大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1961年3月11日
毎日ニュース「作曲バスを追う」(ニュース映画)の取材より
タイトル

糸井 竹松さん、鶏郎さんというのは‥‥
お話しした感じでは、
自分では、どういう仕事をしていたと
思っていたんですかね。
ご自身のことをアーティストだと
思っていなかったと思うんですよ。
大瀧 いや、アーティストと思っていたでしょう。
自分で思っていたし、思ってほしいと
思っていたんじゃないかな。
糸井さんはどういう印象でした?
糸井 僕は今回、鶏郎さんの作品をまとめて聴いて、
「この分量!」と驚いた。
自分と共通させて考えますからね。
大瀧 なるほど。
糸井 僕はアーティストと思ったことが
ないんですよ。‥‥で、
「あー、こんなになっちゃったぁー」
と思って、ずっとやっていたんですよ。
だって、球を投げるから打ち返すという‥‥。
大瀧 うん。わかりますよ。
糸井 一番、自分が自慢できるときは何かというと、
「5つ一遍に球を投げられたら
 打てないじゃないか」というのを
打ってみせたときなんですよ。
だから、じっくりとね、
「これをちゃんとした完成した作品として
 出します」ということをやったときには
自慢にはならないんですよ。
それよりも、「無理だろ!」というときに、
「ああ、出来た‥‥ハァ、ハァ‥‥
 俺が出来たとは思えない!」
というようなときが、一番、面白いんです。
大瀧 鶏郎さんも、そうなのよ。
鶏郎さんもそうなんだけど、
もともとの基盤がやっぱり、
ミュージシャンだというものがあっての
“対応”なのよ。
メディアと時代とが変わると、
それに対応、対応、対応で、
こんなふうになっちゃった。
だから、そこは一緒なの。
竹松 でも、作詞作曲家ですよね、気持ちは。
大瀧 そうなの。やっぱり、ソングライターなの。
竹松 最後に、「コマーシャルソングに
10秒の曲を書いてくれ」と言われて、
嫌になっちゃったときに、
「やっぱり作曲家で、
 コピーライターではないから、
 もうコマーシャルの仕事は出来ないな」
と思っちゃうところが、やっぱり、
作詞・作曲家だと思うんですよね。
糸井 うん。‥‥作詞・作曲家にしても、
依頼だけでやっていくのは
嫌だと思うんですよね。
大瀧 だから、鶏郎さんの場合、最初期のものは、
世の中にネタがいっぱいあったんだよ。
それは多分、やっぱり、戦争だと思う。
戦争に関連したものが薄まっていったから、
テーマ性がなくなって行ったんだと思う。
どうもね‥‥あの人たちのものは、
どこかに戦争を持っている人のほうが、
なにかいろんなテーマを
ずーっと追いかけたりとか、
数を出しているね。
糸井 ほぉー!
大瀧 生きるということに対しての
目的意識というものを、
否が応でも持たされる‥‥
糸井 自分で運命を決められないということを
知っている人間と、
自分で運命を決められるんだという
幻想を持っている人間とに、
敢えて分けるとすれば、
戦争を経験した人とか、
戦後をちょっとでも空気で感じていた人は、
自分で変えられない運命について
知ってますよね、やっぱり。
‥‥そこですよね。
大瀧 それが、やっぱり、テーマを
必然的に持ってしまうんじゃないですかね。
糸井 アメリカ人というのが、
自分で運命を変えられるという幻想から
スタートした人たちだ、という理屈を、
最近、読んで。
つまり、あり得ないことから始まった
建国なんですよ。だから、彼らは
今でもそれを人にも押し付けるし‥‥
大瀧 なるほど(笑)。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『グリコ・ワンタッチ・カレー・
  辛口・出た』

