その3 HITOYOSHIの工場を訪ねました。

熊本県の人吉(ひとよし)というのは、
もともと人吉藩相良氏の城下町。
山に囲まれた盆地であることから独自の文化が育ち、
「ウンスンカルタ」など、
南蛮渡来・ポルトガルの文化がいまも残っています。
(江戸時代、寛政の改革で禁止されたにもかかわらず、
この土地に残っているのは、
全国でもとても珍しいことなのだそう!)
市内を流れるうつくしい球磨川は
鮎の友釣りや川下りで知られ、
川沿いには豊富な温泉が湧き、
観光地としても注目をあつめています。
(うなぎも、うまいです。)

市内を見晴らす高台の、
気持ちよく風がぬける場所に
HITOYOSHIシャツの工場があります。
ここでことしの「白いシャツをめぐる旅。」の
フラッグシップシャツがつくられます。

昨年、たくさんの取材をしたというのに、
「どんなふうにシャツがつくられるのか」
工場見学ができなかった私たち。
そういえば昨年は台風に阻まれて飛行機が飛ばず
工場取材を断念したという経緯もありました。
もちろん信頼しているところでの生産ですから、
チェックしたいという意味ではなく、
ただ、見たかった。
シャツってどうやってできるんだろう? と。

世界一の白いシャツの工場にしよう。

ざっとHITOYOSHIシャツの歴史をご紹介します。
ここはもともと、トミヤアパレルという
シャツメーカーの工場でした。
創業は1989年。
当時はメイド・イン・ジャパンのシャツが非常に多く、
トミヤアパレルグループも
東北や九州など、全国に16の工場を持っていました。
ところが時代が変わり、海外に生産工場がシフト、
国内工場は徐々に閉鎖し、
2009年には親会社の経営が破たんします。

そのときに独立して、この工場を買い取り(MBO)、
会社名をHITOYOSHIとして再出発させたのが、
現・社長である吉國武さん。
工場長である竹長一幸さんとともに船出をしました。
東京に営業を置くことで受注をとり、
もともとすぐれた人材のいた人吉の工場で
「クオリティ」を大切にした
メンズのシャツづくりをはじめます。
その評判はすぐにひろまり、順調に業績が回復、
かつて150名が働いていた工場は、
再出発のときに70名まで減りましたが、
現在は若い人が育ってきたこともあり、
100名にまでもどっています。

効率を重視すれば、現在の規模ならば
1日に1000枚のシャツをつくることができるのですが、
クオリティを高く保ちたいと考えるHITOYOSHIでは、
1枚のシャツづくりにしっかり時間をかけるため、
1日にできるのは550枚です。
しかも、型も素材もひとつではありませんし、
たとえばイージーオーダーのシャツともなれば、
それは1着限りのもの。
仕様が変わるごとに作業が変わるわけです。
じつはとても有名なブランドのOEMも受けていて、
いま工場はその割合が7~8割、
HITOYOSHIブランドのシャツは2~3割。
今回の「白いシャツをめぐる旅。」のものは
HITOYOSHIのタグでつくってもらいます。

工場でつくられる白いシャツを見ながら、
工場長の竹長さんが、ちょっとしみじみと言いました。

「白いシャツって、いいですよね。
ぼくも大好きなんです。
じつは、再出発のとき。
社長の吉國と決めたことがあります。
それは、ここを世界一の白いシャツの工場にしよう、
いつかこのラインを白いシャツで埋め尽くそう、
ということでした」

ミシンを使った「手づくり」!

