと考えを推し進めていって、親鸞が自分の考えを成熟させていって自然法爾というところに到達したんだというふうに考えればそれでいいかっていったら、そうじゃないって考えた方がいいと思います。1つの思想というのは現実に即して展開する、現実の本当に些細なことに即して展開する、しなきゃいけないという、教義で展開してはいけない、伝統で展開しちゃぁいけない、本当に今当面したところから展開しなきゃいけない、そういう思想の考え方もあります。それから実体というところから展開しなきゃいけない。実体とは何かというと、現実に当面している問題と本質論、教義的・理論的な問題というのは伝統的に立派な体系もあるし理論もある。こう言うものと(を)理解し身につけるとか、そういうものとかが、謂わばちぐはぐになったり矛盾したりする(という)現実の問題と、その上で1人の人間がそれを整合しようとか、矛盾をどうやって解こうかとか、苦しんだ上で1つのまとまった■■■(不明)、そういうところで展開させる思想もあります。それから現実というものを、現実とどう当面するかという問題、そんなことはどうやったってこれは正しいに決まっているという本質論もある。つまり思想というは様々な現実の些細なことに対応できなければ、そんなものは思想とはいえないんだよという問題と、現実の一見するとつまらない問題に対して、対応できて考えて、考えさせられて生きさせられてということと、その人が持っている教義・理論というものがあるでしょう、理念があるでしょう。そういう身につけた理念とどうやって合うんだと、どうやって矛盾するんだ(?)ということから、自分の中で考えて考えて創られた思想というものがありますし、それから現実がどうあろうとも、どう転ぼうとも、どうあろうとも、どう矛盾が来たそうとも、こういう考えは正しいだよ、絶対正しいんだよという本質論もあります。本質論のところで展開される思想もあると。自然法爾という考え方、親鸞の最後の考え方というのは、そういう様々な位置づけということが必要じゃないかなというふうに僕には思われます。だから僕は様々な考え方から考えたらいいんじゃないかなというふうに、親鸞の自然法爾という思想、僕はそういうふうに理解する訳なんです。
 で、本当はもっと、まとまってお話しできる筈なんだけれども、にわか勉強の悲しさでやっと間に合わせたという感じなものですから、あまり上手く言えなかったかも知れないですけれども、一応僕が『最後の親鸞』を書いて、その後に自分なりに勉強して『最後の親鸞』で自分が書きましたことと関連が付けられるところとか、その時にはちょっとここんところでは気がつかなかったなぁーというところとかでしぼり(?)あげられた、自分でしぼり(?)あげた問題は、一応お話しすることが出来たと、僕は思います。ので、これで一応終わらせて戴きたいと思います。もし何かお尋ねになりたいこととか、お前のは間違いではないかとか、或いはもっと断定的に間違っているということが御座いましたら、遣って下さればいいと思います。まだ少し(時間が)あると思いますので。

15 司会

 それでは一応話が終わったということで、質問に入って参りたいと思います。今、お話しの通りで御座いますので。まだ多少時間が御座いますから、どうぞご質問、自由に出して戴けたら結構です。

16 質疑応答1

(質問者)
 質問じゃないんです。さっきから先生のお話を聴いて■■■(不明)。先生が親鸞に興味を■■■(不明)きっかけがもしありましたなら、そういうような心持ちを・・・。

