世界にはいっぱい問題があるけれど
きょうのテーマはかなり深刻です。
8月6日という日に
読んでもらえるとうれしいです。



核のない世界

ホワイトハウスに、ほど近いホテルの一室で、
CIA(米中央情報局)の元局員が語った言葉が
今も耳から離れない。

「アメリカは今後もテロを防ぐことはできない」

彼はこう断言したあと、表情を変えずに続けた。

「あなたと私で、このホテル近くで
 放射能爆弾を組み立てて、
 何千人を殺すこともできます。
 防ぐ方法はないんです」

放射能爆弾とは、核分裂や核融合が引きおこす
巨大なエネルギーを利用する核爆弾とは違って、
ダイナマイトなどを爆発させて
放射性物質を撒き散らすだけの単純な武器だ。
ダーティー・ボム(汚い爆弾)と呼ばれ
爆発の規模が大きければ
広い範囲に深刻な放射能汚染を
もたらすことができる。

CIAの元局員は放射能爆弾を
持ち込むのを止めることは不可能だと繰り返した。

「防ぐ方法はありません。
 アメリカの国境は広く開かれています。
 あなたが望むなら、メキシコから
 車で国境を越えるのもわけないことです。
 誰も気づかないでしょう」

この元局員の名はロバート・ベア、
中東担当の工作員、いわゆるスパイとして
レバノンやイラクなどに滞在、
多くの自爆テロ犯と接触した経験を持つ、
テロ対策のプロだった。
その彼が、テロリストが放射能爆弾を
ワシントン中心部で爆発させるのを防ぐことはできない、
と言うのだ。

放射能爆弾だけではない。
彼はテロリストが核爆弾を使用する危険も警告する。
こうしたテロへの懸念が広がっているのは、
それまでに知識としてはあったものの、
ロバート・ベア氏から直接聞くと、
がぜん現実味を帯びて感じられた。
彼はCIA在職中に、
クリントン政権の資金集めと石油産業との関わりを
告発しようとして逆にFBIの取調べを受け、
21年間つとめたCIAを1997年に辞める。
その後もベア氏は中東に通い続け、
9・11同時テロにつながる情報を得る。

「1997年に私と妻はベイルートに行き、
 カタールの王子と友人になりました。
 彼は警察署の署長でもありました。
 当時彼は、テロリストの
 ハリドシェイク・ムハメドの電話を盗聴していました。
 ムハメドはハイジャックを計画していました。
 それが結局、9・11同時テロだったのです。
 私はその時すでにCIAを辞めていましたが、
 CIAに警告を送りました。
 しかし何の返事もありませんでした」

さらにベア氏は、2001年に
9・11の実行犯のメンバー2人が
アメリカに入国した際、
CIAがFBIに情報を伝えなかったため、
計画を阻止する決定的なチャンスを逃したと話した。

質問を続けた。

「CIAの最大の問題は何ですか」
「CIAはもはや存在していませんよ」
「存在していない?」
「CIAなんて紙の上だけの存在です。
 みな外国語も話せません。
 東京にスパイを送ったとする、
 彼は日本語を話せないと、
 ぼくが保障しますよ」

CIAの能力が低下し、
もはやテロを防ぐことはできないと彼は繰り返した。
そのベア氏が警告する緊急の問題が、
テロリストが核爆弾や放射能爆弾を使う可能性だった。

もしテロリストが核を手に入れたら、どうするか。
彼らが反撃を恐れて
核を使うのを躊躇する理由は見あたらない。
核戦争の一歩手前まで行ったとされる
1962年のキューバ危機が結局回避されたのは、
核を使ったら核の報復を受ける恐怖からだ。
つまり国と国の戦争では“抑止力”が働いた。
しかし今や、
何千発の核兵器を持っていても
テロリストの核使用を“抑止”できない。
その代わり
地球に存在する核が増えれば増えるほど
テロリストがどこからか
核を手に入れる確率は高くなる。

