三谷幸喜脚本の8時間ドラマ 『わが家の歴史』を、 観ると決めた。

糸井 なんていうか、今回、
落ち着いてますよね、ドラマが。
三谷 え、どういうことですか?
糸井 つまりね、
観るものを興奮させすぎないんですね。
三谷 あー、うんうん、なるほど。
糸井 なんでもかんでもてんこ盛りにして、
「おもしろいでしょ?」「おもしろいでしょ?」
っていうんじゃなくて、脚本を書きながら、
「落ち着け」「落ち着け」って感じの
三谷さんが見える気がしたんですよ。
三谷 そうかもしれませんね。
なんというか、このドラマは、
ある家族の歴史でもあり、
昭和の歴史でもあるんですけれども、
ぼくのとるべき立場としては、
なるべくそれを俯瞰で描くことだなと思っていて、
それでいて高見から見下ろさないこと、
「俯瞰で描きつつも目線を下げる」
という気持ちがすごくあったんです。

昭和の歴史でもある

舞台は戦後まもない昭和の時代。
主人公の一家の運命を描きながら、
実際にあった昭和の事件なども随所に描かれる。
流行りや文化が反映されているのはもちろん、
画面のあちこちに、当時の有名人が、
まるで通行人のように登場する。
かといって堅苦しいドキュメンタリーではなく、
三谷作品特有の遊び心に満ちている。
縦糸にぐいぐい引き込まれながらも
三谷さんが織り込む油断ならない横糸に
ちょこちょこ目を奪われる、という感じ。
糸井 あー、わかります。
三谷 だから、すごく、登場人物に対して、
僕は客観的になってたのは、
たしかかもしれないですね。
糸井 まぁ、8時間という長さをかけて描くうえで、
トゥーマッチにならないようにという
配慮もあると思うんですけど、
なんていうか、こういう素材を扱うときに、
お客さんに過剰に興奮してほしくないと
思ってらっしゃるような印象があって。
だから、全体のトーンが「平熱」なんですよね。
三谷 たしかに、
この昭和の初期から中期という時代は
熱く描こうと思えば
いくらでも熱く描ける時代なんです。
糸井 そう、そうなんです。
だからこそ、そこで平熱を保っていることが
観る側としてはすごくよかった。
なんていうか、平熱だからこそ、
逆に目が離せないんですよ。
重岡 ああー。
糸井 テレビドラマをよく観る人なら
わかると思うんですけど、
熱い展開のドラマって、意外に横向いて
みかん剥いたりできるんですよ。
でも、このドラマは平熱なんで目が離せない。
ずーっと、見つめ合ってるような感じがして。
それは、脚本だけじゃなく、
演出の方の姿勢も含めて、
意図されたものというか、
きちんとわかったうえで
こうされたんだろうなあと思ったんです。
三谷 そうですね‥‥。
あの、あの時代を描いた作品に、
『三丁目の夕日』という映画があって。
糸井 はい、ありますね。
三谷 あれを観たときに、
まぁ、決して嫌いではないんですけど、
あのベタな、これでもかみたいな感じが、
僕には、ちょっとトゥーマッチだったんです。
糸井 はい、はい。
三谷 そう言いつつ、
しっかり泣いたりはしたんですけど、
わかります?
糸井 わかります、わかります(笑)。
三谷 くり返しますけど、嫌いじゃないんです。
ただ、このドラマでは、あの時代を扱うときに、
ああいう描き方はしたくないな、
という気持ちがあって。
もうちょっと具体的にいうと、
たとえば、ああいう古きよき時代に対する
セピア色の風景みたいな印象。
それって、僕のなかにまったくなかったんですよ。
糸井 あー、なるほど。
三谷 それは最初に現場のスタッフの方にも
お話ししたんですけども、
あの当時にぎらぎらした色が
なかったかっていえばそんなことないわけで。
それをあえてセピア色に描くのは、
なんか、すごくこう、
傲慢な感じがしちゃったんですよね。
たとえば、僕らがいまいるこの時代を
50年後のテレビ人が、ドラマにしたときに、
画面がセピアだったら、
すごくいやだと思うんです。
いや、こんなんじゃなかった!
って言いたくなるじゃないですか。
糸井 遺影みたいになっちゃうよね。
三谷 そうですね(笑)。
だから、もう、できるだけ、
現代のように描いてください
っていうことはお願いして。
それはたぶん、河野監督も、
他のスタッフの方も意識されてたと思います。
重岡 そうですね。
糸井 なんていうか、それは、
その時代とその時代を生きた人に対する
礼儀のようなものじゃないかなぁと思うんです。
三谷 ええ。
糸井 自分たちが知ってる時代の話でもあるから、
当事者として戯画化されたくないという
気持ちもありますしね。
あの、いってしまえば、
昔の人もいまの人も同じじゃないですか。
たとえばインターネットや
コンピューターについて、
昭和の人たちは知らなかったかもしれない。
でも、当たり前のことですけど、それは、
遅れてるとか、そういうことじゃない。
だからこそ、過剰に懐かしむこともしないし、
思い入れることもしない。
かといってバカにもしないし、
昔はよかったと言うつもりもない。
三谷 うん。そうですね。
糸井 過ぎた史実に対して
描き方がすごく等距離なんですよね。
それは、ひょっとしたら、
はじめてのやり方なんじゃないかと思う。


(つづきます)


2010-04-05-MON