(吉本さん)
僕は昔から、学生の頃から好きでして、学生の頃に『歎異抄』について書いたことがあるんですけども、割合に関心が現在まで持続している・・・。で、どこが好きなのかというふうに言いますとね、僕は人間の相対性―要するに宗教、キリスト教でも仏教でもそういうふうに思えてしょうがないんですけど、皆さんはそうじゃないでしょうけども、自分の中でもそうなんだけども、いい子に成るところがあるですよ。成りたいところがあるんですよ。つまり自分自身を偽っても正しいことをいいたいという気持ちが自分にもあると思うんです。ところが親鸞は自分を偽ってもっていうことがあるんでしょうけどもね、しかし人間がなぜ偽る―良いことをいう為に正しことをいう為になぜ自分を偽らなきゃぁなんないのかということについて、非常によく考えて、その2つ―自分を偽ることと正しいことをいうこととの、その2つの間に橋を架けてあるというふうに思えるんですよ。その2つに橋を架けてある宗教家とか、宗教家でなくともイデオロギーでもいいです。マルクス主義者でもいいんです。マルクス主義者でも本当に橋が架かっている、いいこと言うんじゃないのと言うのと、お前のはインチキじゃないのと言うのと、お前こういう悪いことをしてるんじゃないのというのとがチャンと橋が架かっているというマルクス主義者っていうのはいないんですよ。いないのね。だからそれは国にしても同じなの。中国・ソ連(は)マルクス主義の理念としての国だって言うでしょう。ちっともよくないんですよ。現実的に。嘘じゃないの。お前嘘をつくなよ。理念として本当というのと、実際成ってないんじゃないのというのと、あるでしょう。本当の思想とか(が)、もしあり得るとすれば―これは僕の考えですが―嘘をついているとか、国家として嘘をついているとか、共同体で嘘をついているとか、組織として嘘をついているとか、或いは自分として嘘をついている、自分の内面に嘘をついていることと、本当に正しいこととの間に橋が架かっていないといけないと僕は思います。親鸞というのは橋が架かっている。あのね、橋が(は)架かっていない思想は(を)僕は信じない訳ですよ。どんな正しい・正義なんて僕は信じてない。正しいことを言うことは易しいんですよ。理念的に・理論的に正しいことを言うことは易しいことですよ。そんなのはちょっと知識・教養があれば出来るんですよ。出来ると僕は確信します。しかしそうじゃない。そんなことはたいしたことじゃないと思います。そうじゃなくて嘘ついているということと正しいこと・正しい理念というものと(の)両方に橋が架かっているとうことが非常に重要な(こと)、非常に大切なことだと思います。それがなければ思想と言うのはゼロに等しいというのが僕の考えです。それに対して僕は誰よりも日本の思想家の中で、上代から現代まで全部併せてもいい訳ですけども、その中で日本の思想家の中で親鸞だけが―程度のあれはあるでしょうけれど―遣ってるように思えて仕方がないんです。僕、学生の時から好きでした。決して信仰者じゃないんです。僕の家は浄土真宗です。皆さんと違って、西本願寺ですよ。僕のところは、九州ですからね。天草の門徒ですからね。こっちにいた時には、佃島にいましたから、佃門徒です。西本願寺。割合おやじとお袋が信仰の厚い人でした。僕はそうじゃないですけど。不肖のあれなんですけども。無意識の内に、お前人が死んだ時に(?)、白骨(の章)は聞いてんだろう。入ってんだろう。確かに易しいから入ってるからね。感性的にはあるのかも知れない。なぜ関心を持ってかは、それですね。そうだと思います。

17 質疑応答2

(質問者)
 今、正しいことをいう自分と嘘をつかねばならない現実の自分との間に橋を架ける、親鸞は橋を架けておる思想家では、第一人者であったと。そういうふうにお聴きした訳ですけれども、その橋というのは先生の場合は本願念仏という様なものとして捉えておられるのでしょうか。それともさっき言っておられた様な、何か自由意志(?)において人間のものではない(?)というような、ある1つの思想みたいなものとして、捉えておられるのでしょうか。

(吉本さん)
 僕の場合は思想として捉えている訳です。思想として捉えている訳で■■■(不明)から橋を架けると言うことの意味ですけれど、それは先ず1つは―何て言いますか―自分の謂わば―今流の現世流の言葉で言えば―自分の主体として、主体的な思想として、少なくとも自分は正しいことを言う場合にはこういう言い方しか出来ないよというような形で主体的に橋が架かっていなきゃいけない。つまり自分の中で嘘をつく自分というものと、正しいことを言う自分との間に、自分の中でよくよく考えられていなきゃならない、つまり自分はここのところは嘘で、ここのところはいつでも誤魔化し易いんだなぁとかいう問題は、よく突き詰められてなければならない。つまり主体的に突き詰められてなければならないということは1つなんですけれども、もう1つはね理論的にと言ったらおかしいでしょうか、理念的に、あるいは宗教で言えば教義的にって言いましょうか、教義的に突き詰められていなければいけないって、僕には思われますけどね。だから3つ■■■(不明)突き詰められていなければいけないと思います。僕自身は思想というのは、根本的には宗教・信仰ということよりも、思想と言う立場からそういう3つが突き詰められなければいけないというふうに、遣ってきているというふうに思いますけどね。
 司会
 ようございますか。では、どうぞ次の方。どなたなり。

