転機のとき。
メールマガジン「ほぼ日デリバリー版」に寄せられた
さまざまな「転機のとき」のメールが、とても多いんです。
実感に満ちた経験の数々を、場面別に、ご紹介しますねー!

第8回 転機がないんですけど‥‥?!


「平凡なことを、
 毎日平凡な気持ちで実行することが、
 すなわち、非凡なのです(アンドレ・ジイド)」

「残念ながら、
 真実というものは、ほとんどの場合は、
 平凡なものですからね‥‥(ドストエフスキー)」



掲載されているたくさんの体験談を読むと、
「なんか、ヌルいページだなぁ!」
「ひきこもりどうしの、キズのナメあいかよ!」
と感じられる方も、いるのかもしれません。

「人生はどの瞬間も転機だから、どれが転機とは言えない」
「人生に転機なんていうことはあるのでしょうか。
 幸せも不幸せもひとつの流れる水であって、
 その流れを止めることはできないんです」
というようなメールをくださる方が、
実際、いらっしゃいました。

「世の中に転機がない」という言い方をすれば、
言葉は定義のしかたひとつで意味が変わりますから、
そう感じた方の中には、
きっと、転機は「ない」のだと思います。

ただ、実際に「転機だな」と感じた時の、
具体的な精神の揺れのメールが、
いま、具体的にどこかで迷っている人の、
なんらかのヒントになる時も、あるんじゃないでしょうか。

わたくし「ほぼ日」スタッフの木村としては、
そんなことを考えて、このページを作っています。
「キズのナメあい」が目的でもないですし、
ある種の「露出」や「露悪」を目的にもしていません。

「それぞれに固有の経験を、ご紹介していきたい!」
という目的で作っているコーナーですので、
できれば、「そーゆうこともあるんだなぁ」などと、
じっくり読んでくださると、うれしく思っています。

では、今日の「転機のとき」です。

いろんな人が、いろんな転機について、
話してくださっている途中ですが、
最近いくつか目についたのは、
「わたしって、いままでの生活のなかで、
 転機がないんですけど、それって平凡でつまらない?」
というようなメールです。

いくつかいただいたので、
「あ、そう思っている方がいらっしゃるんだな」
と思いました。
ですので、今日の「さまざまな転機のおたより」は、
冒頭に「転機がないんですけど?!」という方々を、
特に集めて、ご紹介していきますね。

途中からは、いつもどおりの
「ほんとにいろいろな、具体的な転機」
を選択して、お届けしています。

それでは、たくさんのメールを、どうぞ。







・私は去年の10月に結婚した新婚ほやほやの主婦です。
 旦那様は、私が初めてきちんとおつきあいをした男性で、
 付きあって1年半ほどで結婚を決めました。
 今まで男性経験は全くありませんでした。
 でも今の人と結婚できて良かったなぁと、
 ほんとに思っています。
 やさしいし、家のことは手伝ってくれるし、
 何よりライフスタイルや考え方が
 二人ともバッチリあってるので。
 ほんとに今「ほんわかな幸せ」で包まれています。
 今に安心しきってるんです。

 でも時々、物足りなさも感じています。
 本当に今までの人生、順調にやってきました。
 自分で言うのもなんですが、ずっと優等生でした。
 親にも逆らわず、
 小学校・中学校・高校・短大・就職・結婚と
 たいした挫折もなくきました。
 親や先生と自分の進路や夢のことで
 もめたこともありません。
 友達と本気でけんかをしたことさえ無いのです。
 私には「これだッ!!」といえる転機の時が
 ないような気がします。

 「つまらない人生」なんでしょうか?
 でも怖いので、
 自分からあえて何かを起こすことも出来ません。
 「後悔のない人生を送りたい」
 誰しも思うことだと思います。
 けれど行動を起こさないと後悔も出来ないんですよね。

 無理やり問題を起こさないまでも、
 いつか私の人生の中で何かが動き始めたときには、
 感情に流されないで、
 その先をしっかり見極めれる人になりたい。

 そんなことをちょっと思いはじめた今。
 実はこんな事も「転機の時」かな?
 (匿名のかた)