実際、核兵器を持つ国は増えている。
国連の常任理事国である
ロシア、アメリカ、フランス、
中国、イギリス、の5カ国、
さらにパキスタン、インドの2カ国、
そして認めてはいないが
確実に持っているとされるのがイスラエルだ。
また北朝鮮は核実験を行い、
イランもウラン濃縮を通じて
核開発の道に踏み出していると見られている。

こうした動きに伴って
核技術が流出する危険も増えている。
たとえばソ連崩壊の際に核の技術者たちが
国外に流れたと言われ、
現在のロシアの核の管理体制も
ソ連時代よりもかなりズサンだと見られている。
パキスタンの核開発の父と呼ばれるカーン博士の
“闇市場”の実態はいまだ明らかになっていないし、
パキスタンをイスラム過激派集団が乗っ取るという
悪夢のようなシナリオもささやかれている。

北朝鮮をめぐっても
アメリカは核兵器を打ちこまれることを
恐れているのではなく、
北朝鮮から核の分裂物質や核技術が
流出することを懸念しているのだ。
過去に北朝鮮がパキスタンに
ミサイル技術を与えたことも明らかになっている。

そればかりではない。
地球温暖化をきっかけに脱石油の流れが強まる中で、
原子力発電の需要が高まっている。
原子力発電の燃料としてのウランや
プルトニウムを核爆弾に転用するのは
技術的にかなり難しいとされていたが、
いまやその技術は広く知られている。
アメリカの研究者によると、
核兵器に転用できる核分裂物質は
世界40カ国に分散して存在しているという。

すでにテロリストと核をつなぐ証言も
明らかになってきている。
スーツケース型核爆弾を持って来ると約束した男に
ビン・ラディンが200万ドル支払ったという証言を
アメリカの雑誌が掲載したほか、
ヨーロッパのテレビ局は、
核兵器をすでに持っていると
アルカイダの幹部が語ったと伝えている。
本気で考え出したら夜も眠れなくなるほどだ。

2007年1月には、アメリカのシュルツ元国務長官、
ペリー元国防長官、キッシンジャー元国務長官、
サム・ナン元上院軍事委員長の4人が、
ウォールストリート・ジャーナル紙に
『核廃絶のビジョン』を発表した。
核戦略の実務を担ってきた長老4人が
超党派で動いたのも、
こうした懸念と恐怖が背景にある。

オバマ大統領が「核のない世界」を
唱えているのも同じ理由だ。
もちろんオバマ大統領の理想主義が
思想の根底にあるのだろう。
だがアメリカが核攻撃にさらされる危険が
かつてないほど高まっているという、
やむにやまれぬ国益が彼を動かしているのも事実だ。

オバマ大統領は、
今年4月にプラハで核廃絶を訴える演説を行った。
この中で、オバマ氏は現在の核攻撃の脅威を、
赤裸々に語っている。

「冷戦はなくなったが、
 何千もの兵器はなくなっていない。
 歴史とは不思議なもので、
 全世界的な核戦争の脅威は低くなったが、
 核攻撃の危険は増している。
 多くの国がこれらの兵器を入手した。
 実験は続き、核機密や核物質の闇市場取引は多い。
 爆弾をつくる技術は広がった。
 テロリストは核兵器を買うか、作るか、
 盗むかを決意している」

「これは世界中の人々にとって他人事ではない。
 ある都市で核兵器が爆発すれば‥‥
 それがニューヨーク、モスクワ、イスラマバード、
 ムンバイ、東京、テルアビブ、パリ、プラハの
 どこであったとしても、何十万人の人間を殺しうる」

オバマ大統領はこのように述べたうえで、
演説の最後にもう一度繰り返す。

「我々は、テロリストが核兵器を
 手に入れないようにしなければならない。
 これは世界の安全保障に対する最も緊急で、
 最大の脅威だ。
 ひとりのテロリストがひとつの核兵器で、
 大量破壊を引き起こすことができる。
 アルカイダは爆弾を求め、
 それを使うのに何の問題もないと言った。
 そして我々は世界中に
 安全が確保されていない核物資があるのを知っている。
 我々は人々を守るために、
 すぐに目的意識を持って行動しなければならない」