18 質疑応答3

(質問者)
 特になければ、■■■(不明)。先程積極的に悪を努む、そういうことを仰っていたと思うんですけど、そのことに就いて■■■(不明)幻想(?)■■■(不明)、僧にあらずという宣言がありますね、そういう意味では積極的に坊主をしていたと、■■■(不明)積極的に悪とはいえないんですけど、積極的に悪をなす■■■(不明)と繋がるような精神的距離があるように感じるんですけど■■■(不明)。そういったことと最後に触れておられました自然法爾との繋がりというのを先生はどの様に■■■(不明)。

(吉本さん)
 僧にあらず、俗にあらずという考え、考え方って言うのは、僧にあらず、俗にあらずという言葉は、もし親鸞が、しきがきどおり(?)に本当にそういう言葉を使ったとすれば、その言葉はどこから・どこに在ったかって言った場合に歴史的にいうと『往生十因』というのがあって、その『往生十因』の中でも教信という、加古川に住んでいて念仏して、念仏三昧で当時の世捨て人、つまり出家者の中では非常に特異な人・坊さんがいる訳ですけども、何が特異かっていうと、僧の捨て方なんですね。教信の特異な点は当時の世捨て人の一般的な捨て方って言うと、たいてい山野に隠遁するとか、どっかに隠遁して托鉢をして廻るとか、そういう様なやり方をするのが一般的な遣り方なんですけど、隠遁しながら何らかで繋がる訳ですけど―比叡山・高野山に繋がる訳ですけども―教信の場合は、天台宗の碩学といわれた人なんだけれども、捨ててから生活の仕方が違っていたんですよ。それはどういう生活の仕方だったかって言うと、人々と一緒に、他の世捨て人と一緒に住まわなかったんですよ。1人で加古川に流れていって加古川に住んで、何をして暮らしていたか、生活していたかっていうと、畑を耕す農家の手伝いをして、畑を耕す手伝いをして、口銭を取って生活する。それからもう1つ遣ったことは、旅人なんかの荷物の運び、荷物を運ぶのを手伝って口銭を貰う。その2つの働き―働きって言うとおかしな言い方ですが―そういうふうにして食べていたんです。それで教信のことをいう場合に、教信のことを描写する場合に、住民が僧にあらず、俗にあらずという言葉を使った。親鸞は『往生十因』を読んでいる訳ですよ。教信というのは自分の模範だというふうに書く内容(?)■■■(不明)と書いている訳です。だから僧にあらず、俗にあらずの僧にあらずということの中に、仰る点も勿論あるんですけれども、1つは僧にあらずってのは生き方の問題が1つある。本当に生き方の問題がある。何かをする、している訳です。普通の人が職業を遣るというのと同じことをしている。そういう具体的な意味がある。それからもう1つ僕は怒られちゃったんだけれども、僕は親鸞というのは、流されて北陸道にいた時に一念義■■■(不明)法然にやられた方に近いんじゃないかな―やられた人であるというふうには言わないんですけども―法然が論断している、北陸道にいつも凶暴の男がいるっていうふうに法然が論断している文章がある訳ですけどね、法然に論断されている、その人と考え方が大変似ていたんじゃないかな。その時に相当親鸞は法然―法然が「七ヶ条制誡」ということで戒めている、魚類を食っちゃいけない、鳥獣を食っちゃいけないとか、食ったっていいということを言いふらしている奴がいるとかね、論断している、思想的にって言いますか、思想的に論断されている方に近かったんじゃないかなっていうふうに僕はそういうふうに思える訳です。思えるところがある訳です。だから僕は先程言いました(ことから)言うと、現象的な親鸞、つまり親鸞は具体的に赦免されて関東へ行って、どうやって、何していたの? という場合に、どういう格好をしていたの? ということになってくると、凄く具体的に、イメージが湧いてこないというその時に、その時の親鸞―具体的にといったらおかしいでしょうか―布教したり弟子たちに語ったり、そういうふうに遣っている時の、現実論としての現象論としての親鸞、或いは現実に動いている親鸞っていうのは、■■■(不明)文字通り非僧非俗っていうそれに文字通り、本当に何の手練もなく近かったんじゃないのかなって僕は心の中に思っている訳ですけどね。理念―親鸞が持っていた理念は先程言いました様に本質論もあります。つまり『教行信証』がいつ書かれたかっていうことは大変問題なんでしょうけども、それは関東時代にもう既に、ノートされたり、整理されたりということが■■■(不明)ノート位執っているだろうなーて誰でも推測する訳ですから、だから既に本質論としてはこういう考え方を以て、或いは実態論、つまり京都へ帰ってから弟子たちに教義的な書簡・文章を書いたり、解説を書いたり、そういう時の思想というのは既に持っている訳でしょうけれども、本当に現実に関東の時にどうやってどういう格好で、どこにいたのってふうに親鸞を考えた場合には、文字通り今言いました、教信がそうであった、教信の生き様だそうであった(様に)、同じ様な生き様を具体的にはしてたんじゃないかな。だからそこでの「僧に非ず」ってのは本当に生活上そうでないっていうような、そういうふうに殆ど似てた、格好周りが似ていたのかも知れない。つまり教信っていうのはあんまり袈裟なんか着ないんですよ。お経なんて持っていないですよ。それから本尊なんて飾らないんですよ。勿論寺なんか建てないんですよ。普通の家に住んでいたんですよ。だから念仏は唱えてるんですよ。それとね―その通りだと言いませんけど―非常に近い形で文字通りいたんじゃないかな。僕はそういう理解の仕方をとりますけどね。非僧非俗っていう場合に僕はそういう理解の仕方をとりますけどね。