・「転機のとき」を読むにつけ少し不思議に、
 というか羨むことがあります。
 どうして回りの人って「転機」がくるのだ?
 というか「転機」って存在するの?
 私は大学進学の時、「転機」にして
 踏み出さなければいけないきっかけを棒にふり、
 結局そのまま地元に居続け、今も、
 それなりに販売という好きな仕事をしているものの、
 全く頭がすっきりしないまま生きてきました。
 でもやっぱりそんな自分を誤魔化しつづける毎日に
 「打撃」はきました。
 去年の2〜6月にかけて4年間付き合った彼氏との別れ、
 愛犬の医療ミスによる死、
 好きだった同僚の結婚(しかも私の嫌いな子と)
 たてつづけに少なからず自分が依存してきたものを
 短期間に失ってしばらく呆然とし、
 その後にさすがに「これは何だ?」と思ったのです。
 「厄年」とかそういうことではなく
 次々に何かを失ってあとに残っているのは
 ほんとうに「身一つ」。
 何も残っていないこの状況はなんなのだろうと
 ずっと考えつづけてきました。
 そしてずっと「転機のとき」を読んでいて、
 ほかの人達の入学・就転職・恋愛・結婚・病気、
 他の様々な理由に伴う「転機」に触れるにつれ、
 冒頭のようなことが浮かんだのです。
 「私に転機は存在するの?
  転機って自分で作り出せるの?」
 「23歳のうちに自分の道筋を決めておかないと
  絶対間に合わないような気がする」
 と書かれてた方がいましたが、
 お〜い、私は26だよお!勿論この方のように
 私も23歳のうちにそう考えて
 24歳で今の会社に転職をしたけれど、
 今尚自分の道筋に頭をひねっている私。
 でもいつまでも頭をひねっていた理由なんて
 とっくにわかっていたのです。
 それは「自分の1番好きな事をしていない」から。
 「しない」理由もわかっていたのです。
 それは「怖い」から。
 何もないところから
 私が何かを作り出せるわけがない。
 それにむいているわけがない。
 運良くその道をつかんでも挫折したらどうするの?
 考え続けていたことはいつも同じ事、
 「それだけ」だったのです。
 自分に備わっている力を信じることが出来ない。
 昔はもっとなんでもやってやろうと思って
 とりあえず足を前に出したりしていたけれど、
 年だけ食った私はもう「諦め」に慣れて、
 その足を出さなくなってしまった。
 そのようにして生きてきたのです。
 でも私はずっとこのメールを
 うたなくちゃと思っていた。
 自分の思いをこのように出して
 決断しなくちゃとずっと思っていた。
 「転機のとき」のコンテンツがあるうちに、
 絶対出さなきゃと思っていたのです。

 前に「ダーリンコラム」で
 「向いているとわかったものにしか手をつけないなら
  今ごろみんなプーだよね」
 と書いていた事にも背を押されました。
 「とりあえず、無視される為に、恥をかくためにも」
 始めようと思います。そして自分に
 まだ残ってくれている大切な人達
 (上司・一足先に新しい道でがんばってる元同僚・
  今年自分なりの決断をしようとしている幼馴染)
 に今年の自分を見てもらいたい。
 そしてもちろん「ほぼ日」にも!! 
 本当は何回も下書きして
 もっと理路整然と書く予定でしたが・・・
 すごく雑然としていますが、
 とにかく早く送りたいので、こんな内容でも送ります。
 すみません!
 またいい報告が送れるようにがんばります!
 (ノリコ)



・転機の時を興味深く読んでます。
 私もこれから大きな転機を迎えそうなんですが、
 それより心配なのがうちの姉です。
 正直ものすごく変わっています、
 家族じゃなかったら
 両親も見捨ててしまいそうなくらい困った性格です。
 大学時代から8年付き合った彼と別れて以来
 もう7年近く彼氏もいません。
 勤めている会社の制服が変わった時も
 「こんなのださいから嫌」と前の制服を一人着続けたり
 女子社員が姉に嫌気をさして、5人以上辞めています。
 
 休日はずっと寝ていてどこにも出かけないし、
 料理もご飯を炊くこともまともにできないので
 心配した親が「自立の為に」と
 一人暮らしをさせてみたんです。
 私は元々学生時代に一人暮らしをしていたので、
 姉と同時期に家を出て別々の場所で
 一人暮らしをしているんですが、
 3年目になる今の姉の状況を聞いてみると
 「トイレのマット洗うの面倒だから新聞紙引いてる」
 「料理作るの面倒だからお弁当とか惣菜食べてる」
 と言っていて最後には絶対、
 「・・・だって別に誰か来るわけじゃないし」
 と開き直ります。
 
