1 自然の擬人化という方法

 一系列の作品を辿ってレンガを積むように積んでいきますと、宮澤賢治の世界の骨格に相当するような、ひとつの世界が見えてくるように思われます。今日はそういうことをやってみたいと思って来ました。宮澤賢治の世界を構成しているいくつかの単位を取り出して、その単位を積み重ね、宮澤賢治にはひとつの思想内容みたいなものがあるのですが、その思想内容を同時に考慮していきますと、基本的なかたちで宮澤賢治の世界が再構成することができると思います。
 宮澤賢治は、初期には短歌の作品から出発して、しだいに詩の世界に入り、また童話の世界に入っていきました。ご承知のように宮澤賢治は農芸化学の専門家でもあり、用語的にもそういう用語が非常に多く、概念もそういう概念が多いのですが、それも含めて非常に単純ないくつかの単位が取り出せます。まずひとつの単位は、自然の擬人化です。自然の風景があるとします。たとえば木がものを言うとか、自然の生物があたかも人間のようにものを言うという方法が非常に著しく見られます。それでは、どうやってそういう方法が出てきたかを考えてみますと、非常に適切な例が見つかります。
 これは初期の短歌の作品で、修学旅行か、あるいは父親に連れられて京都に旅行したときの短歌作品だと思います。これは山科のことですが、「山科の竹の子藪の空笑い薄れ日にして寂しかりけり」という歌があります。その歌と同じところに、「山の竹の子畑の薄れ日に空笑いする商人の群れ」という歌があります。このふたつを比べてみますと、宮澤賢治が見た光景は山科の竹の藪がいまよりももっとあったと思いますが、その藪のところで商人が休んでいて、その商人たちが薄笑いしていた。その笑い声が聞こえたことがそのときに見た光景だったと思います。その光景は、この左側の歌にしますと割合に中立に描かれているわけです。そうすると、これは、割に景物をそのまま叙述したというかたちになっています。たぶんこちらのほうが本当に見た景物だと思います。
 ところでこちらを見てみますと、「山科の竹の子藪の空笑い薄れ見にして寂しかりけり」。ここで「竹の子藪の空笑い」といいますと、竹の子藪が空笑いしていると取れるわけです。もうひとつ、竹の子藪のところに誰かの空笑いが聞こえたという解釈も、こちらでは可能です。しかしこのまま素直に読みますと、「山科の竹の子藪の空笑い」。竹の子藪が空笑いをしているというふうに受け取れるわけです。そうしますと、たとえば商人の群れというのは姿を隠してしまいますと、竹の子藪から空笑いの声が聞こえてくる。それは、あたかも竹の子藪自身が空笑いをしているように感じられるというふうに読み取ることができます。つまり、こちらの作品ではなくてこちらの作品の表現の方法を取りますと、竹の子藪自身が空笑いをしているというふうな、ひとつの自然の擬人化という方法が得られるわけです。
 宮澤賢治の作品の中でしばしば出てくる、樹木や森や山が主人公であったり、山がしゃべったりという作品の形成は、たぶん実際の光景の中から、いま言いましたようなかたちで得られたひとつの方法だと考えれば、それはひとつの大きな方法の鍵になります。
 その例をまたひとつ挙げてみますと、「今朝もまた涙に緩むこの迷い東の空の黄バラ笑えり」という歌があります。涙に緩むというのは木が涙に緩んでいるわけで、たとえば木が露や雨を滴らせているという感じを、「涙に緩むこの迷い」と言ったと思います。そうしますと、木があたかも涙を流してそれを落としていると受け取れるわけです。それから、黄色のバラが笑っていると見えるわけです。「東の空の黄バラ笑えり」と言いますと、実際の光景としては、東の空が黄ばんでいて、その黄ばんでいる風景を自分が見ている。それは自分には、東の空が笑っているように感じられるということが実際の風景であって、しかしこのように表現しますと、黄バラが笑っているというふうに思います。黄バラでも何でもなく、東の空が黄色をしていることを意味していて、それを自分が見ていることを実際の光景としては意味していると思いますが、たとえば「黄バラ笑えり」という表現を使いますと、黄バラ自身が笑っていると受け取ることができます。この種の擬人法や自然の擬人化は、宮澤賢治の世界で非常に特異なひとつの単位だといえそうに思います。

2 喩の特異性

 次に、たとえばこの喩の特異性とここに掲げてありますが、先ほど言いましたように農芸化学者でもありましたから、化学用語をたくさん使っています。単にたくさん使っているだけでは格別の意味がないのですが、それを使ったがために出てくる自然は、詩の作品でも童話の作品でも、ある種の特異な世界があります。
 たとえば、「コバルトのなやみよどめるその底に加里の火ひとつ白み燃えたる」というのは、大正五年ころですから非常に初期の時代の短歌の作品です。「コバルトのなやみよどめる」といいますと、たぶんコバルトの色彩が宮澤賢治の想像力の中にあって、その色彩が人間の悩みの色合いを非常に象徴していると感じられて、「コバルトのなやみよどめる」と表現したと思います。
 そうすると、コバルトがどういう色をしているかを知らなければどうにもならないわけです。たぶんみなさんはコバルトの化合物を使った絵の具や何かでコバルトの色はよく知っているでしょうからすぐにわかると思いますが、こういう述語の使い方が非常に特異な世界をつくっています。「その底に加里の火ひとつ白み燃えたる」といいますと、化成加里や苛性ソーダなどを加里といいますが、「加里の火ひとつ白み燃えたる」も非常に特異な言い方です。
 苛性ソーダや化成加里は、炎色反応といいまして、針金や白金の先に付けて下から火を燃やすと、加里特有の燈白色の炎が出てきます。これはそのことを言っているのだと思います。そうすると、たぶん「加里の火ひとつ」と言った場合に、実際に具体的なイメージは、加里を知らないとできません。すべての化合物は、燃やすと特有の炎の色に変わっていきます。それが化合物を確認するひとつの化学的手段になるのですが、そういうことを想定してつくっているわけです。
 こういう熟語の使い方は、ある意味ではひとりよがりの世界の使い方ですが、宮澤賢治の場合には、こういう使い方が非常に効果的な世界をつくっている場合があります。そうすると、熟語の使用のしかたと化学用語の使用のしかた、使い方が、宮澤賢治の童話の世界でも詩の世界でも、それを非常に特異なものにしているだろうといえます。
 もうひとつは、そういう熟語の使用のしかたと関連しますが、そういうふうに熟語を使うことで捕まえられる世界や対象が非常に特異な世界をつくることが、宮澤賢治の場合にはありえます。たとえば、「雨雲は氷河のごとく地をかけば森は無念の群青のみ」は、こういう作品を見てみますと何が特異かといえば、たとえば群青という熟語を使っています。それから「氷河のごとく」というのは、大げさなように思ってなかなか使わないのですが、それも非常に無造作に使っています。それは非常に特異ではありますが、そのことだけが特異ならばその熟語を使えばすべて特異だということになるわけです。そういう概念を使ったがために、あるいはそういう言葉を使ったがために出てくる特異な描き方、対象の捕まえ方があるわけです。
 たとえば「氷河のごとく地をかけば」は、雨雲というのは雨を含んだ雲で、空の雲ということだと思いますが、たとえばそれが地面に接している場合には、たいていの詩の表現や文学的表現では、「地をかけば」とは決して使わないわけです。地に触れればという意味合いの言葉は使いますが、地を掻けば、雨雲が地を掻く、掻き取るというような、雨雲を非常に硬いものとして見るような見方は、普通の表現ではしないわけです。それはたぶん述語を使ったことと関連するのですが、「地をかけば」というふうに、雨雲が地を掻いている、地を掻き取っている。あるいは、何か接して掻き取っていると表現すれば、それはひとつの特異な世界をつくるのがわかります。
 普通であれば、雨雲が地に接しているとか地面にまで降りているなどの意味合いの表現を使いますが、宮澤賢治は「地をかけば」と表現しています。雨雲といえば、ぼんやりふわふわとした雲と受け取らないで、非常に固いものだと受け取られる。そうすると、非常に硬質のひとつの世界が想像力で出てくるわけです。つまり熟語を使うことによって特異な世界ができるのは、そういう意味合いでたいへん特異な対象の切り取り方をしているわけです。
 「森は無念の群青のみ」といいますと、雨雲に覆われてしまった森は、覆われてしまったために自分も群青色の木の葉の色ですが、それがだんだん雨雲に浸食され縮こまって、縮こまったところで群青色をところどころ何かしていくということを、「森は無念の群青のみ」というふうに、あたかも森が人間であり、雨雲がたれ込めてきていて自分自身が縮こまってしまったような表現のしかたをしています。これはやはり、普通の表現と違って雨雲が地をかいているという表現をしたために、そこでは現実の光景を切り取る場合に、非常に特異な切り取り方、特異な表現のしかたをしていると思います。
 これが、宮澤賢治の童話や詩の中にしばしば出てくる表現のしかたの特異性です。これは宮澤賢治の世界を構成しているひとつの単位として考え、非常に大きな特徴をなしていると考えたほうがよろしいでしょうし、こういう表現がしばしば童話の中にも詩の作品の中にも出てきます。それが宮澤賢治の童話の世界、詩の世界を非常に特異なものにしているということができます。
 いま申し上げたふたつの表現の特異性を取り出していくと、宮澤賢治の童話や詩の表現の中に出てくるたくさんの問題は多岐にわたっていますが、ふたつだけ考えれば、宮澤賢治の世界の特徴は捕まえることができるわけです。よくよく読んでみますと、それを単位として考えれば十分だと考えられます。