アメリカの大統領が、核テロについて
ここまで具体的に脅威を訴えたのは記憶にない。
その上でオバマ大統領は、
まずアメリカが「核のない世界」に向けて
具体的な措置をとり
他の国にも働きかけることで、
テロリストの手に核が渡らない仕組みを
作ろうと世界に呼びかけた。
だが、ことはそう簡単ではない。

この演説の中でオバマ大統領は、
歴史的な発言をする。

「核保有国として、
 核兵器を使用した唯一の核保有国として、
 アメリカには行動する道義的責任がある」

原爆投下をめぐる責任に、
アメリカの現職の大統領が言及したのだ。
日本では一様に驚きと歓迎を持って迎えられた。

これに対してアメリカ国内からは
複雑な視線が注がれる。
ウォールストリート・ジャーナル紙は、社説で
オバマ大統領を“核の幻想家”と名づけて非難した。

「この発言は、広島への原爆投下に
 謝罪しているも同然で、
 トルーマン大統領への侮辱である。
 トルーマン大統領は(原爆を投下することで)
 本土決戦の流血なしに第二次大戦を終結させ、
 何百万人の命を助けたのだ。
 道義的責任なんてものを持ち出しても、
 ピョンヤンやテヘラン、
 ましてや逃亡中のアルカイダに対して
 何の解決にもならないことを、
 我々はとっくにわかっているはずだ」

保守的なメディア王、ルパート・マードック氏が
ウォールストリート・ジャーナル紙の
支配権を握ったことで、
社説のトーンもより保守的な傾向が
強まっているのかもしれないが、
原爆投下を肯定的にとらえる考え方は
アメリカ人の中で今も根強い。
オバマ大統領は足元にも
高いハードルを抱えているのだ。

オバマ演説から3ヶ月後、
アメリカはロシアと核弾頭の削減で合意した。
その内容は、戦略核弾頭の数を
現在の上限の2200発から
7年以内に1500発〜1675発まで
減らすというものだ。
世界の90%以上の核兵器を持つアメリカとロシアが
動き出したことは大きな意味があるにしても、
米ロが世界で最も核兵器を保有する国で
あり続けることには変わりない。
(しかも戦略核弾頭とは
 相手の国まで飛ぶロケットに取り付けた核兵器、
 つまりすぐに発射できる核兵器のことだ。
 倉庫に眠っている核兵器も含めると
 もっとたくさん持っている)

今のところイランや北朝鮮が核開発を
あきらめるとは考えにくいし、
イランなどアラブの国々に囲まれたイスラエルに
核を放棄させるのは至難のわざだ。
アメリカに次ぐ軍事予算を誇る中国や、
超大国の仲間入りをしようと軍事費をやっきになって
増やしているインドを説得するのも、
それと同じくらい難しい。

オバマ大統領もプラハでの演説の中でこう認めている。

「私は楽観しているわけではない。
 この目標(核兵器のない世界)を
 すぐには達成することはできない。
 たぶん私が生きている間には」

そしてこう続けた。

「これには忍耐と粘り強さがいる。
 しかしいま我々は、世界は変わらないという声を
 無視しなければならない。
 我々は『Yes, we can』と言い続けなければならない」

1945年、アメリカが核実験に成功した瞬間、
人類は700万年の歴史のなかで
初めて桁違いの破壊力を手に入れた。
それは戦争を終わらせるためという名目で2度使われ、
その後は戦争を起こさせないという名目で
競うように作られ、
気がつくと地球の全ての人々を
何十回も殺せる量を抱え込むことになった。
そして“抑止力”という魔法がとけた今、
人類は自らが産み落とし、
世界に散らばった核兵器の回収に
躍起になっている。

64回目となる原爆の日。
広島と長崎は今年も祈りに包まれる。

(終わり)

2009-08-06-THU
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