 安物の色褪せたセーターを着て、
 化粧品も母のを勝手に使い、ここ何年も
 単価が1万円以上の物を買ったのを見たことがありません。
 ブランド物をチャラチャラ持って派手にしろとは
 言いませんが、自分を飾らないのに、相手に
 「一流大学を出ている福山雅治」
 を求めたって無理だと言う事にも気付きません。
 実は私は4年前に前の彼と別れて半年後から、
 彼氏がいなかった事がありません。
 
 前彼とは親と姉のものすごい干渉にあって
 破談になったので、それ以来
 「彼はいない」と言い続け
 カモフラージュの為に親の持ってくる
 お見合いもしています。
 前彼と破談になった時に、泣いている私に
 「ざまあみろ」と言ってきた姉とは、
 ほんとは腹を割って会話なんてしてません。
 適当に「大変だねぇ」と
 姉の愚痴に相槌を打っているだけです。
 今の彼はものすごくいい人で、
 今年中に一緒に住んで、
 来年には結婚しようと話していますが、
 正直姉が彼氏の存在を知ったら
 どんな反応を見せるか怖いです。
 
 こんな思いをしている妹って私くらいなのかなぁ?
 恋愛話の出来るお姉ちゃん
 が欲しかったなって心底思います。
 もう結婚しているちょっと年の離れた弟がいるんですが、
 小さい頃から姉とは仲が良くなかったので、
 弟も姉の事は私に任せたって言うし、
 真ん中ってほんとに損です。
 私の転機より、姉の転機が早く訪れて欲しい、
 今日この頃です。
 (かっぱ)



・今、僕は転機のなかです。
 かための、ちゃんとした仕事か、
 自分がやりたい、いちかばちかの仕事かで、
 揺れ動いています。
 本当は自分のやりたい仕事の方をしたいんです。
 でもきっかけが…。
 なにか理由がないと、全然動けなくて、
 いつも雰囲気や周りに流されてる自分がいる。
 はたして僕は変われるのだろうか。
 (TU)



・私は22歳です。今年、23歳になります。
 私にとって、転機の時は、
 ちょっとした「現在進行形」というかんじです。
 日本の専門学校を卒業して
 アメリカの大学に編入しました。
 それが、一つの転機でもありましたが、
 専門からのともだちもいたので、
 そこまで大きな転機ではなかったと思います。
 学校がはじまり、クラスに参加をしはじめると、
 アメリカ人のクラスメートと
 喋る機会が多くなりました。
 クラスで出る宿題も分からないところがあると
 アメリカ人のクラスメートと
 一緒に勉強したりするようになり、
 専門からの友達と一緒にいる時間というのが
 少なくなりました。
 そして、9月から12月までの
 長い一つの学期が終わる頃には、
 クラスに私の居場所というのが出来ていました。
 そして、学校内ですれ違うと
 クラスメートや教授が
 声を掛けてくれるようになりました。
 冬休みが終わり、新しい学期が始まりました。

 時間割も何もかも変わり新しくなっています。
 教授もクラスメートも前の学期とは全く違います。
 それでも、すぐにクラスで、私の居場所が出来ていて、
 カフェでもアメリカ人の友達が私を見ると、
 こっち!!といい、
 仲間に入れてくれるようになりました。
 
 そして、いつしか
 一緒にきた専門の友達と一緒ではなく、
 アメリカ人の友達に囲まれて
 ご飯を食べたりしていました。
 そこで、一人のアメリカ人の子が、
 「○○(私の名前)は私達が話してることを聞いて、
  すべて分かるの??」と聞いてきて、
 「少し分からないよ。単語とかね」
 とこたえると、彼女は、
 「なんで、what does it mean?って
  聞いてくれないの??」と言いました。
 「何だかいいにくくて」
 「ちゃんと聞いてくれれば、私達、友達だから
  ちゃんと○○が理解するまで教えるのに!!
  友達でしょ?
  私達は○○とも一緒に色々なことを話したいのに、
  それだったら、だめじゃない??
  だから、これから、分からない言葉や
  単語があったら、聞いてね!!
  そしたら、私達だって○○が分かるまで
  根気よく説明するから!!
  お互いに勉強になるし」と言ってくれて、
 すごく助かったし、それからは、何かあっても、
 相手が教授だろうと聞くようになりました。