3 表現方法の特徴

 今度はこの詩の表現の方法ですが、方法にもいくつかの特徴をつかめ、その特徴を組み合わせとして考えることができます。その方法的な特徴をいくつか取り出してみます。ひとつは、この例で言いますと、自分が目の前にある現実の風景を見ているんだ。その風景を見ているうちに、しだいにそれが幻想の世界にすーっと移行していくような移行のしかたが、しばしば宮澤賢治の世界の中には現れてきます。
 ここに例を上げましたが、「私はでこぼこ凍った道を踏み、このでこぼこの雪を踏み」といいますと、これは現実に、自分はでこぼこに凍った雪の道を踏んで歩いている、あるいは踏んで立っていることを表現しているわけです。ところが、そういうふうに表現しているうちに、たとえば「縮れた円の雲」となっていますが、向こうのほうに雲が見える。これは実際に、その光景の中に雲が現れているわけです。
 ところが、雪を踏んで立っている自分、その雲のところへ陰気な郵便着ですから郵便配達者ということでしょうが、郵便着のようにそこに自分がずーっと行ってしまうような想像のしかたをするわけです。つまり、はじめに実際の光景の中に自分があり、対象があるのですが、そういう描写がひとりでに幻想の世界にすーっと移行してしまうような移行のしかたが、宮澤賢治の童話や詩の中にはしばしば現れてきます。これは繰り返し現れてきますから、やはり現実の風景を表現することから、ひとりでに幻想の世界へ移行してしまう。そういう移り方として、非常に特徴的なしかただと取り出すことができると思います。
 もうひとつの取り出し方をすることができます。例で申しますと、「草木の黄金」黄金というのは「きん」と読むと思いますが、「草木の黄金を過ぎてくるもの、ことなく人の敵のもの、けらを巻く」けらというのは簑笠の簑です。「けらをまとい俺を見るその農夫、本当に俺が見えるのか」という表現をします。これは目の前に見渡している黄金色の草木の中に人がぼんやりとそこを通っている。ぼんやり通っている人は農夫ですが、その農夫は自分のほうを見ているような気がする。しかしそれは目の前に見ている風景なのです。
 そして、4行目あたりから幻想へ移っていく準備がなされます。その準備は、「本当に俺を見ているのか」と言います。自分のほうを見ながら草木を通っていくひとりの農夫がいるのですが、それは本当に自分を見ているのかどうかわからない。「本当に俺が見えるか」と言いますと、そう言っている宮澤賢治自身は、自分を実在の人とみなさないで、風景の中に自分自身を拡散させて目に見えない存在として自分を想定する準備が、この4行目になされていくわけです。

4 自分を客観的に眺める眼

 次には、もう幻想の中に入っていきます。「まばゆい気圏の海のそこに、悲しみ深くZypressenしづかにゆすれ」。サイプレスは檜の群れですね。「静かに揺すれ、鳥はまた青空を截る」。これを幻想の世界といいますと、宮澤賢治の中にしばしばひとつの幻想として登場するのですが、宮澤賢治に非常に特異な感受性の質があります。たとえて言いますと、自分がある光景の中に存在している。そして人も存在している。それは実在の光景である。そうすると、自分も含めたその光景自体を、もうひとつ上のほうから見渡すことができる。
 つまり、同時に客観的に眺めることができるようなことが宮澤賢治にしばしば現れてきて、それは宮澤賢治の非常に大きな特徴です。それを、ある場合に宮澤賢治は四次元の世界という言い方をしたりしますが、そんなことを言わなくても、宮澤賢治という人の資質や表現の方法の中には、現に自分が存在している光景、風景を、もう一段違うところから同時に、客観的に眺めることができるのです。存在している自分を、また別な目で同時に見ていることができるという特徴は、資質としても方法としてもしばしば表れます。
 「まばゆい気圏の海のそこに」というのは、ただ風景の中に自分がいて農夫がいてというものですが、そういう風景は非常に高いところに目を据えて見ますと、空気の底のほうでふたりの人間がポツンと風景の中に立って見えるわけです。つまりそういう表現は、自分が風景の中にありながら同時にもうひとつ違う目があって、その目は風景の中にある自分をも見ることができるという目で、しばしば宮澤賢治は発揮します。
 これを宮澤賢治の資質だと考えれば、たいへん病理的な解釈もできるわけです。離人症や離魂病といわれている症状がありますが、そういう症状と同じように、現に存在する自分に対してもうひとりの自分がその自分を見ているような見方というのは、宮澤賢治は自分の人間的本質として持っていたように思われます。それが宮澤賢治の非常に特徴的な世界を形成しています。そして、宮澤賢治の幻想の世界の中にそういう特徴がしばしば現れてくるわけです。これは宮澤賢治が持って生まれた性格や人格で感受性の特質なのだと考えれば、ある意味では病理、精神病理に接触したところにあると考えてもいいくらい、しばしばその世界に発揮されています。
 これも、宮澤賢治の童話あるいは詩の方法というふうに考えれば、それは宮澤賢治が化学みたいなものを学ぶことから獲得した目や方法だと考えることもできるだろうと思います。つまり、これは宮澤賢治にとっては、自分の資質と自分の方法とが絡み合ったひとつの特徴だと考えることができます。これもしばしば宮澤賢治の世界に現れますので、やはりひとつの宮澤賢治の世界の方法の単位として取り出すことができると思います。
 もうひとつ取り出してみます。例で言いますと、「光の淀、三角畑の後ろ、枯れ草そうの上で私の見ましたのは、顔一杯に赤い点を打ちガラスよう構成の言葉を使って、しきりにゆがみあいながら、何か相談をやっていた3人の幼女たちです」という表現をしています。この場合、太陽の光が淀んでいるような三角畑の後ろの草原を見ているのが、実際に宮澤賢治が見ている実在の風景であって、そこで顔一杯に赤い点を打っている幼女が何かがさがさ話し合っているというのは、実際に見ている光景としては、たぶん草原に生えている赤みがかった草か、あるいは花を付けている草です。その花みたいなものが3つくらいの群れで固まっていて、それが風に揺れあっているとする。その揺れあっている光景が、たぶん宮澤賢治が実際に見ていた光景であると思われます。しかし宮澤賢治は、これもたいへん特徴のある表現ですが、それを3人の幼女たちがガラス構成の言葉を使ってというような、青味かがった感じのする言葉を使って何かしゃべりあっていると表現して、実在の光景を仕立てていくわけです。
 この場合に実際に見ている光景は、たとえば前の「光の淀、三角畑の後ろ枯れ草そうの上で」が実際に見ている風景の表現として成り立ち、その次には自然の擬人化が次の二行で始まろうとするわけです。そして最後の行になりますと、完全に自然の擬人化が幻想的な世界を実現しています。幻想の世界は、実在の光景とは関わりがないようなかたちで実現しているのが、この終わりの四行になります。こういう言葉の表現のうえで順序を踏んだ幻想への移行のしかたが、宮澤賢治の詩や童話の世界で非常に特徴的なものとして取り出すことができると思います。
 この3つの宮澤賢治の詩や童話の表現のしかたを特徴として取り出しますと、宮澤賢治の世界は、ことごとくといっていいくらい方法として解けてしまうだろうと私には思われます。そうすると、宮澤賢治の世界を構成する方法的な単位としては、いま言いました3つのことを考えればよろしいでしょう。

