1 古代における日本人の敗北

 ただいまご紹介にあずかりました吉本です。今日は「敗北の構造」ってことで、お話したいと思います。あんまり、景気のいい話じゃないので、あれでしょうけれど、ぼくが仕事としてやっていることが、そういうことだもんですから、まあ、そういうことでやりたいと思います。
 ぼくがやっているのは、現代の敗北ということじゃなくて、たいへん大昔の敗北ってことなんですけど、みなさんのほうでは、そういうことは、あまり厳密でないかもしれないですけど、つまり、日本の国家っていうものが、統一国家っていうものが成立した時期を千数百年前というふうに考えまして、千数百年前以前に、小さな島ですけど、小さな島に、人間がいなかったかっていうと、そういうことでないので、そこではやはり、みなさんにわかりやすくいえば、現在でいうと、何々郡っていうようなくらいの大きさで考えられれば、いちばんいいわけで、その程度の国家っていうものが、群立状態で存在したっていうふうにいうことができます。
 われわれが日本民族という場合には、統一国家が成立した以降の、いわば文化的、あるいは、言語的に、統一性をもった、そういうものを想定しているわけですけど、しかし、日本民族っていう場合と、日本人っていう場合とは、まるで違うのです。つまり、日本人っていう場合には、すでに、日本国家成立以前に、成立した多数の国家が存在していたっていうふうに考えることができます。
 そうすると、そこで、いわば、天皇制権力ってものが、その群立していた国家を、武力的に、あるいは、国家的に制圧して、いわば統一国家っていうのを成立させたわけですけど、その場合の天皇制権力、あるいは、天皇制部族、あるいは、種族かもしれませんけど、そういうものは、どこからやってきたかってことは、まったく現在も不明、ある者は朝鮮から、つまり、大陸の奥から朝鮮を経てきたっていうふうな説もありますし、あるいは、南朝鮮と文化的には非常に近縁関係にあった北九州における豪族っていいますか、そういうものが、だんだん中央に進出してきて、統一国家を成立せしめたっていうような考え方もあります。また、それとは別に、畿内、つまり、現在の京都とか、大阪とかですけど、畿内における豪族が、勢力を拡張して、統一国家を成立せしめたっていう考え方もあります。いずれにしても、決定的な考え方っていうのはないわけです。
 つまり、その3つのうち、どれかに該当するでしょうけど、すこぶる素性はわからないっていうような、そういう勢力が、統一国家っていうものを成立せしめた、しかし、もし、わたしたちが日本人っていう概念を使う場合には、それをちっとも指していないのであって、日本人っていう概念で成立している概念っていうのは、それ以前に、郡単位ぐらいの国家っていうものが群立していたっていう考え方からいえば、すくなくとも、三千年か四千年はさかのぼれるわけで、つまり、それ以前に、人がいたかどうかというようなことを問うならば、それは何十万年前までさかのぼることができるわけです。
 そうしますと、ここで、何が敗北したのかっていうと、つまり、天皇制部族、あるいは、権力自体が、統一国家を成立せしめる以前に存在した、いわば、日本の大衆全部ですけど、全大衆が総敗北したっていうふうに考えることができます。

