YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

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読者に矢を放つ前にやるべきこと


※今日からは、『家族狩り』を最後の第5部まで
 書きあげた時点での天童さんにうかがった、
 第2回目のインタビューを、おとどけいたします。
 「今回の小説は、チームとして事にあたったことで
  できあがったんです」と断言している天童さんに、
 そのチームワークを、じっくり、聞いてみましたよ!

ほぼ日 天童さんが、『家族狩り』五部作を
最後まで書きおえて思うことは、
どんなことでしょうか?
天童 小説の中に、すべてを出し尽くして、
「もう、これ以上、自分の中には何もないよ」
というところまでやりきることができた……。
そこまでやることを許された状態が、
まずは、幸福だったなぁと思います。

第五部の最後の最後の
「あと百枚」というところで、さらに
どうしても粘りたくなったときにも
版元が融通をきかせてくれる形で許されて、
納得がいくまで、
ギリギリまで作品の質を高めてゆけました。

「ここまでやって、
 この作品に足りないところがあったとしても、
 それは自分自身の才能の未熟さであるし、
 誰のせいでも何のせいでもなくて、
 どこにも言いわけのできないものとして、
 ちゃんと引き受けることができる」


そういう気持ちで、胸を張って、
作品に対する責任を自分で持てるということが、
書き終えた充実感としては、
いちばん大きなものでした。

ここまでの状況は、
これまでは、なかったんです。

もちろん、
『永遠の仔』にしろ、『あふれた愛』にしろ、
ぎりぎりまで粘らせてもらって、
とことんやった仕事です。
納得もしてるし、胸も張れる。

だけど今回は、もう一歩、
本来の出版状況では許されないことが、
刊行形式のおかげもあって、
おまけのような時間が与えられたことで、
思いもかけないほど深いところまで
行くことができたということですね。

今回の小説は、五か月連続という
異例の刊行形式にしたために、
毎月、「終わり」が
あらたに生まれてくることになりました。

「毎月の一冊ずつについても、
 完成した作品として
 読者のもとに届けなければいけない」

「最終的に五部すべてを通して読んだときに、
 物語の筋が完結するというのにとどまらない、

 もう一段も二段も
 表現の豊かさや
 作中にこめてある願いとか言葉の深みを、
 読者に受け取ってもらいたい。


 それこそ、
 四部までの印象をくつがえすくらいの、
 まったく別の作品として
 生まれかわるくらいの感動を、
 五部の終わりまで読みきったときに
 届けられるように、全体の流れを
 しっかり見通さなければならない」

その両者を満たすような仕事を、
毎月持続しつづけたものだから、
内に抱えた思想性なり言葉なりが、
成長していって、ほんとうに、
これまで経験していないような力が
出てきたんだと思います。

毎回、あたらしく
「終わり」を書き続けることで、
五か月前とは違う能力が高められていき、
その能力を、すべて
出しきることができたって感じですね。

大変おこがましい物言いになってるのを
承知で話すことではあるんですけど……
編集や校閲との共同作業も含めて、
「作り手がアタマの中だけで考えたもの」
ではない力が、次から次へとあふれてきて、
定着していったという
実感のある期間でした。

すでに、去年末の、物語を
いったんラストまで書き終えた時点でも、
「こんなになるとは思ってもみなかった」
という高みに来ていたのは確かでした。

「こんなことが書けたんだ。うれしいなぁ」
「もう、これだけのものが書けたのならば、
 ものを書く人間としては満足だ。
 この作品は、通俗的な意味で
 ヒットにならなくても構わないぞ」

と、すでに当時でさえ、
そう言いきれるものになっていた自負はあります。

ところが、この五か月間の
『家族狩り』制作チームとしての作業を経て、
そんな言葉では言い尽くせないぐらいの
充実感が生まれました。

だからこそ、今は、
この作品を、この形で刊行できて、
ほんとに幸せだったなぁという気持ちが、
何よりもいちばん先に立つんですよね。
ほぼ日 編集や校閲といったチームメイトと、
天童さんとの連携は、
具体的にはどういうものでしたか?
天童 編集者からは、まず、
「それを読者はどう受けとめるか」
という、
大きな人物設定像への意見や疑問が
返ってきますから、
そこから議論をしはじめます。

次には、どうしても気になる
文章や言葉に対する質問とか、
理解しづらい文章なので
工夫を願えないかという要請もきます。
さらには、編集者として、
ここはもっとつっこんで書いてほしいとか、
もっと読みたいシーンなので
加筆してもらえないかという話もあって、
そのつど自分もしっかり受け止めて、
なんらかの形で答えを返そうと努めます。

編集者の感じたことは、
十人読んでたったひとりが
疑問に思う程度のことかもしれない。

けれど、十人にひとりってことは、
一万人なら千人、
十万人のうちの一万人が
思うかもしれないと考えれば、
見過ごすことのできないすごい数でしょう。
だとしたら、
そこの部分はしっかり話しあって、
悩んで、納得のゆく答えを
出しておくべきだと考えています。

ぼくは完璧であるわけもないし、
そもそも、小説家は
「読者がいての存在」でしょう?