(質問者)
だからね、そういう言い方をするにはそういう言い方をする■■■(不明)資格が要るんです。資格という意味で。
(吉本さん)
そうそう、そう思います。僕は資格が要ると思います。だからあくまでも僕は思想として言いたいんですよ。思想として言いたいんですよということは、親鸞を問題にする場合に思想として問題にしたいですよ。だから自然法爾という場合に、あくまでも信仰的境地として、そういうところに到達した―晩年、老齢で到達したというふうな言い方をどうしてもしたくなくて、本当は非常に汚れた(?)イメージでしょうかね、自分は老いぼれちゃったよ、あんまり面倒くさいことは、難しいことは浄土宗の学者に訊いてくれ、そういうふうに本当に老いぼれちゃったよ、歳とるっていうことはこういうことなんだよって、言ってるみたいにね、そういうふうに僕は取りたいですよ(?)。僕の親鸞像はどうしてもそういうふうに取りたいんですよ。だからあんまり信仰的に取りたくないのがありますね。どうしてもそれがあります。だから自分の考え方の方に、出来るだけ引き寄せて、親鸞のイメージっていうか像というのは、創りたいし、また創ってしまいますね。当然創ってしまいます。

19 質疑応答4

(質問者)
 今のことと関連するんですけども。そうしますと老いぼれた、というそういうとらえ■■■(不明)と仰ることは判るんですけども、もう一方で■■■(不明)体力の続く限り遣られたと考えていいんじゃないかと思いますが、そういうことの意味するもの。
(吉本さん)
それは何だろうかと。それは僕は先程そればっかり強調したけど、多分親鸞のね、関東における布教した親鸞教団にとっての最大の、生涯をかけての最大のピンチだった、危機だったというふうに思われます。つまり危機に対してもどうしても、それはそうせざるを得ないんだということが1つあったと思います。それから、そういうことを僕は強調しすぎたかも知れないけど、そういうことは非常に重要なモチーフではないでしょうか。それは自分のことを、考えを直に述べてもいいのだけれども、それよりも自分の先輩の・先達の書き古したのを(?)読んでよくよくあれしてくれ。こういうような言い方をしていますけども、それが非常に大きな要因じゃないかなっていうふうに思われます。それからもう1つある。解かざるを得ないんだという問題を、問題として考えればそれはそうなんでしょうけれども、しかしそれは生き様だから判らないというのも、ヤッパリ生き様であるし願望だからね、分かんない点僕でも死ぬまでも(?)遣りたいですね。死ぬまで、自分の考えを深めて行きたい。それは解きたいっていうこととはちょっと違うんです。解きたいとか教育したいこととはちょっと僕違うんですよ。違うんだけどしかし死ぬまで、ヤッパリできるなら死ぬまでちょっとでも先へ行きたいよ。先へ行ったからどうするのって言われたって、どうするって何にも無いんですよ。死ねば死にきりですけど、死ねば終わり。終わりって言うと怒られちゃうけど、僕は終わりだ、死ねば死にきり、何にも無いよってことになる訳だけれど、しかし死ぬまでは、だから何の為にそうするの、何の為に人間はそうしなきゃならんのって言われたら、人間ってのはそういうもんなんだよと言う以外に、謂わば逆説的な存在なんだよ。