鶴瓶と糸井。 鶴瓶と糸井。
お久しぶりです、鶴瓶さん! 

ほぼ日には2011年以来、
8年ぶりのご登場となる笑福亭鶴瓶さん。
たっぷり糸井と語ってくださいました。

人気番組『家族に乾杯』のこと。
52年ぶりの同窓会のこと。
ももクロのこと。うれしかったことばのこと。
そして、鶴瓶さんの愛する落語のこと。

気心のしれた者同士、ふたりの会話は
軽やかにポンポン飛びはねていきます。
いっぱいしゃべって、いっぱい笑って、
途中、いっしょに給食もいただきました。

できることならずっと聞いていたい、
ふたりの「いま」が詰まったフリートークです。
深く、ゆるく、全9回。どうぞ!
第8回 髄まで入れられるか。
写真
糸井
いまうちでは
「ほぼ日の学校」というのをやってて。
鶴瓶
学校?
糸井
そこは古典しかやらない学校なんです。
いろんな超一級の先生が講義をしてくれて、
いまは「万葉集」の講座をやってるんです。
鶴瓶
ほう、万葉集。
糸井
それまで「万葉集」について、
そんなにくわしくなかったんだけど、
その学校の授業を受けていたら、
ぼく、ほんとうに「歌」のことが
好きになったんです。
写真
鶴瓶
へえ、そんなにも。
糸井
そもそも短歌って、
文字を見たり、意味を聞いてるときって、
そんなにおもしろいと思わないんです。
でも、最初の授業のときに先生が
「まず耳から聞いてください」って、
声に出して歌を読んでくれたんです。
そうやってなんども歌を聞いてると、
不思議と詩の景色やら情感やらが、
すこしずつこころに伝わってくるんです。



はるか昔の日本人が歌ってきた気持ちが、
こうやっていまにいたるまで、
ずっと消えずに残されていると思うと、
なんか、ちょっとジーンとしちゃって。
鶴瓶
ああ、すごいね、それは。
いまでも残ってるものって、
やっぱりそれだけですごいと思う。
写真
糸井
それで、その翌日が
矢野顕子さんのコンサートで、
ぼくが作詞した曲もけっこうあって、
じぶんで言うのもヘンだけど、
それもすごくよかったんです。



落語じゃないんだけど、
やっぱり「歌詞」も耳から入るものだから、
直接こころに届くというか。
だから、ほんと最近になって、
真剣に「作詞」がしたくなってきて。
鶴瓶
ほう。
糸井
いままでも作詞の仕事はしてますが、
やっぱり副業のひとつなんです。
でも、いつか他の仕事をしなくなったあと、
ひと月ぐらいかけた仕事として、
真剣に「詩をつくろう」と思ったんです。



それはだから、
鶴瓶さんが50歳のときに、
本格的に落語をやろうと思ったのと、
ちょっと似てるのかもしれないなって。
鶴瓶
まあ、ぼくの場合は、
たまたま春風亭小朝さんに誘われて、
「六人の会」というのに入ったんです。
入ったら、毎月落語をやっていかなあかん。
それで覚悟決めてやろうってなって、
いまにいたるんです。
でもそれ、いますごく感謝してます。
写真
糸井
そうですよね。
もしそれがなかったらと思うと。
鶴瓶
そうそう。
それで俺、そのとき小朝さんには
「さんまも誘って」って言うたんです。
糸井
あぁ‥‥。
鶴瓶
あいつは上方落語にとって、すごく大事。
あいつはもう、心情が噺家。
根底が噺家なんですよ。
糸井
あぁ、なるほど。
写真
鶴瓶
まあ、けっきょく小朝さんは、
さんまには声をかけなかったそうなんです。
たぶん、落語という形にはめてしまうことが、
さんまにとっていいことかどうかわからん。
そういうことやと思うんです。
まあ、いまになって考えたら、
誘わんでよかったんかなとも思う。
いま、あんなに伸び伸びやってるわけやし。
糸井
さんまさんの心情が噺家というのは、
よくわかります。
鶴瓶
あいつは心情が噺家なんです。
落語家でも心情が噺家かどうかは、
見たらすぐにわかります。
糸井
それはすごく大事な部分ですよね。
鶴瓶
いちばん大事やと思う。
「これを覚えたら食える」とか思うようなやつ、
それはもうダメやね。
糸井
落語って、じぶんの手や口で
噺をこしらえていくわけですよね。
人のこころというものを、
しゃべりながら、手を動かしながら、
筋肉を使って表現する。
そういう意味では、
その「こしらえる」という感じがないと、
やっぱり落語としてはちょっと‥‥。
鶴瓶
ある人のある部分がウケたからって、
同じようにそれをやってウケるかといったら、
それはちがうんですよね。
糸井
ああ、ちがいますね。
鶴瓶
それはちゃんと髄(ずい)まで、
入れられるかどうかなんです。
髄まで入ってなくても、やれることはやれます。
そういう噺家もいると思います。
そこはすごくわかるところ。
さんまは、それがちゃんとできるやつ。
ちゃんと髄まで入れられる。
写真
糸井
楽器の演奏にしたって、
ちゃんと弾けてたとしても、
ちっともうれしくない演奏だってあるわけで。
そういうところは、
落語はすぐにバレちゃうんでしょうね。
鶴瓶
でね、志ん生のすごいところって、
客が大ウケしてるのに、
わざと止めたりするんですよ。
そのまま行きゃあええのに、
バーンと突き放して、次へ行ったりする。
糸井
あぁ、あぁ。
鶴瓶
もっと調子乗ってもいいのに、
ぜんぜん調子に乗らずに、そのまま次へ行く。
そういうところは、ほんますごい。
糸井
前にあの話、しました? 
志ん朝さんが志ん生さんに聞いた話。
鶴瓶
なんやったっけ?
糸井
その話のおおもとは、
柳家小三治さんが志ん朝さんと仲が良くて、
「親父に聞いてみてくれ」ってことで、
志ん朝さんが
「お父ちゃん、落語をおもしろくするには
どうしたらいいんだい?」って聞いたらしいんです。
そうしたら父親の志ん生さんは
「おもしろくしねえことだ」って答えたっていう。
写真
鶴瓶
あぁ、あぁ。
糸井
落語だけじゃなくて、
どの世界でもその「おもしろくしねえことだ」に
あたるものだらけですよね。
「中身が出てきちゃうんだよ」というところに、
ほんとうの「おもしろさ」があるわけで。
笑わせようとしてもムリなんですよ。
鶴瓶
だから、その人が持ってるものですよね。
中身が出てきちゃうわけだから。
落語の用語で「フラがある」とも言うけど、
いるだけで笑いたくなるというか。
うまくやろうとしたら、
それだけあざとくなってしまうし。
糸井
「その人がどういう人か」というのは、
前から考えてたことを
ゆっくりしゃべってもらっても、
その人のことなんてわからないんです。
それよりもなにか起きたときに
「とっさにどうしたか」を見たほうが、
よっぽどその人のことがわかる。
鶴瓶
ああ、そうやそうや。
写真
糸井
鶴瓶さんの『家族に乾杯』なんか、
ほとんどがそれですよね。
テレビカメラを連れてるけど、
相手はとんでもないことを
言うことだってあるわけで。
そのことを視聴者はちゃんと見抜いてて、
そのときの鶴瓶さんの
「とっさにああした、こうした」を
たのしんでいるんですよね。
(つづきます)
2019-02-15-FRI