大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1949年百万弗大冗談(モシモシアノネ梅田版)ポスター
三木鶏郎 作・脚本・演出・音楽
於:梅田劇場
出演:美空ひばり(特別出演)、ミミー宮島、
三木鶏郎グループ
(有島一郎、小野田勇、丹下キヨ子、三木のり平)、
東京舞踏劇団、T.F.B.
タイトル

糸井 この鶏郎一座は、でかかったねぇー。
大瀧 劇場とか全国巡業とか
いうようなことが多い、
なんていうことは、誰も‥‥
糸井 知らない。知らない!
大瀧 見た人が、ほとんど、もう、いない。
東京で見た人がいたとしても、
地方巡業をあれだけ廻って歩いたのを
知っている人はいないんじゃないかな。
糸井 だって、単純に、鶏郎さん自身が
たくさん歌を歌っていたということも
知らなかった、俺。
そういう人じゃないと思っていた。
大瀧 うん。思っているよね。
だいたい、三木のり平の師匠だって
いうようなことだって。
名付け親だってこととか。
糸井 え? 鶏郎さんはのり平さんの名付け親なの?
夫人 そうなんです。
竹松 三木の名前は、
三木鶏郎の三木だそうです。
大瀧 田沼則子(タダシ)だから、
その則の字をとって「のり」。
竹松 さっき糸井さんがおっしゃった
逗子とんぼさんも、
鶏郎先生の命名ですよ。
糸井 逗子の生まれなんですか。
竹松 バスで旅行中に、
このバスはどこに行くのかと聞いて、
逗子だから、「じゃ、逗子」と。
そして、身体がヒョロヒョロしているから
「とんぼちゃん」と。
大瀧 たけし軍団の命名と、
ほとんど同じだね。
糸井 そういうことだね。
竹松 左とん平さんも、そうなんですよ。
糸井 俺、子供のときに、
千葉信男が出ただけで、笑ってたんです。
ただ、デブなんです。デブが、
「待ってくれ‥‥お、お‥‥」と言うだけで、
みんな「ワーッ!」と笑う。
要するに、今でも、「フォ〜!」で笑う、
みたいなものですよね。
大瀧 ほんとは岸井明を使いたかったんですよ。
糸井 岸井明!‥‥猪八戒とか演った。
大瀧 うん。使いたかったんだけど、
ビッグネームだから頻繁には
使えなかったんでしょう。
で、いいところに千葉信男が
出てきたわけですよ。
糸井 そうか!
坊屋三郎だとか榎本健一みたいな人は、
もう、一家の主でしょ?
大瀧 もう、すでに。
糸井 その人たちとも、鶏郎さんは
コラボレーションしているわけですよね。
夫人 エノケンさんとは、すごくやってましたね。
糸井 もうすでに大物同士に
なっているわけですよね。時代で言うと。
夫人 そうですね。
糸井 育てたというよりは、
エノケンはすっかり上になっちゃってる。
大瀧 戦後だから、エノケン、ロッパは、
もうとっくに出来上がっている。
夫人 エノケンさんのほうが、10も年上なんです。
でも、どういうわけか、向こうが
「先生、先生」と言って。
竹松 映画の音楽を書いてくれと。
糸井 芸人さんは、「先生」とかって言うのが
うまいからなぁ。
竹松 ウフフフ‥‥
大森 「無茶坊弁慶」は先生の脚本。
糸井 そうですね。
竹松 1954年ぐらいに、映画を撮るといって。
で、ちょうど鶏郎先生が「ユーモア劇場」で
すったもんだしているときで、
「忙しいから書けない」と
最初は断ったんだけど、
エノケンさんが自分でいらして、
「足が悪いのに来てるんだから、
 書いてちょうだい」って(笑)。
大瀧 このあいだ、鶏郎さんが
最初に出た映画を見たよ、
シミキン(清水金一)、ロッパの。
映画に出て来るんだよ。
あれが初出演だったんだってね。
竹松 ええ。そうですね。
大瀧 知らなかったよ。
糸井 なんで見たの?(笑)
大瀧 うっかり見てたのよ。
一同 アハハハハハ!
糸井 見たのがおかしいよ。
大瀧 いろんなところに出て来るんだよ、突然。
汽車が出てくると、
「僕は特急の〜」のメロディーが
流れたりすることも多いしね。
そういう、音楽をやっているケースもあるし。
随分やってますよ。
糸井 やっぱり、みんなの文化遺産、みたいに
ギャグだとかフレーズみたいなものが
使われていったというのがあるよね。
だから、「使っちゃいますよ」みたいな
感じで、勝手に使ってますよね。
大瀧 そうだね。とにかく、ちょっと来て
ちょっといなくなって、
という人の数を入れたら、全員だよね、
そういう意味ではね。
森繁さんもそうだけど、
関わったという意味では、
有島さんだとか‥‥
糸井 有島一郎
大森 うん。「トリローサンドイッチ」ね。
大瀧 ええ。だから、のり平みたいに
完璧な弟子以外に、いろんな方が
客演という形でいっぱい出ましたよね。
夫人 弟子‥‥というのは取らないんですね。
で、「僕のものを盗むものは取っていけ」と。
そういう関係で、弟子とかいう
組織だったものは嫌いでね。
弟子だと言っている人は、
自分で勝手に弟子と‥‥
大瀧 言ってるわけですね。
フランキー堺なんかにしても、
ちょっと来ていなくなって‥‥ね。
大森 フランキー堺さんて、
なにか関係ありました?
夫人 ええ。フランキーさんとは
よく仕事をしました。
大瀧 よく出てましたよね。
フランキーが「シティ・スリッカーズ」で
植木等さんや谷啓さんと
バンドをやってた頃に、
三木鶏郎さんが聞いたんですよね。
「いくらもらってるの? ギャラ」。
聞いたら、鶏郎さんよりも3倍か4倍、
多かったって。
竹松 ええ、ええ。「これは使えない」って。
「うまかったので、スカウトしようと
 したんだけど‥‥」という話でしたよね。
大瀧 そう、そう。あの時、
自分がバンドリーダーで、
自分だけ映画に出たりして、
がっぽり入ってるんだよ。
その格差がバンドの解散の原因で。
‥‥トニー谷も出てたよね。
竹松 ええ、そうですね。トニー谷さんも。
夫人 あれは、仕事です。仕事関係で。
うちにはいらっしゃらなくて。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『これが自由というものか』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:榎本健一
『武器ウギ』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:榎本健一
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)

2006-01-11-WED
デザイン協力:下山ワタル
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