2 敗北の根底にある問題

 それでは、その総敗北したときの敗北の仕方っていうのは、どういうふうになっていたかってことを、はじめにお話しますけど、それは、たとえば、郡単位程度の国家が成立していた、その内部で、いわば、国家としての法権力ってものが成立して、存在していた。それが、互いに群立していたっていう状態が考えられます。
 それに対して、天皇制の権力っていうのは、どこからやってきたか、わかりませんけども、それが、どういうふうにして統合していったかってことが問題になるわけですけど、つまり、統合の過程における、つまり、国家としての本質構造は、どういうふうになってるかってことが問題になるわけですけど、それには、だいたい2つのことが考えられるわけです。
 ひとつは、天皇制権力が、統一国家を成立せしめる以前に存在した、つまり、法的権力、あるいは、法的国家っていうものの法のうち、いわば、たいへん都合のいい法というものを、天皇制権力が自らの法として、吸い上げると、そして、その結果、それぞれに存在してきた、小さな群立国家っていうものは、国家としての統一性のあるものを、典型的に欠くといいますか、欠如してしまう状態、法自体を統合的に吸い上げるっていうようなかたちで、統合するっていうような、そういうことが、一般に考えられるわけです。
 だから、あるひとつの小さな、部分的な共同体、あるいは、国家が存在していると、そこに、おおいかぶさるように、たとえば、統一国家が成立したと、そういう場合の統一国家っていうのは、なにを権力として用いるか、つまり、なにが統一国家の権力の中枢であるかっていう場合、つまり言いましたように、以前に存在していた、いわば、群立状態の国家っていうものの、法的権力っていうもの、あるいは、法的規定というもの、自らの規定として吸い上げること、つまり、そのことによって、以前に存在していた国家自体は、法権力っていう統一性を失っていくっていうような、そういう統合の仕方っていうものが、あるいは、敗北の仕方っていうものが、ひとつ考えられます。
 もうひとつ考えられることは、こういうことなんです。つまり、そこで、その状態で存在していた群立国家における法、それから、宗教、それから、習慣、そういうものすべてを含めまして、これを共同幻想というふうに呼びます。その共同幻想っていうものと、それから、統一国家を成立せしめた、つまり、統合せしめた、勢力の共同幻想というものを交換するってことなんです。互いに交換してしまう、あるいは、交換したうえで、めいめいがわからない、つまり、混合してしまうってことが、いわば、統合のひとつの形態だっていうふうにいうことができます。
 だから、以前に存在したであろう、たとえば、法律、それから、以前に存在していただろう宗教的儀礼、それから、そういう群立国家で支配的であったであろう風俗、習慣っていうようなもの、あるいは、不文律とか、掟とか、あるいは、村落の村内法っていうような、そういうようなものすべてと、元来、そこのうえにおおいかぶさってきた統一国家勢力における、そういう習慣、風俗、あるいは、保存している宗教、あるいは、法っていうような法概念、そういうようなものを、そこで交換するわけです。
 つまり、これは、べつに等価交換ではないわけで、交換することによって、あたかも、それ以前から、つまり、統一国家を成立せしめた勢力っていうのが、それ以前から、あたかも存在したがごとくに、国家というものを、国家権力っていうものを制定することができることがあるわけです。
 それと同時に、たとえば、逆に交換された、群立国家における国家首長っていいますか、そういうもの、それから、そのなかにおける大衆ってもの、そういうものが、今度は支配的に統一国家を成立せしめた、そういう勢力の法っていうものを、あるいは、宗教、習慣っていうものを、あたかも、自らの習慣、あるいは、自らの法律、あるいは、自らの宗教というような受けとり方で、それを受けているっていうようなかたちになっているわけです。
 それが、いわば交換であるわけです。その交換によって、たとえば、たかだか千数百年前に存在したにすぎない、そういう統一国家の勢力っていうものが、あたかも、統一以前から、時間的に以前から存在したかの如く、装うことができますし、また、それから、交換させられたものは、あたかも、自分が古来から、本来的にもっていた風俗、習慣、法っていうようなものよりも、もっと、ある意味では、強固な意味で、それをあたかも自分のものであるかのごとく、それを取り入れる、そして、おこなうっていうような、そういう形態がでてくるわけです。
 それがおそらく、統一国家成立期における、日本の総大衆ってものが、全面的に敗北していったってことの最も基本にある構造だっていうふうにいうことができます。つまり、これは非常にたいへん、奇妙だといえば奇妙なところなんですけど、本来的に自らが所有してきたものでないところの、そういう観念的諸形態ってものを、自らの所有してきたものよりも、もっと強固な意味で、自らのものであるかのごとく錯覚するっていうような、そういう構造っていうものが、いわば、古代における大衆の総敗北の根底にある問題だっていうふうにいうことができます。
 この敗北の仕方っていうのは、たいへん十分に検討するに値するので、つまり、国家といえば、天皇制統一国家というような、いわば、一種の錯誤、あるいは、文化といえば、天皇制以降の文化っていうふうに、錯誤が存在するわけですけど、その錯誤の根本になっているのが、いわば、ある意味では、非常に巧妙な、統一国家をしとげた勢力の巧妙な政策でもありましょうけど、ある意味では、大衆自体が、自らの奴隷制っていいますか、奴隷的観念ってもので、たとえば、交換された法、あるいは、宗教、あるいは、儀礼、あるいは、風俗、習慣っていうもの、つまり、本来的な所有よりも、もっと強固な意味で、それを自らのものであるかのごとく、錯覚するっていうような、そういう構造のなかに、いわば、ほんとうの意味での、日本の大衆の総敗北の構造っていうのが、ほんとうは存在するっていうふうに考えることができます。

