ほぼ日で東京を特集するにあたって、
やはりどうしても
この方に話を訊かずには
いられませんでした。
京都出身のみうらじゅんさんは、
1977年に19歳で東京へやってきて、
今年で上京40周年。
みうらさんにとって、
東京はどんな場所ですか?
第3回
新発見:「おかん」は巨大な同一人物だった。
今回の動画をすぐに見たい方はここをクリック
- ──
-
みうらさんが
コンクリートジャングルに上京して
いちばん驚かれたことは
なんだったでしょうか。
- みうら
-
いちばん驚いたことはね、
東京の人が、意外と親切だったことなんです。
- ──
- わははは。
- みうら
-
これはね、意外でした。
「親切だな」と気づいたときは、
かなりショックでした。
「いままで俺が仮想敵にしていたものは
いったいなんだったんだ?!」
という事態におちいりました。

- ──
- なんだったのでしょう?
- みうら
-
それは、自分たちだったんですよ。
上京した人が東京人になりすます。
それが冷たいやつらの原因だったんですね。
「人は冷たい」と思い込んでいると、
他人にも冷たいんです。
ぼくは上京して、予備校に通っていたんですが、
そこではじめて彼女ができまして、
その人は東京の人でした。とてもいい人でした。
車もお持ちで、デートに出かけるときは
いつも助手席に乗せてもらったもんです。
その人には東京のこと以外でも
上から下までぜんぶ教えてもらいました。
なんていい人なんだ、と
結婚したくなりました。
東京の人は冷たくないんだ。
そう気づいたときに、一気に街が
バラ色になったんです。
- ──
- コンクリートジャングルがバラ色に。
- みうら
-
その頃すでにコンクリートジャングルは
崩壊していたのではないでしょうか。
ぼくは京都にいるあいだ、全く女っ気はなかったんで、
楽しいことは一切ありませんでした。
それが東京で
すべてのご褒美をもらうかたちになりました。
そのおかげでぼくは、
こうして40年も住んでいるのです。
京都には、19年しかいませんでしたものね。
- ──
-
そんなみうらさんから見て、
改めて故郷は
どのようなところでしょうか。
- みうら
-
関西から離れてみなければ、
わからないことがありましたね。
それは、関西の「おかん」のことです。

- ──
- おかん。
- みうら
-
あの「おかん」と呼ばれている人物。
あれは同一人物だってことに
東京に来てはじめて気づきました。
おかんは、もとはひとりの人間で、
それが分散しているだけなんだ、と。
よく考えてみてください。
関西の人たちが話す「おかん」のエピソードは、
ほとんどいっしょでしょ。
同一人物説が出てもおかしくありません。
それほどおかんエピソードは
一言一句シンクロしているんです。
おとんの場合はそんなことはありませんがね。
いまじゃ東京でも「おかん」という呼称が
ずいぶんメジャーになりましたが、
1970年代後半にはまだ東京に
なかった言葉でした。
分散した人がいるだけでじつは同一人物である、
ということを特派員のぼくが唱えだしたことは
大きかったと思いますよ。
東京の人たちがみんな
「おかんっていうと、あれでしょ?」と
わかるようになってくれた事実と考えるとね。
- ──
-
おかんがひとりの方だったとは、
ちょっと知らなかったです。
- みうら
-
でしょ。これは
密教的にいえば、大日如来の世界観でね、
ほかの仏は大日の
变化(へんげ)であるということです。
たぶん間違いないと思いますよ。
~それでは、本日の動画をごらんください。~
本日の動画ポイント
- コンクリートジャングルはすでに崩壊していました。
- 東京はいいところでした。
- いまもみうらさんは車が運転できません。
- おかんはなぜ皆同じ言動なのか、
そちらのほうが気になります。
(第4回につづきます)2017-05-30-TUE