つまり役にも立たんことを、あるいは本当の意味で誰が聞いてくれる訳でもないし、誰がそう信じてくれる訳でもないし、どこに同志がいる訳でもないしね、だけど死ぬまでは一歩でも先へ進んで、一歩でもあれする■■■(不明)もの凄く人間ってのは悲しいねーて感じが僕はしないね(?)。そういうもんじゃないんでしょうか。そういう存在じゃあないんでしょうか。そういう存在じゃないんだろうかって言うことが、親鸞に『ゆうしもんじょ』(?)とかね自力他力のこととかね、そういうのを書き写しちゃあ弟子たちも■■■(不明)、そういうことをさせたモチーフじゃないですかね。それが僕の理解・解釈です。教育じゃぁありません。所謂教育じゃない。人間ってのは死までそうせざるを得ない。それから誰1人自分の考えを本当に理解してくれる人なんか誰1人だっていなくたって、それはそうせざるを得ないんですよ。そういうふうに―そうせざるを得ないというのは、何の促しか判らないけれど、そうせざるを得ない存在なんですよ、だから親鸞もそうしたのでしょうっていうのは(が)、僕の理解の仕方です。
 あなたの仰ったことに対する僕の答え方はそうですね。僕は50(歳)幾つだか、判りませんけどね。もう幾年生きるのか、まだ10年生きちゃうのか知らないけども、しかしヤッパリ遣ると思いますよ。兎に角遣るでしょう。少しでも自分のあれする為に遣るでしょうし、自分の考えを理解してくれる人が1人だっていなくたって、ヤッパリそれはそうせざるを得ないでしょう。そういういうのがヤッパリ人間―人間とはそういう存在ですよ。ある意味では哀しい存在であるし、逆説的な存在であるし、人間のなし得ることは全部無駄だと思ったら全部無駄なんだよ。でもそうせざるを得ないからそうするんだよ、それが人間の存在なんだよというのが、僕なんか■■■(不明)辺りでいつでもある僕の考え方ですね。ですから親鸞、そうだからそうしたんでしょうという。つまり今の80何歳とね、その当時の80何歳(?)とはまるで違うんですよ。平安朝時代の平均年齢というのは30何歳、37歳位ですよ。平均年齢。その時に80何歳というと化け物と同じですよね。30何歳、何で死ぬかっていうと、結核で死ぬ訳ですよ。それから今で言うと■■■(不明)。そういうので死んじゃう訳ですよ。それから伝染病で死ぬんですよ。30何歳、平均年齢。80何歳で生きてる訳でしょう。それであんなのを書いて判っちゃいないんじゃないのって言うかも知れないし、そういうのに卓越してそれを遣るって、そりゃなぜそうするの、そうまでして生きなくちゃいけないのって言ったら、それはヤッパリ教育的でも宗教的でもって、いろんな言い方を皆さんはなさるんでしょうが、俺はそういうことは言わないで、俺は人間ってのは、そういうもんですよ。死ぬまでヤッパリ幾らでも進もうと思うんですよ。それから仮に自分考え(を)理解してくれなくたって、くれる人が誰もいなくたって死ぬまでそうしちゃうような、そういう存在なんですよ。それは(を)誰が促すか、そんなこたぁ判らないんですよ。本当は解けないんですよ。だから親鸞も解けないけどもそうしちゃったんじゃないんですか。僕はそういう理解の仕方をとりますけどねぇ。
司会
 如何でしょうか。他にご質問ありませんか。もう少し時間があるようです。どうぞ。