3 太平洋戦争における敗北

 そのような構造っていうものは、現在に至っても、そういうような問題っていうのは、依然として存在するのであって、そこにおける錯覚っていうのは、許すことができない、あるいは、許されないというふうに考えられます。
これは、体験的に申し上げますと、ぼくが、敗北っていうものを、体験をしたっていうのは、青年時代以降したっていうふうに、自分で自覚的にしたって考えているのは、3つあげることができます。
 ひとつは大戦、第二次戦争の終わり、日本でいえば太平洋戦争の終わりってことですけど、そこでの敗北っていうものを考えてみましても、ぼくらのそのときの考え方では、天皇制自体が、戦争をやめようということで、自らの勢力を温存しようとして、あるいは、支配者がそれを温存しようとしても、大衆は徹底的に戦うだろうというふうに、ぼくらはそういうふうに考えていました。また、自らも、そういうふうに戦うだろうと考えてました。
 しかし、事態は、まったく、それは違うのであって、そこで戦うだろうというふうに考えていた兵士たちっていうのは、食糧不足の焼け野原ですから、そのなかで、まっさきに、軍隊が闇貯蔵していた、そういう食料を、背中いっぱい背負えるだけ背負って、そして、完全に、なんらの反応も示さないで、武装解除されて、そして、そういう食料を山ほど背負って、郷里へ帰るっていうような、そういうのが、そのときの大衆の敗北の構造であったわけです。
これは、相当、まことに予想外で、つまり、そういうものじゃないだろうっていうふうに考えていたことですけども、しかし、事態はまったくそうじゃなくて、まったく異なって、主として大きな袋を持って、われわれは学生だったんですけど、ぼくらのほうが飢えていたので、大きな食料を持って帰っていくっていうような、そういうことが、なんらの流血事件っていうもの、あるいは、流血の叛乱っていうようなもの、そういうのを起こすことが、まったくないといえばまったくなく、そういうふうにして武装解除されて、それで、戦争が終わる。そして、終わったことによって、なにが得られたのかっていえば、それは、温存された支配層が得られたっていう、それだけのことだって、ぼくには思われます。
 そこでの大衆の敗北の仕方っていうのもまた、まことに奇妙といえば奇妙な敗北の仕方なんです。しかし、みなさんが大衆とか労働者、あるいは、労働者階級というと、錯覚するかもしれないけど、しかし、大衆というものは、そういうものだってことは、よくよくご承知になったほうがよろしいと思います。
 それは、大衆に対する不信ではありません。つまり、大衆は、そういう面をもっているってこと、つまり、そういう面をもっているんだってこと、それから、そのもっているなかには、たいへん伝統的な様式ってものもまた、存在するんだってことは、十分ご承知のうえであったほうがよろしいと思われます。
 それから、ぼくは、体験的に思っていて、終戦のときに、どっかの徴用先にいたわけですけど、そこでは、朝鮮人の労働者っていうのは、ぼくらと同じように、徴用されて、そこに働いていました。そこで、たとえば、戦争継続中ってものは、なぜか知らないけども、朝鮮人の労働者ってものは、すみっこのほうでひっそりしているって感じで、たとえば、食堂なんかにいきますと、ひきずって感じで存在していたわけです。ところで、敗戦の日を境にして、どういうことが起こったかっていうと、やっぱりそのとき、まったく一日違いなんですけど、とたんに、朝鮮人の労働者っていうのは、たとえば、食堂にいっても、今度は、まったく昨日とうってかわって、声高に母国語を使って、声高にしゃべりさざめきって状態になって、それに対して、今度はなにが起こるか、日本の労働者っていうのは、今度は小さくなって、ひそひそ話をしているような、そういう感じになって、たった一日違いで、そういうことがあったわけです。
 ぼくらはそれを、いずれにしても、どちらも愉快でなかったっていうふうに、不快であるというふうに考えました。つまり、なにが不快であったのかってことを、自分でよく考えたんですけど、結局、それはやっぱり、奴隷じゃないかってことなんです。つまり、朝鮮人労働者っていうのも、奴隷じゃないのか、日本人労働者っていうのも、奴隷じゃないのか、つまり、その解放感も奴隷だし、そのちぢこまり方も奴隷である。そういうことっていうのは、やっぱりぼくは、体験的に感じました。
 これは、ちょっと違うんだっていうような、つまり、大衆ってものは、どっか違うぞっていうような、そういうことを考えるようになった契機になったのは、いま数えてみますと、そういう体験をあげることができます。