 その時が、これから
 彼女達とは長く付き合っていけそうだな、
 と思った瞬間でもありました。

 そして、もう一つの転機は、アメリカに来て、
 1年後の去年の9月から12月までの学期でした。
 その時に、私はタフになれた気がします。
 その学期は、私が今までに経験したことのないくらい
 大変な学期でした。
 アートを専攻しているので、
 美術史も取らないといけません。
 教授から美術館リストを渡され、
 そこに書いてあるすべての物を見てきて、
 質問に答えて、レポートにまとめてくるという
 ペーパーが2.3回ありました。
 1回につき15個くらいで、
 色々と書くとすごい枚数になるし、
 1回、美術館に行ったくらいでは見切れないくらいで、
 ペーパーを書き始めて、数回いく事が続きました。
 HPでも見る事が出来ますが、
 HPではのってなかったりするので、
 美術館に行くしかないです。
 それもある意味、大変でした。
 それと、テストの前はもう大変でした。
 
 美術史を2つ取っていて、教授が一緒でした。
 教授は同じ週の違う日に、テストをやりました。
 どっちかのテストが終わると
 頭を切り替えて、次の方に集中!というかんじでした。
 技術の方も取っていて、教授が厳しく、
 小さな提出物は毎週で、
 大きなプロジェクトは月末でした。
 技術のプロジェクトと美術史のテストが重なったときは
 もう悲劇としかいいようがなかったです。
 
 でも、その学期を乗り越えれたお陰で、
 タフになれたような気がします。
 本当にいい転機だったと思います。

 そして、今の進行中の転機は
 転機と言えるかどうか分かりませんが、
 この5月に大学を卒業してからのことです。
 アメリカに残るかそれとも日本に帰るか?という選択。
 インターンシップを週1でしています。
 アメリカの会社ではないですが、
 実社会を見ています。
 そして、周りの環境も見ています。
 
 本当に自分が心からしたいという事を探す事は
 難しいですが、私なりに、沢山のことを
 色々な違った角度から見てから、
 私なりのfinal answerを出そうと思っています。
 難しいですが何ごとも前向きに考えて・・・。
 (Y)



・今年28歳になります。
 たまたま、ほぼ日をみてたら、
 このコーナーを見つけて、毎日少しずつ読んでいます。
 みんないろいろあるんだなぁと、思いながら。
 私も今が転機の時です。2週間ほど前に
 付き合って3年、同棲して2年半の彼氏と別れ、
 一人暮らしを始めたばかり。
 別れたのは去年の12月の頭だったのですが、
 その後、思いがけず
 以前から友達だった男の子と付き合うことになり、
 バタバタと年が明け、現在に至っています。
 私は母一人子一人なのですが、母は結納までして
 一緒に暮らしていた前の彼と私が別れたという
 事実を受け止められないみたいで
 (彼のことをとても気に入っていたので)
 いまだにやり直して欲しい、ということを
 遠まわしにアピールしてくるのです。
 だから、まだ新しい彼のことは言えないし、
 バレたらと思うと恐くてたまりません。
 私もどこかで母の前では
 いい子でいなければという思いが強く、
 ついつい取り繕ってしまう・・・。
 けれど、みんなのメールを読んでいて、いい加減、
 私も転機のときを迎えているのなら、
 ちゃんと自立してがんばらないと、と思ったのです。

 それに、今は大好きな彼がいて、一人じゃない。
 ここを逃したらまた自立への一歩が遠のくなあと思い、
 決意を固めるためにほぼ日にメールを書きました。
 がんばって、母にちゃんと認められる、
 そんな大人の女になります。
 そして、今の彼とできれば結婚して、
 たくさん子どもを生んで、
 日本一のお母さんになりたいなー。がんばるぞ!
 (みっふぃー)



・私にとっての転機のときは、
 15年近く勤めた会社を辞めて
 アメリカに語学留学した時だったと思います。
 以前私はホテルに勤めていました。
 接客という仕事を通してたくさんのお客様と出会い、
 様々な経験をさせてもらって
 仕事はとても充実していたし、仕事は好きでした。
 20代の頃は仕事も楽しく、
 職場の人間関係にも恵まれて、
 あっという間に過ぎて行きました。
 しかし、自分がある程度の職位につくようになると
 責任の二文字が重く私の両肩にのしかかってきたこと、
 その頃の職場の人間関係が
 あまり上手くいっていなかったこともあり、だんだん
 自分が接客の仕事を楽しめなくなってきてしまいました。