「編集者が読んだときに
 納得できない部分を詰めないまま」で、
「納得できる表現方法を探さないまま」では、
いざできあがって、
読者に向けて矢を放ったというときに、
作品が遠くまで届かないだろうし、
より多くの広がりを
持たないのではないでしょうか。


だから、ぼくにとっての編集者は、
「目の前にいる個人」ではなくて、
「その先にいる多くの読者の代表」ですね。

その意見をほんとうに
率直に素直に聞いていかないと、
作品が自己満足になりかねない。

ぼくは、作品の中で
疑問に思った部分は、できるだけ、
言ってもらうようにしているんです。
気を使って
「作者が考え抜いて書いた作品なんだし、
 言わないようにしよう」
なんて妙な遠慮をされたら、
逆に困ってしまう。

「こんなこと言ったら、
 怒られるんじゃないか?
 自分の読み方が間違ってるんじゃないか?」

そんな風に考えて、
意見を控える編集者もいるだろうけど、
ぼくとしては、もう、何でもいいから
言ってもらうのがいちばんいいんです。

時には編集者が的外れなことを
言うときもあるだろうけど、その場合には、
「いや、これはこうでいい。
 なぜなら、これこれ、
 こういうことなんだと思うので」
と、話しあって
詰めていけばいいことですから。

校閲部は、日付や時制など、
編集者が指摘するよりも、
もっと小さな整合性について調べてくれます。

「『一週間前』と書かれたところは、
 逆算すると八日前ですけど、いいですか?」

「この公園は、前の描写からすると
 左側ではなく右側にあるはずですが、
 いいですか?」

「百ページ前までは右手に持っていたアレが、
 いつのまにか消えています。
 アレはどこにいったのでしょうか?」

特に、新潮社の校閲って、
ほんとにすばらしいんですよ。
簡単な言葉のミスや、
表記の統一だけではないところまで、
一歩も二歩もつっこんで調べてきてくれるので、
どれだけ作品が助けられたことか。

ここでは雨が降ってるが、
五ページ後ろにその描写がないけど、
書いておかなくてもいいですか、
なんてことまで言ってくれて……
それはべつに雨のことは
書かなくてもミスじゃないのだけれど、
雨の情景を加えると、
作品が格段に立体的になるんですよ。


ちょっとしたひと言が、
こちらのインスピレーションを刺激してくれる、
そうした体験が、
今回何度もありました。

あまりにすばらしい指摘だと、
ぼくはうれしくなって、
その指摘されたところの余白の部分に、
鉛筆で薄く返事を書きました。

「サンクス!
 でも、ここは、
 こういう意味だから、これでいいんです」

「スペシャルサンクス!
 ありがたい指摘です」

そうやって、校閲部からの言葉に、
返事を書くことをくりかえしていると、
校閲のかたのほうでも、
乗ってきてくれたと言うのかな……
通常の校閲の枠を超えて、
もっともっと作品の中にまで
入りこんでくれるようになったんですよね。
それが伝わってきた。

ふつうなら
表記のミスとか場所と天気の整合、
漢字の統一といったことで終わるはずが、

「ここで主人公は
 こういうことをするでしょうか?」

なんて、物語の中身への疑問まで、
言ってくれはじめた。
これも、ぼくにとってはうれしいものでした。

チームが機能してるなって
実感をおぼえたんです。

もしかしたら、校閲としては
「職権を踏み出すのはどうか?」
と思われるようなところかもしれないけど、
ぼくとしては
「踏み出してくれてありがとう」
っていう感謝なんです。

そこまで言ってくれると、
編集者の指摘とあわせて、ぼく自身の中で
何重にも考え直すことができるでしょ。

指摘されたところを、
結果的に直さないにしても、
「そういうふうに読む人もいる」
とわかっていて決断することと、
そんな読み方を想像もせずに
出版してしまうのとでは、
まったく違いますよね?

たとえ直さなくても、
『家族狩り』という作品に対する
チームのアプローチが、違ってくるんです。

今回は、編集や校閲とチームを組んで、
そこまでやりあえたことが、
作品には生きてるし、個人的にもおもしろかった。

※インタビューは、明日につづきます!
 またまた、濃いめの話が続くんですよー。


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『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
postman@1101.com に、対話するようにお送りください!
インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-06-16-WED

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