4 労働運動における敗北

 たとえば、もうひとつ、二番目のぼくの敗北の体験っていうのは、なにかっていうと、それは、学校を出まして、会社勤めをしまして、そこで、やっぱり、労働者みたいなものをやってまして、つまり、そこでのまた、敗北ってものがあるわけですけど、その敗北っていうのは、どういうふうにやってきたかっていうと、これは、非常に私的な感想でいいますと、帝国以降における労働者ってものは、やっぱりどうしようもないわけです。つまり、どうしようもないっていうことは、ひっそりとちぢこまっているっていうようなことになっているわけです。
 そして、たとえば、ぼくらは、そのときの主犯であるわけですけど、たとえば、ぼくらが、仕事を、労働運動のことや、労働組合のことじゃなくて、仕事的に、つまり、純然たる職業上の問題で、職場の問題で、たとえば、話しかけるっていうようなことをしても、やっぱり、そっぽを向いてしまうわけです。
 つまり、まことに、ものすごく異常な感じなわけです。なぜ、そっぽを向くのかっていうと、そうすると、主犯と話をすると、なんか自分も共犯と思われはしないかってことだっていうふうに、ぼくは思いますけど、あるいは、もっと違くて、あの野郎、憎たらしくてしょうがないってことであったかもしれませんけど、ぼくにはそう思われないので、つまり、そこでは、通常の会話さえも、すでにできなくなってしまう、そして、ただ職業上、仕事上、事務上の話をしても、やっぱりなんか、眼をそらし、また、去ってしまうわけなんです。そういうような状態っていうのが、やっぱり存在しました。
 やっぱりそれは、大衆における敗北の仕方っていうものは、決定的にはやっぱり、そこまでいくだろうっていうふうに、ぼくは感じました。そして、それは、ぼくにとっては、それほど真新しい体験ではなくて、すでに、敗戦時において、ある程度は、ぼくは、考えとして把握していたってことが、やっぱりあらためて、そこで、あったなってことであったと思います。
 つまり、そういうようなことが、いわば、敗北における、最も基本的な構造だっていうふうに思います。