5「小岩井農場パート9」に表現された宗教的信仰

 いままで申しましたところを要約して、非常に典型的に表現して使い尽くしている作品をひとつ挙げてみますと、『春と修羅』という詩集の第一集にある「小岩井農場」という、非常に大きな長い詩です。その中のパート9という章がありますが、パート9がいままで申しあげました構成単位と、それから方法の単位を自由自在に駆使して表現した世界です。それが最初の世界ですが、「小岩井農場」という非常に長い詩のパート9が、典型的に表れていると思います。
 いままでいろいろ申し上げたことは、詩の表現の方法や感受性の特異さを、言葉のうえでどういうふうな単位として考えたらいいかという問題ですが、これを詩の内容や宮澤賢治の思想の内容で考えていきますと、「小岩井農場」パート9で、方法上も構成単位としても使い尽くしているわけです。「小岩井農場」パート9は、それと同時にひとつの宮澤賢治の思想内容を非常によく表現している詩の部分です。
 この部分を見ますと、宮澤賢治の思想内容が方法内容と同時によくわかるのですが、その方法内容で、たぶんわれわれには通用しない、たいへん特異な思想だと思われる点を取り出してみます。パート9をお読みになればすぐにわかりますが、宮澤賢治はなぜ詩や童話を書くかといいますと、自分の宗教的信仰が行けない途中で挫折してしまっているのです。つまり、そこまで行けない悩みが自分の中にあるがために、自分は詩を書き、童話を書いているんだという考え方が、「小岩井農場」パート9を見ますと、宮澤賢治が持っていった基本的な考え方だということがわかります。
 この場合に宮澤賢治の宗教的信仰というのは何かといいますと、法華経です。法華経というのは日蓮宗です。宮澤賢治は日蓮宗の強烈な信者で、若いときに家を飛び出して東京へ行きました。そのころ日蓮宗の思想家で田中智学という非常に高名な人がいて、その田中智学が国柱会という会を開いて盛んに布教活動をしていました。宮澤賢治は家を飛び出して上京し、国柱会の布教活動の下働きとして奉仕するという伝記的な事実があります。昼間は筆耕やガリバン切り、印刷所の植字工などのアルバイトをして食べながら、国柱会の布教活動に奉仕するわけです。そのころ上野図書館は夜遅くまでやっており、夜は図書館に行ってさかんに本を読むというようなびっしりした生活をしていって、体を壊して郷里の岩手県に帰ってしまいます。
 この伝記的事実について、病気のために帰ったということで間違いないのですが、そこで宮澤賢治はひとつの挫折感を体験しただろうと思われます。岩手県花巻の地方にいながら、国柱会の活動、それから日蓮宗の信仰に自分が引き込まれていって、そのあげくに無断で家を飛び出してしまう。そして国柱会の布教活動の奉仕をするのですが、その奉仕の中で体を壊して帰ってしまうわけです。体を壊して帰ってしまうこと自体が一種の挫折であるといえば挫折であるわけで、その挫折には何ら思想的な意味合は含まれません。

6 宮沢賢治と国柱会・日蓮宗

 しかし僕は、たぶん国柱会の活動をしているうちに、国柱会に違和感を持っただろうと思います。仏教といえば中世から起こった仏教で、日蓮宗の思想は法華経という経典を根本的な経典としていますが、法華経というのは大乗経典、大乗宗教というふうにすべての宗派に通用する根本的な経典です。その経典の対象とされているものは、特殊な修業を積み、相当高度な仏教者を対象として選んで、仏が説教するようなかたちになっています。自分をごく普通の平凡な人から、修業を積んで隔絶した信仰の世界に入っていき、そこでさまざまな実践的な活動するような考え方というのは、法華経の中にもありますし、またそれを根本的な聖典としています。日蓮宗自体の活動の中にもあるわけです。
 もうひとつ言えることは、日蓮宗は他の宗教と違って個人救済の契機は割合少なく、国家宗教的な面がとてもあることです。つまり、多くの人々のために自分を殺して奉仕するという考え方があって、凡夫凡人を個人救済するという面は陰に隠れているところがあります。国柱会の活動も田中智学の思想に依存するわけですが、国家主義的なところも非常に多くありました。僕には断定できないのですが、たぶん宮澤賢治は病気で体を壊して郷里に帰ったことと同時に、もうひとつは国柱会の持っているひとつの雰囲気といいましょうか。国家宗教的な面にさまざまな違和感を持っただろうと推測することができます。
 その面では、宮澤賢治はたぶん、国柱会の下働きをして布教活動している間に、これではないのではないかという考え方を取ったのではないかと思われ、そこで一種の挫折感を持ったであろうと思われます。その挫折感というのはどういうふうにいったかというと、これもまた推論の域を出ないのですが、法華経信仰に関する限りは、国柱会の活動やその他現実の日蓮宗諸宗派の活動を媒介とする必要はないのではないかと考えたのではないかと思うのです。
 つまり、直接的に法華経の世界における根本理念と、自分に備わった詩および童話の創作を媒介にすれば、たぶん独自の法華経の世界像を自分なりに構成することができる。そして、自分なりにそれを実践することができるのではないかと考えたのではないかと思われます。そこで一種の挫折感もあり、体を壊したことと同時に感じたのではないかと思われます。そこがたぶん「小岩井農場」パート9の思想として出てくるのですが、一種の後ろめたさもあるわけで、自分が詩あるいは童話を書いて、自分の宗教的信仰に対してある……
【テープ反転】
……というものを信仰者として想定しているのであって、そこから照射される世界からいえば、通常も人間というのは、あたかも地を這っている人間のように見える。そして、地を這い目前のことにあくせくして悩んだり喜んだりしながら一生をむなしく終わってしまうんだという観念がどうしても宮澤賢治の中にあって、恋愛も本来的に人間の姿ではあるのですが、唯一無二の信仰を持って唯一無二の仏または神と一緒に、どこまでも自分を殺して人のために尽くすような菩薩行をするのが、生を受けた人間の本質なのです。それを人間ができないものだから、目前の人に自分と一緒に行こうと求めるところに人間の恋愛があるのだという考え方を披瀝していきます。これは、恋愛を人間と人間との関係の一種の評価だと考える考え方から言えば、まったく逆なところから人間の恋愛を照射していることを意味しますが、そういう考え方を宮澤賢治自身が取っています。

7 特異な資質と考え方

 宮澤賢治自身は生涯独身であり、なぜ独身であるのかという問いに対して、友人たちには、自分が欲しいと思ったときにふっとどこかから降ってわいたように女の人がやってきてコーヒーや紅茶を入れてくれて、そしてまたどこかにすっと行ってくれるような女の人があったら結婚してもいいという言い方をしています。(笑)独身を通したことは、宗教的な信仰の規制が大きく働いているだろうと思われます。もうひとつ考えてみますと、それは宮澤賢治の資質といえるものであって、男と女が好きで一緒になって、(笑)ごてごて押しまくったり押しまくられたりというような世界をもともと非常に嫌っていたという、資質的な問題ももちろんあるだろうと思われます。
 宮澤賢治の自慢のひとつは、生涯のうちに精液を体外に出したことがないのは世界に3人しかいない。ひとりはオットー・ワイニンゲルという性科学者がいますが、ワイニンゲルと、それからもうひとり誰かと、それから自分だというふうに人に語ったりしています。本当か嘘かは、だれも確証することができないのです。そんなことは少しの自慢にもならないと思いますが、(笑)宮澤賢治はそういうふうに言っています。そういうところから、そういう資質をどんどん日蓮宗の信仰に昇華していきますと、それは非常に特異な、常人を絶した人間像が理想の人間像として出てくるわけです。宮澤賢治は、及ばずながら自分がそういうところにいこうと思って一生懸命に実践したということができます。しかしそうしきれないところに、詩や童話の作品が生み出されたというふうに自分は思っていると思います。そういうことは、非常によくわかります。
 性欲も同じことで、完全に唯一無二の存在のような神あるいは仏と一緒になろうということが、本当はそういう修行に耐えられないし、そういう狂気に耐えられないものだから、目前に男または女と一緒になろうという衝動を生ずる。それを性欲というんだと言っています。非常に特異な考え方ですが、ひとつの思想であることは疑いないことなので、それがだれに通用しようとしまいと宮澤賢治の非常に特異な考え方のひとつの柱になっていくだろうと思われます。

