ほぼ日刊イトイ新聞

ただ、自分であり続けただけ。伝説のドラァグクイーンと、レ・ロマネスクの短い対話。

1960年代の、リオ・デ・ジャネイロ。
軍事独裁政権下の街の夜に
大輪の花を咲かせたドラァグクイーン、
D・ヴァレリアさんと会いました。
レ・ロマネスクのふたりといっしょに。
ほんの短い対話でしたが、
ステージで生きるパフォーマー同士、
ひといきでわかりあい、
互いの生き方を称え合っていました。
そのようすがとてもよかったので、
数回の連載にまとめて、おわけします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

D・ヴァレリアさんプロフィールレ・ロマネスク プロフィール

ディヴィーナ・ヴァレリア

歌手として国際的に活躍したキャリアを持つ。
1960年代にはアルバムを発売。
1970年代は俳優として3本の映画に出演。
最初にヨーロッパへ渡ったグループの一人で、
整形手術を施した第一人者で、
それにより
独裁政権下で投獄されたと噂されている。
放浪癖があり、年中旅をしているため、
家も持たず、彼女の性同一性を受け入れなかった
家族とのつながりもない。

レ・ロマネスク

ポップ音楽ユニット。
TOBI(トビー)とMIYA(ミーヤ)により
フランスのパリで結成。
世界12カ国50都市以上で公演したのち、
2011年フジロック出演を機に帰国。
NHK Eテレ「お伝と伝じろう」のメインキャストに
抜擢され、マキシシングル3枚リリース、
扶桑社から公式ファンブック出版。
カンボジアデビューや完全無音コンサート開催など、
他のアーティストとは違ったアプローチで
精力的に活動中。
2017年10月に日本語初のフルアルバム
「レ・ロマテラピー」を発表。
2018年9月には、TOBIの経験した「ひどい目」を
一冊の本にまとめた
『レ・ロマネスクTOBIのひどい目。』を
青幻舎より刊行。

02そこはグラムールの世界。

──
レ・ロマネスクさんには、
パリで一躍有名になるきっかけとなった
テレビ番組があるんです。
ヴァレリア
ええ。
──
それは、いわゆる「素人発掘番組」の
フランス版で、
この格好で、フランス語で
「ズンドコ節」を歌ったんですけども。
ヴァレリア
ズンドコ?
──
ズンズンズンズンズンズンドッコ、
というフレーズで有名な歌です。
TOBI
もともとは、戦争に行く兵隊さんを
歌ったものだそうで、
そのリズミカルな曲調に乗せて
「パリの街って、ホントにステキね。
 犬のフンは落ちてるし、
 鳩がパンくず食ってるしもう最高」
‥‥という皮肉を歌ったんです。
──
パリの異邦人として。
TOBI
そしたら、9割以上のお客さんから
大ブーイングを喰らいました。
ヴァレリア
オオーウ。
──
でも、そこでめげずに
1番、2番‥‥と歌い続けていたら、
だんだん味方も増えていって。
ヴァレリア
オーディエンスも、
あなたたちのパフォーマンスが本物だと
徐々に気づいて、
連帯感を持つようになったんでしょう。
──
レ・ロマネスクのふたりからは、
あんまり、
いわゆる苦労話を聞かないんですけど、
下積み時代からパリでやってきて、
人には言えないような、
辛いことだってあっただろうなあ、と。
ヴァレリア
たしかに、わたしたちのような人間が
人前に出て歌を歌う、
知らない世界へ飛び出していく、
それは、とっても素晴らしいことです。
──
ええ。
ヴァレリア
でも、わたしたちのパフォーマンスを、
人々の心に本当に届かせるためには、
やはり、時間や経験を
積み重ねていくことが重要だと思うわ。

わたし自身について言えば、
キャリアはもう「50年」にもなるし。
──
50年‥‥!
ヴァレリア
そういう時間のなかで、
くやしいことや辛いこと、悲しいこと、
失敗から学んだことも、たくさんある。