5 60年安保における敗北

 で、三番目のぼくの体験的な敗北っていうのは、日々これ敗北みたいなものですけど、そう言わないで、主だったあれでいえば、それはやっぱり、60年のときだったと思います。そのときは、すでに、ぼくは職場から追われていましたし、そのときの敗北っていうものは、ぼくはわりあいに、分析し、見通すことができていたと思います。
なにはともあれ、ぼく自身が考えたことは、つまり、このような敗北の仕方っていうもののあとにおける揺り戻しといいますか、反動といいますか、それはきついに違いないっていうふうに考えました。
 そして、まず第一に、自分のことばかりで申し訳ないですけど、自分は、そのときにはすでに職場を変えて、物書きとされていたわけですけど、つまり、物書きとして、そういう事態からシャットアウトされるに違いないと、そうだとしたらば、おれは、たとえば、書くということに対して、必然があるならば、おれは、そういうふうにシャットアウトされても、やはり、書くべきもの、あるいは、書きたいものは書くという、そういう場っていうのは獲得しないと、いかようにしても、獲得しなければならないと、つまり、それは、最後に、単独であっても、獲得しなければならない、そういうふうに確立をしたと思います。
 つまり、そのときにはすでに、敗北の構造については、かなりな体験的な見通しをもっていまして、やはり、そういうものをまっさきに考えたと思います。それは、やはり、そういうふうにして、現在まで至ってきているわけですけど、現在では、ぼくも、多少の、たとえば、みなさんなんかは、ぼくはやだやだ、今日くるのやだって、つまり、やだっていうのは、なにかっていうと、しゃべりっぱなししかできないしっていうような状態で、だから、そういうのはやだと、とことんまで付き合うっていうのならやってもいいっていう、しかし、時間もなくて、それはできないと、だから、やだっていうのに、無理やり、ぼくになんかの効果があると見通したのかどうか知りませんけど、そういうことであれされると、まあ、いまではどうってことありません。
 しかし、やはり、安保闘争後の数年間っていうのはやっぱり、そういうことで、自分なりのあれをつくっていくってことで、たいへん真剣だったっていうふうに思います。こういうような、体験の構造ってものは、おそらく、たとえば、大きな闘争ってものを経過した後では、かならず、訪れるだろうって、ぼくには思われます。
 現在、みなさんが、そういうふうな訪れの場にあるのか、あるいは、6月なんとか決戦の景気のいい状態にあるのか、それは、ぼくにはわかりません。しかし、大きな闘争を敗北することの、敗北する仕方のなかには、ぼくがいま申してきましたような問題っていうのは、かならず、ぼくはあるというふうに思います。
 それはやはり、なんらかの意味で、克服していくっていうような、個人としても克服していき、あるいは、組織があるなら、組織としても克服していくっていうような、そういうことは、たいへんきついことだっていうふうに、つまり、つくるのは大変だけど、壊すのはやさしいっていうような、そういうもので、たいへんな努力が必要だっていうふうに思われます。
 元来、ぼくは、たとえば、ぼくが、わりあいに、具体的な意味合いで、タッチしたのが、60年の頃のあれなのであって、現在のあれは、たとえば、羽仁五郎先生みたいな人がやってきて、しゃべればいいのです。しかし、ああいう先生っていうのはずるい、つまり、散々でたらめな理論で煽っといて、そして、景気が悪くなると、どっかへいっちゃうわけです。ぼくなんかは、だいたい、みなさんのところで、しゃべりにくればいいっていうふうに言うんだけど、しかし、なんか知らないけど、おれも片棒を担がなくちゃいけないみたいなかたちになってくるわけです。それは、あまり、おもしろくはないです、心の中では。
 だけど、たとえば、なにかがあります。なにかがありますっていうのは、つまり、ここからみなさんに連帯のあいさつを送りますっていう、そういう意味の連帯っていうのじゃないのですけど、しかし、ぼくはやっぱり、大衆っていうものの総敗北の仕方っていうことに、つまり、ものごとをそういうところでみるっていうようなこと、それから、大衆っていうところでみるっていうような、そういうことの意味合いでは、連帯を感じますから、やはり、まあやるのも、二十辺に一回くらいは付きあうってことで、今後もそういうふうにするだろうと思います。
 しかし、みなさんは、ぼくを馬鹿にしてはいけないと思います(会場笑)。ナンセンスなんていわれて馬鹿にしては困るので、だいたい、問題は、大衆労働者っていうものを、日本における労働者っていう問題っていうのは、たいへん経済的であり、世界基本的でありますけど、しかし、かなりな程度では、やはり、前哨的であり、かなりな程度では、マルクス流にいわせれば、アジア的、つまり、専制的ってもののなかでの、さまざまな屈折っていうものを経てきていますから、その構造っていうものは、依然として、やはり、経済においての考察するに値するというふうに、ぼくには思われます。だから、こういう問題を、やはり、ぼくは、今日されるならば、自分がいまやっていることにからめて、そういうことをしゃべりたい、しゃべるほかないっていうふうにやってきました。

