「あなた」のためのデザイン。 醤油と味噌とインテリア・ファブリック。 【対談】脇阪克二さん × 福田利之さん  20代で渡欧、フィンランドのマリメッコ社、 ニューヨークのラーセン社で ながくテキスタイル・デザイナーをつとめた脇阪克二さん。 現在は京都を拠点に絵を描きつづけている脇阪さんを、 イラストレーターの福田利之さんがたずねました。 ひとりの後輩として、 また、同じ土俵で仕事をする仲間としての、 福田さんによるインタビュー、 全3回で、お届けします。

 
第2回 自分を受け入れるまでに。
福田 脇阪さんの作品のイメージと、
お宅のインテリアが
よく合っていらっしゃいますよね。
自然をよくモチーフによくされてるので、
そういう草花がたくさんある感じとか、
かわいいものが、そこかしこにおいてある感じ、
ベランダにはきっと春にたくさん
お花も咲くんだろうなというようなところが。
けれども、脇阪さんの作品は、
あまり表に出されていないんですね。

▲拾ってきたものも多いという、部屋のなかの飾り。手づくりのものもたくさん。
脇阪 はい、プレーンな中にいた方が
次に新しいものがつくりやすいと思っていて。
福田さんはどうですか?
福田 僕も実はそうなんです。
自分の描いた絵は飾らないです。
デザインしたものとかも‥‥。
脇阪 同じですね。人によると思いますけれど。
きっとそういうふうに自分の作ったもので
埋め尽くされてるような方もあると思います。
福田 ぼくの場合、ひとつ、理由としては、
終わっちゃった絵はもういい、
と思っているからなんです。
脇阪 ああ、そうですね。
僕もそうですよ。
福田 脇阪さんのインタビューを以前拝読して、
昔のマリメッコ時代のテキスタイルが、
当時はそんなに好きじゃなかったって
おっしゃっていて。
けれども年を重ねるにおいて、
今は少しよかったなって思えるようになったと。
ちょっと僕はまだそこまで
至っていないんですが、
それって、どんな気分なんでしょうか?
脇阪 若いときは、嫌でしたね。
マリメッコで自分がつくったものを
誰かが飾ってたり、着てたりするのも、
すごく嫌でした。
福田 そこまで!(笑)

