丹治さんプロフィール
第一回 野菜づくりを教えることはむずかしい

ほぼ日 「だれでもつくれる永田野菜」DVDには
さまざまな人が関わってますが
「これまで書籍だとわからなかった
 永田農法を映像で伝える」
というプロジェクトに
書籍をつくることを生業としてきた
丹治さんがいることは
ちょっと変わったことだと思うんです。
このDVDを書籍にすると
もともとのコンセプトから外れちゃうし。
かといって、
「頼まれ仕事」でもない。
結果的に「菜園手帖」が生まれましたが
ちょっと失礼な聞き方ですが
そもそも、どうして丹治さんが
ここにいるんですかね?(笑)

丹治

それは何って。
糸井さんのせいでしょう!(笑)
これまでも「食べること」に関わる
書籍を出してきたから
「永田農法」という
名前だけは知ってたけど
それどまりで。
ぼくは当時『ダ・ヴィンチ』という
雑誌の編集部にいて
糸井さんの担当編集者だったんですよ。
その関係もあってユニクロが始めた
野菜事業「SKIP」の記者発表に
呼んでいただいたんです。
ほぼ日 西新宿の廃校を借りて
教室がクロークで。
体育館で記者発表。
校庭で野菜の試食。
のあれですね。

丹治

そうそう。
校庭に生の野菜がならんでて、
試食ができたじゃないですか。
そのとき、ほんとにぶったまげたわけですよね。
ほぼ日 それが永田野菜の初体験であったと。

丹治

そうそう。
オクラとか、ピーマンとか、にんじんとか、
そのへんにあるのを生でボリボリ食べて、
ハタからみるとちょっとあぶない人、
というくらいに、むさぼり食ってて(笑)。
ほんとにおいしくてびっくりしたんですよ。
「なになにこれが、通販で買えるんだ。
 それは申し込まなくちゃ!」
それから毎月1回、
野菜が届くのが本当に楽しみだったんですよ。
ほぼ日 「おまかせ野菜セット」だ。

丹治

そうそう。今月はなんだろうと。
毎月毎回同じ野菜がきたりするわけですよね。
たまにね(笑)。
ほぼ日 予定より豊作になった時は
そうなるんですよね。

丹治

そうそう。
管理して野菜がつくられているわけではなくて
できたものでいいものを食べて欲しいから
こういうふうに入ってくるんだと思って。
だから段ボールをあけたときに、
畑とのつながりみたいなものを感じるんですよね。
「これだけこの時期とれちゃうんだー」とか。
あと、来るはずのものが
入ってなかったりするでしょ。
「雨が多いからとれなかったのかなー」
と思いをはせることにもなるし。
畑をリアルに感じてすごく楽しかったんです。
しかも、食べればおいしいじゃないですか。
実際、食べればおいしいじゃないですか(笑)!
うちはもともと、朝のごはんとして、
野菜を蒸したものを食べてたんですが、
永田野菜を蒸し野菜にすると、
ほんとうにおいしいんですよ。
ドレッシングもつけずに食べるんだけど
蒸すと、他の野菜と味の差が
如実に出るわけですよ。
とにかく味がしっかりしてる。
ほぼ日 なるほど。

丹治

よくさ、昔のにんじんは、
もっと味が濃かったとか、
雪が降る所でつくると味が濃いという
話はよく聞くし、実際食べたりもしました。
味はたしかに濃いけど、
えぐみとか、のどにひっかかるような感じも
どうしても濃くなってるような感じがしてて。
永田野菜はそれがなかったんですよ。
まあ、とにかく大ファンだったんです。
ところが、その「SKIP」が
2004年の3月いっぱいで
打ちきりになったんですよ。
ほぼ日 はい。

丹治

その情報を聞いて、
すごいショックだったんですよ。
ほぼ日 ああ。
丹治 え!なんで!?なんで!?って。
この味を一度覚えてしまったからには
これからどうすればいいのよと。
とにかくショックで家族もショックで。
ほぼ日
とにかくショックだったと。
丹治 ええ。
あまりにもショックで、
その年の4月に糸井さんと会う機会があったので
思い切って聞いてみたんです。
「糸井さんにとって、
 もう『SKIP』は
 終わった事業かもしれないけれども、
 失礼を承知で
 教えていただきたいんですけれども、
 あの野菜はいったいどうなっちゃうんですか。
 ぼくはヘビーユーザーで、
 大好きだったわけで、
 とにかくショックなんですよ」
というお話しをしました。

そしたら、糸井さんの目がキランっと光りました。

ほぼ日 光りましたか。
丹治 「お!丹治くん、よくぞ聞いてくれました。
 ぼくの中で、まだ野菜の話は
 ぜんぜん終わってないどころか、
 これから広がっていくんだよ」と。
それで、いろんなプロジェクトのこととか、
学校の統廃合で空いてる校庭で
野菜はつくれないかとか、
農政のこととか、税制のこととか、
いろいろ矢継ぎ早にばばばばっと話を聞かされて。
その話が非常に魅力的だったんです。
ぼくはぼくで「アノニマスタジオ」という会社を
立ち上げた直後で
本も何も出てない状態だったんだけど、
思わず手をあげちゃったんです。
「糸井さん、なんかやりたい」って。
ほぼ日 ふふふふふふ。
丹治 そしたら、糸井さんが、
もうしめしめって感じだったと思うんですけども、
「お、言ったなって。」(笑)
「丹治くん、言っとくけどさ、
 時間がかかるよ。金もかかるよ。
 儲からないよ。それでもよければ、
 ぜひなんか一緒にやろうよ」
と、言ってくれたんですね。
こちらも「ぜひとも」と言って、
そこは別れました。
そしたら、その一週間後に、
糸井事務所から電話があって。
突然、
「丹治さん、何月何日あけといてください」
って怖い声で言われて
「なんで?」と聞いたら
「なに言ってるんですか、
 野菜ですよ。畑に行きますよ」と言われて。
ほぼ日 そんな電話したかもしれない(笑)。
丹治 そう、そこから全てがはじまったの。
その翌週には浜松の永田先生の家にいた(笑)。
わけもわからずに新幹線にのって
浜松の駅で降りたら
NHKの方とか制作会社の方とか
すでに大人数が集まっていて。
撮影機材こそ持ってないけれども
何かすでに動き出してるんじゃないの?
と、思いながら畑を見学していると
新幹線に乗り遅れたNHKエンタープライズの
諏訪さんがタクシーでのりつけ
挨拶もそこそこに、いきなりタマネギを
生でむさぼり食べて‥‥。
その辺りから
「どうやらテレビ番組をつくるみたいだ」
ということが理解できた(笑)。
 
(つづく)

2006-03-20-MON

いままでの「野菜手帖のひみつ」