 お客さんに喜んでもらう事が一番大切なはずなのに、
 その前に職場の人間関係が私の前に立ちはだかり、
 お客様よりも職場のスタッフのことに
 心が向いてしまうようになっていました。

 私よりもずっと年上の
 職人気質の板前さんとのコミュニケーションが
 上手くいかなかったり、
 お客様からの苦情が立て続けにあったりで
 そのころは本当にストレスと戦って毎日悩んでいました。
 それでも、仕事を辞めようとは考えてはいませんでした。
 後輩から相談を受けるまでは…。

 後輩は、
 「自分の本当の夢が見つかった。
  その夢を叶えるためには
  今のこの仕事は続けられない、だから会社を辞めます」
 と私に相談と言うより報告をしてきたのです。
 私はその時その後輩に
 「自分が本当にやりたい事をやった方がいいよ。
  後悔しないように。人生一度きりだからね」
 と伝えました。
 そして、その自分の言葉を振り返って考えて
 私にとってこれをやらなかったら
 一生後悔することってなんだろう?
 と考えたのです。
 そして、その時にずっと心の奥にしまっていた
 留学という言葉が突然出てきたのです。
 何年も前から
 一度でいいから留学したいと思っていました。
 でも、自分には全く現実的な事に思えなかったのと、
 勇気がありませんでした。
 いろんな事を躊躇しているうちに
 30代になってしまって、
 ますます夢は遠のいて行くばかりでした。
 もう、年だから私にはできないと。
 留学しなかったら一生後悔するだろうなぁと思いました。

 でも、会社を辞めても後悔するかもしれない…
 と思いつつ、その日を境に私の心は
 留学へとまっすぐに向かっていました。
 学校を決める事、入学の手続き、ビザの申請などなど
 「留学する!」と決心してからは
 すごいスピードで行動し、
 いつもは優柔不断な自分のどこに
 そんなパワーがあったんだろう?と思うくらい。
 
 それから半年後には会社を辞めて
 念願のアメリカ留学へと旅立ちました。
 自分では絶対にムリだと思って諦めていた事でしたが、
 やる気になればどんな事でもできる!
 年齢は関係ないと初めて実感しました。
 やってみなければ結果はわからない。
 本当にそう思います。
 思い切って行ってみて本当に良かったです。
 短い期間ではありましたが、
 異国の地で外国人や現地の人と一緒に生活をして
 言葉や文化を学んだ事は
 私にとっては本当に貴重な経験になりました。
 自分の国を離れてみて、
 初めて日本を外側から見て日本の良さを発見できた事。
 人の心の温かさを感じたこと。
 また、自分の家族のありがたみをしみじみと感じました。

 もし、あの時後輩と話していなかったら
 私はまだいろんな事を諦めて生きていたと思います。
 そう考えると私にとっての転機はまさにあの時です。
 (naoco)



・2002年の暮れ、
 3年半勤めていた会社を辞めました。
 その会社では、仕事も周りの人も、ほどよく好きで、
 ずっと勤めていても、悪くなさそうな居心地でした。
 しかし、社内恋愛の破綻が、
 私のささいなきっかけとなり、
 なにもかもが、うまくいかなくなってしまいました。
 まさに27年間の人生の中でも、圧倒的なスランプ。
 最終的には、「私自身の将来を考えた末」という理由で、
 勇気と退職願を出しました。 

 いまは貯金を頼りに、地味な自炊生活をしながら、
 会いたい人に会いに行ったり、
 日本で行ったことのない県を旅してみたり、
 はたまた家でぬくぬくしてたり、
 やりたいことだけを、気のおもむくままにしています。
 申し訳ないほど、笑っちゃうほど、ゆる〜い毎日です。
 実際、先の不安がないと言えばまあ嘘にもなりますが、
 この“長い冬休み”のおかげで、
 心のリハビリみたいなものが、
 できているように思います。
 それまでの自分が、結構頑張れていたという評価や、
 いろんなことを、ますますありがたいと思える気持ち、
 天気や自然のひとつをとってみても、
 ただ毎日働いているだけでは気づかなかったこと、
 意外と本当に、いっぱいあるものなんですね。