20 質疑応答5

(質問者)
あのー、■■■(不明)ということについて、善導(?)よりもより曇鸞に多く■■■(不明)。
(吉本さん)
あのねー。おっかないですよ。今度そうなってくると、皆さんの方が専門家で俺は素人だっていうんで、あんまりちょっと■■■(不明)、僕はね、しょうがないから言った話(?)で、ちょろまかさないといけないですけどね。戦争終わった時にね、がっくりしてね、本という本は全部売り飛ばしてね、国訳大蔵経(?)とかを買って来たんですよ。戦争終わった2年くらいはそればっかり読んでいたんですよ。読んだから理解したかってとんでもない話で、何にも判かりはしないですよ。ただムードが判るだけなんですよ。そんな中で、大部分はその後、金が―生活費が困って金が―なくて、大部分は売り飛ばしてしまったんですよ。今でも20冊くらいは残っているんですよ。持ってるんですよ。そん中で日本と支那の浄土門についてというところにあるんで―『浄土論註』だけ読んでも大きなことを言うなって言われると困るんですけどもね―僕はね『教行信証』の中で、要するに善導を引用している場合にはね、割に道徳(論)・善悪論ですね。善心というのはヤッパリいいもんですよと言うようなことをいう場合には、善導っていうのはそういう方に引用されて、曇鸞を引用する時には、どうも僕がさっきから言っている実体論から本質論に近いことをいう時にはね、曇鸞の『浄土論註』なんかを引用している様な気がしてしょうがないです。それは僕の理解の仕方です。で、だから僕は宿業―人間の善悪の宿業とか、人間の生死―人間には生もないんだ死もないんだ。つまり実体としての生もないんだ。また『浄土論註』の中で、衆生と言うこと、衆生ってある様でそんなものはないんだ、滅しない様で、また永生(?)でもないんだ、生きてもないんだ死んでもないんだそういう実体としての衆生ってのは、ないんだってな言い方というのは『浄土論註』の中にある訳ですけれども、そういうところを実体論から本質論を展開しようとする時に、なぜか僕は親鸞は曇鸞を―「曇鸞を」なんて言うと、大きなことを言うなって言われちゃうから―『浄土論註』の持っている考え方に近い考え方を言ってる様に僕は、そう理解しているだけですけどね。

21 質疑応答6

(質問者)
実体論を■■■(不明)本質論■■■(不明)。僕たちは『大経』■■■(不明)『観経』■■■(不明)。
(吉本さん)
僕はね、多少日本の浄土教の、浄土教義の歴史みたいな(の)は多少調べたことがあるんで、■■■(不明)あれなんですけれども、例えば源信なんかでも観想仏教って言いましょうかね、そこが僕は信仰のない悲しさで、本当に正しく言い当てることが出来ないんですけどね、浄土のイメージを想い浮かべて、浄土はこういう荘厳な所だと、イメージを想い浮かべることが、修行の1つだったという、そういう観想的な、つまり専門語で言えば観念そうご・ほうご(?)と言うんでしょうかね、それを日本の浄土教は離脱していく、その考え方を否定していって、最後に親鸞の言う様に色も形もないんだよ。つまり色も形もないというのは、五感絶えて浄土のイメージを浮かべたり、仏のイメージを浮かべたり、来迎のイメージを浮かべたり、そういう考え方を源信から段々法然に至って、親鸞に行く―それを否定していく、切っていく過程ってのは、日本の浄土教の教義の歴史・変遷の中で大変興味深いところの様に僕には思えるんですけどね。その過程を謂わば歴史的な過程っていうふうに考えないで、現象論・実体論・本質論みたいなふうに考えて行くことも出来ましょうし、『観経』というものと『阿弥陀経』と、それから『大経』というもの、親鸞流に『観経』っていうのは言ってみれば、他力の中の自力的な要素があるんだ。つまりイメージのかんえんほうもん(?)の余韻っていうのは『観経』(?)の中にあるんだ。つまりイメージを想い浮かべて、清浄な悟りの風景とか悟りのイメージみたいなのを想い浮かべることが修行の1つだってのが、そういう考え方っていうのが『観経』の中にあるんだという理解の仕方もあるでしょうし、それから『阿弥陀経』の中には謂わば道徳的な■■■(不明)つまり徳本・善本ということを重んじる、そういう要素が『阿弥陀経』の中にないことはない。それから『大経』っていうのはそうじゃない。本当に他力―そういう言葉を使えば他力。絶対の、1つの境地に対応付けられた、そういう理解の仕方も出来るでしょうし、それから今あなたが仰った様な理解の仕方も勿論出来るだろうと思うし、それを謂わば現象論■■■(不明)本質論みたいなふうに、歴史ではなくて段階でもなくて、何か重なり合った層っていいましょうかね、本当は1番本当にあり得べきは、その3つが謂わばチャンといつでも3重に重なり合った所で、ある事柄を理解し掴むっていうことが信仰なら信仰の問題もそうでしょうし、掴むっていうことが本当に自分なんだという問題かも知れない(?)・・・■■■(不明)。


テキスト化協力:石川光男さま