8 時間的な立体視――地質学的な時間を見る

 先ほども申し上げましたとおり、「小岩井農場」にも出てきますが、宮澤賢治には時間的にも空間的にも立体視というのが出てきます。空間的に言いますと、先ほど言いましたように、現実の世界の中に自分がいる。そういう自分を、どこか違うところから同時に客観視することができている目を持っている特質があります。
 もうひとつは、時間的にもそういう特質があるわけです。宮澤賢治は大正から昭和にかけて生きたわけですが、そういう時代に自分がいながら、同時に、自分は非常に遠い昔、地質学的な時間で測れるような遠い昔からずっと伝わってきた生物の歴史があるわけですが、そういうものも同時に見ることができるという特質が、非常に顕著にあります。これは、時間的な意味での立体視ということができます。あるいは離人症ということもできるかもしれません。それが非常に特徴です。
 それは、たとえば、山や川、断崖などの地層を見ますと、その地層がたとえば第三期層に属しているのだとすれば、その地層を実際に見ていると、そのときに住んでいた動物や植物がそこいらへんをうごめいたり、非常にリアルに現れてきたりというようなことができる人だったと思われます。普通だったらある地質層を見た場合に、それは現在そこに存在する地質層になるわけですが、宮澤賢治は地質学的な知識も手伝って、そういう地質層を見ていると非常にはっきりと、そのとき住んでいた動物の姿やそのとき生えていた樹木の姿が非常にリアルに思い浮かべることができるし、それがそこいらへんを彷徨っている幻想にすぐに入ることができる資質を持っていたことがわかります。
 それは、先ほどと違って時間的な立体視といってもいいと思います。つまり、現在そこにある自分を、同時に遠い時間から眺めるようなことができる資質と、そういう方法とを持っていたということができます。これは宮澤賢治が、晩年ではない、割合に早い時期に形成した思想的な世界像だったと考えられます。こういう世界像というのは、宮澤賢治は若くして死んでいるのですが、基本的には死ぬまでその世界像を崩していないのであって、その世界像のうえにさまざまな童話の作品や詩の作品がつくり上げられたということができると思います。

9「青森挽歌」――幻想の世界から死後の世界へ

 いま申し上げた、宮澤賢治の世界を構成している思想内容はいったいどういうことになるかを、もう少し突っ込んで申し上げたいと思います。それには、非常に典型的な作品があります。詩の作品としては、『春と修羅』の第一集の中にある「青森挽歌」があります。「青森挽歌」は、修学旅行の生徒を連れて青森に行ったときか単独で行ったときにつくられたものです。宮澤賢治にはたいへんかわいがっていた妹がいて、その妹が、青森に行ったすぐ前に死んでいます。その妹を悼む歌ということで、青森に行ったときのことと絡めてつくっているのが、「青森挽歌」という詩です。
 「青森挽歌」は初期の作品の中で非常に代表的なものであり、いままで申し上げた宮澤賢治の世界を構成する方法的な単位と思想的な内容とが一致して表現されている典型的な詩であると思います。もうひとつは『銀河鉄道の夜』という高名な作品ですから、みなさんもお読みになったことがあると思います。代表作のひとつですが、『銀貨鉄道の夜』という童話の作品の問題があります。この問題のふたつで、たぶん宮澤賢治の世界を構成している思想内容はどういうものであったかを明らかにすることができるのではないかと思われます。
 「青森挽歌」の問題というのは何かと申しますと、方法的にどういうふうに構成されているかといいますと、先ほど言いましたようにはじめに現実の光景があり、そしてその光景が幻想の中に移行し、幻想の世界からどこへ突っ込んでいるかというと、死の世界に突っ込んでいるわけです。死の世界に突っ込んで、それからどこへ行っているかというと、死後の世界へ突っ込んでいます。これは、宮澤賢治が現実の光景から幻想的な光景、そして幻想的な光景から人間の生ではなくて死の世界へ。そして、死の世界から死語の世界へ。方法的にも思想内容としても、宮澤賢治の世界の全体像を構成的に表現しているのが、「青森挽歌」という作品です。この作品はたいへんいい作品ですが、ところどころピックアップしながら、それがどういう特徴を持っているかをお話ししたいと思います。
 幻想の世界というのはどういうふうにできているかは、先ほど方法的な構成単位のところで申し上げたこととまったく同じで、そういう方法が非常にはっきりと使われています。少しここに挙げてみますと、「こんなやみよののはらのなかをゆくときは、客車の」これは列車の客車ですね。「こんなやみよののはらのなかをゆくときは、客車のまどはみんな水族館の窓になる。乾いたでんしんばしらの列がせはしく遷つてゐるらしい。きしやは銀河系の玲瓏レンズ。巨大な水素のりんごのなかをかけてゐる。りんごのなかをはしつてゐる。けれどもここはいつたいどこの停車場だ」から、詩は始まっていきます。
 みなさんは、たとえばこういう行を見ますと、少し思い当たる節があるでしょう。だれにでも思い当たる節があることを非常によく表現された、感覚的な世界です。新幹線などではわかりませんが、鈍行などの夜列車に乗って窓の外を眺めたときにこういう感じに襲われることは、非常に普遍的なことです。そして、その普遍的なことを幻想として言いうることは、芸術にとっては最後の問題であって、たぶんこの作品が非常にいいのは、そういう形成としてわれわれに共感を呼ぶところがあるからだと思います。それと同時に、先ほどから申し上げている宮澤賢治の世界を構成する方法的な単位が非常によく使われていることがわかるだろうと思います。ここから幻想が始まっていくわけです。
 これは、妹トシコの死を、「けれどもここはいったいどこの停車場だ」というふうに、だんだん幻想の列車の中に入っていくわけです。その幻想の列車の中で、妹トシコの死を考えるようなところへ入っていきます。「あいつはこんなさびしい停車場を、たつたひとりで通つていつたらうか。どこへ行くともわからないその方向を、どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを、たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」「とし子はみんなが死ぬとなづけるそのやりかたを通つていき、それからさきどこへ行つたかわからない。それはおれたちの空間の方向ではかられない」というところで、死というものがどういう世界なのか。たぶんわからないのですが、生から死に入っていくときに幻想のこういう停車場みたいなものをひとりで歩いていったかもしれないと言っているわけです。みんなはそれを死ぬと名付けているが、その死ぬと名付けているものからどの空間の方向へ行ったかはわからないが、どこかを通っていったかもしれないと言っています。

10 死ぬことをどう考えていたか

 それから、死ぬことの内容を宮澤賢治がどう考えているかが出てきます。「にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり、それからわたくしがはしつて行つたとき、あのきれいな眼がなにかを索めるやうに空しくうごいてゐた。それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた。それからあとであいつはなにを感じたらう。それはまだおれたちの世界の幻視をみ、おれたちのせかいの幻聴をきいたらう」と表現されています。これは死ぬ直前、死んだ直後の状態がどうだったかを言っているわけです。そのところでは、自分たちの住んでいる現実の空間を二度と見なかっただろうが、それでも、自分たちの住んでいた生の世界の幻視を見、幻聴をまだ聞いていたかもしれないと言っています。
 「わたくしたちが死んだといつて泣いたあと、とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ、ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで、ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない」というふうに、現実の世界で人間が死んだと思っていても、ご当人は熱や痛みはもう感じなくなってしまったし、現実の世界を見ることも聞くこともできなくなってしまったけれど、でも何か、ひとつの眠りの中で夢みたいなものを見ていたかもしれないと言っています。このへんのところで宮澤賢治が、死は一切の終わりという観念を持っていなくて、死のあとでまだ何か別の世界があるのではないか。仏教の世界観の根本をなすわけですが、そういう世界観をぼんやりと信じようとしていることがわかります。あるいはぼんやりとではなく本当に信じていたのかもしれませんが、だれもそれを描くことはできないし、だれもそれを報告することができません。ですからそういう創造をここで働かせて、死の世界を描いているだろうと思われます。
 「ひとのせかいのゆめはうすれ、あかつきの薔薇いろをそらにかんじ、あたらしくさはやかな感官をかんじ、かがやいてほのかにわらひながら、はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを交錯するひかりの棒を過ぎり、われらが上方とよぶその不可思議な方角へ、それがそのやうであることにおどろきながら、大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた。わたくしはその跡をさへたづねることができる」と言っています。死後の世界では別の感官を持ち、別の感じ方をし、別の世界があり、それは、言ってみれば空間的にわれわれのほうが上のほうにあるという意味合いと、高貴なという意味合いと両方あるでしょうが、そういう上方と名付ける世界へ行っただろう。そしてそこで、自分がそういうところにいることに驚きながら、大循環の風よりも爽やかにそういう世界に登って行っただろう。「自分はその跡さえたづねることができる」とは、実際にたずねることはできるかどうかは別として、自分の幻想はそういう死後の世界を明らかに思い描くことができると言っていると思います。
 死後の世界が存在することがすべての信仰にとって重要なことなのでしょうが、それは非常に特異なことです。人間は死ねば死にきりだと僕は考えますが、宮澤賢治はそうは考えていないのであって、死後の世界はこの世界と違った感覚と違ったやり方で違った存在のしかたをして、そしてそこに確かにそういう世界はあるのだというふうに考えているわけです。