 とは言え、「将来を考えた」とのたまっていたクセに、
 勤めに関しては、
 次にしたいことが実はなんにもなくて、
 前途多難だろう、と思います。
 でも、これからまた、
 したいこと、やれることを見つけてくるつもりです。
 そしてあたらしい私との人生を、
 引き続き、楽しんでいきたいと思います。
 それが、3年半ぶん、もしくはそれ以上の
 平穏と安心とその他モロモロを手放した私自身と、
 むちゃくちゃに心配してくれている家族と、
 いままでに私と関わってきてくれた人達への、
 責任のようなものだと思っています。
 …な〜んて、ホントぶっちゃけ、
 「無謀な退職、無担保の生活」のわりに、
 不思議なほどに、後悔も全くない私は、
 なんだかんだ言って、甘く考えているのでしょう。
 だけど、厳しくしすぎて命を手放すよりは、
 よっぽどマシ。
 悩んで苦しんだ何ヶ月のおかげでそう言えます。
 生きていれば、たくさん、いろんなことに出会える。
 長くなってしまいましたが、
 要は、「希望は捨ててないぜ」と、
 書きたかっただけなんですけれどもね。
 (のりりん)



・みなさんの「転機のとき」をいろいろと読ませて頂いて、
 私も今年は「転機の歳かも」と思い、メールしました。
 私は33歳で、8歳年上のオットがいます。
 結婚して8年、自分でも予想以上に幸せで
 新婚以来変わることなく
 愛に包まれた生活を送っていると思います。
 でも、コドモはいません。
 コドモはキライってわけでもないし、
 むしろ好きだと思うけど、でも、
 「コドモがいる生活」が考えられず作らないでいます。
 オトコである彼は、コドモがほしいに違いない
 と思いますが、私には何も言いません。

 私は正直言って、このままコドモのいない生活が
 イイと思っています。
 今のスタイルを変えたくないからです。
 仕事もずっと続けたいし、友達ともずっと遊びたい。
 オトコならコドモができてもある程度は可能だけど、
 オンナはそーゆーわけにはいかないことが多い。
 だから、私はコドモを作らないことを選び、
 避妊薬を毎日飲んでいます。

 でも、彼にはこの薬を飲んでいることを言っていません。
 ホルモンバランスが悪く、妊娠しにくい体質と
 医者にも言われたと以前彼に話したので、
 私はホルモンバランスを整える薬を飲んでいると
 彼は思っているかもしれません。

 でも、彼になんの相談もせず、このまま飲んでいて、
 コドモを作らなくていいのだろうか・・・
 と考えるようになりました。
 彼の年齢を考えると、自分のワガママだけで
 こんな風にしているのはいけない気もするのです。

 幸い両方の親にも「孫はまだか」と
 言われたことはないけど、
 今年は彼の実家が建て替えをするので、
 同居話も出てきそうな気配ですし、
 いろんな意味で「待ったナシ」なのかもしれない
 ・・・と思うのです。

 なんだかとりとめもなく書いてしまいましたが、
 今年はキチンと彼とコドモのことや
 将来のことを話したいなと思っています。
 (う)



・受験で上京中の「s」さんのメールを読んで
 「ああ、自分にもそういう時があったなー」
 と実感しています。
 私も3年前に田舎から一人で東京に受験にきました。
 私は元から人に相談したりするような
 タイプではないので、誰かに連絡したりもしなかった。
 でも、思い出してみたら、
 「s」さんと同じ気持ちを抱いていたかもしれない。
 親の言うとおりに生きてきたことは
 悪いことではないと思うけど、
 自分で考えたりしないとどんどん時間がたったとき、
 自分で方向を決めなきゃいけないときに
 ものすごくエネルギーが要るのです。
 やっぱりある時期にしなきゃいけないことって
 あると思います。それに自分の選択に
 責任を持って生きていくことって
 とても大変だと今痛感させられています。
 自分で選んだ一人暮らしだけどやっぱり自由な反面、
 自分がどこまで自分をコントロールできるかが
 大きな問題になってきます。
 さびしいけど、悪いことばかりじゃない。
 私も「s」さんよりちょっと遅かったけど、
 自分のすることに責任を持つことを大事にしようかな。
 受験生の皆さんは
 今とても大変な時期だろうけど、がんばってください。
 (みくろ)

感想や、あなたの転機などを、
メールの表題に「転機のとき」と記して、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-02-09-SUN

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2003-01-30  第2回 身体の転機
2003-01-31  第3回 仕事の転機
2003-02-02  第4回 20代の転機
2003-02-03  第5回 これからの転機
2003-02-04  第6回 子どもの転機
2003-02-07  第7回 現在進行形の転機