6 国家権力は首のすげかえが可能

 それから、もうひとつは、国家、あるいは、国家権力、あるいは、法権力っていうものは、みなさんのなかには、あるいは、たとえば、労働者のなかに、労働者の前衛がいて、部分がいて、労働者のなかに拠点を獲得して、そして、それを、粘り強い宣伝扇動活動をしなければ、革命なんてやってこないんだっていう、つまり、レーニンが結果的に導き出したような、そういう考え方っていうのはあるかもしれませんけど、ぼくは嘘だと思うんです。
それは、どういうことかっていうと、国家権力、あるいは、法権力っていうものが、首のすげかえができるってことなんです。つまり、首のすげかえができるってことは、横すべりできるわけなんです。
 つまり、たとえば、ぼくがやってる、古代天皇制、つまり、統一国家の起源のところへさかのぼっているわけですけど、天皇制権力は、あるいは、朝鮮人であるといわれ、あるいは、北九州権力であるといわれ、あるいは、満州の奥地の権力だっていうふうにいわれる連中だっていわれていますけど、それが、どれが当たりなのか知りませんけど、いずれにせよ、どこかからやってきて、バーッというふうに、統合するってことは可能だってことなんです。
そこに、たとえば、何千年も前から、国家以前の国家、つまり、群立国家っていうものをつくって、それでやってきた、そういう連中の、あるひとつの、群立国家のうちのひとつが、大勢力になって、他を武力的に抑えていって、そして、統一国家をしとげるというようなイメージっていうのは、もちろん、ありうるわけですけど、しかし、国家権力ってものは、幻想性を本質としました、つまり、観念ですから、観念を本質としますから、これは、全然そんなことと無関係にサッとやってくれば、スッと上にかぶさることができるのです。つまり、そういう意味合いっていうものをもっているんです。これは、やはり、歴史的に考察しても、どうしてもそういうことになるのです。
 その問題っていうのは、みなさんがもっておられる迷信ってもの、迷信のあらゆる部分っていうのは、やはり、そういう問題で、考察することによって、ある意味では通じるんじゃないかっていうふうに思われます。
 そういう問題っていうのは、ぼくは、象徴的にしか、ぼくは、政治運動を現在やっておりませんから、象徴的にしかいいませんし、また、いうのが良心的だと思いますし、また、具体的にいうと、文句をいうやつもいるでしょうから、だから、いいませんけど、しかし、そういうことっていうのは、法国家っていうもの、あるいは、国家権力っていうものの考察のなかで、あるいは、部族的な群立国家っていうものが、統一国家勢力によって支配される、その支配のされ方のなかで、徹底的に、異族であっても、つまり、種族的には異族であっても、また、地理としては遠いところの勢力であっても、それは、いっこうかまわないのであって、それは、上にかぶさることができるってこと、そのかぶさる、かぶさり方っていうのは、さきほどいいましたように、法交換であり、また、観念交換であり、また、儀礼交換であり、あるいは、宗教の交換であり、非常に巧みにやるならば、それは可能だっていうこと、つまり、そういう問題として、国家、あるいは、権力、あるいは、その上層としての法っていうもの、法権力っていうものの存在の仕方っていうのは、そういうふうに存在できるってこと、それはやはり、現在においても、ある種の迷信を打ち破るには、たいへん有効じゃないかっていうふうに、ぼくには思われます。簡単ですけど、これで終わらせていただきます。(会場拍手)


テキスト化協力:ぱんつさま