11 死後の世界の描かれ方

 今度は、それでは死後の世界はどういう世界なんだということを、宮澤賢治の基本的な考え方が出てきます。
「そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ、あまりにもそのたひらかさとかがやきと、未知な全反射の方法と、さめざめとひかりゆすれる樹の列を、ただしくうつすことをあやしみ、やがてはそれがおのづから研かれた、天のる璃の地面と知つてこゝろわななき、紐になつてながれるそらの楽音、また瓔珞やあやしいうすものをつけ、移らずしかもしづかにゆききする、巨きなすあしの生物たち。遠いほのかな記憶のなかの花のかほり、それらのなかにしづかに立つたらうか。それともおれたちの声を聴かないのち、暗紅色の深くもわるいがらん洞と、意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声、亜硫酸や笑気のにほひ。これらをそこに見るならば、あいつはその中にまつ青になつて立ち、立つてゐるともよろめいてゐるともわからず、頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち、わたくしがいまごろこんなものを感ずることが、いつたいほんたうのことだらうか。わたくしといふものがこんなものをみることが、いつたいありうることだらうか。そしてほんたうにみてゐるのだと、斯ういつてひとりなげくかもしれない……」
という描き方をしています。これが宮澤賢治が想像している、非常に具体的でほとんど唯一といっていい死後の世界なのです。こういう死後の世界像を宮澤賢治はどこから獲得していったかと考えますと、もちろん仏教の経典から獲得しているわけです。
 仏教の経典のうち、何からそれを獲得したかはわかりませんが、よく考えてみますと、それは天親あるいは世親とも言われている「往生浄土論」から、この死後の世界像はヒントを得ているだろうと僕は思います。天親は、インドの大乗仏教の子孫みたいなものですが、いちばん有名なのは「倶舎論」です。「倶舎論」というのは宮澤賢治がたいへんよく読んだと出てきますから、その「倶舎論」を書いた天親の「往生浄土論」が、宮澤賢治が死後の世界のイメージを形成するのに非常に大きな役割を果たしただろうと思われます。
 天親の「往生浄土論」の中で、非常に具体的な描写を挙げてみます。「千万種類の美しい花が生き物もてやいずれの流れをおおい、そよ吹く風があたりのきや花に戯れると、色彩や光線が複雑微妙にきらめき合い乱れ合う。空には種々の宝を絡み合わせた宝網を張り渡して日差しを防ぎ、網の目に結びつけられた金鈴が吹く風におのずと雅やかな響きを立てて、仏の深遠微妙な実りを述べ伝える」。これはこの人が訳していて、もう少しうまい訳ができるだろうと思いますが、よく比較しますと、描き方というのはたぶんこういうところからきているだろうというふうに推定されます。
 もちろん、死後の世界をどう描くかは、少なくても中世以前の大乗仏教にとっては非常に根本的な問題であって、その死後の世界のきれいさ、荘厳さを思い描くにはどうすればいいか。それは、観想という一定の修行をするわけです。絶えず正座をして目をつぶっておいて、想像力の中でそういう世界があるということ。そういう世界の高潔を絶えず思い描くという修行を、長い間するわけです。そうすると、その修行の果てにそういう世界を想像力で思い浮かべることができるというのが、中世以前の大乗仏教の中で非常に大きな修行法のひとつであったのです。
 そういう意味合いでは、仏教にとって死後の世界がどうあるかということは、非常に普遍的、根本的なことで、宮澤賢治も仏教の方法に従って、死後の世界を想像力の中で思い浮かべたに過ぎないといえるのでしょうが、もし宮澤賢治の死後の世界の中に、大乗仏教が描いている死後の世界、あるいは浄土という世界の光景と違うところがあるとすれば、「移らずしかもしづかにゆききする、巨きなすあしの生物たち。遠いほのかな記憶のなかの花のかほり」という箇所に表現されているところが、大乗仏教の影響自体から独立した、宮澤賢治自身が築き上げた死後の世界像の特徴だと思われます。
 それは、先ほど言いましたように、宮澤賢治が時間的な立体視ができるということです。つまり、光景の中、風景の中に時間を見ることができる。それも、非常に大きな長い時間を見ることができる。そういう地質学的な時間像が、こういう目に見えない大きな生物がそこいらを行き、そしてその足跡が残っているというふうな、死後の世界の想像力を助けただろうと思われます。こういうことは、仏教の一般的な浄土世界の世界像の中には存在しないのであって、そういう意味合いでは、こういうところが宮澤賢治が大乗仏教に対して独自の付け加えた世界像の特徴だと思われます。
 もうひとつの特徴は、もしそれと対照的な世界があったとしたらということですが、「暗紅色の深くもわるいがらん洞と、意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声、亜硫酸や笑気のにほひ。これらをそこに見るならば、あいつはその中にまつ青になつて立ち」という箇所にあると思います。これは、中世以前の仏教でいえば、地獄極楽という場合も地獄絵図というようなものに該当すると思います。
 つまり、死後の世界の否定的な像が地獄絵図と考えるとすれば、仏教が考えている地獄絵図の代わりに、「意識ある蛋白質」、つまり人間や動物だと思いますが、そういうものが砕けて壊れてしまうときに上げる悲鳴みたいなもの。阿鼻叫喚やそれが分解して出てくる亜硫酸や笑気の匂いなど、悪い死後の世界の像をつくり上げるのに、宮澤賢治は生物学的、化学的な空間像を使っているわけです。これは大乗仏教そのものに即して言えば、地獄絵図として人間が人間を苛むような地獄絵図として大乗仏教が描いているところを、宮澤賢治は地獄絵図として描かずに、生物学的な視程像としてその世界を想定しているわけです。
 こういうところは、たぶん宮澤賢治が大乗仏教の世界像に対して独自につけ加えたところだと考えられます。こういう世界を死後の世界として描くところが、宮澤賢治の思想内容の最も根本的なところに属するわけです。これは、僕のように信仰なき者にとっては、ナンセンスだということになります。人間は死ねば死にっきりだ、それで終わりよと僕は思いますが、宮澤賢治はそういうふうには思えないし思っていないのであって、すべての信仰者と同じように、死後の世界は非常にリアルに想定しているわけです。その死後の世界像も、時間的にも空間的にもつくり上げ、宮澤賢治の世界では、たぶん仏教における世界像に対して少しだけ特異な世界、つまり宮澤賢治なりの世界思想をそこに付け加えることができていると思います。
 こういうところが、現実から幻想へ、幻想から死へ、そして死から死後の世界へというふうに、人間の住む世界の世界像を単に現実世界に限定して考えるのではなく、それは幻想にも死にも渡り、あるいは死後の世界にも渡りというふうに考えたところに、宮澤賢治の世界像の広がりと、時間的な長さ、時間的な遠さがあると思います。そういうものが大なり小なり、宮澤賢治の思想内容の特徴をなしているだろうと考えることができると思います。

