喩としての聖書
──マルコ伝

  • 時間

    130

    (うち、質疑応答29分)

  • 音質

    日本YMCA同盟学生部による
    夏期ゼミナールとして行われた。
    周辺ノイズや残響音が入っているが、
    講演自体はクリアに聞くことができる。
    途中、黒板を使用するため音声が遠のく。

  • 講演日時:1977年8月31日
    主催:日本YMCA同盟学生部
    場所:御殿場YMCA東山荘
    収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』
    (2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』
    (1995年)




聖書のなかの奇跡を、
まったきフィクションとして読む読み方もありうるし、
また、本当の信仰者の信心として
読む読み方もあるでしょう。
しかし、そのどちらでもない読み方もあります。
それは「言葉」に対するまったき信仰があるとすれば、
結びつかないようなふたつの対象を結びつけて、
ひとつの「暗喩(メタフアー)」とすることができる
ということです。
聖書のなかの奇跡の話は、暗喩の一種、
しかもそれはまったく結びつけることができないような
ふたつの対象を結びつけようとしている暗喩だという
読み方もあることを、申し上げたいのです。