私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則 私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則
音楽家の細野晴臣さんと
美術家の横尾忠則さんが出会ったのは
1976年あたりのことでした。
そこからはじまる長いつきあいで、
対談回数はお互い「最多」相手なのだそうです。

はじめて会ったその日に
「いっしょにインドに行こう」という話になり、
ともに病気になり、YMOを結成しようともしました。
濃く薄く、かなったりかなわなかったりの交流を経て、
それぞれの世界で伝説化しているおふたりが
いま考えていること、抱腹絶倒の思い出話、
どうぞたっぷりおたのしみください。
取材協力:堅田浩二

編集:ほぼ日
第7回 実現できなかったことが。
細野
横尾さんをバンドのメンバーにすれば、
いろんなイメージやコンセプトを
いっぱいもらえそうだなとは思っていました。
でもよく考えたら、横尾さんは
プラスティック・オノ・バンドには
参加してらっしゃったでしょ? 
ジョン・レノン、オノ・ヨーコといっしょに
テレビにも出てました。
紙飛行機を投げててね(笑)。
横尾
ああ、ディビッド・フロスト・ショーという番組。
紙飛行機を作って投げたのは覚えてる。
あのとき、ジョンとヨーコに
「これやって!」とタンバリン持ってこられてさ。
タンバリンじゃ、カッコ悪いじゃない?
細野
ああだめだ、
タンバリンはやめたほうがいいですね。
横尾
だから紙飛行機作って飛ばしたんです。
細野
YMOに入るか入らないかというあたりは、
横尾さんも「時の人」でしたから、
とても忙しかったでんですよ。
だから結局、実現しなくてね。
横尾
でもね、
実現する可能性があったのに、
それが実現しなかったということは、
いつまでも思い出になるんですよ。
細野
本当に、忘れないです(笑)。
横尾
ノスタルジックな感情もひっくるめてね。
これ、もしメンバーに入ってると、
その後、話題にもならないよ。
入りそうで入らなかったという、
そのことのほうが
ぼくの人生にとってもおもしろい。
細野
おもしろいですよ。
入ってたら、
仲悪くなってたかもしれない(笑)。
横尾
それは可能性は、あると思うよ。
ぼくは創造と同じように
破壊のエネルギーを持っているから。
細野
入んなかったの、本当によかった。
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横尾
細野さんの場合も、
そういうことはいろいろあると思うけども、
そういう意味でいうと、
例えばヨーコさんやジョンと親しくなったことは、
ぼくにとってそれほど
大きい思い出ではないんですよ。
それは夢の実現だから。
細野
あ、本当に?
横尾
うん。
だけど、ボブ・ディランから
アルバムデザインを頼まれたことは、
ある意味でとても大きなこととして残ってる。
細野
ああ、なるほど。
横尾
ボブ・ディランのプロデューサーが
ホテルオークラに1泊して、
ぼくと打ち合わせして、
あくる日に帰っていったんです。
彼はぼくの作品をアレンジした
アルバムの絵を描いて持ってきて、依頼した。
けれども締切りまでの日程が
ほとんどなかったんです。
ミュージシャンって、アルバムの制作を
ギリギリまで粘るでしょう? 
ぼくはちょうど次の日にイタリアへ行く予定だった。
少なくとも締め切りまでに1か月ぐらいあると
思ってたんだけど、10日ぐらいしかない。
だから、できなかった。
そういう「できなかった」ということのほうが、
話としては伝説的になっておもしろいんだよ。
細野
ええ、わかります。
横尾
ミック・ジャガーとも、
ポスターやソロアルバムの話があったけれども、
結局行き違いでできなかった。
実現していたら、
サンタナやマイルス・デイヴィスのアルバムのように
「やりましたね」で終わってしまう。
細野さんには、そういう話ないの?
細野
まぁ、少し違うかもしれないけど、
ニューオーリンズに
アラン・トゥーサンという人がいました。
ポップスではレジェンドのような人です。
どなたかがセッティングして、
ぼくのスタジオにアラン・トゥーサンが
来ることになりました。
そんなの、寝耳に水なんですよ。
「え、来るんですか!」って驚いて
スタジオに飛んでいきました。
そこでアラン・トゥーサンが、
「曲はどれだ」と言う。
いや、こっちは曲なんか用意してないもんだから、
怒られちゃって(笑)、
「今度呼ぶときは曲を用意しといてくれ」
と言われました。
それでおしまい。
ぼくは本当に尊敬してる人だったんで、
申し訳ないと思ったけど、
すごく思い出になってます(笑)。
横尾
そのおっちゃん、亡くなった?
細野
ええ。10年ほど前に。
横尾
そうか。
ニューオーリンズっていいとこですよね。
細野
ええ、大好きです。
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横尾
ぼくもあそこには2回ぐらい行きました。
美術館で展覧会を開いたんです。
そのときに、街の公園で、
ニューオリンズのおまわりさんたちが
グループで作ったアート作品を展示していました。
ものすごくおもしろかったよ。
アートをやったことない人たちだけれども、
機会を与えられてやると、皆できるのよね。
細野
ニューオーリンズは
とくにユニークな街ですからね、
フランスの文化が交じっていたり。
横尾
そのとき、ニューオリンズの大学で
講演をする予定があったんです。
前日に日本の領事が
「横尾さん、アメリカ人は、
最初のひと言でおもしろいことを言わないと、
最後までウケませんよ」
と、ものすごいプレッシャーかけてきたんだよ。
最初のひと言がおもしろくなきゃ、
あとは全然ダメってわけ。
そのかわり最初の一発で当てりゃ
そのまま持ちます、と。
ひと晩じゅうずーっと考えたけど、
最初のひと言がなにも浮かばないんだよ。
細野
そりゃそうだ。
横尾
いよいよ講演の時間になった。
場所は大学だったけど、
入っているのはほとんど一般のお客さんです。
しょうがないから、最初にこう言いました。
「じつは夕べ、メシを食いながら、
日本の領事がぼくに
サジェスチョンしてくれました」
みんな、しーんと聴いてる。
「その人が言うには、
『アメリカ人には最初の一発、
おもしろいこと言わないとダメです』」
細野
わははは。
横尾
そしたら「ワーッ」(笑)。
細野
さすがだ。
横尾
あとは本当に
どんなにバカみたいな話してもウケまくった。
(明日につづきます)
2021-08-27-FRI