12『銀河鉄道の夜』の世界像

 この世界像の考え方というのは、童話の『銀河鉄道の夜』の中にも非常によく適用されています。たぶんいままで申し上げたようなところは、全部考えて総合していけば、『銀河鉄道の夜』はもはや何も論ずることをしなくてもわかってしまうと思います。つまり、もう言うことは全部言った。いままで申し上げたところで宮澤賢治については言い尽くしてあるわけですし、それ以上のことは、宮澤賢治はどこにもいっていないと思います。宮澤賢治の思想内容、表現方法、あるいは幻想への移行方法は、いままで申し上げましたところに尽きるわけです。『銀河鉄道の夜』を考えてみますと、これはそれらのものから構成されているに過ぎません。もし、少しだけ、いままで申し上げましたことや思想と違うところが『銀河鉄道の夜』にあるとすれば、それは死後の世界にあるひとつの段階を考えていることだと思います。
 『銀河鉄道の夜』という作品が、宮澤賢治の童話の作品の中で非常にいい作品で、いろいろな意味で宮澤賢治の代表作だと思います。少し突っ込んで申し上げますと、『ポラーノの広場』という童話作品がありますが、『銀河鉄道の夜』は『ポラーノの広場』で使われた方法がその中に込められています。詩でいえば、現実の風景の中に幻想の風景をすぐに重ねることができることが、『ポラーノの広場』という童話の作品の根本にある構成的な世界の問題です。それは、たぶん銀河鉄道の中によく含まれているということがあります。
 もうひとつ、『グスコーブドリの伝記』というのがあります。『グスコーブドリの伝記』は、ブドリという主人公がいろいろなことをしながら、最後に出てくるのがイーハトーヴです。イーハトーヴという地域が冷害で作物は実らず、人々は困ったときに、火山から灰を降らせてその灰を肥料とすれば冷害は免れることがわかるのです。ただその灰を降らすには、そばにカルボナード島という島があり火山があり、その島の火山を瞬時に爆発させなければならない。そして、爆発させることはできても、その爆発の最後に携わった人間は、爆発させたときに死ななければならない。つまり、ひとりはどうしても犠牲者がいるのです。しかしその火山を瞬時に人工的に爆発させてその灰を降らせれば、それが肥料となって作物の不作は免れることができる。またその地域も、人たちが冷害を免れることができる、あるいは干ばつを免れることができるわけです。最後にブドリは「それは自分がやりましょう」ということで、自分がそこに行って火山を爆発させて死んでしまうというのが『グスコーブドリの伝記』です。その『グスコーブドリの伝記』の思想内容が、『銀河鉄道の夜』の中に構成的には同じように含まれてきています。
 『銀河鉄道の夜』の構図があるわけですが、ジョバンニという主人公が印刷の植字工のアルバイトをして病気の母親の生活を支えています。祭りの夜に丘の上の途中で、友達がみんなお祭りだということで賑やかに町に繰り出すのですが、自分はアルバイトがあってそれに行けないということで、町外れの丘の上に登って空想するわけです。その舞台装置の特徴はどういうことかといいますと、丘の上から見ると町は明かりが点々とついている。その周りの野原は暗くなっているのですが、宮澤賢治が、こういう町と童話の舞台を同時に、銀河系の中の地球の位置と同じように類推して設定しているのです。
 銀河系で星が濃密に集まっている場所が町の明かりが点々と見えるところであり、その周りの林や牧場がある野原が、その空間を占めている真空の地帯だというように類比しているわけです。自分は町の明かりを見ていると同時に、地球から銀河系宇宙全体を見ているというような、二重に重ね合わされた舞台装置をつくっています。林や牧場のある野原の暗いところは、銀河系の中で星の密集していない真空地帯みたいに、同時に構成的に想定して、そういう舞台装置にしつらえています。
 そういうところで空想しながら、先ほどの「青森挽歌」でもすでに構成的なかたちが現れているわけですが、そうしているうちに自分の幻想の汽車の中にひとりでに乗っているようなところで童話が展開されるわけです。それは「青森挽歌」で言いましたように、宮澤賢治の死後の世界の世界像と、それから現実の世界。ジョバンニはアルバイトをしながら病気の母親を支えている人間として想定されていますし、ジョバンニのいちばんの友達であるカンパネルラは、たいへん恵まれたところですくすく育った人間と想定されています。
 それが現実の世界なのですが、そこから幻想の世界に移っていって、幻想の世界の列車に乗ったとともに、もはや死後の世界を列車は進んでいきます。そういうような世界が銀河鉄道で次々光景が展開されるところに、『銀河鉄道の夜』の方法的な構成のしかたがあります。これは、先ほどから申し上げました方法的な単位というものの積み重ねと思想内容の積み重ねの中に、まったくさっくり当てはまります。そういう世界として『銀河鉄道の夜』は描かれているわけです。

13 死後の世界にある段階制という考え方

 ところで、「青森挽歌」の中には描かれていないものの、『銀河鉄道の夜』の中には考えられているところがあるとすれば、それは死後の世界にもある段階制という考え方だと思います。この考え方は法華経的といったらいいのか、日蓮的といったらいいのか、そういう考え方だと思います。なぜ死後の世界に段階があるかといいますと、生きている世界の中でよりくだらなく生きたやつと、それよりはましに生きたやつと、それからまったく己を殺して人々を助けたような生き方をした。つまり、因果応報といいますか、生前の世界の報いとして、死後の世界にあるひとつの段階制がある世界を描いているところが、『銀河鉄道の夜』が「青森挽歌」と少しだけ違っているところだと思います。
 『銀河鉄道の夜』は、幻想の列車の中に乗って窓の外のいろいろな光景を描かれるわけですが、その中で、同じ列車に乗り合わせて鳥を捕まえる人が出てきます。これは鳥を捕まえて食べるために売ったりする人ですが、生き物を殺生するのを商売とした人ということなのでしょう。そういう人が、銀河鉄道の死後の世界を通っている列車から、最初に消えてしまうわけです。
 その次に、同じ列車にキリスト教信仰の少年と青年とが乗り合わせるのですが、それが次に消えていってしまいます。これは少し差し障りがあるのかもしれないですが、(笑)そういうことになっています。その次に、ジョバンニの親友であるカンパネルラが消えてしまいます。カンパネルラはどうして死後の世界の列車に乗っているかというと、ジョバンニが丘の頂で空想しているときに、友達と一緒に祭りに出かけて行って、河原で一緒にいた友達のひとりが溺れそうになるのを飛び込んで助け、自分は死んでしまったということです。そういう行為ですが、……
【テープ反転】

14 本当の考えとうその考え

 ……神あるいは仏というのは何なのか。あるいは唯一無二の本質は何なのかということになると、それはだれにもわからないのです。自分の信仰する神や仏と、お前が信仰する神仏とは違うということで争いが起こることが実情だろう。そうだとしたら、どちらが正しいか、どちらが唯一無二の神かはわからない。しかしそれは、それが宮澤賢治の思想的特徴なのですが、もしもお前が本当に勉強して、実験でちゃんと本当の考えと嘘の考えを分けて、その実験の方法さえ決まれば、信仰も科学と同じようになると、ジョバンニは最後に考えるわけです。
 本当に勉強してということはよくわからないのですが、とにかく本当に勉強して、もしも実験で、これは本当の考え、これは嘘の考えと分ける方法さえわかれば、そうすれば本当の考え、あるいは本当の唯一無二の世界というのは何であるか、嘘のものは何であるか、ちゃんと分けることができるはずだと考えるわけです。
 しかし、実際にどれが本当の勉強で何が本当の勉強であり、何がそれを明瞭に分けられる実験の方法なのかはだれにもわからないし、もしその方法を見つけることができるならば、唯一無二の世界とは何かがわかることで、人間の生きる本質も、それから思い描く本質的な世界もわかるようになるはずだという一種の暗示であり、それは永久に暗示であるかもしれないのですが、そういうことを主人公は考えるのです。そういう主人公の考えの中に象徴されているものが、たぶん宮澤賢治の世界の、最後にくる特徴だと考えられます。
 宮澤賢治における宗教と芸術の考え方、あるいは労働と芸術という考え方の特徴を成すところがあるとすれば、そういうことを暗示的に最後に示しているところであって、その中間あるいは大部分を覆っている仏教的世界の世界像は、われわれが考えているよりははるかに時間も空間もたくさん取っているわけですし、幻想もあれば死もあり、死後の世界もありというふうにたくさん取ってあるわけです。一応その原型は仏教自体の中にないことはないので、それを宮澤賢治の世界の独創ということはできないのですが、その中で宮澤賢治がつけ加えているいくつかの地質学的な時間像や、生物学的、科学的な空間像、さらにそういうものから出てきたと思われるいくつかの考え方や暗示があるわけで、それはたぶん、宮澤賢治の独創的な世界に属するだろうと思われます。
 高村光太郎が宮澤賢治について書いた言葉の中にあるのですが、自分の中に宇宙像がある人間は、どこにあってどういう作業をしていても、それは普遍性を持ちうるんだ。つまり世界に普遍化することができるというような言い方であって、それは、いわゆる詩人ではなくて、高村光太郎の言葉を借りれば、ドイツ語でいうディヒター(Dichter)に該当するのです。それは詩を書いているから詩人であるとか、童話を書いているから文学者であるとか童話作家であるとか、絵を描いているから画家であるとかではなくて、それらを包括する意味で、世界像を思想的にも方法的にも構成している人間、そして、世界像に乗っ取って自分を生きたり死んだりさせている人間という大きな意味でディヒターという詩人という言葉を使えば、宮澤賢治はそういう意味合いの詩人というものに該当するだろう。それは日本でははじめてであり、また最後であるかもしれないが、そういう詩人に該当するであろうと高村光太郎は述べています。現在も読まれ、これからも読まれるでしょうし、宮澤賢治にもしそういうところがあるとすれば、たぶんそういう世界像の特徴の中にすべてが込められているだろうと思われます。
 宮澤賢治自身が若くして死んでしまったので、未完の中で終わってしまったのですが、長く生きても世界像の形成としてはこれ以上のことはできないので、だんだん年を取るにつれてつまらないことをするようになったかもしれません。(笑)そういう兆候もないことはありません。ですから、人間というのはちょうどうまいときに死ぬようにできているように思われます。僕にはすべての人間はそういうようにできているように思われますが、宮澤賢治の世界像の特徴、あるいは詩人としての特徴は、たぶん童話作家、詩人、それから農芸化学者、あるいは農村における実践家というような空想社会主義者としての実践家というように、さまざまな限定ができるわけです。しかしおそらくは、すべての限定は部分的に過ぎないのであって、それはすべての宮澤賢治の行動と表現と、それからその挫折は、いま申し上げましたただひとつの世界像の中から出てきたのだろうと考えることができると思います。
 今日申し上げましたしゃべり方をすると、いかにも直線的に単調に、構成単位と思想内容を積み重ねていって、表現のひとつの世界や思想のひとつの世界をつくったように聞こえるかもしれませんが、本当は複雑で、そこに挫折もあり苦悩もあり失敗もありという生き方をしています。言ってみれば、口でいろいろ言うけれど、あるいは言葉でいろいろなことを書いたけれど、結局は何にもできないで終わってしまったではないかと言えるようなところで、宮澤賢治は死んだと思います。そういう年で死んだと思いますが、もしも人間の行為行動、あるいは行動、表現、それらすべてを含めて表現といえば、表現も必ずしも現実的な表現行為に限定しないで、幻想的な表現もある。あるいは死への表現もある、死後の世界への表現もあるというふうに、人間の表現や行為行動の概念を拡張していくとすれば、宮澤賢治は近代の日本の文学者として、人間として、たぶん最大限に行けるところまで行ったように思われます。
 本当は、このあたりからそろそろ、批判的なことを言わなければいけないのですが、そういうことは言っても言わなくてもどちらでもいいのではないかとも考えられますので、これで終わらせていただきます。(拍手)