さて、シャツって、どうやってつくられるんでしょう?
「工場」というからには
自動化・機械化された効率的な生産をしているのかな?
‥‥と思っていたのですが、
機械らしい機械といえば
仕様書からパターンをつくるコンピュータ
(それにしても、人がいなければ動きません)と、
型紙から布を切り分ける自動裁断機くらいでした。

▲パターンはコンピュータでつくります。といっても、素材、その縮み率などを考える部分は、人の頭脳が必要です。

▲パターンが出てきました。

▲こんなふうに一気に裁断します。

ミシン、これは機械ですけれど、
ミシン=全自動縫製機、というわけじゃありません。
布を入れれば縫い上がって出てくるわけじゃない。
かつて針で手縫いしていた仕事を、
効率よく、安定した品質にするために使います。

▲もくもくと作業がつづきます。

それでも「職人技」というのは
生きているんだなぁというのは
ベテランの縫い手さんの手元を見て、
はっきりとわかりました。

▲ミシンの仕事というのは、ミシンを使いこなす仕事。運転と同じでテクニックが要るのです。

メンズのシャツというのは、パーツがとても多く、
HITOYOSHIの工場での製作の流れは、
衿、袖、カフス、後身、前身の各パーツ、
そして「本流」と呼ばれる全体を組み立てる作業、
その6つの班に分かれています。

▲工程は整然とブロックで分かれています。

みんな、それぞれの作業においてのプロフェッショナル。
たとえば衿のチームは衿だけを担当するので
できあがったときの品質が安定するのです。
ちなみに、人によって向き不向きがあるそうで、
適性を見極めるのも工場長の竹長さんの仕事です。
赤いシャツを着た人は班長さん。
みんなの上にたつベテランで、
すべての工程を熟知、シャツすべてのパーツを
「丸縫い」できる人です。

基本的に1人が担当する工程は3~4工程ていど。
どんどん次の人に渡していきます。
縫い上がったシャツは(仕様によって)製品洗いをし、
乾燥させ、アイロンをあてて、畳みます。
もちろんその間にこまかな検品作業が入ります。

▲検品は工程のなかで何度も行われます。ミシンをかける人も、検品しながら作業しているような感覚だそう。

▲洗って乾燥させたしわくちゃのシャツを‥‥。

▲ぴしっとプレス!

▲そして畳みます。

こまやかな気配りの手仕事。

HITOYOSHIシャツのすごいところのひとつに、
「こまやかな調整をする」ことがあげられます。
たとえば、ボタンダウン仕様のシャツは、
衿先にボタンホール、前身ごろの鎖骨のあたりに
ボタンがつきますが、
このボタンの位置を、左右で1ミリずらしています。
なぜなら、向かって右側は、
前立てから台衿までが重なることで、
まったく同じ位置にボタンを着けると、
微妙にずれて見えてしまうのです。
それを解消するために、1ミリほどずらす!

▲ボタンの位置がちょっとずれているの、わかりますか。

▲仕様書も、1ミリずれてる!

また、台衿の厚みで、衿の大きさも
左右の大きさが同じに見えなくなるため、
その衿をほんのすこし小さくつくります。
こういうことは素材や仕様により、微妙に変わります。

▲じつは左右の衿って、まったく同じ‥‥ではない!!

そして、そういう仕様を
きちんと仕上げなくてはなりませんから、
かなりの「職人技」が要求されます。

たとえば衿の部分は、台衿と衿でパーツが分かれています。
そのパーツを表・裏で縫い合わせるときと、
衿と台衿をつけるときに注意が必要なのは、
首にそってカーブをえがいたときに
内側はシワにならず、外側は突っ張らず、
うつくしく仕上げる必要があるということです。
HITOYOSHIの職人さんは、そんなパーツをつくるとき、
ミシンで直線として縫いながらも、
生地を引っ張る力加減を変えるなど、
微妙なさじ加減で、グイッとカーブを描くように
仕上げることができます。
うまく文章で表現できないのですが、
まるで「立体彫刻作品を、布でつくっている」ようでした。

▲手前を押すと、反対側がすこし持ち上がる。ということは、微妙に立体になるように縫われているということです。

▲こんなくふうも。縫うときに持ち上げる器具を使うことで、仕上がりも、きれいにカーブします。

さて──、HITOYOSHIでつくったシャツは
どんな仕上がりなのでしょう?

▲くわしくは次回!

(つづきます)

写真=菅原一剛
2016-09-02-FRI