YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

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こんなことがやりたくて
 十代の頃から頑張ってきたのか?


※今回は、天童荒太さんのモノローグでおとどけします。
 二十代前半、袋小路を破るきっかけは何だったのか──?
 現在までのライフストーリーを聞くインタビューです。
 どの年齢の話も、真剣に、語ってくれているんですよ!
映画の脚本を書くことが苦しいから、
もう、なにか、「賞」とつくものには、
ぜんぶ、応募したいような気持ちになるんです。

映画シナリオだけじゃなく、
テレビやラジオのシナリオとか、
戯曲とか、あと童話……
小説だけは視野に入ってなかったんですよね。

無理だろうって、
すごく敷居を高く感じてたから。
あまり熱心な小説の読者じゃなかったですし。
映画をやるために、
勉強として読んでた程度だったから。
いわゆる古典とか名作と呼ばれるものも、
ほんのわずかしか目を通してませんでした。

あんまり言っていないけど、
ぼくが最初に賞をもらったのは、童話でした。
童話は好きだったんですよ。
というか、むしろ絵本かな。

十代の後半から
よく書店の絵本コーナーに行っては、
長い時間、絵本を読んでました。
いつか書きたいと思ってましたね。

絵はうまくないので、
話のほうを書いて、絵本を作れたらなぁと。

そうした想いで、絵のプロの人が選ぶ童話の賞に、
『家族狩り』の作者には
とても似合わないような
メルヘンタッチの童話を書いて送ったら、
イラストレーターの神様というか、
イラストを芸術の域へと高めた
第一人者の久里洋二さんが
選んでくださって、賞をいただきました。

ほかにも素敵な
絵のプロの人がいたんだけれど、
ぼくは久里さんがいいなぁと思ってたから
すごく喜びました。

その神様みたいな人が、
ぼくの話に、絵も描いてくださって、
書店には並ばないけど一応は本になりましたし、
書いたもので、はじめてお金をもらいました。

十万円。

入賞者五人の合本みたいなやつで、
「アンデルセン」という
パン屋さんに置かれる本でした。

だからすぐ手に入らなくなってしまって、
ぼくも手元に一冊しかない。
ずっと前に
知り合いの人に送ってほしいと言われたけど、
入手困難で約束を守れなくて、残念なんですよね。

けっこうこの話が好きだと言ってくれる
子どもたちもいて、
奇特な人が、久里さんを説得して、
あらためて本にしてもらえるとうれしいですけど。
久里さんともお会いしたかったのに、
その受賞式のときに、
お見えにならなかったんですよ。

描いてくださったのは
とても美しく、たのしい、ゆかいな絵でした。
ただ、出版社の賞ではなかったので、
これで先々の展望が
開けるようなことはなく、これっきり。

受賞式に行く旅費なども自分持ちで、
十万円なんて、すぐなくなりました。
町工場のバイトもやめたので、
またバイトを探して、たまたま
演劇雑誌のバイトの面接に行ったとき。

「へぇ、前に戯曲も書いてたの? 書けるの?」

「バイトではちょっと雇えないけど、
 こういう本を書いてくれない?」

それで戯曲を書いたら、一本、十万円くれた。
自分が学生演劇のときに
書いたものもアレンジして、都合二本。
その時期は、ぼくにとっては、
フリーライター時代かもしれません(笑)。

ただ、やっぱりその間にも、
いつも映画の脚本を書いていましたが、
受からないときにこそ、
「だんだん受かろうとする自分の浅ましさ」
が出ちゃうんです。

知らず知らずのうちに、
「今、受けているもの」とか、
「映像にしあげやすいもの」を
書いちゃっているんです。

自分の書きたいものではない作品を、
誰かに合わせて書いていることに、
あるとき、はたと気がつきました。

「あれ? オレは十六歳の頃から、
 こんなことがやりたくて頑張っていたの?」

夢を持ちはじめた十代の頃に目指していたものと、
今の自分の書いているものとは、何かが違う──。

なんだか、思いっきり、書きたくなりました。
誰かに合わせるのではない、時代の流行も関係ない、
自分が見たい、読みたいと思っているもの、
自分がいいと信じているもの……。
自分の思いを、くだらない計算なんてせずに
ぶつけられるものって、何だろう?

そう考え迷った末に、
小説なんじゃないかと初めて行き当たりまして。

小説って、何を書いても自由ですよね。
「いまの映画界じゃあ、受けないだろうから、
 映画化は無理だろうな」
と思って書けなかった
暗い話だって、小説には書ける。

高校生のとき、先ほども話したけど、
いっぱい創作メモを書いていたんですが、
そのなかに
覚醒剤を売る少年の話を思いついて、
メモしていたんです。

十七の頃考えて、
七、八年経っても、やっぱりこれは
面白いんじゃないかと色あせなかった。

寝たきりの母親も出るし、
子ども三人が中心なので、
新人の脚本では通らない企画だろうなと、
映画用には書けずにいたんですが、

「ああ、そうか。
 これって、たぶん、小説ならいいんじゃないの?」

と思って、それを、
思い切って書いてみることにしたんです。
小説をちゃんと書くのは
初めてだったから、こわごわ始めて。

覚醒剤を売る子の感情になって書いてみると、
これが、意外に書けるんですよ。
少年の感情が、どんどん出てきたんです。
時間もさほどかからなかった。
「あぁ、書けたな」と思いました。

ただ、同時に
「書けて、どうするんだろう、これ?」
とも思った(笑)。

※次回は、明日におとどけします。
 小説とシナリオの差についてのお話は、
 「書く」ことに興味のある人が、
 きっと、興味を持つ内容だと思います。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
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 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-05-12-WED

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