ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 朝日新聞気仙沼支局 篇
第4回  パワーのある町。
糸井 掛園さんは、気仙沼あるいは東北が
今後、
どういう町になったらいいと思っていますか?
掛園 たぶん‥‥震災前のかたちに戻すのじゃ、
意味ないと思います。
糸井 そうですか。
掛園 気仙沼の魅力がさらに増すような‥‥
そういう方向で
復興計画を立てていかなければ。
糸井 なるほど。
掛園 この地域のいちばんの魅力であり
資産である魚市場に注目して、
水産都市であると同時に観光都市でもある。

そういう町づくりのできるチャンスだと
この震災を捉えて。
糸井 「得意な部分」なわけですものね。
掛園 そう、魚市場の再開にしても、
カツオの漁に間に合わせるんだって言って、
みんなでやっちゃったんです。
糸井 ええ、やっちゃいましたね。
掛園 そういうエネルギーがあるんですよ。
糸井 あれ、ことの大変さがわかる人ほど
びっくりしてましたよ。
掛園 みんなを、すごく元気づけました。
やった本人たちも、自信を持った。
糸井 ぼくらが気仙沼に来たときに、
地元の人に
よくごちそうになるんです、ごはんを。

それにたいして、
どうやってお返しをしたらいいだろうと
思う反面、
「これって、いいことなんだろうか」と。
掛園 ええ、わかります。
糸井 もう友だちみたいになっちゃったから
聞いたんです。

「ぼくらがごちそうになるなんて、
 ダメじゃない?」って。
掛園 ええ、ええ。
糸井 そうしたら「ごちそう、したいんだ!」と。

つまり「プライド」なんですよね。

人にごちそうすることも、
人間的な生活の「必要条件」なんです。
掛園 ああ‥‥。
糸井 そのことを知ってから、
ぼく、この町のことを
また、ずいぶん好きになったんです。
掛園 われわれも、
原則ごちそうになったりはしないんですが、
「この好意は受けたほうがいい」
場面というのは、かならずありますよね。
糸井 そう、
「もらってばっかりいるなんて嫌だ」と。

現地の人たちから、その言葉を聞けたおかげで、
人間理解が深まった気がします。
掛園 ええ、ええ。
糸井 ある意味で
彼らが「見栄を張っている」部分があるなら
ぼくらだって、張り返せばいい。

なんか、お互いに
「ちょっとかっこつけたくらい」なほうが
いいんじゃないかって。
掛園 わたしね‥‥ずいぶんむかしに
鹿児島湾の、
台風の復旧工事の記事を書いて‥‥。
糸井 ええ。
掛園 「ジャカゴ」という工法があるんですが、
わたし、そのことを
「自然にやさしい工法」と書いたんです。
糸井 はい。
掛園 そうしたら
焼酎を2本、持って来てくれた人がいて。
糸井 うれしかったんでしょうね。
掛園 「そんな、受け取れません」と言ったら、
「おまえとは口きかん」と(笑)。
糸井 ‥‥そうなんですよね。

ぼくら人間が
「ふつうに生きてたらやりたいこと」は、
ぜんぶやりたいんですよね。

被災地だろうと、どこだろうと。
掛園 気仙沼は土地が少ないから
内陸の一関の千厩(せんまや)に仮設住宅を
建ててるんですが、
そこのみなさんも、ものすごい親切。

もう「至れり尽くせり」なんですよ。
糸井 へぇー‥‥。
掛園 「なんでそんなに親切なんですか」と聞いたら
「みんな、
 何かしてあげたいと思ってるんだ」って。

この震災にたいして、
どういう手を差し伸べていいかわからない。

そういう人もたくさんいるでしょうけど、
きっかけさえあれば、
なんとかしてあげたいと思ってるんですね、
みなさん。
糸井 うん、そうなのかもしれないですね。

手伝うことまで「損得」だって
言ってもいいくらい、
人は「何かしたい」んだと思います。
掛園 ‥‥わたしもね、ここに2年半もいると
好きになるんです、この土地を。
糸井 ええ、そうだと思います。
掛園 この町には、やっぱりいい町になってほしい。

ですから、復興計画をつくるための会議とか、
どんな議論をして、
どういう町をつくろうとしてるのかについては
とても興味があります。
糸井 それは‥‥取材対象として?
掛園 うーん、どうでしょう。

記事に書くため‥‥だけじゃない気がします。
糸井 じゃ、ご自身が「好きだから」ですか。
掛園 そうですね‥‥わたしの「希望」でしょうか。

ひとことで言えば、
パワーのある町になってほしいなと思うんです。
糸井 そうですか。
掛園 世界一の魚市場がある、パワーのある町。
糸井 いいですね。
掛園 ひとつのきっかけになるかな、と思うのは
「造船」です。

気仙沼というところは
全国有数の漁船の造船所でもあったんです。
糸井 ええ、メンテナンスもいちばんだって。
掛園 相当な技術らしいんです。

関連の会社まで含めると、
100社とか‥‥かなりの数になるはず。
糸井 そんなにですか。
掛園 それらを1カ所にまとめて、
お互いに知恵を出し合いながらやったら
おもしろいなと思うんですけど。
糸井 なるほど‥‥なるほど。
掛園 土地がないという問題もあるんですけど、
でも、どうにか立ち上がって
新しい町をつくっていってほしいと思う。
糸井 今後、新聞記者から離れても
しばらくは気仙沼にいたいと思いますか?
掛園 新聞記者じゃなくなったら、
生活のために
東京の実家に帰ることになると思います。

でもやっぱり、
ずーっと気になっていると思います。
糸井 そうですか。
掛園 あの計画はどうなったのか、
あの人は、どうしてるのか。

その思いは、ずっと続くんだと思います。
糸井 3月11日は「第2の誕生日」ですもんね。
ここで「生かされた」という意味で。
掛園 はい。
糸井 今日は、ありがとうございました。
掛園 ちょっと‥‥しゃべり過ぎたかな(笑)。
糸井 濃密で生々しいお話でしたけれど。
たとえば5月じゃ、まだ聞けなかったですよね?
掛園 後遺症の心配をしたこともあります。

台所に溜まった水をざーっと流すと、
津波に見えたり。

ぼーっと座っていたら
突然、ガタガタっと揺れを感じたり‥‥
地震なんか起きてないのに。
糸井 こういう話って‥‥しないですか?
掛園 被災者同士では、しないです。

それにわたしは
「新聞記者をやめろ」って言われていたほど
しゃべらないほうなんですけど、
今日は、しゃべり過ぎぐらいしゃべってます。
糸井 そうでしたか。
掛園 たぶん、今日こんなにしゃべれているのは、
こうやって
「聞いてもらってるから」だと思います。
糸井 これからも、聞かせてください。
掛園 それは‥‥ありがとうございます。
  ※朝日新聞社・掛園勝二郎さんのお話は、今日で終了です。
 明日からは
 気仙沼三菱自動車販売社長の千田満穂社長が登場します。
2012-03-06-TUE
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