15 質疑応答Ⅰ(6:44)

【質問者】(初め~0:33)
 □□□賢治の場合、擬人化と言うよりも、自然と交流できるというか、自然の□□□魂(?)というものを□□□する気がするんです。擬人化と言う言葉はよく引っ掛かって(?)来るけれども。そのことに(?)□□□。
【吉本さん】(0:34~6:44)
 あのねー。それはその通りかも知れないのですけどね、僕はこう思うのですよ。宮澤賢治に対してね、僕なら僕に(は)共感と一緒に違和感というのも随分ある訳ですよ。違和感もあるし批判みたいなのもあるんですよ。例えば宗教的あり方というのも、思想なりの批判というのもあるんですよ。ですからね、あんまり、あんまり近くでね宮澤賢治の世界をみると言うことは、しばしば間違うかも知れないということが、あると思うんです。ですからね、それは自然の擬人化というよりも資質的に例えば向こうに木が見えれば、木が風に動いていればそれは笑っているとか声を上げているとか、直ぐにそういう感じ方が出来るんだと言ってしまえば、それはもうみんな宮澤賢治の資質と言いますか、資質の問題に還元されてしまう訳なんで。しかし資質の問題に還元してしまうことが、宮澤賢治を理解することの道なのかというと、そうでなくて、それはやっぱり普遍的な場とか、日本の近代詩の歴史の流れ、詩の流れがある訳で、その流れの中で宮澤賢治の詩を考えてみるという考え方というのも、非常に重要なことだと思うので、そういうふうに考えてみると、少し冷静に方法の問題だとか擬人化の問題だと言うふうな、そういうふうに考えてみることも重要なんじゃないかなっていうふうに僕は思いますけどね。僕はそう思いますよ。
 もっと普遍的に言っちゃうと、ある人なり詩人なり童話作家なり文学者なりというものを理解し、そしてその作品を解釈するという解釈の仕方という中で考えてみると、いろいろな理解の仕方・解釈の仕方・評価の仕方がある訳ですけど、その中で印象的な理解の仕方の寄せ集めという仕方もある訳で―解釈の仕方もある訳ですし―非常に実証的な理解の仕方と言うこともある訳ですし、もっとそこを突き抜けて、或いはそこを踏まえた上で非常に本質的に理解しなくければいけないという理解の仕方で行こうとするアレもあるというふうに思うんですけども、その中で―そういう理解の仕方の中には、1つの歴史があって、現在があって、それからこれからそう成るだろう・成っていくだろうという方向もあるというふうに考えていくと、そういう理解の仕方の様々な移り変わり・段階の中に宮澤賢治というのを置いて評価していくと言う仕方も、ある面では非常に重要だというふうに僕は思います。そういうところでは自然の擬人化だというふうに、言い方とか規定の仕方と言うのも、また悪くは無いだろうなぁというふうに僕はそう思いますけどね。
 勿論、資質的に宮澤賢治と言う人は一寸天才的なと(こ)こも・異常なところもあって、生物であろうが無生物であろうが一寸見れば、直ぐそれが人間が語りかける様に語り、また人間が黙る様に黙っているという様に直ぐに見えたんだという様に、それは資質の問題だとか、天才なんだというふうに言う評価の仕方もまた決して不毛では無いと思いますけども、もう少し離れたところで宮澤賢治を置いて評価するのも悪くは無いだろうなと僕は思います。その中で自然の擬人化という言い方もまた、1つの言い方としていいのではないかなと、まあぁその程度に考えていますけれども。

16 質疑応答Ⅱ(11:53)