そして、その学びがあったからこそ、
わたしは自分を磨けたし、
歌詞の内容さえわからないような、
初対面のお客さんにも
涙を流してもらえるような歌を、
歌えるようになったと思っています。
TOBI
そうですよね。
ヴァレリア
逆に、その時間や経験がなかったら、
今でも簡単に、
わたしは、くじけてしまうでしょう。
TOBI
ヴァレリアさんが、
パフォーマーを続けることができた
モチベーションって何ですか?
ヴァレリア
やっぱり、歌い終えたあとに、
会場のお客さまに拍手してもらえる、
その拍手こそが、
いちばんのモチベーション。

拍手というのは、
わたしの歌がみなさんの心に届いた、
その証だと思っているから。
TOBI
そのとおりだと思います。

見ず知らずのお客さんの拍手こそが、
何よりの証拠ですよね。
ヴァレリア
わたしは‥‥まだ若かったころから、
大きなカバンをひとつだけ持って、
まったく見ず知らずの土地へ行って、
歌を歌ってきた。

そうすることが、好きだったんです。
──
すごいことです。
ヴァレリア
ドイツ語もできないのに、
ドイツのミュンヘンで歌を歌ったり、
スイス、イタリア、スペイン、
フランス、チリ、アルゼンチン‥‥。

今では、もう、数え切れないほどね。
レバノン、テヘラン、
イスタンブールで歌ったこともある。
──
わあ、イスラム圏でも。
昨晩だって、東京で、飛び入りで。
ヴァレリア
ただ、日本は、1971年だったかしら‥‥
2~3ヶ月、ツアーで回ったの。
TOBI
え、そうだったんですか。
ヴァレリア
まだパリにいたころ、
カルーセル・ド・パリの団員として、
世界各国を回ったんです。

日本へも、そのときにね。
──
赤坂のニューラテンクォーターという
有名なナイトクラブで、
カルーセル麻紀さんと、
お知り合いになったりされてますよね。
ヴァレリア
あのころ、世界は「別物」だった。
TOBI
当時のフランスのショービズって、
世界最高峰でしょう。
ヴァレリア
そこは、グラムールの世界だった。
TOBI
映画の『男と女』のあと、くらい?
ヴァレリア
そう、あの映画は1966年でしょ。

そのころわたしはウルグアイにいて、
恋をしていたウルグアイ人と
映画館で観たの。今でも覚えてるわ。
──
レ・ロマネスクのふたりは、
その『男と女』に出演している俳優で、
有名な「ダバダバダ」を歌っている
ピエール・バルーさんに気に入られて。
TOBI
そう、共同生活してたんです、パリで。
5年間。
ヴァレリア
それは、素晴らしいことね!

彼は‥‥ピエール・バルーという人は、
ブラジル音楽も好きだったでしょう。
TOBI
そう! バーデン・パウエルとか。
ヴァレリア
ヴィニシウス・ヂ・モライスとか。
──
残念ながら一昨年の暮に亡くなられて。
ヴァレリア
ああ、本当?
TOBI
はい、歌を歌いながら。

最期、歌を歌いながら、
救急車で運ばれていったんだそうです。
ヴァレリア
なんて綺麗な死に方。

<つづきます>

2018-09-26-WED

ヴァレリアさんも出演
『ディヴァイン・ディーバ』
全国で公開中!

リオの伝説的なドラァグクイーン8人を
何年も追いかけたドキュメンタリー、
『ディヴァイン・ディーバ』が
この9月より、公開されています。
ときは軍事独裁政権下、
人々の「偏見」も当たり前にあった時代。
道なき道を切り拓いてきた
「第1世代」の人たちの記憶、歌、言葉。
つらい思いや苦しかったできごとも
語られていますが、最後は、
心があたたかくなる映画だと思いました。
ヴァレリアさんの歌う「マイ・ウェイ」、
最高だと思いました。
劇場情報など、
くわしいことは公式サイトで チェックを。