▲脇阪さんのマリメッコ時代の代表作、「BOO BOO」。
脇阪 取材されても、取材されたその記事を
読むことも嫌だったし。
福田 えぇーっ!
脇阪 やっぱり自分を見るようでね、
恥ずかしいんですよ。
福田 はい、はい、はい。
脇阪 けれども今は、そういうことは全然ありません。
結局、自分を受け入れられるように
なってきたと思うんですよ。
でも若いときは劣等感があるから、
そういう自分を見るのが嫌だった。
福田 ということは、マリメッコ時代のデザインは
脇阪さんそのものだったわけですね。
もちろんその時代のものでもありますが。
脇阪 うん、そうですね。そうだったと思うんですよ。
福田 マリメッコって、ほんとに自分を出すことを
要求されるっていう話を聞きました。
脇阪 そうです。
福田 じつは僕はマリメッコのディレクターに
作品を見てもらったことがあるんです。
わりと気には入ってもらったんですけど、
「あなたの絵は繊細過ぎる」と言われました。
脇阪 ああー。
福田 もっと大胆な、ほんとに自分のわき出るものが、
ダイレクトに表現されているものができたら、
もう1回見せにきてくださいって言われて(笑)。
脇阪 ああ、なるほど。
福田 実は少し、コンチクショーと思っちゃったんですけど、
でもやっぱりマリメッコは
すごくリスペクトしているので、
なるほどなって思い直して。
脇阪 うーん、僕、福田さんの描くものは、
じゅうぶん福田さんらしいと思いますよ。
ただ、僕も経験がありますけれども、
「どこで描くか」も重要なんです。
というのは、マリメッコを辞めてから、日本で、
マリメッコ用にデザインを描いたことがあるんです。
いまから10年以上前のことです。
新柄だし、結構自分としては
大胆なものをつくったつもりだったんですけども、
採用はされたものの、
あとで商品になってみたら、
フィンランドで見ると、非常に地味なんですよ。
フィンランドというあの土地で、
あの空気の中で見るデザインとしては、地味なんです。
僕らは叫んでいるのに、彼らにしてみたら
つぶやいているくらいにしか見えない。
そんな感じがするんです。
だから彼らにしてみると、福田さんの絵も、
「もっと自分の大声で叫んだら?
 もっと爆発したら?」
ということになるのでしょう。
けれどもフィンランドにいたときつくったものを、
日本で見たら、ものすごい大胆なんですよね。
福田 フィンランドって、
夏の喜びみたいなのがすさまじいですよね。
冬の暗さと、対称的で。
デザインにもそういうものが
要求されてるってことですかね。
風土とデザインに関わりがあるといいますか。
脇阪 あります。
福田 冬は冬で、冬の家を明るくする
デザインがちゃんと出てきますし。
僕は3回ぐらいしか行ってないんですけど、
行って思ったのは、
じつは僕は冬の方が好きだなっていうことでした。
脇阪 ああ、そうですか!
福田 みんな、夏、夏って言うんですけど、
次また行くんだったら冬に行きたいなと。
もちろんずっと住んでれば
そんなことは言えないと思うんですけど。
脇阪 ああ、どういうところが?
福田 夏は、人の熱量が多過ぎて
ちょっと大変ていう感じがしました。
けれども、冬、わりとこう、黙って静かに
コーヒーを飲んでいるフィンランド人と接してる方が
僕は落ち着くっていう感じがありました。
脇阪 なるほど。

▲これまでに3回訪れたフィンランド。
福田さんがいつか住んでみたい国のひとつ。
福田 ところで、脇阪さん、あちらに、
旧暦の、七十二候でしょうか、
手書きのカレンダーを貼ってらっしゃって。
これはデザインにおいて
何かヒントになっていったりするものですか。
脇阪 そうですね。
日本の情緒とか、気候とか、
そういう季節感であったり、言葉であったり、
京都の行事を詳しく書いておけば
何となくそういうものっていうのが
目に入ってきますよね。

▲自宅の作業スペースの横に貼られた手描きの暦。
おなじものが、SOU・SOUにも飾られている。
福田 ずっと、海外の生活をされて、
今京都に落ち着かれてるということなんですが、
今でもご旅行とか、そういうのはされますか?
脇阪 あんまり‥‥というか、
あまりにも、しないですね。
ふたりとも、じつは、
旅行がそんなに好きじゃないんですよ。
福田 海外生活がこんなに長くていらっしゃるのに(笑)。
脇阪 1カ所にいるのはいいんですよ。
だからフィンランドにいたら
フィンランドにいるだけなんです。
そこの日常を生きて、10年近くなってくると
その環境に飽きてくるんです。
そしたらもう違うとこへ行ってしまうみたいなね。
福田 そしてまたデザインも変わるというような?
脇阪 そうそう、その繰り返しなんですよ。
福田 お生まれになったのは京都ですよね。
戻ってらっしゃったという感じでしょうか。
脇阪 そうです、60歳になって戻ってきました。
それまで、京都が嫌だったんですよ。
すごく嫌だったんです。
誰でもそうじゃないですか。
自分が生まれたところ、故郷って、
何か、こう、恥ずかしかったり、
裏腹な気持ちがすごくありますよね。
ほんとは好きなんだけれど、落ち着かない。
それが60近くになってきて、
京都に帰ってこられたというのは、
たぶん自分を受け入れられるように
なってきたんでしょうね。

(つづきます!)

 

2012-12-20-THU

福田さんのやさしいタオル