【質問者】(初め~4:04)
 (聴き取り不可能。故記述不可能)
【吉本さん】(4:05~11:53)
 あのねぇ。だけどねぇ。あれでしょう。つまり中世以前に仏教の常識ではね、妻帯は厳禁、女性は穢れたもの、僧侶たる者・聖職者たる者は生涯不犯である、で、修行しなければならない。中世以前の仏教の常識でしてね。常識でして、宮澤賢治というのは直接的に、日蓮が法華経の護持者であったと同じ様に、自分も法華経の護持者であるというふうに僕は考えていたと思うの。だから当然生涯女性と、つまり妻帯したりなんかは生涯しないということはね、もしもそれが仏教的な常識だけから、仏教的な観念からだけ来たというふうに考えれば、それは宮澤賢治にとってはね、そういう戒律を守るということは、割合当然と考えたんじゃないでしょうか。本当に中世以前の常識ではそうなんですから。性欲みたいなのを抑圧し、アレするということは修錬の修行の最も重要な要素の1つだったんですよ。で、僧侶たる者・聖職者たる者は―聖なる職業ですよ―聖職者たる者は、必ずそれを守らなくてはならない。で、それを守らなかったなら、もう破戒坊主だということで追放されちゃうということでね、そんなことは非常に常識だった訳だから、割合そういう戒律の世界に入っていけば、割合普通にそんなことは当然だっていうふうに考えたんじゃないでしょうか。で、考えたんじゃないでしょうか。考えられたんじゃないかなっていうふうに思いますけどね。だから、そういう意味合いからみていったら、仏教者として・仏教の信仰者としてみていったなら割合それは普通の―仏教の信仰者というのは在廷(?在野)信仰者ではなくて、所謂専門信仰者として考えていけば割合の生き方をしたということに成るのではないでしょうか。
 それで、もう1つは宮澤賢治には―僕はそういうところは気にくわないところだけど―こういうところがあるのですよ。そういうところ。もの凄くファッショ的なところがあるんですよ。例えば酒を飲んでしか本当のことを言えない様なそんな弱い奴は、どうせ転んじゃう(?)んだみたいなことを言うでしょ。それはいいです。その通りだと思ってもいいところがあるんですけどね。それはいいだけどね。酒を飲まないことで―さっきの「本統の勉強」ということに関連する訳ですけどね―「酒を飲まないことによって、人間というのは1割エネルギー、節約できる」と言っているんですよ。それでそれを「「本統の勉強」に差し向けるなら大変なことが出来る」。それから「タバコを吞まないことで2割のエネルギーを節約できる」。で、それはどういう根拠があるのか知らないけどね、多分そうだろうなと思えるけどさ、思えるところがあるけどね、どういうことを言ってる。「酒を飲まないことで1割エネルギーを節約できる。タバコを吞まないことで2割の節約ができる」。計3割の節約が出来る。人が10出来るなら13出来る筈だ。それを「本統の勉強」に差し向けられたなら「ほんとうの考え」と「うその考え」(を)どういうふうに分けられるか、分けられる方法に近づける筈だみたいなことを言ってますよね。そういうところがあるんじゃないですか。何て言ったらいいんでしょうかね。能率主義みたいなね。人間というもののこころの世界を能率主義的に考えてみたり、清浄無垢、常人の出来ない戒律を守り、そういう生涯を貫くみたいな(ことが)、偉いみたいな、そういうものが偉大だみたいな考え方というのは、宮澤賢治の中にあるのですよ。元々あるでしょう。仏教的影響からもあるのでしょう。
 しかし、僕はそれに同意できないですね。僕は全く反対の考え方を持っているの。最もくだらない、最もごく普通の生き方をして、そして死ぬと言うのは最も価値ある生き方だと僕は思っている訳。それを逸脱する奴はいずれにせよ価値の少ない生き方だっていうふうに、僕は思っている訳。しかしもし価値の少ない生き方というのがその人間にとって不可避、避けがたいものであったならば、それもやむを得ないだろうと僕はそう思っている訳。だから全然逆に思っているの。そういうところからいけば、もの凄く能率主義的なところがありますね。能率主義的でありある事物に対して、或いは特に人間と人間との関係に対して、まっしぐらに突っ込んでいくところが無いところがありますよね。ふと目を逸らしちゃうところがありますよ。東北の人はしばしばそうですけどね。ふと目を逸らしちゃうとか。ありますよね。特質ありますけどね。そういうところ、ありますよ。特に人間と人間との関係においてね。そういうところ僕は、利点だと思わないですけどね。だけども正に人間の弱点たるところは、正に利点たるところと同一の箇所であるということは、僕ではない人が言ってる訳で。それだからこそ今も生き非常に長い生命を持っていると考えてもいいですけどね。でも、人間というのは死後の世界は要らないしね、長い生命も要らないですよ。要らないと僕は思うよ。だからそんなものはなんでもないんですよ。死んだら死にっきりですよ。それだけのことですよ、と、僕は思っていますからね。だけど、宮澤賢治にはそうじゃないところがありますよね。そうじゃないところは僕は弱点だと思うけども、弱点と思うところは、人々にとっては美点なんですよ。正に同じ箇所が美点なんですよ。僕はそういうところから来てるんじゃないかなっていうふうに思いますけどね。

17 質疑応答Ⅲ(8:07)

【質問者】(初め~2:10)
 先程の質問の方と関係あるかも知れませんけども。宮澤賢治は□□□(以下、聴き取り不可能。故記述不可能)
【吉本さん】(2:11~8:07)
 僕も知りたいですね。それは一寸宮澤賢治に訊いてみないと、判らないじゃないでしょうかね。本当のところは。
 性というのは、性とは何か、セックスとは何かということについて、僕なりの限定に仕方というのがあるんですけでね。性というのは、セックスというのは1人の人間が他の1人の人間と関係する仕方というのが、性なんですよ。それは観念の問題でもあるし、実際的に肉体的な問題でもある訳ですけどね、対象は男であろうと、女であろうとそんなことは関係ないの。要するに1人の人間と他の1人の人間との関係の仕方というのが性なんですよ。僕の限定に拠れば。
 そうしますとあなたの仰るマスターベーションという様なことは、自己の自己に対する関係の仕方なんですよね。関係の仕方だと思います。その関係の仕方自体は、自己の自己に対する関係の仕方は、自己の肉体の自己、自己の幻想に対する関係の仕方とかいろいろありますけどね、それは人によって様々でしょうけどね。そのことを意味するというふうに思います。自分で自分の生理的な性欲を処理しちゃうと言うのがマスターベーションということではなくて―僕の限定に拠れば―自己の自己に対する関係の仕方というのがマスターベーションということにおける性なんですよ。だと思うんです。だからそのこと自体の中にはね、格別異状も無ければ何も無いんじゃ無いでしょうか。そこでたまたま他に現実的な対象が、関係の仕方がたまたま出て来た時には、その方が強力に成るかも知れませんし、成らないかも知れませんし。それで、その関係の仕方の対象として出て来た人間が男であったら男にとっては同性愛になるだろうし、女にとってはやっぱり同性愛か(に)成る訳でしょうし。それはそのこと自体は格別どんな場合でも、僕の限定の仕方をしてしまえば異状というのはそこの中にはないのではないでしょうか。ただ、そこから2次的に出てくる観念というものがありますよね。2次的に出てくる性についての観念というものがありますね。そこのところでもし何らかの葛藤みたいなのが生じちゃたらね、生じて、それが実際の行動というのを統御したらね、そこで異常な行動とかが出てくるかも知れません。
 関係の仕方としてはね、他者―自分以外の1人の他者というものが男であっても女であっても、或いは幻想の自分であっても、自己に対する関係であっても、そのこと自体は僕は性にとって異状ではないと思っていますけどね。だからそういう意味合いでは格別、異状というふうに考えなくてもいいと僕には思われますけどね。
 あなたの友達も二十歳になるまで、お袋さんとか妹さんとか、そういう人と一緒にお風呂に入ってということもね、例えばさぁ、そんなの場面の問題であってさぁ、どこか温泉場の旅行へ行ったら、するわけじゃないの。誰だって。場合によっては。それだって別に異状じゃないですよ。そのこと自体は異常じゃないですよ。唯、もしも本人がそのことに副次的にそこから派生する観念において葛藤をもったら、そこから初めて異常さというのが出てくるかも知れないけれども。そのこと自体を取ってきては、ちっとも異状じゃないんじゃないでしょうか。それがやがて別の対象に向かうかも知れない訳ですし。普通の人だって赤ん坊の時とか、幼児の時はそうであった訳だし、だからそのこと自体は僕は異状だと思われませんけれども、自分で異状だというふうに限定することによって生ずる葛藤が行為にまで及んだ時に、それが異状ということが出てくるのかも知れないというふうに僕は思いますけどね。だけどあなたの仰る通り、実際どうだったのだろうなぁて、僕だって知りたいけれど、そんなことはご当人が言う以外には、一寸判らないじゃぁないでしょうか。判らないと僕は思いますね。

18 質疑応答Ⅳ(1:56)

【質問者】(初め~1:00)
 (聴き取り不可能。故記述不可能)
【吉本さん】(1:01~1:56)
 あのね。現在僕らが見られる様な形・質の、そういう作品というのは見いだされなかったかも知れないけれども、別の質の作品というのは生み出されたんじゃないでしょうか。それからもう1つは、自分でも言ってるかも知れないけれど、宮澤賢治の詩の作品も童話の作品も、作品遺体の中にエロスの流れというのが、ありますね。だから割合そこで代償にしている様なところがありますね。全般的にとてもエロスの流れというのはありますね。作品自体の中に。そういうことは言えると思います。でも、別の質の作品を生み出したかも知れないと思いますけどね。

19 質疑応答Ⅴ(2:34)

【質問者】(初め~0:50)
 (聴き取り不可能。故記述不可能)
【吉本さん】(0:51~2:34)
 あのぉ、僕よく判らないけどね。自分を修羅だと言ったり、自分はいくら農民の中に入ろうと思ったってね、要するやっぱりよそ者なんだっていう考え方というのは、詩の中にも童話の中にも、象徴的にも実際的にも表れてきますね。結局そういうところの問題でないんじゃないでしょうか。僕、そういうところがアレな様な気がするんだけどね。僕だったら逆に考える訳ですよ。逆に考えて、親の臑なんていうのは囓る間、囓っちゃえ、囓っちゃえばいいんだというふうに僕だったら逆に考えますけどね。そこはそういうふうに考えられないんですよ。考えられないからそういうところで、思い悩みますよね。そして実際問題として、あなたの仰る通りで、伝記的な事実をアレしてみますとね、本当に1人で食ってたというのは、殆ど無いですよね。無いです。例えば農学校の先生に(として?)勤めた時がある。その時は安定した給料・月給を貰って、生活するのに不自由しないだけの・・・。

テキスト化協力:15~石川光男さま