【江崎グリコ】
作詞・作曲:三木鶏郎
『グリコアーモンドチョコレート』
【江崎グリコ】
作詞・作曲 三木鶏郎
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
糸井 運命は自分で変えられるものだと言いながら、
よその国の人の運命を
滅茶苦茶に変えたり‥‥
自分の運命を変えないためにね。
自分が生き延びるために、ということを
押し付けているんだ、ということを、
内田樹さんが
『街場のアメリカ論』で書いていて。
大瀧 ええ。この前、対談したかたです。
糸井 そうですか!
鶏郎さんの話はまさしくそうで、
どうにもならないことがあるということを
知っているというのは、
宗教がある、ということでもありますよね。
で、それが無くて生きていいんだ、
という幻想の中にみんなが生きているから、
キツイわけじゃないですか。
で、鶏郎さんたちの世代は、
「‥‥はずじゃなかった」
ということについて
ずっと語っているわけですよね。
大瀧 それは共通したなにかが、
みんな、ありますよね。
だから、日劇に出たいと
思っているわけでもないし、
CMをやりたいと思っているわけでもなし、
ラジオをやりたいと
思っているわけでもないし、
テレビに出たいと思ったわけでもないのに、
時代が来るので、それに対応するうちに、
こうなったんですよね。
竹松 ええ。
大瀧 だから、さっきも言った‥‥
僕と共通しているのが、
三ツ矢サイダーのCMをやるために
“はっぴいえんど”を3年やっていた
わけじゃないってことなんです(笑)。
大森 フフフ‥‥そうね。すみません。
糸井 でも、“はっぴいえんど”に
コマーシャルを頼もうと思いつく人も、
思いつく人ですよね。
大瀧 いや、流行っていたんですよ、吉田拓郎が。
吉田拓郎は前年ですよね。
大森 前年。‥‥でもね、拓郎さんは、僕、
全然、意識してなくてね。
“はっぴいえんど”のLPを
聴いてたんですよ。
それで、どこか匂いを‥‥
鶏郎さんに繋がるような
本質を感じたんですね。
糸井 頼まれたときは、大瀧さんも
もっと突っ張っていたわけでしょ、きっと。
大瀧 結構ね(笑)。
糸井 ね。それが、コマーシャル‥‥
「シャリコマなんか、来ちゃってよ」
と思わなかった?
大瀧 いや、コマーシャル自体には
なかったんだけど‥‥。
もうバンドを解散してたし、子供もできてね。
生まれたばっかりで
1ヶ月も経っていないときで、
お金ももちろん要るし。
それで、「どういう話なのかな」と行った。
で、「ビートルズか小坂忠ふうに」
と書いてあったんだよ。
これに、アタマきたね。
糸井 ほぉー!
大森 それは、僕が書いたんじゃない‥‥の。
糸井 大森さんも、これは是非、
言っとかなければ‥‥(笑)
大瀧 それにまず文句を言った。
糸井 まず文句を言ったんだ!
大瀧 それが、まず、
やる動機だったんじゃないかな。
糸井 「この野郎!」と。
大瀧 そう、そう。
糸井 作る方法論はそんなに違わないでしょう?
大瀧 だから、電話をもらったときには、
もう出来た。
大森 そう。僕が電話をしたら、もう出来ていた。
大瀧 出来ていたから、行ったの。
ある意味では。‥‥あるでしょ?
糸井 うん。ある、ある。
大瀧 よく、嫌がって断られている、
というふうに誤解されることがあるでしょ。
本当に出来ないというときが‥‥
ゼロのときがあるでしょう。
糸井 ある、ある。
大瀧 0.1さえあれば、
なんとかできる可能性があるけど、
ほんとに0.00で、どこまでやっても、
いくらやっても0.00だという予感は、
必ずあるでしょ。
これは、絶対出来ないでしょう。
糸井 うん。
大瀧 そうなんだけど、あの電話がきたときに、
最後の「サイダ〜」の半音、
出来ちゃったんです。
糸井 へぇー! それは、もう、最高の形ですよね。

(つづきます!)

2005-12-30-FRI
 
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