※細野さんと横尾さんのこれまでの対談をまとめた本
(いったい何回分の対談を掲載しているのでしょうか!)が
近日刊行予定だそうです。
発売日が決まったら、
ほぼ日のTwitterなどでお知らせします。
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『YOKOO LIFE』
横尾忠則(著)

糸井重里(聞き手)

1,320円(税込)



打ち合わせや旅のあいだのおしゃべりが、
宝もののようで、聞き逃がせなかった。
だから録音機をできるだけまわした。
どうおもしろいのか、説明はできない。
そんなふうにおそるおそるはじまった、
横尾忠則と糸井重里による
「ほぼ日」のおしゃべり連載は、
通な方々のあいだでじわじわと話題となった。

「あれ、本にすればいいのに!」
という声をいただくも、
編集方針について迷いに迷い、数年経過。
この記念すべきYOKOOイヤーに、
思い切って追加の対談を収載し、
奇跡のような本を誕生させます。
本になって、さらに宝もののような、
貴重な内容です。
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2021年7月17日(土)→10月17日(日)

東京都現代美術館 企画展示室1F/3F



2021年7月21日(水)→10月17日(日)

21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3



2021年7月17日(土)→9月5日(日)

丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング



ジャケットとパンツを
2021年7月1日(木)から順次発売

ISSEY MIYAKE SHIBUYA(渋谷PARCO2階)、
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA、
ISSEY MIYAKE SEMBA、
ISSEY MIYAKE MARUNOUCHI、
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